ルイズ・フランソワーズ。
正式な名を略称させて貰うが、彼女は今窮地に立たされていた。
バイツァ・ダストを使った訳ではないが、時は少しばかり遡ることになる。
彼女はディアボロをコルベールに託したその後、自分でも他の人を思いやることが出来るようになったんだ、少しは成長したのかも。そんな事を思いながら意気揚々と教室に入って行ったのだが、やはりというべきか、教室から投げかけられたのは驚愕の一瞬後、侮蔑の込められたモノだった。
一年間の授業を共にした生徒たちの名前や顔ぶれはそれなりに覚えている。中でも、風の属性を持つ最弱のドットクラス、ギアッチョを彷彿とさせる前髪を持った少年「マリコルヌ・ド・グランドプレ」には酷い罵倒を浴びせかけられたのだ。
「
その直後に担当教員であるミセス・シュヴルーズに二つ名たる「赤土」で口を防がれ、コルベールから伝えられた通りに使い魔のディアボロが今はコルベールの元にいると言われていたが、ルイズへの罵倒は鳴りやまず、彼女の心は自分で抑えきれない程に膨れ上がっていた。故に風上なんて仰々しい二つ名のまったく似合わない脂肪の乗った体系に厭味も込めて「風邪っぴき」と罵ったのだが、やはり生徒同士の争いはご法度。シュヴルーズの一喝で場は収められた。
しかし、ここからなのである。問題と言うのは。
学科の成績が優秀。更には人並み以上の体力と負けん気があるルイズは、その努力が認められてゼロ、ゼロと罵られる中でその正体を知らない教師達にはちょっとした支持を得ていた。シュヴルーズもその中の一人で、彼女が魔法を使えるようになってほしいという願いを持った純粋な「教師」だった。
実績を積ませることでルイズに経験を積んで欲しかったのだが―――ここで場面は現在に移行する。
「…………」
目の前には、ただの石ころ。学院のそこらに転がっている様な、間違っても高貴な貴族が受ける授業の合間に転がり込んできてはならないもの。しかし、彼女にとっては最大の試練として、岩よりも高く聳え立っていた。
「どうしたのです?
シュヴルーズの期待に満ちた視線は嬉しいものだが、こうした場合によってはいつもの視線よりもずっと手酷い攻撃となって突き刺さる。
大丈夫だ、やればできる。私は練習してきた。でも、その練習は―――?
首を振らずに負の考えだけを振り払う。今のこの場に必要なのは、何事にも挑戦するという勇気ッ! 失敗を恐れず、やり続ければ成功と言うのは必ずやってくる! ディアボロを召還した時のように、それが偶然だったとしても、成功と言う事実には変わりないのだから。
謳い上げるようなルーンの詠唱が教室に満ちる。臨戦態勢を整えた学生たちは、この美しい詠唱を前に、派手な見た目の動物には毒があるのが当然であるのだと、そのような恐怖を覚えていた。
「――――ッ、錬金!」
最後の一説が唱えられ、魔力が収束する。人の魔たる要素によって整えられた魔力は正しいプロセスを通って元素に干渉を始める。曰く、人の価値観に従って。曰く、メイジのランクに合わせた形を。
しかしそれらは行使すべき精霊達が「違った」事によって変化を伴った。収束する魔力と共に、錬金で変えられる対象が捻じり曲がって行く。風船に限界以上の空気を詰めるように込められたそれらは、当然のように爆散した。
「ぅぁ…!」
爆心地にいたルイズが吹き飛ばされ、爆風が人を傷つけずに物だけを破壊した。そして動物達はこうした災害が起これば逃げ出そうとする本能が体に命令を下すため、我先にと争う使い魔たちが暴れ出したことで教室はパニックに襲われる。
止めて纏めるべき教師のシュヴルーズは、彼女の爆発と言うショッキングな初体験で耐性が付いていなかったのだろう。爆風に煽られてぐったりと気絶してしまっていた。
「痛つつ……」
また失敗。ディアボロを召喚して浮かんでいた気持ちは、場違いな淡水魚が河口を抜けてしまった時のようにズブズブと沈んで行く。誰にも留められない、自然な出来事。ルイズは立ち直ろうと負の感情を表に出さず、表情を取り繕って辺りを見回した。
