幕間
「権兵衛さん……」
ベッドに横たわる、愛しい男の名前を呼ぶ。
返事のない事に底知れぬ恐怖を抱くも、首筋に這わせた手から伝わる脈動が、彼の生を主張して一先ず胸を撫で下ろす。
脂汗で額に張り付いた髪を払えば、苦悶に歪む顔が現れた。時折短い呻きを上げては、あまり良い夢見では無いみたい。
その、彼の苦痛を取り除きたくて、寝ている彼に身体を重ねる。性交の意味ではなく文字通り、単純に覆い被さったのだ。眠っている間に初めてを捧げるなんて、馬鹿げている。
彼と私を遮るものは、最早上半身に巻かれた包帯一枚のみ。それすらも今は煩わしく感じてしまうが、先の障害と比べれば月とスッポン程の差があるので、ここは鋼の精神で堪えねばなるまい。
自分の、女のそれとは違う堅い胸板に耳を当てる。とくんとくんと、一定のリズムで脈打つ鼓動のみに耳を傾けて目を瞑ると、まるで母親の胎内にいるみたいでとても気分が落ち着いた。
心地良い感覚に身を委ねていると、咲夜の鼻腔を
羞恥が咲夜に正気を取り戻させた。
なんとはしたない真似をしているのだ私は。一度は手から零れ落ちてしまった彼が、生きて目の前に存在する。たったそれだけの事だが、こんなにも浮かれてしまうのは――まぁ無理もない事かもしれないが。
誰が見ている訳でもないのに、咲夜は真っ赤な顔を覆って上体を起こす。名残り惜しさを断ち切って、離れようとした彼女の耳に、苦悶に呻く声が届いた。視線が吸い込まれる。
苦しそうな彼の顔。その、首筋を這う一滴の汗が、鎖骨の窪みへと流れ落ちた。
私は無意識の内に顔を近付け、溜まった汗を舌で舐めとった。口内にむわと彼の臭いが満ち、ぴりりと僅かな刺激が舌に刺さった。
「拭かないと……」
これは――決して変態的な行いではない。彼の為、彼の為だと言い訳も完了すれば、もう遠慮はない。臍だ腋だと汗の、汚れの溜まりやすい部位を中心に、咲夜の舌が男の身体を這いずり回る。
汗の臭いに混じり唾液独特の臭いまで漂い、部屋中に凄まじい異臭が篭もる。だが咲夜は嫌な顔一つせず――むしろ誇らしげに――、全身くまなく丹念に舌を這わせた。
事の終えた時には、権兵衛はさっきよりも非道くびちゃびちゃに濡れていて、これでは元も子も無いではないか。ようやく正気に戻った咲夜は、自分の唾液をきちんとしたタオルで綺麗に拭いてゆく。
ああ……、拭き終わってしまった……。
ちゃんと綺麗になった彼を見るメイドの横顔は、どこか名残惜しげであった。
後ろ髪引かれる思いだが、こうも仕事を放りっぱなしでは流石に怪しまれてしまう。能力を用いれば己に無理な事などほとんど無いが、彼を愛でる為の体力を使ってしまっては本末転倒もいいところだ。
故に行かなくては。
最後に咲夜は、権兵衛の首筋に強く唇を押し付け、ぢゅうっと吸った。己の唇の形をした痣が作られたのを確認し、その顔を、耳まで真っ赤に染め上げて、音も無く姿を消した。
ああ――早く、早く。こんな下らない責務を終わらせて、彼の元に戻らねば。
咲夜さんは可愛い。
病んだ咲夜さんはもっと可愛い。