ダンジョンに答えを求めるのは間違っているだろうか   作:§K&N§

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新たな絆

 ザッ、ザッと地面を蹴る音がする。

 

「……ッ」

 

 ベルと共に薪拾いから帰る途中、今までの生活に思いを馳せていたワシは、ハッと現実に戻ってくる。

 

「兄さん……どうしたの?」

 

 ベルの心配そうな表情にワシは苦笑する。

 

「いや、何でも無い。少し、昔の事を思い出していたんだ」

 

「昔の事?」

 

「ああ、お前と初めて出会った時の事をな……」

 

「うッ……あの時の事かぁ……」

 

 渋い表情を浮かべながらそう呟くベルに、ワシはニヤリと笑みを見せる。

 

「あの時は突然叫ばれておどろいたなぁ……。しかも、目が合った瞬間、急に叫んで何処かに行ってしまった時はどうしようかと……」

 

「うぅぅ~……仕方ないじゃないか! 僕だって兄さんが起きてるなんて思ってなかったんだもん、ビックリするよッ!」

 

 恥ずかしいのか、ベルは顔を赤くさせてそう反論する。その様が面白くて、ワシは少しからかってやることにした。

 

「爺様とベル、二人と暮らし始めてからもう8年か……。家族が出来たのは良いんだが、泣き虫の弟が心配で、困ったものだなぁ」

 

「泣き虫って、酷いよ兄さん! 子供の時は仕方ないだろうッ!? 今は違う! 僕は強い英雄になるんだ! ちょっとやそっとじゃ泣かないよ!」

 

「ほう? 本当か? この間、ゴブリン1体でもあんなに顔を青くしていたのにか?」

 

「……けっ、結局倒せたんだから問題ないよ」

 

「クックックッ…………」

 

「ああッ! 笑った! 酷いッ!」

 

「ハハハッ! 済まん済まん!」

 

「もーッ!」

 

 ワシはコロコロと表情が変わる義弟を笑いながら、そのフワフワした頭を撫でる。

 

 昔話に華を咲かせながら、爺様の眷族になった日の事を思い出す。

 

 あれから8年が経った。

 

 ワシは17歳となり、ベルは13歳になった。

 

 体も、忠勝との鍛錬の日々を思い出しながら1から鍛え直し、あちらの世界のワシと遜色ない体つきになった。

 

 この8年間で、ワシとベル、そして爺様とは色々な意味で家族になれたと思う。

 

 思い返せば、前世では家族と呼べる存在は居なかった。幼い頃からワシを守ってくれていた忠勝は、確かに誰よりも一緒に居たが、どうしても君主と臣下の関係が抜け切らなかったし、それは他の臣下達も同様だった。

 

 信長公や独眼竜とも親しくしていたが、どうしても同盟相手という認識が強かった。元親や慶次は友と思っていたから、どうしても家族のようには思えなかった。

 

 唯一、豊臣時代は、秀吉殿や半兵衛殿、そして三成達にはそれなりに家族の絆を感じていたが、最後はそれも己で手放した。結局のところ、日ノ本ではそれぞれ利害関係があったし、友にはなれても、家族にはなり得なかった。

 

 だが、爺様とベルはそのどれとも違った。己の主義主張や利害など関係なく、ただそこに在ってくれた。爺様はワシを『家康』と、ベルもワシを『兄さん』と呼んで慕ってくれる。家族としての温かい眼差しとその愛情が、家族が居なかった前世と、家族を失くした今世のワシにとって、爺様、ベルという二人の家族が出来たことがどれほど嬉しかったか……。

 

 そして、3人で過ごす何気ない毎日の生活が、ワシにとっては新たな発見と驚きに満ちていた。

 

 畑を耕したり、川で魚を獲ったり、山へ山菜を取りに行ったり、前世のワシでは殆ど経験したことのない新鮮さがそこにはあった。

 

 生まれてから三河の主となることが決まっていた前世のワシには、身の回りの世話をしてくれる部下や民達が居た。当たり前のように飯が出たし、当たり前のように着物が用意されていた。

 

