早朝の森では、日の光が木々の間から差し込み、神秘的な光景が生まれていた。
そんな森の中で眠る少女、この大陸クサントンに唯一存在する国の姫であるリナ=フローライトは、一筋の光を顔に浴びゆっくりと目を開けた。
ぼんやりとした意識の中辺りを見回すリナ。ふと、帝都に戻る道中一緒になった青年の上着が掛けられているのに気がついた。
未だ消えていない焚き火を見たところ、その青年は火を絶やさないよう木の枝を組んでは入れていたのだろう。
「ん?起きたか」
それは、火に木の枝を放り投げている青年、ヒスイ=シジスモンドの姿を見れば一目瞭然であった。
「おはよう……ございます」
未だはっきりしない意識の中、リナはヒスイに向けて朝の挨拶を口する。
対するヒスイもそれを聞き「ああ、おはよう」と言い返した。
「ずっと火の番を?」
リナは口に手を当て、あくびをしながらヒスイに質問をする。
その姿がヒスイの目にどう映ったのか、彼は少し微笑み、
「まあな。朝は周りの木の影響で日の光が当たらないせいか、森は寒いしな。体を冷やして風でも惹いてもらっちゃ困ると思ったんだよ」
と答えて、手に持っていた木の枝を火の中に放り投げた。
リナは内心、彼は優しい人物なのだと思った。
最初会った時は嫌みばかりを言う面倒くさがりな者だと思っていたが、その反面、ほんの少し接しただけでヒスイの中にある“優しさ”を彼女は感じ取っている。
それは、ヒスイの行動によく現れていると、リナは思った。
俯き、少し微笑みを見せながらヒスイのことを少し考えていたリナは、いつの間にかはっきりとした意識の中彼の姿を見て、思わず目を大きく開いた。
何故なら、火を未だに焚いている彼の体には、切り傷や擦り傷、何かに噛みつかれた跡が所々に残っていたからだ。
しかもそれは傷がついてからそう長い時間は経っていないようで、固まりつつある傷口からは少量の血が流れている。
さらには、彼の足下には赤い血の跡が地面にあるわけで、昨夜自分が寝ている間に何かあったのだとすぐに彼女は気がついた。
「ど、どうしたんですか!?その傷は!」
リナは声を上げた。何故自分がこんなにも声を張り上げているのかはわからないが、彼女はすぐにヒスイに近づく。
「別に。ただ魔物の返り血を浴びただけだ」
「嘘です。そんなの見ればわかります」
ヒスイはどうやら隠そうとしているようだが、彼の所々にある傷を見れば一目瞭然。到底隠せるような物ではない。
「大丈夫だ。このくらい、いつものことだ」
「それも嘘でしょう?あなた、私を起こさないよう庇いながら戦いましたね?」
リナの推論は正しかった。
数十という小さいながらも群を作ることで驚異となるゴブリン達が、二人を取り囲んだ。
ヒスイの力を使えば一斉に殺すことは出来るが、しかしそれではリナを巻き込んでしまう可能性がある。
それ故なのか、ヒスイは自分の力と得物である大剣も使わずにゴブリンと戦った。
当然普段のように得物を使って戦うわけではない。
生身の体で戦うだけではなく、襲われそうになるリナを自分の身を挺してまでヒスイは守っていた。そのため、いつもなら付かないであろう傷が付いてしまったのだろう。
「待っててください。今手当しますから」
そう言うとリナは、腰に着けたポーチの中を探り出した。
(――そういや全く触れなかったが、コイツ一体何持ってんだ?)
