幻想狂縁起~紅~ 《完結》+α   作:触手の朔良

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末路

「はぁ……」

 美鈴には夕食の準備だと言ったが、そんな気力も湧き出ず咲夜は自室のベッドで突っ伏していた。

 寝転んだまま首を動かして、殺風景な自分の部屋を見回す。寝る為のベッドと仕事着を入れる為の棚。かろうじて女っ気を感じさせるものと言えば、化粧台ぐらいか。

 これがうら若き乙女の部屋だなんて、誰が信じようか。

「……」

 お嬢様がお帰りになる前に、仕込みを済まさなければ。今日はめでたい日なんだから、それはもう豪勢なものにしないとお怒りになる事だろう。それだけじゃない。自己顕示欲の強いお嬢様の事だ。明日にでも鴉天狗を呼び、幻想郷に周知させるかもしれない。その後は――どうだろうか。いずれは盛大な式を挙げるのだろうが、あぁっもう! 頭がうまく回らない……。

 やる事は山積みで、忙しくなるわよ咲夜。と、己に活を入れても指先一つすら動く気配がなかった。

 心と身体が、完全に乖離してしまっている。

 咲夜自身その自覚はあったが、まるで理由が分からない。分からないから対処のしようもない。

 そんな折に何故か、パチュリーの言葉を思い出した。

「貴女も大概鈍いわね」

 何を以って、かの魔女が私を鈍いと評したのか。前後の会話を思い出そうと、記憶の糸を辿る。

 あれは確か――。

 コンコン。

 過去に耽けようとした間際、ノックの音が思考を中断させた。

 全く、いいところだったのに。おかげでどこまで思い出したか忘れてしまったではないか。

 出る気力もない咲夜は居留守でも使ってやれと、枕に顔を埋めた。

 コンコン。しかしノックは鳴り止まない。

 いい加減しつこいな。怒鳴ってやろうかとも思ったが、それでは居留守の意味が無い。

「いないのか? 困ったな……」

 扉の向こうで、くぐもった男のボヤきが聞こえた。

 その声を聞いた途端、まるで動こうとしなかった身体が意思とも関係無く、勢い良く起き上がった。慌てて扉に駆け寄って、ちょっと乱れた髪を手櫛で整えて深呼吸。

 そっと扉を開けるも、誰の姿も無い。幻聴だったか? いや、そんな筈はない、彼の声を聞き間違えるなんて。

 部屋を飛び出て左右を確認し、彼の背中を見つけてホッと胸を撫で下ろす。

「あ、あのっ……!」

 危うく彼は立ち去ってしまうところだった。。

 何が危ないのか、兎に角間に合って良かった。

「あれ、咲夜。てっきり居ないかと」

 言われて居留守だった設定を思い出す。

「……ちょっと寝ていましたので」

「あぁ、それで目が赤いのか。もしかして邪魔しちゃったかな」

「いいえ、そんな事はっ」

 苦し紛れの言い訳にしては上出来だろう。棚ぼたと言うか、少女に自覚は無かったものの、赤く目が腫れぼったくなっていたので彼は容易く納得した。

「立ち話もなんですし、よろしかったらお部屋に上がっていきますか? お茶ぐらいはお出ししますよ」

「うん、そうしようかな」

 咲夜は戸を引いて、権兵衛を招き入れた。自分の部屋に男が上がるなんて、初めての事で少しばかし緊張してしまう。

 変な部屋だと思われないだろうか。何せ女らしさが微塵も無い部屋だ。落胆されないだろうか、嫌われないだろうか。

 緊張が咲夜から余裕を奪い、自分の気持ちに疑問を抱く余地すらも無くなっていた。

「申し訳ありません。椅子がありませんのでベッドの方へ腰掛けてお待ち下さい」

「あ、いや。それは遠慮しとくよ」

「そうですか……」

 落胆するような、安心したような。

