ダンジョンに答えを求めるのは間違っているだろうか   作:§K&N§

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第一章〜そして陽はまた昇る〜
東から照らす者


 ザアッと少しひんやりとした風がワシの体を吹き抜けた。季節はもう夏の終わりに入り、秋口に差し掛かった頃だろうか。

 

 こんな風を浴びると、あの時の事を思い出す。

 

 脳裏をよぎるのは、どんよりとした雲の下、紫の旗が辺りを囲い、その中心で仰向けに倒れる一人の男の姿。

 

 そんな男を見据えながら、己は男の前で腰を下ろし、一人静かに涙を流していた。

 

 己に、この男の死を悲しむ権利など無いことなど理解していた。

 

 何故ならば、この男を討ったのは、他でも無く己自身。戦禍により疲弊する民達と痩せ細った土地を尻目に、尚も武力による世界進出を目論むこの男の主に異を唱え、反旗を翻したのも己だ。

 

 そして、この男の主を討ち取り、新たな天下泰平を目指し、”人の絆”を掲げ、連合軍の総大将にまでなった今、敵の総大将であるこの男を討ち果たし、新たな時代への道を開いた。

 

 喜ぶべきだ。そう、喜ぶべきなのだ。早く泣き止まなければ。己を慕ってついてきてくれた仲間達の前で、早く笑顔を見せねばならない。それが、偽善と笑われようとも、絆を掲げ続けた己の義務だ。

 

 ふと、先ほどの会話を思い出す。

 

『どんな強固な軍を築いても、どんな奇麗事を(うそぶ)いても、私はこの目で見ている。家康……貴様の罪をッ!』

 

『三成……』

 

『さぁ、秀吉様に頭を垂れろ。許しを望んで(こいねが)え。そして……首を刎ねられろ』

 

『ワシに、そのつもりはない』

 

『貴様は昔からそういう奴だった! 己の野望を、夢という言葉で飾り立て……秀吉様の天下を穢したのだッ!』

 

『それがワシの決意だッ! 三成! お前にも秀吉にも、天下は譲らない!』

 

『貴様それで満足だろうなッ! だが、私は貴様に全ての絆を奪われた! どうやって生きたら良いッ!? どうしたら良かったんだぁぁぁッ!?』

 

『ならば三成、力の限りワシに立ち向かえッ!』

 

『屈するものか……貴様にだけは、決して。たった一人になろうとも、死にゆくその寸前まで……貴様を許さないッ!』

 

『負けるものか……何があっても譲らない。平和な世は、このワシが創る。その力の源こそが……揺るがぬ絆だッ!』

 

 そうだ、己はあの時決意しただろう。

 

 疲弊する国、訪れぬ平穏、もう看過できないと。例えこの心が壊れたとしても、神も人も誰も救わぬというのなら、己が皆を照らす太陽(ひかり)なるーーそう、決意したはずだ。

 

 さあ、立ち上がれ、そしていつもの様に笑うんだ。

 

『これで戦いは終わった。さあ、手を取ろう。新しい時代の始まりだ!』

 

 部下達の喜ぶ顔が見える。これで良い、これで良いんだ。

 

 三成……確かにお前の言う通り、ワシは絆の力を(うた)いながら、お前達の絆を壊した。それだけではなく、己に敵対する者は全て討ち倒してきた。己の言葉に矛盾を抱えた愚か者だろう。

 

 そんな事は、言われるまでもなく、己自身が一番よく判っている。

 

 だがな、三成……

 

『それでもワシは、この道を行く』

 

 その瞬間ワシは、己の心はとうの昔に壊れていたことを自覚した。

 

 それでも、笑おう……民達の為に。

 

 何故ならワシは、夜をも癒やす太陽(権現)なのだから……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ッ!」

 

 ハッと我に返り、ワシは思考の水底へ堕ちていた事に気が付いた。

 

 周りを見渡すと、鬱蒼とした森の中、木々が広げた枝から伸びる葉が少しずつ緑から色を変え、秋の到来を告げていた。

 

