大石泉と速水奏が会話するだけ。

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クール×クール

「…………」ペラッ

 

「…………」カタカタカタ

 

肌寒い事務所に、二人の作業音だけが残響している。

速水奏の雑誌を捲る音、大石泉のキータイプ音。

ある時は速く、ある時は遅く。二人の興味と進捗とによって制御されたリズムは無秩序に。

 

集中しきれてないわね、と奏は感じた。雑誌を捲る手が止まる。

まぁ雑誌なんて読み込むタイプではないけれど、と即座に思いなおす。

恋愛特集も芸能人のゴシップも、奏の興味を誘う話題ではなかった。所詮他人は他人、そんな思いが彼女の根底にはある。それを彼女は自覚していた。

そういえば……と彼女は思い出す。今は私のほうが週刊誌に追いかけられる芸能人だったわね。

皮肉なことに。

 

「ふぅ……」

 

作業が行き詰ったのか煮詰まったのか、ちょうど奏と同じタイミングで、泉の意識が深いところから浮かび上がってきたようだ。同じ事務所に所属する二人ではあるが、いままでなんとなく話すタイミングを掴み兼ねていた。まだ、ほとんど初対面のようなものだ。

 

「泉、コーヒーでも飲む?」気をつかったのか奏が話しかける。

 

「ありがとう、奏さん」

 

「泉は、いま何をやっていたの?」

 

んーと顎に手を遣り、視線を右上に彷徨わせる。きっと、専門的な話を分かりやすく作り変えているのだろう。

一般的に、ある分野に長く触れていると、脳が専門的な概念に馴染んでしまって一般人に説明するのがとても難しくなる。特に専門用語を使わずに記述するのは困難なものだ。

 

「そう……ですね、なんと言えばいいのか……。新しく思いついたことをプログラミングしようと思ったんですけど、その道順を立てていた……と、言いますか……」

 

喩えるならば小説でいうプロット、建築でいう設計です。多分。とノートパソコンを畳みながら泉は言った。奏は情報系の話題に強いわけではないので(スマホを不自由なく操れる程度だ、一般的な女子高生程度、ともいう)話を振ったのは世間話程度の軽い意図しかなかったし、別段キチンと理解しようとは思っていなかった。

……我ながら失礼な話ね、と奏の人格が囁く。奏は給湯室からコーヒーを二人分用意し、テーブルを挟んで、泉の対面に座った。

 

「奏さんは何を……?」

 

「私はただの暇つぶし」

 

雑誌を読むなんていうのはただの暇つぶしでしかない、と彼女は思っている。藤居朋ちゃんや、伊吹ちゃん――小松伊吹ちゃんなんかは、きっとそうではないのだろう、と瞬時に発想した。占いや、恋愛相談コーナーを熱心に読み耽っているところを、奏はしばしば目撃していたからかもしれない。

最近はLiPPSのメンバーのせいで……主にしゅーフレ志希のせいで、雑誌を読む暇すらなかったので、こういった時間は懐かしく感じてもいた。昔は暇を持て余したものだ。アイドルを始めて、そう時間が経ったわけでもないが、自分が以前とはまるで違う存在になったかのような気すらしてきた。偶像になるために、旧い自分を捨てた……いや、箱の中に仕舞って蓋をしたような、遠い感覚がある。”遠い”とはなんだろう。自問するも自答は出来なかった。

 

「奏さんは……なにか趣味ってありますか?」

 

数秒の……もしかしたら数分かもしれない無言の後、泉は口を開いた。「ただの暇つぶし」なんていう社交性の欠片もない自分の返答にややしくじった感を覚えていた奏は、その問いには即座に答えた。

生じた間は、実際には泉の頭がまだ現実世界に適応していないせいではあったのだが。

 

「映画鑑賞ね……特に悲劇が好きよ」

 

それに、敬語はやめてちょうだい、と奏は付け加えた。

 

「そう……じゃあ、お言葉に甘えて」

 

