キンジ視点ーー
俺と零は後日、再び山田 キリオの家に来ていた。
万が一に備え、他の武偵それも強襲科の連中も応援に来ていた。
護送車まで用意して、逮捕する気満々だな。
「おい、零。このジュラルミンケースは何なんだ?」
武偵高を出る際に零から渡されたが、気のせいか重い。しかし、片手で持てない重量ではない。
「鑑識の道具一式が入っているんだよ。鑑識科の子たちから借りてね」
鑑識科から借りたって、自分達で捜査せず他人に貸し出して捜査させていいのかよ......今回の事件は鑑識科にも単位になるのによ。
それにしても、こいつは鑑識科に顔が利く。いや、鑑識科だけでなく武藤の所属する車輌科や俺と不知火の所属している強襲科にも顔が利く。
特に探偵科と諜報科では絶大に信頼されている。
「さあ、金次君。事件にカタをつけようか」
そう言って零は家のインターホンを鳴らした。
望むところだぜ。こんな事件はとっととカタをつけるのに限る。
死体を埋めるなんて犯人にはムカついていたからな。
昨日と同じように家主の山田 キリオとその妻である沙良が出迎えてきた。
家に上がって早々、俺たちは一番に水槽のあるリビングに向かった。
気のせいか床が昨日来た時より綺麗になっているぞ。
「随分と綺麗になってますね。掃除機をかけましたか」
「掃除機はかけました。何をしているのか教えてくれませんか?」
俺たちは床に伏せ、床板を剥がしたが砂は綺麗に無くなっていた。
入念に掃除したようだなーー綺麗だ。
「事件の真実ーーこの部屋の本当の姿を解く作業ですよ。金次君、部屋の明かりを消して」
零に言われて俺はリビングの明かりーー部屋の入り口に備えつけられたスイッチを切った。
スイッチを切ると案の定、部屋は真っ暗ーーいや、水槽のライトだけが光っている。
これから何をするつもりだ?
疑問に思っていると、零がジュラルミンケースから何かを取り出した。霧吹きのようだが......
「さて、出てくるかな」
零がシュッシュッと霧吹きを床に吹き付ける。
「何をするんですか⁉︎床が濡れるでしょう」
おいおい、キリオ氏が怒っているぞ。
しかし、そんな事お構いなく床に吹き付け続ける。
こいつは人の話を聞かないタイプか......
「ルミノールだからすぐに乾きますよ」
ルミノール......確か化学捜査に欠かせない試薬で過酸化水素とともに用いると、血液の存在を強い発光で知らせる。その発光反応をルミノール反応と呼ぶんだったよな......それを吹きかけているってことは、ここに血液が付着していたかもしれないんだな。
「うーむ、表面は反応しないか......」
「血痕があるか調べているんですか?」
「主人は何もしていないのに何故こんな事をするの⁉︎」
妻の沙良は旦那が疑われていると思ったのか、少々ヒステリック気味だ。
血痕がないなら、被害者はここでは殺されていないのか?
暗がりからチラッと零を見てみるが、落ち着いている。気のせいか笑っているようにも見えるぞ?
「金次君、ケースからブルーレーザーを取り出して、ここを照らしてくれないかい」
「ルミノールでも出ないのなら、レーザーでも見えないだろう?」
「ルミノールは表面だけだよ。レーザーは血液中のタンパク質を求めて、板の中まで届くよーー床板は楓なのに磨かず、塗料だけが塗ってある。変だとは思わないかい?」
確かに変だ。楓は磨けば光沢が出るのに、その上に塗料ーー黒を塗るなんておかしい。
「何かを隠すために塗ったのか!」
「そうだよ。さあ、その何かとご対面しよう。レーザーを照らして」
零に言われるがまま、俺はケースからブルーのレーザーポインターを取り出し、床に向かって照射した。すると、
「これは......!」
「これがこの部屋の真実だよ」
床板にはべっとりとした血痕が姿を現した。
点々としたモノもあれば、被害者のものだろうか手形の血痕もあった。
被害者はここで殺されたのか!
「消していいよーー明かりを点けて」
明かりを点ける。再び部屋が明るくなった。同時に血痕も見えなくなったが......
夫婦は目を丸くして、何も言えない表情だ。これで言い訳はできないぞ。
「キリオさん、ここで何があったか言いませんか?」
「私は何も知らない!」
零の問いかけにキリオは否定する。何を言っても無駄だぜ。あんなに血痕を残しておいて、何も知らないなんて白々しいぞ。
まさか「自分の血です」なんて言わないだろうな?