 そして咲夜は能力を発現させる。一瞬で紅茶の準備を整えて、権兵衛に振る舞う。

 権兵衛が紅茶を飲んでいる間に、バレないよう呼吸を整える。落ち着け、落ち着けと。

 心臓は未だ早鐘を打っているものの、表面上の平静さを取り繕うぐらいの冷静さは戻ってきた。

 ほうと、彼が一息吐いた所を見計らい、咲夜は切り込んだ。

「そ、それで何の用です? 手短にお願い出来ますか」

 所詮付け焼き刃の平静さだったらしい。咲夜は我が声を疑った。何て上擦った声をあげているのだ、と。

 恥ずかしさに顔を真っ赤にするも、権兵衛は特に気にした様子はない。そんな彼に、どうしてか咲夜は不満を抱いた。

「大丈夫、手間は取らせないよ」

 彼の言葉は二人の交わせる時間の短さを示していて、自分で手短にと言った癖に咲夜は気落ちした。

 しかしどうしたことか。手間を取らせないと言ったばかりなのに権兵衛は、中々本題を切り出そうとしない。視線は右に左に忙しなく泳ぎ、特に咲夜とは目を合わせようとしなかった。

 彼といられる喜びと、何時まで待てばよいのか解らぬ苛立ちが、半々に募る。

 刻々と、時間は流れ止まる事はない。徐々に刻限は迫り、そろそろ本格的に準備に取り掛からねば、流石の咲夜でも中々に難しくなってしまう。

「申し訳ありませんが、これ以上のお時間は――」

「あー、その。手を出してくれないかな」

「……こうでしょうか?」

 素直に両の手を出す。だのに権兵衛の顔は、神妙なものに変化した。

 自分で言っておきながら、失礼なやつだ。そんな感想が浮かびそうになった瞬間、咲夜は思わず「あっ!」と大きな声を上げてしまった。彼女の視線は、一心に己の掌へ注がれていた。

 酷く、火傷で爛れた掌に――。

「あ、これは違っ! そのっ、違うんです!」

 自分の、醜い傷痕を権兵衛に見られてしまった。その事実で咲夜は泣きそうになった。

 何とか誤魔化そうとするも、良い言葉が見つからなくて意味の解らぬ言葉を喚いてしまう。

 そも誤魔化す必要なんて無いのに、咲夜の心は千千になって、何とかして取り繕う事に必死であった。

 権兵衛は、そんな彼女を安心させるかのようにふっと微笑んで、その手を包んだ。

「えっ……」

 ふわりと、その手に柔らかな感触が降り注ぐ。

「コレさ。咲夜には世話になってるから、そのお礼って事で」

 その感触の正体は、一本の深紅色したリボンだった。それが何だか解らなくて、認めたくなくて、――本当は解っている癖に――、咲夜は言い掛かりにも似た言葉を吐いた。

「賄賂、でしょうか。あまり関心するものじゃありませんね」

 この憎まれ口が、今の彼女の、精一杯の強がりだった。

「いやいやいや! お礼だって言ったろ!? 咲夜ってさ、普段からメイド服ばかりであまりオシャレも出来てないだろ。折角可愛いのに、もったいない。これなら邪魔にならないかなーって」

「……」

 咲夜は答えない。答える事が出来ない。今、口を開いたら、どれだけ震えた声を紡いでしまうのか恐ろしくて、真一文字に口を噤む。

 頭の中の、整理が付かない。

 主に感情の。大部分が喜びの筈なのに状況が飲み込めず、飲み込もうとせず、咲夜の脳内を混乱となってぐるりと駆け巡る。そんな彼女に追い打ちを掛けるように、権兵衛は続けて言った。

 先程までの挙動不審さはどこへやら、真っ直ぐと咲夜の瞳を見つめて、彼ははっきりと告げた。

「――好きだ。咲夜が好きだ」

 その瞬間すとんと心に落ちるものがあって、咲夜は全てが腑に落ちた。

 いや、とっくの前から分かっていたのだ。だけどその感情を認めたくなくて、だってこんな醜い感情。何の変哲もない男に自分が嫉妬しているなんて、完璧で瀟洒を自負するメイドには耐え難い事実だった。

