2138年、一つのゲームが終焉を迎えようとしていた。
YGGDRASIL。
それはDMMO-RPGという体感型ゲーム。
他のゲームに比べて非常に自由度が高く、ゲーム内部を幅広く弄れプレイスタイルの汎用性は無限と言われた。
凝り性のヘビーユーザーを多数輩出したそのゲームは、DMMO-RPGの代名詞と言われるまでになる。
しかしその超有名タイトルも、栄枯盛衰の理から逃れられる術は無く。
オンラインサービス開始から十二年目のその日。
全盛期と比較して見る影もない程過疎化したYGGDRASILは、残り数刻でその栄光と斜陽に満ちた幕を閉じようとしていた。
彼は、無人の円卓の間に立っていた。
彼の名は、アイダホ=オイーモ。
実名ではなく、このアインズ・ウール・ゴウンでのハンドルネーム。
緑色のローブの上にギルドサインが刻まれた胸甲をつけ、頭部をすっぽりと覆うフード。
フードの奥は暗黒に包まれており、目の代わりに青白い光が二つぼんやりと浮かんでいる。
腰には両側に数本の剣が縦一列に並んでおり、サイズも柄も異なるそれらは強大な魔力を秘めていた。
(やっぱり、誰も来なかったのか……モモンガさんは?)
彼は辺りを見渡してみるが誰一人としておらず、静寂に満ちていた。
(結局誰も来なくても、あの人だけは絶対に居るよな……俺、来るって言っちゃったし)
全盛期はこの場には絶えず切れずギルドの仲間達が集まっていた。
ほっとけばただログインしているだけの、受動的な自分の手を取り冒険へと連れだしてくれた仲間達が。
いい人がいた。困った人がいた。濃ゆい人がいた。難解な人がいた。しょうもない人がいた。
でも、全員仲間だ。仲間だった。たった一人を除いて、ほぼ全員が引退してしまっても。
その中に自分も居た。仕事が忙しくなる時期が重なり、アカウントこそ残してはいたもののほぼ放置してしまっていた。
(モモンガさん、メールで言ってた玉座の間かな?)
ウィンドウの右上を見る。サーバーのダウンまでの残りの時間はもうわずかだ。
時間がないので走ることにした。玉座の間に彼が居るならすぐにギルメン専用の指輪による転移で飛んで行きたい。
だが、あの場はセキュリティ上転移は出来ないようになっているのだ。
小々行儀が悪いが、戦闘中に行う様に高速でホバリングするように飛んで行く。
三次元的な立体機動による軽快な超高速戦闘が彼のキャラクターの持ち味だ。
彼は何時も前衛の先頭を切り開くたっち・みー、武人建御雷の側面を守っていた。
まるで戦車の死角を守る随伴歩兵のように。
(そう言えば、最後にバトルに出たの、何年前だろう……)
自分がここに戻ってきたのは、サービス終了が告知されて暫くの後。
再会時のモモンガの喜びようはこちらが恐縮する位だった。
聞けば、ここ二年ぐらいはチームクエストを行う人数すら集まらず、ほぼ一人でギルドを維持してたらしい。
暫くの間、ギルドの思い出話を貪る様にしゃべり続けた後、モモンガは彼にこう提案した。
『サービス最終日に、みんなに集まって貰ってユグドラシルの最後に立ち会おうって企画してるんです……アイダホさん……来て頂けませんか?』
モモンガの提案に、彼……アイダホは快諾した。
『勿論ですよ。モモンガさん、俺にとってもこのギルドは思い出深いですし。あまり来れなくなってましたけど……それでもよければ』
リアルが多忙だったとは言え、ずっと待っていてくれた彼に対して申し訳ないと思えたのだ。
だからこそ霊廟にしまってあった(自分の像の所定の位置に安置されていた!)神話級アイテムを取り出し最強装備を施してその日を迎える事にした。
それが孤独にギルドを維持し、理由があるにせよ顧みなかった自分を待っていてくれたモモンガに対する精一杯の感謝だった。
(それを、あの糞オヤジが……)
だから、今日は早めにログインしてゆっくりとモモンガと思い出話をしようと思っていた。
いたのに、本家から呼び出しが来て父親に長々と説教されてしまったのだ。
(自分の家柄の自覚を持てだぁ? 稼業の手伝いだけでも反吐が出るぜ……!!)
彼は父親が嫌いだった。父親が自分の権威と胸を張るあの虚栄に満ちた街が大嫌いだった。
もうカウントダウンが始まっている人類の黄昏から目を背け、自分達以外に苦渋を押し付けて安楽な生活を享受してるあの街に住んでいる自分も堪らなく嫌いだった。
(やばい、もう残り二分だ!)
