ゴッサムシティ
凶悪なマフィアや犯罪者、そしてそいつらを遥かに越える怪物共が跋扈する超犯罪都市である。
取り締まる側の司法・警察も一部の例外を除いて汚職に走る有り様で、正体不明のヒーローの手で辛うじて治安が守られている(それでも滅茶苦茶悪いが)。
ちなみにニューヨークの別名でもある。
マフィアがはびこり犯罪都市となった19世紀初頭のニューヨークを「愚か者の町」という意味で「ゴッサムシティ」と呼ぶようになった。
米国で危険な都市ランキング1位を常にキープしている。
そんな町にあたしと零は記念すべき第一歩を踏み出した。
高い高層ビル・マンションが建ち並び、右車線の道路にはタクシーや二階建てバス、一般車が忙しなく走り回っている。
違反駐車しているドライバーから賄賂だろうか?お金を貰っている警官の姿を見てしまった。通行人は何も言わない。恐らく、こういった不正がこの町の日常と化しているのだろう。
その証拠に通行人の女性がバッグをひったくられたのに、警官は知らん顔でコーヒーを飲んでいるし......絶対に面倒くさがっている。
歩道には路上販売店がちらほらと4店ーーコーヒー・ホットドッグ・サンドイッチ・クレープなど店ごとに販売している商品はバラバラだ。
通行人ーーサラリーマン・学生・作業員・タクシードライバーなど店に並ぶ人は様々だ。そんな人混みの中で、
「おじさん!このハム&ガーリックとコーヒーをそれぞれ2つお願いします」
零が路上販売店ーー販売店に改造したキャンピングカーでサンドイッチを注文していた。小太りでベースキャンプを被った中年の男性店長が「はいよ」と手慣れた手つきでサンドイッチを零に渡す。
「はい、りこりん。食べて私の奢りだよ」
「おー、ありがとう!れいれい。いただきまーす」
ご丁寧にあたしの分まで買ってくれた。
うん。ガーリックが少し強めだけど、我慢できないほどじゃないね。
モグモグと食べて、コーヒーで流し込む。砂糖が入っている。甘さは丁度あたし好みだ。
「りこりんは砂糖は1杯だったね。角砂糖だと1個でよかったかな?」
「あれ〜れいれいは何でりこりんの砂糖量が分かるの?前に話したっけ?」
あたしの記憶では零にコーヒーに入れる砂糖の量を言った覚えはない。
前に一緒にカフェでお茶をしたことはあるけど、その時は砂糖を入れる姿は見せてないぞ。
「りこりんはコーヒーを飲む時、一緒に付いてくるクッキーやチョコレートをコーヒーに軽くひたして、口溶けを楽しんで食べるでしょう?そういった人はコーヒーよりもお菓子を楽しむ傾向が強く、コーヒーに入れる砂糖は少な目にする事が多い。砂糖にお菓子が味負けするからね」
相変わらずコイツは人を観察するのが、人一倍ずば抜けている。
でも、そんな技量は探偵科なら誰でも身につけている。あたしだって技量ーー観察目には自身があるぞ。
「因みにお菓子をコーヒーに浸して食べるのは、フランス人に多く見られる。りこりんは確かハーフだったねーー日本人とフランス人。多分、お母さんが日本人じゃないかな?化粧の仕方が日本風な所がある。女の子が化粧の仕方を教わるのは、母親からと相場は決まっている。コーヒーの飲み方はフランス人のお父さんの影響。お喋りで自分の意思をしっかりと主張する所もお父さんの影響からだね」
間違った.....コイツは桁違いだ。
確かに化粧はお母様から教わったし、性格はお父様似だと自分でも思う。推理通りで怖いよ。
「はは、すごいね。れいれいには何でもお見通しなんだ」
「そんな事はないさ。私にもわからない事の100はあるよ」
100って、零。その言葉、説得力が皆無だよ。ジョークのつもりかよ。
「りこりんを分析したお詫びといっては何だけど、私の事も話そうか?りこりんにしか教えない秘密とかさ」
秘密だと。あたしはその言葉に食いついた。色々と聞き出したい情報がある。これは丁度いい機会だ。
「それじゃ、教えてよ」
「いいよ。まずはコーヒーの好みから言おう。私はブラックが好きだ。砂糖を入れる際はコーヒーを飲み干してから、底に残った砂糖をスプーンで掬って食べるのが好き。以上!さあ、行こう!」
ちょっと待った⁉︎教えるって、コーヒーの好みかよ!あたしが聞きたいのは、そういった事じゃなくてさ......もっと、謎めいた秘密だよ!
