「提督…助けて、ください」
そう、いきなり執務室の扉をノックもせずに空けてきたのは、川内型軽巡洋艦の二番艦、『神通』である。
彼女は、何かに深刻に思い詰めた様な苦しい表情で、言葉通りに一心不乱に助けを求めている。
顔にはぬぐってすらいないだろう涙の跡が幾筋か流れており、薄く彩られた化粧を崩してしまった神通はいつもの凛々しい表情ではない。
足も手先も、良く見たら恐怖に怯えているように震えていた。
そう、今の神通は少しでも傷付けてしまえばそのまま手折れてしまいそうな…儚く、年相応に過ぎない女の子の顔だった。
「…何が、あった…?」
提督は…後に思い返せば自分の間抜けさに頭を抱えそうな頭の悪い言葉で、神通の惨状に対してそう告げることしか出来ない。
誰かを呼ぶでもなく、神通を抱き止めるでもなく、提督はただただ見たこと無い姿の神通に向かいそう言うしかなかったので有るが…
当の彼女はと言うと、えぐえぐと涙声になりながらも提督にこう返したと言うので有る。
「私…死んじゃうかも知れません…!!明石さんや夕張さんもお手上げの病気に懸かったらしくて…でも、提督なら治せると伺って!!」
そう言って、言葉を詰まらせる神通に対して、対する提督は絶句する。
自分は医者ではなく軍人だ、風邪と擦り傷打ち身の治し方ぐらいしかわからぬ。
なのに、あの夕張や明石が匙を投げる症状の病気を、どうしろと言うのだ。
しかも『提督なら治せる』…つまり、藥か何かを以て特効する方法があると明石達二人は確信していると言うことだ。
しかし、提督の手持ちの薬など、いいとこ睡眠薬や栄養剤、或いは腹痛や風邪に効く漢方薬ぐらいしか無いのに、それでどうしろと言うのだ。
そんな困惑する提督は…とりあえず、彼女を落ち着かせるために話を聞くことにする。
要約すると、こう言うことだった。
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彼女が、自分の身体の『異変』に気が付いたことは、本当につい最近のことだったと言う。
提督が、自分の部下の陽炎型の不知火を誉めていた姿を目撃したことが、きっかけだった。
そう、不知火は、深海棲艦の大物を下しMVPとなったのだ。
提督が彼女を誉めるのは当たり前であり、神通自身も教え子の成長を素直に喜ぶ…ハズだった。
不思議なことに、提督が不知火を誉めていた姿を見て、神通の心に負の感情が渦巻いて居たと言う。
『悲しさが多分に有る怒り』が、一番近いかも知れない。
不知火の成長は喜ぶべきことであり、実際嬉しさは自覚しているが…それ以上に、汚い感情が、提督が不知火を誉める言葉を吐く度に神通の心を支配して居た。
…そんな、チグハグな感情を自覚して以降、神通の心は滅茶苦茶で矛盾する様なことばかりだ。
提督が、自分以外の艦娘…それこそ、川内や那珂と言う姉妹でさえ、誉めるように言葉を交わしたりする度に胸の中に同じ様な汚い感情が芽生えてしまう。
そのくせ、提督が自分のことを誉めていたならば…胸がドキドキし、頭も身体も熱くなり、自分が自分で無くなるように混乱してしまう。
夢にも提督が出てきたことは一度や二度でもなく、朝に目覚めて現実に提督が側にいないことを自覚するなり、その度に無性に悲しくなってしまう。
触れるだけで、否、提督の側に近付いてしまっただけで身体も動かないぐらいにドキドキし火照り熱くなると言うのにだ。
そんな今の自分は、間違いなく正常ではない。
きっと、心に欠陥あったのが表面化しだしたか、或いは気付かぬ内に精神の病に係ったのかも知れない、神通はそう考えて姉妹に最初に相談した。
姉の川内に相談したら顔を抑えて神通の視線から背け、無言で俯くばかりだ。
一方の那珂は、なんとも言えない表情でこう返したと言う。それは不治の病に懸かった、と。
そんな那珂の言葉にショックを受けた神通は、慌てて明石達に相談し…自分じゃ治せないが提督ならなんとかできるから彼の所に行けと言われた、と言うことだったのであった…
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「…と言う訳です。で、あの…提督さん?なんでひっくり返ってるの…?」
…と、事情説明を受けた当の提督は、神通の言に倒れかけていた。
あまりの神通の世間ずれのしてなさと言うか、おぼこさについて、だ。
「…那珂が神通に対して言い回しが迂遠に過ぎるのがそもそもの問題だったな、とりあえずアイツは減俸」
そんな悪態をアイドルかぶれな目の前の神通の妹へと提督はつきながらではあるものの。
とりあえず、神通に対してどうしろと言うのか、どう説明したら良いのかと言うことに頭を抱えるしかなかったと言う。
そう、そうなのだ。
要するに、神通は提督に初恋をしてしまい…中学生はおろか小学校低学年レベルの嫉妬や恋心に振り回されてしまい、戸惑っているだけである。
好きな人に目を合わせたらドキドキして混乱してしまう。
自分が一番に見て欲しい。
だから、誰にも渡したくない。
単純に、それだけの話だった。
とは言え、そんな感情に疎い…と言うよりも、より正確に言えば縁すらなかったものだと思い込んでいた神通からしたら、その感情の正体がわからない。
だから、不安でたまらなかったのであったが…よりによって、その不安定な精神状態のタイミングに妹に何気なしに『不治の病』とまで云われて、暴走してしまったことがことの全てだったので有る。
尚、川内は色々神通の恋愛面のピュアさに頭を抱えるしかなかっただけであったというのが件のリアクションの原因だったのだが、とうの神通からしたら、深刻な病に無言になって顔を背けていたと勘違いしたことも拍車をかけていた。