 出会ってすぐ主人に気に入られて、館に溶け込むのもあっと言う間だった。美鈴なんかとは楽しそうに談笑して、妹様には私よりもえらく好かれたもんだ。

 長年掛けて築いた私の立場を、瞬く間に抜き去ってしまった彼に、嫉妬していたのだ。

 こんな感情も、認めてしまえば楽になった。

 そして自分の心と正面から向き合った事で、咲夜は否応もなくもう一つの気持ちに気付いてしまう。幾日で同程度までに上り詰めた彼に対しての畏敬である。羨望である。……抑えきれぬ、好意であった。

 あぁ、そうか。私は彼の事を――。

 そこまで考えて咲夜は静かに首を横へと振った。

 せめて、彼がそうしてくれたように私も笑って、初めて心からの笑みを彼に向けて、残酷に告げた。

「ごめんなさい」

 頭を下げる。

 それは最後の忠義の一線。私が十六夜咲夜である限り、十六夜咲夜としての誇り。

 或いは権兵衛が主人の想い人でなければ、私だって喜んで受け入れたろう。残念ながら現実はそんなこと無く、幻想もまた、無いのだ。

 顔を上げるのが怖い。彼の顔を見るのが、怖い。

 咲夜の拒絶を受けてから、権兵衛は一言も発していない。その沈黙こそが咲夜の心に重くのしかかっていた。ただ一人の男に嫌われるかもしれない事が、こんなにも怖いなんて、咲夜は初めて知った。

 いや。罵って欲しかった。冷たい目で軽蔑して欲しかった。彼にはその権利がある。

 私は彼を拒絶したのだ。いっそ突き放してでもくれたほうが、罪悪感も軽くなるというものだ。

 されど権兵衛という男は、咲夜の想像以上に残酷で、お人好しだった。

「いやまぁ、何となく分かってたよ。咲夜が俺を嫌っててもさ、俺が勝手に好いただけなんだから」

「あ……」

 ――何と卑怯な言い回しだろう。いや、卑怯と呼ぶにも言葉足らずだろう。何せこの男は、どれだけ自分が拒絶しても気にしない諦めないと言っているのだから。

 もっと卑怯だと思うのは、権兵衛の笑顔だ。フられたばかりの癖して、彼の笑顔は晴れやかで、否応もなく私の胸を高鳴らせた。まるでそうなる事がとっくに知っている言わんばかりに。

 キュウっと胸が締め付けられる。申し訳なさと苦しさと。それを喜ぶ浅ましい女の情とで。甘い甘い痛みに酔ってしまいそうになる。

 だからこうして、つい権兵衛に抱き着いてしまったのも気の迷いに違いない。

「ごめんなさい……、ごめんなさい……っ!」

 腰に回した腕にはあらん限りの力が込められて、言葉とは大層矛盾している。離したくない、離れたくない、離さなければ。理性と感情とが(せめ)ぎ合い、一向に思考は纏まりを見せない。だけど今だけは。今一時だけは、この幸福に身を委ねる事を赦して欲しい。

 対して男の腕は、空中を彷徨っていた。掛ける言葉が見つからない。ひたすら謝罪の言葉を繰り返して幼子のように泣く愛する女を、悩んだ挙句、せめて今だけは泣かせてやろうと抱きしめようとした刹那。

「ふぅん。やっぱりここにいたのか」

 聞こえてはいけない、声が響いた。

「レミィ!?」

「お嬢様!? どうしてこちらに!?」

 紛れもなく、最悪の間だ。部屋の中心で男女が抱き合っているなんて、どれだけ言い訳を重ねれば、レミリアは誤解だと納得するだろうか。咲夜は主人を想って、彼の告白を断ったなんて。