ヒスイは内心でそう思いながら、リナが自分の荷物を探る姿を見る。
ほんの少しして、彼女が中から取り出したのは、傷に付ける薬と包帯。リナはすぐにその出した薬をヒスイの右腕の傷口に塗り、手際よく包帯を巻いていく。
その手際の良さにヒスイは少し感心したように彼女のことを見ていた。
「上も怪我をしているのでしょう?血が滲み出ています」
「ああ、いや上はいい。あんま他人に見せるようなもんじゃねぇからな」
ヒスイの言葉に少し首を傾げながらも、リナはヒスイの腕や足に包帯を巻いていった。
そして暫くして、
「はい。これで終わりです」
手当が終わり、リナは処置に使った包帯の余りや薬などの片づけを始めた。
「すまない。だが手際がいいな」
ヒスイはそんな彼女の姿を見ながらそう言った。
対しリナは少々微笑んで、
「医学を学んでいましたから。と言ってもこれは初歩の初歩ですけど」
ふとリナは片づける手を止めて俯いた。
ヒスイは内心首を傾げていると、俯いていた彼女はゆっくりと口を開く。
「私、父に言われて騎士の道を学んだんです。でも、私は何かを傷つけることは嫌でした。本当は人を襲うからと言って魔物を殺すことにも少し疑問を抱いているんです」
――だから、
「私は父に内緒で医学を学びました。毎日のように徹夜で勉強し、こっそり城を抜け出てお医者様にもご教授してもらって。その方はもうこの世にはいないのですが、お前に教えることはもうないと言ってくれて」
ヒスイはリナの話を黙って聞いていた。そして内心こう思った、彼女は何も言わなかったことに対し叱られる思っているのだと。それを恐れているのだと。
「それで私は、よく隣村では病気の人や怪我をする人がいると聞いたので、お父様にそのことを確かめるために村に向かいたいと言いました。当然護衛は着きましたから、私はその方達を撒いて単身向かったんです」
彼女はこう考えていたのだろう。護衛の兵士がいて、万が一自分が手当しているところ見られてしまった場合、父である王の耳にそのことが入るだろうと。
ヒスイは一度ため息を吐いた。リナにわからないよう小さく。
そして彼は口を開き言った。
「お前、医学を学んだことを後悔しているか?」
と。
「いえ。村の人にありがとうと言ってもらえて、学んで良かったと思ってます」
リナの返答を聞き、ヒスイは「だったら」と一言置いて再び口を開く。まるで何かを言い聞かせるような優しい顔をして。
「胸を張れ。お前が医学を学んだ結果感謝した人間がいるなら」
――それに、
「お前が嫌っている騎士の道、それを傷つけるために使うかどうかはお前次第だ。お前の学んだ道はどちらも、何かを守る力になるんだからな」
リナは少し驚いたようにヒスイのことを見た。
「だから、命を守る力を持っているようなやつを誰かが叱ったりバカにするようなやつはいない。いたら俺がぶん殴ってやる」
「……優しいのですね、あなたは」
リナは内心感謝していた。今まで近しい人間に、ヒスイが言ったような言葉を掛けられたことがなかった。
いや、それはある意味では当然だ。彼女は誰にも弱音を吐いた時がなかったのだから。
そのためリナは大袈裟ではあるが、ヒスイが兄のように見えた。とても優しい兄のように。
しかしそれ以上に彼女は、
「私、あなたとどこかで会ったことがありませんか?」
初対面であるはずの目の前の青年と、どこかで出会っているような気がしていた。
「いや、会ったことはないと思うが。どこかでぶつかったとか、あるいはよく城にも訪問すっからその時に顔を見た程度じゃねぇか?少なくとも俺は覚えていない」
リナはこの時、大事な何かを忘れているような気がしていた。とても大事な何かを、彼と話したのではないかと。
だがヒスイは覚えていないと言っている。
(――気のせい、なのでしょうか?でも覚えがないと言っていますし)
自分の気のせいだろう。そう思うことにして、リナは立ち上がった。
「すいません、私の話ばかり。でも聞いてくれてありがとうございました」
「ま、いい暇潰しになったからな」
「なっ……!?」
ヒスイの発言に、リナは睨み付けて口を開いた。
