ある日の夜。一人の騎士の甲冑を着た男が、血相を変えて暗い森の中をたった一人走っていた。顔に浮かぶは濃い焦りと何かに怯えるような恐怖の色。男の顔はそれによって青ざめていた。
息は切れ、走る足には段々と疲労により筋肉が硬直し始めている。それでも尚、騎士の男は走った。
「ぎゃあぁぁあぁー!!」
と、刹那に男の背後から悲鳴が聞こえた。
だが男はその声が、断末魔であることを知っている。男は振り向くことなく、ただひたすら走り続けた。
「な、なんだってんだよ……!?」
男は走りながら、唇を震わせ、歯はガチガチと音を鳴らしながら呟いた。目には涙が溜まり、心臓の鼓動は恐怖と逃走の疲労により最高潮に達しつつある。
男は思った。何故今自分は逃げているのか。一体何が起こったのだろうかと。
「うぐぁ!?」
だが考える間もなく、男の足は限界に達した。いや足だけではない、彼の体もだ。
突然力が入らなくなった男の体は、逃走の勢いが影響して地面に強く叩きつけられた。
「ぐっ……!くそっ!」
力の入らなくなった体を必死に起こそうと這いずり回る男。「動け、動け」と叫びながら動かそうとするも、彼の体は制御出来ず、その場から這いずるだけで起き上がろうとはしない。
「くそっ……なんで動かねぇんだよ……!」
必死にもがき苦しむ騎士の男。そんな彼の背後に幾つもの影が映った。
赤く光るその眼孔は彼を見つめ、口元はあざ笑うかのような笑みを浮かべているその正体は人々が恐れて止まない“魔物”の群だった。
だがその群はいや“魔物”は男や人々が知るような物とは違った。それぞれの手に武器を持ち、あるものは大きな剣を、あるものは斧を、またあるものは槍を。各々が、人が持つような武器たる物を持っているではないか。
「ひ、ひぃ……!」
背後の気配に気がついた男は、小さく悲鳴を上げた。木々の隙間から差し込んだ月明かりにより、魔物の持つ得物がギラリと光を反射させる。
「た、助けてくれ!助けてくれぇ!どうか命だけは……!」
我ながら馬鹿馬鹿しいと思いながら、騎士としての恥さらしだとも思いながら、男は後ずさりながら自分を殺そうとしている魔物に命乞いをする。
恥さらしでもいい。人間の恥でもいい。そう思う彼の懐から一枚の写真がヒラリと落ちた。そこに写るはまだ生まれたばかりの赤ん坊と、それを抱く男の妻の姿。
待っている家族がいる。だから死にたくない。そんな男の願いは当然届くはずもなく、魔物の群は彼に近づき一斉に得物を振り上げた。
「…………死ね」
魔物がそう言い放った直後、何かが斬られる音ともに男の断末魔の叫び声が夜空に響き渡った。後に残ったのは、血に塗れた男の家族の写真だけだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ヒスイー起きてー。朝だよー」
傍らに聞こえた少女の声により、一人の青年ヒスイ=シジスモンドは目を覚ました。
「おはよう、ヒスイ。朝ご飯出来てるよ」
一緒に同居している義理の妹のような存在であるエクレール=シトリンの姿を見たヒスイは、欠伸をしながら「おはよう」と朝の挨拶を口に出した。
「また夜遅くまで起きてたの?」
「まぁな。今日隣村に向けて出発する予定だから、その準備に手惑ってな」
「あ、そっか……」
ヒスイの返答を聞き、エクレールは少々寂しげな表情を浮かべた。それを見たヒスイは微笑み、ポンと彼女の頭に手を置く。
「すぐ戻ってくっから、留守番頼むな?」
そう言ってヒスイはエクレールの頭を優しく撫でた。さながら本当の兄のようである。
だがどうやらエクレールはヒスイに対して好意を抱いているようで、彼女は顔を赤く染めて俯いていた。
「うん、わかった……」
「よし、んじゃあ!お前の美味い飯でも食うかね」
そう言うとヒスイは自室を後にする。その後ろを追いかけるようにして、エクレールもまたヒスイの部屋から退室した。
二人の住んでいる家は二階建て構造で、二階に彼らの部屋が、一階には食事をするための場が出入り口のすぐ近くにあった。
ヒスイは一階にあるテーブルに座ると、新聞を広げた。
「また被害が出たか……」
ヒスイはすぐ目に入るような大きな記事を見、呟いた。
「みたいだね」
「ああ。だが今回はちと大事だぞこりゃ」