 歳を重ねていくにつれ、それらが当たり前ではないことに気付いたし、支えてくれる部下や民達へ心から感謝した。それ故に、ワシは為政者として、彼らの生活を守り、彼らが安心して毎日を過ごせる環境を創る義務があった。

 

 もちろん、義務感だけで動いていた訳ではない。ワシ自身、例え立場がどうであれ、やはり平和な天下は目指していたと思う。それに、ワシの目指した"絆による統治"に賛同し、ついて来てくれた民達から、ありがとう、と感謝されると、やはりこの道を選んで良かったと思ったし、やりがいもあった。これは、この立場が無ければできなかった事だ。

 

 しかし、立場がこの道を選んだというのもまた事実。

 

 だが、今のワシに、その立場と義務は無い。本当の意味で、自由になった。日々、己と家族、そして一緒に村で暮らす村人達と共に、生きるためだけに畑や川や山に出る。その生活が、ワシにとっては新鮮で楽しいのだ。

 

 あの時、爺様がワシに声をかけてくれなかったら、ワシはどうなっていただろうか……。領主軍か、或いはどこかの村の自警団か、いずれにしろ、いくら父と母から多少勉学を教わっていたとは言え、この世界における学がまだまだ足りなかったワシは、軍に入る以外に選択肢は無かっただろう。

 

 そんなワシに、新たな道を与えてくれた爺様と、ワシを受け入れてくれたベルは、ワシにとって掛け替えのない家族となった。

 

 血は繋がっていないが、3人で暮らす内に、お互いの性格も良く分かるようになってきた。

 

 ベルは、少し臆病だが、純粋かつ素直で優しく穏やかな少年だ。加えて、いつもワシの後ろについてきて、何にでも興味を持ち、日々新しい経験に目を輝かせている歳相応なその姿は実に微笑ましい。また、爺様が話す英雄譚に憧れ、強い男、屈強な冒険者になりたいそうだ。その姿に、ワシは三河に居た頃の己を思い出す。ワシにもそんな時期があった。いずれ、ベルはこの村を出て武器を取り、冒険者になるだろう。もちろん、ワシは大切な義弟の夢を応援してやりたいと思う。ただ、だからこそ武器を持つ責任、そして真の強さとは何か、今のうちにキチンと伝えてやる必要がある。純粋で優しい者ほど、力に振り回され、悲惨な最期を迎えるものだ。義兄として、ベルがそうならぬ様に、ワシが導いてやりたいと思う。

 

  一方爺様は、神としてワシらが想像もつかない程、その命を継続し続けている。年の功とは良く言ったモノだが、その経験から来る言葉と知識の数々は、やはり威厳と説得力に満ち溢れていた。だからと言って偉ぶる訳でもなく、常に自然体であるその姿は、正に人格者と言えるだろう。

 

 ただ、強い男、英雄になればハーレムが作れる等という冗談をベルの前で言うのはやめてあげて欲しい。純粋なベルのことだから、完全に真に受けている。ワシ自身、女子の経験がそれほど豊富というわけではない故に、ベルに対して説得力を持たせた言葉を伝えられないのが痛手だ。まあ、ハーレムでも何でも良いが、あまり爺様の話を真に受け過ぎず、人として成長して欲しいと思ってしまうのは、義兄としての情なのだろうか……。

 

 そんな二人と新たに家族となって分かった事だが、どうやら爺様はベルに己の存在を正確に伝えていないらしい。つまりベルは、爺様が神であることを知らない。何故かは判らないが、爺様にも考えがあるらしく、ワシにもベルに対して爺様が神である事は伏せるように伝えられた。まあ、爺様なりに考えがあるのなら、ワシから特に何かを言うことはないし、ワシがわざわざベルにその事実を伝えるのも無粋だろう。

 

 また、爺様は日々の生活の中で、ワシとベルにこの世界における様々な言語と文字、そして文化を教えてくれた。父と母からある程度は聞いていたものの、やはり、何百年と生きてきた爺様の知識は別格だった。

 

面白いモノで、エルフやドワーフ、獣人など、日ノ本には存在しなかった種族がこの世界には存在する。ワシらはヒューマンと言うそうだが、何と全員、言語による意思疎通ができる。

 

