幸せな過程   作:幻想の投影物

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すみません。長くなりました。


月下の子ら

 ルイズはダンスの誘いを断りながら、テーブルの一角に座って黄昏ていた。片肘をついて悩ましげに吐息を零す。美しい人形の様な、誰も触れてはならないのだろうという近寄りがたさから、「あのルイズ」が着飾るだけでこうまで美しくなれる物なのかと、クラスメイトやルイズの事を散々に中傷してきた者たち、特に男衆は手を出しあぐねては立ち止まる。

 しかし彼らは所詮、ルイズの外見にしか興味を持てていない烏合の衆だ。貴族と言うにはまだほど遠く、絵画を集めるのにも魂を揺さぶられたからではなくただ高価で雰囲気があるからという理由でしか購入は考えない連中。そんな中から、掻き分けて一人の人間が近づいてきた。その名はギーシュ。打ち解けたらしいケティの手を引いていたが、少しばかり耳打ちして彼女の耳まで赤く染め上げると、一人になったギーシュは物おじせずにルイズへと近づいた。

 

「一曲、どうかな?」

「……はっ。それはもう、喜んで」

 

 差し出された手を取って、ルイズは吐き捨てるような返事を返す。

 鬱々とした気分を発散させるには丁度いい。演奏隊は主役が乗り気になった事を確認し、高らかに荘厳なパーティーに相応しい演奏を始めた。

 

 

 

 ところ変わって厨房。貴族のパーティー用に作れる分は作ったマルトー達料理人やメイド達は、多少の疲労を見せながらもいつも通りのパーティー準備に愚痴の一つ無く仕事をこなし、解散の準備へと移っていた。メイドも人数は多いので、準備組と片付け組で別れているのだ。

 その準備組の中に含まれていたシエスタと、学院長から離れて合流したディアボロがいる。彼はルイズの元にはいかず、この厨房の裏方で力仕事などを手伝ってそれがようやく終わったと言う訳だ。

 

 ディアボロは少しだけ染みた汗を拭っていると、横からシエスタがタオルを差し出す。それを受け取って顔を拭いた彼は、タオルを洗濯用のかごに突っ込みながら、後は任せたと立ち去ろうとした―――のだが、ふと思い出したようにシエスタに向き直った。彼女も何を言われるかは分かっていたのだろう。少し学院の中でも良く月が見える庭に彼を案内し、昼なら貴族たちが使っている椅子にディアボロを座らせた。

 

「分かっているようだな」

「はい。この子の…ことですよね」

 

 シエスタがそう言うと、にゅっと人間とは似ても似つかぬバケツ頭の人形の様な異形が彼女の体から浮き上がって来た。出現位置は最初半透明だったが、徐々に実体を持って行くソレはしがみつく様にシエスタの体に巻き付き、間延びした様なお気楽な言葉を発し始める。

 

『いよ~ぅ……オマエが呼ぶような事態はネェはずだゼぇぇぇ~…シエスタァ』

 

 そう、この不可思議な物体は摩訶不思議にも喋ることが可能であるのだ。

 

「それが貴様のスタンド……ふん、まさかこの世界でも発現しうる者がいるとはな」

「隠していた訳ではありません。ただ……その、あの追われていた時に…何か突然出て来てしまったんです」

『そりゃ酷ェゼ……なぁ、ヨウ? オレはテメェの幸運の塊だァ! このディアボロの旦那と違ってなぁ~~~? オマエの持つものは運しか(・・)ねェッ! 逆に言や、幸運(それ)がオマエの力の結晶ってことだぁ。覚えておいて損は無いと思うゼェ~』

「随分と口うるさいスタンドだ。独立型と言う事は……貴様、普段の自分とは違う自分が中に潜んでいる精神状態なのか? そう、言わばテンションのスイッチがある奴がこう言うスタンドを持つのが多い」

「やっぱり、スタンド何ですね。これは」

『ヘンッ、スタンドだか何だか知らねェがよォォォォ……シエスタ、右に一歩動いときな』

「む、エピタフ…!?」

 

 スタンドの言葉でまさか(・・・)と思ったディアボロがエピタフでシエスタの数秒先の未来を映し、それは確かに実現された。シエスタはギリギリのところで上から降って来た芋虫を避けたのだ。助言に従っていなければ、今頃首筋からメイド服の中にその芋虫が入り込んでいた事だろう。

 

「ま、また助けられちゃった……あれ、居なくなってる」

「……先の言動から、貴様のスタンドは事前に起きる不運を言葉に勧告し、その言葉通りに従えば幸運を齎すことができる類の様だ。……だが、ここまで能力に比重が置かれていれば…スタンドそのものは攻撃手段にはなりえん」

「ディアボロさんの話を聞く限り、スタンドって能力ばっかり聞かされてたんですけど…それそのもので戦うんですか?」

「多くのスタンドはスタンドそのものが攻撃性能を備えているが、貴様のそれはとてもではないが戦い向きではないらしい。少し、驚かされた」

「…はい。私は、戦う者ではありませんから」

 

 シエスタはメイド。従者。

 主人のフォローをする者であり、同時に、仕える者の穴を埋めるパテ。主人の手では届かない場所で手や足の代わりをする者であり、決して前線で戦うための道具でも、兵士でも何でもない。メイドは生活の従者であるのだ。

 

「それにしても意外です。ディアボロさんでも、驚いたりするんですね」

「……人をやめているわけではない。裏の情報筋からオレ(・・)のいた世界でも吸血鬼は実在したようだが―――()は人間の帝王。人の頂点に立つ者は須く人間でしか有り得ないのだからな」

「……ああ、やはり貴方は強いお方。ミス・ヴァリエールのような立派な貴族ですら従者にすることも憚られそうな…上に立つ者なのですね」

「ルイズだけは、特上だ。こればかりは…オレの決めた信念だからな、譲ることはできん。ヤツはオレの光なのだ。我が閉ざされた道を照らした、陽光の如き光……」

 

 黄金体験の鎮魂歌は、人の進むべき道の前後を繋ぎ合せてしまう。それが例え邪悪な精神だったとしても、ディアボロの様に真っ直ぐと道を見ていた人間は件のスタンド能力によって進むべき道を無理やりに突き落される。

 ソレはいかほどに苦痛に満ちた道程か。恐らく、いや絶対に我々の様な凡百の人間には理解できない痛みであろう。だがこの帝王は、無限の命を得たのだと別の見解を発見し、更には続く地獄の中で己が最小限出せるベットを支払うだけで己の目的を果たすまでに精神を回復、昇華させているのである。そうして生まれ変わった心で見た他人は、前よりもずっと輝いて見えた。その中でも一番強い光を放っていた星―――ルイズを、彼は守りたいと思ったのだ。

