その日はなんとなしに目が冴えていた。
眠らなければ明日が辛くなるとわかっていても、訪れるはずの眠気が一向に訪れない。
何か興奮するような出来事でもあっただろうか、と思いながらおもむろに月明かりの差し込む窓を見る。
ここは広大な空の上。騎空挺グランサイファーから見える月は故郷ザンクティンゼルで眺めるそれよりもずっと大きく、まん丸に輝いている。
「むにゃ……カタリナ……」
「ぐぅ……リンゴ……もう食えねえ……」
隣に眠る命を共有する少女ルリアの髪をそっと撫でて、ザンクティンゼル時代からの相棒であるビィの食い意地の張った寝言に微笑む。
――少し月明かりを見ながら風に当たろう。
雲一つない良い夜だ。穏やかな空を流れる緩やかな風と優しい銀月の灯りは眠気を呼び起こしてくれるだろう。
少年は微笑み、これから過ごせるであろう良い時間への期待を胸に、静かに部屋を出ていくのであった。
甲板に上がると、そこには人の気配は誰もなかった。
すでに草木も眠る丑三つ時。夜な夜な宴会をやり出したり、そうでなくても晩酌を傾ける大人組の連中も今は眠っている。
グランサイファーの頼れる操舵士も今は休憩中。星晶獣の加護を受けているこの船は少しの時間であり、なおかつ単純な航路ぐらいなら自動での航行も可能にしてくれる。
彼にはいつも負担をかけている。本人に言えば子供がそんなことを気にするなと笑い飛ばすだろうが、騎空団の団長が団員を気にかけるのは当然のことである。
今度、労いもかねて彼に良い煙草でもプレゼントしよう。彼の面倒を見ていたという老兵に聞けば好みもわかるはずだ。
などと考えながら甲板の方に出ると、意外なことに先客がいた。
栗色の髪をゆったりと風になびかせて、しかしバラバラに乱れたりしないよう片手で押さえながら、その人物――リーシャは何をするでもなく月を眺めていた。
憂いを秘めたその横顔にどこか艶めいたものを覚え、少年は意図せず心臓の鼓動が跳ねるのを自覚する。
その音が聞こえたはずもないだろうに、リーシャは気配でも感じたのかこちらを振り返った。
「あら、団長さん? どうかしましたか、こんな夜更けに」
リーシャこそどうしたのか、と少年は聞き返す。
するとリーシャは小さく頬を膨らませ、むっとした顔になって少年の前で指を立てた。
「質問で質問を返すのはいけませんよ。私は少し寝付けなくて、夜風に当たりに来たんです」
だったら自分も同じである。冒険に出るようになってからはほとんどなかったが、時々あるのだ。意味もなく寝付けない時が。
「団長さんもですか? 私は……床に入ると、色々と考えてしまうことがあって」
そう言うとリーシャは手すりにもたれかかり、しんみりとした表情で再び月を見上げる。
少年もそれに付き合うように隣に立ち、リーシャと同じ景色を共有する。
お互いに無言の時間がしばらくの間続き、やがてその沈黙をリーシャが断ち切った。
「……考えてしまうことというのは、私の生まれです」
生まれ? とオウム返しに少年が聞くと、リーシャは年下の少年に微笑んで話を続ける。
「団長さんもご存知ですが、私は碧の騎士ヴァルフリートの娘です。それは私にとって誇りでもありましたし、同時に私を縛る鎖でもありました」
縛る鎖、という穏やかでない言葉に少年は驚くが、リーシャは憂いを帯びた顔のまま舌を動かす。
「父さんの娘というだけでかかる期待に重圧。もちろん、応えようと必死に努力はしてきました」
うなずく。リーシャという少女がどれほどの努力と鍛錬を積み上げたのか、少年は全てとは言わずとも知っていた。
話を聞いて、彼女の抱える悩みを理解しようとする少年に、リーシャはどこか救われたような様子で話し続ける。
「これでも同年代の人より優秀であると自負しているんです。それだけの努力を日夜積んできました。全てはあの人達の期待に応えるために」
でも、と言ってリーシャはとうとう顔をうつむかせてしまう。
栗色の長い髪に隠され、月明かりだけでは伺えない彼女の顔は、きっと泣きそうなのを必死に堪えているのだと少年には感じられた。
「かけられる言葉はさすがあの人の娘、とかそういったものばかりでした。そして決まってこの言葉が続くんです」
――偉大な父親に負けないよう、もっと頑張らないとね!