今更だが、使える言語が増えるというのは、良い事だと思う。独眼竜のような使い方はどうかと思うが、使える言葉が増えるだけで、自分の気持ちを表現する幅が格段に大きくなる。まあ、相手に伝わるかどうかはまた別の話だが、それでも、己の気持ちを己で整理する時に様々な表現を当てはめられる様になるのは確実に便利だ。加えて、この世界では日ノ本には無い新たな言語を皆当たり前のように使っている。他種族とも意思疎通の幅が広がって、新たな絆を結べる機会を得たのだから、素晴らしい事だ。

 

 月に一度、行商人がこの村を訪れるが、その時に他種族と初めて出会った。ワシはてっきり、日ノ本におけるザビー教の者達のように話が通じないのかと思っていたが、そんな事は無く、安心したのを今でも覚えている。

 

 そして、日ノ本と全く違う概念として、魔物というモンスターの存在がある。どこから来たのか、どのように生まれてくるのか、まだ研究が進んでいないが、魔物は人にとって脅威でもあり,必要でもある。

 

 魔物はどういう訳か人を襲ってくるが、魔物を倒すと魔石という物を残して灰に変わる。この魔石が、人々の生活にとって欠かせない様々な原材料、こちらの言葉で言うならエネルギー源となる。

 

 火を起こすのも、灯りを点けるのも、ありとあらゆる絡繰りがこの魔石を使って動かされるのだ。人によっては、己の武器に魔石を使用する者も居るらしい。元親辺りが喜びそうだな……。

 

 また、前世における為政者としての(さが)か、ワシはこの世界の情勢も爺様に聞いてみた。

 

 悲しい事に、戦は存在するようだ。まあ、致し方ない事ではある。国や文化が異なれば、人は衝突する。それは、どこの世界でも変わらない。

 

 だが、話を聞いていく内に、日ノ本と比べて明らかに戦になる数が少ない事が分かった。

 

 理由としては、やはり神々と魔物が大きく関係していた。

 

 神々によって与えられる神の恩恵(ファルナ)は、人を容易に英雄へ変える。その者の努力次第では、どこまでも強くなれる。故に、各国は神々を招き、武力による均衡が保たれた事により、容易に戦が起きなくなったらしい。ワシとしては認めたくはないが、武力による平和は、実際に存在する。例外として、ラキア王国という戦を繰り返す国があるらしいが、それ以外の国々は確かに武力による均衡を保っている。悔しいが、この世界が如実にその事実を証明していた。

 

 そして、この世界には人々の共通の敵である魔物が存在している事も、戦が少ない大きな要因だろう。

 

 その中でも、特に魔物の巣窟、というより魔物の棲む巨大な迷宮が存在する都市がある。

 

 名を『迷宮都市オラリオ』。神々がこの世界に降臨する前、所謂"古代"と呼ばれる時代から存在していた、世界有数の大都市であり、世界で唯一の迷宮都市である。特に、この都市の中心に存在する地下迷宮は、神々曰く、人類が生まれる前からこの世界に存在していたらしい。

 

 この迷宮、所謂ダンジョンと人々から呼ばれる広大な洞窟は、地下に何層にも渡って広がっているらしく、未だ全ての階層を確認した者は居ない。更に注目する点として、このダンジョンは、どんな理屈かは分からないが、魔物達を生み出す。人々と魔物達が絶え間なく争う事により、魔石も大量に手に入れられる。これにより世界一の魔石製品輸出都市になったオラリオは、ダンジョンの恩恵でもある魔石産業による利益を受け、大陸の一国家より遥かに発展しているそうだ。

 

 また、このダンジョンを攻略する事を生業とする冒険者が数多くオラリオに集まる事により、それら冒険者をターゲットにした商人達も集まり、更にその商人へ物を売る民達も続々と現れ、まさに人、物、金が良い循環をしている都市とも言える。

 

  更に、オラリオでは常にダンジョンで魔物と戦う冒険者が多い為、一騎当千の武力を持つ高レベルの冒険者達が数多く存在している。その為、周辺の国々にとっては、自国よりも遥かに発展し武力的にも充実しているオラリオには迂闊に手を出せなくなってしまった。故に、オラリオは世界一外国から攻められない安全な都市として、古代からこの世界に君臨し続けていたのだ。