 更に足下へ目を移す。この辺りでは多くの村人が訪れる小川は青く晴れ渡った空を映してキラキラと輝いている。足首をサラサラと通り過ぎる透き通った水は、ひんやりとして足を冷やしていた。

 

 大自然の作り出すそんな美しい光景に目を細めて呆けていたが、ふとワシが何故こんな川辺に居るのか忘れそうになる。

 

「兄さーん、こっちは薪拾い終わったよー! そっちは終わったー?」

 

 川の上流の方から聞こえる声、兎のような柔らかな白髪を風に揺らし、我が義弟(ベル・クラネル)がこちらに視線を向けていた。

 

「ああ、すまないな、ベル、今終わる!」

 

 そうベルに声を掛け、川原で拾った倒木を鉈で割りながら詰める。

 

「ーーーよっと!」

 

 気合を入れて籠を背負う。籠につけた肩紐が肩に食い込んで少々痛いが、まあ仕方なかろう。

 

「さて、ベル、帰ろうか!」

 

 秋口特有のひんやりとした風を感じながら、ワシは帰り道へ足を向けた。

 

 上流の方から、ベルが小走りに近寄ってくる。

 

「兄さん、何だかボーっとしてたけど、大丈夫? 体調悪い?」

 

「ああ、いや、問題ない。風が冷たくなったなと思っていただけさ」

 

 家路の途中、先程のワシを見て心配したのか、ベルがそう声を掛けてきた。

 

「本当? 何だか辛そうな顔をしてたけど……」

 

「本当に大丈夫だ。夏が終わると寂しくなるだろう? そんな感じさ」

 

 苦笑を浮かべながらワシはそう取り繕う。いかんな、ベルに要らぬ心配をかけてしまったか……。

 

「さあ、もうすぐ暗くなる。早く帰って飯にしよう!」

 

「うん!」

 

 ワシの言葉にベルは笑顔で頷く。その顔を見ながら、チクリと心が微かに疼いた。

 

 体調が悪かった訳ではないし、別に騙しているつもりもない。ただ……この時期はどうしても”あの記憶”が脳裏をよぎるのだ。

 

 とある寒村にて生を受けたワシは、8年前まで両親と共にその村で暮らしていた。あの頃は、まだワシは今のワシでは無かった。

 

 だが、あの時、ワシは”魂の記憶”を呼び起こした。

 

 いや、正確に言うなら、”記憶を引き継いだ”と言った方が正しい。所謂、前世の記憶というやつである。

 

 時代の波に飲まれながら、誰よりも民の安寧と未来を願い、 戦国の世を終わらせた男の、戦いの記録。

 

 そして、誰よりも絆の力を信じ、誰よりも絆を失い続けた、愚かな男の壊れた記憶。

 

 その男の名はーー『徳川家康』といった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気が付いた時には、僕は戦渦の通り過ぎた小さな村で一人生きていた。文字通り、生きているのは僕一人。僕以外の村人達はすでに息絶えている。

 

 土砂降りの雨が降る早朝、あの者達は、僕がこの世に生を受けてから9年間過ごしたこの村に、災厄をもたらした。

 

 大きな戦が起こった後は、ある程度は出る脱走兵。その脱走兵達が盗賊に成り下がるということはよくあることだ。これは後から知った話だが、不幸にもここら一帯を治め始めた新領主が、盗賊達の動きを察知するのが遅れたらしい。

 

 結果、この村はこの有様である。

 

 早朝、村の少し外れの方にある川原で、昨晩からの土砂降りによる水位の上昇で漁の仕掛けが流されては堪らないと、回収しに行っていた僕は、村の方から悲鳴と怒声が響いていることに気が付いた。恐る恐る戻ってみると、盗賊達が村人達を一方的に蹂躙していた。

 混乱した僕は、恐怖のあまりその場から動けずにいたのだが、不幸にも盗賊達の一人に見つかり捕まってしまい、殴る蹴るの暴行を受ける。

 

 その際中である。

 

 己の心の中で、何かがざわめきだしたのは。

 

