「一、二、三、四で……『結婚詐欺師を開業。すぐ捕まり罰金100000$』。……順調に破産まっしぐらだぜ!」
『むむむ……巻き返しにいきます。ルーレットを!』
「オーケー」
カララララッ。
安っぽいルーレットの回転音とともに、数字が示される。
「六だな。つーことは……『子供が生まれた。ご祝儀を貰う』。ざまぁ!」
『またですか!? 私はいったい、このゲームで何人子供を生んでいるのですか!?』
「これで五人だな。いやぁ、幸せな家庭を築いているようで羨ましいぜ」
『くぅ……!』
悔しそうなメリーの声である。
ここ二日ほど、俺たちは人生ゲームで遊んでいた。とはいっても、その辺のドラッグストアで買ったちゃっちいやつなのだが。しかし案外、これでなかなか良くできていて、ちゃんとルーレットはついているしマップは長いしで、割合に長く楽しめていた。
『アキラさん、ルールを変えた途端に強すぎなのですよ……』
「いや、本当になんでだろうな。俺の本能が破滅に惹かれているのかもしれない」
『それはただのダメ人間というのですよ』
メリーのふてくされたような声に、俺はチッチッチ、と指を左右に振る。
甘い、甘いなメリー。
「幸せだけが人生じゃない。不幸も噛み締めながら積み重ねるのが人生ってやつなのさ」
『いえ、このゲーム上においてのアキラさんの人生は悲惨どころではないのですが……』
まあ確かに、今回の俺は生まれてすぐに家が破産、親の借金を一身に背負い大学へ進むも火事で家が丸焼け、全ての財産を失い株に賭けるも世界同時不況で値段が乱高下、追証発生。最後の手段として結婚詐欺に手を染めるもすぐに捕まっている。……ちょっとどうかしてるレベルで不幸だな。
だがしかし、ゆえにこそ強いのである。なぜならこれはただの人生ゲームではない。
「悲惨であればあれほど強いのさ、この『没落人生ゲーム』においてはな……!」
『威張ることなのですか……?』
没落人生ゲーム。
そのルールは単純である。総資産をできる限り減らす、ただそれだけだ。
しかし、なぜか俺は通常ルールからこのルールに変更したとたん、無類の強さを誇っていた。通常ルールでは常にメリーに負けていたのが、この特別ルールを適用してからは全勝だ。常に負け組人生一直線である。
……もしかして俺には貧乏神でも憑いているのだろうか。
聞いてみると、メリーは微妙な答えを返す。
『ううん、どうなのでしょうか。確かにアキラさんは貧乏神が憑くにふさわしい資質を備えていますが……』
「マジで!?」
『はい。笑う門には福来るといいますが、その反対に貧乏神などの禍に分類される存在は、じめっとした人を選ぶのですよ』
「俺、じめっとしてんのか……」
なんてナチュラルな罵倒だ。
くじけそうになっていると、メリーから慌てたようにフォローが入る。
『あっ、違うのですよ!? 性格的にということではなく! ……その、生来的な気風として異形や魔性を引き寄せやすい方というのがいらっしゃいますから。アキラさんはだいたいそんな感じです』
だいたいそんな感じって。
「いや俺、幽霊とか見たこともねーけど?」
『私を引き寄せてますよ?』
「ああ、なる」
そういやそうだった。どうしても、メリーは怪異ってよりはただの女の子みたいに思ってしまうんだよな。毎日いっしょに遊んでいるからだろうか。……つってもまあ、この時間もあと半月くらいの話なんだろうけどさ。
と、ふと気になったことを聞いてみる。
「……あれ、ちょっと待て。じゃあもしかして、俺に友達がいねえのって」
『あ、それはただの性格的な問題です』
「即答かよ!」