 

 後に、爺様に聞かされた話では、かつてオラリオにて、爺様の率いる【ゼウス・ファミリア】は【ヘラ・ファミリア】と並んでオラリオ最強と称えられていたそうだ。だがある時、ダンジョンにて強力なモンスターの討伐に失敗し、両ファミリアは弱体化。そこを当時対立していた"ある二つのファミリア"に突かれ、完全に瓦解してしまい、オラリオを追放されてしまったそうだ。どこにでもある権力闘争に、少し胸がチクリとしたが、ワシとしては、例え落ちぶれたとしても、爺様が生きていてくれた事に感謝したい。

 

 ちなみに、爺様の眷族になって数年、神の恩恵(ファルナ)を授けられた結果は、まだ見ていない。確かにワシ自身のステイタスがどうなっているのか、気にならないわけではないが、爺様曰く、今は知らなくとも問題無いそうだ。背中に刻まれた【神聖文字(ヒエログリフ)】を己で見ることもできないし、まあ、爺様がそう言うのなら、問題ないのだろう。

 

 このように、この8年間は目まぐるしく日々が過ぎていったが、幸せだったと思う。爺様とベル、二人が居たから、ワシはこの新しい世界に順応する事ができた。

 

 だが、その生活も今日で最後なのだと思うと、ワシは途端に寂しくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おお! 二人共、おかえり!」

 

 扉を開けると、白髪白髭の老人がワシら二人をにこやかに出迎えた。

 

「爺様 、ただいま戻った!」

 

「おじいちゃん、ただいま!」

 

 爺様の顔を見た瞬間、ベルは一目散に爺様の腕の中へ飛び込んだ。

 

「おぉっと! ハハッ、可愛()い奴め! どれ、飯の支度をするかの! ベル、今日も飯の前に家康と鍛錬するのじゃろ? 早く準備をしてこい」

 

「うん!」

 

 元気よく頷き、奥の部屋へ駆けていくベルの様子を微笑ましげに見ていると、爺様はくるりと顔をこちらに向けた。

 

「それで、お前は随分と酷い顔じゃのぅ、家康」

 

「っ!」

 

 ギクリッと心がざわつく。

 

「ベルは欺けても、この儂は欺けんぞ! とは言え、この時期にお前が憂鬱になるとしたら、"アレ(前世の記憶)"の事じゃろうがな」

 

 ニヤリと笑みを浮かべる爺様に、ハァと一つ溜息を吐く。

 

 やはり、下界に降りたとはいえ、本物()にはお見通しだったらしい。

 

「まあ、お前がどう思ったところで、前世(お前が歩いてきた道)は変えられん。だいたい、その"歩みの先にある答え"を探す為に、お前は明日から旅に出るのじゃろう? なぁ、権現様(・・・)?」

 

「……その呼び方はやめてくれ」

 

「ふんっ、なぁにがやめてくれじゃ! 望んでそう呼ばれる様な行動を取っていたくせに、今更じゃろう?」

 

 口元を緩め、人を喰ったような眼差しでこちらを見る我が"主神様"に、微かにイラッとしながら、ワシは口を開く。

 

「"家族"にそんな呼ばれ方をされたくないんだがな……」

 

「ならば、その様な顔をするでない。前にも言ったが、お前は"己の心"を取り戻さぬ限り、答えなど得られんわ」

 

「己の心……」

 

 ワシの呟きに頷きながら、更に爺様は言葉を続ける。

 

「そうじゃ。"東照権現(民の望む徳川家康)"では無い、他ならぬ"お前の心(己の中に居る徳川家康)"は何がしたいと言っている?」

 

「っ!」

 

 爺様の言葉に、かつて己が若虎へ向けて放った言葉を思い出す。

 

「今こそ、自分に帰れ……か」

 

「ほう? 分かっておるではないか。つまりはそういう事だ。今のお前は、"日ノ本を背負う大将"ではないだろう? "ただの徳川家康"として、己だけの答えを探すのじゃ。それがお前の、明日から始まる旅の目的じゃ。その事を、努々忘れる出ないぞ?」

