「地下室ってどこだ……」
延々と続く廊下で、権兵衛は一人途方に暮れた。
咲夜は言った。妹様のお部屋は館の地下室にあると。扉からして異なるから、一目見れば分かると。
彼女の説明は若干不足しているようにも感じたが、別段追求もしなかった。いざとなれば足で探せばいいだろ、なんて呑気に考えていたからだ。未だこの広い紅魔館で一度も迷っていないという事実が、権兵衛に根拠のない自信を持たせていた面もある。
その自信が今、脆くも崩れ去った。
御覧の有様である。
……いやいやいや!? まだ迷ってないからな? ただ地下室が何処にあるのか分からないだけだからな!?
それを迷子と言うのではなかろうか。何故そうまで頑なに迷子である事を否定するのか、その理由はきっと、権兵衛にしか分からないんだろう。
途中、幾つか階段も見掛けはしたが、どれもこれも二階へのもので下へと続いているものは一つとして無かった。
こうなったらそこらの妖精メイドでもふん捕まえて聞き出してやろうとしたものの、周囲を見渡せば肝心のメイドらが見当たらない。丁度図書館へと向かう道中である。
そう言えば、と。所狭しと溢れている妖精メイドが、何時も図書館周辺では姿を見掛けないことを権兵衛は思い出した。静寂を好む図書館の主と約束事でも交わしているのかもしれない、との推察する。
この先には図書館しかない。権兵衛は来た道を引き返そうと振り向き――彼の横を一迅のつむじ風がすり抜けた。
「おっと。随分なレアキャラと遭遇したぜ」
つむじ風の正体は、御伽噺に出てくるような、これぞ魔女というお手本な衣装に身を包んだ箒に跨る少女だった。
「ここは普通の人間が来るところじゃないぜ。早く逃げた方が……って、そんな震えて、どうしたんだぜ?」
「いや、感動を噛み締めていて……」
「何だそりゃ? どうやら普通の人間じゃなくて普通の変な人間みたいだな」
権兵衛は何をそんな感動しているかだって? お答えしよう。それは、目の前の少女の格好にあった。
魔女。そう、魔女がいるのだ。図書館に魔女がいると聞いて、内心期待しながら出向いたのに、図書館の主人であるパチュリーは紫のガウンを着てちぃっともソレっぽくなかった。だが、この少女は正しくザ・魔女といった風貌だ。この幻想郷に来て、メイドだとか吸血鬼だとか魔女だとか諸々のイメージが砕けたのだ。ようやく想像通りの出で立ちに出会えて、ちょびっとの感動に浸るぐらい、ええじゃないか。
口調はちょっと変わってるけど。
身なりからして十中八九パチュリーの関係者に違いない。
「君は妹様の部屋が何処か知らないか?」
「フランの? どうやら大分頭のおかしい普通の変な人間だったか」
渡りに箒と、折角尋ねてみると随分と酷い言われようである。
「ははっ、怒るなって。お詫びって訳じゃないが事のついでだ。案内してやるよ」
ちっとも悪びれた様子もなく魔女は快活に笑った。そのあっけらかんとした態度には、彼も毒気が抜かれてしまった。それに案内してくれると言うのだから、悪い魔女ではないのだろう。
「私は霧雨魔理沙。あんたは?」
「名無しの権兵衛だ」
「ぷっ。それって本名か? やっぱり変な奴だなぁ」
「ほっとけ」
前言撤回。やっぱり少し性格の悪い魔女だ。
「あれ? 権兵衛飛ばないのか?」
「いや、人間は飛べないだろ」
「いや、人間も飛べるぜ」
「え」
「人間も飛べる」
「どうやってだよ……」
「んー、念力?」
何故に疑問形。それも念力って、普通の人間はまず念力なんて持っていないのだから結局飛べないという事だ。
「しっかし飛べないのかー。不便な奴だぜ、よっと」
魔理沙は箒に横乗りの体勢で座り直すと、足でついて行ける速度でゆっくりと飛行を始めた。
二人並んで紅魔館の廊下を往く。道中、変わり映えもしないので、魔理沙のフレンドリーさも相まって自然と会話が弾む。
「あー、権兵衛。色々と聞いてみたいことはあるんだが。なんでフランの部屋に、用でもあるのか?」
「用があるというか、作りに行くというか」
「なんだよ。ハッキリしない奴」
「んーとな。実は、だ」
