幻想狂縁起~紅~ 《完結》+α   作:触手の朔良

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恋愛初心者十六夜咲夜

 借りた本を返し、また新たに幾つかを借りる為に、咲夜は図書館へと向かう。

 その足取りは重い。

 首尾よく。本当に首尾よく計画は進んでいる。

 連日を使っての計画は二人の距離を急速に縮めている。外遊が禁止されている、という制約があり、その内容は被り気味だったが、おおむね上手くいっている。実に喜ぶべき事である。

 お嬢様は笑う事が増えた。権兵衛と一緒にいるだけでも上機嫌となり、以前ほど私が世話を焼く頻度も少なくなった。咲夜からすれば良い事尽くめなのだが。

 一方で彼女の心は晴れなかった。

 その理由が分からず仕舞いで、治療も出来ないので、目を背けるように仕事に没頭する。そうして二人の仲を推し進め、二人の睦み合う姿を見て、一層心が重くなるのを感じた。

 はぁ。深い溜息を吐く。

 もしかしたら病気の類かもしれない。丁度良い事に、今から向かう先には知識人がいる。彼女の智慧を借りれば、解決法も見つかるかもしれない。

「どうしたんですか咲夜さん。元気ないですね笑顔笑顔ー」

 遭遇したくない人種いや悪魔種が、にまーと笑いながら顔を覗き込むように現れた。

 ニコリともしない咲夜の口に指を突っ込んで、無理矢理に笑顔の形にしようと試みてくる。しかし、そんなので完成するのは笑顔どころか睨めっこ用の顔でしかない。案の定、咲夜の笑顔もどきを見て小悪魔はケタケタと笑った。

 正直に言わずとも、今の精神状態に彼女のノリは鬱陶しい事この上ない。

 しかし残念ながら、小悪魔とは目指す場所が同じなのだ。図書館の主がならば厄介だと、口癖の様に言うに違いない。突き放そうにもどうせ無意味なので、無駄な労力を避けて咲夜は努めて無視をし足を動かした。

「あらら。本当に元気ないんですね。ダメですよそんなムッツリしてたら、男の人って笑顔が好きですからね」

「っ! 余計なお世話よッ!」

「おぉコワい」

 その努力もすぐに、小悪魔の挑発的な物言いの前では水泡と化した。よくよく喋った内容を思い返すと、彼女なりの励ましとも受け取る。と言うか、こんな些細な事に何故自分は苛立つのだ。

「……ごめんなさい小悪魔。今日はちょっと、気が立ってて」

「おやそうですか。仕方ないですね女の子ですものね。月に一度は健康の証です」

 否定する気も沸き起こらないが、彼女が大人しくなったとので良しとしよう。

「そう言えば、権兵衛さんって人間なんですよね」

「……何が言いたいの」

 そんな平穏もものの数分で終わりを迎える。

 今度は突然なんだ? 何かの意図を感じて小悪魔の真意を探ろうとするも、止めた。享楽的でお喋りな小悪魔の事、単に沈黙に飽きたに違いない。

「いえね。紅魔館には色んな種族が住んでるなぁって。吸血鬼に魔法使い。妖怪に妖精に悪魔、そして人間ときました。で、妖精なんて自然現象みたいなものじゃないですか? だから彼女らを抜かしたら初めての種族被りかなーって」

 何故に妖精を抜かしたのか。その言葉には一つだけ誤りがあり、咲夜はつい訂正してしまった。

「……お嬢様もそうでしょ」

「おやそうでしたね。最近もう一方様を全然見かけませんからサッパリ忘れていましたよ」

 言葉がふっと途切れるなんて、本当に他愛の無い世間話でしかなかったようだ。

 不敬とも取れる小悪魔の言葉に、返す必要も無いかと相槌も打たずにいると、結局彼女の口には黙るという選択肢が無いのかもしれない。再びお喋りを始めた。

「でも羨ましいですね咲夜さん。お仲間がいるなんて」

「……」

 人間なんて、人里にでも降りればわんさかいる。特別な事なんて、ありはしない。

「だってそうじゃないですか。私達って皆みーんな違う種族なんですよ? それってお嬢様が寿命を迎えようとしてもパチュリー様は今と変わらず若々しい姿のままって事ですし、やっぱり羨ましいですよ。咲夜さんは、お婆ちゃんになったらお隣にはお爺ちゃんの権兵衛さんがいるんだから」

