風呂から上がり、着替え終わったリナとマリアは食堂へと向かい歩いていた。
城の食堂は一階にあり、浴場は二階にある。そして城が迷路じみている為到着まではそれなりの時間が掛かるであろう。
そんな中二人は、会話をしながら歩を進める。
「エクレールの料理、楽しみですね」
エクレールが作る料理を初めて食すため、リナは興奮を抑えきれずにいた。
一体どんな料理が待っているのか、考えるだけで居ても立ってもいられないようだ。
「あの子の料理は、普段人を褒めることがないヒスイが絶賛しましたからね。期待していていいですよ姫様」
「あのヒスイがですか?」
確かに彼の雰囲気上、あまり人を褒めることは少ないのではないか。そのヒスイが絶賛したのだから美味しいに違いない。と、リナは思い、同時に思い出した。
(――そう言えば、口喧嘩してしまったんですね……)
ヒスイと口喧嘩し、結局そのまま浴場に来ていたのだと思うと、リナは少し後悔した。
(――ちょっと言い過ぎたような気もしますし、会ったら謝りましょう)
そう心に止め、ふとマリアの顔を見た。
幾ら親友とは言え寄り添うようなことをしたのだ。そう思うと、リナは恥ずかしさでほんのりと赤くなる。
それはどうやらマリアも同じのようで、リナと目が合った途端顔を赤くして逸らした。
「あ、ここですね」
そうこうしている内に、二人は食堂の前に着いていた。
「なんか久しぶりのような気がしますね」
「そりゃ、一週間くらい留守にしていたのですから当然ですよ」
少しムスっとした表情でマリアは言う。
するとリナは笑顔を浮かべ、マリアの手を取り食堂の大きな扉を開けた。
食堂の中は、テーブルと椅子が多く置かれていた。これは、昼間になると城で働く兵士も使用するためであろう。
「んー、良い匂いがします」
リナの言う通り、食堂の中は料理の美味しそうな匂いが漂っている。
その匂いに舌鼓を打ちながら、二人は中央に置かれている長テーブルの椅子に腰掛けた。
「あ、来た来た。もう遅いよ二人とも」
まるで相当な時間を待ち構えていたかのようにエクレールは言う。
「仕方ないよお姉ちゃん。二人は“愛”で結ばれてるんだもの。だから私と結婚してお姉ちゃん♪」
「何がだからなのかさっぱりわからないから。あとお断りだから」
エクレールとマリネのやり取りに苦笑しながら、ふとリナは向かい斜めの席に座るヒスイの方に目をやった。
腕を組み、目を瞑り眠るように座っているヒスイ。
それを見たリナは意を決して口を開いた。
「ヒスイ」「リナ」
同時だった。息ピッタリと、ヒスイとリナの二人は互いに声を掛けたのだ。
思わず驚き目を見開くヒスイとリナ。だがどうやらお互い考えていたことが同じだと悟ると、途端笑いがこみ上げた。
「は、ハハハハハッ!なんだお前?さっきの気にしてたのかよ?」
「そ、それはこちらの台詞ですよ……!」
笑い声を上げるヒスイと、必死にこみ上げる笑いを抑えるリナ。どちらも、先刻の口喧嘩を気にしていたようだ。
しかしそれを全く同じタイミングで切り出そうとした。そう思うと二人は笑わずにはいられなかった。
その姿を見ていたエクレールは、少し嬉しそうに微笑む。
(――いらないお節介だったかな?)
