幻想狂縁起~紅~ 《完結》+α   作:触手の朔良

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司書の真似事

「あら、早いわね」

 時間の指定も無かったので、権兵衛は朝食を摂ってすぐに図書館へと向かった。パチュリーは既にいつもと同じ場所いつもと同じ体勢で、昨日とは違う本を読んでいた。

「厄介事なんだろ? 出来るだけ早く済ませようと思ってね」

「感心な心掛けね」

 パチュリーは最初の一声だけ顔を上げたが、以降はずっと本に目を落としていた。

「貴男にやって貰おうと思ったのはね、本の整理なの」

「それはいいけど。見たところ散らかってるようには見えないな。この積まれてる本でも片せばいいのか?」

 昨日、あれだけフランが暴れたにしては特別汚い訳でもない。小悪魔が頑張ったのだろうか。

 ならばと、テーブルの上に散乱する本の一つを手に取ろうとして遮られた。

「違うわ。これは読む予定の本。貴男に片付けて貰うのは、そこの手前の本棚」

 くいと指差された方向には書架の群れ、いや山か海か、兎角大量の本棚があった。彼女が指した先、一番近くの本棚の背表紙の混沌さを見て理解した。文学書に経済書、帝王学、絵本、果てはミミズがのたくったおおよそ文字とは見えぬ記号で埋め尽くされた本まである。どれ一つ取っても、収納されている本に統一性はなかった。

「何でも読むんだな」

「本に貴賎は無いもの」

「つまらなかったヤツだってあるだろう?」

「馬鹿ね。つまらないから面白いんじゃない」

 魔女の思考はよう分からん。

 改めて本棚に目を戻す。彼女の指示に当たる本棚は三つ。その一つ一つに、ぎゅうぎゅうに本が詰まっているのだから相当な量だ。

「……根本的な問題としてだな。これを一体どの棚へ戻せばいいのか、俺は分からないんだが」

「別に全部を貴男一人で片付けろって訳じゃないわ。小悪魔もいるし、後は彼女にでも聞いて頂戴」

「だ、そうです。馬車馬の如く働かせるんで覚悟しなさいね」

「お、お手柔らかに頼む」

 名前を呼ばれて小悪魔は棚の間からひょこりと顔を出してきた。既に彼女は厄介事に取り掛かっていたようだ。一人よりは悪魔の手でもある方が、おそらくマシに違いない。

 小悪魔の元へと向かうと、足元には台車と、それに載った大量の本があった。

 こんなにあるのかとゲンナリした気分の所、小悪魔は陽気に言う。

「載ってる本は全部この辺りの棚に仕舞うものですから、まずはこれだけ片付けましょう。細かな場所は……。ま、大体でいいんですよ」

 真面目に仕事に精を出していると思われた悪魔は適当な指示を出してきた。大いに賛成である、適当万歳。

 小悪魔は幾つかを抱えて上の方へ飛んでいってしまった。

 そう、飛んでいったのだ。

 何を隠そう魔法図書館、広いだけではなく高さもある。

 現に権兵衛を囲んでいるこの辺りの棚は、いや、存在する全ての棚は天辺が闇に溶け込むほど積み上げられている。もし地震が起きたら、なんて想像したくもない。

 その高さ足るや。飛んだ方なのは当たり前で、小悪魔がそうするのも当然だった。

 ならば飛べぬ権兵衛はうろちょろと、手の届く範囲だけを整理すれば良いのだろうか。そんな筈あるまいと、視線の中にある滑車付きの梯子の存在が生っちょろい幻想を否定していた。