それに行こうって、どこにさ?
零はズンズンとカートに入れた大量の荷物を引きながら、歩道を歩く。そのカートは私物だったんだね。
「ねぇ、れいれい。何処に向かっているの?ホテル?それとも事件現場?もしかして、依頼人に会いに行くとか?でも、依頼人は匿名で頼んできたから会えないかもよ」
「どれも違うよ。今から向かうのは拠点さ」
町を歩く事30分ほど
マンハッタン島の東を流れるイースト川にかかる大きな橋ーーブルックリン橋を渡る。
ブルックリン橋は長い。海風に吹かれハニーゴールドの髪が乱れる。零の漆黒の髪も揺れるが、本人は御構い無しのご様子。
ようやく渡り終えた。
川の向こうから高層ビルが陳列するマンハッタン島が見渡せる。
「さあ、こっちだよ」
橋のたもとから右折し、川を右手にして走る。
零の案内されるまま、あたしは付いて行く。一体何処に向かっているんだ?空港で零は「仕事仲間の家に泊まる」と言っていたが、まさか本当に仲間がいるのか?
左に曲がると、どこか精密な玩具みたいな街が現れた。
「何だかグリム童話に出てくる街みたいだね」
「いい例えだ」
3階から5階建てぐらいの縦長のアパートがひしめく。玄関前には5段ぐらいの階段。小人が現実にいたら、こんなアパートに住んでいるかもね。
その内の一軒ーーアパートの玄関前で零は止まった。どうやら、ここが目的地らしい。
あたしは玄関のプレートに目が止まった。
プレートには【ニューヨーク・ブルックリン22番地】とあった。
零が玄関をコンコンっと、ノックする。すると、ガチャっと音を立て真っ黒なドアが開く。
「あらまあ!ゼロじゃない。お久しぶり!」
「本当にお久しぶりです。バートンさん」
あたし達を出迎えてくれたのは、年齢は50代風の女性だった。髪は赤毛混じり茶髪で、顔には少なくないシワが目立ち彼女がどれだけ生きてきたか物語っている。
「あら、ゼロ。こちらの可愛らしいお嬢さんはどなた?」
「こちらは私の学友で名前は......」
「ご紹介に上がりました!れいれいのお友達の峰 理子でーす!」
あたしは何時ものノリで挨拶した。
「まあ!ゼロのお友達だったの。初めまして、このアパートの大家をしてます。ミラ・バートンよ」
「バートンさん。突然で悪いんですが、部屋は」
零が会話に割り込む形でバートンの前に出てくる。
部屋?まさか零が言っていた仕事仲間の家ってここの事か?知り合いが部屋でも借りているのかな。
「もちろん用意しているわ。さあ、上がってちょうだい」
バートンはあたし達をアパートに招き入れた。
あたしは遠慮なく、土足で上り込んだ。日本だと玄関で靴を脱がないといけないが、海外ではそんな事はない。
薄暗い廊下は、玄関を閉めると殆ど真っ暗になってしまった。
「もっと早く連絡してくれれば、昼食を用意したのに貴女って人は忙しない所があるんだから」
「すみません。急な事件の依頼だったもので」
零は「ははは」と愛想よく笑う。バートンもつられたように「ふふふ」と笑う。
「ねぇ、れいれい。バートンさんとはどんな関係なの?海外で接点とか無さそうだけど?どうやって知り合ったのさ?」
あたしはヒソヒソ声で零に話しかける。
「ああ、バートンさんとはスカイプで知り合ってね」
「スカイプって、飛行機の中でやってたアレな事?」
「そうだよ。そのスカイプを通して、バートンさんが事件ーー夫が強盗を働いたと相談してきてね」
「わかった!れいれいがその事件を見事に解決ーー真犯人を見つけて旦那さんの無実を晴らしたんだ!」
零も武偵だから、依頼人には分け隔てなく接して事件を解決しているんだね。
「違うよ。旦那さんの犯行を立証して、刑務所送りにしてやったのさ。因みにバートンさんはそれを境に離婚して、新しい旦那さんと再婚。元旦那さんは懲役15年の刑に服しているよ」
前言撤回。あたしの勘違いだった。
