原作などで見なかったり聞いた覚えがないものは恐らく該当します。
ご注意ください。
自分の寝室。
差し込む朝の陽光。
あまり使わない天蓋付きベッドの天井を見上げていると、すっと誰かがこちらを覗き込んできた。
「お目覚めですか、アイダホ様」
自分の顔の、口元(?)の辺りに柔らかいものが重ねられる。
チュッと音がして、影が自分から離れていく。
サラサラと金色の髪が、自分の顔を擽っていく。
「ちくちくしました。無精ひげ、そり残してます」
彼女は、ツアレは何を言っているのだ。
自分はこの方百年位、髭を剃った覚えがない。
剃る必要も、そる部分も存在しないのだから。
いや、そもそもダークエレメンタルに毛根は存在しない筈だが?
少しだけ上半身を起こす。
乱れたシーツ、自分自身の肌色。
いや、上半身を起こした?
自分には、その様な動作は必要ない筈だ。
そしてどうした事だろう、自分自身の体に肉が存在するとは。
その肉は、自分が抱き寄せている女性の汗ばんだ背中に手を添わせている。
一体どうしたというのだ、これはなんだ?
なんで、自分は実体化している?
「こんな、幸せな朝は初めてです」
自分にしなだれかかる、白い肌と長い金髪。
潤んだ青い瞳と、上気した頬と濡れた桜色の唇。
「愛してます、アイダホ様……愛してます」
甘いツアレの囁き。
アイダホが、初めて聞く心からの愛の囁き。
思わず、ツアレの方を見やった。
彼女は幸せそうに、愛おしそうに己の裸身を抱き寄せる男を見ている。
ツアレの表情は、アイダホの感情を激しく動揺させた。
今までの人生で、アイダホは女から愛を向けられた事が無かった。
学生時代も、社会人になってからも。
学生時代で肉体関係まで至った同級生は居た。
社会人時代も、同じように近寄ってくる女達は居た。
でも、誰も彼もアイダホ本人を愛さなかった。
彼のアーコロジーにおける家柄と、金とステイタスだけしか見ていなかった。
実家との縁を求めて近寄ってくる卑しい連中と同じく、彼女らの発する愛という言葉は非常に薄っぺらかった。
リアルにおいて彼は家族にも、近しい人々にも、女達にも、誰からも愛されなかった。
たっち・みーと出会い、彼に性根を叩き直して貰わねばどれだけ荒んでいただろうか。
彼には本心から感謝し、この世で唯一尊敬している。
ただ、男女の愛という点に関しては、ウルベルトに似た嫉妬と羨望を抱いていたが。
アイダホは彼のリアルでの家族を知っている。
同じアーコロジーに住んでいたからだ。
何度か家に招かれた事もある。
幼馴染の綺麗な奥さんと、愛らしい女の子。
傍から見ていても、二人は真摯に信頼し合い愛し合っていた。
理想の、男女の関係だった。
だからこそ、その一点がどうしようもなく妬ましかった。
本物の愛に巡り合えた事に。
愛した女と結ばれた事に。
何故、自分にはそれが得られなかったのか?
付き合い方が悪いのか。
生まれが悪いのか。
容姿が悪いのか。
性格が悪いのか。
単に巡りあわせが悪かったのか。
アイダホと、たっち・みーとではそこまで違うのか。
散々考えたが、結論は出ずこの世界に放り込まれた。
そして異世界での百年間は、ひとでなしの異形になったおかげでそのことを考えずに済んだ。
(だが、これからはどうなる?)
そう思った瞬間。
甘い朝の閨での風景は一瞬にして闇に閉ざされた。
(……また夢のようなものか。生々しいものを見せてくれる)
クローゼットルームで、アイダホは揺蕩う意識から浮かび上がった。
部屋の隅々まで広がっていた自分の体を瞬時に戻し、装具の中に流し込んでいく。
人間の成人男性のサイズ、手足を細部までイメージして人体を作り上げる。
立ち上がり、装具の状態を確認し問題ないと判断した。
(まさか、百年の揺り返しで俺の精神が再び人間に近づいているとでも?)
確かに百年の時を経た今、現在の自分はかなり人間に対して情は抱いている。
転移した数年後ぐらいが、ひょっとしたら一番【ひとでなし】だったかもしれない。
その点で言えば、トブの大森林という僻地に居たのは僥倖だった。
今でなら抵抗を覚えるし自重出来る殺戮も、蟻の巣を破壊する感じで実行した可能性大だからだ。
(とはいえ、見かけも機能もやはり人外のまま。中身とアバターが一致しない弊害か?)