誰も悪意など持ってはいない。ただ心からリーシャという少女を想って投げられた言葉だろう。
だが、その結果を出すために努力した少女にかける言葉として見るのなら、いささか残酷な言葉だ。
「誰も彼も、私のことなど見てはいなかった。私の後ろにある、碧の騎士ヴァルフリートだけを見ていた」
少年はかける言葉が見つからず、ただリーシャの言葉を聞き続けるしかできなかった。
だがそれでも良いのだろう。今のリーシャに必要なのは理知に富んだ言葉ではなく、ただ側にいて離れることなく話を聞いてくれる相手だ。
「私自身はそれを誇りに思っていました。……思っているつもりでした。それが自分で考えている以上に私を苛んでいたと気づいたのは、皮肉なことにアマルティア島が帝国に奪われたときです」
帝国中将ガンダルヴァ。強さのみを追い求め、リーシャの父であるヴァルフリートと因縁を持つ男だ。
彼もまたリーシャを見ておらず、その背にあるヴァルフリートの影だけを要求した。
それを聞いたリーシャが激昂した姿は今も鮮明に覚えている。
そう告げると彼女は憂いの表情から一転して、恥ずかしそうに頬を染めた。
「も、もう! あれは忘れてください!」
思い出させたのはリーシャである、と少年が半目で見るとリーシャは照れたように咳払いをして、話を元に戻す。
「ん、んっ! とにかくですね! あの時から――いえ、もっと前から私は父の名を重荷に感じていたことを実感したんです」
そこまで話すと、次にリーシャは楽しかった思い出を振り返るような表情でこれまでの思い出を振り返る。
「ですが、皆さんのおかげで少しは吹っ切ることができました。確かに私は父さんの娘で、それは絶対に変えられないことだけど――皆さんを守りたいと思ったのは紛れもない私の意思です」
これは本当です、と言って笑うリーシャの顔に無理をしたものはなく、心からそう思っていることが誰にでもわかるものだった。
それに安堵した少年も一緒に笑うと、リーシャはその無邪気な笑顔に困ったような笑顔を向ける。
「吹っ切れたんです。吹っ切れたつもりなんですけど……こういう時、たまに思い出してしまうんです」
そして話は戻り、彼女が甲板で風に当たりながら月を眺めていた理由に至る。
全てを話し終えたリーシャは場をごまかすように笑い始める。
「あ、あはは、私ったら何を言ってるんでしょうね。団長さんにそんなこと話したってあなたを困らせるだけなのに。団長さんもご迷惑でしたよね?」
そんなことはない、と首を横に振る。リーシャの悩みを聞けたのは間違いなく収穫であり、彼女の悩みを解決するのはこの騎空団の団長として、一人の人間として当然のことだ。
リーシャは少年の真っ直ぐな言葉を受け、優しく微笑む。
「ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいです。……私はそろそろ部屋に戻りますね。団長さんも、あんまり夜更かしすると身体に毒ですよ?」
立ち去ろうとするリーシャの様子に無理をしたものはない。
溜め込んでいたものを吐き出して、自分たちと一緒に旅をしている理由を再確認して、きっと彼女の心は晴れやかなのだろう。
だが、まだ彼女には足りないものがあるはずだ。さっき自分で言っていたではないか。
――リーシャ!
「はい? どうかしましたか、団長さん」
名前を呼ばれたリーシャは何事かと振り返り、少年のいた方を見て――頭を撫でられた。
思わず顔を上げると、そこには柔らかな笑みを浮かべた少年がリーシャに手を伸ばし、その横髪を撫でていた。
「ふぁ、ぇ、な……!?」
異性。しかも自分より年下ながら一つの騎空団を立派にまとめ上げている少年がそのような行動に出たことに、リーシャは顔を真っ赤にしてしまう。
そうしている間にも少年は穏やかで暖かな表情のまま、リーシャの頭をそっと撫でていく。
「だ、だ、だ、団長さん!? い、い、一体何を……!?」
そんなこと決まっている。リーシャを褒めるためだ。
「私を、褒める?」
呆然と聞き返してくるリーシャに、少年は先ほど彼女が話していたことをそのまま伝える。
言っていたではないか。――褒められてもそれは碧の騎士ヴァルフリートの娘への言葉であり、リーシャへの言葉ではないと。
彼女はそれを無意識に感じ、重荷に覚え、やがて爆発し、吹っ切った。
それは素晴らしいことだ。リーシャという少女の持つ強さや輝きを存分に見せるものに違いない。
――だが、それでは結局リーシャ自身は未だ褒められていないではないか。
「あ……」
たった今、少年に言われて初めてその事実に気づいたというように、リーシャは驚愕に目をまん丸にして少年を見上げる。
今まで誰にも褒められなかったから、自分が代わりにリーシャを褒める。これはそれだけの話であった。
