「でも楽しかったから苦ではなかったわ」
紫さんはそう言って話を続ける
「そうこうしているうちに私はお腹の中に子供を孕んだのよ。……それが貴方、威(あきら)よ。」
紫さんはそういって微笑む。その笑みはまるで水晶の様に、一切の迷いのない綺麗で純粋なものだった。紫さんは遠い目になり虚空を見つめる。その様子は思い出したくないことを無理に思い出そうとしているようにも見えた。
「貴方を孕んでからあの人はますます人生に火がついたわ。その姿はまるで猪、今までのが嘘みたいに人生を走り抜けようとした。…………けど貴方を生むことには問題があったの。それは誰の子供ということにするかということ。
誰の子供ということにするか? 俺は疑問に思う。紫さんの子供なのになぜそれを隠そうと、誤魔化そうとするのか。俺は眉を顰(ひそ)め、訝(いぶか)しんでいると、紫さんが俺の考えを読み取ったのか疑問に答えてくれた。
「私の戸籍は下界、つまり貴方に取っての現世には存在しないのよ。従って貴方の母を私ということにすることが出来ない。向こうでどうやって記録に存在しない私の戸籍を作のか、私には分からなかったわ。難民ということにすることも出来たかも知れないけど、難しいんじゃないかしら。」
紫さんは首を傾げ頷く。
「なるほど。ということは私は誰から生まれたということになっているですか。」
「あなたは道路の片隅に捨てられていたということにしたわ。つまり孤児ね。養子だったらなんとか誤魔化せて、貴方に名前と戸籍を付けることが可能だったの。」
紫さんは真面目に答える。そうかだから父はあそこまで母のことを、死んだとばかり言って誤魔化していたのか。なぜあそこまで死因とか生前の姿とかをあやふやにされ続けていたのか、やっと理解できた。
「見たことも聞いたことも無いと思うけど、あなたは戸籍上、孤児だったということになっているわ。つまり父母共に行方不明ということになり、父ともわたしとも血は繋がっていないの。戸籍上わね。」
「―――――――道理で保険証も見せなかった訳だ。」
俺は思わず呟いてしまう。
「あらあの人そこまで拘(こだわ)ってくれてたのかしら。 仕方ないわよね私はそのころ貴方の前には姿を出せなかった。説明しろといわれれば本当は孤児ではないのに証明できずに、あなたは勘違いを起こして道を踏み外してしまったかもしれないからね。」
―――あの人は影ながら本当に頑張ってくれてたのね。感謝しても仕切れないわ。
そういって紫さんは虚像を見つめ、面目なさそうにした。
だが俺の中ではまた新たに重要な疑問が、渦巻いてしまっっていた。
「…………どうして紫さんは私に会えなかったのですか、会わなかったのですか。」
俺は気付けばその疑問をぶつけていた。
紫さんは少しの間、困ったように思惟(しい)する。
「それが私が答える事の中で、一番難しいことだと思うわ。覚悟していた事、何だけれどいざ答えるとなると怒られそうで気が引けるわね。」
紫さんは顎を引き視線を落として不安がる。
「……怒る必要がある時は怒るのでお願いします」
俺は紫さんの膝の上で頭を下げた。といってもただでさえ頭を膝の上に乗せているので、頷き程度にしか出来ないのだが。
「相変わらず容赦ないわねぇ。全く、誰に似たのかしら.」
紫さんは俺を見ながら笑った
「分かったわ。教えてあげるわ。」
紫さんは顔を引き締め
『貴方の為よ。』
そう言った。
「貴方に自分の母親が化物なんだって思って欲しくなかった。・・・・・・貴方には自分の血に化物の血が混じっていることを、知って欲しくなかったの。あなたが衝撃を受けてしまうからね。」
紫さんは俺から視線を外す。
「貴方の頭が記憶力に乏しい幼い頃は、私も一緒に暮らしていたわ。あの頃だったらあなたは私のことを鮮明に思い出すことが出来ないはずだからね。……あなたが成長して五歳くらいになったころ、わたしは貴方から離れたわ。」
紫さんは申し訳無さそうに俺を見る.
「手を引いたと言っても貴方にこちらの存在がばれないようにしただけ何だけれどね。貴方にばれないように監視していたし、裕輔にも定期的に会っていたから。…………でもこんなのは言い訳よ。わたしは本当のことを告白した時にあなたに敬遠され嫌悪され挙句、私から離れていってしまうのでは無いか、それだけが不安で居た堪れなかった。」
紫さんはまるで嘆くかのように、言葉を坦々と紡いだ。
「しかも私は幻想郷を守らなければならない。その頃は幻想郷では大きな異変が起こっていて、私はその異変を放っておくわけにはいかない状態だった。」
私は仕事の為、自分の為に貴方を諦めたの。どう? 私のことが憎くなった? 嫌いになった?
