ふたつ 繋がりが見える
みっつ 手によく馴染む
よっつ 閉じて終息する
わたしたちの道は袋小路でしかなかったらしい ―――4000年前、貴族の手記より
「やあ、おはよう」
「何用だ?」
目の前に気配。ディアボロは昨夜の「仮面の男」からの依頼で襲撃されていた事もあって、一晩眠らずただ目を閉じて眠る振りでこの一体からの襲撃に備えていた。しかしその心配もなく無事に一夜が明け、太陽が斜め上から照らし始めた頃であった。
ワルドが部屋を訪ねてきたのだ。装備は昨夜見かけた頃から変わらず、腰に巻いたレイピアのような杖に、機動性と言うよりは見栄えに重点を置いたマント。帽子を一本の指でくいっと押し上げた彼は、余り誰も起きていないであろう時間帯ににこやかな笑みで答えた。
「ちょっと、きみに嫉妬しちゃってね」
「……」
「ああ待った、無言で部屋から追い出そうとしないでくれないか」
無言でワルドの肩とドアの取っ手に両手を置いたディアボロに制止の声を掛ける。
仕切り直すように正面からディアボロを見上げたワルドは、ニヒルな笑顔を作る。
「君とひとつ手合わせ願いたい。きみはルイズから全面の信頼と信用を受けているみたいでね…昨日の語り合い、彼女が恐ろしい程遠い位置に居るのを実感させられてしまったんだよ。それで、そうまでルイズの心を埋める君は“どんな人間”なのか……少し、見てみたいと思って…ね?」
「昨夜の襲撃が何を意味するか、分からん筈でもあるまい」
「時と場所は弁えろと言う事だろう? だが心配ご無用。僕は風のスクウェア、偏在の使い手。偏在する我が身は常に周囲を見張っているが故に、敵襲の気配は曇りの日に太陽の光を見つけるよりも容易いさ」
「キサマが何を考えているかは知らんが、随分と自信家で我が身を中心として星を回している事は理解できた。あの小僧に付き纏われるよりはマシだ、な」
「肯定と受け取らせて貰うが、構わないか?」
鼻で笑ったディアボロは、冷たい視線をワルドに向ける。中に含まれた敵意に、交戦の意志がある事を射抜いたグリフォン隊の隊長はついてきて欲しいとアイサインを送る。穏やかな寝息を立てるギーシュを残して、二人の極めし者の足音は遠ざかって行くのであった。
「ワルド、朝早くに叩き起こしておいて立会人をしろなんてほざく口はこれかしら? ええ、こ・れ・か・し・らッ!?」
「いひゃい、いひゃいよるふぃず」
女神の杵亭、中庭にて。
かつては練兵場ともなったこの地に、たった三人だけではある物の、当時の様な活気が舞い戻って来ていた。とはいっても、其れは喧騒の酷さであって修練に来た兵士と言う訳ではないのが時代の経過を感じさせる。
「そう言う割には笑顔って、そう言う趣味でもあるまいし……もう、ディアボロと言いギーシュと言い、それに加えて男ってこんなのしか居ないのかしら? 女の私には到底理解できそうにないわね」
「いつの時代も男が女心を介さないのと同じさ。これは僕の持論だが、男の心は牙城でできていて、女の心は煌びやかなお城。造りも違えば内装も違うと言った具合なのかもしれないよ?」
「誤魔化してばっかり! ……はぁ、ごめんなさいねディアボロ。この婚約者、昨日からなーんか変にわたしに突っかかって来るのよ」
ははは、と反省の色も見えない「元・憧れのワルド」にデコピンをかましたルイズは呆れたように、どう思う? といった視線をディアボロに送る。腕を組んでただ首を横に振る彼の反応を見て、ワルドも遂に真性の大馬鹿者認定されてしまったか、とこの少年よりも幼いままである婚約者を見てルイズは苦笑を漏らすことしかできなかった。
「とにかく、時間も有限だ。こんなことに付き合って貰っている君達にも悪いからね、早めに始めるとしようではないか」
「調子のいい奴だ。気にいったぞ、キサマ。その目に秘める闇すらもな」
「―――。はは、とんでもないね。きみは!」
ディアボロの発言で帽子のつばを直しながら、言葉と共に先に動いたのはジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。腰に差されていた彼の杖はいつの間にか手に収まっており、そこから突き出す吹きすさぶ風の如き一突がディアボロの心臓めがけて繰り出される!