そして告げてやるのだ。この才能に恵まれた者たちに道化を装った言葉を。
「ちょっと、失敗みたいね」
「ふざけるな! だからゼロにはやらせるなって言ったんだ!」
「使い魔が逃げ出しちゃったじゃない! どうしてくれるのよゼロのルイズ!」
予知能力も必要ない。日常的に繰り返される罵倒がカラスのフンみたいに降ってくる。それをルイズは、真正面から受け止めて己を呪った。上手くいかない理由は何なのか、どうしてこうも
「何事だ。む……ルイズ?」
「あ、ディアボロじゃない」
限界まで沈んで、もう浮きあがれなくなる直前に彼の声を耳が拾った。彼の姿を目が映した。そして、彼は何もしていないというのに、こうして自分を引っ張り上げてくれることに心底感謝した。やはり組織のリーダーと言うのは下っ端や自分の様な無能を自然と引っ張る「引力」があるのだろう。まるで地面を擦った磁石のように。
「見た所煤焦げているが無事の様だな」
「まぁ、ね。…起きてください、ミセス・シュヴルーズ」
「う……み、ミス・ヴァリエール? ……この惨状は」
「私の…責任です。私の失敗が、こうさせました」
認める。それは魔法を諦めたくないルイズにとって最も時間のかかった事だった。
幼少のころから今に至るまで、ずっと失敗を続けている。シュヴルーズはルイズの様子を見て、予想以上の「失敗」を目の当たりにして、深刻な問題とは嘘では無かったのだな、と目を伏せた。
しかしそれも一瞬の事。教師として厳しい瞳に戻った彼女は、彼女に手を引かれて立ち上がりながらも、彼女と目を合わせて言い放つのだ。
「貴族とは、自分の行動には責任を持たなければなりません」
「はい」
「よって、この教室を破壊した貴女には掃除を言いつけます。ミスタ・コルベールから特徴は聞いていましたが、あなたがミスの使い魔なのですね?」
「ディアボロだ。この通りルーンも持っている」
「ではミスタ・ディアボロ。主人の責任は使い魔にも等しく与えられます。彼女と教室を綺麗に片づけるように。私は生徒をまとめなくてはなりませんので」
「……了解しました。ミセス・シュヴルーズ」
「さぁ皆さん! 今日の授業は此処で終わらせていただきます! 各自の予定に合わせて行動を始めなさい!」
シュヴルーズが他の生徒達を気に掛け始めてから、すぐさま教室は流れ出る生徒達が居なくなったことで静かになった。残された二人のうち、ルイズが煤けた衣服の一部を払って肩を落とすと、ディアボロに向かって言う。
「……手伝ってくれる?」
「分かっている」
「ありがと。じゃ、そっち持って」
「いや…下がっていろ」
大きな教卓を動かそうとしたルイズが合図を出したが、ディアボロは一人でやろうと言うのか、一歩踏み出してルイズの手を煩わせるまでも無いと笑った。
「キング・クリムゾン」
そして言い放つのだ。己の半身の名を。
悠然と佇む強者のオーラを吹きだすスタンドを
キング・クリムゾン。帝王を自称するディアボロに相応しい、ボスとして君臨するにも全く遺憾のない強大な力だ。
「このような些細事で使うのも気が引けるのだが、今はお前の使い魔だ。主人の為に尽力するのが在り方であるというのなら、そう在り続けよう。オレを卸すと誓ったのなら、命じてくれ。オレはどんなことであっても実現する。できない事は、
「……まったく、カッコつけちゃって。いい? あなたは
「さぁな」
「そ、じゃあ重いモノは任せたわ」
「了解した」
貴族である? この自分が? 叩きつけたくなるほど矛盾しているが、なるほど、自分が貴族であるというのなら、彼を召喚し、使い魔とした責任を負って見せようじゃないか。
ミセス・シュヴルーズ。貴女は正しい教師です。だから私は責任を隠さないし、こんなことになった原因を使い魔と分かち合いましょう。使い魔は主人と一心同体であると、始祖ブリミルが広めた魔法で言われているのなら、私はそれに従いましょう。