「……落ちたら死ぬな」

 闇へと伸びている梯子の先を見て、溜息を吐く。何時までも躊躇していたら終わるものも終わらない。ちんたらと時間を掛ける程に、小悪魔が怒り心頭になるだけだろう。

 覚悟を決め、権兵衛は軽そうな本を選び腋に挟んでは、梯子の一段目へ足を掛けた。

 木製の梯子は男一人の体重を乗せてミシリと嫌な音を軋ませたが、試しに右へ左へと体を揺らしてもビクともしない。見た目古そうな割にはすこぶる頑丈なようだ。

 決して下を見ないように、勢いのあるまま登ってゆくと、先に云った小悪魔の姿を見つけた。

「もう、遅いですね。グズですかアナタは」

 彼女の罵声も慣れたもの。軽く聞き流して仕舞う場所を探し始める。本を戻す場所は隙間があるのだから、見つけ出す事自体はそう困難ではない。ただ、恐ろしいのは見落とした場合、その事実に気付かずに延々と、正解のない見当違いを探し続ける羽目になるのだから。

 そうならない為にも、小悪魔は適当で良いと言ったに違いない。中々考えているじゃないか。

「ふんふんふ~ん♪」

 小悪魔はご機嫌に鼻歌を口ずさみながら、空いている隙間に片っ端から本を戻している。とても元の場所に戻しているようには見えない。

 二往復、三往復と。無心のまま昇降を繰り返してひたすら本を戻していると、台車の本も残り僅かとなっているではないか。

 作業の方も慣れて、それに伴い速度、効率も上昇していき余裕も生まれる。無駄話をするぐらいには。

「いつもは一人でこんな事をしてるのか?」

「いえー。何となく、ワタシの気の向いた時にだけこんな事をしてあげてますね」

 適当な相棒は適当な返事をする。

 権兵衛とて暇潰しに問うただけなので気にはしない。

 ただ、顔を上げた視界の先が――。

「……黒、か」

「ハイ? 黒って、確かに暗いですけど。図書館にはご都合な魔法が掛かってますから、見えないってことは無いでしょ」

 ご都合て、さらっと危険な発言をする小悪魔の口を塞いで置かないと、後にとんでもない事になりそうだ。

「うむ、確かによく見える」

「……アナタ何見てるんです」

 さて。一旦状況の整理でもしようか。主に二人の位置関係だが。

 小悪魔が上で、自分が下。彼女はロングのスカートを履いていまして、素晴らしい魔法のおかげで近場の視界は良好も良好。更には自分は男、小悪魔は口は些か悪いが十分以上に美女である。

 つまり彼が何を見て黒と言ったのか、これ以上は野暮であろう。

 小悪魔は無言のまま同じ高さへと降りてきて。

 静かな図書館に、渇いた音が響き渡った。

 

「騒がしかったから何事かと思ったけど、どうしたのよその綺麗な紅葉。……大方察しは付くけど」

 頬がジンジンと痛む。鏡は無いが、自分の顔がどんな状態かは、パチュリーの言葉からも分かる。

「パチュリー。頼まれてる立場で何だけど、頼み事があるんだ」

「何かしら。言うだけならタダよ、タダより高いものは無いけど」

 どうしてこう彼女は、二の足を踏ませるような事を言うのか。

 まぁ彼女の言い分の通り、言うだけならタダだし駄目元、って事で。

「……飛ぶ方法、教えて欲しいんだけど」

「あら、どうして?」

「だってさ、この図書館も高過ぎるからさ。万一飛べれば片付けだって一段と早くなるし」

 ちらりと、彼女に対してもメリットがあることを言動に混ぜる。おそらく、だが。聡いパチュリーの事だ。頼み事をするのに互いの価値を掲示した方が乗ってくるだろうと考えたのだ。その目論見はまんまと成功する。

 それに嘘は言っていないぞ、嘘は。

「……まぁいいわ。大して手間でも無いし」

「おぉ、やった!」

 言ってみるものだな。

 しかも大した事ないなんて、流石パチュリー。魔女様々である。

「まず私達がどうやって飛んでいるか分かるかしら権兵衛」

「……念力?」

「そんな訳無いでしょ」

 くそぅ、魔理沙のヤツ。適当教えやがって。

「よくお聞きなさい。鳥は飛んで当たり前。魚は泳げて当たり前。以上」

「へ? あの、パチュリーさん……? それでどうやって私めは飛べばいいのでしょうか?」

 それだけ言って、パチュリーは平常運転へと戻っていた。ちっとも分からないという彼の頭の出来に、パチュリー眉を顰めた。

「はぁー……。要するに、出来て当然という事よ」

「出来ないから聞いてるんですけどっ!?」

「最後まで聞きなさいな。貴男は空を飛べないと自分で決めつけてしまっているわ。そんなんじゃ、飛べるものも飛べないもの。幻想郷で飛ぶって事は、出来る事を疑わない事よ」