「苗さんがいなくなった日に激しい喧嘩になった。その際、彼女は水槽に頭をぶつけ脳震盪を起こし倒れた」
キリオの代わりに零が事件の経緯を説明する。まるで推理小説の探偵だぜ。
なるほどな。遺体の頭部にヒビがあり、塩の結晶が検出されたのは、水槽が割れて海水を被った所為か。おまけに海水だけでなく、水槽の砂も一緒に......
「怒りに任せて殺そうとしたが、意識を取り戻した彼女が貴方を押しのけて這って逃げようとした」
床板に被害者のモノと思われる手形があったのは這って逃げようとした所為か。
「そうはさせないと息の根を絶つーー苗さんを殺すのに何を使ったのですか?」
逃げようとした被害者を衝動に任せて殺すなんてーー見かけによらずひでぇ事をしやがるぜ。それだけでは飽き足らず、その遺体をコンクリートに埋めるなんて、想像するだけで胸くそ悪い。
しかし、凶器は何なんだ。遺体には鰐に襲われたーー湾曲しており縁にギザギザの歯が付いた刃物で殺されていたが、凶器の正体がわからない。
「止してくれ!殺していない!」
キリオが声をあげて、全面否定する。
まだシラを切るつもりかこいつは.....!
「凶器が普通のナイフではないのは確かだね。そして、死体を東京の住宅街に運んで、流し込んだばかりのコンクリートに埋めた」
「私は知らないんだ!本当に知らない」
「キリオはあの日は家にいませんでした。仕事があったから!」
「それじゃ何の為に床に塗料ーーラッカーを塗ったんだよ」
血痕が残っている床に塗料、それもラッカーを塗るなんて怪しすぎるぜ。
「過去から逃げられなかったようですね」
「私は殺していない!愛していた!今でも愛している......!」
「......」
キリオの言葉に場が静まり返った。妻の沙良はショックを受けたのか、絶句している。
「......沙良、すまない。謝るよ」
「まだ愛しているの?」
「山田 キリオさんを殺人の容疑で逮捕します」
向かい合う夫婦に向かって、零が冷酷に淡々と容疑を告げる。
同僚の武偵の1人が手錠をはめる。
「......父に連絡して弁護士をーー殺していない。大丈夫だ」
妻を落ち着かせるためか、キリオは最後にそう言って連れて行かれた。
「金次君、私も一緒に行ってくるよ」
後に続いて零も去っていく。
「俺も行くぜ」
「金次君はこの場に残っていて。ここが犯行現場だからまだ詳しく調べないといけないから、見張っておいてくれないかい。あとで専門家を派遣するから」
現場保存か......疑いたくはないが、妻が夫の為に証拠を消すかもしれないしな。そう言えば掃除機をかけたのは誰だ?
「ーーわかった。できるだけ早くしてくれ」
「勿論さ。それじゃ宜しくね」
そう言って部屋から出ていった。犯行現場ーーそれも殺人現場にはできるだけ居たくはない。
強襲科でも殺人ーー現場を見たことはあるが、あそことは違った雰囲気がするんだよな......
気分転換に部屋の中を見て回っていると、
「これは山登りの写真か?」
リビングの壁に額縁に入れられた写真を見つけた。
夫婦揃って山登りしている光景を捉えた写真だ。これは彩雪期の富士山か?
リュックを担ぎ、手には......これはピッケルか。
うん?待てよ。凶器は湾曲しており、縁にギザギザの歯が付いた刃物だったよな。
この写真に写っているピッケルがそれに当てはまるような......
「なあ、奥さん。あんたは旦那と山登りするのか?」
俺が背中越しに質問すると、
「ええ、そうよ。それで殺したのよ」
俺に拳銃を向けた沙良がそこにいた。
くそっ!油断した。まさか一般人が拳銃を持っているなんて。
銃規制が緩いのにもほどがあるぞ。いや今はそれどころじゃない。
さっき、この女は「殺した」とハッキリと言ったぞ。それじゃ犯人は
「フー、フー、キリオが留守だったから......ハー、ハーここに来て......苗に言ったのよ。キリオを返してほしいって」
興奮しているのか荒い息遣いでジリジリと俺に接近してくる。
どうする。できることなら荒っぽいことはしたくないが。
「なぁ、取り敢えず銃を下ろしてから話そうぜ」
「それまでは私と婚約していたのに......辺りは血だらけ。そこらじゅう......今は見えないけど、わかってるわ。消えてないんでしょう」
俺の声が聞こえないのか、さらに距離を詰める。
ダメだ!話ができる状態じゃない。
「フグゥ......ハー、死体の重さ、忘れられない」
「気が済むまで付き合うから、落ち着けよ。その銃を俺に渡してからさ」
「できないわ!ごめんなさい......!だってキリオを逮捕したじゃない!」
距離を詰められ、いつの間にか背中に壁が当たる。逃げ場がない。
仕方ない、荒っぽいが組み倒してから......