紫さんは悲痛に顔を歪めた。まるで私を怒って、憎んでと言わんばかりの様子だった。俺は紫さんの膝の上から離れ、紫さんの正面に胡坐(あぐら)をかいて向き直る。そして告げた。
「憎むことなんてとても出来ることではありませんよ……。本当に正しい判断だったかどうかは確かめようが無いですが、少なくとも私は正しい判断だったと思います。」
俺は紫さんに微笑む。子供の頃の俺にそんな事実が告白されようものならば、悲憤慷慨していたかもしれない。正しい判断だと思う。例えそれに私利私欲が絡んでいたとしても。
「それに紫さんの血を受け継げているのであれば、何か凄い能力が目覚めそうじゃないですか。楽しみですよ。」
俺は笑う。紫さんも笑った。
「―――――――ありがとう、威……。」
確かに、この話をするのは酷だったかもしれない。母が居ないというだけで生活に沢山の弊害が生じる。もしかしたら俺が紫さんに恨みを抱いているかもしれない、そう思っていたのだろう。だから気が引けたのだ。だけど俺はずっと母が死んだ物だと思っていた。そう言い聞かせられていたからだ。恨むことなんて出来やしなかったし、この話を聞いた今でも恨んではいないし、恨めない。むしろ自分が母だと打ち明けてくれて感謝しているほどだった。
「こちらこそ有難うございます。事実を告白してくれて、私を生んでくれて、…………私を殺さないでいてくれて。」
俺は素直な気持ちで感謝をした。紫さんは気が抜けたのだろうか、ほっとした表情になる。
「しかし、紫さんの血を受け継いでいるのに、無能力だなんて可笑しな物ですね。」
俺は少し話の矛先を変えた。
「そうねぇ。だけど受け継げている部分があるはずよ。そうねぇ……例えば、力が極端に強いとか、怪我しても直ぐに治るとか。…………あと頭が人一倍、良いとか。」
紫さんはもう落ち着いているのだろう。いつもの様子に戻って、話を返した。
「確かに力は強かったですし、怪我も馬鹿みたいに直ぐ治っていましたね。」
――――――ただ頭は良くなかったです。
俺はあからさまに残念そうな顔をする。俺は確かに力は強かったし、怪我も直ぐに治っていたが、頭は大して良く無かった。いやはや、残念。
「そうかしら? 国立大に進めただけでも良いほうじゃないの?」
紫さんは、扇子を広げ口の前に持って行き、首を傾げた。
「一般的に見て、頭が良い人ってのは、東大とか京大とか、名古屋大とかそんな所に行く人たちのことを言うんですよ。俺の行っていた大学ってのはいたって平凡で、頭が良いとは言い難いんですよ。」
俺は頷きながら、説明する。
「んんっ!? ちょっと待ってください。なぜ紫さんは俺が国立大に進んだことを知っているんですかっ? 一緒に居たわけでもないのに。おかしくないですか?」
俺は思わず突っ込んでいた。
「それはさっきも言ったじゃない。私はあなたに会わなくなっただけであって、監視というより観察、鑑賞をたまにしていたのよ。」
あぁ、そうか。確かにそう言っていたな。つか鑑賞ってどうなんだ? おい。
「ということは時々感じていた、誰かに見られているような感覚は、紫さんだったのか……。」
俺は視線を下げ思考を巡らせる。俺が時たまに感じていた視線や、ポルターガイストの大半の犯人は紫さんだったのではないだろうか。俺は答えを求めるように紫さんを見た。
「そうねぇ、私の視線に気付けるなんて相当なことなんだけど。しかも時偶(ときたま)、物を動かしたり、声を出したりして貴方を驚かせるのは楽しかったわねぇ。貴方の驚く様子がまた可愛くて可愛くて。」
「やっぱり犯人はあんたかあああああああああああああああああっ!」
俺は思わず大声で叫び嘆いてしまう。
「わっ。突然そんな大きいな声、出さないでくれるかしら? びっくりするじゃない。」
「びっくりしたのは俺だああああああああああああああああああっ!」
ふふふふふふふふっ。
その後も紫さんと昔の話や他愛のない話を繰り返した。紫さんの笑顔と笑い声は絶えること無く続いていた。だが後半からはただ俺が弄られるばかりであったが・・・。
