気付けば朝である。
どうやら枕が変わると眠れない、という体質とは縁遠いらしい。おかげ様でベッドに入った直後からの記憶が無い。記憶喪失なんだから記憶が無いのは当たり前で、ってそうじゃないだろ。大体だ、このベッドが悪いのだ。起き上がろうと手を付けば、腕を容易く飲み込むし肌触りだって、嫌味のない滑らかさでどんだけ高級なシルクなんだ。まるでと言うか、高級品そのものだ。彼の人生でも今までで一番の睡眠と安らぎをもたらしてくれた。
だから記憶が無いのに、どうして一番と断じる事が出来るのか甚だ疑問だが、ええい、紛らわしいったらない。
一人権兵衛がごちていると、扉を叩くノック音が響いた。
どうぞと中へ促すと、姿を現したのは昨晩紹介された確か、十六夜咲夜とか言うメイド長さんではないか。
「権兵衛様、朝食の準備が整いましたのでお呼びに参りました。お嬢様がお待ちです、どうかお早めに」
起きてから間髪入れずの。着替えを済ました後の、見計らった様なタイミングであった。
では、と。相変わらず事務的な口調で端的に内容だけを告げ、挨拶の一つもせず早々に去ろうとするメイドに慌てて声を掛ける。
「あ、あぁ。すぐに行くよ。―――咲夜ちゃん」
そして一挙手一投足、全てがメイドとして精錬された彼女は、盛大にズッコけた。
「大丈夫か?」
「こほん……。ちゃんは付け止めて下さい、ちゃんは」
倒れた咲夜に手を差し出すも、彼女がその手を取る事はなく、一つ咳払いをして毅然と立ち上がった。一体何がどうして、咲夜ちゃんと呼ばれるのが嫌だったみたいだ。
よくよく見るとほんのり頬が赤い表情は、いやはや、少女らしい一面もあるではないか。
しかし目の前にいる、自分の胸ほども無い、そして彼女は胸が無いゲフンゲフン。どう見たって年下で、なら何と呼べばいいのか悩んでいると、先を制して咲夜が口を開いた。
「咲夜、で。貴方は客人、私は館に仕える従者。呼び捨てて頂いて構いませんわ」
どこまでメイドの鑑であった。普通呼び捨てるという行為は親愛の、はたまたその様な関係に近づこうとする好意的な行動であろうが、彼女のソレは明確な線引き、或いは拒絶でしかなかった。
今度こそ、彼女は返事も聞かずに退出してゆく。
幻想郷で初めて迎えた朝と云えば何かと騒がしく、まだ見ぬ前途に自然と、深い溜息が吐かざるを得なかった。
所で彼女は何をしに来たのだろうかと、その理由を思い至り急いで部屋を出る。幸いにして広い屋敷ではあったが、基本長い一本道で――気味が悪いほどに――迷うこともなく、昨日も案内された食堂へと無事辿り着く事に成功した。扉を開け放つと息を切らせた自分の姿に不思議そうな、不審そうな、視線を向ける主従が既に待っていた。
そして肝心の朝食といえば、実はあまり覚えていない。
出された食事は朝らしく軽いものだと記憶しているものの、その味よりも印象に残っているのがレミリアの質問攻めだった。
どういう女が好きかとか、私はこうこういう男が好きだとか、思えば色恋の事ばかりだった気がするが、吸血鬼と言っても女の子という訳か。それがどうして、一々嬉しげに、楽しげにしてくるのだから、気に入ったとの言は案外嘘では無いのかもしれない。
それに彼女から向けられる感情。過ごした時間はまだ数える程だが、悪いものは感じ取れなかった。相手は人外なれども、その好意を疑う様な真似は、したくないものだ。
出来る事ならば、自身も可能な限りの好意を返してやろう、と考えてしまうのはお人好しなのだろうか?