かくかくしかじか、まるまるうまうま、という訳で。咲夜の頼みでフランの家庭教師を務めるという経緯を話すと、魔理沙は呆れたように溜息を吐いた。
「はぁ。随分と面倒な事に首を突っ込んでるんだな」
「……やっぱり?」
「やっぱりなんだぜ」
嫌な予感に限りよく当たる、と感じるのは誰しも思うだろう。単に良い予感よりも悪い予感の方が印象深く残る、というだけかもしれない。
「そういや、魔理沙こそ何してるんだ。見た感じパチュリーの関係者っぽいし、図書館にでも用があるんだろ」
「あー、パチュリーか。知り合いっちゃ知り合いだな。っとと、到着したのぜ」
キキィと、空中に浮かんでいるのだ。ブレーキ音なんてする訳がない。ただ、体を後ろへと逸らし箒を引いて慣性を緩める彼女姿には、正にそんな擬音が似合っていた。
この部屋だと彼女が指差した扉を見て、咲夜が一目で分かるといった理由に合点がいく。
見るからに分厚そうな、華美を尽くされた紅魔館では一際異彩を放つ鋼鉄の扉があった。
見た目も然ることながら、その大きさも、権兵衛の身長の悠に二倍はあろうかという高さで、正面に立っていると圧し潰されそうなプレッシャーを感じた。極めつけと言わんばかりに、鉄扉には複雑な紋様と、見たことのない言語が書かれた札が一面を覆い尽くしていた。
咲夜が言った幽閉とは、一切の誇張も無かったのだ。
「フラン、いるか?」
「魔理沙? 魔理沙なのっ!?」
扉越しに声を掛けると瞬く間に反応が返ってきた。
くぐもっているが嬉しそうな、幼い少女の声。当然か。何せあのレミリアの妹なのだから、幼いのは当たり前だろう。
「待っててねっ。今扉開けるからっ」
「いや、ちょっと待てフラン!」
中からタタっと、おそらくフランが歩いていると想像に難くない音が響く。
開けてくれるというなら鍵は無用だったかと、輪鍵部分に指を嵌めて回していると何故か知らぬが魔理沙が焦っている。
そして魔理沙は転身して権兵衛の腕を引いた。
「おい権兵衛、離れるぞっ!」
「え、いや、なん―――」
メギョリ、と。聞きなれない音を聞いた。それは分厚い鋼鉄が無理矢理にひん曲がる音。
権兵衛が音の正体を確かめる暇も無く、館全体を揺るがすほどの轟音と振動が響き渡った。
「うわっ!」
衝撃に吹き飛ばされる形で床に倒れ込む。頭上を鉄扉だった破片が飛び散ってゆく。
暴虐の嵐はすぐに収まり、恐る恐る頭を上げると、扉があった筈の場所は周囲の壁をも巻き込んでポッカリと大穴が開いていた。
もしあのまま立ち呆けていたら、ゾッとする。
「けほっけほっ。相変わらず無茶苦茶な奴だぜ……」
魔理沙も大して怪我の様子もなく、立ち上がり帽子に被ったゴミを払った。
「魔理沙っ!」
その大穴から、一人の少女が勢い良く飛び出して魔理沙へと抱き着いた。
「もうっ、魔理沙のバカ! 全然遊びに来てくれないんだからっ」
「はは……、悪い悪い。だから、離れてくれないかフラン」
「むー」
渋々と言った様子で、少女は魔理沙から離れた。
改めて少女を見る。金の髪と宝石のような羽を持つ少女。その顔はレミリアと瓜二つだが、性格の違いが顔に現れているのだろう、フランの方が若干子供っぽさが残っている。双子、と紹介すれば誰もが皆信じるであろう姿だった。
「アレ? このニンゲンなぁに?」
「あぁ、そいつはだな」
「あー、えーっと。初めましてフラン、ちゃん? 名無しの権兵衛です」
少女の興味がやっと自分へと気付いたので簡単に自己紹介を済ませる。
「ななしのごんべぇ? 変な名前ね」
「うん、変な名前なんだぜ」
変、変って、ちくせう。そんなに変な名前だろうか……。
魔理沙のわざとらしい言葉はこの際良いとしてもだ、無邪気に笑うフランの方が権兵衛に与えたダメージは大きかった。
「それで権兵衛ってなぁに? 新しいオモチャ?」
「違う違うフラン。こいつはおもちゃじゃなくて友達なんだぜ」
「え、トモダチ!?」
オモチャと聞いて――おかしな単語でもなかろうに――、不意に彼の背筋を冷たいものが流れた。苦笑する魔理沙がやんわりと訂正する。魔理沙の何でもない一言が権兵衛の命を救った事は、誰も知らない。