「そこまでにしてくれませんか?」
突然、部屋の入り口から声が聞こえた。
俺が目を向けると同時に彼女も拳銃を構えたまま声のした方を向くと、
「いいですか。できれば私も撃ちたくはない」
拳銃ーーウェブリー・リボルバーを構えた零がいた。
零。戻って来てくれたのか!
「この10年間、さぞ苦しかったでしょう」
「フゥ......ヌグ......ハー、ハー」
零は落ち着いた声で沙良氏に語りかける。
零の説得に彼女は涙を浮かべて、拳銃を持った手をガタガタと震わせる。
おい⁉︎今にも撃ちそうだぞ。
しかし、零はそれでも距離を詰め、彼女の拳銃に手を当て下に降ろさせると没収した。
手から拳銃を離した彼女は床に手をつき、泣き出してしまった。
「大丈夫かい?金次君」
「あ、ああ。なんとかな。助かったぜ」
「さあ、奥さん。行きましょうか」
床に伏せた彼女の肩に手を当て、立ち上がらせて連れて行く。
時刻は16時30分ーー
沙良氏を護送車に乗せて見送った後、教務科に事の経緯を報告し終えると、俺と零は豊島区を歩いていた。
「なぁ、零。お前は旦那じゃなくて妻の沙良が犯人だとわかっていたんじゃないのか?」
俺は開口一番に零に疑問をぶつけてみた。
「さぁ?なんでそう思うんだい?疑問には必ず理由がある。言ってみてよ」
零はしらばっくれているのかーー嘘をついている。
気づいていないだろうが、お前は嘘をつくとき目が僅かに大きく見開くからな。
ありのままを話すぜ。
「あの時、お前は旦那を犯人と断定した。しかし、お前にしては早計すぎると思った」
「ふむ、それで?それ以外にはないのかい?」
「そして、救助にくるタイミングがあまりにも良すぎた。まるでここぞとばかりに機会を伺っていたかのようにな」
俺が話し終えると、零は腹に手を当てて「ぷははは」笑い出した。
何なんだ?突然笑い出してよ。そんなに俺は可笑しい事を言ったか?
「強引な論理的推論だけど大正解。金次君70点」
「70点って、100点じゃないのかよ。それと助けるなら早くしてくれよ。マジでヤバかったんだからな」
「ごめん!本当にごめんね。どうしても彼女の犯行を裏付ける証拠、いや、状況を作り出したかったんだ」
状況を作るだと?どういう意味だ。
「沙良氏は旦那キリオ氏を愛していた。そんな旦那が他の女を愛していると言ったら?それも自分が殺した女だったら?」
まあ、逆上かショックを受けるだろうな。自分が殺した女となれば尚更だ。
「そしてキリオ氏が誤認逮捕され、連れて行かれたら混乱するだろうね。『自分のせいでキリオが!どうすればいい⁉︎』と錯乱し、ヤケを起こす」
だからキリオを逮捕したのかよ。旦那を愛している妻の心情を利用して......おまけに俺を囮につかうなんて。
「ーーお前、悪魔だな」
「悪魔だなんて大袈裟だよ」
ステッキを裏手でクルクルと回転させながら答える。悪魔がいたらこんな感じか?こいつなら悪魔でも騙せそうだな。
「それに誤認逮捕でもないんだよね」
「キリオの事か?殺人ーーあの男は殺してないだろ?」
「確かに殺してはいないけど、殺人者を庇ってはいたね」
庇う?待てよおい、それって⁉︎
俺の心情を察したのか零はコクリとうなづく。
「犯人蔵匿及び証拠隠滅の罪、わかるでしょう?」
犯人蔵匿及び証拠隠滅の罪とは、刑法に規定された犯罪類型の1つで、犯人をかくまったり証拠を隠滅したりすることで、捜査や裁判など国家の刑事司法作用を阻害する犯罪のことをいう。
「キリオ氏は妻が殺人を犯した事を知っていたんじゃないのかな。護送するついでに彼から『妻は春にはリビングの床を異常なまでに掃除する』という発言をした」
「その発言が何になるんだよ?事件とはーーいや......!」
「そう。10年前の春に苗さんは行方不明ーー殺された。それと同時に妻の沙良氏はリビングの床を異常なまでに掃除しだした。あまりにも状況がぴったりだと思わないかい?」