ヒスイが読んでいる記事にはこう書かれていた。
――昨晩、隣村の実地調査のために派遣された騎士五人編成の部隊が何者かに殺害、全滅されたの連絡が入った。恐らくは昨今の問題である突然変異、及び凶暴化の影響を受けた魔物に襲撃されたと見解されており、今回の被害で数十件に達した模様。国王は民に、森への外出の際は十分に注意を払うように…………。
昨晩というフレーズを見るに、速達の伝令があったのだろうとヒスイは推測した。
「大丈夫だろうけど、ヒスイも気をつけてね?」
「わかってるよ。死んだらお前の美味い飯食えないからな」
ヒスイの言葉を聞き、エクレールは顔を真っ赤にした。
ちなみにヒスイは好意などと言った意識があるわけではなく、素による発言である。その証拠に彼は、エクレールのことを妹のようにしか見ていない。
そんなことはさておき、ヒスイはテーブルに置かれたサンドイッチを口にしながら新聞を読み続けた。
「行儀悪いよヒスイ。食べながら新聞読まない」
「へいへい」
エクレールの注意を生返事しながら、ヒスイはコーヒーを啜った。とその時だった。
ドンドンと、家の出入り口の扉を叩く音が鳴ったのだ。
「誰だろ?こんな時間に」
来客の心当たりがないエクレールは、首を傾げて扉を開けた。
「ヒスイ=シジスモンドはいるかっ?」
そう言って入ってきたのは、一人の騎士だった。
「ちょ、ちょっと勝手に入らないでよ!」
何の許可もなく入ってきた騎士に対し罵声を上げるエクレールだが、そんな彼女を余所に騎士の男は巻いた紙を広げ、声を上げて言った。
「ヒスイ=シジスモンド。王がお呼びだ!一緒に来てもらおう!」
それを聞き、ヒスイは眉を潜めてコーヒーを啜る。
「あのじじい……何の用だ」
そう呟くとコーヒーのカップを置き、サンドイッチを一つ持って兵士に着いて出ていく。
「あのじじいがヒスイに用?なんだろ……」
家に一人取り残されたエクレールはそう独りでに呟き、そして思った。せっかく二人きりだったのに、と。
兵士の後に続いて歩いていたはずのヒスイは、フローライト城のまるで嫌がらせの迷路のような廊下を一人歩き、王の謁見の間へと向かっていた。
何故一人なのかと言えば、
(――あの兵士、道間違ってどっか行きやがったな……)
兵士が謁見の間までの道を間違え、何処かへと消えてしまったためである。
城が迷路のようであるためあり得ると言えばあり得る話なのだが、一体どうやってあの兵士が伝書を手に入れたのか甚だ疑問を抱くヒスイ。
そうこうしている内に彼は謁見の間の大きな扉の前にたどり着いていた。
「ヒスイ=シジスモンドだな?入れ」
扉の前には迎えに来た人物とは違う兵士が立っていた。これは推測だが、王は迎えの兵士が道を間違えることも考慮していたのだろう。
「なんの用だ?じじい」
扉が開き、中に入って開口一番にヒスイはそう吐き捨てた。
不機嫌そうに入ってきたヒスイを見た王は、困ったなと苦笑いをするがすぐに表情を元に戻す。
「うむ、わざわざすまないな」
「さっさと用件を言え。こっちも忙しい」
普通、民というのは一国の王に対し敬意を払って接するものだ。
しかし、ヒスイの態度からはそんなものは微塵も感じられず、それどころか王よりもヒスイの方が偉いのではないかと勘違いするほど、彼は堂々としている。
「ああ、すまん。だが主な内容は迎えの者が」
「聞く前に道間違えて消えましたよっと」
ヒスイの言葉を聞き、王は思わずため息を吐いて額に手を当てた。想定してたとは言え、当たって欲しくはなかったのだろう。
「あー、簡単に言えば娘の捜索を依頼したい」
「兵士が撒かれたのか?」
ヒスイの質問に「うむ」と王は呆れた表情で答える。
どうやら王の一人娘である姫が、忽然と姿を消したそうで、その捜索をヒスイに依頼したいとのことだそうだ。
「王様よぉ……ただでさえ嫌気が刺すほどの迷路みたいな構造をした城だぞ?付き人は何人だった?」
「兵士十人と侍女一人だ」
「何時からいない?」
「もうかれこれ三日になる」
ヒスイはそれを聞き、あのバカメイドが……と小声で呟き大きくため息を吐く。
「その姫様は、城ん中で迷わないのか?」
「ああ、隠し通路も教えているのでな」
原因絶対それだろ。ヒスイは内心でそう思わざるを得なかった。
呆れた眼差しで王を見るヒスイ。