 ディアボロの片手を握りしめるような動作は、その手の中に失いたくない物を離すまいとするようにも見えた。シエスタは胸の内側が痛む錯覚を覚えながら、己の抱く感情とは程遠い筈の頬笑みを浮かべる。

 

「少し……羨ましいです。話し合った中で、私だけが置き去りの様な…私みたいな平民は、当たり前かもしれないんですけど。それでもやっぱり、って思っちゃいますね」

「フン、そうか」

 

 短いが、彼が返した事でシエスタは少しばかり心が落ち着いた。

 そうした余裕から来たのだろうか。いつもより前衛的な気分になった彼女は、ふと思いついた事を聞いてみた。

 

「そう言えば、ディアボロさんのスタンドは“キング・クリムゾン”って言うんですね。スタンドって名前をつける物なんですか?」

「…名は、スタンドだけではなくその物事をハッキリと表すことのできる人間が作り出した文化だ。この世界の魔法、我々のスタンド、個人や物の一つ一つにも名は付けられる。名無しの物体とて、名無しという呼び名があるようにな……。スタンドは、その名をつけられる事で己の可能性を固定する。名付けておいて損は無いと思うぞ。力の自覚にもなるだろう」

 

 ふと、ディアボロは自分が組織を完成させる前の様に、随分と他人と話をするようになったと自覚する。ただその相手は限られているので、ドッピオもしかり、妻だったドナテラ・ウナしかり。一度身内だと認識し、なおかつ仲間であり続けている人物には甘い面を持ち合せていたのかもしれない。

 己の来歴は、己の信頼する者にのみ知らせている。それが自分の中の何を刺激するのかは分からないが、別段悪い気分では無い。以前のように赤の他人であるジョルノ達に知れ渡った時の恐怖にも似た感情が込み上げてくる事は無い。むしろ不思議と温かな気持ちが芽生えている様な気もする。

 

「……ふん」

「どうしました?」

「いや、自分が自分で無くなって行くような…だが、不思議と不快には思わんのだ。自分でも何を言っているのだか分からんが」

「それって、成長しているってことじゃないでしょうか?」

「成長? 成長…か」

 

 ボスとして君臨したあの時、己は絶頂にいた。この絶頂を脅かす者は許さないと、様々な人間を恐怖のどん底に突き込んで殺していた。だが、あれは己の限界を知らずの内に定めていたからではないか? 例えるなら、無限に高さが伸び続ける山の五合目に居座り、それが時間と共に四合目、三合目と低くなっている事にも気付かず、下から上って来る者達を大風で突き落していた……。

 自分の限界を、自分を頂点だと決めつけることはつまり…上へ伸びる事を放棄していたと言う事なのだろうか。あの時、あの「矢」を巡る戦いのときはガラにもなく必死だった。力を手にしたジョルノには心底恐怖したと言っても良い。そこは、認めよう。しかしそれは、己の立つ位置よりも高い場所にソイツが昇れたからではないか? 己が決めつけた限界を超えた相手に、駄々をこねる子供の様な癇癪を起こしたに過ぎないとしたら―――何と言う、帝王の名が似合わない行為か。

 手段や方法などどうでもいい。だが、この手に在るべき結果を握れなかったからこそ。

 

「ルイズは…まだ、成長途中だ。だが、このディアボロこそまだまだ頂きの先へ…天上へ昇る事を諦めていたのかも知れん。……この様な小娘に気付かされるなど、落ちたものだ」

 

 誰にも聞こえないような小さな声で、だがあえて声に出して言った。

 その言葉は、己の口から発せられたものとは思えない程に心に染み込んで行く。

 

「あ、すっかり忘れてました! 私のスタンドの名前がどうとかって話してましたよね」

「む、あ…ああ……そうだったな」

 

 すっかり自分の世界に入りこんでいて、目の前の有力な支柱()の言葉を放り投げていた。そうだ、この女のスタンドは利用価値がある。先ほど気付いたばかりの自分の現界の上と、ルイズを高めるための最高の力が。

 

「さっきからディアボロさん、驚いてばっかり。……そうだ、ディアボロさんがこっちの世界でいちばん驚いたことってなんですか?」

「……月、だな。オレが居た世界は白く黄色い月がある。だがそれは一つだ。この世界の赤と青の双月は、オレの度肝を抜くには十分だったとも言える」

「黄色い月…いつか、ディアボロさんの世界の月も見てみたいですね」

 

 思ったよりもロマンチックな、シエスタの乙女回路を刺激するような答えだったからだろうか。シエスタもまた、浸る様にディアボロの話を聞いていた。

 そんな時、またシエスタの体から飛び出したスタンドが高笑いしながら勝手に出てきた。だが、スタンドの取った行動はいつもの幸運への助言では無い。それは―――

 

『懐かしいぜッ。よォ、タケオの野郎が飛んでいた空も、黄金に輝いてやがるでッケェ月があったからなぁ~~~。オマエさんの幸運は、タケオから世界を越えて貰ってよぉ…婆さんとオヤジを次いで溜めこまれた“血の強運”だッ! 大事にしろよ、テメェも、その血もなぁぁぁぁぁ……』

「え…?」

『ケケケッ、そう言うこった旦那ァ。オレっつぅメッセンジャーはタケオのものじゃネーからそろそろ消える。だが、旦那の世界のヤツしかオレ達(スタンド)は現れねェ……血の濃さじゃあ、シエスタが打ち止めで、最高だがなぁッ! ヒヒヒヒヒッ』

 

 口汚いバケツの様なスタンドは、今にもその形が崩れそうだ。映写機の光源の前で素早く手を左右させるように、ノイズの走ったテレビの映像の様に、シエスタのスタンドは少しずつその形を崩していく。

 それは、異邦人・佐々木武雄のシエスタの代にまで続いた望郷の執念。例え骨をこの異郷の地へうずめようとも、消える事は無かった遺してきた両親や故郷への妄執。彼女が故郷の人間と出会えたからこそ、「武雄のスタンド」はその姿を崩し始めていた。これからは「シエスタのスタンド」であり続けるための最後の仕上げと言わんばかりに。

 

「……そっか。あなた(スタンド)は、おじいちゃんが異界で生んだ新しい可能性。異なる月が産んだ光の子……うん―――“ムーン・チャイルド”」

 

 (ヴィジョン)は形を変えて行く。女性の様な丸みを帯びた小さな胸部、米粒にも似た形の頭。裸の人形が晒すカチカチの体には、申し訳程度の破れた太陽が描かれた布が巻きついた。それは、より女性的なフォルムへと変化するスタンド(・・・・)