ネガティブな物思いに耽っている暇はない。
漸く、悪魔と女神の彫刻が彫られた巨大な両開きの扉が見えた。
あれはこの大墳墓を攻め落とさんとした者達とギルドのメンバーたちが最後の決戦を行うべき場所。
ギルド最強最悪のトラブルメーカーにして趣味人のるし★ふぁーが作り上げたその扉は緻密さと芸術性において、九つの世界を見渡してもそれに伍するものは無いだろう。
だが、今はそれを楽しんでいる場合ではない。
せめて、最後に一言だけでも言葉を交わしておきたい。
もし、こうして来たのが自分だけだとしたら……彼は今、独りぼっちなのだから。
「モモンガさん!」
彫刻で作られたドアに手を当て目一杯押す。
まるで急ぐ自分をあざ笑うかのように、ドアはゆっくりと開いていく。
(糞、間に合わないか!? あああ、間に合わなかったらメールでフォローしとかないと! あの人、結構繊細だし!!)
焦る彼の目に玉座の間が映る。
そこには、恐らく一人で世界の終わりを迎えようとするギルドマスターの姿が
「モモンガさん、おまたせ……!!」
「………え?」
ドアを開けた先は、森林の只中だった。
「………」
アイダホは、呆然と周りを見渡していた。
確かに、彼はアインズ・ウール・ゴウンの最深部、玉座の間の両開きのドアを開けた筈だった。
前回訪問した時に見に行った時も見たが、守護者統括アルベドが配置された聖堂の如き荘厳な部屋である。
ただ、華々しい部屋の作りも、並び立てられた41の旗の数々も、巨大な水晶を削りだして作られたギルドマスター用の玉座が無い。
「……なんで、森の中?」
視界に映るのは、その玉座の間ではなく、森の中だった。
ユグドラシルの九つの世界には、当然ながら森のステージが数多く存在する。
南国風のジャングルから、北国のタイガまで。
それらは全て2138年の地球からは失われている。
アーコロジーの公園や産業用森林地帯などで見られる程度である。
アイダホの嗅覚に、情報が雪崩れ込んでくる。
木々の匂い、湿った土の香り、花の香り、倒木の腐った香り。
中にはアーコロジーの自然でも嗅いだ事のない、未体験の臭いすらもあった。
「におい……臭いだって!? 馬鹿な?! ありえない」
アイダホは驚愕した。
臭いを感じるなど、合法のDMMO-RPGではありえない。
十八禁行為や味覚と並ぶ、電脳世界における違法行為の一つの筈だ。
(幾らあの糞運営だからって、見るからにやばい一線は越えなかった……どういう事だ!?)
狼狽えるように辺りを見渡しながら、アイダホはGMコールを出そうとした。
いくらなんでもこれらは拙い。下手したら利用者すら警察の厄介になりかねない事態だからだ。
「えっ? で、出ない……GMコールが……なんだこりゃ!? コンソール画面も、システムログも出ないし……ウィンドウも消えてるじゃねぇか!!」
アイダホは混乱の中にあった。
思わず考えてる事すら口に出すぐらいにだ。
確かに今まで、プレイ中に大規模あるいは重大なバグに遭遇した事は何度もある。
その度に糞運営となじり、仲間達やフレンドと愚痴や罵詈雑言を並べ立てたものである。
しかし、今回のは尋常ではない。
明らかに違法行為である上に、ゲーム上当然あり得る筈のシステムすら落ちているからだ。
(まさか、電脳誘拐? いや、個人なら兎も角、まだかなりの人数のユーザーが居て運営も監視してるDMMO-RPGでなんてリスクが高すぎる)
なら、今この現象は一体何なのだろうか?
