「お父さん、ボクは今年プロになります」
中学校の入学式の前日の夜、アキラは行洋に宣言した。
「…例のあの子たちのことはもういいのかね」
「彼らと再戦したい気持ちは山ほどあります。しかしただ待つだけではなく、プロになって力をつけて待とうと思います」
アキラは冷静になった後で、ヒカルと打ったものが指導碁だと気づいた。今の自分では確実に歯が立たない。
「彼となら、神の一手を見つけられる、そんな気がするんです」
「アキラがそこまでいう実力者なら、遅かれ早かれ我々プロの前に出てくるだろう。それまでに、精進しなさい」
「はい、お父さん」
アキラはそれだけ言うと部屋を出て行った。すでにプロと同等の実力を持つ息子に初めて挫折を経験させた少年。互先でいい勝負をした少女。その上、少年の始めた検討は高段者にも引けをとらなかったという。進藤ヒカルと藤崎あかり。叶うなら是非手合わせ願いたい。
「できればライバル、さらに高いところまで望むと友達になって欲しいものだ」
アキラには今まで、友達らしい友達がいなかった。そうさせてしまったのは、親である自分かもしれないと思ったこともあった。
棋士としての願いと、父としての願い。それらは静かな夜に溶けていった。
少し時間を遡り、三月のはじめ。ヒカルは三谷が“以前”いた碁会所に来ていた。三谷の賭け碁をやめさせるためである。こちらも正確な日付は覚えていない。碁会所の扉を開ける。
「ああ、君か」
「マスター、ここにオレと同級生ぐらいの三谷って子来てない?」
「三谷?知らないなあ」
このころはまだ三谷はここに来ていないようだった。
あらかじめ用意していた、名前と連絡先を書いたメモを渡した。
「その子が来たらここに連絡ちょうだい!その…相手はオレのこと知らないから、内緒で」
変なことを言っているのは重々承知しているが、こればっかりは仕方ない。
「分かったよ」
幸いなことに、マスターは約束してくれた。
それから連絡がきたのは三月下旬の春休みに入ったころ。連絡を受けたヒカルは、すぐに家を出た。
「こんにちは」
「いらっしゃい。あの子だよ」
マスターの視線の先には、三谷がいた。今は打っている最中のようだ。“前”の三谷に悪いことをしたと、ヒカルの中にずっと引っかかっていた。“今”の三谷とはうまくやりたい。
「マスター、これ席料ね」
「はいよ」
席料を払い、三谷のもとへ行く。
(よかった、まだ賭け碁はやってなさそうだ)
ヒカルはほっと胸を撫でおろした。
「ありません」
「ありがとうございました」
「いやー、三谷くん、強いねえ」
相手の男性が投了し、結果は三谷の中押し勝ち。すかさずヒカルが割って入る。
「次、オレと打たないか?」
「いいけど、誰?」
自分と同じ年ぐらいの子どもが来るのが珍しいのだろう。不思議そうな顔でヒカルを見る。
空気を読んだ男性が三谷の前の席を立った。
「オレは進藤ヒカル。小学6年生」
「三谷祐輝。6年」
自己紹介をし、三谷の前の席に座る。
「あのさ、賭け碁しないか?」
「はあ?」
小学生がいきなりの賭け碁。当然の反応である。しかしヒカルにはある考えがあった。