だが悪魔の男がうろたえることなどない! 完全に鞘に収まりきったデルフリンガーを逆手で抜き放つと、幅の広い峰で横からレイピアの様な杖を振り払う。杖を戻そうとするよりも早く、ディアボロの反撃はワルドの杖に接触し、手放さないまでも強い痺れをワルドの手に残して行った。
次いで、デルフリンガーが完全に刀身の全てを錆びながらも太陽光を反射させた。その光はワルドの目に当たる角度で在り、網膜にもしばらく残る白い染みを視界に彩られた彼は、これは不味いと退避を選ぶ。しかし行動の合間に詠唱を追えていた彼は、エア・ハンマーと言う置き土産を残して中距離まで後退した。
デルフリンガーを順手で右手に持ちなおし、こともなげにエア・ハンマーの出現位置を悟ったディアボロは横に小さく飛び退く事で風槌を躱す。ジリ……と地面を踏みしめる音が、両者の靴から響き渡った。
「……何と言うか、驚いた。ディアボロ君、きみは……状況判断能力が我が隊の誰よりも…もしかしたら僕よりも跳び抜けて高いのかもしれない。まるで暗闇の洞窟で墜落する事無く飛び続けるコウモリのようにッ! 君は行動に移るまでのラグが感じられない! 流石はガンダールヴ、神の左手に選ばれる素質を持った男だ!!」
「ああ、ワルドはなんでか知ってるみたいよ」
「ほぅ……それはそれは、興味深い事を聞いた。しかしコウモリとは……キサマ、我が過去を知らずに言い当てるとは思わなかったぞ。いや、同じ闇を持つ者同士……初めてあった時から隠すことなど不要であったのかも知れん…………」
ルイズの言葉から、ディアボロはワルドが注意人物であるのだと悟ったが、そんな事はどうでも良いと言わんばかりに戦いの続きを促した。デルフリンガーは喋らない。ただの剣と徹している事で、ただの剣だからこそこの場に満ちる闘気以外の無粋な感情に気付いていた。
故に、だ。互いに腹の探り合いは戦いを交わすことを主として読み取ろうと両者が構えを崩す。片や荒ぶ風の如く、片や流麗な水の如く。どちらも動の構えにて衝突し、デルフリンガーからは高い金属音が鳴り響いた。ワルドの杖には、いつの間にか風でコーティングされた刃が渦巻いていたのである。
一合、二合、返して振り返りながら三合。貴族であるワルドと、立場上覚えなければならなかったディアボロとが華麗な剣舞を抜き身の剣で交わせる。悪魔と騎士の不作法なダンスは10合にも達しようかと言うところで一旦の終わりを見せ始め、11回目の剣の交差にて変化が訪れる。下段から突き上げるようにして掬ってきたワルドの攻撃を、ディアボロは未来を読んだかのように屈んで避けたのである。そうして突き出した形で攻撃硬直を起こしたワルドに容赦のないディアボロの
ほんの少し、たったそれだけの差でディアボロの拳が空を切り、ワルドは反撃も考えられずに咄嗟に距離をとる。下から殴りぬいた形で硬直していたディアボロは視線を相手に向け、ワルドもまた殴り飛ばされそうだった腹を左手で覆いながら深く息を吐きだし、ディアボロを視線で射止めた。
「……これは、驚いたぞ。きみは本当に実力者だ……これまで会って来たメイジ殺しなど話にすらならない! その瞳、込められた想い…迷いなんてどこにもない……そう、戦士の様な……己の障害全てが何であろうと! 己自身で打ち砕く強靭な意志…! 素晴らしい、素晴らし過ぎるよ……ディアボロ君」
「実を言えばな……オレとてあれを避けられるとは、そう…微塵も思わなかった。キサマの力量を舐め切っていた事は恥じようではないか。慣れぬ剣で挑むのは、相当に堪えたようだ……この手が、雷でも打たれたかのように痺れ切っている……すなわちそれは、お前の力量は想定以上…だが、予見通りだな……」
「どうやらここで痛み分けにしておいた方がよさそうだ。きみが相手だと、僕も全力で殺し合う死合に発展しかねないからね……」
ワルドが杖を腰に仕舞うと、ディアボロも後ろ腰に斜めに括りつけてあるデルフリンガーの鞘に刀身を戻した。金具の部分を稼働できるように少しだけ刀身は残してあるが、これ以上の戦闘の意志は無い事を互いに示している。
一触即発の空気も霧散した所で、戦いに見入っていたルイズがハッと我を取り戻した。
「では、今日はゆっくりと戦地に入る前の平穏を享受しよう。……ああそうだ」
『んお?』
思い出したように、ワルドはディアボロのデルフリンガーに指を指す。
「きみは剣士というより拳で戦う方がメインの様だね。少々貴族の従者にしては良い顔はされないだろうが……その剣、最初に抜いた時のように逆手で持ってみたらどうかな? 君の拳が、剣を握った程度で壊れる位にヤワじゃ無ければ…あるいは」
「仮にも名に高い魔法衛士隊長の助言だ。受け取っておこう」
「きみたちは
マントを翻して宿屋に戻って行った彼を見送って、周囲の気配探知をルイズからのアイコンタクトで受け取ったディアボロはキング・クリムゾンの凄まじい観察能力で周囲を見渡した。
虫の子が這いずり回る気配程度しか無く、ワルドは本当に去って行ったのだと確認し終わったディアボロは、早速と言わんばかりに話の本題に入る。ワルドと話し、何を掴んだのかと。
「さっきも聞いたでしょうけど、あなたがガンダールヴだってのがバレてるわ。オールド・オスマンからは門外不出を言い渡されたにも関わらず、何時からガンダールヴと判明したかすら分からないのに…彼は知っていた。“始祖ブリミルの伝説”……あながち御伽噺だって馬鹿にはできないようになって来ているわ」
誰もいない事を確認し、近くの樽に腰かけたルイズが手ぶりを交えて息を吐きだした。