本来であれば、ダークエレメンタルが、人間に対しそのような感情を抱くわけがない。
設定的には偶発的に知性を得たが、それは人間種とは異なるもの、らしいからだ。
設定どおりなら、人間種との性愛など概念すらないだろう。
(だが、夢想の中でとは言え、俺の人間の体に戻っていたし、女を欲してしまっていた)
夢っぽい夢幻の中で見た、惚けた顔でこちらを見上げ愛を囁くツアレ、エルフ達。
以前の夢の中ではツアレだけでなく、あの三人のエルフメイド達とも情交をかわしていた。
彼女らを組み敷いてその雌を存分に貪る人としての己。
あれは夢だ。ただの夢もどきの筈なのだが……。
(そりゃ八欲王が溺れた挙句破滅する訳だよ。今まで俺が決定的な破綻を迎えなかった一因はこの体のおかげかもしれない。少なくとも、女絡みで破滅、というものは無かったんだから)
男女の縺れで人生が破滅する例は枚挙に暇がない。
無双の英雄が臥所での一刺しでその武勇に幕を下ろし。
公明正大な賢王が傾国の女に囚われ自国を滅ぼす。
高名な冒険者のパーティーが女の取り合いで相打ち。
鉄火場での誘惑に負けて急所を刺され敢え無く最低の最後を迎える。
この体は少なくともこの百年間、その危険性からは遠ざけてくれた。
だが、ここ数年ではどうだろうか。
はっきりと己の異常を自覚してしまった以上、それと向き合う時期が来たようだ。
(取り合えず、国造りで一息入れてから……来年位に、結論を出そう)
自分の切り札の一つである、三つのあらゆる願いを叶える指輪を思い出しながらアイダホはクローゼットルームから出た。
その日、無自覚にメイド達に素っ気なくしてしまいアイダホが自己嫌悪に陥るのだがそれは余談である。
己の館の執務室で、アイダホはせっせと卓上に散らばる羊皮紙をしまっていた。
これから来客が来るので、機密保持は勿論の事見苦しい場を見せたくないからだ。
(これもそれも、最近のオーバーワークの賜物なんだよ。やることが多すぎて堪らん。だから、あんな夢とか見てしまうんだろうか?)
大方整理を終えた頃合いで、ノックが響く。
例によって執事に案内され室内に入って来たのは蒼の薔薇の術師であるイビルアイだった。
「久しぶりだな」
「よう、イビルアイ。黒粉の件で来たのかな?」
「そんなところだ。例の麻薬の件でまた情報交換がしたくてな」
久しぶりに来訪したイビルアイは相変わらず不機嫌で、表情が仮面で隠されていても疲れたような感じがしていた。
やはり幾らかは相手が弱体化してても、数人対大組織の抗争は骨が折れる様子だ。
「了解した。またぞろ、黒粉の売買が増えて来たみたいだ。間違ってもこちらに流れ込まれたら堪らん。うちのような小国では規制と摘発は容易いが、一度蔓延されると完全駆除までに時間がかかる。瀬戸際で止めないと」
「既に蔓延しきっている王国内よりは随分とまともだぞ。こちらは下手すると取り締まる側に恨みがいく場合すらある」
「そうだろうなー。もはやまともに生きていくのすら覚束なくなりゃ、麻薬にでも手を出して現実逃避したくなる連中が後先考えずに増え続けても無理はないよなぁ。麻薬が収拾がつかなくなる程蔓延する国って閉塞感が半端ではないのがよくある。さしずめ王国はその典型だな」
「……ああ、そうだな。最近は特に酷い。今年の戦が終わったら更に麻薬の依存者が増えるんじゃないかって言われている」
「兵役経験者にも麻薬患者は多い場合がある。戦場での悪夢を消し去りたいんだろう」
近年におけるカッツェ平野での戦いは、最大でも数百人程度の小競り合いが数回発生して終わるケースが多い。