「行き先の目星は?」
「隣村だ」
瞬間、ヒスイの表情が一変した。
彼の脳裏に浮かんだ事、それは今朝見た新聞の記事だ。
「おい、てめぇまさか。あの新聞の事件の原因は、姫捜索か?」
「ああ、そうだが?」
何当たり前のことを言っている?そう言うかのように王は見下してヒスイのことを見た。
「なんでもっと早く言わなかった」
「兵士ならば大丈夫だろうと思ったのでな」
ヒスイは舌打ちをすると、王に背中を見せた。そして、顔だけを王の方に向け、睨むようにして言う。
「すぐに出発する」
「うむ、すまないな」
ヒスイはその後、すぐに準備を済ませ、隣村に向けて出発した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「…イ……スイ……ヒスイ!」
考え事に耽っていたヒスイは、ふと自分を呼ぶ声にハッとして声の方向を向いた。
ヒスイの視界には、フローライト王国の姫であるリナの姿が入る。
「どうしました?ボーッとして」
「いや、悪い。ちょっと考え事していただけだ」
心配そうに顔をのぞき込むリナに対し、ヒスイはそう答えた。
(――参ったな、性に合わずついこの間のことを考えちまった)
ついこの間。それは、リナを見つける前日のことである。
彼女の捜索のために兵士が五人も死んだ。自分が先に行っていればこうはならなかった。性に合わず、そんな取り留めのないことを考えていたヒスイは、少々自分に嫌気が刺していた。
(――別にこいつが悪いわけじゃねぇんだ。考えるのはやめるか)
内心でそう呟き、リラックスも兼ねて目を閉じて大きくため息を吐いた。その理由は、
「で、バカメイド。いつになったらじじいの所に着くんだ?」
大絶賛、迷子中であったためだ。
「し、仕方ないじゃない!この城迷路みたいでわかんないのよ!」
自分は悪くない。そう言うかの様に、迷子の原因であるマリアは少し涙目で叫んだ。
何故このようなことになったのか、それは、
「ではヒスイ、城を案内しますね?」
「いえそれには及びません!ここは私が!」
と、マリアがヒスイに良いところを見せようと意気込んだ結果、彼女の自覚のないとんでも方向音痴スキルが発動し、迷子になってしまったのだった。
「大体どうやったら入り口に戻ってくるんだよ?」
「私に聞かれてもわかりません」
ヒスイとリナの二人は、揃って嘆息をする。
「っていうか二人とも間違えているとわかっていたのならどうして教えてくれなかったのですか!?」
「「面白そうだったから、つい……」」
「酷っ!?この二人酷っ!?ていうかまだ会って間もないのになんでそんなに息ぴったりなのよ!?」
ヒスイとリナのからかうかのような発言に、マリアは罵声と供にツッコんだ。
「まあいいや。リナ、こっちだろ?」
「ええ。やっぱり道知ってたんですね」
「軽く無視されたわ……」
酷く落ち込んでいる方向音痴マリアは無視し、ヒスイとリナは謁見の間に向かうため城の廊下を歩いていく。
ちなみに実際のとこを言うとマリアは方向音痴などではない。ただ単にヒスイがいると緊張していたためにあらぬ方向に行ってしまった。それだけである。
城の床にはやはり城と言うだけもあり、レッドカーペットが敷かれていた。
壁にはいくつもの絵画が掛けられており、まるで美術館のようでもある。
「ほら、着いたぞ」
「えっ!?いつの間に!?」
ショックを受け、ボーッと力なくただ着いて歩いていたマリアは、思わず驚きの声を上げた。
それもそのはず。物の数分と掛からずに謁見の間の扉の前に立っていたのだから。
「にしても驚いたな。あんな隠しの道があるとは」
「でしょう?他の者には内緒ですよ?」
(――うぅ……なんで会ったばかりなのに、姫様はあんなにも仲良く話してるの?)
仲良く話しているヒスイとリナを見て、マリアはリナが少し羨ましく思った。いや少しどころではなく、とてもだ。
「さて、んじゃ入るか」
だがヒスイはそんなマリアの気も知らず大きな扉を開け、謁見の間へと足を踏み入れたのだった。
どうだったでしょうか?
次回も近い内に更新するのでお楽しみに。
ではでは、次回でまたお会いしましょう。
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