幻想狂縁起~紅~ 《完結》+α   作:触手の朔良

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始まりの惨劇

 彼女らはやると言ったことは必ずやる。

「本当に抜くんだもんなぁ……」

 楽しい楽しい日課のティータイム、の筈だったのに。ただ一人の乱乳者、いや乱入者に依って権兵衛の平穏はいとも容易く破られた。些か過分な物言いであるが、彼の立場からすれば迷惑千万。三食の内一食が無くなるのは死活問題だった。

 案の定と言うかその夜、権兵衛は空腹に苛まれていた。その空腹を忘れようとベッドに突っ伏し目を瞑るも、睡魔がやってくることは一向になかった。忘れよう忘れようと念じると余計に気掛かりで、これでは本末転倒である。

 一つ寝返りを打ち、部屋にある唯一の窓の、カーテンの隙間から差し込む月明かりが、やけに眩しくて、のそのそとベッドから這い出る。一息にカーテンを開け放つと、夜空には真ん丸なお月様が浮かんでいた。

 そうか、今夜は満月か。雅を解する風情を持ち合わせていない彼でも、綺麗だと思うような満月であった。柄にもなく、侘び寂びを味わっていると、ぐぅと主張する腹が全てを台無しにした。いよいよもって月が団子に見えては末期症状である。

 再び寝直そうとしても睡魔はやってこない。このまま起きて朝食まで待つのも、これまた辛い。

 どちらを選んでも同じ困難ならばと、権兵衛は静かに部屋を抜け出した。

 抜き足差し足。足音を潜ませて男は館の廊下を進んでゆく。何故泥棒の様な真似を、と。別段、夜間に館を出回ることを禁止されている訳でもないが、しんとした紅魔館の静寂を破るのは酷く憚られる行為に感じたのだ。あれ程、館の内外を問わずに賑わせていた妖精メイドらも、今は皆自室へと戻って体を休めているのだろう。人っ子一人見当たらない。

 点々と、そう多くない燭台と、北向きの窓だけが暗い廊下を照らす唯一の頼とし、権兵衛はのんびりと食堂へと向かう。

 此処に来た当初は迷ってばかりだったが、幾ら広いとはいえ一週間も住めば大まかにでも館の構造は覚える。不本意ながら、幾度もの迷子経験が一助となっているのも否めない。

 人っ子一人もいない――とは訂正せねばなるまい。ここまでは誰との遭遇も確かに無かったが、蝋燭が作る陽炎の向こう、揺らめく人影がそこにあった。

「レミィ?」

 よく見知った後ろ姿を見掛けて声を掛ける。

 そうして振り向いた少女は、口にした名前の彼女と、似た印象を受ける別人であった。

「んー?」

 レミリアとそっくりな真紅の瞳を持ち、レミリアと似つかない金色の髪の少女。存在を知らされていない権兵衛でも一目で、少女はレミリアの血縁だとピンと来る。

 その思考こそが権兵衛の警戒心を緩めた。

「あれ? どうしてどうして、知らないニンゲン、ニンゲンがいるのかしら?」

 コロコロと、鈴の音を転がすような可愛らしい声だった。その声質も、口調こそ違えど矢張りレミリアの面影を覚える。

 興味深そうに権兵衛の周囲を回り、少女は男を観察する。飽いたのか、動きを止めて二人の身長差から、丁度真下から覗くようにして、少女はとつと呟いた。

「レミィって、なに?」

 ゾク―――。

 瞬間、全身が総毛立つ。

 一体自分は何に怯えているのか? 目の前にいるのはただの愛らしい少女ではないか。

 その通り、一見愛らしい少女ではあるものの、その実態は恐るべき吸血鬼である事を。紅魔館で過ごした平穏は、それを忘れさせるには充分であった。

 だから呆けた権兵衛の頭は理解に至らない。至らずとも本能は、命の危険を訴え掛けていた。

 その時点で本能に従い外面も無様に逃げおおせば、違う未来も待っていたのかもしれない。それとも矢張り、少女と出会ってしまった時点で、男の運命は決定付けられていたのかもしれない。