テンプレートとはいえ、”お言葉に甘えて”が既に敬語表現であることに思い至り、泉は少し笑ってしまった。自分で言ったことなのにね、と思いつつ泉はフーフーと熱いコーヒーを冷ます。苦いコーヒーと多少の会話のおかげで、泉の脳は本調子を取り返し始めた。つまり、脳裡に渦巻く数式はなりを潜め、散逸して解法を求める思考も、一本に収束し始めたということだ。純粋な思考体となっていた泉は、こうしていつも現実感を取り戻す。強力な集中の反動、ともいえた。

 

「どうして悲劇が?」

 

どうして……と問われて奏は一瞬止まった。悲劇を見るのは好きだ、でも、それを言語化したことはいままで無かった。つまり、奏はいままで誰にも映画を好きな理由を話してこなかったことになる。文字通り、奏自身ですら知らない、ということだ。これは困った、と思った。こういった問は得てして、一朝一夕に答えが出るものではないことを奏は経験から知っていた。いま彼女にできることは、曖昧な返事で誤魔化すか、部分的にのみ正しいと思われる回答をもっともらしく説くか、ということだけだ。自問自答も楽ではない、と彼女は思った。いずれ考えておくべきこと、として彼女はその問いを脳内保留フォルダにセーブしておく。そうして、彼女がお得意の煙に巻いたような発言をしようと口を開く数瞬先に泉の発言が聞こえた。

 

「ごめんなさい……そんな簡単に好きなものの好きな理由なんて出てこないよね」

 

実際私がプログラミングのどこが好きなのって聞かれても困ると思う、と泉は苦笑した。恐らくは自分の浅はかな発言に向けて。泉の中では、しかしまだこの言葉では語弊がある。即ち、”好き”という観念を具体的な言葉に落とし込んだときに、ディティールが省かれてしまうことに関して、ある種恐怖していた。好きを”うまく記号に置換できない”のではなく、”記号化してはならない”とまで思っていた。言葉にする、ということは、言葉の枠組みに当て嵌めるということだ。言葉にしてしまえば、元の感情ではなくて、置き換えた後の言葉でしか理解できなくなってしまう。それは感情の制限であり、感覚の削剥だと、泉は思っている。もちろんそんなことは言わない。言う必要もないし、言うべきでもない、と思っているから。

キンと冷えた空気が、思考を刺激しているのかな、と泉は考える。いつもより会話に割いているリソースが多いと判断したからだ。もしかしたら、相手が奏さんだからかな、とも。これがさくらだったら間違いなくこうはならないだろう、と心の中で少し微笑んだ。

 

「泉、前から思っていたけど、あなた本当に大人っぽいわね」

 

泉の目が大きく開かれる。

 

「奏さn……奏にだけは言われたくないわ」

 

「あら、それは私がよっぽどおばさんに見えるってこと……?」

 

自分で言ってて意地が悪いなと自覚する奏だった。

 

「……それってもしかして、私のこと老けてるって言いたいの?」

 

あら……?そう……なるわね……。奏が自分の発言を思い返すと、完全にそういう流れだった。

自分にしては珍しい失敗だな、と思った。しかも割と挽回が難しいタイプの。

 

「えぇっと……そういう訳じゃあないのよ?」

 

「わかってる。奏もそんなミスするのね。なんだかちょっと安心した」

 

「私だってそれくらいの間違いはあるわ、まだ華の17歳乙女よ?」

 

「それを言ったら私なんてまだ15歳の子供なんだけどな……」

 

二人からは自然と笑いが零れる。

 

「私たち、意外と似た者同士なのかもね」

 

奏の言葉に泉はまさか、と首を振る。

 

「私は奏みたいに意地悪言ったりしないよ」

 

「私は泉みたいに屁理屈捏ねたりしないわ」

 

ふふっ。

またも、二人は笑う。

 