「あなた、やっぱり最低です!」
「冗談だっての」
リナの罵声に、ヒスイはニヤニヤしながらそう言い立ち上がる。
「さてと。結構長話したし、さっさと進むか。と思ってたが」
ヒスイがそこで言葉を切った瞬間、森に響きそうなくらい大きな音が、リナの腹から鳴り響いた。
それが恥ずかしかったためか、リナは顔を少し赤らめてお腹を押さえている。
「そういやお前、昨晩から何も食ってなかったな」
疲労から昨晩は早々に眠ってしまったため、当然夜の食事を採ってなどいないリナは、それ相応の音が鳴り響いたのだろう。
「出発は朝の食事を済ませてからだな」
そう言ってヒスイは少し小馬鹿にしたようにニヤニヤしながらリナのことを見て、食事を作った。
ヒスイの炊事は中々のものだった。と言っても、準備していた食糧の一つである鶏の股肉をいくつか焼いただけではあるのだが。
それでも彼が焼いた肉を口にしたリナは、今まで食べたことがないと感動していた。おそらくは余程の空腹だったのであろう
彼女が聞いたところによると、ヒスイは村を出る前にちょっとした下準備をしていたらしく、その味が引き出ているのだとリナは思った。
ちなみにどうやらヒスイはリナが目を覚ます前に既に食事を済ませていたようで、このとき彼は肉を食べていなかった。
「ありがとうございました。美味しかったです」
「そうか?お前城でこれより美味いもんよく食ってるだろ?」
素直に美味しいと思ったリナの言葉を余所に、ヒスイは彼女にそう言い返す。
それを聞き、首を二、三度横に振ったリナは言った。
「確かに城で美味しい物は食べられますが、それ同様に美味しいと思いましたけど」
「そうかい。ま、世辞として受け取っておく」
リナはヒスイに発言を聞き「お世辞ではないのですが」と小さく呟いた。
暫くして、身支度を整えた一行は、帝都に向かおうと立ち上がった。
昨晩、魔物の襲撃の後ヒスイはリナをおぶって夜中進んでいたために、帝都までの道のりはそう遠くはない。明日までには着くであろう。
「さてと。んじゃ、出発するか」
「はい!」
リナは元気よく返事をすると、何が嬉しかったのか満面の笑顔で道を駆けだした。
「早くしないと置いていきますよー!」
リナのとても元気な姿に、ヒスイは少々ため息を吐いた。が、内心そう悪くは思っていないようで、その後少々微笑み見せた。
「おいおい、あんま先へ進むと――」
呆れたような声色で何かを言おうとした時、ヒスイは言葉を途切らせ、突然声を張り上げて叫んだ。
「リナ!伏せろ!」
「えっ?」
突然の叫びにリナは最初何かわからずきょとんとした目をしていたが、その直後に何かを感じたのか、言われるがままに姿勢を低くする。
すると彼女の頭すれすれに、何処からか矢が飛んできた。
「な、なに?」
リナは矢が飛んできた方向に体を向けて見た。
ガサガサと茂みの音を立てて、中から現れたのは五、六人の、体にタトゥーを刻んだ男達。
「ぐへへへへ……」と不気味な笑みを浮かべる男達。
「チッ……盗賊か」
舌打ちをしてそう言うと、ヒスイは背にある大剣に手を掛けた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ヒスイは背の大剣に手を掛けながら、リナの下に近づいた。
彼の視線の先には数人の男達。体にタトゥーを刻み、手には矢を放つボウガンを持ち笑みを浮かべている。
(――数は前に五人、そして)
ヒスイはふと後ろに目をやった。するといつの間にか二人の背後にも男達がいた。
(――後ろにも五人か。厄介だな)
ヒスイはリナの方を見た。表情は少々恐怖のような色が伺える。
もし彼女が武器となる物を持っていれば戦わせようかと考えていたヒスイだったが、彼女の剣は昨日魔物との遭遇により折れてしまっている。
それだけではなく、リナは人を傷つけることを嫌っている。そんな彼女を、ヒスイは戦わせようなどとは言えなかった。
(――まあ、この程度の奴らなら問題はねぇがな)
そうヒスイが内心で呟いた時だった。男達の内の一人が口を開いた。
