大陸クサントンに広がる森の奥深く。そこにはフローライト城に負けずとも劣らない一つの大きな城が建っていた。辺りはもうすっかり暗くなっているというのに、城の周りには武装した魔物の集団がおり、そう簡単には入れそうもない様子だ。
そんな城の近くの茂みの中に、息を潜め一人の男が様子を伺っていた。ヒスイだ。
「くそっ……思っていた以上に数がいやがる」
歯を噛み、息を潜めて独りでに呟く。
そして同時に、ヒスイはあることを思い出した。この場所に来る前に自分が行った行動を。
思いだし、ヒスイの顔には後悔の色が現れた。
「……マリアには、悪いことしちまったな」
城を出る時、ヒスイは我を忘れ他人のことを考えもせずただ一人で突っ走った。その際、マリアという二つ年下の少女に、自分がある者に抱いていた感情をそっくりそのまま彼女にぶつけてしまったのだ。殺気という感情を。
おそらく去った後、泣いてしまっただろうなとヒスイは内心で思い気にしていた。
普段の自分らしからぬ行動に、嫌気が刺す。そう思い、ヒスイは魔物の方を見た。
その眼差しには、決意の色が込められている。
「これの片が付いたら、あいつに謝るか」
一度微笑み、再び決意の表情でヒスイが茂みの中から飛びそうとした時だった。
ガサっと、背後で物音が聞こえた。
ハッとしてヒスイは振り向く。するとそこには、
「なっ……お前なんでここに」
彼の義理の妹であり、一緒の家に住んでいる少女エクレール=シトリンが立っていた。
思わずヒスイは目を見開く。
誰も追い付けないよう、全速力でこの場に来たはずだと。
だがすぐにヒスイは思い出した。目の前の少女が普通の少女ではないと。そして同時に、彼女の力を。
エクレールは七傭兵《エプタ・ミストフォロス》の“迅雷”の名に恥じない力を宿していた。
そもそも七傭兵《エプタ・ミストフォロス》とは、最も広大な大陸クローロンのプラスィノと呼ばれる傭兵の聖地とも呼べる様な国の王より与えられる物で、技量や力の大きい者に与えられる傭兵における最高位の称号のことだ。
二つ名には各々の力の象徴を表しており、ヒスイの“疾風”は彼の持つ風を操る力のことを指した。
エクレールはその内の“迅雷”の名を持っている。それは彼女が代々受け継いだ胸の辺りにある刻印、雷を模したような刻印のことを指し示していた。
そして彼女の使える力。もうわかると思うが、電気を操る力は使い方次第で多くのことが出来た。
「さすがに早すぎて追い付けなかったけど、一定の距離は保てたよ。おかげでちょっと疲れたけどね」
エヘヘとエクレールは、にこやかに言った。
一体彼女はどのようにしてここまで来たのか。
簡単だ。走ってきた。ただ走るのではなく、自分の体に負担を掛けて。
体に電気を巡らせることにより、電気信号の伝達速度を強制的に上げる。例えて言うならば反射に近い形で足を動かしたのだ。
当然それに伴う負荷は大きい。だが自分の愛する者のためならば体がどうなろうと構わない。
ニコニコとした笑顔の裏には、そんな思いがあった。
「帰れ……」
しかしその思い人は背中を向け、冷たく命令口調で言った。
だが彼女とて覚悟を持って来たのだ、引き下がったりはしない。
「帰らない」
強い眼差しで言う。絶対に戻ったりはしないという意志で。
「帰れ」
「帰らない」
「帰れ……!」
「帰らないよ」
「帰れ、じゃないと殺すぞ」
「絶対に帰らない。どうせ殺せないくせに」
言葉の合戦。どちらも一歩も引こうとはせず、到頭我慢出来ず振り向き様に剣を抜く。
エクレールの顔すれすれに大剣が横切った。数本の髪が舞い、頬の皮膚も少し切れ一筋の血が流れた。
だがそれでも彼女の意志が変わることはなかった。
「…………」
無言でエクレールは見つめる。
対しヒスイの大剣を持つ手は震え、表情がどんどん歪み、今にも何かに感情が押し潰されそうな顔をする。