「ねぇディアボロ。実は私、魔法が使えないの」
「…薄々感付いていた。だが言う必要も無いと思っていた」
「流石、人を見る目があるのね。…そして優しいわ」
「このディアボロが優しいだと? 冗談にもならん」
キング・クリムゾンが教卓を持ち上げ、場所も知らないのだろうに元の位置へと寸分違わず設置する。他にも転がった椅子や机を整頓させながら、ディアボロは皮肉気に笑っていた。
「そしてアンタを召喚した。救われた、なんて言ってるけど…例え命が救われても、今みたいに雑用に使ったりするときもあるわ。組織のボスとしては耐えがたい苦痛でしょうね」
「そうだな。何故このオレがこんな事をしなくてはならんのかと思っている」
「そう、だから―――」
「勘違いしているようだがな、ルイズ」
「え?」
振り返ると、いつの間にか此方を見ていたディアボロと目が合った。
吸い込まれるような力強い視線が体を射抜き、箒を持った手が固まる。許されているのは呼吸と声だけのような錯覚に陥る中、彼は地獄の底から這い上がって来た囚人のように言うのだ。
「生の輝きは、自由とは、何物にも代えがたい絶頂なのだ。縛られ、恐怖し、絶望するしかできなかったあの中から抜け出させて貰った事に、オレは多大な恩と感謝をささげようとも思っている。しかしそれだけではないのだ、ルイズよ。従う理由は、それだけではないのだ」
「……だったら、何だって言うの? ゼロ、ゼロ。そう言われてきた私はあなたを召喚しても相応しくない。確かに私はあなたに誓いを立てさせたわ。でもそれは、あなたが今いつ無くなるとも知れない恩を感じているからに過ぎない。本当は、この掃除みたいに耐えがたいんじゃ」
「それだけではないと言っているだろうが! まだ分からんのかこの小娘がッ!」
「―――なっ! 言うに事欠いて小娘とは何よ!」
手に持った箒を投げ、ディアボロに近づいたルイズは体格の差で彼の事を見上げつつも、隣に佇むスタンドに一切臆する事は無く暴言の取り消しを要求する。だが、彼女の態度がディアボロの口角を吊り上げることとなった。
「そう…それだ……この帝王だった者の気迫に向かって物怖じも無き精神力がお前にはある。そして何より、お前はこのディアボロを召喚した唯一無二の存在ッ! 召喚とは、生涯を共にする者との出会いだとお前は言ったな? ならばこれは必然。この今をお前の元で過ごすのは当たり前の事なのだ……そして、その時に成功していると浮かれていたのは―――どこの誰だった?」
「……私、よ」
「それでいい。浮かれていろ。そして成功を胸に、突き進め。全てはその進むために引き寄せられた結果。この世に訪れた
「……はっ、まったく。あるに決まってるじゃない」
「ほう?」
「アンタが、こんな所で主人と一緒に掃除なんてやらされてる事よ。もっと大きなことをやるべき人間が、こんな片隅で箒持ってていい訳が無いわ」
求めていたのはこれなのだと、ディアボロは心の中で大いに笑った。
それでこそ、このディアボロが付き従うに相応しい器なのだと。
「お前はそれでいい。努力を続け、過程を捨てるな。オレがお前の為の結果を献上してやろう」
「随分と生意気な口を叩くわね。でも、違うわよディアボロ。
「いいな。それは良い。実に気に入ったぞ、ルイズ」
「いつまでも見下ろしてんじゃないわよ。必ず見返してやるわ」
ふふ、はは、と笑みがこぼれる。
掃除が終わる昼ごろにまで二人の楽しげな声は交わされた。それは近くを通りかかったメイドはまるで兄弟の様に息の合った片付ける姿を見て、顔を綻ばせる程であったのだとか。
「ふぅ……お腹減ったわね」
「また、あの食堂か?」
「そうよ。まぁアイツらの視線も今となっては気にも留めないかもしれないわね」
「それでいい。真の君臨者は視線一つで己を簡単に変えたりしない。どっしりと、最初からそこにあった岩のように構えておけ」