 ――無理だ。

「権兵衛の姿が見えないから、もしかしてと思ったけど……!」

 レミリアの唇から一筋の血が流れた。あまりに強く歯を噛み締めたものだから、拍子に口内を切ってしまったのだ。

「お嬢様っ、これは違うのです!」

「へぇっ!? 何がどう違うのかしら! そんな体勢で、面白いことを言うじゃない!」

 二人は慌てて、弾けたように飛び退いた。が、既に遅い。

 レミリアは忌々しげに、口惜しそうに云う。その内容は、咲夜が目を逸らした、デートの顛末だった。

「まぁこんな事になってるんだ。貴様もほとんど察しているだろうがな、私はフラれたよ。デートの終わりに告白して、ものの見事にフラれたよ。……悲しいさ。悔しいさ! でも権兵衛には自分の意思でっ、私を選んでくれなくちゃ意味がないんだ! 無理矢理なんて絶対にしたくない。そう……、納得していたよ」

 言わずもがな、レミリアは紅魔館の当主である。

 しかし幾ら威厳を取り繕うとも、精神の未熟さまでは払拭しきれない。理や利よりも自身の感情を優先する事も多々見受けられた。

 だが咲夜は、かつての生活で、こんなにレミリアが心底悲痛な叫びをするのは見た事がなかった。

「それがどうだ!? 私にデートをそそのかした張本人が、おめおめと好いた男の心を奪っているなんて! クハハッ! ……私は道化ってことか!?」

 狂笑するレミリアを、誰も止められなかった。

 部屋と言わずに館全体にまで響き渡らんとするその笑いは、前触れもなくピタリと止み、レミリアは冷たく言い放った。

「……咲夜。オマエはクビだ。貴様の名前も回収させて貰う」

 告げられた言葉は、咲夜にとっての死の宣告に等しかった。

 いや、この少女にとっては死の宣告よりも辛いことだと知っていたからこそ、レミリアはそうしたのだ。

「今までよく働いてくれたな。退職金代わりに命までは取らないでおいてやる。どこへなりとでも行ってしまえ!」

「お嬢、さま……?」

「ハッ! もうオマエに主人はいないよ」

 レミリアという存在は、ただの仕えるべき主ではなかった。何もない自分に名を与えくれた、謂わば親のような存在だった。そして用済みになった私から非情にも名前を奪う事が出来る、唯一の存在であった。

 レミリアには、その権利がある。

 名前を失った少女は、足元がぐずぐずに崩れ落ちる錯覚に襲われた。その感覚は現実にも色濃く影響し、少女は膝から崩れ落ちる。名無しの少女は、十六夜咲夜の名を与えられた日から始終十六夜咲夜である従事していたのだ。それを奪われて、一体自分に何が残るのだ。

 ……少し前の私ならば、こんな命令も粛々とこなしていたろうに、それがお嬢様のご命令ならば。

 だが今の私は、人間らしい心を手に入れてしまった私には。生まれたばかりの未熟な心を持つ私には、この現実はあまりにも辛いものだった。

「そんな女捨てて置いて、行きましょう権兵衛」

「そんな女って……! 咲夜はレミィに一番尽くしてくれたメイドだろう!? なんでそんな簡単に捨てられるんだ!」

「それこそ簡単よ。使用人なんて所詮道具だからさ。役に立た無くなったら捨てる、当然のことよ」

「レミィ、君は……。くっ!」

「権兵衛!」

 連れ出そうとしてくるレミリアの腕を振り解いて、権兵衛は咲夜に駆け寄った。そうして何の反応も示さない彼女の肩を揺さぶり、かつての名前を呼び続ける。いや、男からすれば少女は今だって何一つ変わらぬ、自分の愛した女だった。

「――やッ! 咲夜ッ!」

 遠くから、男の声が響く。

 それが私を呼んでいるのだと気付くのに、えらく時間が掛かった。

 今も私を、咲夜と呼ぶ人は誰だろう……?