 日の本で照らされた道を歩いた人間、佐々木武雄から受け継いだ血筋の強運(スタンド)。その血が示すのは、シエスタが自ら進む道を優しく照らす、太陽への道標。

 

「あなたは、月光の子(ムーン・チャイルド)

『アァ、ワタシはテメェだ(・・・・・・・・)!』

 

 抱きしめられたスタンドは頷き、彼女の体に入って行く。真の意味で一つとなった彼女自身の生命エネルギーはシエスタの為だけに存在し、常に彼女の傍に立つ。体の中へと消えゆく前に、彼女のムーン・チャイルドは己の足で立っていた。

 スタート地点は、月と帝王の見下ろす庭の中。

 

 

 

 長いようにも感じられた曲が終わり、ルイズは踊っていたギーシュの手をパッと離した。まるで騎士と姫のワルツと見紛うばかりの舞踊は曲の間だけの夢であったかのように、二人は現実の世界へと一気に引き戻される。

 

「やっぱり、彼が居ないと楽しくないのかい?」

「ほとんど彼が一人で解決した様なものよ。フーケの一件はね」

 

 自分やキュルケ達も攻撃を加えていたが、それはゴーレムであってフーケ自身の捕縛にはほとんど関与していない。ルイズ自身、この功績を例えて言うならば目標に熊をハンティングしようとしていた時に、ついでに出てきたイノシシを狩った様なものだと考えている。イノシシがゴーレムであり、主目標の討伐はできなかったという負い目だ。

 

「ふぅん。よくは知らないけど、君が主役として飾られるってことはそれ相応の働きをしたって学院長が認めたからじゃないかな? さて、僕はそろそろモンモランシーを探さないと…あ、やっぱり見つけてくれてた」

「あんた、わたしをモンモランシーを見つけるためのダシにしたの?」

「主役だろうと何だろうと、自分の目的のためなら自分以外は全て脇役さ」

「さっきの言ってることと随分矛盾してるわよ」

「そうかな? …そうかもね」

 

 あいも変わらず、キザな笑みと共に薔薇を掲げてギーシュは去った。普段はひと際目立って見える金髪ロールも、このパーティーでは普通に溶け込んでいるモンモランシーの手を引くと、雑多の人影に紛れて消える。一夜の夢をすぐさま記憶の隅に追いやったルイズは、めかし込んだ自分の姿を鏡に見て、深いため息ばかりをつく。

 

「あら、主役が張りきらないと駄目って学院長も言っていたのにねぇ。こう言う時だからこそはっちゃけたりしないの?」

「ツェルプストー…何か用?」

「あの窮地を一緒に戦ったんだから、もう前みたいな希薄な仲でも無いじゃない? これからはキュルケでいいわよ。その代わりあたしもルイズって呼ぶから」

「名前を許す理由も軽過ぎ。これだからゲルマニアは…ま、いいわ。そうそういがみ合ったって御家の恋愛因縁全部が晴れる訳でもないし。よろしく、キュルケ」

「はいよろしく」

 

 杖腕どうしで握手を交わす。互いに譲れぬ所はあったとしても、やはり心の底ではどこか相手を認めているのだろう。信頼の証として、杖腕を差し出しているのは二人とも無意識の内だった。

 

「そう言えば、タバサ見てない?」

「ああ、ガリアの……見てないわね。ダンスに参加するようにも見えないし、どこかテーブルの隅にでもいるんじゃないの」

「そう言えばあの子食べるの好きだったわね。ありがと、それじゃパーティーくらい楽しんでおきなさいよねー」

「大きなお世話よっ。ホント、変わらないわね」

「むしろアンタが変わり過ぎなのよ。でもまぁ、前みたいにすぐムキになる癖は残ってて良かったわ。じゃないとアンタらしくないものね」

 

 ひらひらと手を振って人ごみにまぎれて行く改めて友人となったキュルケは、自由を愛する小鳥にも似た雰囲気を発しているとルイズは感じた。がんじがらめの公爵家という括りと、優秀な魔法の才を持つ両親から受け継いだものを一切活かせていないと言う葛藤。それら全てに他人の眼ではなく、自分の価値観によって動く人物であるキュルケという女性は、少なからずルイズも憧れを持っていたのかもしれない。

 今までの「つっけんどん」な態度は、己の理性の奥底に隠されていた羨ましさからにじみ出た敵意。心の整理をしてみれば、過去の自分など幾らでも振り返れるような気がした。

 月を見上げて、手に持ったグラスを回す。中で揺れる透き通ったカクテルへ口をつけると、ゆっくりと中身を飲み下した。

 

 

 

 パーティーも終わって、随分と演技臭い行動を取れていたものだと少し悶絶。髪色のように頬を桃色に染めたルイズは、一杯のカクテルがもたらす眠気に身を預けながら普段着の寝間着へと着々と着替えて行った。

 

「ふぁ、眠いわ……それにしても、随分と恥ずかしいわね、わたし」

 

 先ほどまで言っていた事に溜息をつきながらテーブルの走り書きを見る。もう文字を覚えてしまったのだろうディアボロの、まるでお手本の様な習いたて感が強いハルケギニア語のメモが残されていた。内容は「今夜は遅くなる」といったもので、厨房の片付けにやはり多少の手伝いをしてから戻ってくるらしい。ルイズの起きている時間内には戻る事は無いだろう。

 

「おやすみなさい、ディアボロ」

 

 此処には居ない心の支え、最高の使い魔となってくれた人物の名を呼びながら、ルイズは夢の世界へと浸って行った。

 

 

 ヴァリエール家は公爵という、トリステイン王族に次ぐ最高の位を持つ貴族である。その大黒柱である公爵の手腕は見事な物で、その妻である公爵夫人もまた、豪華絢爛な暮らしをするに相応しい経歴と戦歴、魔法の才能――風のスクウェア――を持っている。

 これほどまでに恵まれた家は無いだろうと近隣の木端貴族が囃し立てる中で、ここ十六年前からの唯一の汚点が誕生した。言われずとも分かるように、その汚点の名はルイズ。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。誇り高き公爵家の「出来そこないの三女」。

 彼女が魔法を使えないと発覚してからは、公爵家に対する遠回りな――不敬罪に罰されない程度の――厭味や陰口が貴族の会合で飛び交う事が多くなった。その点を何とか矯正しようと、はたまたその貴族をルイズ自身に見返させるためにルイズへの「教育」は日に日に熾烈さを増していくことになる。だがその愛の鞭は、幼くして打ちひしがれた彼女に届くことなく、愛の無い痛みだけがルイズの心を強かに打ちつけるようになった。

 