「岩、か。思い出すとさっきの錬金、やっぱり悔しかったなぁ」
とはいえ、肩を落とす仕草をするルイズの心はそこまで沈んではいなかった。ディアボロとの語り合いは全く知らない視点から物事を捉えるようになることができ、彼の経験談は似たような孤独であり続ける者として共感する事もある。逆にこちらから話しを振ればディアボロも興味深そうに喰いつき、自然と話は弾む。彼が大きな反応も見せずに淡々と言ってくれるおかげで、話している最中に話題を淀ませる事も無い。
この短い間で本当におんぶにだっこになっているんだなぁ、と実感したルイズは、いつの間にかアルヴィーズの食堂の前まで来ていることに気付いた。
「朝と同じでいいわね?」
「あちらも準備はしているだろうからな」
「あ、ディアボロさん!」
ルイズと別れて昼食を取りに行こうとしたところ、向こう側から彼の姿を見かけた一人のメイドが近付いてきた。彼女はディアボロにとっても憶えのある顔、シエスタだ。
「あら早速手を出しちゃってるの?」
「え、ええ…!?」
「なんてね、冗談よ」
「冗談にもならん上に詰まらんぞ。こう見えても娘がいたと言っただろう。もうあちらはそうは思っていないだろうがな」
「ああ…そうだったわね」
ニヤニヤと思っても無いことでからかってくるルイズだったが、此処まで来る間にディアボロから聞いた話の中で「トリッシュ」という娘が敵対した一人として立ちはだかったと聞いていた。親扱いされないことは悲しいのではないかと聞いたが、彼にしてみれば忌むべき「手がかり」として殺そうとしたのだから自業自得。寧ろ娘だとしても思い入れは無いと言ってルイズを驚かせたものだ。
悪いこと言っちゃったかな、と思い悩むルイズをよそに、ディアボロはシエスタの方へと歩いて行く。
「今回も頼む」
「はい。あちらにディアボロさんのお料理がありますよ。マルトーさん張りきっちゃって、トマトとチーズのカプレーゼなんて豪華なの作ってました」
「なるほど、それは美味そうだ」
給仕の役を他のメイドに任せたシエスタについて行くと、食堂の者たちが作ってくれた料理が置かれた小さなテーブルが待っていた。席に着いたディアボロが口に運びながら人間の三大欲求を噛み締めていると、戻る様子のないシエスタが此方を見ていることに気付く。一体どうしたのか、彼はそんな疑問を口に出した。
「私ですか。実はディアボロさんに頼みたい事がありまして」
「頼みだと? まぁ食を提供してくれる恩もあるからな。…それで、なんだ?」
「ちょっと貴族様からのオーダーがありまして、台車も他の事で使ってますし、とても女の私たちじゃ運べない様な注文だったんです。見た所鍛えていらっしゃるようですから、お願い出来たらなぁ、なんて」
「まぁいいだろう。その程度なら安いものだ。故郷で極東と言われた地では“働かざる者喰うべからず”とも言っていた」
「真理を突く様な言葉ですね。あれ、でもどこかで聞いた様な…?」
カプレーゼのほかに出されたスープなどで腹を満たしたディアボロが立ちあがると、顔を綻ばせたシエスタは運んでほしいモノを恐る恐る彼に持たせてみた。すると心配など無用だったらしく、バランスを取って料理の大皿を持ちあげてしまった。
「やっぱり凄いですね。席はそう遠くないのであんまり無理もさせませんよ。えっと、あっちの…先ほどの貴族様の隣ですから」
「下手に違うよりはマシだ」
「それもそうですね。あ、頼みたい事はそれだけですから戻っても構いませんよ」
「分かった」
そう言った彼がルイズの隣にまで行ってドスンと大皿を置くと、まだ食事途中のルイズが自分の事を見ている事に気付いた。
「お手伝い? 恩がどうだの言ってる貴方らしいわね」
「相手が下衆であればどんな恩でも反故にしてもいいとは思うが、善良な一般人からなら恩を返すのがギャングの方針だ。勝手に此方側に
「そう言う手合いは