万単位の軍団が動く戦いは発生してないが、それでも死傷者が出るからにはそういった心に傷を負う兵士が多数発生するのは当然だろう。
下級の兵士を使い捨ての駒程度にしかみておらず、戦後のケアすら考えない王国であれば猶更だ。
だからこそ、未来への希望が無い王国における麻薬汚染は留まるところを知らない。
ヒルマを拉致して一時的に麻痺させなければ、麻薬の国内外での被害は更に増大していただろう。
(戦争が終わったら、彼女に提示されたプランを可能な限り早く実行しよう。他の部門は兎も角、麻薬部門だけは完膚なきまでに叩き潰す必要がある。割譲した領土が麻薬まみれだなんて悪夢にも程がある)
その後も暫く麻薬問題について情報交換し、お互いに調査資料を交換した後で一息ついた。
「そういえばイビルアイ。リグリット婆さんにゃ最近出会ったか?」
「いや、最近は姿を見せないな。ツアーの奴も同じくだ」
「そうか。俺も最近ここでの立場が出来てしまったからな。昔の長旅が懐かしくなるよ。一年の半分以上旅してたな。思えばあの頃に婆さんや君と出会ったんだ。懐かしいねぇ」
「そういわれると懐かしくなるな。あいつに蒼の薔薇に無理やり加入させられる前の話だ」
その頃、イビルアイと短い間であるが旅を共にした事がある。
200年以上の時を生きるバンパイアであるイビルアイとの旅は、彼女が旅慣れていた事もありなかなか楽しかった。
(そうだ。彼女って200年以上もアンデットとして生きているんだよな。異形とは言えエレメントと厳密には違うかもしれないけど……聞いてみるか)
数日前の事もあり、普段なら聞かない質問をアイダホはしてみる事にした。
「イビルアイ、人ならざる者になって、感覚というか、感情が変わる事って身に覚えがあるか?」
「? なんだそれは?」
イビルアイは怪訝そうに首を傾げる。
お前は何を言っているのだとばかりに。
「いや、単純に、誰かを好きになったり、恋したりとかだよ。蒼の薔薇に居るなら出会いは多いだろ?」
「……何を言い出すかと思えば。ないよ。まったく、ない」
案の定、イビルアイは呆れたような態度と仕草をとる。
イビルアイ曰く、声がかかるのはラキュースが多く、次に双子らしい。
だが、ラキュースは最強格の冒険者であり貴族の子女なので高嶺の花であり、釣り合う男はそうそう居ない。
双子は片方が同性愛者で、もう一人はショタコンという業の深さ。
イビルアイは幼女体形であり仮面をかぶっているだけあって、殆ど寄り付く相手がいないそうだ。
(なんだよ、全然参考にならないじゃないか……でも、ペロロンさんなら、大喜びで求愛しそうだよなぁ)
アイダホの脳裏に、軽薄そうなレンジャーがイビルアイを追い回す光景が過った。
なんか、
「イビルアイちゃん、今日も可愛くて俺ってば感謝感激だよー」
「ガ、ガガーラン助けてくれぇ!!」
「ああ、その嫌がる感じが堪らないっ、ご褒美ですありがとうございます!!」
「くそ、私に触るな変態っ、ラキュース、笑ってないで助けてくれ!!」
とか言いあってたりして……。
はて、こんな男……って漆黒の剣の元レンジャーじゃないか。なんであいつが。
「イビルアイ、ルクルットって知っているか?」
「誰だそれは? 知らんぞ?」
あれ、なんで奴の顔が浮かんだのだろうか。
二人して顔を傾げるアイダホとイビルアイだった。
イビルアイが帰った後、アイダホは提供された資料を見て首を捻っていた。
(……そういえば、この情報の揃え方って……うん? 似てる。どこかの資料で?)
