「負けたほうは、勝ったほうの言うことをなんでも聞く。ただし、お金を要求するのはダメ。いいだろ?」
「なんだそれ、別にいいけどさ」
「コミは5目半。オレとお前、同級生だし互先でいいよね?ニギるよ」
ヒカルがニギり、先番は三谷になった。
「それじゃあ、お願いします」
「お願いします」
(ああ、この感じ懐かしいな)
三谷の打ち筋は我流の強さだ。棋力も高いし、筋も悪くない。打っていて楽しい。これだけの力がありながら、何故ズルをするようになってしまったのだろう。
(意外と静かに打つんだな)
第一印象は見た目はやんちゃで、とても囲碁を打ちそうにない。外でサッカーやドッヂボールをやっているのが似合う。しかしそんなことはすぐに考えていられなくなった。
(なんだコイツ、強い!)
こっちは食らいつくので精一杯。一方のヒカルは盤面を見つめ、穏やかな笑みを浮かべている。びっくりするぐらいの優しい目。弱い者いじめではない。きっとこれは指導碁だ。
(棋力が底上げされていく感じがする)
今の自分の力を最大限に引っ張り出されていく感覚。
「…ありません」
「ありがとうございました」
三谷は茫然として盤面を眺めていた。同級生にここまで高い壁を感じることがあっただろうか。
「んじゃ、オレが勝ったし、言うこと聞いてもらおうかな」
ヒカルは何を言い出すつもりだろうか。
「これからお前は、ズルをしないで囲碁を楽しむこと」
三谷の全身を脱力感が襲う。
「ハハハ。なんだそれ。当たり前じゃん」
「あ、三谷やっと笑ったな。そうだな、当たり前だよな」
三谷がズルをしないのは“当たり前”だと言った。ヒカルはここにきてよかったと心から思った。これで、三谷がズルをしたという“過去”はなくなるだろう。
「あのさ、お前院生かプロだろ?」
圧倒的な強さ。丁寧な指導碁。三谷がそう思うのも無理なかった。
「いいや、オレはアマだよ」
「…お前の本当の棋力は?」
「秘密」
ヒカルはへへっと悪戯っぽく笑った。
「それよりさ、おまえこの辺の碁会所に来てるってことは葉瀬中だろ?よかったらたまに打たないか?」
ここに来た、もう一つの目的。
「いいけど、オレと打っても相手にならないだろ」
三谷の言うことはもっともである。仮にもヒカルは三冠の棋士なのだから。
「お前と打つの楽しいからいいんだよ」
もっと三谷の力を伸ばしてやりたい。ヒカルは素直にそう思った。
「お前、よくそんな恥ずかしいこと言えるな」
「何、三谷照れちゃったの?」
「照れてなんかない!」
案外三谷はからかい甲斐のある奴らしい。
「んじゃ、入学式でまた会おうな」
「おう」
三谷と別れ、ヒカルはすっきりした気持ちで帰路についた。
その頃、あかりには大きな問題が発生していた。