この後の話で分かったことは父を救うことは不可能だったと言うこと。だが父はしっかりと閻魔様の元まで辿りつくことが出来たということだった。そのほかはくだらない話ばかりで、内容はあまり覚えていない。しっかり覚えていることは幻想郷にまた大きな異変が起きいるのだが、それが何かが今だに分からない。非常に危険だと思うから気をつけろという話だけだった。
* * *
俺は博麗神社に戻ってきていた。紫さんは「話はつけてきたわよ♪ 無理だったら別に泊まらなくてもいいけど、お願いだから泊まってくれないかしら」と言う。あんなことがあったにも関わらず断るわけには行かず俺は了承した。その後、紫さんは「ごゆっくり~」と言って、スキマの中に消え去った。
さて俺は神社の賽銭箱の前に居るわけだが、どうしたものか。なんかこのまま神社の中に入ってしまうのも気が引けて仕方が無い。とりあえずここは神社に賽銭でも奉納しておくか。俺は徐(おもむろ)に財布を取り出し百円玉を取り出した。
見られている。俺の視界のギリギリのところに赤い服の誰かが立っており、こっちを監視しているようだ。どう考えてもあの巫女だ。だがこれはチャンスかもしれない。賽銭を入れれば多少なりとも距離を近づけることが出来るかもしれない。俺は百円を仕舞い千円札を取り出した。これからどんどん世話になるかもしれないのだ。この位は構わないだろう。俺は千円札を賽銭箱に入れ二礼二拍……。
「貴方なかなかに殊勝な人じゃないですか。感謝します、ありがとです。」
そう言って巫女は徐に賽銭箱の蓋を開ける。
おい待て邪魔だ退け。人が神様に挨拶をしようって時にそりゃないだろ巫女っ!
「これからは手渡しでいいですから。」
そういって巫女は俺が今入れた千円札を取り出し袂(たもと)に仕舞った。巫女は神社の中に入っていく。
「あ、生活費に関してはちゃんと払って行くから……。」
俺はその背中に声を掛けた。巫女はくるっとその場で回りこちらに向き直った。緋袴(ひはかま)が回って翻る。不本意ながら綺麗だと思ってしまった。巫女は表情を崩さず告げる。
「生活費と人件費を払ってくれるなら泊めてあげます。男性と泊まるなんて非常に不本意で危険ですが致し方ないでしょう。」
人助けが巫女の仕事ですから。
そういってまた向うに向き直り歩き始めた。
「あ、ありがとう。」
俺は感謝の言葉を巫女の背中に掛けた。正直言ってこれは紫さんの為だ。あの巫女と一緒に暮らすなど大変そうで遠慮したいものだが、紫さんの為に我慢することにする。
「神社の案内をしますら付いて来てください。」
その背中から声が届いて来た。巫女は振り向かずに俺に話しかけていた。
「分かった。」
おれは了承し巫女に付いていった。
神社の境内はとても広いものだった。俺は土地に関してあまり詳しくはないが大体、田んぼが4つ程度の広さつまり2,400坪程度は、あるように見えた。境内には家屋付きの本殿、社務所、蔵などが隣接していたが、広大な土地であるのに関わらそこは整然と清掃されていた。
―最近は、異変が全然起きなくて、暇なんですよ。だから掃除ばかりしていたんですけどね―
巫女はそういっていた。だがこれだけの土地を清掃するのは相当な労力が必要だと思う。ここの巫女は案外、掃除好きなのかもしれない。巫女は軽い案内を終えた今、家の台所に晩飯を作りに行ってくれている。俺はその間に付近の探索を行うことにした。俺は神社の周りを巡り始める。神社の周囲は森で囲まれている。いわゆる鎮守の森かもしれない。また神社後方で遠方のより高い山の頂上に、別の神社が建っていた。この神社と何か関係があるのかもしれない、後で巫女に聞いてみよう。
この博麗神社は山の頂上に建てられており、本殿正面には石を詰め合わせて作られた参道が造られていた。その端には美しい緋色の鳥居が建っており、その鳥居を抜けると山の下に下る為の石段で作られた参道があった。
「この石段を上ってくるのは相当キツイぞ……。」
石段は、ぱっと見ただけでも200段以上は確実にあった。この段を上がってくる人は然う然う(そうそう)、居ないだろう。だがここを登らなくてはここ(博麗神社)にはたどり着けない、これから先が思いやられる。
俺は先ほど説明のあった境内をもう一周軽く回り、その景色を楽しんだ。俺は気が済むと日が暮れる赤い夕日を見送り、家に入った。
家の中ではやはり巫女が台所で夕飯を作ってくれていた。