 両親や村の仲間達を蹂躙した盗賊達への怒り、己が殺されるかもしれないという恐怖、そして、それらに対する悲しみ。その感情達が心の隅まで満たした時、己の心と体に稲妻が走る。

 脳裏によぎるのは、この世界に存在するはずの無い、在りし日の記憶。僕が、生涯知る事などあるはずの無かった、一人の男の物語。

 

 そして、僕であった少年は理解した。

 

 あぁ……"僕"はこれを知っている。

 

 何故ならばーー

 

 

『この物語は、"(ワシ)"の歩み続けた道だ』

 

 

 その瞬間、(小さな少年)は、魂の記憶を呼び起こし、ワシ(徳川家康)に生まれ変わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 己の体を確認してみる。昨晩からの土砂降りの所為で泥濘んだ地面に横たえた体はボロボロ、視線の先には刃こぼれの酷い剣を持った盗賊達が十人程ニヤニヤと笑みを浮かべながらワシを見下ろしている。

 

 微かに残った"僕としてのこれまでの記憶"をかき集め、ワシは冷静に状況分析を終える。

 

 その時にワシが感じていたモノは、悲しみ。

 

 家族を、仲間を失った悲しみは勿論だが、この者達(盗賊達)を生み出す原因となった戦という存在そのものに、深い悲しみを感じていた。

 

 例え世界は変わっても、人という存在は本能的に闘争をやめられない。当たり前のように、弱者が蹂躙されていた。

 

 例えお伽話に出て来る英雄であっても、全てを救うことなど出来はしない。どんなに良い治政を執り行っても、必ず歪みは出て来るし、その割を食うのはいつだって弱者だ。

 

 ああ、そんな事は知っている。

 

『弱肉強食、それがこの世の真理である』

 

 かつてあの"覇王"が言っていたことは正しく真理であろう。

 

 ああ、知っているとも。その真理を、ワシは幾度となく見続けてきた。

 

 だが……だからこそ、ワシは決意したのだ。

 

 強き者が弱き者を虐げると言うのなら、ワシが弱き者を護ろうと。

 

 ならば、今からワシの取るべき行動は何だ?

 

 いつまでそうして地面に伏せている?

 

 立て!

 

 立ち上がり、拳を握れ!

 

「グッ……ウゥゥゥッ!」

 

 己を叱咤し、痛む体を無理矢理起こすと、視線を盗賊達に向けた。立ち上がったワシを見て、賊達は動揺しながら何かを叫んでいる様だが、今のワシにはそんな瑣末事など耳に入らない。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

息が上がり、歯を食いしばって泥濘(ぬかる)んだ地面から立ち上がり、強く踏ん張る。

 

 周りに見渡すと、無残にも賊に襲われ倒壊した家々、倒れ伏す村人達。加えて、女子供にすら容赦しなかった事が伺える。

 

『何故だ』

 

 心が叫んでいる。

 

『何故人は止められない』

 

 答えなど判りきっているが、そう心が叫ぶ。

 

『何故人は変われない』

 

 理不尽な現実に、怒り、悲しみ、憎しみ、あらゆる負の感情が心を掻き乱す。

 

「スゥゥ……ハァァァ…………」

 

 それらの感情を、大きく深呼吸をして飲み込んだ。

 

 心が張り裂けそうなほどの感情が湧いている。だが、その激情に流されては駄目だ。

 

 今からワシは、この賊達に聞かなければならない。この凶行の理由(わけ)を。

 

 生きる為だったのかもしれない。止むに止まれぬ理由が在ったのかもしれない。

 

 いずれにせよ、ワシは、知らねばならない。これから行う、ワシの行動の責任を負う為に。

 

 賊達をまっすぐ見据えて、ワシは口を開いた。

 

「お前達、一つだけ教えてくれ」

 

「あ?」

 

 賊の一人がワシの言葉に反応する。徐々に賊達の視線がワシに集まってきている事を確認しながら、ワシは言葉を続ける。

 

「お前達は、何故ここまでやった? そんな事をしなくとも、生きていけたはずだ」

 