そんな決意にも似た意思を固めた男に向けられる、冷たい一つの視線。談笑に花を咲かせる二人が気付く事は無かった。
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうもの。
美味い食事に舌鼓を打ち美幼女――美童女だろうか――との話にも華を咲かせていたのも、今は昔である。
部屋へと戻った権兵衛は何するでもなくベッドへ横たわり、天蓋をぼうと見上げていた。何もしていないように見えて、実は彼、命の危機に直面している。呑気に欠伸なんかしている様に見えるが、本当の事なのだ。
退屈が過ぎるのだ。
自分なんかは金も記憶すら持たない、どこぞの馬の骨である。客人としては扱いは破格の待遇ではあるのだが。働かざる者食うべからず。一方的に好待遇を受け入れられるだけのヒモの素質を、彼は備えていなかった。待遇には不満は無いが現状にはあった。故に、食事の終わり、食器を片付ける咲夜へと手伝いを申し出たのだが。
「いえ、お客様にその様な真似はさせられません。今はお体の回復に専念して下さい」
怪我人が出張るなボケ、邪魔なんだよ。
決して、彼女の名誉の為に言わせて貰うが。決してそれ程までに過激なニュアンスは含まれてはいなかった。……明確な拒絶の意思はあったが。
こうしておずおずと引き下がり、ベッドと戯れる負け犬が出来上がった訳だが。
ベッドと戯れるっていやらしい響きだな、と益体も無い事を考えてはふと、ある考えを思い立ち上体を起こす。
記憶を取り戻そう。
うむ、実に生産的である。館の主人からは都合よく、館の敷地内であれば自由を保障してくれている。翻って言えば館外には出る事は許さないと言われているのだが。
兎にも角にも。これから生活していくのだ、館を散策するのは無駄ではあるまい。
身体は未だ本調子ではないが、散歩ほどの運動はは丁度良い塩梅であろう。
扉に手を掛けて気分一新、すわ行くぞと開け放つ。扉が軋む音とは別に、予想外の音が権兵衛の耳に届いた。
「わっ、わっ、出てきたよっ」
「やばっ! 逃げなきゃ!」
「ちょ、ちょと待ってよ! わぷっ」
きゃいのきゃいの。
ごく、すぐ近くから発せられた黄色い声は、またたく間に遠ざかってゆく。あまりにも唐突な出来事に、権兵衛は反応も出来ない。一応声のした方へと顔を向ける。もう誰もいないだろうな、という彼の予想に反してその存在はいた。
権兵衛の目に飛び込んで来たのは、偶然かはたまた計算上の事か、水色と白のストライプが織りなす人類の至高、男の夢が広がっていた。。
芸術的である。そのスカートの捲れ上がり具合は、そう形容する他に無かった。
さて、状況から察するにだが。扉の前で聞き耳をそばだてていたものの、急に扉が開き慌てて逃げようとしたが、内一名が何も無い所で転け逃げ損ね、パンツ丸見えの眼福、いや醜態を晒してしまった。
「と言う訳かな?」
「うぅ、穴があったら入りたい……」
弱々しく呟いたメイド服の少女。うつ伏せになっているので顔は伺えないが、真っ赤になった耳を見れば、どんな表情かは大体想像がつく。
そのまま放置するのは、些か気が咎める。
朝食時、メイドにしたのを焼き直した光景であった。一点異なる点を挙げれば、差し出した手は今度こそ握り返された、という事だ。
しっかし、恥ずかしげに俯く彼女を改めて見て思う。その小さいこと小さいこと。
館の主人が幼女であったことも十分驚きだったが、このメイドは更に一回り小さい。その姿を、正しく幼子と呼ぶに相応しい。労働基準法はどうなってるんだと要らぬ心配も湧き上がったが、少女の背後から生える羽を見て、考えを改める。
こちとら吸血鬼の館である。同族の一人二人いても何ら不思議ではないが、レミリアの羽は正に蝙蝠そのものだったのに対し、メイドの羽は向こうが透けて見える程に薄く、翅脈の拡がったソレは翼というより昆虫の翅を連想させた。
