そして獣殿の御誕生日は過ぎてしまっていた……遅ればせながら、Alles Gute zum Geburtstag、獣殿!
AM0:3。
真夜中の路地裏には、それこそ月光のみが降り注ぐ空間になる。人目につかないという事でゴミも所々に転がっている。
そんな薄汚い場所に在っても、その男の麗姿は些かも翳りを見せない。寧ろ、そんな汚れた路地裏さえも、敦には彼を引き立たせる舞台としか思えてならなかった。
「………………貴方は、夕方の」
漸く彼の元へと辿り着いた敦は、辛うじてそれだけを絞り出した。緊張に拳を握り締める敦とは対照的に、金髪の美丈夫は微笑すら浮かべて悠然と頷く。
「嗚呼、卿とは日暮れ時にも逢ったな。して、私に何か用かな」
その言葉に、敦ははっと思い出す。自分が何故彼の元へと走ったのかは解っていないが、訊いておかなければならない事がある。
「あの『影』……あれは、貴方の異能ですか?」
こういう時に経験と云う物は便利で、見ず知らずの外国人に畏怖にも似た何かを感じていようと、今まで荒事を潜り抜けながら培って来た度胸だけでカマを掛けてみる事が出来る。
尤も、カマ掛けと云うには直球過ぎるが。
「いいや、違う」
しかし返って来たのは、敦の予想とは百八十度真逆の答えだった。
「じゃあ、何故………」
「そんな事より」
こんな所に居るのか。まだ殺人犯が彷徨いているかもしれないのに、と続けようとした敦の言葉を男が遮った。物腰は柔らかだが、有無を云わせぬ気迫がある。
「先程あの『影』と戦っていた卿の仲間………あれは放っておいて善いのかね?」
今度こそ本当に、敦は我に返った。別の緊張に、躰が強張り冷や汗が流れ出す。
「そうだ、国木田さん!」
敦は金髪の男に背を向け、全速力で来た道を駆け戻った。
「っ………国木田さん!」
「遅いわ莫迦者が!」
「あいたっ!?」
国木田の元に辿り着くなり容赦の無い拳骨を喰らった敦は頭を押さえてその場で蹲った。
「奴なら消えたぞ。お前が何処かに行っている間にな」
国木田は腕を組んで云った。
「消えた………?」
「その部分には言及するな。後で報告しておくからそれを聞け」
やや早口にそう喋ってから、国木田は立ち上がった敦を憤然と見下ろした。
「それよりお前は何なんだ?単独行動は慎めと普段からあれ程云っているのに訳の分からん敵を無視してフラフラと何処かに行きおって!お陰で俺は一人でアレと戦う事になったんだぞ!?大体日暮れ時もそうだったが今日のお前は集中力に欠けているようだな。そもそも────」
「失礼。少し良いかな」
小一時間は続くと思われた国木田の説教を遮ったのは、他でも無い、先程敦が会話を交わした金髪の男だった。
国木田はその威容に気圧されたように無い目を見開いたが、直ぐに訝るように視線を尖らせる。
「何だ、お前は。
声に警戒すら滲ませて、国木田は男を睨め付ける。
「そう警戒せずとも善い。心配するな、私は卿らの敵では無い。先刻其処の少年にあの影の操者かと問われたが、前もってそれも否定しておこう」
「何?………そうなのか?」
国木田は敦を見る。敦は頷く代わりに、彼に頭を下げた。
「その節は、すみませんでした!」
「構わんよ。この非常事態にこんな場所を彷徨いていた私にも非はある。疑うなと云う方が難しかろう」
男は、特に気を悪くした風でも無く頭を振った。
敦は再度「すみません」と云いつつ頭を上げる。男の獣の如き威容はそのままだが、気の所為だろうか。心做しか少しだけ『それ』が薄まっている気がする。
「後輩の非礼は詫びる。しかし、何故こんな場所を歩いていた?この街の軍警では無いだろう」
国木田の問いに、男はふむ、と顎に指を添えて一人頷く。
「卿の疑念も最もだ。しかし、私には私の目的があってね」
男はそこで一拍置くと、敦と国木田を見据えて云った。
「私はラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒ=メフィストフェレス。卿らに頼みたい事がある。嗚呼、武装探偵社に依頼がある、と云った方が善いかもしれんな。そう云う訳だ。これから暫く、宜しく頼むぞ」
敦はぽかんと大きく口を開けてラインハルトを見上げ。
国木田は質問した時の表情のまま固まり。
そして約三秒後には、寝静まった静かな表通りに二人の絶叫が響き渡っていた。
「えええええええええ!?」
「はああああああああ!?」
***
「やあ、良く来たな。まあ此方に来給えよ」
何処かの廃ビルの屋上。
黒い軍服を纏った男は緩やかな仕草で来訪者を手招いた。
「いやあ、此処で十分だよ。今頃敦君や国木田君が仕事で忙しくしてる頃だろうし、万一こんな所で油を売ってるのが私、何されちゃうか」
おお怖い、とおどけた仕草で躰を震わせる痩躯の青年に対し、軍服の男は口元に笑みを浮かべ、しかし淡々と紡ぐ。
「それを云うなら私もだよ。現在我が友が私の代わりに手を打っている。しかし彼がやる事は些か遊びが過ぎる。全く、困った男だよ」
「その友とやらを困らせているのは君だろう?メルクリウス君………だっけ?そろそろ教えて欲しいな。君達、一体何なんだい?」
名を呼ばれ、男──メルクリウスは満足そうに口元の含み笑いを漏らす。
「素晴らしい。君は本物だ。否、『君達』と云うべきだろうか。どちらにせよ、私はこの街で久々に賢い人間に会う事が出来たと云う訳だ」
第四天───水銀の蛇は嗤う。
「君は──否、君達は選ばれた人間だ。己で真実を掴む義務があり、そうする資格があり、またそうであるべきだ。違うのか?」
蛇の微笑に呼応するように、青年もまた口角を上げる。
「ま、そう都合良くは行かないとは思ってたけどね。でも、一々説明が回りくどいのはいけないねぇ。云えないなら最初っからそう云えって、多分国木田君辺りは怒るだろうね」
皮肉めいた言葉を苦笑で返し、メルクリウスは青年に理解を求める。
「君ならこの理を理解出来る筈だ。なぁ────太宰治」
長くなってしまいました……国木田さんのお説教、絶対長いから嫌だな(笑)