「そうなんだ......あっ!でもさ、ただのスカイプで知り合ったにしては親しそうだね。玄関での話の様子から部屋まで貸してくれるなんてさ」
「ただのスカイプじゃないよ。私個人が作ったスカイプーー『スパイダー』を通して事件の経緯を知ったのさ」
個人で作ったって、どんだけ万能なのさ⁉︎
それにしても『スパイダー』か......それが零の情報源かもな。
もしかしたら、零はその『スパイダー』を通して世界中に情報網を張り巡らしているかも......名前の通り蜘蛛だ。
待てよ。前に『教授』に零の事を話したら、「彼女は蜘蛛のようだ。自らは計画を立てるだけ。しかし、時には自ら行動する大胆さも持ち合わせている。どんな細かい情報でも網にひっかけ、徹底的に分析する。まるでかつての宿敵をそのまま女性にしたような子だ」と面白そうに話していたな。
「そのスカイプにはどんな人がいるの?よかったら教えてよ」
「いいよ。高所恐怖症な暗殺者、結婚詐欺&年齢偽証姉妹、料理が趣味な精神科医、気の弱い恐喝者、自称魔術師、麻酔など要らねえ外科医などなど......」
零のお友達って、ヤバそうな人ばかりだね。きっとハンドルネームだよね?
話している内にバートンの姿は消えていた。何処にいったんだ?
零はバートンが消えたことは気にしていない様子で階段を上がる。
階段はギッギッと古い木材の軋む音がする。
上がった先は2階の表通りの部屋。色褪せた黒のドアを開け、入ると
「ここが私たちの拠点なる部屋だよ。こちらは居間」
零は自信満々に言った。
部屋にはまず大きな窓が二つある居間があった。家具はすでに備えられていて、使い込まれた絨毯と二人がけのソファ、そして一人がけのソファが3つある。
零はその一人がけのソファを一つ眺めている。真っ赤なソファだ。どうしたんだ?
「やれやれ......これを持ち込んだのは君か?レクター」
零が奥にあるキッチンに向かって、誰かに向かって問いかけた。
一体誰だろう?あたしは気になってキッチンに目を向ける。
すると、キッチンから優雅な足取りで一人の人物が居間にやってきた。
浅葱色のスーツとブルーのシャツを着て、胸元には真っ赤なネクタイ。
身長はスラリと高く、零よりもある。
顔は色白くウエーブのかかった金髪を肩まで伸ばし、目は吸い込まれそうになる程綺麗なグリーンだ。不思議と知的な印象を受ける。胸の膨らみから女性だ。
「いいじゃないかゼロ。僕と君の仲じゃないか。家具の一つくらい多目に見てくれよ」
発した彼女の声は、優しくて聞いていると安心感を与える声だ。
「私のセンスではこの部屋に赤のソファは似合わないと思うけど、まあ、別にいいよ」
「れいれい。こっちの人は誰なの?」
「おっと、僕とした事が自己紹介も無しに登場とは失礼だったね。初めまして、お嬢さん。僕の名前はレクター、ヘイゼル・レクター。よろしくね」
「おお!ボクっ子だ!初めまして峰 理子でーす。りこりんって呼んでね。ヘイヘイ」
「ヘイヘイ?それは僕の事かな。それじゃ、僕は君の事をりこりんって呼ぼう」
お互い自己紹介を終えた。
握手を交わすが、あたしとレクターは身長差があり過ぎる。レクターが屈んで握手する形になってしまったが。
「ヘイヘイはれいれいのお友達なの?もしかしてスカイプで知り合ったとか」
「そうだよ。僕とゼロはスカイプを通して意気投合してね。彼女とは、よく心理ゲームなんかして遊んだりもするね」
「飛行機の中でやりとりしていた『ハンニバル』が彼女だよ。レクターは心理ゲームに関しては天才だよ。私なんか足元にも及ばない」
「おいおい。そんなにひけらかさないでくれよ」
レクターは困ったように苦笑する。
ふーん、飛行機の中でやり取りしていた相手ーー『ハンニバル』はレクターの事だったんだ。
「ヘイヘイも武偵なの?見た感じ大人っぽいけど、もしかして、まだ学生?」