彼の脳内では昨晩の、当の吸血鬼との会話が流れていた。その中の一語、妖精メイドと聞きなれない単語を耳にした事を思い出す。成る程、彼女が件の妖精メイドという訳か。そして廊下の角からこちらを伺っている二人は、上手く逃げおおせた彼女の同僚に違いない。
「あ、あのっ。手、離して、下さい……」
語尾にゆくに連れその声は小さく掠れていったが、男が意識を戻すには十分であった。ついと考え事に耽ってしまい、手を握り続けていたようだ。
一言謝り離してやると、メイド妖精は一目散に仲間の元へと駈け出し、ピタとその動きを止まった。かと思えば振り返り、首が吹っ飛ぶんじゃないか心配になるぐらいの勢いで一礼だけして、行ってしまった。
やれやれ。頬を掻き掻き「妖精ね」と意味もなく呟いたのは照れ隠しなんかじゃぁない。そして自分の頬を掻いていた掌を徐ろに開閉させてやると、微かに残っていた温もりが幻でなかった事を解する。
初めて見た妖精は――全てが全て御伽噺の通りでは無かったが――人の目を避け、見つかればすぐに姿を隠すソレは、多くの人が思い描くシャイな妖精像とそんなに離れてはいなかったんじゃなかろうか。
との幻想は早くも打ち砕かれる。
「キャーッ! 触っちゃった触っちゃった!」
「えー、いいないいなー」
「大丈夫? 取って食べられなかった?」
食べねーよ! 食ってるとしたらお前の目の前にいる子は何なんだよ!
叫びたい気持ちをぐっと堪えて、ツッコミは心の中に留めておく。いやしかし、なんだ。彼女らが姿を消したのは随分と先の筈である。そのかしましさがここまで届くというのは、相当な声量で話しているという事だしかも会話の内容がなんというか、花の女子高生?
そう、ガールズトークという奴だ。
ガラガラと、権兵衛の中での妖精像が現在進行形で、音を立てて崩れていくのをひしと感じた。浪漫もへったくれもない現実である。
何が幻想郷か。どころか幻滅郷である、げんなり郷である。
いや、それこそ自分が勝手に抱いた幻想他ならないのだが。だからってなぁ……。
隣家の、仕事も出来美人で憧れのお姉さんが、実は碌に掃除も食事も出来ないズボラな人格だった、という現実を突き付けられた感がある。そも現実にはそんな存在がいるのは稀も稀である。閑話。
権兵衛は今一度黄色い声の鳴り止まない方角へと顔を向け、深い溜息を吐き、そちらとは反対の方へと歩みを進める事にした。
した筈なのだが。
「あっ、ニンゲン発見っ!」
「ふぅん。あれがお嬢様のお気に、ねぇ……」
おかしい。デジャヴュを感じる。
実際に感じているのは数えきれぬ幾つもの視線。そしてヒソヒソと、或いはガヤガヤと自分に対してされる噂話。今までどこに居たのかと不思議に思うほどの妖精メイド達が、行く先々に現れては少し遠巻きから、ちょっと遠慮気味に囁き合っている。一つ一つの声は小さい、と言っても膨大な数が集まれば囁きの意味など成さず、重圧という形を伴って権兵衛の心にのしかかってきた。これではおちおち散策もままならない。
知らず溜息が漏れてしまった。
どこか静かな場所は無いものかと見回して、丁度良さ気な場所が目に入ってきた。
早速移動を開始して目的の場所へと向かうその間も、絶えず妖精メイド達から好奇の視線を晒されていた。
しかして精神的に困憊した権兵衛が辿り着いたのは紅魔館の庭だった。
館内は目が痛くなる程の赤で固められていたが、庭園は打って変わって色とりどりの花々と落ち着いた趣がある。その見事な出来栄えに、思わず感嘆の息が漏れた。
妖精メイドの姿も少なく、ようやく一息つけそうだ。
眼と鼻とで植物達を楽しみながら、時折指先を伸ばしては葉を弄びながら足を進めていると或る一画。他と雰囲気の異なる区画に出た。
先程までは正に花園と、主に人々を目で楽しませる為の場所だったのに対し、目の前には舌で楽しませる為の風景が広がっていた。有り体に言えば菜園であろうか。