「誰もが強いままではいれんが、強くなろうとする気兼ねは必要だ。それを捨てた者には手を差し伸べる価値も無い」
「まっ! 私は貴族だから、怯えて潰されようとしている非の無い人がいたら助けるけどね。その時はしっかり協力してもらうわ」
そんなのは当たり前だ、とディアボロは返事を返そうとしたのだが、突如として食堂に響き渡る怒号が二人の注意を引く事になった。
「私の事は遊びだったのね! ミス・モンモランシーの香水が何よりの証だわ! さよなら!」
「ま、待ってくれケティ!」
左の赤くなった頬を抑えながらに金髪の少年が手を伸ばすが、ケティと呼ばれた少女は黄泉平坂を容易く攻略できそうな勢いで背を向けて走り去って行った。その直後、ロールの髪を持った少女が同じく少年に平手を浴びせ、更に近くにあったワインの中身を頭からぶっかける。
「…あれは?」
「ギーシュ・ド・グラモン。親と同じく好色だけど、顔はともかく三枚目にしかなり切れない薔薇を自称する奴よ。二つ名は違うけど」
「そうか…む、あれはシエスタ?」
「あ、さっきのメイドの子ね。もしかして……」
見ていると、ギーシュというらしい少年がシエスタに近づいて薔薇の杖を抜いた。それを突き付けながらに激しく責任をなすりつけるような発言をしている。
「君がこの瓶を拾わなければ二人のレディの名誉に傷はつかなかった! この落とし前をどうつけてくれるつもりかね?」
「も、申し訳ありません貴族様!」
「謝れば何もかもが収まる訳ではないのだよ。君の身を以って、償いを受けると良い!」
それを見ていたディアボロは駆けた。ルイズも制止を呼び掛けるようなことはせず、ただ彼の行動に対してその背中を見ることで納得する。先ほどのメイドには、食事をさせてもらっているという恩がある。だからこそ、アイツはそれに報いるために走ったのだと。
こうまで主人の元を離れやすい使い魔にもほとほと呆れが出るが、それ以上に行動力に溢れた彼の行動が羨ましいものだとルイズは思った。
視点は現場に移る。
いざルーンの詠唱と共に振り下ろされようとしたギーシュの腕を、何者かが万力の様な力で掴み上げた。その痛みに顔を歪めたギーシュだったが、行動の阻害が完了した瞬間にその手は放される。
一人のメイドの危機を食い止めた人物は、そのメイドに向かって手を指し伸ばしていた。
「掴まって立て」
「だ、駄目ですディアボロさん! 貴族に逆らったら…!」
「誰だね君は!? 僕のレディを愛でる手を乱暴に扱ったばかりか、貴族の決定を覆そうとするとは!」
その声に反応したディアボロは、シエスタに向けていた顔をギーシュの方へと合わせた。彼女を見ていた時とは違う威圧感が噴き出し、背中で必死に貴族への反抗を止めようとする彼女をも黙らせる。
だが、気が立っているギーシュやこの騒ぎで平民の「処刑」に盛り上がっていた者たちにはそれが伝わっていた無かったのだろう。マントもつけていない「平民」の乱入者に、何をしているんだと避難の視線を浴びせかけている。
「先ほどの会話は聞いていた……二股がばれて愛想を尽かされたようだが、それは直接彼女とは関係が無いように思うぞ」
「何だって…? それは違う。そこのメイドが瓶を拾わなければ―――」
「そんな事を言っているのではない。貴様程度の器では、二人もの女を相手にするには役不足だと言っているのだ。ハーレム、一夫多妻、大いに結構。だが、その囲った女を納得させるだけの器量を持たない者がそれを目指すのならば役者不足以外にどんな言葉がある……?」
「き、貴様! 僕を侮辱するか! どこの平民か…名前を言えッ!」
「…………」
「う……」
突如として勢いを増した無言の圧力に、ギーシュは一歩右足を引いた。
「な、何だと? この僕が
「ディアボロ……だ」
「…何? いま、何て言ったんだ!?」
「聞こえなかったのか。オレはルイズの使い魔、ディアボロ」
その言葉に場が凍りつく。威圧に呑まれ、観衆すらそれに巻き込まれたのか?