 

 そう締めくくり、爺様は大きく体を伸ばしながら息を吐いた。

 

「……全く、敵わないな」

 

「あったり前じゃ! 儂を誰と心得る? 仮にも8年もお前と共に生きてきたんだ。お前の考えなどお見通しじゃ」

 

「ハハッ……」

 

 流石、神という存在だな。ワシの悩みなど、ちっぽけにすら思えて、小さく苦笑する。

 

「さぁて、儂は飯の準備をする。明日からしばらく会えないんだ。最後の鍛錬じゃろう? 義兄弟の絆を暖めてこい」

 

 そう言って台所に向かう爺様の気遣いに感謝しながら、ワシは準備のため自室へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鍛錬の準備を終え、家の庭に出たワシは、目の前に広がる村の景色を眺めていた。村の中でも小高い丘に位置する我が家からは、村の全域が一望出来る。西日の射す村の畑を見るのが今日で最後かと思うと、途端に寂しくなった。

 

 爺様の言う通り、ワシは明日、この家から旅立つ。己を見つめ直す為、この世界の中心、迷宮都市オラリオへ向かうことを決めたのだ。

 

 しばらくは帰ってこないであろう事は十分予想できる。今のうちに、この景色を己の目に焼き付けておきたかった。

 

「兄さん、お待たせ!」

 

 不意に後ろから声を掛けられる。振り向くと、ベルが短刀型の木刀を持ってこちらに駆けてきていた。

 

「さて、今日も始めるか!」

 

 ワシは努めて明るい声でそう言いながら、いつものように手甲をはめ直し、スッと腰を落とす。

 

 だが、ベルはワシをジッと見つめながら、構えを取らない。

 

「どうした? 鍛錬を始めるんだろう?」

 

「うん、そうなんだけど……」

 

「鍛錬前に煮え切らない態度を見せるなんて、珍しいな? 何か思う所でもあるのか?」

 

 何か在ると踏んだワシは、ベルに質問していく。

 

 するとベルは、意を決したような表情で、ワシに向き直る。

 

「兄さん、明日からオラリオに行くんだよね? しばらく……会えなくなるんだよね?」

 

「……そうだな」

 

「なら、お願いがあるんだ」

 

「お願い?」

 

 真剣な表情のベルに、何事かと思いながらワシは耳を傾ける。

 

「今日の鍛錬はいつもみたいに体捌きの鍛錬じゃなくて……僕と、真剣勝負をして欲しいんだ」

 

 そう言って、ベルは木刀を静かに構える。

 

「真剣勝負? ワシとお前がか?」

 

「うん……。今の僕が、どこまで兄さんに通用するのか、試したい。しばらく会えなくなるんだ。やるなら、今日しかないと思った」

 

「……なるほどな」

 

 ベルの言葉に、ワシは頷きながら納得した。

 

 確かに、明日以降次はいつ会うのか未定だ。それまでベルは一人で鍛錬することになる。もちろん、鍛錬の仕方はこの8年でしっかり叩き込んできた。だから、一人でも鍛錬は出来るだろう。

 

 だが、言葉通り、”ワシ”と鍛錬するのは、今日を除けばしばらく無いだろう。

 

 ワシは、在りし日の己を思い出す。そう言えばワシも、忠勝相手に己の力量がどこまで通用するのか、よく挑んでいったな。己の鍛錬が、どこまで身についているのか、試したかった。その気持ちは、よく判る。

 

 きっとベルもそうなのだろう。

 

 そうか……ベルもそういう事が気になる歳になったのか……。

 

 ベルの成長を実感しながら、ワシはギュッと拳を握った。

 

「……先手はお前に譲ろう。どこからでもかかってこい!」

 

「ッ!」

 

 そう言って、ワシは重心を落としながら構え直す。すると、ベルの顔がパッと明るくなる。そしてすぐ構え直すとーー

 

「行くよッ、兄さん!」

 

 張り詰めた弓から矢が放たれたが如く、ベルは勢い良く飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 弾かれるように飛び出したベルは、その持ち前の身軽さを活かしてトップスピードで家康に迫る。一方の家康は、ベルのその動きを見逃すまいと、ジッとその姿を見つめていた。