三度振り返り、あまりのギャップに目を疑ってしまった耕された土に盛られたウネ。等間隔に突き立てられたポール。数列だがビニールトンネルまである。小さいながら本格的な畑だった。
二方を壁に囲まれた館の角に、まるで誰かの目から逃れるかのようにひっそりとあった。
しっかし、余り日当たりの良さそうではない場所で何故、と疑問は付きない。
訝しく思いながら近づいてみると、見知った野菜が目に入ってきた。キュウリである。大小様々で、中にはまだ萎れた花だったモノが引っ付いているものもあるが見間違えようもなくキュウリである。いやまさか、ゴーヤだとか下らないオチは無いよなと、恐る恐る手を伸ばす。
「キュウリがそんなに珍しいですか?」
突如花園の中に現れた畑。その光景に、半信半疑、目を奪われていたから、こんなにも接近を許してしまう。
すぐ背後から呟かれた声に驚き、振り返る。
「どうかしました?」
赤い髪が印象的な、中華然とした衣服に身を包んでいる少女がいた。妖精でもメイドでも、ないのか? その距離の近さのあまり無意識に身構えるも、彼女から敵意は微塵も感じられない。むしろ妖精メイドら程ではないが、同じような好奇と興味を覚えているようにも見える。
「あ、あぁ。何だか場違いでね」
「ふふ、あなたがですね」
「いや、それもそうだけど……。庭園の一部が立派な菜園になってるのが、だよ」
何だか可愛い顔してと非道い事を言われた気がするが、うむむ。
内心傷心となっているのを少女に悟られぬ様平静を装いながら喋る。
「実はですね、この畑。一から私が造ったものですよー」
「君一人で? そりゃ凄いな!」
ちょっとだけ誇らしげに語る彼女の姿に、素直に驚嘆する。土仕事とはまるで無縁そうな少女がこれだけのものを造ったのだ。大の男が造るにしても苦労するだろうに。尚且つ作物を立派に育てるのは、彼が思うよりももっと苦労があっただろう。
少女はと一瞬呆けたかと思えば、何とも表現し辛い、面映そうな顔を作った。
「え、えへ。いやぁ、えへへ。そんなそんな、大層なものじゃありませんよ。あ、良かったら一つ食べてみます?」
浮かれた足取りのまま横をすり抜け、実を結んだ一つをもいで「はい!」と寄越してくれる。素のきゅうりを生で食べろと仰るのか。河童じゃあるまいし。
「ささっ、どうぞどうぞ」
しっかし、こんなにも嬉しそうな顔した女の子のお願いを断れる男がどこにいるのだ。まして権兵衛の心臓には毛も生えていない。
緑色した細長いそれを一口パクリ。バリボリと心地良い音を刻ませながら咀嚼する。採れたて新鮮なキュウリは想像よりも瑞々しく歯応えも抜群だった。ただ、味の感想を求められたら、キュウリと以外に答えられないだろう。
隣では同じように、キュウリに齧り付いく少女の姿が。そっと横目で伺うと、彼女は自分とは対照的に、満足気にキュウリを頬張っているではないか。それもそうか。手ずから丹精込めて育てた野菜である。それを思えば味気ないキュウリであれど美味いだろう。
その思いを共有していない男は、せめて味噌でもあればと雅の欠片もない事を考えてしまうのであった。
バリバリ。ボリボリ。
名も知らぬ女の隣で、互い無言にきゅうりを貪る。端から見れば――当人ですら思っているのだ――さぞおかしな図に違いない。
「いやぁ、美味しいですねぇ」
若干の気不味さを覚えながら、無心でキュウリを食べていると少女の方から口火を切ってくれた。僅かに視線が絡んだ瞬間、内心味噌が欲しいという願望を悟られてしまったのか焦る。何故なら少女の笑顔に少しの影が差したからだ。
「あ。もしかして美味しくなかったですか? なんだか一人ではしゃいじゃって……、すいません……」
喜んだり落ち込んだりと、忙しい娘である。