「えっ……?」

 小悪魔の言葉に、咲夜の脳は勝手に未来の映像を映し出した。

 柔らかな陽の差し込むテラスで、何を急ぐ訳でもない。ただのんびりとしているだけの年老いた権兵衛と、そんな彼に自慢の紅茶を奮う皺くちゃになった自分の姿を。

 ありえ、なくはないのか。むしろ何事も無ければ、ごく自然とその未来がやってくるのだろう。

 不思議と、心が僅かに軽くなった。

 ……いや、よく考えるのだ咲夜。彼の隣にいるのは私だけだろうか。いや、私は彼の隣にさえいない。隣で笑うのは我が主人であり、私は主人の、背後に控えるだけの存在に過ぎないのだ。彼が笑顔を向けるのもまた、私ではなく――。

 咲夜の顔は赤くなったり青くなったり。

 初な少女そのものの反応を特等席で見て、小悪魔は天を仰いだ。まさか悪魔が天に祈るはずもなく、第一屋内だ。見えるのだってすぐ近くの天井でしかない。

 なんだって小悪魔は、その、堪え切れぬ笑いを、気付かれぬ様に顔を万遍なく覆った。

 これだから未通女の反応は分り易い。あぁ、いっそ我慢せずに高らかに笑えたらどんなにキモチイイだろう。

 彼女は小さいなんて冠を抱いているものの、れっきとした悪魔だ。刹那の快楽に耽る事を極上とする悪魔他ならない。

「ねぇねぇ咲夜さん、知ってますかっ? 権兵衛さんって、メイド達の間じゃ人気なんですよ!?」

「そ、そうなの……」

「いやぁ、だって彼。優しいじゃないですか。咲夜さんだって人間ですから? 四六時中監視しっぱなしってわけにもいかないでしょう? 今だってそうですし? そのちょっとの間、あの娘達って好奇心旺盛だから喋りかけてるみたいなんですよ。仕事も出来ますし。まぁ一番の理由は、紅魔館で唯一の男ってところにあるんでしょうが。それだけでアイドル扱い。いやぁ彼の人気が彼の人格とは全く無関係なのがお笑いですけどね」

 ケタケタと小悪魔は笑う。しかし咲夜はちっとも笑えなかった。

「――ごめんなさい小悪魔。少し急ぐ用が出来たわ」

 返事も聞かずに咲夜は駈け出した。

 その姿が廊下の暗闇に飲まれるの無事に見送って。

「くっ……! クくっ……!」

 小悪魔は限界まで身体をくの字に曲げて、苦しげな呻き声を漏らした。呻き声に聞こえるだけで、実際には腹一杯に溜まった笑いを必死で堪えて、堪え切れない笑い声が苦悶となって喉を震わせているのだ。

 駄目だ。もう少し、あとちょっと我慢しなきゃ……!

 姿が見えなくなったくらいでは、ここの廊下は響く。未だ咲夜の靴音が小悪魔の耳に届くのだから、張り裂けんばかりの笑いなど上げてしまったら、絶対にバレてしまうではないか。

 あぁ、でも……!

「くっ、クぅッ……!」

 思い出す度笑ってしまう。

 あのメイド長は気付いているのだろうか。己の表情が驚愕と絶望に彩られていた事を。

 

「ハァっ! ハァっハァっ……!」

 図書館に入り、その必要も無いのに急ぎ扉を閉める。そして扉に背を預けて、ゆっくりと呼吸を整える。激しく脈打っていた動悸も、徐々に落ち着きを取り戻し始めた。

 急ぐ必要のある時に走らなければならないなんて、能力が使えないというのは随所で不便を強いられる。その不便さは、人間であれば誰もが持つものだ。それ故にこんな悩みは、ある意味では咲夜だけが持つ特権か。

「咲夜?」

 普段とは異なる激しい開閉音が、普通ならば動かないことで有名なパチュリーですら動かしたようだ。

 そこで彼女が見たものは俯き、蹲る咲夜の姿だった。

「どうしたのよ咲夜。大丈夫?」

「パチュリー様……。どうなさったのですか」

「……それはこちらの台詞よ。立てる?」

 これは只事ではないと、他人に些か関心の薄いパチュリーも案じて手を差し伸べる。差し伸べられた手が視界に映りようやく、咲夜はパチュリーの存在に気付いた。その手に甘えて立ち上がるも足取りは覚束ない。

「何があったのよ。貴女がこんなになるなんて」

「いえ……、それよりも本を返しに」

「本なんてどこにあるのよ」

 咲夜の腕の中にあった本は何時の間にか消え失せていた。廊下を戻ればきっとヘンゼルとグレーテルのパンくずよろしく本が散らばっているに違いない。慌てて拾いに戻ろうとするも、その腕をパチュリーに掴まれた。

「すいませんパチュリー様! すぐにでも取って――!」

「……そんなにフラついてどこに行こうっていうのよ。……まぁ、本なんてここには山程以上もあるし、そんなに急がなくてもいいわ」

「え、あの……っ!」

 どうせ後で小悪魔にでも回収させるし、と一言付け加えてパチュリーは、腕を引いて図書館の奥へと咲夜を連れ誘った。

 そうして無理矢理、いつもはパチュリーが好んで座るソファーに座らされた。確かに、魔女が気に入るのも分かる、上質な皮は肌触りも心地良く、バネの硬さも丁度良い。柔らかく受け止めてくれるソファーは、疲れた身体にぴったしであった。