「手の内は極力明かさず戦ったが…ヤツも奥の手はいくらでも隠しているな。使ったのは
「むしろアレだけじゃグリフォン隊隊長になれないわよ。ワルドは風のスクウェアメイジ…偏在は今回索敵に使ってるらしいけど、それを戦闘に持って来られたら実質ワルドを数人相手にすることになるわ」
「一人で一個師団を気取るか……だが腑に落ちん事が一つある」
『そりゃ、何で最適な戦術に口を出したか…だよな?』
「その通りだ」
デルフリンガーが言うとおり、ワルドは此方が「ワルドが敵だと気付いていた事に気付いていた」にも関わらず、自分が不利になるだけだろうにディアボロへ戦いの術を指南したのである。実際、自分の手が伸びたような正攻法な戦いをするよりも、振り抜いた際のトリッキーな攻撃に繋がる逆手持ちの方が扱いは難しかろうと剣よりも更に懐に潜り込むディアボロの戦闘スタイルには最適だ。カウンターを取ることも多く、ともなれば丈夫なデルフリンガーで攻撃を受け流すにも逆手持ちは効率が良いかもしれない。
ひとつ考えるだけで、バリエーションが一気に増える。本当に、ワルドは何を思って自分達へ道を提示したのだろうか。
「……奴の目を見れば分かる。アレは、泥を啜った者の目だ…裏切りをものともせず、己の都合の為には如何なるものも斬り捨て躊躇わない目だ……だが、その中で未練がましく光にしがみついている男の顔でもあるな」
ディアボロの言葉に、ルイズはそう言えばと昨夜の事を思い出す。
「そう言えば…昨日の夜、途中からわたしに随分執着するような事を言ってたの。多分、ワルドの目的の一つにわたしが含まれていると思うんだけど……駄目ね、こんな才能無しが狙われた所で、何をしたいのか想像もできないわ」
「まだ此方の世界観には慣れん。だが、オマエですら分からないとなれば――」
『小難しいもんだ。奴が動きゃそん時にやりゃあいいじゃねーか。単純明快!』
「ふふ。それもそうね」
どうにもならんな、とディアボロがあたまを振る。
ルイズは樽からぴょんと飛び下りると、彼女も自由時間を満喫すると言って宿の外を目指して歩いて行った。今回ばかりはついてこないでも大丈夫と言われたディアボロはデルフリンガーを担いで宿に戻り、まだ穏やかな寝息を立てるギーシュを冷たい視線で見下ろすのであったとか。
昼もとっくに過ぎた頃。敵の気配すら感じられない中で、しかし多数の目線がこちらを突き刺している。珍しい桃色に緑の斑点がある髪を後ろで一つに縛ったディアボロは、昼になるまでに購入したみすぼらしくはない服に身を包んでいた。もちろんと言うべきかは判らないが、新調したのは上着だけで下には複雑な模様をかたどった紐の様なアレを内側に着込んでいる。
そんな礼服モドキを着こなしたディアボロは決して凡夫では無い顔立ちと、そこに居るだけで発せられる男らしいオーラから周囲の目線を引きつけているようだった。ギャング時代には晒した事のない真の姿を見られるのは学院で慣れて来ていたが、ラ・ロシェールの街に住む商人たちなどの物珍しげな視線の中には値打するようなねっとりとした陰気も漂っているのは非常に苛立ってくる。
貴族の住む時代と言う事はつまり、モット伯の時の様な奴隷制度が浸透している時代だ。鎧を着た傭兵ではなく、どこの馬の骨とも知らない輩がこうして一人で歩き回っているのなら、絶好のカモとみなされてもおかしくはないと言う事なのだろう。
「だが…ふん、ムカつく視線だ……。このオレを観察しているつもりか? あの傭兵共は」
『旦那ぁ、そうカッカするもんでもねーぜ。奴らの実力は旦那の足元にすら及ばねぇって。堂々と胸張って歩くのが、力を持つ奴の特権って奴だろ。それによお、だらけてたら迎撃すらできねぇや! へっ!』
「堂々と……か。この地で我が過去を暴くものもいない……オレは、そうだ。進むだけでよいのだな? ハッ、まったく恐ろしい娘だ。ルイズが何処にいるか分からんだけ。たったそれっぽっちでこうも取り乱しそうになるとはな……」
予想以上に、自分の「光」と認識してしまっているだけに、影を伸ばす闇である己の存在意義に疑問を抱きそうになっていると言うディアボロ。隣に立ち続けると言う事はつまり、ディアボロ自身がルイズの永遠の壁となる。そしてルイズが乗り越える度に、ディアボロがより長く、より高く昇る影の標を見つける。
この無限の連鎖が、いまこの時を過ごすディアボロの精神を押し固めていた。過去を掘り返される恐怖を乗り越える……そう、真の帝王としてほんのちょっぴりの恐れすら己のものとして認めるにはまだほど遠いにしても、ディアボロはルイズが傍にいる事で彼女を教え、彼女に教えられてきた。
人間の中にある光を、何時か彼が手にする日は来るのだろうか? いや、もう手に入れているのに気が付いていないだけなのかもしれない。ジョルノ達が掴んだ黄金は、常にその手のうちから湧き出でていたのだから……。
「傭兵、全てか」
『やるか?』
「下手に動けばワルドも動く。この会話も、気付かれている前提だろうが…奴は何を企んでいる? 色恋沙汰では無い…奴はどこか、遠い場所を見つめていた……このオレが知る事の無かった、遥か遠くの何かを」
それがどんな感情であるのか。人間の汚い部分ばかりを網羅したディアボロは、ワルドの抱く愛情へ縋る気持ちに気付く事は出来ない。
だからこそ、何も知らないディアボロは思う。この身に与えられたチャンスでもある。ルイズの使い魔と言う立場…これは自分に与えられた試練の一つであるのだと。この身に起こる事全てを認識し、理解する事が第一歩となるのであろう、とも。
