「由宇、いつまでそこで解析しているつもり?」
「……」
「もう朝だよ。いくら由宇でもしんどいんじゃない?」
「馬鹿者、私が解析しているものが何か、知っていてのセリフか?」
「いや、まあそりゃ解析が終わると助かるけどさ……」
薄暗い小部屋の一角、少年と少女が語り合っている。光源は小さな窓と、少女が人間では考えられないほどの速さで操作するパソコンのディスプレイのみ。その表面では、天才ハッカーがそろって目を丸くするほどの情報量が操作されている。
不意に、そのパソコンから声が響いた。人間的な声。
「おい、由宇。いくらお前が高い技能を持っていたとしても、これはさすがに無理だ。諦めろとは言わないが、このペースだと3分53秒の差で――」
「分かっている」
「分かっているのなら」
「駄目だ」
キータッチの速度が上がる。指の移動する速度があまりにも速いため、常人には手がぼやけて見えることだろう。
「由宇、気持ちはわかるけど無理だよ。もう僕は由宇がいるだけで充分だよ」
「戯言を言うな。闘真、お前を助けるためだけに私は動いているんだ。」
先ほどから由宇と呼ばれていた少女が顔を上げる。
額には汗が伝い、目は過度の疲労で血走っている。しかし彼女の美貌はその程度では崩れない。歴史上のどのような女性も凌駕する圧倒的な存在感。
その隣で、先ほど闘真と呼ばれた少年がぐったりと横たわっている。一見するとごく普通の、ありふれた顔立ち。存在感もまた一般人と変わらない。その印象を上書きするのは血塗れた右手と短刀か。短刀の鞘は少年の腰に収まっている。
「でも、もう間に合わない。僕には分かる」
闘真は左腕とゆっくりと持ち上げた。上腕部の外側には、小さな針を刺したような跡がある。
「まさか、お前をかばって闘真が毒薬攻撃をうけるとはな。あの速度には敵さんも驚いていたな」
軽口を叩くのは、由宇が操作するノートパソコン「LAFI サード」に内在する人格、風間だ。
由宇と闘真は現在、ADEMの最終兵器として海底に密かに設置されていた非公開の峰島遺産ランクAを破壊するためにある基地へ潜入していた。遺産を破壊するためには遺産のメインコンピュータ部分を壊滅させるか、遺産本体を壊滅させるか二つに一つ。初めは同じく峰島遺産ランクAであるLAFIサードを使ってハッキングを行い、メインコンピュータ内部のプログラムを壊滅させようとしたが直前で敵勢力の攻撃に会い、使用していたLANケーブルが断絶されてしまった。
その後、次から次へと向かってくる敵を初めは由宇が倒していたが、脳の酷使と体力の限界で吐血。倒れたため闘真が代わりに鳴神の血を発動させて応戦していた。
次々に敵を切り裂き、最後の一人に襲い掛かろうとしたところで遠隔操作による猛毒針射出装置(峰島遺産ランク外)を使用された。
間一髪で鳴神の血を収めた闘真が由宇を庇い、傷を負ってしまった。
「この、馬鹿者が。いくらランク外とはいえ遺産に使用されるほどの猛毒だ。庇えば死ぬことは目に見えているだろうが。あの程度の制度では私に命中する確率は50%を切るだろう。庇わなかったら恐らくは誰にも当たらなかったはずだ」
由宇がぶつくさ言いながらも高速でサンプルから毒の特徴を洗い出している。
幸いなことに、由宇が闘真を叱りつけながら運んだ研究所では様々な毒薬を開発していたようで、専用の機械や材料が大量に用意されていた。しかし特効薬のようなものは無かったため(峰島遺産だからある意味当然といえる)、”人類最高の頭脳”を自負する由宇が毒を解析して特効薬を開発し始めたのだ。
毒は勿論未知の物質を使用したとんでもないものだった。タイムリミットまで仕込まれていて、摘出した針には「30:00」と刻まれていた。刺されて30分経過すれば、即死するということか。
それからおよそ15分。由宇は毒を必死に解析し続けている。
「ねえ、由宇。こうしていると段々眠くなってくるね。疲れたからかな」
闘真が眠そうに目をこすった。
「こら、闘真。寝るなよ」
由宇はつい焦って大声を出した。彼女にはこの毒が睡眠によって早く効くタイプではないことが分かっていた。しかし、そう、何となく闘真を失いそうに思ってしまっただけだ。
「くそっ。解析が進まん!」
