今夜は、月が綺麗ですね。
知りませんでした、そんなこと。
それに、私はこの気持ちを隠すと決めたのだから。

死んでもいいわ。
知りませんでした、そんなこと。
だって、私はあなたの顔しか見ていませんでしたから。

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散歩

今日は、月が綺麗ですね。

 散歩に行きませんか。

 そう誘われて、私は思わずびくついた。

 その声の甘ったるい響きと、

優しい言葉に誘われてしまいそうで。

 

 「行かないわ」

 私は目線を本に落としたまま、返事をした。

 もし、本気だったら。

 あなたの顔を見て、私の決意が鈍らぬように。

 

 「そう……ですか」

 なぜ、納得するのを躊躇うのだ。

 私だって同じだ。

 私の視界を明るく照らしているのは、

 雲ひとつかからない十五夜の月である。

 その下を、一緒に歩きたい。

 

 なんなら、手も繋ごうか。

 そうして、何の実にもならない世間話をして、

 あなたの淹れた紅茶を飲もう。

 それが、幸せだと、

少なくとも私は思っているのだから。

 

 「確かに月は明るいわ」

 だから、

 「私より、見合う人がいるでしょう」

 先程の妄想にはいささか無理があった。

 私は、あなたが差し出した手に気づけば

自分の手を引いてしまうし、

 あなたの世間話に気の利いた冗談を乗せて

返すこともできない。

 あなたの淹れた紅茶はおいしいわ。

 でも、あなたは私より、

主に褒めてほしいでしょ。

 

 私の親友なら、あなたが差し出す前に、

その手を引いてくれるでしょう。

 妹様なら、あなたの世間話に、

楽しそうに笑ってくれるでしょう。

 門番なら、あなたの紅茶を

嫌味なしに褒められるにちがいない。

 

 ああ、そうか。

 あなたは寂しがり屋だったわね。

 全員に断られて、私は仕方なく誘われたのか。

 少し期待してしまった自分が馬鹿みたいだわ。

 

「いいえ、いませんわ」

その言葉に、

 辿っていた文字は、

文献ごと私の意識から消え去った。

 え、と短く返す私に、そのまま言葉を続けた。

 

 「昔から伝えられている口説き文句に

気づくのは、 パチュリー様だけで十分です。

 むしろ、パチュリー様なら

気づいて下さると思い、

この言葉を選んだのですけれど。」

 

 気づかれなければ、意味がありませんわね、

 と自嘲気味に咲夜は笑った。

 

 ああどうして、

あんなにすげなく断ってしまったのか。

 気づいていた、のに。

 

 その奥にある、

あなたの気持ちに気づけなければ、

意味がないというのか。

 

「申し訳ありませんでした。パチュリー様。

もう、このような真似は致しませんので、」

 どうか、忘れていただけませんか。

 

 咲夜は、事務的に言った。

 

 「それは無理よ、咲夜。

 だって、私、死んでもいいもの。」

 

 本を脇において、咲夜の目を

見つめながら言えば、

きっと私の思いに気づいてくれるはず。

 

 ほら、ね?

 咲夜は、嬉しそうに、笑った。

 

 「では、散歩に行きましょう。」

 その言葉に私は頷いて、

 咲夜の手を取った。

 

 今夜は、月が綺麗ですね。



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