街の地形把握を終えたディアボロは、ゆったりとした足取りで宿屋に向かう。帰り際、一度だけ力強く閉じられた瞳が映したのは……淡く力を放つルーンの光であった。
「戻ったぞ」
宿屋に戻ると、一階の酒場でカクテルを揺らすルイズの姿があった。
アルコールはさほど摂取していないようで、素面のままに彼女は言う。
「あらお帰り。気分転換はできた?」
「再確認……だな」
「…え?」
「それだけだ。夕飯は先に喰っているぞ」
「あ、ちょっと」
引きとめるが、彼は酒屋の一角に移動して注文を出すと、どっかりと席に座りこんでしまった。何か彼なりのリフレッシュでもしてきたのだろうと、彼の腰に差された鞘へしっかりと収められたデルフリンガーの姿を確認したルイズは、隣に誰かが座って来た事に気がついた。
「やっ、ルイズ。まだ夜も来てないのにカクテルかな?」
「ギーシュ、どうしたのよ」
「気付いてるかな。彼、また纏ってる雰囲気が鋭くなってる…近々なにか起こるかもね」
「…あ、そうみたい。良く分かったわね」
付き合いの長い自分でも、言われるまではその微妙な変化へすぐには気付けなかった。ちょっとした驚きと畏敬の念を込めてルイズが彼を誉めると、少し照れくさそうにギーシュは頬を掻く。
「まぁ、彼をずっと観察していれば雰囲気の違いなら分かるように…ね」
「……あ、あぁ…そう言う…?」
理由が理由だけに、しつこいにもほどがあるんじゃないかと目元を引き攣らせたルイズは決して悪くはない。半ばストーカーまがいなギーシュの発言は、この時代に置いても理由を知らなければ変人扱いは免れない。まして、誇り高く清き付き合いを至上とするトリステイン貴族の一員でもあるという箔から、そう言った行為はあまり好まれてはいないのだ。常識の問題である。
「面白そうな話してるわねぇ。ちょっと混ぜなさいよ」
「わっとと」
突然として、ルイズの隣席にキュルケが腰かけた。いったいどこから来たのかと問えば、二階で暇を持て余している所、何か面白そうなものはないかと一階で話し込んでいる二人を見つけただけらしい。
「いい加減に任務のこと教えてくれてもいいんじゃないの? アルビオンで何かするっていうのは分かったけど、具体性に欠けてちゃ女も作戦もすぐに廃れちゃうわよ」
「あんたは護衛かなんかだと思っていればいいのよ。こっちはお国事なんだし、いくら友達でも他国の生徒が政に介入する訳にはいかないじゃない」
「あら! 友達って言ってくれるのね、良い事聞いちゃったわ」
「…ゲルマニアの女性は君のように都合のいい部分しか抜き取らないのかい?」
「やぁねえ…あたしだけよっ。そんなの沢山いたらウザったいとは思わない? ねぇギーシュ、どうなのよ」
「……自覚しているだけマシと言うべきか、それとも呆れ果てるかほとほと反応に困るレディだね、ツェルプストー。……おや、あれはタバサじゃないか」
「え? あの子も降りて来たのかしら……って!」
「ふぅん。何気に初めてじゃない? タバサがディアボロに話しかけたのって」
背丈を軽く超える杖を背負ったタバサが、トコトコとディアボロの元へ向かっている様子が見えて、ギーシュが行った傍から三人の視線はそちらに向けられた。距離は取ってあるし、杖も構えていないタバサには恐らく聞こえていない事をいいことに、三人は興味深げに彼女の行動を予測しては騒ぎ立てる。
対して、無言でディアボロの元に辿り着いたタバサはハシバミ草の盛り合わせを注文すると、テーブルマナーに忠実な食事をするディアボロと対面に座る。その体格差はまるでどこかの御伽噺の登場人物を彷彿とさせた。
「……聞きたい事がある」
「ぶしつけだな」
「あなたはハルケギニアの常識からはかけ離れている…つまり砂漠を越えたどこかの国から来た異人」
「要領を得んな、それで何だというのだ」
視線を一度も合わせず、食事の手を止めないディアボロの返しに苛立つ様子すら見せず、彼女は無感情に告げた。
「…精神を治す知識があれば、聞いてみたい」
「
「そう」
たったそれだけだった。タバサは瞳の奥で輝いていた僅かな灯火を水で濡らすと、もとの深海よりも深い青色の瞳で仮面を被る。その一瞬、ちらりと其方を見たディアボロはつまらなそうな感情を見せたが、タバサはそれにすら反応する事は無かった。
そしてタバサの注文したハシバミサラダが届くと、彼女は何かの想いをふっ切る様にむしゃむしゃと食べ始める。その小さな口に運ばれる速度は並みのものでは無く、ディアボロがまだ食事を続けているにもかかわらず、彼女はものの数分で席を立つとお代を払って酒場の一角に座りこんだ。
その様子を見ていたルイズはまたやらかしたものね、と。ディアボロの行動が何を意味していたのかを瞬時に悟る。タバサはディアボロとの戦いから知らず知らずのうちに逃げ出し、背中を向けてしまった彼女にディアボロの興味は一気に薄れたのだろう。手を伸ばす気まぐれを逃すチャンスは、この場では潰えたといってもいい。
趣味が悪いのは彼から聞いたギャングという荒くれ者の組織でボスをやっていたからなのだろうか。彼が此方に来てからまず最初に考えて、今ではそう考える事すら無駄な感想を抱いたルイズは溜息をついた。
そんな中、突如ディアボロが投げて来た視線に頷いて、その足を二階に向ける。
「あら、何処行くの」
「お月見よ。ワルドも見かけないし、部屋に戻ってるかと思って」
「そう? じゃあさっさと婚約者と逢引きしてらっしゃいな。あなたの興味は、あの髭の素敵なお方には無い様だけどね」
「そう言う事になると途端に鋭くなるわね。恋のお悩み相談室でも開いたらどう?」
「いいかもね。最後に着きつける言葉は―――押し倒しちゃいなさい、なんて」