尤も、そうして感情を真っ直ぐに発露してくる姿勢には好意を覚えこそすれど、嫌悪感を抱くなんてことはない。ただ咄嗟の事に返答を窮して黙る姿は、彼女の瞳には無言の肯定に見えてしまった。
「あはは、一応私なりに権兵衛さんをもてなそうと思ったんですけど……」
笑い声もどこか力なく、花のように咲いていた笑顔がみるみる曇っていく様は、見るに耐え無い。「ヘイお嬢さん、君にそんな顔は似合わないぜベイベー」なんて気の利いた台詞の一つでも咄嗟に言えるのならフラグが立ったりするのだろうか。先の言葉が本当に気の利いた台詞かどうかは置いておくとして。
「ん、権兵衛って?」
「はい、権兵衛さん?」
確認の意味を込め、昨日付いたばかりの名前をオウム返しすると、確かに彼女は自分の名前を呼んでいる。
「……名乗ったっけ?」
「いいえ。してませんけど?」
どうにも会話が咬み合わない。
こんな所で出会うのだ。館の関係者か、さもなければ盗人か。いやしかし、これだけ堂々とした泥棒がいるだろうか、いやおるまい。ならば彼女もまた紅魔館の住人なのだろう。
行く先々の妖精メイドらが、自分の話題にしていたぐらいだ。名前を知っていても何ら不思議ではない。
「どうも、権兵衛です」
「へ……? あーっ! あ、あのっ! わた、私は紅美鈴って言いますハイ! 紅魔館で門番を勤めてますハイ!」
目の前の、笑顔が似合う赤髪の、ちょっと天然入っている微妙に残念な美少女、略して微少女とは、権兵衛が出した助け舟を経てようやく歯車が噛み合った。ちょっとした宇宙人とのファースト・コンタクトかと勘違いするぐらいに高難易度であった……。
耳まで赤くしての自己紹介に、自分としては苦笑いを返す他ない。
「う……、重ね重ね申し訳ありませんでしたっ。ちっとも気が回らなくて……」
「そんなに気にする程でも、こうしてちゃんと無事紹介も済んだんだし」
「ありがとうございます、うぅ……」
言外に、紹介以前の会話はちゃんとしていなかったとも読み取れる、サディズムにあふれる発言である。幸い美鈴に気付いた様子はない。
「あー、でも良かったよ。えーっと、紅さん? に会えて」
「紅さんだなんて、やだなぁ。そんな呼ばれ方したら背中がムズムズしちゃいます。美鈴で構いませんよ」
上擦った声を発している美鈴に視線を向けると確かに、照れ臭そうな表情で頬の筋肉がピクピクと動いている。彼女と自分の精神衛生面の為にも、呼び捨ててやるのが無難そうだ。
見たところ年も然程離れていなさそうで、呼び捨てで呼べるなら願ったりである。そう口にしたところ。
「あははははははは!」
美鈴は名の通り鈴の音を転がす、とは程遠く甲高い声で笑い始めた。笑顔が似合うとの評価はその通りだが、一体何が彼女のツボに入ったのか。それが分からないと、突然火の点いたように笑い始めたように映り、ちょっと気味が悪い。
「あっ嫌、引かないで下さい」
じゃ、何で笑い出したんですかもー。
「えと……。私と権兵衛さんの、年が近いって所でですね」
少し、躊躇した様子で原因を話す美鈴。
それのどこがおかしかったのだろうか? ハッ、まさか可愛らしい見た目とは裏腹に実はとんでもなくババアだったりするとか、やだこわいわー。
「可愛―――っ!? ん、げふんげふん。誰がお婆ちゃんですか全く失礼しちゃいますねっ。でもまぁ、当たらずとも遠からずって所ですね」
そんな顔を真っ赤に怒らんでも。遠からずって事は、やっぱりアラフォーだとか。
「アラフォーが何を意味する言葉なのかは知りませんが、少なくとも褒めてないですよね? ……権兵衛さん、実は私はですね、人間じゃないんですよ。妖怪なんです。あなたなんかよりもずっとずーっとお姉さんなんですよからねエッヘン」
へー。
「ちょ、へーって! もっとこう、リアクションはないんですか? すげーとか、かっこいーとか!」
いやだって妖怪てあんた。