自分が料理を作ろうと思った一番の理由が、二人の仲直りをさせるためだったため、エクレールには少し寂しいような気持ちを感じた。
だが理由はもう一つある。そう脳裏で考え、エクレールは一度深呼吸をした。
「えーと、では皆さん席に着きましたでしょうか?」
「あ、ゴメンまだ」
「早く座ってよマリネ」
そのやり取りに、どういうわけかヒスイは吹き出し、笑いを堪えた。
「何?ヒスイ」
「ああ、いや悪い。なんでもないから続けてくれ」
何か引っかかったが、エクレールは話を続けた。
「この度は、私の命を助けて頂きありがとうございました。今回お礼として、私の手料理を御馳走させて頂きます。どうぞご堪能下さい」
一度お辞儀をし言い終わると、またもヒスイは腹を抱え必死に笑いを堪えていた。見るとその隣に座ったマリネも同じようにしている。
少々ジトッとした目でそれを見ていたエクレールだったが、気にしてはいけないと思い奥の厨房へと向かった。
厨房には多くの種類の料理が、それぞれ人数分の皿の上に置かれていた。どうやら今回彼女が作ったのはコース料理のようだ。
その中からまず最初にオードブルの料理をワゴンに乗せる。
ワゴンを押し長テーブル付近に止めると料理を各人の前に置き、料理に虫などが入らないよう被せていた物を取った。
「こちらはチーズムースのサーモンロールです。添えのレモンをお好みで掛けてお召し上がり下さい」
そう言うとエクレールは深くお辞儀をした。
「ほぉ……」
とヒスイは感心したように料理を見る。皿に乗せられた鮮やかな料理は、さながら芸術品のようだ。
それに他三人は思わず見惚れた。
「いただきます」
そう言うとリナは用意されていたナイフとフォークを器用に扱い、口に運んだ。
噛んだ瞬間チーズの風味が口一杯に広がり、思わず唸るほどの美味しさ。
マリアとマリネの二人も口にし、目を輝かせた。
「美味しい!美味しいよお姉ちゃん!」
「ありがとうございます♪」
ご機嫌に言うとマリネは料理を無言で食べ進めていく。
それを傍目に、ヒスイは小さく切ったレモンを指で摘んで搾り、汁を料理に掛ける。そしてナイフとフォークを使って一口食べた。
ゴクリとエクレールは生唾を飲み込む。どうやらヒスイの評価が気になるようだ。
「ん、美味いな」
それを聞き、ほっと胸をなで下ろすエクレール。
次に持ってきたのはスープだ。
ポテトを使ったポタージュをスプーンで丁寧に飲むマリア。
「美味しいわ。さすがはヒスイが認めたシェフと言ったところかしらね?」
頬を赤らめ、照れるエクレール。どうやらヒスイが認めた、というところに反応したようだ。
「おかわり!」
「おかわりは御座いませんので、ご了承下さい」
「ケチッ!ホント赤い調味料だねお姉ちゃん?」
「ケチじゃないからね。ましてや、ケチャップでもないからね?」
次にエクレールが持ってきた料理は、魚料理だ。
「こちらは、めばるとじゃがいもの蒸し煮でございます」
「こちらも美味しいですね。今旬の食材をふんだんに使っていますし、なんと言っても味付けが最高です♪」
「お気に召されたようで、光栄です姫様♪」
そして次に出されたのは肉料理だ。
皿の上には、厚めに切って焼いたフィレ肉のステーキ。それに特性ソースを掛けた物が乗っている。
「おっ、この掛かっているソースはマデラ・ソースか」
「そうですが、さすがヒスイ。舐めただけでわかるとは」
「ハハッ、あんまり行儀の良いことじゃないけどな」
そう笑って言うと、ヒスイは一口食べた。
コース料理も終盤に差し掛かり、次に用意されたのはチーズだった。
「これはカマンベールだな。よくもまあ厨房にあったもんだ」
「ヒスイ、思ったのですが何で食べただけでわかるんです?」
「は?なんでって。言っとくが、こいつに料理教えたの俺だぞ?」
さも当たり前のように言うヒスイに対し、リナは驚きを隠せなかった。だが、彼に森の中でご馳走になった肉の味を思い返せば、納得のいくことではあった。