「あんたらしいわ。バッカみたい!」
僅かに笑って、ルイズは二階へあがって行った。最後に階段の壁で見えなくなる前に見たディアボロは、此方のことなど気にも留めずに食事を追えて口周りを拭っている。妙にマナーの似合った姿は、普段の彼の様子からは想像もできない程に似合っていた。
とん、とん、とん、木の階段を上がる度に、宿部屋の中以外に人の気配を感じない廊下は少し不気味に思えた。お化けでもでたら爆破してやろうかしら。そんな物騒な考えを抱きながら自分の貸し与えられた部屋に入ると、案の定。部屋の中で帽子をクルクルと回して遊んでいる婚約者の姿がある。両手を腰に当て、鼻から空気を押しだしたルイズは、此方に気付いてやぁ、と手を上げる婚約者が自分よりずっと年下に見えてしまった。
「ワルド、明日に必要なものは買い揃えたの?」
「ああ。そっちに纏めておいてあるさ。明日はディアボロ君に持たせて港まで行こう」
「適任だけど、荷物持ちって…わたしの使い魔と言うより、使用人みたいな扱いしたら怒るかもしれないわよ。彼」
「ははは、嘘だよ。馬はともかくグリフォンはアルビオンまで同行させるからね。グリフォンの鞍に括りつけて行くから安心して構わないとも」
グリフォンは魔法衛士隊の「グリフォン隊」を象徴する騎乗魔物である。その証明としてついてきている時点でこの一行は只者ではないと自己主張するような物だが、ワルドが出てきた最初からこの任務のきな臭さにはディアボロの視線を通してルイズにも伝わっている。
なんとも先が思いやられる任務だと、こんな命がいくつあっても足りそうにない命令を出したアンリエッタへ愚痴をこぼしたくもなるが、おともだちである彼女へ直々に「無事に生きて帰る」と約束したからには、必ずや任務を遂行して五体満足で戻っていかなければならない。
「任務をこなし、自分たちをも守る。これがわたしたちの辛い所よね」
「おや、突然どうしたのだ。泣きごとかい? 僕のルイズ」
「そんなんじゃないわ。ただね、ワルド。あなたが何を考えているのか……何も分からないのが不気味なだけよ」
指を組んで、微笑を伴ったその言葉にワルドは目を少しだけ見開いた。こうまで直球に聞いてくるとは思えなかったのだろう。だが、すぐさまその驚愕を苦笑に変えた彼はあからさまな嘘を吐く。
「ただ任務の為に君たちを守り切って、ルイズには傷一つつけさせない…と言ったら?」
「だったらその考えは失敗ね。ほら、さっき階段の手すりで木のトゲがささっちゃってるもの。あぁ、結構痛いのよねこれって」
「ああ、これは大変だ! ルイズ、こっちに手を貸して」
ほらほらと見せびらかした患部にワルドが少し慌てると、指を広げたルイズの手をとって指にささっているトゲを少しずつ引き抜いた。指の腹からぷっくらと膨らむ血の球を布で拭うと、清潔な包帯をリボンに見立てて結びつける。細く小さな包帯の指輪は、ワルドの見た目に似合わずこぎれいに整えられていた。
「ほら、これでよし」
「意外と器用ね。それとも、これもグリフォン隊の訓練の賜物かしら」
「曲がりなりにも軍人なんだから、応急措置のいろはは叩き込まれたよ。いつか時間がある時にでも、“ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドのグリフォン隊成り上がり物語”でも語り聞かせてあげたいね」
「だったら、“ルイズが言われた悪口メモ”でも見せようかしら」
「そんなのあるのかい?」
驚く彼に、ルイズは笑う。
「ないわ。口から出まかせって感じ」
どっと疲れたように、ワルドは向かいの椅子に体を預けた。いつの間にか出した話題全てが上げ足を取られているのだから、彼の苦労も相当なものだろう。それがかつての可愛い可愛い小さなルイズでしかなかった彼女自身の口から吐き出されるのだから、やられた、という感覚は二倍になってワルドを襲う。
月が太陽の光を打ち負かし始めている。赤と青の双子がせわしなく自己主張を続ける中で、ワルドはふっと笑ってルイズを見た。
「なぁルイズ」
「どうしたの?」
「結婚しよう」
一瞬で、時が止まった。
「…ど、ど、どう言う意味…かしら…?」
「言った通りで、言葉のとおりさ。ああ、僕が相応しくないと言うのならもっと男を上げよう。この旅路の間で君をうならせるほどに―――」
「そう言う意味じゃないのよ! け、結婚だなんて……こんな時に」
「さっき君は聞いただろう? “一体何を考えているのか”って…ね。僕がこの任務に同行したうち、一つの目的に君を手に入れる事があった。人形じゃない、君の自主性をちゃんと理解した上での話さ」
突然として言われたことにのぼせていたルイズだが、ワルドの言葉でまたクールダウンする。そうだ。この男の言った事は、つまりそう言う事だったのだから。
「ああ、そういう…。なるほどね」
「だがそれも優先度は低かった…しかし今となっては、第一に君の事を考えずにはいられない」
「あなた随分と厭味なのね。こんな無能の女に対して……有能この上ないあなたがわたしの許可を得ようって? それこそ、力づくで言う事を聞かせられるでしょうに、ねぇ? そうよ、わたしはか弱い婦女子でしか無い…あなたみたいな立派な男は、あの手この手で抑え込むことだってできるじゃないの」
「しかしそれは、今となっては誇りすらクソ喰らえの僕にとっても最低に属する行為さ」
「ホント…不気味よ、ワルド。一体何を抱えているの?」
ワルドの目に影が差す。
ニヤリと釣り上げられた口元は、ルイズに対しての感情表現なのか。それとも?