確かに、幻想郷は人間と妖怪が共生している場所だとは聞いている。館の主人だって吸血鬼だし。ただレミリアが吸血鬼だとすんなり受け入れられたのは、彼女が聞き及んでいる物語と一寸も変わらない風体――鋭い牙、黒い大きな蝙蝠の翼――だったからだ。
だので妖怪と聞けば鬼だとか天狗だとか、人型ではあるが一目で人外と分かるおどろおどろしいものを想像してしまう。目の前の美鈴は、そんな存在に、とてもじゃないが見えない。普通の微少女にしか見えない。
「ふむ。いいでしょう。証拠をお見せしますよ」
美鈴は自信満々に宣言して立ち上がった。何をするのかとぼんやり眺めていると背後に回り込んで、肩へと手を置かれる。
「動かないで下さいね……。ふんっ!」
彼女が気合を入れるのと同時、触れている部分がやんわりと熱を持ち始めた。次第に熱は肩から全身へと広がり、その熱と共に身体が軽くなっていくようだ。
「おぉ……!」
「ふふっ、どうですか。これが私の『気を使う程度の能力』ですっ」
美鈴は誇らしげに自身の能力を披露した。彼女の掌を通して、その『気』というものが脈打ちながら伝わってくるのを感じる。さしずめ低周波治療を受けている、そんな感覚だ。
ほぅ。これは、中々……、気持ちのいい……。
ん、ちょっと待てよ。気ってすごいんだなーと、その心地良さ危うく流されそうになるが、彼女は妖怪である証拠として特殊な能力を提示した。
能力、か。
「なぁ美鈴、一つ聞きたいんだが」
「ふぬぬ。何ですかー?」
「咲夜って子も何かの能力を持ってるのか?」
「ええ、そうですね。彼女は『時間を操る程度の能力』を持っていますよー」
時を操るだなんて凄い。しかし得心がいった。度々側に現れたり消えたりしたのは瞬間移動の類かと勘ぐったが、あれは時間を止めていたのだな。
「ふーん。じゃ、あの娘も妖怪なんか」
「へ?」
美鈴からしてみれば予想だにしない言葉だったのだろう。送り込む気が停止する程度には。
「いやいやいや、咲夜さんは人間ですよ。どうしてそんなこと」
「だって美鈴が妖怪の証拠に~ってことで能力を見せたんなら、自然な流れじゃないのかね? 能力を持っているのは妖怪だーって」
「むむむ、確かに……。でも時たまいるんですよ。人間の中にも能力を持った変な人が」
暗に上司たる咲夜を変人扱いしている問題発言だが、権兵衛としても概ね同じ感想を抱いていたので否定も肯定もせず、聞き流してやることにした。
「時を操るなんて。そっちの方がよっぽど妖怪じみてると思うんだが」
「そうですねぇ」
表情は伺えずとも、美鈴が苦笑している空気は伝わってきた。
「そうすると、結局振り出しだよなぁ。能力の有無が人妖を見分ける根拠にならないんじゃ。気を使う能力と時間を操る能力、どっちが人間らしいかって聞かれたら、ねぇ?」
「とほほ。私って、そんなに妖怪らしくないですかね」
褒めているつもりなのに、美鈴は肩を落とした。うーん、妖怪心って難しい。
「あっ、そうだ! ならこんなのはどうです?」
「こんなのってどんなあいでででででっ!」
天啓でも舞い降りたのか、落ち込むのも程々に美鈴は腕に力を入れた。彼女の掌は勿論、未だ権兵衛の肩に置かれたままであり、そいつがぎゅっと握りしめられたのだ。実際にはぎゅっ、なんて可愛らしいものではない。現に彼の肩はギチギチと、嫌な悲鳴を上げていた。
少女の細腕では到底出せるはずのない怪力。分からず屋な権兵衛に、分からせるには十分だった。
「あががっ! ギブギブギブっ! 分かった! 分かりました美鈴は妖怪です! 人間じゃありません!」
「でしょー。もう、最初からそう言ってるじゃないですかー」
全く、晴れ晴れとした顔をしてくれる。折角気とやらで治りかけてた身体がまた悪化してしまった。文句の一つでも言ってやろうとしたが、止めた。け、決してビビった訳じゃないぞ?