「しっかしまあ、随分と腕上げたなぁエクレール。始めた頃は、一体どうしたらこうなったのかもわからないような物体作ってたのによ」
「そ、それどれだけ昔のことだと思ってるの!?」
「十年くらい前だな」
恥ずかしそうに真っ赤にして言うエクレールを、小馬鹿にしたようにヒスイは笑う。
エクレールの料理の腕は、ヒスイの指導があってこそ生まれた物のようだ。
「もう……それじゃ最後はデザートです」
そう言うとエクレールは厨房から、イチゴのムースを持ってきた。
「やったー!私これ大好き!」
「言う前から食ってるくせによく言うぜこの小娘は」
ほどなくして、エクレールのコース料理は幕を閉じた。
どれも美味しい物であったため、全員満足した顔をし同時に言った。
「ごちそうさまでした」
この際、エクレールはとても嬉しそうに満面に笑顔の表情を浮かべたいた。
美味しい料理を食べ終えた一行は、紅茶の飲みながらこれからのことについて話を始めた。
「出航は明日、ですか」
「ああ。なんでも、早めが良いんだとよ。詳しい理由は知らんが」
ティーカップ片手に言うヒスイに、そうですかと不安あり気にリナは言う。
やはり、全ての責任が委ねられたためであろう。
「まあ行き先については俺が考えてやる。俺の方が世界には詳しいからな」
「ありがとうございます」
ヒスイの言葉は、リナにとってとても頼もしい物だった。まだ自分の国に関してすら間々ならない自分が、行き先についてはどうしても責任を持てる自信がなかったからだ。
「それで、行き先はもう決まってるのかしら?」
マリアの問いに頷き、ヒスイはカップを置く。
「ああ。今の状勢上、まずはここから南に行った大陸、エリュトロンに向かうべきだと考えている」
ヒスイの情報ではこうだった。
まず北の大陸クローロンは入港許可証がなければ港に着くことが出来ないらしい。そうなれば最初にこの大陸の国と交渉するということは消される。
西の大陸レウコンは、年中雪が降り、近年は風も強くなっているため危険だと判断。
東のキュアノエイドスは現在、詳細は知らないが二つの国が争っている状態にあるためこちらも危険だと判断。
そう考えれば、最終的に残った南の大陸になるというわけだ。
南にある大陸エリュトロンには、三国コキノ、ポリフィルン、エリスロが連盟を組むことで生まれた“ガーネット連合”がある。
そこでは例え海賊でも入港を許可しているような国で、ほとんど不問地帯と言われている所だ。と言っても、大きな問題を起こせば当然裁かれるのではあるが。
だが許可証がなくても入れる辺り、現状では最も交渉に適した土地と言えた。
「なるほどね。確かにそこなら問題なく交渉の場に行けそうね」
しかし、そうは言ってもやはりリナは不安を隠しきれなかった。
「確かに今の私たちなら最適な国ですが、果たして国のトップに会えるのでしょうか?」
ガーネット連合は三つの国で成り立っているが、当然それらを統べる者がいる。
その者に会えれば一番なのだが、簡単なことではないとリナは踏んでいるのだ。
「それに関しちゃなんの問題もない。この中にはガーネット連合幹部の親族様がいるからな」
「えっ?」
リナは思わず疑問を漏らす。一体誰が、そう思ったとき震え声で言う者がいた。
「ひ、ヒスイまさか――?」
マリネだ。
「ね、ねぇ冗談だよね?」
「おう。お前の姉貴に会いに行くぞ」
爽やかな表情で言うヒスイに対し、マリネは頭を抱え始めた。
「いや、いやいやいや!待って!ちょっと待ってよ!?」
「断固拒否する」
「ヒドい!?」
二人のやり取りを見て、リナは小首を傾げる。
「マリネさんには、お姉様がいるのですか?」
「お姉様なんてそんな大層な者じゃないから!あと、マリネでいいからね姫ちゃん」
いつになく、と言っても会ってそんな間もないがここまで取り乱す辺り、どうやらマリネは自分の姉が相当苦手なのだと察するリナ。