彼はこれ以上なにを言うでもなく、腰に差したレイピア意匠の杖を揺らした。
「……ム、これは」
「どうしたの?」
「どうやら敵のお出ましらしいね。先に下へ向かう……安全を確保するから、ついてきて欲しい」
「あ、ちょっと! ……はぁ、言う筈ないか」
部屋の外へマントを翻しながら走り去ったワルドの背へ手を伸ばして、空を切るばかりのその手を見つめ直した。ディアボロのように年季と他人の血肉が刻まれたわけでも無ければ、シエスタのように労働へ従事した証拠の傷も何もない。まっさらで、まだ何も汚いものに触れたことすらない両手。
まるで赤子の様な無垢な手を見て、ワルドの手袋の下に刻まれた武器を握る屈強な手を思い浮かべる。一体何をするために、彼はこの日まで鍛えて来たのであろうか、と。
その全ては、先の会話で真にも何も知ることなく…淡々と事実のみを受け止める結果となった。数年来の付き合いだと言っても、相手の全てを理解することなど不可能。まして、数年ぶりになる人間と出会うとするのなら―――相手も自分も、知らない事は増えている。
「ままならないものね」
「本当に、この世の中はそうなのよねぇ……」
「ッ!?」
ぽつりとつぶやいた言葉に、返す人間がいる。
それは、ベランダの向こうから聞こえて来て―――
「……フーケ。脱出して、わたしたちにお礼参りに来たつもりかしら」
「まぁ近いんじゃないの? アタシとしては、憎たらしいアンタらを踏み潰せればなんの後腐れもなくなるってモンだけど…さッ!!」
「ゴーレム…ッ!」
ベランダの向こう、ゴーレムにのったフーケが腕を振り下ろし、女神の杵亭はスイートルームとベランダに大きな被害を被ることになる。崩落する瓦礫の淵から逃げ出したルイズは、悲鳴を噛み殺しながらも何とか部屋の扉まで向かって退避する事が出来た。
向き合って、避ける様な笑みを浮かべる女盗賊にキッと睨むような視線を向ける。
「おお怖い怖い。魔法も使えないくせに、とんだおてんば娘もいたもんだ」
「そのお転婆は魔法にも現れてるって思った方がいいと思うけど?」
「なんだって?」
「―――ファイアー・ボール」
杖を向け、その着弾地点へハッキリと狙いをつけたルイズが唱えた呪文は既存のファイアー・ボールという魔法のように杖先から飛ぶことはない。しかし、
「うぅぅあああぁぁぁぁ!?」
「今のうちに…!」
フーケは自分で操ったゴーレムに何とかキャッチして貰ったようだが、彼女が視線を戻した時には既に、ルイズは一階に向かって走り出していた。階段の下にある酒場からはとてつもない喧騒と、人のうめき声が混ざった大合唱が聞こえていて、時折炎が弾けるような音も響いてくる。
とんだ大喧騒になっているものだ。そんな事を思いながら、飛んできた矢が足元に刺さって悲鳴を上げながらワルドの手招きする方向に足を向けた。
「ワルド、戦況は!?」
「ディアボロ君が頑張ってくれている…が、余裕も長くは持たないだろう。こうして立て篭もって嵐が過ぎるのを待ってもいいが、それでは明日の昼まで長引く可能性がある。魔法も無限に撃てるわけじゃないからね」
「となると、明日の出向には間に合わないかもしれないな……ヴァリエール、ワルド殿。ここは僕たちが抑えるから、船着き場に向かってくれ」
ギーシュが造花の薔薇を構えて言えば、キュルケが真性の馬鹿を見るような眼で言う。
「…アンタ正気? ドットクラスのくせに、彼と戦ってから口だけ立派になった訳じゃ無いわよねぇ? ちっぽけな銅の人形遊びしかできないのに」
「銅じゃない。青銅だ! っと、それはともかくだ。僕は飛び入り参加、そしてキュルケやタバサくんは元々任務とは程遠い存在だ。ここは直接姫殿下から任務を受けた君たちが行ってくれたまえ」
元々、家訓である「命を惜しむな、名を惜しめ」を念頭に置いて考えているギーシュである。ディアボロからまだ師事を受けられていないこともあり、ここで散るつもりは欠片たりとも持ち合わせてはいないが、王族の任務を失敗させる事だけは阻止しなければならない。
何か言いたげな視線でギーシュを見ていたワルドだが、こういう人材を惜しむ表情から冷徹な目つきに戻った彼は、ひとつ頷いて了承の意を示す答えを返した。
「……わかった。ギーシュ君、君の思いは無駄にはしない。行くぞルイズ、裏口はまだ手薄だから突破は可能なはずだ」
「え、ええ。ディアボロ! ある程度終わったらこっちに追いつきなさい!」