「やったやったー! 新しいトモダチ! ねぇねぇ何して遊ぶ? 三人なんだから一杯遊べるでしょ?」
「あー、それなんだがなフラン」
フランの喜びようったらない。咲夜の話からどれ程気難しい少女かと覚悟していたが、目を輝かせて喜び跳ねる姿は、素直な子供と変わりないじゃないか。
そんな喜びに水を差す事になるのだから、魔理沙は口籠った。そして、とても言い難そうにフランへと告げる。
「今日はこいつを紹介しに来ただけでな。私は別の用事があるんだぜ」
「えー」
「悪い悪い。この埋め合わせは、権兵衛がしてくれるからさ」
「そうそう俺が……って、ちょっと待て」
「待てと言われて待つ奴はいないぜっ。じゃぁなフラン、権兵衛!」
静止など最早届かない位置へと、魔理沙はあっと言う間に箒を飛ばしていた。
二人だけ残されては、気不味い思いをする。親戚の、あまり親しくない子供を託されてお互いギクシャクする、そんな感じの。
「魔理沙行っちゃった……。つまんない……」
「あー、フランちゃん?」
先ほどのテンションは見る影を潜めて、気落ちするフランに自分も、役目を真っ当しようと声を掛ける。
「何……?」
魔理沙に抱き着いた時には、明る過ぎるも素直な娘という印象だったが、何とも躁鬱が激しい。子供特有の不安定さと申しますか、矢張り一筋縄な子ではないみたいだ。
どう接しようかとあぐねて、魔理沙が良い例を残してくれた。
「俺と遊ぶのは嫌かい……?」
「んー、嫌じゃないわ!」
フランは、子供の良さと悪さの両方を持つ娘なのだ。ならば扱いも、そのようにすればい良い。
対して姉のレミリアだが、子供扱いすると凄く怒るのだ。それはもう、烈火の如く。それは精神が、フランより成熟しているから。子供扱いすると嫌な年齢、背伸びしたい年頃なのだろう。
いや、レミリアの性格に関してはもっと複雑なのだが、権兵衛は理解していなかった。
「ねぇ、何考えてるのかしら。早く、早く遊びましょうっ」
「ん、そうだね」
今考えるべき事ではない、か。
何より、袖を引っ張るフランの相手が先決だ。
「それじゃぁ部屋で……って。真っ暗だな」
「そうかしら。丁度いいわ」
吸血鬼は困らないかもしれないが、流石に自分には何も見えない。
「灯りとかは?」
「無いよ」
「何か遊ぶものはない? トランプとか」
「無いよ」
「……この部屋、何があるの?」
「ベッド」
じゃぁベッドで遊ぼうかっ!
……いやいやいや。それはいかんでしょ、論理的にも絵面的にも。そんな事したらメイド長に殺されてまうわ。
「うーん、どうするかなぁ」
「ねぇ、遊んでくれないの?」
「いや、遊ぶよ?」
フランの声の、トーンが落ちる。不穏な気配を感じ取り、間髪入れずに取り敢えずの否定を入れる。平静を繕ってはいるが、内心冷や汗モノだ。少女の体を成してはいるがその実、いつ爆発するか分からない爆弾に似ている。
さてはて、どうしたものか。確か、この廊下は図書館にも面していたな。
「今日のところは、図書館で本でも読もうか」
「えっ!? 外出していいの……?」
外出って、同じ館の中だろうに。大袈裟な子だなぁ。
彼女の縛りが、自分と同程度だろうと浅はかに考えた権兵衛にとっては何気ない一言であったが、フランからすれば十分驚きの提案であった。
「駄目かい?」
「……んーん! ダメじゃないわ! 行きましょっ」
コロコロと、目まぐるしく表情を変えるフランは見ているだけでも楽しさを覚える。破顔して権兵衛の袖を破れそうな程引っ張り、「はやくはやく!」とせがんでいる。実際袖の部分からビビビと音がしたのは、聞こえなかった事にしよう。
「ほらっ、もっとはやく! 歩くなんて遅いっ! 飛んで飛んで!」
「いや、俺は飛べないから」
「えっ、飛べないの? 不便なのー」
結局、二人揃って歩いて図書館へ向かう事になった。
道中もフランは嬉しそうに落ち着きなく走ったり止まったり、矢継ぎ早に質問を投げ掛けたりと随分楽しそうであった。
それにしても幻想郷で飛べないって、そんなにおかしな事なのか?