「あの、一体どんな方なのですか?」
と聞かずにはいられなかった。
ヒスイは少し考えるように黙し、口を開いた。
「アホでバカで脳筋でそのくせ強いというある意味スゴいとんだお馬鹿様だな」
とんでもなく酷い言い様である。しかしそこそこは信頼しているようではあった。
リナはヒスイの説明に苦笑しながらも、なんとなくマリネが苦手そうだなと思った。なんせ彼女は天真爛漫なお転婆娘なのだから。
「あと、肩書きもすげぇなアイツは」
リナは息を呑んだ。ヒスイがすごいと言うんだ、相当すごいのだろうと。
「名前はエルミス=アイオライト。元アイオライト海賊団の船長で、七傭兵《エプタ・ミストフォロス》の“深海”を襲名し、海の女王と呼ばれており。ガーネット連合国最大の船団“メギストス”の団長だ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
明日のことやこれからのことを話し終えたヒスイは、城の一室を借り今夜寝泊まりすることにした。と言っても、他のエクレールとマリネも城に泊まるのだが。
ちなみにマリネの姉に会うという話は多数決を取り、結果マリネ以外は賛成の4対1という結果に終わった。その際一人の少女が頭を抱えてうなだれていたというのは容易に想像出来るであろう。
「あー、一昨日から寝てないから、さすがに今日は結構疲れが溜まってるな」
そう吐き、ヒスイは部屋のベッドに寝転がった。
「明日出航か。何もなければいいんだが」
独りでに呟くと、ヒスイはそのまま眠りに入ろうとした。が、その時だった。
――コンコン。
と、部屋のドアがノックする音が鳴った。
「開いてるぞ」
それに返事をすると、ヒスイは上体を起こしベッドに座る。
それとほぼ同時にドアが開いた。
「え、えっと……寝ようとしてました?」
そう言って中に入ってきたのはリナだった。
「いや、全然問題ないが……どうした?謝罪ならさっき聞いたぞ?」
「あ、いえ、そうではなくて」
「ふーん。まあ立ってるのもなんだしそこ座れよ」
そう言うとヒスイは窓際にある小さなテーブルと、そこに置いてある椅子を指差した。
その言葉に甘え、リナは席に座った。
「厨房から持ってきたジュースがあるが、飲むか?」
「あ、はい。いただきます」
ヒスイはコップにブドウのジュースを注ぎながら、リナが何か悩み事を持ち掛けてきたのだろうと悟った。
それは彼女の少しおぼつかない表情が指し示していた。
そのため彼はジュースを飲ませ、落ち着かせようとしたのだ。
「ほれ、多分美味いぞ」
「あ、ありがとうございます」
コップを受け取り、一口飲むとリナは息を吐いた。
「美味しい。って、まさかこれ無断で持ってきたんじゃ……」
今更ながら気がついた。ヒスイが「厨房から持ってきた」という言葉に。
「これでお前も共犯だな」
「ちょ、ちょっと!?毎度毎度あなたは」
しかし不思議と怒りがこみ上げてくることはなかった。それは、目の前の青年が気を遣ってくれているとわかっているからだ。
「で、どうしたよ?」
向かいの椅子に堂々とした格好で座ると、ヒスイは聞く。だが、返ってくる言葉はすでにわかっていた。
「あの、えっと……」
「明日からのこと、だろ?」
「……。はい」
返事を聞き、ヒスイは鼻でため息を吐いた。
「お前、それに関しちゃ決心したんじゃなかったか?」
「した、はずなんですけどね……」
そう言い、思い詰めたように俯く。
ヒスイの言う決心というのは、海賊船騒動の時のこと言っていた。
あの後リナはヒスイに、決心がついたと告げていたのだ。だが今の彼女は、どう見ても迷っている。本当に自分で良いのだろうかと、疑問を抱いている。
それに対しヒスイは呆れることしか出来なかった。
「お前、そんなに責任が怖いか?」
「はい、怖いです。私の決断が、後にこの国に響くとなると……とても怖いです」
ヒスイは腕を組み、窓から外を眺める。外からは城下町が一望出来、とても良い景色だ。