 

「ハァッ!」

 

「疾ッ!」

 

 ギンッと木刀と手甲が激突する。ベルの突きを家康が鋭く左拳で弾く。そのまま流れるように、家康は体の軸を中心に腰を回転させながら、ベルの左脇へ右拳を振り抜いた。

 

「ッ!」

 

 それに反応して、ベルはその手に持つ木刀を右拳へぶつけるが、明らかに力負けして押し返されそうになる。

 

(それは想定内、だから……)

 

 同時に踏み込んだ右足でヒョイと飛び上がる。そのまま家康の拳の力を利用して、くるりと一回転しながら家康の頭を飛び越え、後ろを取る。

 

「ここッ!」

 

 そのまま一歩踏み込み、ベルは家康の右脇へ木刀を振り抜こうとする。

 

「甘いぞ!」

 

「ッ!」

 

 が、それは家康も想定内。即座に振り返りながら左裏拳で迎撃する。攻撃を中断し、ベルは慌ててしゃがみ込みながら裏拳を回避。頭上を通り過ぎる家康の拳圧にゾッとしながら、そのままバックステップで家康の拳の射程距離から逃れる。

 

 それを確認した家康は、無理に追わず再び迎撃の為に構える。あくまで防御に徹するようだ。

 

 一瞬の攻防、たった三合の交錯だが、ベルは冷や汗を禁じ得なかった。

 

(完全に動きを読まれてる……。兄さんだったら、もっと早く裏拳で合わせられたはずなのに、ワンテンポ遅らせてきた。わざわざそういう事をするって事は、試してるのか……。ならッ!)

 

 そう思いながら、ベルは大きく深呼吸し、トットッと上下左右、小刻みにステップを踏み始める。

 

「ふふ……」

 

 それを見ながら、家康は微笑を浮かべ、同じようにステップを踏み始めた。

 

(兄さんもステップを踏み始めた……。ここからが本番だ)

 

 互いにステップを踏みながら、ジリジリと距離を詰めていく。時に大きく体を左右に動かし、時に大きく前後にステップイン、ステップアウトを繰り返し、互いに相手のリズムをズラしていく。

 

(そうだ、ベル。そうやって自分のリズムを作りながら、相手のリズムを崩していく。そして……)

 

 自分の教えを忠実にこなすベルの成長を微笑ましく思いながら、一定のリズムでステップを繰り返す家康。二人共同じステップだが、徐々にベルのステップがフェイントを加えた変則的なものになっていく。

 

(そして、相手が僕と呼吸を合わせづらくなったタイミングで、相手の意識外から一気にステップイン…………今ッ!)

 

 ドンッと地面を蹴り、一気に家康へ詰め寄ったベルはその勢いのまま、連続して突きを繰り出す。

 

 だが、家康は体をUの字に揺り動かしながらバックステップ、それらを紙一重で躱していく。

 

(クソッ……やっぱり兄さんの体捌きは鋭いッ! それに、どんなに体を左右に振っても、体幹はブレない……でも、だからこそ!)

 

「ラァッ!」

 

 更に一歩踏み込み、ベルは右足で鋭く前蹴りを腹部に繰り出す。

 

 ドスッと鈍い音と共に家康の体がピタリと止まる。同時に、ニヤリと笑みを見せながら、家康は伏せられた顔を上げる。

 

「どんなに体を左右に振っても、正中線はブレない。故に丹田付近への攻撃か。やるなぁ、ベル!」

 

「ッ!」

 

 ベルの前蹴りを、腹部の前に出された右腕一本で防いだ家康の姿に、ベルは背筋にゾクリと悪寒が走る。

 

「さて……ワシも行くぞ?」

 

「ヤバッ!」

 

 慌てて退こうとするベルの足を左手で掴み、家康は一気に引っ張る。体重の軽いベルはあっという間に家康の拳の射程圏内に入れられる。

 

 引き寄せられたベル目掛けて、家康の右の正拳突きが迫る。

 

(避けきれない! なら……打って出る!)