魔を引き寄せるこの忌まわしき肉体が他人を拒絶してしまうのだ……という超絶カッコいい設定からの魔を狩る美少女陰陽師との出会い、誤解による敵対、第三者組織に対する共闘によるルート確定、事実を知りすぎ組織を抜けた彼女を守るための暗闘、危機によって深まる絆、高笑いするラスボス、そして感動のラストという超大編の七割くらいまで想像できてたのに。
俺はふてくされながらメリーに聞いた。
「んで? なんで貧乏神が憑いてるか微妙なの?」
『貧乏神は都市伝説ではなく信仰のカテゴリの存在ですから。私からは千里眼をもってしても、気配を捉えきれないのですよ』
「都市伝説ってなんかアレだよな、やたらカテゴライズがガチガチでお役所仕事的な融通の利かなさあるよな……」
『信仰カテゴリや伝承カテゴリの方々と違って、私たち都市伝説は『都市』というだけあってニューカマーですから。おおらかではやっていけないのです』
信仰とか伝承とかのカテゴリと確執でもありそうな口ぶりである。
世知辛い世の中だ。そんなことを思いながら俺はルーレットを回し、ゴールした。
『……あっ!?』
「お先っと。……所持金は約束手形1350000$だな」
『全て踏み倒しましたね……』
とんでもない額の不良債権を残してこの世を去って行ったに違いない。
メリーのぶんのルーレットを回しながら資産が雪だるま式に増えていくのを眺める。
このぶんだとメリーは、最終的に大富豪としてゴールしそうだった。
『むぅ……』
メリーはむくれている。
おそらくは先ほどの罰ゲームが尾を引いているのだろう。いやあ、良かったなアレは。五分間ただひたすらに相手を褒め続けるという罰ゲームは。
どうやらメリーは演技がむちゃくちゃ上手いみたいで、ちょっと照れを混ぜながらも一つ一つ俺の知らない俺のいいところを挙げてくれるものだから、てっきりメリーは俺のことが好きなんじゃないかなんて思ったが、五分間終了した後に『う、嘘です。全部嘘です、私はアキラさんのいいところなんて一つも知らないのです。……ほ、本当ですよ? 本当に別に、私は思ったことをそのまま言ったりなんてしていないのですよ?』なんて言ってくれやがるものだから全然そんなことはなかったぜ!
……まあ全部嘘ってのは悲しい話だが、それはそれとして全肯定されるという得難い経験はなかなか素晴らしいものだった。罰ゲームはまたあんな感じのやつを引けないものだろうか。
俺は前髪をファサッとかきあげてから言った。
「諦めろ。お前の敗北は既に決定している」
『む、むむ……! ……確かに、そうみたいです』
「おいおいしょんぼりすんなよ、負けた時こそ笑うんだぜ?」
『そうですけど。そうですけどー』
「ったく、そんなに罰ゲームが嫌なのか?」
『嫌といいますか、またあんなのがきてしまったら本心が漏……い、いえっ! そうなのです! 罰ゲーム断固反対なのです! 自由意志を無視した横暴な取り決めなんて、破棄されてしかるべきなのです!』
「昨日まで全部実行してきた俺をなんだと思ってんだ……?」
『うっ』
電話の向こうでサッと目を逸らすような気配を感じる。
俺はふぅ、とため息をついた。
……まあ、俺も鬼じゃない。そりゃまあ、メリーを罰ゲームで俺にかしずかせたりちょっと恥ずかしいことを言わせたいという欲望はある。大いにある。非常にある。けれどもやっぱり、だからこそここであえて罰ゲームを寛大な心で赦すことで、大人の包容力を見せつけることができるんじゃないだろうか。
ということで俺はメリーに寛大さを見せつけるために、あることを提案した。
「メリー、今回だけは罰ゲーム免除にしてやってもいいぞ」
『えっ、本当ですか?』
「ただし条件がある」
『……なんでしょう、ロクなものな気がしません』