「な、なるほ、……ど?」

 納得出来るような出来ないような。

「もし貴男に可能性があるとするなら、思い込みが激しいか自信過剰な場合かのどちらかね

「うーん、出来るかなぁ」

「そんな風に考えているようじゃ、まず無理ね」

 おぉう、そういうことか。自分の常識の根底から否定しなければスタート地点にも立てない。これは難しい。

「精々、私の為にも頑張って頂戴」

 期待はしてないけど。

 余計な一言を残してパチュリーは本の世界へ戻っていった。

「うーん……」

 俺は飛べる、俺は飛べると心の中で必死に念じてみるも、飛べそうな気配は一向に生まれない。本を整理している間もずっと試みたが、全く変化が無かった。

 ひたすら作業を繰り返していたらすっかり時間の感覚も無くなり、咲夜が昼食に呼びに来てようやくそんな時間なのだと気付いたものだ。

 昼もそこそこに摂って、午後も本の片付けに追われる。

 一日の大半を費やして一つ目の棚の、半分程が終わりそうにはなったが、まだまだ先は長い。一日も掛けたにしては遅いんじゃないかと思われそうだが、これには深くもない単純な理由があるのだ。

 小悪魔が片付けもそこそこに、片付けるべき本を読み始めたのだ。

 なんてふてぇ女郎である。などと、実は自分もあんまり強く出られない。

 かく言う己も、小悪魔と同じようにサボってしまったからだ。

 幾つか言い訳をさせて貰うのなら、本という媒体は何枚もの紙の重なりで出来ている。紙自体は更に木から出来ているおり、結構な重量になるのだ。それを朝から運搬し続けているのだ、腕はもうパンパンである。

 そして運んでいる本の興味深いこと。魔法図書館という異質な場所には、希少本がゴマンと埃を被ったまま眠っている。物珍しさからつい棚を物色してしまい、内容の面白さにのめり込んでしまった時間も少なくはない。

 アレですよアレ。掃除とか引越しとかの途中で古いアルバムが出てきたら、本筋をほっぽり投げて思い出に花咲かせてしまうのと似ている。だから仕方ないのだ、うむ。

 誰にするでもなく自己弁明を果たしたので、権兵衛は心置きなくサボれるというもの。

 人間とは現金なものでして。

 もう腕を動かすのもダルいと思っていたはずなのに、責務から開放された途端にどこに残っていたのかという元気が沸き上がってくる。

 権兵衛の視界に広がっているのは無限を連想させる程の本の数々。見る人が見ればそれは宝の山に違いない。何せ読書家でもない権兵衛を以ってしても心が躍るのだから。

 小悪魔も今日はもうヤル気が無いのか、こちらに一瞥もくれず夢中で本を読んでいる。

 権兵衛はその場を離れ、迷わないようにだけ注意し、目的も無く彷徨ってみる。気の向くまま、目についた本を手に取っては戻し、手に取っては戻しを繰り返して、ついつい時間を忘れてしまった。

 

「遅いッ!」

 レミリアは吠えた。

 叩かれたテーブルはその身を揺すらせ、食器らは驚き飛び跳ねた。

 夕食の時間を過ぎても、権兵衛が姿を現さずにレミリアは苛立ちを募らせていた。数分の遅れならば、誤差の範囲であろうとも既に経過した時間はそろそろ半刻に及ぼうとしている。