 人生が一度きりならば、たらればを論ずるなんと不毛なことか。然れども如何程の人間が後悔せずにいられようか。

 だからこその一生。

「ねぇ、ナニ? ナンなの? あなたアイツのナンなの? なンとか言ったらどうナの?」

 鈴の音の調べが外れるにつれ、理解不能の恐怖も膨れてゆく。

 激しい口調ではない。淡々とした喋り。だからこその単調の奥底に潜む狂気を色濃く浮き彫りにしていた。

 カラカラに渇いた喉を振り絞って放った一声は、呆れ果てるものだった。

「……君は誰だ」

 周囲の蝋燭がふっと、一斉に消えた。

 風の吹きこまない屋内で、その現象に何らかの作為を疑うのは、そうおかしな事ではなかろう。

 心得のない権兵衛は分からなかった。少女の小さな身体から発せられ魔力の奔流とも云うべき力が、廊下の隅から隅まで巡り全ての蝋燭の火を消したのを。

 蝋燭の火が消えて、辺りを照らすのは月明かりのみ。その少ない光量ではほとんど暗闇と変わり無く、視界が閉ざされた反面五感がやけに鋭く感じるようになった。

 初夏の近づきを思わす、肌に纏わりつく湿った生温い空気。蝋が溶けた独特の、形容し難い臭い。そして一寸先も見えぬ闇の中に於いて一層、煌々と妖しい輝きを放つ真ん丸な双眸が。

 しぃと、形を変えた。

「―――い。ずるいずるいずる、ズルいっ! ずるい、ずるいわっ! お姉様ッ、お姉様ばっか! こんな、こんな新しいオモチャ!」

 感情そのままの発露。その一文に或る少女の激情は、レミリアの妹であることを裏付けてはいたものの、そのような真実は最早些細なものに過ぎなかった。少女の発する、憤怒の前では。

「……て……る。こ……、やるッ!」

 少女の微かな呟きを、権兵衛の耳が捉える事は無かった。ただぼんやりとしか見えないが、少女の動き。ゆったりとした動作で腕を付きだしてその小さな掌を。

 ―――きゅっ。

 如何なる術の成せる技か、権兵衛の腹が、内側から爆ぜた。肉を、骨を、一切の区別なく破壊しながら、皮膚を破り体外へと、まるで空気を求めるが如く飛び出す。その腹から吹き出したのは、血ではなく肉ではなく、彼の命そのものだった。

 痛みはない。代わりに激しい灼熱を最期に知覚し、権兵衛の命は此処で終わりを迎えた。

「アはっ、あハハはははははッ!」

 狂笑が館に響き渡る。

 周囲に飛び散った血よりも鮮やかな赤い色の瞳が、歪な弧を描く。少女、フランドールは腸の一つを抜き取り、嬉々として掲げる。その姿は、我こそはここに在ると主張しているかのようであった。

 掲げた臓物から一滴。また一滴と、少女の端正な顔をに血が垂れる。頬を這う血を一舐めし、少女はソレを握り潰した。びしゃり。先とは比べ物にならぬ血の雨が全身に降り注ぎ、髪と肌と召し物を血化粧が彩ってゆく。

 これほどの騒ぎでありながら、紅魔館は不可解な沈黙を保っている。

 皆知っているからだ。

 吸血鬼の住まう館でありながら、満月の夜には化物が出る事を。

 満月の夜には、普段からして少ない妹様の理性が、一段と乏しくなる事を。

 地下から這い出し気紛れに館を徘徊する事を。

 そんな妹様に遭遇でもしようものなら、フランの言う遊びに付き合わされ壊されてしまう事を。

 だから今晩のこの騒ぎもきっと。寝る前に花摘みを忘れた妖精が、満月であることをうっかり忘れて部屋を出てしまったのだろう。皆、その程度の認識だった。それに、うっかり仏心でも出そうものなら、妹様の矛先は己に向くだろう。わざわざ火の粉を被りにいく真似は、好き好んでする者もいるまい。

 フランの遊戯を止める者はいなかった。

「アハハハははハッ、あハハはハハハハハハハハハッ!」

 夜が明け、睡魔が少女を襲うまで、止める者は現れない。睡魔に負けて部屋へ戻るまで、人形遊びは続く。人形が、人形でなくなるまで続く。

 