 ガラスの瞳を声の主に向ける。

「しっかりしろ咲夜ッ!」

 その男の顔を見、徐々に少女の焦点が合ってゆく。

 目の前の彼は――記憶が無かった。名前が無かった。ただ自らを、権兵衛と名乗った。

 私は彼を憎めばいいのだろうか? こんな状況にまで引き起こした彼を。

 それとも■■すればいいのか。もう私に考える心すら無いのだから。

 しかし彼の必死な呼びかけで、空っぽの少女の胸に、僅かに灯るものがあった。

「あっ」

 少女の喉から自然に声が漏れる。

 ――あった。私にはまだあるじゃないか。

 お嬢様は私に名前をくれた。そして奪った。

 そして権兵衛は、私に心をくれた。人間の心をくれた。

 少女の瞳に意思が宿る。

 彼が私を咲夜と呼ぶのなら、私は咲夜であろう。彼がそれを望む限り咲夜で居続けよう。

 誰の命令でもない。自分の意思で自分が、そう、決心したのだ。

「――ありがとう、権兵衛さん」

 咲夜の顔にはもう、迷いも絶望も無い。あるのはただ、力強い意思だ。

「咲夜っ!」

「……お嬢様。今までお世話になりました」

「……フン」

 元主人の前で深々と頭を垂れる。その所作は正に、完璧で瀟洒と呼ばれていた時と寸分も違わなかった。

「権兵衛さんも、ご迷惑をお掛けしました。お嬢様のことをよろしくお願いします」

 次に、男へ礼をする。

 自分がそう望んだわけではないが、結果的には随分と彼を振り回してしまった。

 きっと彼と会う事もこれが最後になるだろう。咲夜は万感の思いを込めて、まるで主人にするように、深く頭を下げた。

「咲夜!」

 未だ心配そうに声を張り上げる愛しい男の姿に、折角の決心も揺らぎそうになる。これ以上この場にいては、本当に、決心を翻してしまうかもしれない。

 努めて彼の顔を見ず、男の静止を振り切る。

 メイド業ばかりで碌に纏める私物も無い。このまま他の誰にも告げぬまま館を後にしようと、扉のノブに手をか掛ける。すると、誤魔化しようのない寂寥感を覚えた。

 寝るぐらいにしか利用していなかった部屋だが、意外と愛着あったのだなぁと感慨深さが咲夜の胸に湧いた。

 寸前に、男の哀願が響き渡る。

「待ってくれよレミィ! 彼女を、咲夜を許してやってくれよ!」

 悲壮な声に思わず咲夜の足が、決意が、止まってしまう。

 そんな、私の為に、もういいのです。なんて言葉を口から出てこないのは、矢張り執着があるからだろうか。

 咲夜にとっては嬉しく感じる悲鳴もレミリアからすれば大変面白くない。それはだって、自分よりも咲夜を取る、と言っているに他ならないのだから。

「そんなっ! ……そんなにこの女が大事なのか?」

「当たり前だッ」

 琴線に、触れる。

 言って直ぐ、権兵衛はしまったと後悔した。

 それを聞いたレミリアの顔が、あの誇り高い吸血鬼が。酷く、悲しそうな、悔しそうな表情を浮かべたのだから。

 だが吐いた唾は呑み込めず、権兵衛は下唇を噛んだ。レミリアも同様であった。

「ふぅん。じゃぁさ。チャンスをあげるわ権兵衛」

 レミリア自身が守ってきた最後の一線を、越えさせるには十分な一言だった。

「もう一度だけ言うわ権兵衛。私のものになりなさい。受け入れるのなら、アイツに言った発言は取り消してあげる。但し断ればどうなるか、分からないわ」

 少女の目が紅く煌々と輝く。

 ここで自分がレミリアを選べば、取り敢えずは丸く収まるのだろう。

 ――本当にそうだろうか?

 自分の気持ちを偽り、レミリアの気持ちを弄び、咲夜の気持ちを無視し。誰もが幸せになれない選択肢ではなかろうか。

 何より、彼女はこうまでして自分を繋ぎ止めたいのだ。その真剣な心を裏切るような真似は、絶対にしたくなかった。

「っ! ……ごめんレミィ。それでも俺は、咲夜が好きなんだ。君の提案を受け入れることも出来るけど、そんな強制されたみたいに君を選ぶなんて、恩にも礼にも反する事。……出来やしないよ」

「権兵衛さん……!」

 レミリアの申し出を受けて欲しいと思う一方で、彼の答えを喜ぶ女々しい自分がいた。嬉しい、嬉しいと。喜び叫ぶ自分がいた。だが、抱いてはいけない禁忌の感情なのだと、咲夜はぐっと堪える。