時間も遅いというのに、町は未だ明かりの灯火で輝いている。
「そんなに怖いなら、俺がその責任全部背負ってやるよ」
「そ、それはダメに決まっています!」
「ならお前は、マリアや周りにその責任を押しつけるのか?」
「そ、それは……」
胸に深く突き刺さるような指摘に、一国の姫は俯く。責任の重さに耐えられず、自分は逃げているのだと悟っているのだ。
それでも彼女は、迷いが晴れなかった。
自分以外に適任の者がいるのではないか。自分で本当に良いのだろうか。一度断ち切ったはずの疑念が、リナの頭をかき回すように駆け巡る。
その流れを一気に止めたのは、ヒスイのこの言葉だった。
「お前は、この国のなんだ?」
瞬間、リナの中で何かが弾け飛んだ。
(――そうだ、私は……)
顔を上げたリナの瞳には、すでに迷いがなかった。まるで元からそこになかった気さえするほどに。
「私は……。私はここフローライト王国の第一王女、リナ=フローライト。私には、一国の責任を背負う義務があります」
「ふっ……良い目に戻ったなこのバカ姫様」
「ええ、私は本当にバカでした」
リナは笑顔で答える。
(――そうだ、迷う必要なんかない。これは私以外に背負ってはいけない責任なのだから)
晴れ晴れした顔に、心なしかヒスイはホッとした表情をした。
「そうと決まれば、どんな風に交渉するか考えておけよ」
「はい、わかってます!」
そうハキハキと返事すると、リナは立ち上がった。
「ま、俺も出来る限り協力してやるから」
「ええ、頼りにしてますよ」
そう言い、リナは部屋から出ようとして、ふと立ち止まる。
「やっぱりあなたは、優しい方なのですね」
そう最後に告げると、リナは部屋の戸を閉めた。
「優しくなんかねぇよ……」
見送り、独りでに呟くとヒスイはベッドに再び寝転がり、深くため息を吐いた。
(――優しいなんて言葉、俺には似合わねぇよ)
脳裏で考えながら、ヒスイは眠ろうと
――コンコン
したところで、また訪問者が現れた。
「今度は誰だよ」
内心少々イラつきながら、戸を開けた。
開けるとドアの前に立っていたのはマリネだった。
「なんのようだ」
マリネのことだ。どうせどうでもいい話をするに違いない。そう思いながらヒスイは問いかけた。
「え、えっと……お姉ちゃんと結婚するにはどうしたらいいかな?」
瞬間、ヒスイはマリネの頭を鷲掴みにする。見ると顔を怒りでかなりひきつっている。
「なあ?てめぇ、人が眠りに着こうとしている時にそんなどうでもいいことを聞きに来たのか?」
「わ、私にはどうでもよくないことで」
「俺にとってはどうでもいいんじゃ、帰れーっ!!」
「どうもすいませんでしたーっ!!」
ヒスイの城に響くほどの罵声に、マリネは泣きながら走り去っていった。
「ったく、勝手に一緒に寝てればいいだろ」
イライラしながらそう吐き捨てると、ヒスイは再び今度こそ――
「おい、お前がなんでそこで寝ている?」
眠ることは出来なかった。
何故なら、ヒスイが寝るはずのベッドでもぞもぞと動いているマリアがいたからだ。
「もう一度聞く。何故そこにいるバカメイド」
今にも爆発しそうな怒りをなんとか抑えながら、ヒスイはマリアに問いかけた。
しかし、彼女からは返答がなかった。代わりに返ってきたのは、被っている布団から涙目で顔を出すという、普通の男ならば飛びつく愛らしい姿だった。
だがヒスイは察した。これには意味があると。それは目の前の少女の過去を知る彼にしか出来ないことだ。
「どうした?マリア」
先ほどとは裏腹に、ヒスイは優しい声で話しかける。
「昔のこと、思い出したの」
か弱い声で、マリアは答えた。
どうやら彼女は、エクレール一件で、過去の辛く苦しい出来事を思い出したようだ。
その過去が彼女にとってどれだけ苦痛かを知っているヒスイは、マリアの長い前髪をかき分け、隠れていた左目を出した。
するとそこには、大きな切り傷の跡が残されていた。