 瞬間、その場がシンッと静まり返り、雨粒が地面を叩く音だけが響き渡るが、すぐに賊達の大笑いが響いた。

 

「何を言ってやがるんだ、この餓鬼は!」

 

「盗賊に、何故襲うのかだとよ! そんなくだらない事を考えるくらいなら、初めから賊なんてやってねぇよ!」

 

「今日食う飯が目の前にあって、それをみすみす見逃す奴が居るか、馬鹿が!」

 

 口々にワシを嘲笑する言葉を投げ付ける賊達。その言葉を、ジッと耐えながら聞いていると、奥からワシより倍以上の体格を誇る男が賊の兵達をかき分け出てきた。

 

「か、頭? どうしました?」

 

「お前達は少し黙っていろ」

 

「えっ……あ……へぃ……」

 

 賊の頭領の男の言葉に、取り巻きの賊達は笑みを消して押し黙る。そして、頭領の男はワシを見つめた。

 

「小僧、今の発言は、誰かからの受け売りか?」

 

「いいや、紛れもなくワシの本心であり、疑問だ」

 

「ふむ……なるほど。その面構え……仲間や親を殺されても怒りもせず、冷静さは保ち続けている。一体どこで培われたのかは知らんが、大した度胸だなぁ、小僧。だが惜しい。もし、ここで俺達に出会いさえしなければ、貴様は稀代の英雄になっていたかもしれぬのに…」

 

「ワシの事など、どうでも良い。何故お前達はそこまで堕ちた?」

 

 ワシの問い掛けに、頭領はニヤリと笑みを浮かべる。

 

「堕ちた……か。ふんっ、だから何だと言うのだ?」

 

「何?」

 

「青いな、小僧。堕ちたから何だというのだ? 貴様まさか、それはこの世の正義に反するとでも言うつもりか? くだらない……全く以ってくだらないな! この世に正義など在りはしないッ!」

 

「………………」

 

「理解出来ないって顔だな? ならば教えてやろう! 例え神がこの世界に降臨し、眷属を従え、人々に【神の恩恵(ファルナ)】を与えようとも、たった一つだけ変わらなかったルールがある! 強き魔物が人々を蹂躙するように、冒険者が魔物を狩るように、戦勝国が戦敗国を支配するように、”弱肉強食”がこの世の掟だ! それだけが、遥か昔から何一つ変わっていない不変のルールだ! 判るか、小僧! 貴様のチンケな正義など、それに比べれば取るに足らないモノだ」

 

 黙って話を聞くワシを尻目に、仰々しく両手で天を仰ぎながら、頭領の男は高らかに答えた。

 

「貴様は俺達に、何故ここまでやったのか聞いてきたな? この村だって同じだからだ! 弱きモノ(村人達)強きモノ(俺達)に喰われる。堕ちたかどうかなど、俺達には関係ない。俺達は強者の権利を行使した、ただそれだけだ」

 

「…………そうか、それがお前達の答えか」

 

 ワシには、この者達が哀れに思えて仕方なかった。

 

 戦など無かったら、こんな賊になど身を堕としていなかっただろう。もしかしたら、光り輝く未来も在ったのかもしれない。そう、この者達も、紛れもなく"弱者"だった。この者達はただ、生きていたいだけ、生きることに必死なだけなんだ。

 

 だが、実際に賊に堕ち、たくさんの罪無き弱者を蹂躙してしまった者達へ、今のワシがしてやれる事など一つしかない。

 

「ならば、ワシがその弱き者達を護ろう」

 

「あ?」

 

 ワシの言葉に、頭領の男は怪訝な表情を浮かべる。

 

「今の状況が判らないのか? 護るだと? 一体誰を護るって言うんだ? 今、この場で、生き残っている村人は貴様一人。他の奴らは皆、俺達に刈り取られた。その状況下で、護るだと? 小僧、頭がおかしくなったか?」

 

「いいや、何もおかしくないさ」

 

「ならばどういう意味だ?」

 

 まるで意味が分からないと言った表情で、頭領の男はワシを見つめる。

 