 ルイズが見ている夢は、そんな過去の一描写。

 幼い自分自身を見ながらに、弱い過去の自分をありありと見せつけられている。ただ不思議だったのは、自分の意識は夢の中で在るのに自由で、何とも客観的にその光景への感想を述べる事が出来た事だろうか。

 

(幼いわたし、弱いわたし。この頃と何も変わっていないのね)

 

 才能、性格、そして胸。

 少しいらつくほどに弱さが露呈している自分は、しかしあの母親を撒く程度には悪知恵や小手先の技術があるらしい。そんな幼い自分の視界は少しずつ雑草の生い茂る湖へと向かっているようだ。自分と同じく、出来た当初は家族全員の愛を受けて使われていたが、時と共に寂れていったあの湖へと。

 

(塞ぎ込んだときは、決まってこの夢を見るものね。一つのことに追いすがっていたわたしの…欠点。でも、いつもと違うのはどうしてかしら? まぁ、この後出てくるのは当然だけど―――)

 

 幼い自分は隠れるように、湖のほとりに泊めてあった小舟の中へと潜り込む。幾ばくかの時間が立った後に、やはりというべきか、決して変わらない「過去の夢」の虚像が現れる。そう背丈も高すぎない、凛々しい雰囲気を纏った貴族の男。憧れのワルド子爵が現れて、幼い自分を慰める。

 いつもは、その筈だった。

 

(え――――?)

 

 その影は、2メイル前後の高さだった。

 帽子を差し引いても、とてもではないが「憧れのワルド子爵」はそんなに大きくは無い。だというのに、その影は真っ直ぐとルイズの近くに走り寄ると、彼女が隠れている小舟の毛布を一気に引っぺがしたのだ。とてもではないが、あのワルド様とは程遠い乱雑さ。

 

 舞い上がった毛布と共に場面は瞬く間に、ルイズの見た事がない水の都と形容すべき美しい夜の街並みへと変化した。地球の人間で、ヨーロッパの者ならそこは「ヴェネツィア」と呼んだであろうその場所に、これまたルイズの見慣れない街灯の光で照らされた人物がハッキリと此方を見つめている。

 

「ちょ、ちょっとディアボロ(・・・・・)ッ。…何すんのよ!」

「据え置きのベンチという、わけの分からん場所で丸くなっていた輩がそれを言うのか? え? …ふん、まぁいい。このディアボロが直々に迎えに来てやっただけだ。これ以上の手間を取らせるな」

「迎えって…? ああ、そう言えばそうだったわね。さ、早く帰りましょう」

「調子のいい奴だ」

 

 これは自分が考えて言った言葉では無い。夢の流れに逆らえずに、夢の中のルイズが夢の中のディアボロに対して言った言葉だ。傍観者となっていた筈のルイズは夢のルイズと一体化して、ディアボロが先導する夜のヴェネツィアを歩いて行く。光も照らさない闇の中に二人が消えて行き、直後に顔を覗かせた太陽がルイズ達を照らし出した所で―――

 

「ルイズ」

「………ディアボロ?」

「珍しく寝覚めがいいようだな」

 

 現実の朝日が目に入った。

 

 

 

「わたしね、今日はちょっと変わった夢を見たわ」

「いちいち報告する程の事か? それこそ、己の日記に書きとめる程度のことだろう」

「ううん。あなただから言えるの」

「何が何だか分からんぞっ。ああ、今日は比較的早めに再度顔を合わせることになるだろう。めかし込む準備だけはしておけ」

「え?」

 

 ディアボロは手に持っていた伝書をちらつかせると、いつもの業務である厨房手伝いの為に壁の向こうへ歩いて行った。フリッグの舞踏会も終わって、ここ数日の間は大きな行事は無い筈である。だと言うのにディアボロの言葉と、彼がちらつかせた学院の印が押された伝書にルイズの意識は向けられていた。

 疑問を胸にしたまま、彼女は久しぶりになるだろうまともな授業の準備に入る。フーケの討伐といい、シエスタや伯爵家の失墜を巻き込んだ騒動といい、心の休まる平穏な日々と言うのは久しぶりな気がする。教室に入り、適当な位置に腰かけると隣には最早見慣れた長い赤毛が目に入った。

 

「キュルケ?」

「ハァーイ、ルイズ! さっそく名前呼んでくれたのは嬉しいけど、ちょっと隣の席もらうわよ。タバサはこっち座ってて」

「……一番前」

「勉強熱心だものね。でも、ちょっと付き合ってくれる?」

「わかった」

 

 キュルケが頼みこむと、入学以来の友人であるからだろう。タバサは強請るそぶりもせずに一度頷くと、眼前に授業の教材を広げ始めた。このクラスの貴族の中では、タバサはルイズの勤勉さにも追いつく様な模範生徒であると言えよう。いち早く、されど焦りを表には見せずに黙々と学んで行くには彼女なりの理由があるのだろうが、キュルケも、知り合ったばかりのルイズもそれにはあえて触れない。

 全ての事を無理やり話させるのでは賊と何ら変わりない野蛮な行為であるからだ。そんなもの、優雅で誇り高い貴族の在り方に反する。故に、腹に一物抱えていたとしてもだ。彼女達は後ろ暗い話題には表立って聞き出そうとしないのである。

 まぁ、それと知的好奇心とは別問題らしいが。

 

「それで何? ディアボロのこと聞きだそうってんじゃないでしょうね」

「彼の事はあたし自身で知って行くからもう聞く気は無いわよ。それより、あなたの失敗魔法…随分と刺激的じゃない? まさかトライアングルメイジのゴーレムすら吹き飛ばすなんて思わなかったわよ」

「学院の壁、壊せた事がまず異常。実力を隠してる?」

「二人とも買いかぶり過ぎだって。わたしが成功した魔法はディアボロの召喚と契約だけ。呪文の内容で爆発規模や細かい光の量、音の大きさは少しずつ違うみたいだけど…あれは失敗魔法以外の何物でもないわ」

 

 ルイズは練習の成果から、成功は無くとも爆発の性質が細かく変更をくわえられている事に気付いた。たとえば、今学期最初の授業での爆発。あれは「錬金」の魔法を使った爆発……つまりは「無生物」に対する魔法だったからか、人間そのものへの被害は爆風や爆音程度だった。ついで、「ファイヤーボール」の魔法は威力が高く、錬金による物体への干渉ほどでは無かったが、生体・無生物に凶悪なまでの威力を発揮する事が確認されている。それは、スクウェアクラスのメイジが掛けた「固定化」の魔法に綻びを与える程の威力であることは確認済みだ。

