某月某日。PM23:30
潮の匂いが風に混ざる。漣が冷えた静寂をゆっくりと掻き混ぜていく。埠頭には幾つもの常夜灯が光り、夜の海に逆しまに映っている。人の生活を主張する地上と引き換えに、黒い夜空に星は無く、半月が濁った光を湛えて寂しげに浮かんでいた。
不夜城めいた港を警備しているのは青い制服を着た警官でも、黒い重装備を纏った軍警でも無い。短機関銃を携え、屈強な躰に黒いスーツを纏う五人の男達だった。
ポートマフィア。
横浜に軒を連ねる多数の企業を傘下に従え、意に沿わぬ者を粛清しながら街の悉くに根を張る横浜の『暗部』。
夜はマフィアの時間。武器や弾薬の取引、輸送はこの時間帯に行われる。とは云え、船が着くにはまだ早い。官憲や他組織の妨害が入らないよう、停泊所を守っていた黒服の男達の耳に、それは唐突に飛び込んで来た。
「血、血、血」
それは幼い少女の声だった。囁くように小さく弱々しい声音だったが、波の音以外に何も聴こえない夜の港では十分に響く。
すぐに黒服の男達は短機関銃を構えて周囲を見渡す。が、あるのはLED電灯に照らされたコンテナや取引用の積荷のみ。
「血が欲しい」
次の声は彼等の元へと近付いていた。それはまるで、空気そのものが振動して言葉を発しているように、出処を特定出来ない。
「ギロチンに注ごう、飲み物を」
静かに、無邪気な声で唄いながら、声はまた少し、大きくなる。
「ギロチンの乾きを、癒す為」
それが、男達が聴いた最後の声だった。
五人の男の首から上が、同時に胴から離れて転げ落ちた。
遅れて躰が倒れ、ついに一発も発射される事のなかった短機関銃が落ちる。吹き上がる血が埠頭を染め、鉄の臭いが潮風に乗り辺りを漂った。
「欲しいのは、血、血、血」
数十分後、連絡が無い事を訝しんだ別の部隊のマフィア構成員が駆けつけた時、凶器の類は発見されず、また犯人と思しき人間も周囲には見られず、監視カメラも破壊され、ついにポートマフィアが手掛かりを得るには至らなかった。
武装探偵社調査員、中島敦は奇しくも、この事件に深く関わる事になる。
彼は云うなれば、『ただの少年』だった。一つ、奇異な異能を所持している事を除いて。
果たしてこの運命が、少年にとって吉と出るか、それとも凶と出るか。それはこの時点ではまだ解らない。
『それでは諸君。一つ、私と彼等の歌劇を御覧あれ。その筋書きは在り来りだが、役者が善い。故に至高と断ずる』
斯くして、舞台の幕は切って落とされた。