「おいおいメリー、思い返してみろ。俺がお前に、一度だって理不尽なことを言ったり嘘をついたことがあったか?」
『たくさんありすぎて言いきれませ……』
「いやー、そうだよな。全然記憶にないよな。こうして思い返してみると、まったく俺ってやつはどれだけ健全で心穏やかで思いやりに溢れる人付き合いのいい好青年なんだよ……。自分で自分が恐ろしいぜ」
『嘘つきー! ここに嘘つきがいます!』
メリーの糾弾を無視して、俺は条件を提示した。
「お前の写真、撮って送ってくれないか?」
『……写真、ですか? ……え、えっちなの、とか』
「違ぇよ! お前は俺をなんだと思ってんだ」
『変態さんですか?』
うーむ、この口調はアレだ。ただ純粋に俺のことを変態だと思っている口調だ。
一度メリーとは、じっくりと話し合う機会が必要だろう。
「……いやその、記念にと思ってさ」
『へっ?』
が、まあ今回は……おおっと間違えた。今回もゲスな下心がなかったので普通に理由を言うと、メリーはちょっと驚いたような声を出した。
「その、なんだ。お前はどうしたっていつかは俺のところについて、メリーさんになっちゃうわけだろ? そうすりゃこうしてだらだら電話で遊ぶこともできねえし、寂しいだろ。……だからこの夏の記念に、お前の写真がもっと欲しいなと思ったんだよ」
『アキラさん……』
「か、勘違いすんじゃねーぞ! 俺はただ美少女の写真が欲しいだけなんだからな!」
『アキラさん。今、真剣に嬉しかったので割と本気で『この人なら本当にそうなのかもしれない』と思えてしまうことを言わないでください』
「あっハイ」
『ちょっとだけ、待っててくださいね?』
少しだけの時間を空けて送られてきた写真は、いつもの自撮りじゃなかった。
大きく広がる夕焼けの空をバックにして映る少女は、夕日で全身を紅に染めている。
壊れそうに細い、小さなシルエットに、頭を覆う麦わら帽子。
顔そのものは逆光で見えない。が、俺にはその少女が微笑んでいるのがわかった。
だって、こんなに穏やかで静かで、見ていて心地いい写真なんだ。そうに決まってる。
『……いかがですか?』
「最高」
『そ、そうですか……』
かかってきた電話に率直な感想を返すと、メリーは照れたように声を小さくする。
……だって、いいもんはいいもんだろ。褒めるのも仕方がない。
「誰かに撮ってもらったのか?」
『はい、その辺を散歩していたおじいさんに撮ってもらいました。……本当はあんまり、都市伝説がターゲット以外に接触するのはよくないのですけど』
でも、それでもきちんと写真を撮りたかったから、とメリーは言う。
「……大切にするぜ。こっちきたら一緒に撮ろうな」
『はい、もちろん。世にも奇妙な心霊写真になること請け合いです』
「とんでもねえことを請け合いにされたな……」
心霊写真確定ってなあ……。
まあそれを言えば、これだって心霊写真みたいなもんなのかもしれないが。
ちょっとの間、写真を眺め続けて沈黙が空く。
気まずいわけでもなくて喋ることがないわけでもなくて、喋らなくても十分だから喋らない。……なんというか、メリーはこの夏休みを通して硬さが取れていい意味で適当になってきたが、俺は俺で適当すぎが治り、少しくらいは空気ってヤツが読めるようになっているのかもしれない。
そんなことを考えて写真を眺めているうちに、俺はあることに気づいた。
「メリー、ちょっといいか?」
『あ、はい。なんですか?』
「お前の服なんだけどさ……なんでワンピースなんだ?」
『変、ですか?』
「いや、めちゃくちゃ似合ってるけどよ」
いかにも夏って感じの服装で、さらさらした黒髪で華奢な少女のメリーにはよく似合っている。それはもう間違いなく似合ってはいる、の、だが。