村人達(家族)を、彼らを護れなかった事は、残念でならないし、悔しい。胸が張り裂けそうなほど悲しい」

 

 頭領の男をまっすぐ見据え、己が言葉を紡ぐーー同時にワシは自分の体に意識を向ける。

 

「だが、ワシは同時に、こうも考えた」

 

 丹田に力を入れ、己が体の奥底に眠る闘気を呼び覚まし、歯車を回し始める。

 

「もし、ここで"お前達"を止めなかったら、この先どうなるのだろう?」

 

 血管を通り、全身へ闘気を流す。"この体"で闘気を体中に流すのは初めてだ。故に、体中の皮膚が、骨が、臓物が、その"熱"にあてられ激痛を訴えるが、そんな瑣末事を無視して、さらに闘気を送る。

 

「この先、お前達は誰かが止めるまで、際限なく略奪を繰り返すだろう。それによって流れる涙は、誰が止める? ワシはそれが恐ろしい」

 

 破けた血管を闘気で覆い、流れ落ちる血を止める。軋んだ骨に闘気を纏わせ補強する。心の臓の鼓動が早くなり、呼吸も浅くなる。体が熱い。

 

「もっと言えば、これ以上罪を重ね、お前達の魂が堕ちていくのを、ワシは見ていられない」

 

 初めての感覚に、体は拒絶反応を起こしているが、問題は無い。闘気(この力)の使い方は、”既に”知っている。

 

「故にーー」

 

 傷んだ体に喝を送り、更に闘気を巡らせる。自身の眼でも確認出来るほど、黄金色の闘気が体から吹き出した。

 

「今この場を以って、ワシがお前達を止める」

 

 左拳を前方へ突き出し、右足を下げ体を半身に構え、弓を引くかのごとく右拳を体の後ろへ絞る。

 

 戦う意思をまっすぐに示した。

 

「おいおい……何だそりゃ?」

 

 頭領の男がぽつりと呟く。頭領の動揺が全体に波及したのか、他の賊達も浮き足立っている。

 

「野郎共! 見掛けに騙されんな! 所詮、餓鬼一匹だ! 囲んで潰せ!」

 

「「「「うっ……うぉぉぉぉ!」」」」

 

 怒号を上げながら、賊達がワシの方へ走り出す。

 

 立ち向かってきたか……。

 

 ワシはそれらを冷静に見ながら、忠勝と鍛錬に明け暮れた在りし日々を思い出す。ワシは忠勝から戦い方を教わった。どんな場面で、どう立ち回るべきか、どんな攻撃が有効か。武器の使い方、そして、己の拳の使い方を学んだ。

 

 その記憶が、今この瞬間にどう立ち回るべきか、瞬時に判断を下す。

 

 己が行動は決まった。もはや、言葉は無用。

 

 この者達の罪を終わらせ、再び己の拳で罪を重ねる覚悟は出来た。

 

憎しみの連鎖(歪んだ糸)は、今ここでワシが断ち切るッ!」

 

 体を覆う闘気を更に滾らせ、ワシは目と鼻の先まで迫った賊達へ、後方へ絞った右拳を一気に突き出した。

 

「ハァァァッ!」

 

「「「「ッ!?」」」」

 

 闘気を纏った天道突きは、大砲の発射音のような激しい炸裂音と共に、突きの軌道上に居た賊達を暴風を伴って軽々と吹き飛ばす。吹き飛ばされた賊達は、悲鳴を上げる前に闘気による衝撃によって絶命し、地面に倒れ伏している。

 

 久しく感じていなかった、人の命を断ち切った感触に、胸がざわつくが、感傷に浸っている場合ではない。戦いはまだ終わっていない。

 

 仲間が吹き飛ばされ、唖然としている残りの賊達の下へ急接近、そのまま一気に間合いへ踏み込み、下から右拳を突き上げる。

 

 それにより、空中に浮き上がる賊達。その隙を見逃さず、両足を地面に踏ん張ると、連続で両拳を突き出した。

 

「おぉぉぉぉ……ッ!」

 

