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夜空が明るくなるほど大輪の花が咲き、散っていった。花火大会が終わりを迎える。
「それじゃ、帰ろうか」
名残惜しいが、大勢の人々に混ざって会場を後にする。家まではしばらく歩かなければならない。
(痛い…)
あかりは慣れない下駄で歩いていたせいか、鼻緒が擦れて痛くなってきた。きっと赤くなっているだろう。しかし、ここで足を止めて迷惑をかけたくない。我慢を決めたところで、ヒカルに声をかけられた。
「…足は痛くなってないか?」
「ちょっと痛いかも」
あかりの考えていることはお見通しのようだ。
「そこのコンビニまで行って、ちょっと休憩しよう」
コンビニに着くと、ヒカルはあかりの足を見て絆創膏を買って来た。
「絆創膏を貼って、鼻緒を解してみよう。しゃがむから肩につかまって。体重かけていいからな」
言われた通りヒカルの肩に体重を預けた。自分とあまり変わらない身長なのに、背中が大きく見える。
「ヒカル、ありがとう」
「我慢させてごめんな。もっと早く気付けば良かった。結構深めに指入れて履いてた?」
「…うん」
ヒカルが謝ることなんて何もないのに。張り切って下駄を履いてきた自分が悪いのだ。
「浅く引っ掛けるぐらいで大丈夫だからな。踵が少しはみ出すけど、それで良いんだ」
右足に続き、左足の処置も丁寧にしてくれた。
「出来たぞ、もう少し頑張ろうな。大丈夫だから」
言われた通り、浅めに下駄を履いて歩く。
「さっきより痛くない」
「良かった。この後も痛くなったらすぐ言うんだぞ」
あかりに合わせ、ペースを落としてゆっくり歩いてくれる。先ほどと同じように手を引いてくれるのが、あかりには嬉しかった。
明日が来るのが怖くなった。花火の明かりが消え、人通りが減ったせいか小さくなっていた不安が再び大きくなる。
「…ねえヒカル、どうしよう。最近思うように打てなくなっちゃった」
気が付けば、あかりの口から本音が出ていた。一度話始めた口はもう止まらない。
「…プロ試験で、仲の良い友達も敵になるのが引っ掛かっちゃって。勝ったのに嬉しくなかった」
そういう世界だという事を分かっているつもりだった。プロ試験という振るいにかけられ、残るのはほんの一握りだと。
「…強くなりたいと思っているのは、皆一緒だと思う」
理由はそれぞれ違うだろうが、大きな目標の一つには入っているだろう。
「そう考えてみると、同じ目標に向かっている友達は、敵じゃなくて仲間なんじゃないか」
その言葉が、あかりの胸にストンと落ちた。
「そっか!そうだね!私、大事なこと忘れそうだった」
強くなるために、いつだって切磋琢磨して励んできた。そんな和谷たちは、あかりの中では仲間だ。スッキリしたところで、あかりの家に着いた。
「ねえヒカル、今日は本当にありがとう!楽しかった」
「オレも。また明日な」
翌朝、あかりはいつもよりスッキリ目覚めることが出来た。布団から抜け出して、カーテンと窓を開ける。深く息を吸って、朝の爽やかな風に満たされていく。
(もう大丈夫)
出かける支度をしてヒカルの家を訪ねた。
「おはよ。復活したみたいだな」
あかりの表情は晴れ晴れとしている。何か吹っ切れたようだ。
「おはよう!ヒカルのお陰よ。昨日はありがとう」
「あかりが元気になったみたいで良かった。それじゃ、始めるか」
「お願いします!」
(集中出来ているみたいだな)
今日のあかりは特に冴えている。まだ粗削りな打ち方もあるが、時々ヒカルをハッとさせるような一手を打つ。あかりの碁が見え始めて嬉しい。佐為からヒカル、ヒカルからあかりへ。この先、あかりからまた誰かに繋がるのだろうか。この先の未来を想像すると楽しい。
(ああ、だから)
自分に碁を教えてくれた人たちは皆、持っているものを惜しげなく与えてくれたのか。“こちら”に来る前、考えたことが何度かあった。もしもあの時、あかりに本気で指導していたらどこまで行けたのだろうと。それが今、叶えられている。あかりはヒカルが教えた分だけ応えてくれる。石の持ち方もルールも全く知らなかったのに、今やプロ棋士になれる実力を付けたのだ。誰かに教えるのが楽しいと思うようになった。もうしばらくだけ、見ていたい。あかりが描く“もしも”の未来を。