「……。……そうか、そうだよな。私はそんなオマエが好きなんだからさ」

 レミリアは悔しそうに歯噛みした。最初に惹かれたのは奇妙な運命の形が理由だったが、その内彼と過ごす毎日は五百年のどの日々よりも輝くようになった。その日々が、レミリアの興味を恋へと昇華させていった。

 彼との記憶を思い出して、レミリアはふっと寂しそうな笑顔を浮かべた。

「なぁ権兵衛。最後に一つだけワガママを聞いてくれるか?」

「最後だなんてレミィ。もっと沢山聞いてやるから」

「いいや、最後にしておくよ。これ以上オマエに迷惑掛けて、嫌われたくないからな。……権兵衛、ぎゅっとしてくれ。力一杯抱いてくおくれ。私の身体が折れてしまうぐらいに、オマエの温もりを忘れないように」

「……分かった」

 言われた通り、権兵衛はレミリアを抱き締めた。

 百聞は一見に如かずと言うが、この場合はなんと言えば良いのか。千の言葉を以ってしても、彼の気持ちは伝わらないだろう。そう、今までと、これからの感謝を込めて強く強く、想いが伝わるように権兵衛は抱き締めた。

 自分は咲夜が好きだ。それは変わらない、変えられない。

 だが、レミリアを大切に想う心も、決して偽りではないのだ、と。

「あぁ、権兵衛。オマエは温かいな。優しくて温かくて、本当。イイ男だよオマエは」

 そんな事を言い放つ少女に、男はこんな時なんと答えれば良いのだろう。それも、これからフッてしまう少女に、だ。仮に自分に記憶があったとしても、気の利いた言葉の一つも掛けられるとは微塵も思えなかった。

 だから抱き締めた。より強く、言葉ではなく。

 温かな空気が部屋に満ちる。優しい無言の時間だけが過ぎる。

 

「でも、私のものにならないなら、いらない」

 

 刹那、男の喉から真紅の花が咲いた。鮮血の薔薇が、咲いた。

 レミリアの鋭い爪が権兵衛の喉を裂いたのだと、咲夜が理解したのは男の身体が糸の切れた人形の様に床に倒れ伏してからだ。

 

「あ、あっ、あっ……? い、いやあああああぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 ただただ絶叫した。絶叫して、脚をもつれさせながら駆け寄り、血で汚れる事なんて厭わず、力の抜けた男を掻き抱く。

 前回のようには、呆けてはいられない。私は自覚してしまったのだ。彼への想いを自覚してしまったのだから、冷静でなんか、……いられやしない。

「さ、く……、や……」

 喉が切り裂かれたのだ。彼が呼吸をする度に、する筈のない異音がひゅうひゅうと鳴る。

 権兵衛は力なく腕を伸ばした。息も絶え絶えに名前を呼ばれ、彼が自分を求めている事に気付き腕を取る。その手は未だ温かいものの、徐々に力が無くなってゆく。

「いや! いやぁ! 権兵衛さん、権兵衛さんっ!」

 必死で、それこそ必死で彼の名前を叫ぶ。体面なんて知ったことか。子供のように泣きじゃくりながら、彼の手に握られていない別の手で、必死に溢れた血を掬い上げては傷口へと戻す。

 そんな行為に、全くの意味は無い。

 だって私ってば人を殺すのばっかり得意で、人を助ける術なんて全然知らないんだから。

 人を生かす事に無知な少女は繰り返し繰り返し汲み上げて汲み上げて。

 頭で考えてした行動ではない。彼を死なせないようにと身体が勝手に動くのだ。もう咲夜だって、自分が何をしているか解ってはいない。意味の成さない延命行為。

「……っ、……ゃ……」

 最期に何事かを呟いて、だらりと、力なく腕が垂れる。

 息を引き取る瞬間、彼は笑わなかった。あの時のように、笑わなかった。二度と笑う事も、無くなった。

「あっ……? 権兵衛さ……? 違、あ、えっ……。あ、うぁ……。あ、あぁぁ……! うわあぁああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」