 素早く、的確に、相手の体へ拳を突き刺す。長年の記憶の蓄積から、どこを殴れば"人が壊れる"か、手に取るように分かる。脇腹に、鳩尾に、左胸に、喉元に、顎に、頬に、鼻に、眉間に、こめかみに、連続して拳を突き刺し続ける。

 

「がッ………アッ……」

 

「ゴガッ……ギッ……」

 

「ア"ッ……ガァッ」

 

「……ッ…………ッ……」

 

 両拳を一度止め、右拳を後ろへ引く。そのまま空中から落ちてくる賊達めがけ、

 

「ハァッ!」

 

 闘気を纏った右拳を振り抜いたーーー瞬間、糸の切れた人形のように賊達が雨粒と共に四方へ吹き飛ぶ。

 

 残り、二人。

 

 残った二人に視線を向けると、二人とも驚愕の表情で固まっていた。

 

「何だ……これは……何が起きたッ!? 何なんだこれは!? 小僧ッ! 貴様一体ッ!?」

 

 頭領の男は激しく動揺し、怒鳴り散らしている。

 

「うぅ…………うわぁぁぁぁぁ!!!」

 

 残った賊は、青い顔をして発狂しながらこちらに接近、振り上げた剣を振り下ろす。

 

 遅い。

 

 ワシの知っている剣は、この何十倍もの剣速と圧力を誇っていた。この程度なら、避けるまでも無くーーー

 

「疾ッ!」

 

「ギュッ!」

 

 グシャッと言う感触が左拳に伝わる。剣が振り下ろされる直前に右足で懐へ踏み込み、そのまま右足を軸に体を回転させ、賊の頬へ遠心力を利用して左裏拳を叩き込み、そのまま殴り飛ばした。

 

 残り一人。

 

「くっ……化け物めッ! ふざけるなぁぁぁぁッ!」

 

 最後に残った頭領の男は、剣を構え走り出す。ワシはそれをまっすぐ見据えながら、同じように一気に肉迫し、左拳を握り締め、

 

「ハァッ!」

 

「ガッ……」

 

 下から頭領の男の鳩尾を打ち上げる。それにより宙に浮く頭領の男。そこから、左脇腹、顎、左こめかみ、右脇腹と順番に拳を叩き込む。これで最後だ。

 

 ワシは右足で踏み込み跳躍、右拳を振り上げ、宙を舞う頭領の男の顔面に狙いを定めるーーーその時、頭領の男と目があった。

 

 その目には、激しい憎悪が渦巻いている。

 

 あぁ、判るぞ、その憎悪……ワシが憎いんだな。生きる為に盗賊に堕ち、これまで必死で生きてきたのに、たった今、小僧と罵ったワシに倒されるのが我慢ならない、そんな目だ。

 

 ならば、その憎悪、ワシが引き受けよう。お前達を終らせた、ワシが背負っていこう。お前達の事は、忘れない。

 

 全ての責は、ワシが負う!

 

「テヤァァァッ!!!」

 

 振り上げた拳を頭領の男の顔面中央へ、一気に振り下ろした。

 

 その瞬間、右拳から、命の終わる音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気付いた時には、昨晩から降り続いた土砂降りの雨は止んでいた。だが、空は黒い雲で覆われ、辺りは薄暗い。雨で濡れて重く垂れ下がった前髪からは、水滴が滴り落ちている。

 

「………………」

 

 ワシが立つこの村は静寂に包まれ、風が通り抜ける音だけが響き渡る。ふと周りを見渡すと、倒壊した家々、物言わぬ村人達の骸。そして、ワシが”終らせた”盗賊達が地面に転がっていた。

 

 雨によって出来た水溜りには、先程まで戦っていた頭領の男が浸っている。うつ伏せに倒れ伏す頭領の男が浸っている水溜りは、赤黒く濁っていた。よく見ると、頭領の男の倒れ伏す場所だけでなく、周辺にできた水溜りのほとんどが、赤黒く濁っている。

 

 あぁ……これはーーー

 