返事の代わりに、最前線に出ていたディアボロは屈強なラリアットで傭兵を五人纏めて吹き飛ばした。戦列を組んでいても、それ故にドミノ倒しのように体勢を崩される兵士たちは、この悪魔のごとき力で自分たちをなぎ倒す男に恐怖し始めていた。
ディアボロはデルフリンガーを握り、その峰で確実に一人一人と意識を奪って行く。敵の集団に突っ込んでは乱闘を繰り広げる彼は、見えない角度からキング・クリムゾンの拳を他の兵士に当てることで死角の全てをカバーしていた。己の肉体による攻撃と、精神の塊であるスタンドとの背中合わせの共闘。それでいて、ディアボロ一人で戦う姿は熾烈でありながらも正に無双ッ!
誰にも彼を止めることなど出来ないのだ。そう、共闘する仲間からの指示以外には。
「ダーリン! ちょっと退いて!」
兵士の一人を踏み台にし、ディアボロはテーブルを盾にして籠城戦を行うキュルケ達の場所まで下がる。スタンドを纏わせた片手をブレーキにし、宿の床に深い五本の指跡を残しながら後退する彼は、敵に飛んで行く大鍋と、キュルケの放った火炎の塊が網膜に張り付いた。
「消し飛びなさいな!」
キュルケの魔法は烈火よりなお激烈! 鍋の中に残っていた油は彼女の微熱を灼熱へと変化させ、その場にいる全ての傭兵へ等しく真っ赤なキスマークを施した。ごうごうと燃え広がる宿屋は既に壊滅は決定済みだが、この場に訪れた傭兵たちも同じく壊滅的なダメージを受けていた。
炎上する人間の苦しむ声が聞こえ、気絶した仲間につまずいて仲間と自分に更なる炎を映してしまう者が続出する中、ディアボロは酷い臭さだと吐き捨て裏口に向かった。しかし、その時ディアボロを引きとめるようにして肩が掴まれる。
こんな場所まで敵が来ている筈も無い。つまり仲間の一人がこうして自分を引きとめているのだと感じたディアボロは、苛立ちを隠そうともせずに振り向いて――
「待って! あたしもルイズの場所に連れて行って」
「……今回の件については部外者の貴様が、何を言う?」
「おかしいとしか思えないの。あなたが来てからルイズは変わった。でも、そう簡単に学院で歪められたルイズの
「……で? オマエが受け皿になろうとでも言うのか」
「受け皿じゃないわ。あの子が気兼ねなく攻撃できる相手よ」
「好きにしろ」
それだけ言って、ディアボロはさっさと裏口に手を掛け、周囲に居た傭兵たちの腹へ鋭い拳を叩きこんで出て行ってしまった。どちらにせよ、今の掛け合いにほとんど意味も無い様に思えるだろう。だが、キュルケは敢えて声を出す事を選んだのだ。自分の意思で行くのだと、証明するために。
「…タバサ、付き合わせてごめんなさいね。でも流石にヴァリエールを両手に薔薇になんてさせておくわけにはいかないから」
「キュルケ、とっても不器用」
タバサが言えば、キュルケは憎まれ口を閉じる他なかった。
「……今更あの子の前で本音なんて言えないわよ。彼が、ディアボロが来てから変わったルイズに憧れたなんて…下手に言いふらしてみなさい? 百合の花が咲いちゃうわ」
「まったく、君は化粧だのなんだのと……戦いに迷いを持ち込み過ぎだよ。戦う意志のない婦女子はさっさと逃げてくれたまえ。ここには戦士二人がいれば十分だからね」
「死なないでよね。ドットクラスの癖して粋がって、死んでたらモンモランシーとケティをどう取り押さえればいいか分からないんだから。タバサに頼ったって誰も馬鹿にしないわよ?」
「ふふん」
返事の代わりに、ワルキューレを二体作り上げたギーシュが杖に意識を集中させて戦に躍り出る。風の魔法と最小限のコントロールで次々と敵を気絶させていく親友、タバサの雄姿を見送りながら、苦笑をひとつ。キュルケは振り払うように背を向け、裏口で倒れ込む兵士の背中を踏みつけて行くのであった。
「と、大口叩いたはいいけど……ミス・タバサ。敵はあと何人かな?」
「14人。それから……」
宿屋の二階が丸ごと取り払われる。上から覗きこむのは、巨大な土くれゴーレムに乗ったトライアングルメイジの大怪盗。
「大物が一人」
「それはグッドテイスト。コーヒーが泥水にならなければいいんだがね」
三点を包囲された二人は、魔法の力をみなぎらせた。
「どっちが桟橋だ」
「あっちの樹の上よ。アルビオン行きは更に上の枝を港として使っていますわ」
土地勘のないディアボロが、背中に捕まっているキュルケの声を当てに進行方向を定める。後方の宿からは建物一つが丸ごと崩壊するけたたましさが耳を打つが、ひととび20メートル以上の脚力を以って走り去るディアボロ達の速度によって、すぐ夜の静寂と風を切る音ばかりが聞こえる世界に入り込んだ。