あかりが投了し、終局を迎える。検討の前に休憩だ。
「ヒカルが強いのは分かってるけど、悔しい!」
「十分強くなったよ。あかりの碁が見えてきた」
「本当?ヒカルにそう言ってもらえると嬉しいな」
「今日から、もう一段階上の検討をしよう」
その一言で、あかりの目が輝いた。
「あかり、ここでツケるのは99点。100点はハネ」
「どうして?ここも良いと思ったんだけどなあ…」
今までは99点でも良いとしてきたが、あかりは十分100点を狙える実力がついてきた。厳しいことを言っている自覚はあるが、もっと上にいけると信じているからこその指導だ。自分もそうして教えられた。
「ヨセに入ってからの進行が複雑になるけど、こんな感じで選択肢が広がる」
「本当だ!」
実際に打ってみせると分かったようだ。ヒカルは説明があまり得意ではないので、こうして上手く伝わると嬉しい。
「やっぱりヒカルの指先には、神様が住んでるみたい」
あかりはプロになりたいと考え始めた頃から、冗談抜きでそう思っている。
「えー?神様には…まだ程遠いかなあ」
ヒカルにとっての神様は、たった1人。声はもう思い出せない。顔も朧気になってきた。残されたのは、思い出と碁。ずっと忘れないと思っていた。今は忘れていくことに怯えている。表情、交わした言葉、仕草。その全てを覚えておきたいのに、もう忘れてしまったことのほうが多いのだろう。
(オレの中の佐為が、消えていくみたいで寂しいけど)
楽しかったことより、色濃く残る後悔がある。その後悔も、忘れていく記憶と一緒にこれから先も抱えていく。佐為のいない温度に慣れることはないけれど、もっと前に進みたい。
「いつか、神様を超えられたらいいな。オレもあかりに負けないように頑張るよ」
「うん!」
再会した日に、あれから強くなったと胸を張れるように。お互い本気の勝負が出来るように。何度も並べた、佐為の遺した最後の棋譜。ヒカルはあの日の続きを、ずっとずっと待っている。
それからあかりは全勝した。今日は、プロ試験の最終日。今日はヒカルが送り出してくれたので、無敵の気分だ。
「藤崎さん、ボクは君と対局する日をずっと待っていた」
「うん、私も楽しみにしてたよ」
いよいよあかりとの対局を迎える。あの日から、お互いどれだけ強くなったのだろう。途中で迷いのあったあかりの目は、もう真っ直ぐ前を見つめている。これからどんな棋譜が出来るだろう。緊張と期待で、心臓がいつもより速く脈を打つ。強いプロ棋士と打つのとは、また違う緊張感が心地良い。
「それでは始めてください」
アキラは碁盤を通して問いかける。
(あれから、誰とどんな碁を打ってきた?)
序盤はじっくり腰を据え、地を稼いでいくらしい。無駄のない綺麗な打ち筋だ。綺麗な石の並びが出来始めるが、それを乱すようにあかりを試す一手を打った。ヒカルのこともsaiのことも気になるが、あかりの実力だって知りたいのだ。ずっと2人を追いかけてきたのだから。
(塔矢君、さすがだわ)
攻守のバランスがきちんと取られており、一切の妥協を許さない。確かにプロ入り確実と言われるだけの実力がある。あの日からずっと、あかりと同じように碁と向き合い続けてきたのだろう。ただひたすら高みを目指して。アキラが試すような一手を打ってきた。
(私だって負けないんだから!)
(一見、悪手に見える)
しかし、今は悪手に見えても後に最強の一手になる可能性がある。何通りもの展開を予想するが。
(しまった!)
決して油断していなかった。しかし予想外の展開に翻弄され容赦なく攻め立てられる。まるでsaiのように。
(やはり進藤はsaiなのだろうか)
小さく首を振る。今は目の前の勝負に集中しなければ。アキラもこの日のために積み重ねてきたのだ。あかりに、ヒカルに追いつくために。
(まだまだ!)
難しいが、活路はある。アキラは石を握りなおした。