運営のシステム上のエラーでもなく、犯罪でもないこの現象は一体何なのだろうか。
「な、なんなんだよ……これは?」
アイダホは思わず、その場に膝をついて座り込む。
鬱蒼とした木々の間から差し込む太陽は、そんな彼をまばらに照らしていた。
森林の奥深くで午睡に勤しんでいたそれは不愉快な気配に目を覚ました。
大型の動物でもない、時たま奥に入りすぎてくる人間でもない。
それでは東に蔓延っているトロールだろうか。否。
ならばこすっからい西の蛇の異形だろうか。否。
はたまた北の水源たる湖に住まうリザードマンかトードマンだろうか。否。
それは慣れ親しんだ寝床からムクリと身体を起こした。
クンクンと鼻を鳴らす。今まで嗅いだことの無い匂いがする。
自分に許可無く縄張りへと入り込み、上書きするように自分の匂いを垂れ流す。
神聖不可侵な己の縄張りでこの様な不埒な真似事するとは。
「何者か……」
人間で言えば庭先を赤の他人が土足で好き放題に歩きまわっているような不愉快感。
縄張り意識が一際強いそれは、己の怒りを示すかの様に自慢の尻尾をしぱーんと振るう。
尻尾が巨木を薙ぎ払ったと思うと切断されメリメリと大きな音を立てて地面へと落ちた。
「不逞な……」
せっかく気分よく寝ていたところを、無粋な侵入者によって邪魔されたそれは静かに怒っている。
無論、その侵入者を見逃す気は毛頭なく、巨体を揺らしながらそれは森の木々を走り抜けていった……。
「ここは……ユグドラシルじゃないのか? ヘルヘイム、ではないよな……」
ナザリック大墳墓近辺の霧に包まれた毒沼と鬱蒼とした木々ではない青々とした木々がどこまでも連なっている森だ。
『飛行』の指輪で飛び上がって周囲を見渡してみたが、やはりナザリック大墳墓が存在したグレンデラ沼地ではない事は確かだろう。
広大な古代樹の森と山脈とその下に広がる逆さひょうたん型の大きな湖が見えた。
ついでに今居る森の側に小さな人工物の集まり……村が見えた。
『遠隔視』の単眼鏡で除くと、まるで歴史の教科書か中世RPGゲームに出てくる村人みたいなのがワラワラと居るではないか。
「……ユグドラシルの街とはなんか違うな?」
アイダホは、せっかく見つけた村に対して近寄る気にはならなかった。
今いる自分の現実というものがいまいちはっきりしてない事と、自分が異形種である事からだ。
これはユグドラシルをプレイし始めて徘徊している時に散々迂遠な嫌がらせを受けた事、PKを延々とやられた記憶があるから。
(あっちが人間で俺はダークエレメンタルだからなぁ……ん? でも、俺って中身は人間だよな。あれ? そもそもこれはゲーム……いやいや)
果たしてあれが所謂『NPC』なのか、それともゲームではない『生』の存在であるのか……正直、それを確かめるのが怖いのもある。
(でも、単純な街配属のNPCのAIってあんな細かい動作はしないよなぁ……やっぱり、本物なのか?)
100人前後の村人たちは、それぞれに行動していた。
決まった動きなど一つもなく、家畜を世話したり畑を耕す男達。
井戸の周りで野菜を洗ったり農具の手入れをしている婦人達。
更にその周りではしゃいでいる子供達。
アインズ・ウール・ゴウンのNPC達のAIは、本職のプログラマーが作り込んでいる為かなり精巧でリアリティのある動作を行う。
だが、あれらの動きはそれ以上だ。どうしても、本物の人間たちが自分の意思を持って動いている様に思えた。
(むっ……)
と、村の子供達の一人が怪訝そうにこちらを見ているので、アイダホはすぐさま降下して森のなかへと戻った。
動転している所為か、注意が足らず『不可視』のロールを使い忘れていた……初心者すらやらないようなヘマである。
(はてさて、どうしたものか……)
この様な場所に一人で放り出され、アイダホは頭を抱えたくなった。
ここが一体どこで自分はどうしてこうなって、これからどうしたら良いのかさっぱりわからない。
例え自分が人並に主体性があっても、どうしたら良いのか戸惑うのは同じ事だろう。
(たっちさんや、モモンガさんが居たらなぁ……るし★ふぁーは論外だけど)
ギルドで人を引っ張ったり、ギルドマスターをしていた友人たちが脳裏をよぎる。
彼らが居たら、きっと同じ不安を抱えててもきっといい案を考えてくれたかもしれない。
ペロロンチーノであれば、いい案はなくてもこんな鬱屈とした不安を抱えずに笑い飛ばせたかもしれない。
ああ、なんで自分は一人なんだ。
なんで、こんなゲームのアバターで訳の分からん所に放り出されたのか。解せぬ。
なんだか地響きが近づいてくる。解せぬ。
なんだか木々が倒れる音と、でかい物体が駆ける音が聞こえる。解せぬ。
身体が自然と動いてしまう。
戦闘用スキルが脳裏によぎる。
パッシブスキルと装具の付与が敵に反応して戦闘態勢を自動的に構築していく。
キャラは凄くても中身はただの市民なのに。
なんで自分はまるで歴戦の古強者の如く敵の位置が解るのだろうか。解せぬ。
『それがしの縄張りで、何をしているでござるかぁぁぁぁぁぁ!!!!!』
なんで自分は超でっかいジャンガリアンハムスターに襲われているのだろうか。
解せぬ