「おいおい。なんか喋れよ?恐怖で何も言えねぇのかぁ?」
それを聞いたとき、ヒスイは少々不味いと思った。なんせ側にいる少女が、
「ぶ、無礼物!私を誰だと思っているんですか!」
人を傷つけるのが嫌いだと言いながらも、プライドが少々高かったからだ。
「ああ?誰だってんだよ?」
「私の名前はリナ=フローライト!フローライト王国の第一王女です!」
リナがそう言い切ったところで、ヒスイは額に手を当てて大きなため息を吐いた。
「ど、どうしたんですか?ヒスイ」
「あのな、お前。普通私が第一王女なんて言ったら」
「おい聞いたか!?第一王女だってよ!人質にすりゃ金をありたっけ貰えるぞ!」
「てなるに決まってんだろ」
ヒスイの意見を聞き、リナは内心しまったと思った。だが当然気が付くのは遅いわけで。
「ていうかよ。あの子可愛いから、男だけ殺して、あの子は俺達の玩具にしねぇか?」
「確かに、いいなそれ!その後に身代金寄越せって言えばよ」
男達の間ではすでに色々と話が進んでいた。
男達の一言一言が徐々に自分の体を弄ぶという話に変わってきているため、リナの体には嫌な悪寒が走り、体をブルッと震わせた。
「全く……時間の無駄だな」
ヒスイはそう呟くと、大剣から手を離した。
「おいおい兄ちゃん。こっちは飛び道具だぜ?拳でやろうってのかよ?」
「何言ってんだ。あの兄ちゃんは頭が悪いんだよ。そっとしといてやれ」
ヒスイの行動を見ていた男達は次々にバカにしたように発言をした。
だがリナはこのとき思っていた。ヒスイがすでに動いたのではないかと。
「よし。俺は三度の警告を行う。四度目はない」
そう言うと、ヒスイは目つきを変え言葉を男達に向かって警告を放った。
「ここからさっさと立ち去れ。じゃないと殺す」
空気が一変した。
ヒスイの言葉にはまさしく、殺気が込められていたからだ。
「な、何言ってやがる。こっちは十人。お、お前一人で何が出来るって言うんだ」
男達の内の一人が声を震わせてそう言った。
「そ、それにこっちには飛び道具が」
「飛び道具ってのは……その壊れた“玩具”のことか?」
この時ヒスイは、まるで男の発言を遮るかのように言った。
「は?何言って……」
言葉の真意がわからない男は、動揺し始めた。周りの男達も同様に心を惑わせる。
その刹那。ヒュウと少しの風が吹いた。木々が少々揺らめいたその瞬間、
「な、なっ――!?」
男達の手元にあったボウガンが、木っ端微塵に砕け散った。
男達には一体何が起こったのかわからなかった。それはヒスイの側にいるリナも同様、目を見開いた。
「今のが二度目の警告だ」
ヒスイの言葉にハッとした男達だったが、目の前で起こった突然の出来事に言葉を失っている。
「最後の警告だ。命が惜しければさっさとこの場から去れ、クズ共」
ヒスイがそう言い放った瞬間、男達は恐怖の悲鳴を上げて走り去っていく。
その光景をリナは、唖然とした表情で見ていた。
「はぁ……さて、行くか」
その言葉で我に返るリナ。そして、少し動揺しつつ口を開いた。
「あの、一体何を?」
ヒスイはリナの質問に面倒くさそうに答えた。
彼曰く「時間の無駄だな」と言った時点で既に動いていたらしく、圧倒的な力の差を見せつけるため、ボウガンをちょっとの衝撃で壊れるよう剣で切っておいたそうな。
果たしてそんなことが出来るのか疑問ではあるが、明らかに手加減をしている。そうリナは思った。
だが同時に彼女は思っていた。彼が何故昨晩の魔物の襲撃で怪我をすることが、そもそも自分を庇いながら戦う必要があったのだろうかと。
彼女に考えられる理由はただ一つ。
(――私を巻き込まないようにするため)
そう考えたリナは、立ち止まる自分を置いて一人進むヒスイの背中を見ながら、内心申し訳ない気持ちで一杯になり、同時に得体の知れない彼の強さに対する探求心と好奇心が芽生えていた。
だがこの時彼女は気づいてなかった。自分の考えの中に、たった一つだけ矛盾している部分があると。
どうでしたでしょうか?
次回は時間が少し進み、帝都に着いて城に向かう話です。
ではでは、次回でまたお会いしましょう。