「メリーさんって西洋人形が元なんだろ? だったらドレスとかじゃねえの?」
『変なところにこだわりますね。だってドレスだと暑いじゃないですか』
……。
都市伝説の生態、本当に分かんねえ……。
いやまあ分かる。分かるんだ。確かに暑いだろう。暑いに決まっている。
でも、なんでこんなに釈然としないんだろうな……。
妙なところで尺度が人間的なんだよな、都市伝説。そりゃ人間の想像から生み出されたってんなら当たり前っちゃ当たり前なのかもしれんが。
一応のこと、補足らしきものはあった。
『もちろん、メリーさんという怪異の特性あってのことではありますが。メリーさんという怪異は本来、終了するまでターゲットに姿を見られることがないので、別にどんな格好をしていてもメリーさんとしてのイメージが崩れないのですよ』
「迷彩服でも?」
『はい、迷彩服でも』
「和服でも?」
『もちろん和服でも』
「メイド服でも?」
『おそらくメイド服でも』
「水着でも?」
『きっと水着でも』
「じゃあ俺のところには水着で来てくれ」
『そうですね水着で……行きませんよ!? 何を流れるような誘導で私に水着姿で公道を歩かせようとしているのですか!?』
「……え?」
『なんて純粋な疑問の表情!? 意識的にではなく無意識のうちに溢れでた欲望だったのですか!? やだ怖い、この人怖いです!』
戦慄するメリー。
いやいや、別にやましい気持ちがあるわけじゃない。俺はそれを証明するために、誠実な口調でメリーに話しかけた。
「いや、もちろん冗談だぜ?」
『冗談に聞こえなかったのですが……』
「本当に冗談だ。別に俺はメリーに旧スクを着てきてほしいなんて思ってないしな」
『細分化してる!? ……一応言っておきますが、着ませんよ? 着ませんからね?』
「麦わら帽子とスクール水着の組み合わせって尊いよな……」
『絶対に着せる気でいますよね!?』
……おっと、少しばかり心の声が漏れてしまったようだった。
警戒を解くために話の矛先を変える。
「……ところでメリー、話は戻るがなんでお前はワンピースを着ているんだ?」
『……? どういうことですか?』
「いや、だからさ。メリーさんが何を着ててもメリーさんとして成立するってんなら、逆に言えばわざわざワンピースを着てることにはなんかの意味があるってこったろ?」
『ああ、そういうことですか』
メリーは、さらりと理由を言った。
『前のターゲットの方の趣味です』
「……ぐはっ!」
ばたん、と倒れる。
電話口からは『アキラさん!? アキラさーん!?』という声が聞こえるが、なんか立ち上がれない。
……これは何だろうな、こうさあ、仲のいいと思ってる友達と遊んでたら急に自分の知らない友達との思い出話をされて『そいつが親友なんだ』って言われた時のような感覚。いや俺、友達いないしいたこともないんだけど。
あるいはどきどきしながらほのかに憧れてた初恋の女の子がもうとっくにイケメンの彼氏と付き合っていた時のような感覚。いや俺、初恋の相手以前にそもそも誰かに恋したことがないからそんな経験ないけど。
それとも他にちょっとわかりやすく言ってみれば、妹が彼氏を連れてきたみたいな感覚だろうか。……あ、やばい、死ぬる……。
『アキラさん!? しっかりしてください!』
「……あ、ああ、大丈夫。お、お幸せにな……」
『何がなのですか!?』
さようなら現世、フォーエバー俺。
なんかよくわからんがそんな感じだ。
そのまま力尽きようとすると、電話口から何やら、慌てたような声が聞こえた。
『……ど、ど、どうすれば……!? どうしておじいちゃんの話をしたらアキラさんが倒れるのです……!?』
……おじいちゃん?