「あ、ぅ、ぇと……」
無論、リーシャが嫌がるようならすぐにでも止める所存だ。そもそもこんな年下の少年に褒められても困るだけかもしれない。
「い、いえ! ぁ、その……」
少年の言葉にリーシャは弾かれたように顔を上げ、しかし少年の顔を直視することができずぁぅぁぅと言葉に詰まりながら、ポツリと漏らす。
「……嫌じゃ、ないです。もっと、撫でてください」
――仰せのとおりに。
少年は冗談めかして微笑み、顔をリンゴの如く赤くしながらも嬉しそうなリーシャの頭を撫で続けるのであった。
――よく、頑張ったね――
「……ありがとうございます。ちょっと恥ずかしかったけど、すごく嬉しかったです」
しばらく頭を撫でられ続け、やがて満足したリーシャは気恥ずかしそうにはにかみながら、少年に礼を言う。
大したことはしていないと少年は謙遜するが、リーシャも譲らない。
「いいえ、私のような人間には一番ありがたいものでした」
これぐらいで良いのならいくらでも、と少年は笑って答える。
誰かがリーシャを通して彼女以外の誰かを見ていたとしても、自分はリーシャのことを見ている。
碧の騎士の娘ではなく、リーシャ個人が頑張っていることを知っている。
また今のようなことがあったら言って欲しい。何度だって自分はリーシャの味方になる。
「さ、さっきのような姿はもう見せません! 全く……」
忘れたくはないが、とても恥ずかしいことに変わりはないのかリーシャは赤くなった顔のままそっぽを向く。
その様子が年上の女性とは思えないほど可愛らしく、つい小さく笑ってしまう少年。
するとリーシャは指を立てながら少年の顔にぐぐっと自らの顔を寄せる。
「そ、それに! 私の思ったことは君もいつか感じる可能性が高いんですよ!」
どうして? と首を傾げるとリーシャはわかってなかったのかと呆れた顔になった。
「団長さんのお父上は星の島イスタルシアに到達した人です。それこそ、私の父さんより有名な人。だから君もこの先、父親の息子としか見られない時が来るかもしれません」
というより、今でも片鱗はあるのだろう。空の旅をしていると父親を知っている者に会うこともあるが、そのほとんどが少年個人というより、あの父親の息子という称号を見ているようだった。
少年は鈍感というか、朴訥な田舎者らしい感覚で気づいていないようだが、いつか彼も偉大な父親に苛まれる時が来るはずだ。
そうだろうか、と首をかしげる少年にリーシャは微笑む。
思えばさっきまでやりたい放題されたのだ。これぐらいは意趣返しとしてちょうどいいだろう。
「いつか君も私のような思いを持つ時が来るかもしれません。誰も自分を見てくれない、なんて本当はそんなことないはずなのに、そんな感覚を持つ時が来るかもしれません」
ですが、と言ってリーシャは一度言葉を切って少年から少し離れ、とびきりの笑顔を浮かべた。
「その時は、私が君を褒めてあげます。誰でもない君が頑張っているのだと、私は認めます」
さっきみたいに頭を撫でて、ね? といたずらっぽく微笑むリーシャに少年は先ほど感じた鼓動の高鳴りを再び覚える。
この高鳴りの正体はなんだろう、と不思議に思うより先に少年の顔にも笑みが浮かぶ。
こんな風に助けて助けられて、という関係は素晴らしいものであるという感想が先に浮かんだのだ。
「さ、もう休みましょう。今日はいい夢が見られそうです」
リーシャは先ほどまでの憂いが全く感じられない、肩の力の抜けた様子で大きく伸びをして少年に手を差し伸べる。
暗い顔が嘘みたいだ、と少年は彼女の悩みの力になれたことを内心で誇り、その手を取るのであった。
空の果てへの旅は未だ道半ばで、果ては遠く。
しかし道を往く少年らに不安の影はなく、あるのは大いなる旅への期待と喜びだけ。
時に傷つくことはあるだろう。悩むこともあるだろう。足を止める時も来るかもしれない。
だが、仲間がいれば越えられる。かけがえのない仲間と共に歩めば踏破できない道は存在しない。
これはそんな少年たちの旅の一幕である――
グラブルのリーシャが好きで書きました。後悔はしてません(真顔)
いや、本当にいいキャラだと思うんですよ? 偉大な父親を持つ主人公と似た境遇で、周囲の期待に応えようと必死に努力して、でも爆発しちゃって。
おまけに好きなことが家事全般とかお嫁さん適性超高いじゃないっすか結婚してください(土下座)
とまあ、こんな風に劣情もとい熱情のほとばしるままに書いたものになります。
これより良いものを書ける! 俺のリーシャへの愛はこんなものじゃない! そう思う方がいたら是非書いてください。見に行きます(真顔)
リーシャとグランのこんな感じのお話もっと増えて(願望)
そして私にリミリーシャをください(吐血)