 そうした僅かな違いは、ルイズの知的好奇心を呼び醒ました。ディアボロが現在の弱体化したスタンドで何ができるか思考錯誤している事と同じように、ルイズは「自分の爆発がどのように使えるか」を模索していたのである。ただ、当然ながら彼女はコモンマジックから系統魔法まで下級呪文を試しながら成功するかも練習していたが、結果は全て違いのある爆発に終わっている。

 そう言った結果を話しておくのも、なにか魔法の成功につながるかもしれない。そう思ったルイズはいつの間にやら、目の前の二人へその爆発の結果などを伝え終わっていた。ハッと意識を取り戻した時には既に、二人が興味深そうに頷いている姿が目に入る。

 

「ふぅーん……確かに普通は失敗した時に爆発なんて起きないけど、そう言う属性や呪文の効力に応じた差異は生じてるのねぇ。これ、極めたらあなたの固有魔法として名を轟かせることができるかもしれないわよ?」

「難しい。ブリミルの系統魔法以外は異端審問に掛けられる対象になるから」

「あっ、そうだったわね…でも、この前みたいにこっそり(・・・・)やれば問題ないとは思わない?」

「あーもうっ! 二人とも、わたしをどう言う風に仕立て上げるつもりよ!?」

 

 周りに迷惑にならない程度にルイズが叫んだ瞬間、陰湿な気配と共に教室の扉が開かれた。廊下から入って来たのは、今回の授業を担当する教師――二つ名を疾風、『疾風』のギトーと呼ばれる風のスクウェアクラスのメイジだ。教師と言う点で貴族階級は分からないものの、「過去トリステイン最強」の肩書を持っていた人物が同じ風のスクウェアと言う事で、ほんの一部(・・・・・)の生徒からは人気がある実力者である。

 とはいえ、スクウェアとしての技量はピンからキリで数えても下の方。むしろトライアングル寄りで、風のスクウェアスペルである「偏在(ユビキタス)」は一体しか出せないのが、彼の限界を匂わせている。偏在に関しては、また何時か解説する時がくるだろう。

 

「……うむ、余計なおしゃべりも収まったか。では授業を始める」

 

 実力は決して下ではないが、誉れ高きスクウェアでも下のイメージが払拭できないがためか。どこか執念じみた陰鬱さが教室に渡る声と共に生徒達の耳へ届く。

 

「知っての通り、私の二つ名は“疾風”。疾風のギトーだ」

 

 この教師が担当するのはこの生徒達に対しては初めて。その意味合いも込めた紹介だったが、どこか傲慢さが拭いきれないのは彼の性格ゆえか。教師としてはあまり褒められたものではない彼は、ちらりと「火のトライアングルメイジ」という力を持つキュルケに目を向けると、高らかと言い放った。

 

「ミス・ツェルプストー。君の考える最強の系統とは…何かね?」

「“虚無”じゃございませんの?」

「伝説や恐れ多き始祖ブリミルを持ちだしているわけではない。四大系統から答えたまえ」

 

 キュルケはルイズ達と盛り上がっていた気持ちを引き下げられ、この「詰まらない男」に対して酷く冷めた様子で答えた。

 

「“火”に決まっておりますわ。ミスタ・ギトー」

「ほほう…その根拠は、どうなのかね?」

「火は日輪と破壊の象徴であり、全てを焼き尽くせる情熱もまた…火の意味を備えておりますもの。現に日照りの強い日なんかは全ての貴族がパタパタと倒れるか、己を煽いでおります」

 

 その地につく様な長い黒髪はよっぽど熱い日の邪魔になるだろう。言外に碌な手入れもしないチャームポイントもどきを携えた教師に毒づいたつもりだったが、ギトーはくつくつと笑っていた。

 別段、ギトーは本当に嫌な教師と言う訳でも無い。ちょっぴり他教師と同じように自分の属性を贔屓目で見て、スクウェアになれたのに自分の実力が伸び悩むことにコンプレックスを抱いている悩める人物であるのだ。その鬱々とした感情をこうして授業で吐き出すことは、褒められたことではないのかもしれないが。

 

「中々面白い冗談だ。だが、最強は風であると言うのが、私の持論なのだよ。どうかね? まずは授業の前に、その風の凄まじさを体感するオリエンテーションと洒落こむとしよう。そのためにも―――私に君の火の魔法とやらをぶつけてみたまえ」

「それでは、お言葉に甘えて……」

 

 キュルケは胸元に仕舞っていた杖を抜くと、ギトーと真正面から立つ位置に移動してルーンの詠唱に入った。杖の先に炎が集まって行き、あの詠唱の余裕がなかったフーケ戦でも見れなかった全力の火球が教室に熱をばら撒いている。タバサと共にいるルイズはタバサの魔法のおかげで何とか暑さを緩和していたが、アレに当たればただでは済まないだろう。

 それが放たれようとした瞬間、キュルケは別の炎の気配を感じてルーンの詠唱を取りやめた。ギトーが慌ただしく近づいてくる風の流れを感じ取った瞬間、教室の扉が再度開かれることとなった。

 

「あやや、ミスタ・ギトー! 失礼ですが本日の授業は此処を含めて全員終了となりますぞ! 姫殿下がゲルマニアからお戻りになったのですから!」

 

 緊張が高まった途端にこれである。何とも煮え切らない空気は熱と共に引いて行き、ルイズはようやくディアボロの言葉の意味を理解するのであった。

 

 

 

「ディアボロ、そうと知ってたんなら早く言ってくれればいいのにっ! ああ、おめかし大丈夫かしら? お久しぶりに姫殿下に合わせる顔がノーメイクだなんて…昨日のままずっといればよかったわ! そしたら、ディアボロにも晴れ姿見て貰えたのに……」

「ルイズよ……落ちつけ。今の貴様は見ていられんほどに道化だ」

「へうっ。そ、そう…?」

 

 他の貴族の中でも頭二つ分以上は跳び抜けて背が高いディアボロは、目立つ広告塔の様な気分で貴族生徒たちの中に紛れていた。

 正門をくぐりぬけ、「トリステイン王国王女、アンリエッタ姫殿下」を迎え入れるために、はたまたこの邂逅で美貌と言って憚らぬ姫殿下へのワンチャンスという儚い希望を持った男の貴族などでごった返した集団の中でもルイズ達の場所はディアボロのやらかした所業(決闘)のせいか、線が引かれたように間隔が空いている。

 そこにいる勇気ある貴族は、おなじみのキュルケとタバサ。当然のルイズと、まさかのギーシュの姿である。一歩引いた立場から、ギーシュを傷つけた相手として恨みがましい視線を向けるモンモランシーとケティ(和解したらしい)がいるが、当の睨みつけられるディアボロはどこ吹く風といった様子である。