「まさに地獄……だな」

 

 そう独りごちて、ワシは周りを再度見渡す。

 

 誰も居ない、何も無い、それが何だか、無性に悲しかった。

 

「護れなかった……」

 

 両親も、仲の良かった友人達も、面倒見の良かった村の大人達も、皆、誰一人として護れなかった。もちろん、彼らが襲われていたその時は、まだ”ワシ”という人格は目覚めていなかった。故に、彼らを護るなんて出来るはずもない。

 

 仕方のない事だ。ワシ自身、それは分かっている。

 

 だが……この悲劇を回避する方法は、本当に無かったのだろうか。本当に、ワシは何も出来なかったのだろうか。そう、思わずには居られなかった。

 

 そして、盗賊達に視線を移す。

 

「………………」

 

 倒すしか、彼らを止める方法が見つからなかった。無論、彼らがやったことは許されることではない。罪無き弱者を蹂躙し、奪い続けた彼らは、いつか処断される運命だっただろう。

 

 だがーー

 

「結局、力で解決か……」

 

 ワシは、彼らに人としての尊厳を取り戻して欲しかった。壊すだけでもなく、奪うだけでもなく、人と人との繋がりを感じ、助け合えば困難は乗り越えられる。それを、知って欲しかった。例えその先、処罰として死ぬことになったとしても、それまでの行いを反省し、人として、自身の罪と向き合って欲しかった。

 

 だが、ワシが彼らに与えたのは、絶望と憎悪だけだった。そして最後には、その絶望と憎悪を押し付けて、力で以って彼らを排除した。

 

 頭領の男が最期に見せたあの目を、ワシは知っている。

 

「三成……」

 

 あの時、関ヶ原で対峙した三成も、同じ目でワシを見ていた。

 

 三成の言葉を思い出す。

 

『私の絆を奪い、一方では絆を説く。答えろ家康! この矛盾の行方を!』

 

 三成……ワシには、お前の問いに答える術がない。ワシは絆を説きながら、結局は武力で以って己の理屈を通してきた。この盗賊達に対しても、お前に対しても、だ。もちろん、己が矛盾していることなど分かっている。それでも、ワシには絆を捨てることは出来ない。それだけは、あってはならない。

 

 そしてワシはまた、同じ罪を繰り返している。

 

 あぁ……なんてーー

 

「無様な……」

 

 両拳をキツく握る。

 

 だが、次の瞬間、

 

「ぐっ……ぐぅぅぅ……がぁッ……」

 

 全身に広がる激痛に、堪らずワシは片膝を付いた。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 心の臓も早鐘を打ち、呼吸も落ち着かない。塞いだはずの傷からも、再び出血し始める。それにより、意識も朦朧とし始めた。闘気を強引に纏い戦った反動が、ここに来て表面化したのだ。

 

 無理もないだろう。この世界のワシは、今まで鍛えてきた訳ではない。当然、この体は戦闘など経験した事はない。先程まで戦えたのは、単に”ワシ”という存在が、戦い方と力の使い方を知っていたからだ。頭では分かっていても、この肉体は9歳の少年の体だ。ついて行けるはずもない。

 

「ハハッ……本当に無様だな」

 

 自身の有様に、自嘲する。

 

 その時だった。

 

「ッ!」

 

 自身を包む暖かな感触に、ふと顔を上げる。

 

陽光(ひかり)が……」

 

 分厚く空を覆った雲の切れ間から、太陽が覗いている。雨が降った後だからか、ちょうど雲の切れ間から光の筋が伸びるように、ワシへ光が届いていた。そのまばゆさに、ワシは目を細める。

 

 だが、その陽光から目を背ける事ができなかった。

 

 同時に、思い出した事があった。それは、ワシの原点の記憶。

 

「そうだ……ワシは三河の民を……」

 

 幸せにしたかった、その一心だった。その為に、絆を掲げた。その為に、日ノ本を賭けた戦いに臨んだ。

 

 それは、その心は、その望みは……決して間違ってなどいない、確信を持ってそう言える。

 

 だからこそ、戦乱を拡大しようとした豊臣に反旗を翻した。だからこそ、一刻も早くこのワシが日ノ本を統一する必要があると考えた。

 

 その過程で、豊臣のやり方を踏襲した三成を倒す事に、疑問など無かった。確かに、友と戦う、それはとても悲しかった。出来ることなら、戦いたくなかった。だが同時に、平和な天下を創る為には、それは決して避け得ぬ、言わば必要なことだと思った。

 

 ならば、何を悩んでいた?