いや―――嘲笑だ。
「ハハハハハァッ! ゼロのルイズが平民を召喚したってのは本当かよ!」
「いいや違うぞ。どうせカエル一匹従わせられないんだから、実家から従者を呼んだに違いない! そうだ、これこそが真実だぜ!」
「信じらんないわね。ホント、主人が主人なら使い魔もただの無能じゃないの!」
「いや、まったくだね諸君! それで、ディアボロくん。君は僕に逆らうというのかな?」
締めくくったギーシュが先ほどの押されていた雰囲気も忘れ、笑いを隠そうともせずに聞いてくる。それに対してディアボロはその通りだと眉ひとつ動かさずに言うと、さらに場は湧き起こることとなった。
笑いは不出来な大合唱のように広まり、また一人と貴族に逆らう平民には罰を、という考えを伝染させる。その事を本能的に感じ取ったシエスタがディアボロに前言の撤回を持ちかけたが、彼は応じようともしない。
「このメイドには何の非も無い。だが、オレは貴様らを侮辱した。それで罪はオレに全て被せられた訳だ」
「ハハハッ! 確かにその通りの様だね。君はその罪を被ったまま、僕の手で処されてくれるというのかな? ならそうしてや―――」
「ふんっ」
拳を握りこみながら引き、しなる弓の様な拳を叩きこむ。
寸分違わず顔面に吸い込まれた拳は丁度ケティとモンモランシーが叩いた頬に打ちこまれ、ギーシュは衝撃で頬を歪ませながら二メートルほど地面に吹き飛ばされた。マントが緩衝材になったようだが、拳の痛みが消える訳ではない。
「貴様……! け、決闘だッ! 貴様のような無礼者には根本的に痛みを教え込まなければならないようだからね!」
「こちらとしては今すぐに始めてもいい。だが、このメイドの安全は保障させろ」
「ふん、もうソイツには用は無いさ。だが神聖なアルヴィーズの食堂を下賤な平民の血で汚すわけにもいかない。ヴェストリ広場…そこで待っていてやる」
マントを翻し、悠然と立ち去って行く姿は中々絵になっていたが、ディアボロの打ちこんだ拳の形に歪んだ頬が痛々しい。他の貴族が面白いことになって来たと浮足立つ中、ずっとディアボロの背に隠れていたシエスタはガタガタと震えていた。
貴族は絶対。それがこの世界の平民が遺伝子の底から刻み込まれたルール。それに逆らえば自分達は火の近くにいる蛾のように儚いものなのだ。
だからこそ、その貴族に喧嘩を売ったディアボロが信じられなかった。
「だ、駄目です。本当に駄目なんです……殺されちゃう、ディアボロさん……」
「あの程度の輩にこのディアボロがやられるだと? ルイズの冗談よりも笑えんな」
「まったくよ。アンタねぇ、何やらかしちゃってるのよ」
新たに現れたルイズの姿に、シエスタはすぐさま立ち上がってディアボロの背に隠れる。ルイズも魔法が使えないと言われているが、貴族であることには間違いない。悪い意味でも、平民であるシエスタにはルイズは貴族として見えていたのだ。
「あの程度に後れを取ると思うか?」
「実力を知らないからこう言ってるの。…まぁアンタにはそれがあるから良いけど、それって本当に見えていないの?」
「契約の影響か知らんが、ルイズ。お前以外には見えていなかったようだ。そこのシエスタにもな」
「流石は私の使い魔って言うべきか、私の使い魔だからこそって言うべきか悩むわね」