 

 引き寄せられながら、ベルは空中で器用に体を捻り、右拳目掛け左足で蹴り払った。

 

「ッ!」

 

 思わず家康は衝撃で握っていた右足を離す。と同時に、ベルは体勢を立て直すと、縦横無尽に木刀を振り切る。

 

 それに即座に対応した家康も、拳を連打する。

 

「「おおおおぉぉぉぉぉッ!!!」」

 

 手甲と木刀がぶつかる音が連続して夜空に響き渡る。

 

(もっと疾くッ、もっと鋭くッ! 兄さんの動きを先読みして、攻撃を攻撃で潰す!)

 

 ベルの動きが更に激しさを増す。躱せる拳は全て体捌きで躱し、躱せない攻撃はその初動を叩き最小限の力で防ぐ。

 

(大切なのは己の体の動かし方を理解すること。そして、敵の動きを、思考を、想いを知り、理解すること。時に柔を以って豪を制し、時に豪を以って柔を制す。特別な才能が無いなら、磨き上げた技術を以って敵と相対する。それが、兄さんの教え! それこそがッ、弱い僕が泥臭くても勝利を手にする、ただ一つの道!)

 

「うあああぁぁぁッ!」

 

 ギアを一段階上げ、ベルの攻撃が更に鋭くなる。

 

 それを受け流しながら、家康は微笑を浮かべた。

 

(ベル……気付いているか? この8年間、お前が毎日弛まぬ鍛錬を続けてきた成果が、今出ているぞ?)

 

 一緒に過ごした8年間を思い出しながら、家康は心が温まるのを感じた。

 

 初めは家康の後ろに隠れていたベルが、家康に対して正面から相対している。加えて、同等に打ち合いまで出来るようになっていた。

 

 それは、ベルの確かな成長だった。

 

「やるじゃないか、ベル!」

 

「僕だって、兄さんに追い付きたくて、頑張ってきたんだ! 負けないよ!」

 

「そうか……なればこそ」

 

 ベルの気持ちに触れて、嬉しさを噛み締めながらも、家康は表情を引き締めた。

 

「そう易々と、負けてやれないな!」

 

「ッ!?」

 

 そう叫んだ瞬間、家康の動きが変わる。

 

(疾いッ!? いや、違う! 僕の動きが先読みされてる!)

 

 一気に攻勢が切り替わる。

 

 これまでずっと攻め続けていたベルが、防戦一方になる。家康は一瞬でベルの射程距離から離れ、ベルが攻めあぐねている隙に一瞬で距離を詰め己の射程距離から拳を放つ。近付いては離れ、近付いては離れを繰り返され、反撃に転じることの出来ないベルの顔にも苦悶の表情が浮かぶ。

 

「行くぞッ、ベル!」

 

「ッ!」

 

 一声かけた瞬間、一気に家康は距離を詰め、右拳でベルの持つ木刀を下からアッパー気味に突き上げ弾き飛ばした。

 

「ッ……まだまだぁぁぁッ!」

 

 ベルは手から離れた木刀から意識を切り離し、崩れた体勢を無理やり立て直すと、家康の横面目掛けて上段蹴りを放つ。

 

「ッ!?」

 

 だが、ベルの上段蹴りは空を切る。そこに居たはずの家康が消えていた。

 

(居ないッ!? どこに…………ッ!」

 

 ベルは視界の端に、家康を捉える。家康は、ベルの思考が家康から外れたその刹那、サイドステップで攻撃を躱しつつ真横に移動し、同時に一歩踏み込み左正拳を繰り出そうとしていた。

 

 一瞬の内に繰り出された意識外からの攻撃に、もはやベルは防御の体勢も取れなかった。

 

(ッ……やられる!)