…そんな恋愛初心者はおろか若葉マークすらあげられないレベルの神通に対して、よりによって、想われて慕われている側が全部一から説明しろと言う、冷静に考えなくても罰ゲームでしかない提督は本気でげんなりするしかなかったので有るが。
しかし、どう神通に説明したら良いのかと言うことを頭の中に纏めていく内に…提督自身の中でもまた、別な変化が起きていたと言う。
可憐な一輪挿しのひなげしのような、美しく可愛らしいその姿。
戦場で立つ、勇猛で冷徹なその強さ。
誰かを想い普段は一歩引いてしまうぐらいの、その真面目な優しさ。
何れも、神通への好意的な感情が提督の中に溢れていくことに、だ。
そして、気が付いた。きっと、神通の想いは、受け入れてやるべきことなのだ、と。
否、神通が抱えている感情以上のそれを以て、かえしてやるべきことなのだ、と。
そう思い立った提督は…おろおろしている神通に対して、いきなりがばりと正面から両腕で抱き止める。
「ふ…え……?て…提督…!?話を聞いてましたか!?えと、あの、触られたら、私…!」
当の神通は、急にぎゅっと抱き締められてテンパった表情のまま言葉を告げるが、当の提督はそんな混乱してしまう神通を無視するかのように、こう言葉を付け加えた。
今、俺に抱き締められて、嫌か?と。
そう聞かれた神通は、テンパったままにこう返した。
「あ…う……嫌じゃないです…暖かい気持ちだけど、頭がそれ以上に混乱して、火照って…でも、自分が自分を抑えられない気持ちになって、不安で……」
そう言って、最後の方になってはまた不安で声が小さくなる神通に対して、提督は優しい優しい口調のまま、こう言葉を交わしたので有る。
「…その、お前を狂わしているその気持ちの正体は、俺は知っている。そして、俺も神通に対して負けないぐらいにそれを持っている。だから、聞いてくれ…」
そう告げる提督は、より強く神通を抱き締めて、その想いを伝えたので有る。
「…お前が好きだ、恋人か、それ以上になりたいぐらいにお前を愛している!」
ただ一言、そう告げることで。
そう言われて、神通は…初めて、己の中に有る感情を自覚する。
そして、本気でテンパった神通は…もう、意中の人と両想いのままに自覚してないままに抱き締められている現状や、自分のトンチキかつ子供じみた言動や行動を自覚した恥でいっぱいいっぱいになり…
「ふ…ふつつかものですが…じゃなくて、今の私を見ないでぇぇぇぇぇ!!!!?」
「ゴェェェエ!??」
正拳突きで提督の鳩尾にワン・インチ・パンチを叩き込んで突き飛ばすなり、真っ赤っ赤な顔で、もう涙声になりながら執務室から逃げ出したと言うことだった。
…尚、不意打ちでブルース・リーもかくやと言うパンチが綺麗に鳩尾に入った提督は、悶え苦しみながらビクンビクンしていたと言うことだった。
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~そして、後日談~
「…と言う訳で、私と提督さんは両想いでした!!」
自室に帰るなり、なんか自慢げかつスッキリしている表情でことの顛末を姉妹に伝えた神通。
対する川内と那珂はと言うと、神通の漸く自覚した感情が両想いと言う最上の形で結ばれたなり…ほっとしたような、それでいて、今まで下手したら駆逐艦未満の知識と情緒だったことにあきれていたような表情で返す二人だったので有るが。
そんな神通は、更にこう続けるのであった。
「でも、どうしましょう…提督に抱かれて、私、産休とか取らないといけないかしら…?」
…そして、この爆弾発言に鼻水噴出して吹き出す姉と妹。
お前どういうこっちゃ、と詰め寄る二人に対して、神通は事も無げにこう返したのであった。
「え…と、私だって赤ちゃんの作り方ぐらいは知ってますよ、陽炎と黒潮が話してるのを聞きましたもの!『男の人に女の人が抱かれたら』出来るんですよね?」
…そう、神通は耳年魔の陽炎と黒潮のある日の何気無い言葉を聞いた際に、額面通りに受け取ってしまっていた。
性知識はおろか恋愛そのものの知識が欠けていた神通からしたら、文字通り『男女がハグしたら、女の子が妊娠してしまう』と勘違いしたのであった。
陽炎がまさか黒潮に嘘を吐くとは思えない。
そして、神通は本当に初めて提督にぎゅっとハグして貰えた。
つまり、自分は提督の子を妊娠してしまった…と。
建造された後しばらくして、生活用品の他に生理用品を支給して貰った際に、明石にこれは何かと聞いた際に、『妊娠できるようになった女の子が毎月使うもの』と言う説明も受けている。
そう言った半端な知識も神通を爆弾発言させることに拍車をかけていたのであった。
…とは言え、当の神通が、まさか自分の知識が間違っているとは全く気が付いていない。
そして、この爆弾発言のせいで、川内と那珂の頭の中から『神通のこの手の知識がポンコツ』と言うことがすっかり頭から抜けていたもので…
「「憲兵ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!あのクソ提督をぶっ殺せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」」
川内と那珂の絶叫と共に放たれた緊急通報でまた一悶着有り、提督が無実の罪で営倉に叩き込まれかけたり、香取や鹿島を巻き込んだ神通のそう言った一般教養レベルの恋愛指南にわちゃくちゃしたりすることになるとは、当の神通にはわからないことだった。