「あ、あの…? お二人とも、何の話をしていらっしゃるのですか…?」
首をかしげて彼の背に隠れるシエスタだったが、そのすぐ隣には彼の最強のスタンド「キング・クリムゾン」が控えている。だが、スタンド使いでもない彼女にはそれを感じる事も出来ず、先ほどの観衆達もこの
これもルイズとの不思議な契約の影響かと疑ったディアボロは案外的を射た推論だったのだが、ここでその話は伏せておくとしよう。
「とりあえずヴェストリの広場だったかしら。案内するわ」
「まだ此処の地理に慣れていないのでな、ついて行こう」
「ま、待って下さい!」
「…………」
今まで主従の蚊帳の外だったシエスタの引きとめる声に、ディアボロは振り向かずにその場で足を止めた。
「どうして…どうして私をかばおうとしてくれたんですか…? それであなたが死んでしまったら、私は…!」
「…………」
「嫌ですそんなの。だって、ディアボロさんは使い魔で、ここに呼ばれただけなんでしょう? こんな状況に放り込まれて、私なんかのために死んだりしたら―――あ、ち、違うんです。そんなつもりじゃ…」
シエスタは説得しようとする言葉の中に「ディアボロが死んだら自分のが寝ざめが悪い」という利己的な理由が交じってしまっている事に気づき、必死に弁明しようとする。だが、彼女がディアボロを引きとめたいと思う理由は本物で、彼女もこんな所で死んでほしくないと思っている。
だが当の彼はシエスタをただ見つめ始めていた。
静かで、命の在り方を身を以って証明し続ける植物の様な不動の瞳。決して衰えることの無い何かの輝きを見たシエスタが知らずの内に体を振るわせるほどのもの。そんな光がディアボロに宿っていると知った彼女は、その場にへたり込んでしまった。
「……どうか、ご無事で…!」
「…心配いらないわよ。シエスタって言ったっけ?」
「は、はい」
「だって―――私のディアボロは、やると言ったらやる凄味がある。それを信じていれば、何の心配もいらないの。私がそうだったようにね……でしょ? ディアボロ」
「……そうだとも、我が愛しい主よ」
「こんなときだけお世辞言わないの。さ、行きましょ」
それっきり何も言わなくなったディアボロを引き連れ、ルイズ達の姿は見えなくなった。食堂で一人取り残されたシエスタに同僚のメイドが駆け寄り、脱力したシエスタの肩を持って立ち上がらせた。
「大丈夫? シエスタ、どこか気分は悪くない?」
「ううん、大丈夫。……もう、大丈夫ですから」
「……見に、行ってみたいの?」
「……はい」
その同僚の言葉に頷いたシエスタは、自分の起こしてしまったことの結末を見届けようと、ヴェストリの広場に足を向けた。フラフラと頼りない足取りだったが、同僚のメイドは彼女に手を振って声をかけた。
「マルトーさんには言っておくから!」
「…あ、ありがとう!」
同様に見えなくなった彼女の言った方向を見て、同僚のメイドはやれやれと首を振った。
かくして帝王の初陣の場は整えられた。
異界の時が、この場の者たちに大いなる影響を与える日は―――近い。
次回、ようやく戦闘描写。
スタンド使いの戦闘は初めてですが、ここまで感想やアクセス数をみて驚いただけお返しできればと思っています。
偉大なる「ジョジョの奇妙な冒険」原作に敬意を払い、この作を書かせてていただきます。