むくっと立ち上がってメリーに聞く。
「おじいちゃんって誰だよ」
『わわっ、聞いていたのですか!? ……前の私のターゲットの方ですよ。その頃の私はまだ千里眼も持っていなくて名前がわからなかったので、いまだにおじいちゃんと呼ばせてもらっているのです』
「……おじいちゃんはワンピースが好きなのか?」
『いえ、好きといいますか……お孫さんを思い出すだとか』
ちょっと想像してみる。
夏。白いワンピース。麦わら帽子。涼やかな丁寧語。
俺はポン、と手を打った。
……孫娘だ。これ、夏休みに田舎に訪ねてきた孫娘だ。
正確に言えば、そういうシチュエーションで孫娘にしたい女の子だ。
『あ、あれ? アキラさん元気になりました? というよりも、なぜしたり顔でそんなに頷いていらっしゃるのです?』
「メリー、お前の前のターゲットさん、いい趣味してやがるよ……いっしょにうまい酒が飲めそうだ」
『は、はあ……』
人ってやつはこうして、直接顔を合わせなくても人と人とのつながりを介して相互理解を深め合うことのできる生き物なのだ。人間って素晴らしい。
『よくわかりませんが、ともかくそういった理由でして。だから私はワンピース姿なのですよ』
「なるほどな。……ってことはもしかしてだ。俺がイメージすれば、お前の服装を変えることができるのか?」
想像してみる。
落ち着いた長めの袖と襟付きの服で良家のお嬢様風メリー。団扇を片手に浴衣を着て花火を見る幼馴染風メリー。ちょっとスカーフを緩めて夏の季節を乗り切ろうとするセーラー服メリー。シンプルなシャツとスカートに眼鏡で優等生風メリー。【自主規制】で【自主規制】な格好をした【自主規制】メリー。
……素晴らしい。
『やめてください。本当に危険を感じるのでやめてください。……まあ、おそらく無理だと思うのですが』
「なんでだよ」
アレか、霊力が足らんのか。
そう聞くと、メリーはちょっと恥ずかしげに答えた。
『今では状況が違いますから。あの時の私はまだ、今のメリーさん見習いですらなかったのです』
「……メリーさん見習い見習い? マトリョーシカみたいだな」
『ええと、確かにそうも言えるのですが微妙に違っていて……少しお時間もらって、話させてもらってもいいですか?』
「そりゃ願ったりかなったりだ」
メリーがこれまで何をしていたかというのには興味が湧く。
了承すると、メリーは静かに話し始めるのだった。
『……ええとまず、大前提として私は、そもそもメリーさん見習いとしてこの世に生み出されたわけではないのです』
「だから、メリーさん見習い見習いだったんだろ?」
そう聞くと、電話の向こうで首を振る気配がする。
『いいえ、そうではないのです。……そもそもアキラさん、私以外にメリーさん見習いという怪異を聞いたことがありますか?』
「そりゃ……ないな。だってメリーさんはメリーさんだろ。そもそも怪異に見習いとか聞いたことが……ちょっと待て、おかしくないか?」
だってメリーの説明からしたら、怪異とは人々の想像から生み出されるものなんじゃなかったか? メリーさん見習いなんて怪異が人々に知られていない以上、そんな怪異が存在しているはずがない。
『ええ、そうなのです。本来、メリーさん見習いという怪異は存在しません』
「じゃ、お前は何なんだよ。そう言ってるだけの一般人?」
ふむ。俺はずっとこいつのことを怪異だと思っていたのだが、実際のところはどうやら怪異ではなく、根性と気合いでメリーさん見習いというイメージプレイに挑み続けるただの人間、求道者だったようだ。
感銘を受けて頷いていると、電話の向こうからメリーの慌てたような声が聞こえた。
『妙な結論に落ち着かないでください! まだ話の序盤ですから! ……こ、こほん。えーとですね、私という存在はもともと、形のない想像で作られていました』
「……形のない想像?」
『ええ。……ちょっとした質問なのですが、時々、無性に怖くなることがありませんか? わけもわからずに気分が悪くなって、とてつもない不安に襲われることがないですか?』