ひとしきり笑うと、二人の間には得も言われぬ連帯感のようなものがあった。友情、という概念だろうか。

 

「ところでLiPPSってどう?」

 

フレデリカさんや周子さんとは時々話すけど、あのグループ大変じゃない?と泉は問う。

 

「そうね……大変、と言えば大変ね」

 

みんな自由人だし。失踪するし。適当言うし。やる気ないし。でも、よく考えたら……いや、よく考えなくても美嘉が一番大変な思いをしていると思う。私も結構悪ノリするタイプだし。美嘉からかうと面白いし。

とはいえ、話が合わないわけではない。志希のどことなくニヒルな一面とか、周子の真面目さとか、フレちゃんのペルソナとか、それら全部を許してくれる美嘉も、私は映画を見るときのような感覚で対峙する。ここまで思い至って、奏は彼女たちの生き様を鑑賞するのが好きなのだと気づいた。それら類稀なるキャラクターの一挙手一投足がまるでフィクションストーリーのように躍動するのを、時に脚本に自ら手を加え、時に遠景として俯瞰から、時に関係者として内側から、ドラマティックでドラスティックな非日常を鑑賞するのが。

もちろん、それらが悲劇でないことを奏は祈っている……祈っていると信じている。

 

「だけど、楽しいわ。あの子たちと一緒にいると毎日が飽きないもの」

 

NWはどうなの?と奏は聞き返してみた。

奏は村松さくらとも土屋亜子とも特に面識はなかった。だから、なんとなくのイメージでしかなかったが、泉も奏と同様に、多少の苦労をしているのではないか、と思ったのだ。

 

「そうね……奏と大体同じ、かも」

 

直情径行な亜子にさくらがノって、それを泉がいつも制している。二人とも活力が溢れてるから結構大変だな、とは彼女自身もよく感じていることだ。しかし、彼女らがいなかったら、いま泉は間違いなくアイドルをやっていなし、泉にはない特性をもつ二人からは貴重な体験を得られていた。二人は泉に新しい景色をもたらしてくれる、新しい舞台に引っ張り上げてくれる。インドア派を自称する泉は、人間と関わりあうのも、体を動かすこともそれほど得意ではないし、積極的に行ってこなかった。それはプログラミングのように結果から原因までが一直線に繋がるような論理的美しさではないけれど、泉の感性に訴えかけるものがあるのだった。だから泉は二人を尊敬しているし、少し羨んでもいる。まぁ……時々「勘弁して」って思うけど、とは照れ隠しであろうか。

 

「あら、苦労してるのね」

 

「それはまぁ……生きているからね」

 

口が滑った、と泉は思った。普段、こんなことを言うと友達からは「なに小難しいこと言ってるの」と言われるのだ。つい、空気に飲まれてしまった。自分で自分を制御できないことに、苛立ちに近いような感情を覚える。

 

「そういう所が大人っぽいっていうのよ」奏は微笑する。

 

「全然、そんなことないのに……」

 

「ありすちゃんが聞いたら羨ましがるでしょうね」

 

「ありすちゃんもいつか、自分が大人なんかじゃないって自覚すると思う……彼女は大人だから」

 

非論理的な発言だと自覚はしていた。でも、泉にとってはこれが最もしっくりくる表現なのだ。

 

「そうかもね。泉ってば、発言も大人びているけど、いい体してるわよね……」

 

奏に全身を舐めるように見まわされ泉は驚き、半眼で軽く睨みつける。

 

「ちょっ……セクハラよ」

 

「その目、プロデューサーを虜にした視線ね」

 

ちょっぴり妬けちゃう、という奏に、泉は遊ばれてるだけよ、と返す。

 

ガチャリ、とドアノブの回る音。彼女らのプロデューサーが外回りから帰ってきたのだ。

 

「それじゃあ、たまには子供っぽく悪戯しちゃおうか」ねっ、とウィンクする奏。

 

「Pの困った顔が目に浮かぶね」泉は微笑を湛えた。


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