初めてだった。彼が他人にそんな姿を見せるのは。
だからこそ、少女は心配になった。
「ねぇ、どうしたの?」
問い掛けられ、ヒスイは大剣を下ろした。
「……怖いんだ。お前等が傷つくのが」
呟く。
ヒスイの脳裏に浮かぶは、昔の記憶。霞が掛かってよくは思い出せないが、これだけは覚えている。大切な何かを守れなかったと。
初めて本心を吐いた。
エクレールでもヒスイの過去はよく知らない。なんせ本人がよく覚えていないのだから。
それでも彼女は、目の前の青年の過去を知りたいと思ったことはなかった。だから、
「大丈夫、大丈夫だから」
言い聞かせるように囁き、抱き締めた。
「私は傷ついたりなんかしない。他のみんなもそう」
だから。言葉を置き、エクレールはヒスイの首に注射器の針を刺した。<
中の薬が体を駆け巡り、巨大な睡魔がヒスイを襲う。
地面に倒れ伏し、虚ろな視界でエクレールの顔を見上げた。彼女の表情は微笑み、まるで子供の面倒を見る母親のようだ。
「エク、レール……お前……何を」
そこでヒスイの意識は途切れた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
エクレールがヒスイに追いついたのと同時刻。彼女がいないと、フローライト城を飛び出した者達がいた。リナ、マリアそしてマリネの三人だ。
「大丈夫ですか、マリア?」
「大丈夫です。それに、泣いている暇なんかありませんから」
三人は推測していた。エクレールはヒスイの境遇に気がついていたのではないかと。
そしておそらく、それは恐怖心なのだと。
そのことに真っ先に気がついたのはリナだった。彼女は、マリアに向けられた冷たい視線の中に、恐怖心を見た。何かに怯えている様な感じを。
最初は泣いているマリアを慰めながら、気のせいだろうと思っていた。だが、
「お、お姉ちゃんがいない!?」
この一言で確信を得た。
「マリア。ヒスイと彼女の付き合いはどれくらい長いのですか?」
「わかりませんが、おそらく十年近くかと」
走りながら、リナは考えた。
ヒスイが怯えていることが、他者が傷つくことならば。あくまで憶測だが、エクレールはきっと持ち出した睡眠薬でヒスイを眠らせ、そして単身立ち向かっていくだろうと。
例え彼女に、魔物を殺すこと(・・・・・・・)に迷いがあったとしても。
「急ぎましょう」
口にはしなかったが、エクレールがこのままでは死ぬかもしれない。そうリナは思っていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ヒスイを薬で眠らせたエクレールは、暫くの間膝枕をし、大好きな青年の頭を優しく撫でていた。
その表情は眠らせたときと変わらず、優しい母親のようである。
「フフフ……相変わらず可愛い寝顔」
そっとヒスイの頭を地面に下ろし、立ち上がった。
その瞳には決意が宿っている。
腰に付けた一本の細く長い剣を抜き、茂みの中から出るエクレール。
その気配を感じ取ったのだろう。城門の前にいた魔物が一斉に彼女の方を向いた。
「おい、あれ」
「人間!?バカな、どうしてここが!」
瞬間、エクレールの思考が一瞬停止した。何故なら、
(――人語を……話してる!?)
衝撃が走った。知能を持っているだけならばまだしも、人語を話すとなると。
一気に彼女の意志は揺らいだ。知能を持っていると聞き、魔物を殺すことにほんの少しだが迷いがあったのだ。
決心したにも関わらず、エクレールは躊躇した。殺さずに気絶させるだけならばなどと、自分でもバカらしくなるようなことも考えた。
だがエクレールは思い出した。自分の後ろで眠る青年のことを。
すると彼女は大きく深呼吸した。
(――そうだ、迷ってなんかいられない。だって……だって……!)