 そこでようやく、咲夜は心身の疲労を理解した。

「薄い紅茶と濃い紅茶、どちらがお好みかしらね」

「出来れば普通に濃い方で」

「贅沢ね」

 ポットの中の茶葉を捨てて、新しいものへと変える。パチュリーがお茶を注いでくれるなんて珍事である。彼女は自分で自分の為に淹れる事はしても、他人に振るうところを咲夜とて始めて見る光景だった。

 茶葉が開くまでの暫しの間、咲夜の対面へとパチュリーは腰を下ろして、小さく息を吐いた。

「ふぅ……。で、何があったのかしら?」

「ですから何も――」

「何が、あったのかしら?」

 有無を言わさぬ力強い口調だった。

 目に見えぬ圧力に屈し、咲夜はつい先刻小悪魔と交わした会話の内容を伝える。するとみるみるパチュリーの顔に険が増していった。

「あんの馬鹿っ……。何考えてるのよ……!」

 咲夜にとって特に気に掛かる内容ではなかったが、パチュリーには違ったようだ。不快感を隠そうともせず、忌々しげに此処にはいない女を罵倒した。

「その事がどうかなさいましたか?」

「……貴女も大概鈍いわね」

 だが当の本人がコレだ。

 小悪魔を叱ればいいのかどうか、悩んでしまう鈍さであった。……或いは自分の存在意義を揺るがさぬよう、無意識に自己保身をしている結果なのかもしれないと、魔女は推察した。

 ポットのお湯はすっかり熱を失って、カップに注いでも湯気一つも出さない。

「いただきます」

 律儀に挨拶をしてから口をつける咲夜。パチュリーは無言で、さっさと茶を啜っていた。

「本の事は、申し訳ありません。今日はそれと別にもう一つ、……相談したい事があって参りました」

「……何かしら、ね」

 咲夜の思い詰めた表情に、パチュリーはほんの少しの期待を寄せる。

 願わくば、相談とやらが彼女自身の解決を指すものであれと。

「最近のお嬢様と権兵衛さんの仲と言えば、女の私でも嫉妬してしまう程です。そろそろ仕上げに取り掛かっても良いかと思い、お知恵を拝借したいと――」

「貴女それでいいの?」

 パチュリーはもう聞いていられなかった。咲夜の口上を遮って、思いのほか力強く問いかける。

 途中、嫉妬という単語を聞いて、この鋼鉄メイドにも人間らしい感情があったのだと喜んだが、糠喜びだった。二人の仲に妬いたには違いないが、ヤキモチを焼いている相手が権兵衛なのだから。このままでは折角、このメイドにようやっと芽吹いた少女らしい心を、自分の気持ちを自覚する事なく、自身の手で決着を付けてしまう。自覚したとて上手くいく保証なぞ無いが――例え悲劇的な結末が変わらないとしてもだ――、自覚するからこそ手に入るものもあると、パチュリーは思っていた。

 それに、咲夜は仕上げと言ったがパチュリーからすれば時期尚早である。

 確かに、二人の仲は進展した。出会った頃はレミリアの一方的な好意でしかなかったが、権兵衛の側も受け入れている節はある。だからといって、恋仲になるのだろうかと問われればノーである。男の方が抱いている好意は異性のものではない。言えば近所に住む、年の離れた女の子に対するものだ。

 何が咲夜を急がせるのか。

「それでいい、とは。何を聞くのですかパチュリー様。全てはお嬢様の為に、です」

「ええ、そうね。最初からそう答えると思ってたわ。聞いた私が馬っ鹿だったわ」

 呆れて物も言えない。

 心の自覚を促そうにも、自覚の自覚がないのだから仕方ないじゃないか。

 全てはお嬢様の為。咲夜の一言に、彼女の存在意義の全てが集約されていた。

 なら、わざわざ私が慣れぬお節介で首を突っ込む必要もないわけだ。そんなにお望みならもう厄介事に終止符を打ってやろうじゃないか。

「で、何を相談したいって? はいはい、レミィと権兵衛ね。里にでも連れて、デートでもさせたら」

 投げやりに答える。

「やはりパチュリー様も、同じお考えでしたか。私も当初からかねがね、最後には逢瀬こそが相応しいと思っていました。では、パチュリー様。二人にとって最高のデートとは、どのような内容が―――」