いつもと比べて調子が出ないと由宇は感じていた。恐らくは脳を酷使した影響だろうが、他にも心理的な焦りが出ている。彼女からすれば普段感じないような、強烈な感情だった。彼女はまだ、この時点ではその感情が何なのか分かっいない。この場で察しているのは彼女の解析をこっそり手伝う風間くらいなものだ。風間はこの中では人間ではない存在の筈なのだが。
「由宇、私が解析を手伝っても作業効率は少ししか上昇しない。ここは賭けに出よう」
風間が気のせいか焦ったような音声で提案する。
「恐らくはこの研究所には、峰島遺産の研究をしていたコンピュータが存在するはずだ。それを私が探し出して、そのデータを解析して入力すれば何とかなる……かもしれない」
「それは危険すぎる賭けだ。私の作業をバクアップし続けろ風間!」
キーボードを叩く音が速すぎて、一つ一つが聴き取れなくなっている。初めから一つの音のようだ。画面には超高速で文字の羅列が流れてゆく。
「しかし、このまま作業を続けるとなるといくらオーバースペックなお前でも、間に合う確率はわずか0.15%」
「違う。0.144%だ」
「分かっているなら尚更だろう。とりあえず手近なLANケーブルを探して刺せ」
由宇は悔しそうに口をかみしめ、たまたまあったケーブルを刺した。
「いいか。俺だって闘真を死なせたくはないんだ。今となっては大切な仲間……」
「いいからさっさといけ」
風間は何か言いたそうな雰囲気を出しながらLAFIサードから出た。
暗く狭い部屋を、暫くキーボードの音だけが埋め尽くす。
長い沈黙。
唐突に闘真が口を開いた。
「あのさ、由宇」
「なんだ、闘真」
「僕は――もう、死んでしまうかもしれない」
「そんなことはないぞ。貴様は死なない」
「死なない、か。確かにそうかもしれないけど、これ程死に近づいていると感じるのは久しぶりだよ。いくら由宇でも、ひょっとしたら助けられないかもしれない」
「こんな時になんてことを言うんだ」
闘真は構わずに続ける。
「もし、僕が助けられなかったとしてもだよ。由宇は自分を責めたりしないでくれよ」
話しながら闘真の瞼が徐々に下がってゆく。
「僕は、君に、言いたいことがあったけれどもさ。これじゃあ、言えないや」
完全に閉じる直前で、抵抗するかのようにまつ毛が震えた。
「ごめんね、由宇」
闘真はそう囁いて完全に目をつむった。その直後、アラームが鳴って残り時間が一分を切ったことを知らせる。由宇は闘真の話を聞きながらも返事が出来ないほど作業に全身全霊かけて没入していた。タイミング的にはもう間に合わない。世界最高の頭脳をもってしても、今この瞬間を遅らせることは無理だ。由宇はあきらめかけていた。
――闘真。
――私も、お前に伝えてたいことがあったんだ。でも、それが今なお分からないんだ。世界最高の頭脳が、自分の言おうとしていることさえはっきり分からないとはな。
――全く、落ちぶれたものだ。ただ一つ確実なことは、君が私にとって、何らかの大切な存在だった。それだけだ。
由宇は顔を伏せた。時間が残り10秒を切る。
「おい、由宇。見つけてきたぞ!」
不意に風間の声が聞こえた。顔を上げて画面を凝視する。作業の残りを表すバーが、約半分程から9割近くまで埋まっている。それは由宇を後押しするのには十分だった。
再び両手が加速する。バーはみるみる埋まってついに100%となった。即座にエンターキーを押して装置を起動させ、薬を速攻で生成。ここで時間は残り3秒となっていた。すぐさま薬がたまった容器を装置から取り出し、注射器に取りつけ、闘真に注射した。
風間は正確に時間をカウントダウンしていたが、時間的には間に合ったかどうか判断がつかなかった。注射したタイミングはわずかにタイムリミットを過ぎていた。薬が効いたかどうか判断は微妙だ。
そのまま何分かが過ぎ、風間はあきらめかけた。が。
しかし。
脈を測る由宇は安堵していた。
「よし、脈が正常になったな。熱はまだあるようだが……、これもしばらくすれば治るだろう。」
風間もまたLAFIサードに入るまでは冷酷なAIだったものの、今では多少人間らしくなっていた為、ほっとしていた。
闘真は穏やかに眠っている。
由宇はその顔を見つめていたが、一応カンフル剤を打ったとはいえ疲弊していたのか。
いつの間にか眠っていた。
部屋に先ほどまでとは一変した、穏やかな沈黙が流れた。