「痛むか?」
そっとその傷に触れるヒスイに、マリアは頷いて答える。
それを見たヒスイは一度ため息を吐き、先ほどリナが座っていた席にドサッと腰掛けた。
「わかった。一緒にいてやるから安心して寝ていろ」
「……。うん、ありがとう」
感謝の言葉を述べ、マリアはそのまま目を閉じる。その目からは涙が流れた。
「まったく……」
それを見、ヒスイはため息を吐きそっと目から流れた少女の涙を拭う。
「過去、か……」
独りでに呟く。
今夜は独り言が多いなと思いながら、ヒスイはもう一度マリアの顔を見た。
頬にはまたも涙が流れている。おそらく、嫌な夢を見ているのだろう。
「仕方ない。リナのところに連れていくか」
呟くと、ヒスイはマリアをお姫様抱っこをし、部屋から出ていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
城のある一室。そこはリナの部屋だった。
彼女はまだ眠ってはいなかった。それどころか、机に座り紙に何か書いている。
見ると机の上には一冊の本と辞書。どうやら何かの勉強をしているようだ。
しかし、本は何やら現代で使われている文字とは違う物で書かれている。その隣の辞書はどうやらこの文字の一語一語を訳した物のようだ。
その本の一説を今の言語で書き連ねていく。
そして、ページを開き、次に差し掛かった時だった。
――ドンドンドン!
と、ドアが壊れるのではないかと思うほど強い音が聞こえた。
「こんな時間に誰でしょう?」
首を傾げ、リナはドアを開けた。どうやら錠を掛けていたようだ。
戸を開けると、前に立っていたのは眠ったのマリアをお姫様抱っこしているヒスイだった。
「ヒスイ!?なんでマリアを抱っこして」
「悪い。コイツと一緒に寝てくれるか?」
唐突な質問に、リナは思わずキョトンとする。
「構いませんが、どうしてですか?」
「コイツ、なんか昔のことを思い出したらしくてな。怖いって言って俺のとこに来たんだ。でも俺の部屋のベッドは一人用。お前なら大丈夫だろうと思ってな」
そう言うとヒスイは、リナの部屋に押し入って、抱えたマリアをベッドに寝かせた。
「お前のベッド、デカいな」
「ま、まあたまにマリアと一緒に寝ますので」
「なら好都合。んじゃあとは頼んだ」
そう告げると、ヒスイはそそくさと立ち去ろうとして――
「ん?」
リナの机に置かれている本が目に止まった。
(――あの本、どっかで。まあいいか)
気のせい。それよりも早く寝たい。そう思い、ヒスイは部屋から出ていった。
それを唖然とした表情で見送り、リナはハッとしてマリアの方を向く。
見ると、魘されていた。それも大粒の涙を流しながら。
「マリア……」
リナは、マリアの過去を知らない。それはマリアが、リナに過去を話そうとしないからだ。
しかし自分の親友のこんな姿を見て、不安を隠せなくなった。それはヒスイに相談した、責任に対する不安とはまた別の物。
リナは考えながら、そっとマリアの手を取り優しく握った。
「マリア……」
泣いている。こんな彼女を、リナは長い間一緒にいた間に見たことがなかった。
プライベートまで彼女と一緒だったわけではない。だがそれでも、自分の強気で優しい親友が涙を流すとは思わなかった。
リナは思った。強く。知りたい。親友の過去を、どうしても知りたい。
「でも――」
それでは、彼女の知られたくないという意志に反してしまう。
「……。いつか、あなたの過去を教えてくれますか?」
手を握りしめ、唇を強く噛むリナ。そんな彼女の問いに答える者は、誰一人としていなかった。
どうでしたでしょうか?
今回結構文字数多かったような気がします。
次回も出航前に色々な出来事が起こります。でも、多分あと二話か一話くらいで第一章が終了。
第二章に向け、少し充電期間に入ります。
それまでに多くの人が読んでくれてたらいいなぁ……などと思いながら頑張ります。
では、次回でまたお会いしましょう。