 今夜もまた質素倹約とは無縁の料理の数々が、すっかり冷めてしまったではないか。

「咲夜、今すぐあの馬鹿を連れてこい!」

「御意に」

 定位置であるレミリアの背後に控えていた咲夜は短く答えて、例え主人の目がなかろうが、深々と一礼をし瞬時に姿を消した。

「全く……、面白いくないっ」

 どうせ聞いている者もいないのだ。レミリアは憎々しげに吐き捨てた。

 それこそ、レミリアが権兵衛に望んでいる――運命を掻き回してくれるような――役割を全うしている筈なのに。自分をないがしろにする、自分の思う通りに動いてくれない権兵衛に、レミリアは不満を覚え始めていた。

 その矛盾に、吸血鬼は気付かない。

 

「パチュリー」

 魔女の元へ戻ると、今朝来た時には存在しなかった本の山が、新たに築き上げられていた。もしかしなくても、ずぅっと本を読んでいたのだろう。

「あら、お疲れ様。片付けは順調かしら」

 労いの言葉を投げ掛けてくるも、彼女の視線は開かれた本に注がれている。目を合わさない労いはその効果を半減させていた。まあぁ、殊勝な言葉が欲しかった訳では無いので構わないのだが。

「ちょっといいか? この本、少しの間借りたいんだけどさ」

「『始めての家庭菜園』……? あぁ、貴男が何に使うかなんて、興味は無いわ。興味があるとしたら、きちんと返してくれるか、それだけね」

「どうせ館から出られない身なんだ。本に足でも生えない限り、安心してくれよ」

 男の軽い返事にパチュリーは訝しげな表情を浮かべる。万一彼が返さなくても、特別貴重なものでも魔法の研究に支障をきたすものでもないので、彼女の興味は直ぐに失われた。

「……ま、返すのならいいわ」

 権兵衛は「ありがとう」と口にしようとして、それはこの場にいるはずのない怒声に遮られてしまった。

「権兵衛様!」

「うわっ!」

 幽霊の如く突然現れた咲夜。驚きのあまり手の中の本を落としそうになる。

「何をなさっているのですか! お食事の時間は、とっくに過ぎています……!」

 彼女の物言いは普段の数倍刺々しい。

 もうそんな時間か、など呑気な感想を抱ける段階は、彼女の必死な様子を見るにとうに越えているようだ。しかし急ごうとする素振りすら見せない権兵衛に、業を煮やした咲夜はふんずと彼の手を掴んで無理矢理連れて行こうとした。

 だが、彼女は美鈴でもフランでもない。ひ弱な人間なのだ。

 細腕は見た目通りの非力しか持たず、男を引くこと叶わない。

「っ! 早く歩いて下さい!」

「え。あ、あぁ……。じゃぁなパチュリー!」

 権兵衛は事態を上手く飲み込めていないが、言われるがまま足を動かす。

 どうせ聞いちゃいなかろうが、別れの挨拶もそこそこに早足で図書館を退出した。

 

「遅い遅い遅いっ! 何やってたのよ!」

「……スイマセン」

「どうして私まで……」

 食堂に入るとすぐに、レミリアの飛び蹴りという盛大な出迎えを受けた。レミリアは二人を地べたに正座させて当主の猫を脱ぎ捨てて説教とも付かない説教を始めた。

「オマエは、犬だって三日飼えば恩を忘れないというのにっ、恩人の扱いがなってないんじゃないかしらね! ……そこっ! そんな、いつまでも手なんか握っちゃってさ、ちゃんと聞いてるの権兵衛! 反省が足りないんじゃないのかしら!?」

「あ、いや、これは痛っ!」

 あまりの急展開にすっかり手を繋いでいた事すら頭から抜け落ち、指摘されるまで離す事も忘れていた。

 それは咲夜も同様のようで。乱暴に手を離し、ピシャリと権兵衛の手の甲をはたく辺り彼女もまた乙女なのだろう。

 だが、この場に甘酸っぱい空気なんて一片足りともない。

 正面のレミリアからは恨み言を吐かれ。真横の咲夜からは敵意を向けられ。

 結局レミリアの溜飲が下がったのは、時計が一回りもして、ふわぁと欠伸を噛み殺してようやくだった。

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