 悪夢を見ている。

 暗黒の世界に、自分が一人。他に何一つもない世界に、自分だけが一人。

 延々と歩いても何処へとも往かず、永遠に持ち続けても何時とも変わらず。

 そんな悪夢であったが、遂に変化があった。

 希望の光、なんかとはまるっと逆の、暗闇よりも更に深い影。影は輪郭を闇に溶かしてはハッキリとしない癖に、何故だか理由は分からないが、影の正体は少女だと知っていた。

 影が体を震わせる。その行為が会話なのだと、気が付くのには結構な時間を有した。おそらくだが、人語を話しているのだろう。だろうというのも、少女の言葉は男の耳にはただの雑音としか聞こえなかった。

 こちらからの言葉も、同様であるに違いない。

 けれども少女の口は止まらず、語りながらも同時に腕らしき部分を伸ばして―――。

 触れる瞬間に目が覚める。

 するとどうだろうか。夢の中ではあんなにも意識はハッキリとしていたのに。あんなにも印象的だった悪夢なのに、その断片すらに思い出せない。

 だとしても、何か、とても重要な夢だった気がする……。

 しかしどれだけ頭を捻っても、切っ掛けの一つも掴めないので気持ちを切り替えベッドから立ち上がる。

「……?」

 自身の身体を見下ろす。

 気怠さはあるものの、パッと見で異常は見当たらない。いや、上半身が裸なのは十分異常なのだが、そうではないのだ。なんともない腹部に。……腹部に、とてつもない違和感を覚えるのだ。

 いや、違和感と言うよりも、腹の中を掻き回されるような明確な不快感である。

 上半身を晒して寝てたせいで腹を壊したか? なんて一瞬考えるも、そういう痛みではなく。腹を擦ってみたが、どうということもない。

 時と共に不快感は次第に薄れ、遂にはさっぱり消えてなくなったが、正体が掴めず気味の悪さだけが残った。

「おはようございます」

 唐突に、背後から声を掛けられた。若い、女の声だ。

 突如現れた気配に多少は驚くも、不思議とそれ以上の衝撃は無かった。それよりも――。

「……如何なさいましたか?」

 声の主、メイドの服装に身を包んだ少女。以前にも、どこかで会った様な。

「お腹が、どうかしたのです?」

 呆けている間もどうやら腹をさすっていた模様で、訝しげながらも心配の色を含んだ声に少しだけ嬉しく思う。

「いや、なんでもないよ」

「そうですか」

 メイドは自分の応えには然程も興味が無かったらしく、ちょっとだけしてくれた心配もすぐに引っ込んでしまった。

「とりあえず、そうですね。こちらのお洋服にお着替え頂けますか? 今のままでは、とてもご案内出来兼ねますので。では、私は部屋の外で待たせて頂きますので。準備が出来たらお声をお掛け下さい」

「待ってくれ!」

 事務的に淡々と用向きを伝えるメイド。

 差し出された服を受け取ると少女は一礼し――何故か直ぐに消えてしまう気がして――、慌てて声を掛ける。

 気が急いたおかげで思った以上に大声を出してしまった。驚いたメイドはびくんと肩を跳ねさせ、仕事の邪魔をされた不快感を一瞬だけ顔に出したが、すぐに表情を取り繕った。

 メイドの反応は、好意的ではなかった。それでも、彼は聞かずにはいられない。その、尋ねる内容の阿呆らしさに躊躇するが、ままよと念じ男は疑問を口にした。

「俺は――誰だ」

 折角メイドは冷静さの仮面を被ったというのに、可哀想に、その努力は徒労に終わってしまった。

 完璧で瀟洒を信条とする彼女の、あんな愕然とした顔を見るのは、後にも先にもこれっきりだ。

 これは物語だ。一人の男が世界と、或いは少女が一人の男と、出会う物語。

 ならばさしずめ今まの今までは序章に過ぎず。

 ――男は幻想郷へやってきた。

 




 次の話から次章になります。
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