「……まあ、無いとは言わんわな」
妹からは散々に楽天的だといわれる俺だが、それでも時々そんな気分になることはある。だってそりゃ、人間なんてそんなもんだろ。誰だって確実が存在しないことなんて知っているし、絶対がありえないことも理解している。
不安と恐怖は人間の友じゃなくとも、間違いなく隣人なのだ。
だいたいそんなことを言うと、メリーは頷いたようだった。
『ええ、たいていの人はそうだと思います。……私はつまり、そこから生み出された、名前のない都市伝説……あえて言うなれば【漠然とした恐怖】でしょうか。その一部をもととしています』
「……とてもじゃないがメリーさんにつながりそうもないな」
そこからいったい、どうやればメリーさんにコンバートできるというのか。
そんなことを考えて唸っていると、メリーはちょっと驚いたように言う。
『……あの、いいのですか?』
「何が?」
『いえその、アキラさんは優しい人ですから。私のもともとがそんな存在でも一線を引くことはないだろうとわかっていました。ですけど、さすがにそこまで無反応にされてしまいますと、勇気を出して話した私の立場が……』
「めんどくさっ!」
少女漫画の駆け引きじゃねえんだからそんな微妙な感情とか知るかよ。
そう言うとメリーはちょっと不満げに、しかしどこか嬉しげに言う。
『
「まあそりゃ、『漠然とした』だもんな」
『はい、その通りです。……そしてこの【漠然とした恐怖】というのはありとあらゆる分野に薄くヴェールをかけるように存在しています。例えば暗闇の中、例えば夜の中、例えば鏡の中、そして例えば……』
「……電話回線の中、ってか?」
『正解です』
……なるほど、話が見えてきた。
「つまりお前は電話回線の中で、その【漠然とした恐怖】ってのをやってた。そこにたまたま本職のメリーさんが通りかかって人手が足りないって理由でスカウトされ……」
『違います』
バッサリだった。
『都市伝説とは人の手で作り上げられるものなのです。それでは都市伝説が都市伝説を作り上げるという本末転倒な事態を引き起こしてしまいます』
「……じゃあ、なんだよ」
俺のふてくされ気味の言葉に、メリーは静かな声で答える。
『ある日のこと、私に……いえ、『私の素』ですね。そこに電話がかかってきました』
「……なんで電話番号があるんだ?」
『ただの電話番号ではありません。その持ち主が既にこの世にいない、破棄されたはずの番号……つまりそこにかけても、誰かが応答してくること自体がありえない番号だったのです。ようするにその電話番号自体が、都市伝説の素となりうる性質を備えていたのですよ。……私はそのとき、相手に向かって【漠然とした恐怖】として何かを言いました。何を言ったのかは覚えていません。【漠然とした恐怖】に自我はほとんどありませんから。……本来ならそこで終了するはずでした。けれども電話の向こうの相手は、こう聞いてきたのです。『メリーさんかい?』と』
「ああ……つまり」
今度こそは話が見えてきた。
『はい。……その瞬間に私は、『メリーさんに間違えられる存在』としての自我を得ました。【漠然とした恐怖】から分離し、一個の都市伝説の種子としての核を得たのです』
「で、メリーさん見習いってわけか」
『そうです。あくまでも私はメリーさんではなく『メリーさん未満』でしたから、ふさわしい言葉でしょう? ……もっとも、その呼び方をくださったのもその相手の方だったのですが』
「それが『おじいちゃん』か」
そう言うとメリーは、懐かしむような声に変わった。
『……ええ、穏やかな人でした。私をメリーさんかと呼んだのは、かけた直後にそれが交通事故で亡くなった息子さんの電話番号だと気づいてしまったからだそうで。私が出たときには驚いて、思わず知っていた都市伝説の名前を口に出したのだそうです』
「そりゃファインプレーだな」