「あぁっ、もう! それぐらい自分で考えなさいよ!」

 うだうだうだうだと。まるで勝手な事を言う咲夜に対して堪え切れず叫びを返す。ヒステリックなパチュリーの声が図書館に木霊する。

「……そうですね。パチュリー様があまりに頼りになるので、つい甘えが過ぎたようです。申し訳ありませんでした」

 咲夜は頭を下げて、図書館を後にした。

 誰もいなくなった図書館で一人、パチュリーは思いっきり机を蹴りあげた。

「っう~……!」

 衝撃でカップが倒れ、一面に紅茶がぶち撒けられる。本の山も雪崩を起こし床に広がるが、知った事か。

 思わず感情に任せて蹴ってしまったが、ダメージはパチュリーの方がデカイ。涙目に、ぶつけた箇所を撫でる。

 どいつもこいつも自分勝手な事を! ちっとも私の気持ちなんて汲んではくれない!

 あんな奴ら、盛大に失敗すればいいのだ! 失敗して、フラれて、二人して同じ土俵に立てばいいのだ。それでそれで、勝手すればいいのだ……。

 物に当たり散らしたおかげで、若干の落ち着きを取り戻す。同時に自己嫌悪に取り憑かれる冷静さも戻ってきてしまった。

「はぁ……」

 お気に入りのソファーに身体を沈めると、まだ咲夜の温もりが残っている。

 全く……、だから厄介事は嫌いなんだ。

 

「ねぇ美鈴。お友達の話なんだけど、聞いてくれるかしら?」

 お友達だなんて、全く咲夜さんも意外と古典的な手法を取るんだからと、美鈴は微笑ましい気持ちになった。

「えぇ、えぇ。勿論ですとも。ぜひお聞かせ下さい」

「その、お友達には仲の良い男の子がいるんだけど、今度初めてデートする事になったの。で、彼を喜ばせたいのだけど」

「はっはぁ~ん?」

「だからその顔やめなさいな。キモいから」

 頼られているという事実、妹分に恋人が出来たという事実。例え面と向かってキモいと誹られようが、舞い上がり中の美鈴にはビクともしなった。

「もうそんなに漕ぎ着けたんですね。早いものですねぇ」

 美鈴はしみじみと呟く。妹分の――と美鈴が一方的に思っているにしても――成長に感動せずにはいられない。実際に涙を見せたわけではないが、そっと拭う動作をする。

「喜ばせたいって気持ちも立派ですけど、まず咲夜さんがどんなデートがしたいか。そういう気持ちも大事だと思うんですよ」

「私?」

 美鈴の言葉に、咲夜はハッとした。

 自分だったら、か……。

 あくまで仮想。必要なシミュレーションなのだ。だから、お許し下さいお嬢様。この場に影も形もない主人に対し心の中で許しを乞うて、従者は考えてみた。

 幻想郷に娯楽の数は限られている。行く先はまず人里以外ない。一つ、問題の壁にぶち当たる事に気付いた。

 彼は飛べないのだ。歩いていく事も、それは可能だが、朝早くに館を発てばどうにか昼前には着く。帰りも同様である。時間さえ気にしなければ割りと問題でもないが、折角のデートを移動だけで手間取るなんて勿体無い。

 解決する事に、咲夜は権兵衛を抱き抱える自分の姿を想像した。

 ……無理だ。何が無理かって、彼女は思い出す。彼と最初に出会った時、その重さに散々苦労させられたものだ。そもそも、女が男をお姫様だっこするなんておかしい、逆だ、間違っている。精神的に無理だ、無理なものは無理なのだ。

 あと、はしたない。うん、はしたないし。

 ……一体私は誰に言い訳をしているのだろう。熱くなった顔を見られないように、顔を覆い、大きく深呼吸をする。

 ……よし、その問題は一先ず置いて、無事人里に辿り着いたとする。そうしたら買い物をしよう。彼と一緒二人で選んで、いっぱいになった荷物に四苦八苦する彼を差し置いて私は次の店に誘うのだ。

 そうして休憩も兼ねて、いい時間になればお昼にしよう。たまには外食も悪くないが、デートの定番と言えばやはり手作り弁当に違いない。ちょっと見晴らしのいい場所を見つけてシートを敷いて並んで食べて。彼が美味しいなんて笑ってくれたら、それは十分な見返りだろう。

 そんな光景を、いつの日から――咲夜(ワタシ)は――夢に見ていたのだろう。

「咲夜さん?」

「……ありがとう美鈴。色々と考えてみるわ」

 不意に虚しさを覚え、咲夜は早々に話を切り上げた。

 それに、デートの準備もしなければならない。小悪魔の情報が事実ならば状況は良くない方へと逼迫している。今晩にでも進言して、明日にでも実行に移さなければ。咲夜の頭は着々とデートプランを組み立てていった。

 急がば回れと、良く言うのに。

 

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