 

「麗しのアンリエッタ姫。噂に違わぬ美貌か……楽しみだね」

「ギーシュ? 私達だけでなく姫様にまで手を伸ばそうって魂胆? 流石にそうなら今度こそ容赦しないわよ…!」

「ギーシュ様、お姉さまの言うとおりです。今回ばかりはわたくしも我慢なりませんわ」

「ふふふ、それは怖いね。それでディアボロさん、教えを乞いたいんだけど―――」

「前に断ると言った筈だ。あれは一時的な物では無いことぐらい分かっていた筈だろう」

 

 ギーシュの方を見向きもしないでディアボロが答えると、キザを売りにした少年は失意の息を深くはいた。いつか、彼へのチャンスが来る日を掴み取らなければならないと模索し始めた所で、平等に愛を告げた二人からのフォローが入る。曰く、ギーシュを傷つけた当人なのだから、寧ろ打倒してしまえと。

 弟子入りには反対なケティとモンモランシーだったが、ギーシュが強くたくましくなって行く姿は近くで見ていてとても誇らしかった。その男性が二股をかけ持っているとはいえ、愛を告げてくれたのは喜ばしい。だから彼なりの独立した道を進ませようとしたのだが、それはギーシュの熱に油を注ぐ真似になってしまったようだ。

 

「ミスタ・ディアボロ? あなたモテモテねぇ。ちょっと妬いちゃうわ」

「心にもない事を……貴様もいい加減うっとおしいぞっ」

「諦めたりはしませんわよ? あたしの微熱は貴方のために燃え続けていますもの。むしろあたしの炎は貴方の色なのよ」

「キュ~ル~ケ~? 姫殿下のパレード前でもディアボロにかまけるなんて随分な御身分ね。ギーシュ、アンタもよ。いつの間に二人を誑かしたのかは知らないけど、そこの二人を納得させることから始めなさいよ」

「僕は純粋に、いち早く指南として最高の師が欲しいだけなんだけどね」

「トリステインのお姫様なんて知らないわよ。それに、どうせ近々こっちの皇帝と婚姻を結ぶんだし、そうなったら嫌でも顔を合わせることになるわ」

「それは…そうだけどもっ! ああもう、こんな何事にもルーズなゲルマニアに政略結婚を強いられるなんて、姫殿下もお可哀そうに……何もしてあげられない我が身が恨めしいったら」

 

 自分を挟んで両サイドから行われる会話にそろそろディアボロも口を挟んでしまおうかと思ったその時、正門から主役の登場を告げる衛視の声が響き渡った。しかし出てきたのは姫とはとても言えない枯れきった老人の様な風貌をした男。その男に生徒の嘲りが籠った感情を向けた直後に、その男が手を引いてアンリエッタ姫を先導する。姫の御身が現れた瞬間、トリステイン魔法学院の正門には溢れんばかりの歓声が上がる。

 

「まるでイギリス皇太子の歓迎だな…いや、実質は似たようなものか」

「イギリス…? ああ、そっちの話」

「今となってはもう見れん。深く話すこともあるまい」

 

 会話をする間に、ルイズの目の前をアンリエッタが通り過ぎて行く。明らかにルイズに手を振ったであろう動作にディアボロは目ざとくあたりをつけ、ルイズとこの姫君は浅からぬ関係があるのだろうと感付いていた。

 

「へーぇ? ゼロと違って胸はあるみたいだけど、ねぇダーリン。あの王女の目は見た? 運命に流されるままの悲劇の乙女って憂いを押し出しちゃってるわ! トリステインは頭が固いだけじゃなくて、お姫様まで夢見がちなのね」

「キュルケ! わたしはともかく姫殿下を侮辱するのもいい加減にしなさいよ。あの方の気持ちを考えてもみてよ。わたしたちと違って、自由な恋愛すら選択肢には無いのよ……」

「だが、それが王族と言うものだろう。まして実権を与えられているのならば、周囲の期待すら凌駕する器を持たねば取り巻き共の操り人形だ。そうなれば、最早担ぎあげられた偶像としてしか意味を成さん」

「ディアボロ…確かに、そうだけど……」

 

 甘いばかりでいられないのは分かっている。ルイズは拳を握りしめながら、ディアボロの言葉の意味を胸の内側で反響させた。ある意味でアンリエッタに近い位置にいるのはルイズ自身。だが、自分すらまだ汚名を返上できていないのに、例え親友だとして他人を気遣う余裕はあるのか? 答えは「無い」の一択だ。

 こればかりはどう考えても仕方のないことだと打ちひしがれながらも、ルイズはぼうっとパレードを眺めるうちに見覚えのある顔を見つけた。今回の夢には姿すらディアボロに掻き消されて、出てこなかった理想の人物。

 

「ワルド…さま?」

 

 ぽつりとつぶやいた声は、ディアボロどころか自分の耳にすら入らなかった。

 

 

 

 時は進み同日の夜、ディアボロのキング・クリムゾンが顕現する。

 宵闇に輝く月の光を受けながら、かのスタンドは額に込められた墓標の力を映しだし、鏡に見える風景をディアボロにとっては未来の風景へと変えて映しだしていた。また厄介事が来るようだと、最近の面倒事に対する覚悟ばかりをさせるエピタフに毒づきながらもディアボロは扉の前に移動した。

 この部屋の持ち主のルイズと言えば、難しい表情で黙りこくってばかりである。ディアボロの行動に何ら違和感も持たないまま、上の空で彼の行動を見つめていた。

 

『よぉ旦那…誰かお客でも来やがんのか?』

「そんな所だ。変に喋る前に口を閉じておけ」

『へいへい。剣は辛いねぇ』

 

 つかの金具の動きでカシャンと鞘の中に一人で収まったデルフリンガー。器用なまねをするものだと感心しながら、ディアボロは今か今かと手を掛けようとしていた人物に代わり、ドアを引き部屋の光で相手を照らした。

 真っ黒な頭巾をかぶった不審者が夜明かりに照らされて、闇の中からディアボロの見下ろす先にその姿が浮き上がる。ノックをしようとしていた手をそそくさと引っ込めると、どこか慌てたように頭巾をかぶった頭ごと視線を動かしたその人物は、部屋の中にいる鮮やかなピンクブロンドの人物を発見して、安堵の息をついた。

 

「女王とやらだな。ここでは人目につく…さっさと中に入れ」

「貴方は……?」

「ヤツの使い魔と言うものをやっている……憐れな運命の奴隷だ」

 