「大好きな人が、一人で重い何かを背負おうとして、あんなに苦しんでいたんだから!」
叫び、剣先から電撃を放つ。
空気を穿ち、放たれた雷は、城門ごと視界の中の魔物を吹き飛ばした。
「な、なんだ!?」
城壁の中にいた魔物達は、一斉に吹き飛ばされた門を見た。
立ちこめる煙。月明かりが一人の影を映し出す。
「敵襲!敵襲だー!」
夜の帳に警鐘が鳴り響く。
構わずエクレールは、二撃目の電撃を放った。
迸る雷に、魔物は次々となぎ倒されていく。
「ハアァァアアアア!!」
気合いの雄叫びと共に次々と雷を剣先から放つエクレール。さながら軍神のようなその姿に、魔物は思わず怖じ気ついた。
だがそこで引き下がるはずもなく、武器庫らしき建物から大砲を取り出した。
「なっ……!?」
驚き、エクレールは身構える。瞬間轟音と共に、砲弾の雨が降り注いだ。
「くっ……!」
それを何とか雷で相殺する。だが数が多すぎたため、数発打ち落とし損ねた。
砲弾は直撃しないものの、地面に辺り爆風を生む。
「きゃあぁああーっ!!」
爆風はエクレールの軽い体をいとも容易く吹き飛ばす。
「かっ……はっ……!」
城壁に背中をぶつけ、口から数滴の血を吐き出し、彼女の体は押しつけられた壁からずり落ちる。
見ると壁に剣の破片が突き刺さっている。それが彼女の背中から右わき腹に掛けて痛めつけたようだ。
「ゴホッ……ガフッ……!」
咳込み、血を吐くエクレール。
だがこんな所で止まるわけにはいかない。おそらく、城の中にはヒスイが取り乱した原因があるはず。
そう思い、痛みを我慢して立ち上がった。
「こんな……ところでーッ!!」
叫び、これまでの比にならない巨大な雷を放つ。
大砲は弾け飛び、魔物は塵となって消える。
これで表に出ていた魔物は一掃された。だが傷口が深く、エクレールは再び大量の血を吐く。
息は乱れ、意識を保つこともままならない。それでも一人の少女は単身、城の中に入っていった。
玉座の間に向かう道中も、多くの魔物がエクレールを襲った。
何度も血を吐き、ボロボロになりながらも進み、彼女は遂に扉の前にたどり着いた。
しかし、彼女の体はすでに限界に達していた。もう後何回力を行使出来るかもわからない。いやあるいは、もう使えないかもしれない。
それでも少女は進んだ。愛する者のために。守りたい者のために。
扉に手を伸ばし、彼女は玉座の間の中に入る。一体どんな魔物が待ち受けているのか。
「えっ……?」
だが、玉座に座っていたのは――黒いフードを被った紛れもない人間(・・)だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ヒスイ!ヒスイ!!」
名前を叫ぶ声が聞こえ、ヒスイはハッと目を覚ました。
「リナ?それにマリアにマリネも……」
未だ残る睡魔の影響で、上手く頭が働かないヒスイ。
身を起こし、ふと自分が何故眠っていたのかを思い出した。
「おいリナ!エクレールはどうした!?」
突然リナの体を乱暴に掴み、揺らした。
その表情に只ならぬ物を感じるが、リナは逆に――
「えっ?一緒ではないのですか?」
問い返した。
瞬間ヒスイの頭の中に最悪の事態が過る。
飛び出した、茂みの中を。
「ちょ、ちょっとヒスイ!?」
マリアの呼び止めに耳を傾けず、走った。ただひたすら。
飛び出し、駆けるヒスイの視界には酷い惨状が広がっている。だがおそらく、あの少女がやったことだろう。
そう思い、壊された門を潜りまず目に入ったのは、壁に突き刺さっている血の付着した折れた剣。そしてその地面にある血溜まり。
一目見て、ヒスイはそれがエクレールの物だとわかった。
では本人は?そう脳裏で考えた瞬間だった。
大きな爆発音が、上の方で聞こえた。
「な、なんですか今の音は!?」
音を聞きつけ、遅れてリナ達三人が走ってきた。
「えっ?う……そ……」
唖然とした。そして絶望もした。目の当たりにした光景に。
何故なら城の二階を見上げ四人が見たのは――
「お姉……ちゃん?」
フードを被った者に頭を掴まれ、ほぼ瀕死の状態で全身血塗れになっている、無惨なエクレールの姿だった。
どうでしたでしょうか?
正直もう少し文字数を増やしたい私がいます。
次回、果たしてエクレールは助かるのか?
では、またお会いしましょう。