 哀哭が、館を揺さぶった。

 喉が張り裂けんばかりに放った叫びは、まさに獣の遠吠えであった。

 どんなに咲夜が泣き喚こうが、零れた涙は戻らない。

 権兵衛は死んだ。二度死んだ。私の前で、二度も死んだのだ。

 その表情は信じていた少女に裏切られて、驚愕と絶望に彩られている。

「何故です!? 何故このような事をお嬢様はっ!?」

「っ、言っただろうっ! 私は権兵衛を、彼を愛している! 愛しているからこそ他の誰かに取られるのが我慢出来ないんだっ! まして畜生なんかに取られて、一番気に入らないのよ!」

「そ、んなっ、理由で……!?」

 驚愕の台詞に、開いた口が塞がらない。

 なんて、なんて自分勝手な!

 私は彼が欲しくて欲しくて、どんなに欲しても! 貴方様の為だと言い聞かせて、必死に叫んでいた心の声からも耳を塞ぎ目を背け、辛い現実を前にしても耐え忍んで来たのに!

 貴方は好き勝手して横暴して、欲しい物は何でも手に入れて! 一切の疑問も挟まず、ただ与えられる幸福を甘受していただけなのに! 

 ――愛だなんて、どの口がほざくのだ。

 ドス黒い感情が、咲夜の中で産声をあげた。その心を咲夜は忌むどころか歓喜すら伴い迎え入れた。だってそれは恋なのだから。権兵衛という男が咲夜に与えてくれた、人間らしい心なのだから。

「っ! アンタがっ! アンタさえいなければ! 私、私だってこんな真似したくなかったわよっ! 何で好きな男を殺さなきゃいけないのよぉ!! でもアンタのせいで! 私は彼を殺す羽目になったんじゃない! 好きだったのに! 大好きだったのにっ! 権兵衛がアンタみたいのを好きになるなんて! 全部ぜんぶぜんぶ、ゼンブ!! アンタの、アンタのせいよ!!」

 レミリアは、思いの丈を喚き散らしている。泣き叫ぶソレは聞き取りづらく、よぅく耳を傾けてやると断片的にだが、愛だ恋だと、惚れた腫れたと、気持ちよさそうに吠えているじゃないか。咲夜が悪い、権兵衛が悪いと、自分は悪くないのだと喚いている。

 ――なんだコイツは。

 従者という立場の、色眼鏡が外れてから見るレミリアという生物の、なんとおぞましい事か。

 自分は馬鹿だ。大馬鹿だ。こんな下種に遠慮して、挙句彼を殺させてしまうなんて。

 悲しみに見開かれた権兵衛の瞼をそっと撫でる。せめて逝き顔だけでも安らかに。その閉じられた瞼に、気品すら感じる所作を以てして、咲夜は優しく啄むようにキスをした。

「おやすみなさい、権兵衛さん」

 唇に触れた感触はまだ柔らかく、されど冷たく、寸でまで彼が生きていた事を嫌でも理解させる。

「っ! そんなに男が大事ならさ、アンタも送ってやるわよ!!」

 ヒステリーそのものの叫び声を上げて、レミリアは女と屍体に躍り掛った。

 迫り来る吸血鬼の爪にも、咲夜は慌てず騒がず怯えずに。ただ冷静に、ひたすら冷静に。

 成すべきことを成すだけだ。

 大丈夫。慌てる必要なんて、私にはこれっぽっちもないのだから。

 死は既に眼前にまで差し迫っている。しかし咲夜は優雅に懐へ手を潜ませた。

 偶然ではない。奇跡でもない。まして運命なんかじゃ、絶対にない。

 彼女は、彼女の、確固たる意思で。

 

 

 

 

 十六夜咲夜は――時を戻した。

 

 




はい。これにて三章も幕です。
ヤンデレタグ詐欺じゃねーか、と思われないか戦々恐々でしたが、ようやくここまで来れました。
権兵衛と咲夜の恋物語はあと少し続きますので、今暫くお付き合い願います。

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