 

「……あぁ、そうか」

 

 ワシは、己を偽らず、本音を話せる三成や英雄達が羨ましかったんだ。

 

 確かに、三河の民を幸せにしたい気持ちは嘘じゃない。本気でそう思っていた。

 

 だが、そこにワシ自身は勘定に入れていなかった。例えワシ自身がどうなろうとも、民だけは幸せにしてみせる、そう思っていた。

 

 だからこそ、ワシは”夜をも癒せる太陽(権現)”になろうとした。辛くても、苦しくても、誰にも言わなかった。

 

 そして、いつのまにか本音を語れる者が誰もいないという事実に直面した。

 

 本当は、誰よりも本音で語り合いたかったくせに、理想のままに邁進する、東照権現(創り上げたワシ自身)を演じる事が民の為になると思っていた。だから、ワシにとって”東照権現という仮面”は、必要なものだった。

 

 ただ、その仮面を被っている内に、気付いた時には己の本心が分からなくなっていた。そしてますます、ワシは仮面を外さなくなったし、立場的にも仮面を外す訳にはいかなくなっていた。

 

 本当は……誰かに気付いて欲しかったのかもしれない。ワシの心の叫びを、ワシの心の痛みを。

 

 そこまで考えた時、ワシはふと思った。

 

『ワシは、本当は何がしたかったんだ?』

 

 考えてみたが、出てこない。出て来るのは、三河の大将、東の大将、そして”東照権現”としてのワシが考える"民の幸せを第一"に掲げた願いだけだ。”徳川家康”としての願いが全く出てこない。

 

 愕然としたが、同時に納得もした。

 

だから、三成や独眼竜達がまぶしく見えたんだと。

 

 三成にとって心からの願いは、豊臣の栄光と発展だった。独眼竜にとって心からの願いは、日ノ本における己の力を証明すること、そして奥州の民をその背中で率いていくことだった。真田にとって心からの願いは、信玄公の魂を受け継ぎ、武田の未来を支え続けることだった。その他の武将達も、それぞれ心からの願いを偽らずに叫んでいた。

 

 それに比べてワシは……己の立場と目的を優先し、己の本心はひた隠しにしてきた。もちろん、それが間違っていたとは思わない。あの時は、着いて来てくれる者達に、希望を与える必要があったし、戦のない、民が安心して明日を生きれる世界を作りたい、そう思ったのも嘘ではない。

 

 ただ……それはワシでなければならない理由ではなかった。誰かがその目的を果たしてくれるなら、ワシである必要はなかったし、日ノ本の盟主などにもなるつもりはなかった。だが、誰もそれを目指さないから、結果的に、民達の為にワシが”太陽”になる必要があった。本当は、友と戦いたくなど無かった。

 

 あぁ、そうか……本当はワシは、”東照権現”などではなく、人でありたかったんだ……。

 

 だが、そこでワシは気が付いた。

 

 ならばワシは、人として何がしたかった?

 

 あぁ……だからワシは、その答えをーー

 

「探してみたいんだ……」

 

 自分で呟いて、痛く納得してしまった。

 

 そして、それに気付いた瞬間、運命は動き出す。

 

「少年、大丈夫かね?」

 

 突如声を掛けてきた者に視線を向ける。

 

「あ……」

 

 その姿は、”東照権現(創り上げたワシ)”などとは比べ物にならない程、本物の威厳を放つ”神”の姿だった。

 

 この出会いこそが、この世界における徳川家康(ワシ自身)の物語の始まりだったとは、この時はまだ知る由もなかった。

 

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