『私としてはやっぱり、感謝しているのですよ。そのおかげでこうして自我を得て、アキラさんとお話しすることができたのですから。……ですが当時は大変でした。まだ私はメリーさん見習いですらなかったので、千里眼を持っていなかったのです。毎日の電話の中で少しづつ場所を聞き出してゆくのは大変でした』
「毎日?」
そう問うとメリーは、少し口ごもった後に言った。
『……実はおじいちゃんは、入院していたのですよ。詳しくは聞いていないのですが血液の病気だそうで、それに軽度の認知症も患っていました。死んでしまった息子さんの電話番号にかけてしまったのも、それがあるのかもしれません』
「……そうか」
『はい。……病院ですから電話ができる時間が限られていましたし、一度に多くのことを聞き出すのも不可能でした。ですから私は、何日も時間をかけておじいちゃんに会いに行ったのです』
「……どうだった?」
『楽しかったのですよ。おじいちゃんは私を孫娘のようだと言って、この姿を与えてくれました。まだ私はあやふやもあやふや、形どころか名前すらもはっきりしない存在でしたので、おじいちゃんのイメージ一つでこうも変わったのです』
それが、ワンピース姿の理由ってわけか。
……で、今もその姿でいるってのはつまり。
「……迂遠な聞き方が下手だからバッサリ聞くけどな」
『はい』
「おじいちゃんはどうなったんだ?」
『亡くなりました。……月の明るい夜でした。私がおじいちゃんのところへたどり着いて病室に忍び込むと、気配に気づいたのでしょうか、おじいちゃんは薄く目を開きました。……そして驚いたような笑顔で私に言ってくれたのです。『よく来てくれたなあ』と』
「……」
『静かな時間でした。私はどうしていいのかわからずに立ちつくしていて、その後おじいちゃんは何も言わずに目を閉じて。そして、次の朝にはおじいちゃんは冷たくなっていました。……私は誰かが気付く前に病院を抜け出して、どこかで泣いていました。人の死があんなに悲しいことだと、私は知らなかったのです』
メリーは落ち着いた、芯を感じさせる声で言う。
『でも、悲しかっただけじゃないんです。そのときに私は、確かに思ったのです。“私が訪れることで笑顔を浮かべてくれる人がいたのなら、それならば私は、メリーさんになってみたい”と。……誰かに言ったらきっと、笑われてしまうでしょうね。怪異が何を言っているのか、と。けれども、一つくらいはそういう怪異がいてもいいと思うのですよ。怪異に生まれたからではなくて、怪異になりたいと思ったから怪異になった存在がいても』
「……」
『その後、都市伝説組合に行って正式にメリーさん見習いという怪異として認めてもらいました。……おじいちゃんは寝たきりでしたからその背後に立つなんてできずに、メリーさんとして半端にしか成立していなかったので、千里眼しか得られませんでしたが。それでアキラさんに電話して……あれ、アキラさん?』
ずびっ、と鼻をすすった。
「……なんだよ」
『あの、泣いて……?』
「……泣いてねーし。マジ全然泣いてねーし。これ部屋が寒いから出た鼻水だし」
『……あの、涙が』
「汗だ。部屋が暑いから出た汗だ」
『矛盾しているのですよ?』
困惑した様子のメリー。
……もちろん全然泣いちゃいないが、しかし感じ入るものはある話だった。要するにメリーというやつは、俺とは違って確固とした目的があって生きているやつなのだ。
特に目的もなく、可もなく不可もなく勉強ができたから大学に通っている俺のような奴からしてみれば、それは単純に尊敬できることだった。
だから俺は言う。
「……さてメリー、罰ゲームだ」
『へっ!? 写真は送ったではないですか!?』
「やれやれ……他人の言葉を信じるなと学校で習わなかったか?」
『なんでー!? なんでなのですか!?』
……それは要するに、この小さな少女が俺にはできないようなことを軽々とやってのけているということに対する、ちょっとした悔しさのようなものだったのだろう。