確かにぴったり過ぎる。自分の妻がリビングの床を決まって春ーー苗氏がいなくなった時期に、異常なまで掃除をする妻を見れば不審に思うはずだ。
「内心では妻が殺したんじゃないかと薄々、感じていたと思うよ」
「証拠はあるのか?」
「さぁね。証拠はないけど尋問すればわかると思うよ。ウチの学校の先生ーー尋問科は優秀だから......ふわぁ」
零は一通り話すと口元に手を寄せて、いきなり欠伸をした。
目をゴシゴシとかいて、眠たそうだ。
そうか。『脳の疲労』が近づいているんだな。
「ごめん......金次君。何だか眠くなって......きた」
頭をコクコクと上下に揺らし、今にも倒れそうだ。
参ったな......ここから学校の寮までは距離があるぞ。
休ませようにも......いや、ある。
ここ豊島区は近い。俺の実家である巣鴨に。
「取り敢えず俺の実家に運ぶが、いいか?」
「うん......いいよ。金次君の実...家か。初めてのほうも......」
「もう喋るな。寝てろ」
ウトウトする零をおぶって歩き出すと、安心したのか零はそのまま眠ってしまった。
手からステッキがカランと音を立てて、地面に落ちた。
前は眠ってもコレだけは握っていたのにな。
俺は拾って持ってみると、少し重量があることに気づいた。
丁度、刀くらいの重さだ。仕込み杖か?
俺が杖をいじっていると、♪〜♪〜と音楽ーー携帯の着信音が聞こえてきた。
零のポケットからだ。この着信音はシューベルトのピアノ5重奏曲『鱒』だ。シューベルトが好きなのか?
勝手に出るわけにもいかないので、無視して歩き出すが着信音は止まない。
おい、一体誰だよ⁉︎もうずっと鳴り続けているぞ!シツコイにも程があるぞ。
「すまん零」
俺は零に一言、謝ってから彼女のポケットから携帯を取り出した。
着信画面には『父』とあった。零の親父さんか......娘に電話を掛けるのにしては異常だぞ。
俺は恐る恐る通話ボタンを押し、
「あー、もしもし」
『おや?おや?誰かな君は?確かに娘の番号に掛けたはずだか......』
電話に出たのは若い声の男だった。
「突然すみません。おれ......自分は零の同級生の遠山金次といいます」
『金次君ね。なるほど金次......金次ね』
電話越しでブツブツと喋る。
零には悪いが何だか不気味な親父さんだな。俺の父さんとは真逆ーーまるで父さんを裏社会の人間にしたような感じがする。
『どうも初めまして金次君。私は玲瓏館 誠司。零の父です』
自己紹介に俺は「どうも」と短く答える。
さっきまでの不気味な雰囲気とは違ってカラッとしている。
何なんだこの人は?
『私の娘は今どうしているのかな?はっ!まさか私の娘を無理やり連れ込んで......』
「違いますよ!実は......」
勘違いした親父さんに俺は経緯を説明する。
零は親父さん似だな。人を小馬鹿にする感じがよく似ている。
『ハハハ、ごめんごめん。金次君は何だか揶揄い甲斐あるから少しふざけてしまった』
マジで勘弁してくれ......この親あって子ありか。
『まあ、さておき金次君。零は眠っているんだったね。なら伝言を頼まれてくれないかい?』
伝言か......まあ、それくらいならいいか。
「いいですけど」
『ありがとう。それじゃ話すけどいいねーー実は今度うちで海外から居候ーーホームステイする子を預かることになったから、顔合わせの為に今度の土曜か日曜に実家に帰っておいでと伝えてくれたまえ。それじゃ、いずれまた』
一方的に言うとそのまま電話は切れてしまった。
いずれまたって、まるで会いに行くかのような口ぶりだな。
俺はそんな事を考えながら、巣鴨にある実家を目指した。
さって実家に運んでくれたお礼には......手作りのアレを