「あーあ、アザになってるよ」
せめてもの抵抗として、愚痴ってやる。いやはや、何とも情けない抵抗だ。
「大丈夫ですよ。今更怪我が一つ二つ増えたって」
「それだと二倍に増えてるじゃないか」
「でも一つしか増えていませんよ?」
どちらにせよ、物は言いようである。
少々身体を傷めつけられもしたがこの美鈴とは、よくもこの短い時間で軽口を叩ける仲に成ったものだ。
知り合いも無く記憶も無く不安だらけの幻想郷で、この成果はちょびっとの希望を持つくらいには上々である。
「なぁ美鈴?」
「む、なんですか」
碌な質問ばかりしなかったせいか、美鈴のヘソはちょっと曲がっているらしい。
「多分、改めて言う必要も無いと思うけど、俺は記憶喪失でさ。今はちょっと、何とかして記憶が戻らないかと館を散策していたんだが。何かいい案はないか?」
「そうですね……」
今までのどれとも違う、真面目な表情で美鈴は思案した。
「やっぱり見知った場所を見て回れば、自然と思い出すんじゃないですかね?」
「幻想郷でか?」
「……自分を知ってる人から話を聞くとか」
「略」
「あ、殴ってみましょうか、頭を。こう、がつんと」
「やめてください死んでしまいます」
「うーん、それじゃぁ――」
真剣に考えてくれるのは有難いが、矢張りというか。どれもこれもがありきたりな案しか出てこなかった。正攻法、と言い換えてもよいが、困ったことにその正攻法、幻想入りしたおかげで多くが実現不可能に陥ってしまっている。
「治療、っていうのとは違うかもですけど。一人ウチに、もしかしたら詳しいかもしれない人物がいまして」
イマイチ歯切れが悪い。
詳しいとは何ぞ。医者かや。
「いーえ、魔女です。いつも図書館に引き篭っていらっしゃるんですけど」
吸血鬼に妖精、妖怪と来てお次は魔女と来ましたか。あ、間に時を止めるメイドもいたか。魑魅魍魎だなー。
しかし魔女か。胡散臭い響きだ。しかし記憶喪失なんてものを治すには、案外正道よりも邪道の方が近道かもしれない。
元より当ても具体的な案も無いのだ。藁だろうと魔女だろうと縋ってやろうじゃないか。
「あはっ。それじゃ、頑張って行って下さいねー」
言って美鈴は手を振って見送る体勢である。
一緒に来ては、くれないのかしらん。
「ふふん、私は真面目な門番ですからね。持ち場を離れる訳には行かないんですよ」
「へー。紅魔館の門ってのは畑みたいに風変わりなんだな」
ノリで突っ込んでみたものの、いや待てよ。全く以て門のモの字も見当たらないが、ここが本当に玄関口だったりするのではなかろうか。何せ幻想郷である。自分の知識なんかではとてもじゃないが及ばない事も無きにしも有らず?
「……さぁさぁ仕事の邪魔です! 行った行った!」
「あ、ちょ! 押すなって!」
勿論、そんな筈もない。
額に一粒の脂汗を浮かべた美鈴に急かされ、権兵衛は菜園から追い出された。矢張り着いてきて貰った方がいいんじゃないか、なんて一瞬戻る事も考えて振り返き、その甘っちょろい考えは破棄した。
何せ美鈴は、既にこちらへ背を向けてちゃんと仕事に従事していたから。
農作業という立派な仕事に。
「……行くか」
門番とは違うが、あれも間違いなく仕事に違いない。邪魔をしては悪い、と。権兵衛は魔女、という不穏な響きに不安を抱いたまま菜園を離れた。
権兵衛は知らない。美鈴の仕事は、徹頭徹尾門番であることを。かの菜園は美鈴の趣味であり決して仕事ではないことを。