袂を※ひもでまくるやつ で結んで作業をしておりその姿はまるで母親のようだった。想像のだが……。
今はネギを切り刻んでいるようだ。ガスコンロの方には味噌汁と魚が焼かれていた。※春の魚 多分あゆ ネギは多分味噌汁の中に入れるものだろう。手伝ったほうがいいか、俺は巫女に近付く。
「手伝おうか?」
俺は近付きながら巫女の背中に話しかける。すると巫女は顔だけ振り返った。眉を顰めながら。
「…………はい? 何を言っているんですか?」
※巫女はまるで頭大丈夫ですかと言わんばかりの表情で喋った。
「現世、そっちにとっての外界では俺は一人暮しをしていたんだ。だから一通りの料理だったら作れるんだが、何か手伝わせてくれないか?」
巫女はさらに眉を顰めた。その表情で一時、思惟する。そして口を開いた。
「…………男は台所に立っていい物なんですか?」
なるほど、そういうことか。ここは昔の日本から隔離したんだったな。じゃあ文化も遅れているのだろう。確か昔の日本は普通、飯は女性しか作ってはいけなかったはずだ。料理人以外だろうが。だから巫女は意味不明そうな顔をしているのか。なるほど合点した。
「外界の日本では男も一緒になって料理するべきだという思想が取り入れられたんだよ。俗に男女平等と言われることなんだが。だから俺は台所に立っても大丈夫だし料理もちゃんと作れるぞ。安心して作業を託してくれ。」
巫女は表情を戻す。
「なるほど、そうなんですか。…………じゃあ、向うの味噌汁と魚を作っててもらっていいですか?」
「了解だ。」
俺は巫女の後を通りコンロの元まで向かって作業を行った。
* * *
「「頂きます。」」
そういって俺達は自分達で作った晩飯を食べ始める。献立は魚と味噌汁、飯、刺身、他漬物もろもろだった。まあ、覚悟はしていたが質素なものだな。
「今何か失礼なこと考えていませんでしたか?」
くっ、鋭い!
「そ、そんなことはないぞ……。お、この魚美味しいなぁ。」
そういって俺は刺身を口に運ぶ。正直こんな美味しい魚は滅多に食べたことがない。やっぱり天然物は美味しいんだな。
「まともな焼肴と味噌汁がつくれていますね。男なのにすごいものです。」
巫女は多分正直な感想を言ってくれているのだろう。
「ありがとう。でもその若さで一人暮ししてるそっちの方が凄いと思うけどな。」
俺は白飯を口に運びながらそう話す。
「大したこと無いですよ。普通の事です。」
巫女はそういって味噌汁を口に運ぶ。
「普通……?」
「そうですよ。だって大人なんですから。」
「へぇー……。」
あぁ、そうか。昔は十五歳くらいから大人だったな。しかしどう考えてもこの手際の良さは十五歳以前から一人暮しをしていないと無理だろう。やはりこちらの世界では現世の日本での常識はあまり通じないようだ。
「ところで峯野さん。」
「えっ。」
初めて姓で呼ばれたきがする。
「そろそろ互いに名前で呼びませんか? あんまり他人行儀なのは好きじゃないんです。」
確かにその通りだな。この仲で他人行儀なのはおかしい。じゃあ・・・。
「博麗?」
「どうして疑問形なんですか。そして私は苗字で呼ばれるのが好きでは無いので名前で呼んでもらっていいですか?」
名前? 名前かぁ。
「わき……。」
「は?」
違う違う。つい言ってしまった。確か名前は……?
「霊子……?」
「……。」
あ、違った? 霊夢はもう表情を変えず無言だった。しまった、最初から聞き直すべきだった。
「すまない、もう一度教えてくれないか?」
俺は諦めて聞くことにした。巫女の機嫌は今ので最低になってしまっただろう。こんなことなら最初から聞いておけばよかった……。
「私の名前は霊夢です。博麗 霊夢(はくれい れいむ)。」
巫女もとい霊夢は、食べるのを止めそう釘を刺すように話した。俺は先ほど人生に関わるとんでもない告白をされたので、動揺して忘れてしまっていた。内心、少し怒っていることだろう。悪いことをした・・・。
「じゃあ、その……霊夢。」
俺は遠慮がちにそう言った。
「はい。」
「これから、よろしく頼む。」
「こちらこそ。」
そう言って霊夢は軽く微笑む。これならこれから先やっていけるかもしれない。そう思った。
* * *