そんなディアボロが走っている街の道には明かりと言う明かりもほんの少ししか無く、完全に夜は出港する事を考えていない作りの港へ向かう道に対し、なんと24時間営業心のない国営業なのかと舌打ちせずにはいられない。
「ねぇ、ルイズは…本当に強くなれてる?」
「知った事か。奴が啖呵を切った事は認めるが、行動へ移した姿は見た事すら無い」
「……あの子の心境次第なんでしょうね。本当に立派になれたら、ミスタの前で成長した姿を見せてくれるかもしれませんわよ?」
「姿とは、誇示するものではない……」
ディアボロがこう言ったのは、決して表舞台に姿を見せずに独りよがりの帝王を演じていたから…などという理由では無い。ディアボロは知っている。誰にも知られず、縁の下の力持ちという言葉を体現する人間が居る事を。その行いは親しい人物や限られた者たちにしか知られておらず、時には誰にも知られていなくとも、その偉大な行いは必ず名も知らぬ誰かの為になっている事を。
思い返すのは黄金体験の中での事。今となっては最小限の人間……あの賊を脅す時に一人だけ殺しすにとどめているが、あのレクイエムの迷宮の中での出来事を経験していなければ、洗いざらい聞きだした後は用済みとなった傭兵十数人全員を殺していた事だろう。だが、ディアボロがそうしなくなったのは何故か? 理由は簡単で、いまは姿も存在も無きジョルノが見せた黄金体験から、ディアボロは命を学んだからである。
教師はおらず、その副産物的な能力だけが見せ続けた現実の幻。いまや世界を持超えるきっかけとなったジョルノは、その場におらずとも確実にディアボロの人格に影響を与えている。
しかし典型的な貴族として教育を受けている真っ最中のキュルケは、その言葉の意味がまだよく分からなかった。貴族とは、己の行いを誇り民衆に見せつけることで名を残す存在。大なり小なり全ての貴族が自ずから名声を得ようとするのに、誇示せずしてどう姿を見せると言うのだろうか、と。そう思わずには居られなかった。
そしてしばしの移動が続き、キュルケの指示でアルビオン行きの船がある桟橋へ向かう。木を内側から昇ると言う不可思議な体験を通じながらも、ディアボロの瞳は宵闇に輝くピンクブロンドの輝きを映した。
「あ、ディアボロ! ―――とキュルケ!?」
「相変わらずねぇ。ほら、愛しのミスタはあたしがとっちゃっ――」
「降りろ小娘」
「痛いッ!?」
尻から落とされるキュルケ。ディアボロには女心を介す心意気すらないらしい。
そうしていると、タラップからワルドが降りてきた。合流したディアボロと、まさか一緒にいるとは思わなかったキュルケに目を見開いていたが、すぐに平常心を取り戻して報告する。
「丁度良かった、いま船長との交渉が終わった所だよ。それでディアボロ君、彼女は…」
「野良猫に集るノミのようにくっついてきたに過ぎん」
「……そうかい。まぁ、君が選んだのなら僕は構わないとも」
ワルドが帽子をつつき上げながら言えば、ディアボロはどうでも良いと言わんばかりに出航準備を終えかけている船に乗り込んだ。その際にはまったく自然な流れでルイズも同行し、後からは憎まれ口を叩き合いながらキュルケがルイズの後を追って行く。
(……これも、僕の
ワルドは思う。
姫殿下の思惑とは違って、彼は自分の欲望とでも言うべき願いを掲げてこの旅に同行するようありとあらゆる手を回した。学院で行われたパレードの際にも、アンリエッタが悩んでいる事を諜報を通じて知りながら近づいた。その努力や策は功を成し、こうしてアルビオンの特務に参加する事になる。
グリフォン隊隊長の肩書も、全てはこれから始まるのであろうハルケギニア全土を巻き込む大乱で自分の役に立てるために取った称号に過ぎない。ワルドの行動原理の全ては、二つの目的と一つの真実の為だけにあるのだ。
「ワルド!」
「…ルイズ?」
「早く乗りましょう。何がしたいのかは……ゆっくりと船で語らえるじゃない」
「……ふっ。ああ、そうだね」
だから今は、この可愛い婚約者の誘いに乗ろう。
自分の中にある真実を明かす為、どちらに転ぶかは―――己の意志次第なのだから。
今回はワルドが少しずつメインに。
キュルケはもう少しルイズへの憧憬の一部を描写しておきたかったです。まだ初期段階。
気付いたんですが、わたしたちの小説って(心の中の言葉)が少ないようです。というか今回かなりのレアケース?
ほとんど地の文にまとめたほうがやりやすいんですが、他の人はどうなのかしら。