「そうだよ。僕はチェサピーク武偵学校の一年生。専門科目は救護科を専攻している」
「彼女はチェサピークではちょっと知れた武偵でね。救護科では有名人さ。現場で負傷した武偵だけでなく、加害者も分け隔てなく助ける様子から『チェサピークのナイチンゲール』なんて呼ばれたりね」
「やめてくれ。そのあだ名には参っているだ。僕はナイチンゲールなんかじゃないよ」
「ごめん、ごめん。立って話すのは疲れるでしょう?座って話そう」
零の勧めで全員ソファに座る。
ふわりとして丁度いい座り心地だ。
「さて、どうして君がここにいるんだい?チェサピークの事件で手が空いていないと思ったのに」
「その事件ならカタがついたよ。僕の所属するチームが犯人を追い詰めた。しかし、犯人は自殺してしまったよ。手にしていた拳銃で頭を吹き飛ばしてしまってね」
「チェサピークの事件って、何なの?りこりん武偵だから気になるな〜。ヘイヘイの武勇伝なんかも聞きたい!」
「チェサピークの事件って言うのはね。レクターの住んでいるチェサピークで、犯罪者ばかりを狙った連続殺人が発生したんだ。被害者からは内臓が幾つか無くなって......」
「あー、ゼロ。それについては後にしよう。今は君とりこりんの事について話そう」
レクターが零の話を止めに入る。うん、それがいい。最後あたりは気分が悪くなりそうだ。
「まったく君は実に......まあ、いいか。私とりこりんがここに来たのは......」
零は事の経緯をレクターに語った。
レクターはソファにじっと座ったまま聞いている。
「なるほど。ゼロとりこりんは誘拐犯を追って、わざわざ日本からね。大変だったろう。特にりこりん。ゼロには空港でかなり手を焼いたね」
「どうして分かるの?」
「だって彼女、海外とか初めてです感が丸出しだもの。この国の空港でワイワイ騒いだりしただろう?」
まったくその通りだ。零には空港で思い切り手を焼かされたよ。
「いいじゃないか別に......君だって日本に来れば私のようになるさ」
「僕は日本に行ったことがあるから大丈夫さ」
「さーて、どうだか」
「あっと、すっかり話し込んでしまった。君たち、昼食を食べてないだろう?僕が作ろう」
レクターが料理をするのか?
零がスカイプで『ハンニバル』ーーレクターは料理が趣味だと言っていたな。スカイプに料理の写真を載せていたし、見るからに美味しそうだった。
「本当⁉︎やったー‼︎りこりん楽しみだなー」
「ははは、そんなに僕の料理を楽しみにしてくれるとは......作る方も楽しくなるよ」
そう言ってレクターは奥にあるキッチンに向かった。
どんな料理を作るんだろう?
待つこと数十分ーー
レクターが居間のテーブルに料理を運んできた。
「うわー、美味しそ。何て料理なの?」
「子羊の舌包み焼きだよ。小うるさい山羊だったよ」
小うるさい山羊?レクターなりのジョークかな。
「さあ、食べよう」
レクターの言葉であたしと零はフォークを手に取る。
うーん、良い香りだね。
「あ!あれは何だ!」
突然、零が大声を上げレクターの後ろを指差す。それにつられてレクターが後ろ向いた瞬間、零は料理を皿だけ残して、窓から捨ててしまった。ちょっと⁉︎なんて事をするのさ!
「どうしたんだいゼロ。何もないじゃないか」.
「ごめん。チェサピークの『切り裂き魔』がいたような気がしてね。私の勘違いだったよ」
「ここには居ないさ。おや?もう食べてしまったのかい」
「ああ、舌もトロけそうな見事な料理だったよ。ねぇ!りこりん!」
.
「う、うん!メッチャ美味しかったよ」
零の迫力に押され、あたしは食べてもいない料理の感想を言わされた。一体、どうしたんだよ?もしかして、すごく不味いとか。
「それはよかった」
レクターはフォークで羊の舌を刺し、口に運ぶ。
その動作は見とれてしまうほど優雅だった。