 

 身を襲うであろう衝撃に、思わず身を固くするベル。

 

 だが、体を襲ったのは唸るような拳ではなく、

 

「……え?」

 

 トンッと軽く肩を押され、バランスを崩すベル。

 

「うわわわッ!」

 

 そのまま、ベルは盛大に尻もちをついた。

 

「うう……え? え?」

 

 混乱しながら、ベルは家康を見上げる。すると、家康が微笑みながらベルを見下ろし、手を差し伸べていた。

 

「大丈夫か、ベル?」

 

「う、うん……」

 

 家康の手に掴まり立ち上がると、ベルはガックリと肩を落とす。

 

「……やっぱり兄さんには追い付けなかった」

 

 小さくため息を吐きながら、ベルは視線を下に落とす。

 

 今日の戦いで、ベルは家康を超えるつもりだった。今日が最後のチャンスであり、次のチャンスはかなり先になることは判っていた。だからこそ、家康にお願いという形で決闘を挑んだ。

 

 だが、結果は惨敗。一矢報いるどころか、実力の差を改めて思い知らされた。

 

「やっぱり、僕は英雄にはなれないのかな……」

 

 悔しさに拳を握りしめながら、ベルはポツリと呟く。

 

 ふと、ベルはポンッと肩に手を置かれる。

 

 見上げると、家康が優しげに微笑んでいた。

 

「それは違うぞ、ベル」

 

「え……?」

 

 家康の言葉に、ベルはポカンと呆ける。

 

「4年前、お前がゴブリンに襲われた時の事、覚えているか?」

 

「うん……」

 

「あの時、お前は手も足も出なかった。だが、今はどうだ?」

 

「そりゃ、あの時と比べれば、僕の力でゴブリンを倒せるようになったけど、ゴブリンを倒せたって英雄になんて……ましてや、結局兄さんに敵わないし……」

 

「ふむ……なるほどな」

 

(かつてのワシと同じか。忠勝に勝てない、だからワシには何も出来ない。そう思っていた時期が、ワシにもあったな……)

 

 今川家から独立したばかりの頃の自分を思い出しながら、家康は苦笑を浮かべる。

 

 あの時、確かに己は焦っていた。足利時代の終わりと共に、群雄割拠の時代が間近に迫り、忠勝だけに依存する己では天下は掴めない、そう思っていた。

 

 だからこそ、家康にとってベルの気持ちはよく理解できた。そして、その問題点も、そこから抜け出す方法も熟知していた。

 

「ベル、自分自身が視えているか?」

 

「え?」

 

 家康の問い掛けに、ベルは思わず顔を上げた。

 

「鍛錬を始めた頃、お前は木刀もまともに振れなかった。だが、今はどうだ? ワシと拳を交えることが出来るようになっていることに、気が付いているか?」

 

「あ……」

 

「ステップを踏み、リズムを刻みながら戦うことが出来るようになった。相手の攻撃を利用したカウンター、相手の初動を潰す見切り、それら全て、今日お前自身がやっていたことだ。出来ることが増えているじゃないか」

 

 家康の言葉に、ベルは己の手を見つめる。

 

 そう、出来なかったことが出来るようになった今日、確かにベルは成長していた。

 

「お前の不安もよく分かる。だがなベル、己の積み重ねたものを見失うなよ?」

 

「僕が積み重ねたもの……?」

 

 不思議そうな表情を浮かべるベルに、家康は笑顔で頷く。

 

「どんな英雄も、最初から万能だった訳じゃない。鍛錬を積み重ね、出来ることを一つずつ増やしていき、そこから勝利を積み重ね、やがて人々から英雄と呼ばれるようになる。ベル、焦るな。才能なんて気にするな。一歩ずつ、進んでいけば良い。その先に、お前の求める道がある」

 

「……そういうものかな?」

 

「ああ、そういうものだ。ここまで、良く頑張ったな」

 

 そう言って、家康はベルの頭をクシャクシャとなで回す。ベルはくすぐったそうに目を細めながらも、嬉しそうに笑みを浮かべる。

 

「僕、鍛練を続けるよ。今よりも、もっと強くなる。次に兄さんと会えた時は、また僕と戦ってくれる?」

 

「勿論だ。ワシも、楽しみに待っているとしよう」

 

 家康の言葉に、ベルは嬉しそうに頷く。

 

「さあ、今日の鍛練は終わりだ。飯にしよう。爺様が待ってる」

 

「うん、僕もお腹空いちゃった」

 

 そう言いながら家路につく二人。

 

 その背中は、例え血の繋がりはなくとも、強い絆で結ばれた兄弟のようだった。

 

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