 こう言う表現が好きなのだろう? と言外に含ませたもの言いを済ませると、ディアボロは鼻を鳴らしながらドアを閉めた。いつもの寝台兼自席である椅子に座り込み、キング・クリムゾンの腕がルイズの額にデコピンを放つ。そこでようやく我に返ったルイズが見たのは、杖を振って魔法を使う最中の女性だった。

 

「…ディテクト・マジック?」

「彼の様な感のいい者だけではありません。目や耳は至る所で光っているのですから」

 

 探索用の呪文にも何も引っ掛からなかった事を確認して、隣の大男にばれていた辺り今更だろうとは思いながらも、その頭巾をルイズの目の前で取り外した。紫がかり、短く切りそろえられた清楚な表情が露わになった途端に、ルイズは思わず息をのむ。

 

「姫殿下……」

「お久しぶりね。ルイズ・フランソワーズ」

 

 彼女の正体が知れた途端に、ルイズは膝をついて畏まった。目の前にいるのは幼馴染の愛しい親友。だが、その身分は昔の「お姫様」だけではなくなってしまっている。今やアンリエッタはトリステインの女王。国政的な権利を持つものとしては最高位の人物であるのだ。

 例え誰かに操られるしかないマリオネットを演じていたとしても。

 

「ああ、ああ、お顔を上げなさって! ここには何も口うるさく抑圧する輩はいないのです! わたくしとあなた、心の許せるおともだちだけ……」

「いいえ、時と身分がそうはさせないでしょう。お忍びだとしても、わたしと姫殿下は交わる事すら取り上げられる湖面の彼方に向き合っているのです」

「あなたまでそんな事を! ですが、やはり変わらないのですね。わたくしに引き取るようには強く言わない…ルイズの優しさは時が経とうとも決して変わる事は無かった。わたくしにとってはそれだけでも十分。此処に来るだけの価値はありましたわ。さぁ、表を上げて下さらない?」

「…失礼します」

 

 ルイズはその瞳を向ける。

 ただ、こればかりはルイズも懸念していた。

 

「まぁ……」

「……………」

 

 アンリエッタは、聡い人間だ。ルイズがあのころとは全く違ってしまっていると…そう、自分では触れられない位に高い位置へ行ってしまっているのだと知るには十分過ぎた。瞳の中に在る輝きが眼前の問題に淀んでいたとしても、眩く光を放つ事は抑えられない。

 アンリエッタには無い強い意志の光は、手を伸ばした女王の手を停めるには十分な力を発揮してしまっていた。

 

「ああ、羨ましいわ。あなたは遥か彼方へとボートを漕いで行ってしまったのね」

「罪深きとは知りながら、あなたの御手を引く事すら忘れておりました」

「自由の路を…いえ、あなたの選んだ道を歩く事が出来る。それはとても素晴らしいことだと思いますわ、わたしの小さなおともだち」

 

 どこか悲しそうに瞼を伏せ、伸ばしていた手を自らの胸元に引っ込める。

 太陽を求める吸血鬼の様な浅ましき行為だと知って、アンリエッタはいつまでも変わらない自分に歯がみした。同時に、ルイズに頼もうと思っていた行為が何とも卑劣なものだと知って、ルイズに芽生えた新芽を摘み取りかねない可能性が大いにある事が恐ろしくなった。

 

「わたくしは己を飼われた小鳥と、言うつもりでしたわ。あなたは大空を飛びまわる隼だとも」

「もったいないお言葉でございます」

「ですが、あなたは隼どころか……力強い羽を持った竜と成っていたのですね。悩めるルビーの瞳をはめ込みながら、己が進む道を確かに見据えようとする可能性の幼竜に」

「僭越ながら、わたしも言わせていただきますと姫さまは鷹でございますね」

「まぁ、わたくしが鷹?」

「その王族類稀に見る英知、少なからず貴族の会合にて聞き及んだことがあります。能ある鷹は爪を隠すとも言われております……何時かその爪を、己が栄光の為に見せる時が来るでしょう」

「でしたら、それほどに良い未来もありませんわね……」

 

 アンリエッタの憂いは、ますます深い闇を増す。

 求めるように月を見上げて、彼女は言った。

 

「ねぇルイズ…結婚するのよ。わたくし」

 

 未来は既に確定しているのだと、爪は見せずじまいに終わるのだと言外に彼女は言う。

 

「ゲルマニアの政略結婚、ですか。ゲルマニア出身の学友から、話は聞いたことがございます」

「話が早いのね、まるで宮仕えの噂話のよう」

「貴様の持ちこむ問題とは、ソレがらみか」

「あら……」

 

 此処で初めて、不遜にも足を組んで椅子に座っていたディアボロが口を開いた。目は瞼で固く閉じられており、アンリエッタのことなど文字通り眼中にないと言わんばかりの態度だ。だがこの女王、それを咎める事はしない。ディアボロの言っていた事は、何よりも正確無比に真実と後に言うべき結果を突いてきたのだから。

 

「ええ、ええ。その通りなの。凄まじい恋人を持ったものね」

「恋人なんて…そんな畏れ多くはありません。彼はわたしの使い魔です、姫殿下」

「使い魔…あらあらまぁまぁ!」

 

 面倒そうにディアボロの見せた左手のルーンを確認して、アンリエッタは心底驚いたと言った風なそぶりを見せる。

 

「さっさと本題を話してはどうだ。仰々しい演技をするのは舞台の上か、仲間に言葉の節からサインを送る位にしか使わんぞ」

「ディアボロ…分かってはいたけど、ちょっと位敬意ってもんを姫さまにも――」

「このオレが最上の敬意を払うのは貴様だけだ。それ以外は等しく変わらん」

 

 認めようとも、称えようとも、ディアボロにとってこの世界の住人は全てルイズ以下。必ず化けると分かる彼女以外は、シエスタという同郷の血を持つ人間であろうと例外なく下の存在と見ている。

 故に、この茶番にルイズが突き合わされている事が何とも我慢ならなかったのだ。自分でも可笑しいという具合には自覚しているが、同時にこの不快な舞台への幕引きをしたかったのも事実。一切の嘘偽りはこれ以上は許されないと言う意味を込めて、一度だけアンリエッタの目と視線を合わせた。

 

「っ、……そう、ですね。わたくしもいつまでもウジウジとしていられませんもの。あなた方には、正式に特殊任務を女王としてわたくし個人として言い渡したいと思います」

「特務、ですか」

 

 今一度用心深く部屋に探索魔法をかけたアンリエッタは、コホンと咳を払ってミッションブリーフィングを開始した。

 

「知っての通り、今やアルビオン貴族の王家への反乱は勢い留まるところを知りません。今や風前のともしびである発祥の地、アルビオン王家が落とされれば次は勢力が一番小さいこのトリステインに侵攻してくると、前回の会議で結果が出ました。トリステインは伝統としきたりを重んずる国…軍事的な力は、どの国よりも低いが故に攻めやすさでも重きを置かれてしまうのが現状です」

 

 例え始祖からの四つの血を分けていたとしても、トリステインが滅ぼされないと言う理由にはならない。アルビオン貴族たちが貴族としての名すら捨てているとするなら、清き王族の血を引く者達はただ強力なメイジを生みだす為の母体として扱われることも視野に入れなくてはならない。

 

「その最悪の事態を避けるため、次に狙われることになるであろうゲルマニアとの同盟を結ぶこととなりました。あちらも余計な被害は出さない一心でしょうが、それでも自国が不作法者によって荒らされることを嫌いますから、破談となる事はなりませんでした。…ただ、あちらの国の方が力は上。その条件として、わたくしはゲルマニア皇帝へ嫁ぐこととなったのです」

「合理的な判断だな。国力が上と言う事は、腐りかけているとも噂のこの国を一新する良い機会にもなる。その犠牲が王女を差し出すこととなれば、単純な民衆は王女の身に変えてもと一斉に立ち上がる事だろう」

「ええ。ゲルマニア皇帝との婚姻はわたくしも割り切っていますが、そうなってくれるのでしたらこの身を喜んで差し出すことも吝かではありません。王族は民衆の為に、民衆は王族の為に。この関係こそ、理想の形でとなるのでしょう」

「でも、それじゃあ姫さまの気持ちが……」

「力が無ければ、何もできないのですよ…優しいルイズ」

 

 ルイズが光を宿して空を飛ぶ幼竜だとするなら、今のアンリエッタは地に足を縫いつけて美味い実を生らすリンゴの木。搾取されることを嘆く事すら分からない、感情の見えない植物でしかない。自発的な力と言えば、何かを吸い取って実をつけるだけ。

 

「その双方少なからず利を得る筈の婚姻に、何も知らなかった過去のわたくしは暗雲を立ち込めさせてしまったのです。ゲルマニア皇帝の機嫌も吹いて飛ぶような……」

「それは、一体?」

「アルビオン王家―――ウェールズ皇太子へ宛てた一通の手紙が、それです。何よりも深い王族の印がついた物的証拠は、アルビオンの反乱軍の手に渡ればたちまちに公表され、わたくし達の同盟を容易く崩す材料となってしまうでしょう。その手紙を、ルイズ。あなたに回収してきて欲しいの」

「その反乱がおこる激戦区に一生徒を送り込む…か。物語の主人公にでも頼む様な話だが、決して“おともだち”に頼む内容でもあるまい」

「…はい。それは重々承知の上! しかしっ、あなたと成長したルイズを見て確信いたしました。これはわたくしからの勅命として下しましょう―――ルイズ、手紙を回収し、貴方も無事に帰ってくるのです」

 

 何を持って確信したか、それを言われるほどにルイズは鈍感では無い。あのアンリエッタからの信頼がこの身に向けられることで喜ぶ一方で、勅命であるとは言え、このような話に乗ってしまい否応にも「使い魔であるディアボロ」を巻き込むことへの葛藤が生じる。

 そして、これは秘されるべき特務と言った。つまり万が一にもこの任務のさなかで死亡した場合、己の安否はアンリエッタ以外、誰にも知られることは無いのだ。

 

「お言葉ですが、随分と分の悪い賭けに出ている事は自覚なさっておいでですか? 姫さま。わたしの任が至らなければ、とてもではありませんが国を崩壊させることに一役買うのが自分となる事も」

「わたくしからはグリフォン隊の優秀な護衛を一人付けるつもりです。王宮のいざこざをまとめ上げる手腕はあなたと会わなくなった八年の間に身に付けました。それを踏まえたうえで、汚い私欲に溢れた王宮の者たちではなく、わたくしが心より信頼するあなたへ縋る道を見出したのです」

「それほどまでに、王宮は腐敗しているのですか?」

「ええ。このゲルマニア同盟による事実上の吸収。それによって根本から改革を必要とするほどには」

 

 アンリエッタとて、全ての(まつりごと)から目を背けていた訳ではない。微力ながらも、ルイズに比べれば雲泥の差と笑われるであろう規模でありながらも、彼女なりに力をつけていたのだ。

 側近とも言えるマザリーニは一応は味方だが、マザリーニは生まれの立場上、アンリエッタの補助はできても望みへの力添えはできない。正に八方ふさがりの状態から、尻拭いをルイズ達に任せるのは何よりも心苦しく、同時にそれを当然だと斬って捨てる醜い心がある。二つの板挟みから出たこの結論が、アンリエッタにできる全てであるのだ。

 

「ディアボロ」

「…知らんぞ」

「十分よ。……アンリエッタ女王よりその勅命、拝命いたします。ラ・ヴァリエールが三女ルイズ・フランソワーズの名と杖に掛け、己の全力を以って特務を遂行する事を此処で誓います」

「ルイズ」

「頷いて下さい、姫殿下。あなたはわたしの前で一歩踏み出してくれたのですから――それに報いずして何がおともだちでありましょう?」

「……分かりました。わたくしのために行ってください」

 

 アンリエッタは罪の意識にさいなまれない。これは親友との誓いであり、決して卑しい事ではないのだと改めて認識する。国の命運を友の手に託して、初めて背負うことになった命の責任に押し潰されないよう、トリステインの王女は自分の手を握りしめた。

 

 二人の決意が固まった直後、扉の前に移動していたディアボロはドアを挟んで言葉を零す。ルイズ達には聞こえない程度に言い聞かせた言葉は、扉の向こう側にはしっかりと届いていた。

 

「だ、そうだ。貴様も命を掛ける覚悟はあるのか? まさか覗き見が趣味とは言うまい」

「まさか。それに名乗りを上げるチャンスと君に弟子入り出来る機会が減るなんて考えられないからね。あの二人が落ちついてから、改めて立候補させて貰うよ」

「賢明な判断だ」

 

 異邦の巨漢は嘲笑い、待ち受けるアルビオンへの道のりを試練と受け取った。

 




ジョジョASB発売+免許取得+更新停滞のお詫び=二万字オーバー。

実際のところは上手いこと話を切れる個所が見当たらないのでダラダラしただけですけども。
アルビオン編から原作を離れていくと思います。原作沿いがお望みの方は、このあたりから離脱した方がいいかもしれません。
お帰りはこちらの部屋(・・)へどうぞ → ジェイル・ハウス・ロック

追記:
これまでの話の中で、どうにも表現がおぼつかないところが多々ありました。
そう言った所を微修正して加筆修正しておきました。

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