イビルアイの言葉の数々を思い出す。
彼女の持ってくる情報は、大概ラキュースが仕入れてくるそうだ。
アイダホは法国の資料に載っていたラキュースの交友関係を思い出す。
彼女は貴族の子女であり、交友関係は宮廷にも及ぶ。
「ふむ」
アイダホは、引っ掛かりを感じた資料を取り出して開く。
この間の離宮で会談した時に提供された資料だ。
第二王子の派閥で調べた情報だと言われたが……。
「……ちょいと、カマをかけてみるか?」
「とまぁ、今頃そんな事を考えているのかしら」
「如何されましたか?」
彼女は御付きの若者に、屈託のない笑顔を浮かべた。
「何でもないわよ。それよりもこれを見て。お兄様から頂いたお茶菓子なの。初めて食べるお菓子だから、あなたも一緒に食べて感想を聞かせて?」
巨大な水面には、月の姿が映し出されていた。
その神殿の中に存在する。円状のプールのような浴槽。
円状に並ぶ石柱、磨き抜かれた大理石の床。
そして円柱を背にして立つ意匠が凝らされた全身鎧を着た女騎士達。
彼女らは鍛え上げられ、選抜された法国の騎士達。
この儀式の場の守護を担当している者たちだ。
彼女らの視線は、水面の上に浮遊している人物に向けられていた。
彼は、水面に浮かぶ月を幾分己の体で隠しながら、ただ待っている。
ぺた、ぺた、ぺた
やがて、一列に並んで進んでくる人々を、彼は、アイダホは迎える。
先頭にはこの儀式の場を執り行う最高責任者である水神官副長。
老いによる純白の髪と皺深い老婆は、アイダホの十数歩手前で立ち止まると深く一礼した。
アイダホも水神官副長に対して返礼すると、老婆の後ろに居る人物に目を転じる。
齢は十代後半だろうか。
腰まで届く長い赤髪の少女が、二人の巫女に両手を引かれながら立っていた。
その極限まで薄い薄絹で覆われた身体、そして何よりもその目は布で覆われていた。
額には蜘蛛の巣の如く頭部を糸で覆うようなサークレットが付けられている。
糸は無数の小粒の宝石、サークレットの中心は大きな青い水晶のような宝石が埋め込まれている。
巫女たちに連れられて歩く巫女の面持ちは、まるで仮面でもつけているかの様に固く表情が無かった。
それを見たフードの中の光点が僅かに細められたが、それに気づくものはいない。
「ではこれより巫女姫の代替わりの儀を行う。……水の巫女姫を中に入れよ」
巫女達が巫女姫の手を引き、儀式の場である水槽に巫女姫を誘導していく。
巫女姫と巫女の衣が水を吸い、体に張り付いてもはや全裸の如き状態になる。
それを見た光点が一瞬だけ丸になったが、厳粛な空気を読んだのかすぐに元の形状に戻る。
巫女がプールの中心に導かれると同時に、スルスルとアイダホが下りて来る。
彼もローブが水に沈むのも構わず、巫女姫の前に降り立つ。
「巫女達よ、そなたらは下がれ……アイダホ様。よろしくお願いいたしまする」
「承知した。これより、水の巫女姫の代替わりを行う。成功を、祈ってくれ」
巫女達がプールから上がるのと同時に、アイダホは巫女姫の頭部に手をかざす。
どこからともなく取り出した、色とりどりの紙をサークレットの糸の下に挟み込み始めた。
ヒトガタを模した白紙をきっちり均等に入れ込んだ後で、彼はそっとサークレットに手を添えた。
「南無ッ!!」
サークレットを外した瞬間、少女がガクガクと体を揺らし始める。
プールの水が魔力に反応したのか、ザワザワと飛沫をたて始める。
喉から唸り声のような奇声が漏れ始めた瞬間、アイダホは彼女の肢体を強く抱きしめた。
同時にアイダホの上半身から吹き出た暗黒が、巫女姫の顔を一瞬で覆いつくした。
プールの水が叩きつけられるようにして爆ぜ、半分以上が浴槽から外に押し出されてしまう。
巫女や儀仗騎士達が息を呑む声が漏れ、神官副長の鋭い叱責の声が響く。
(上手く、いってくれよ……!!)
アイダホが水の巫女姫の体を抱きしめてから数十秒が経ち……。
「あ……」
痙攣していた少女の体から力が抜け落ちる。
くたりと仰け反った巫女姫の頭部から、真っ二つに裂けたヒトガタ……
ヒトガタは水面に落ちると同時に、溶けて跡形も無く消え去った。
ポタ、ポタと辺りに水滴が滴り落ちる音が響く。
「……」
アイダホは慎重に巫女姫の上半身を起こし、吐息、心拍等を調べる。
最後に額に手を当てた後で、懐から取り出した青白く光るポーションを目を覆う布をずらしてから振りかける。
閉ざされた瞼の下で欠損した眼球が再構成されるのを確認すると、アイダホは神官副長に告げた。
「体調、問題なし。精神、衰弱するも狂気と恐怖は私の種族スキルで相殺した。両目は……お役目ご免のお祝いだ。代替わり、無事完了したぞ」
「今回も私の出番は無かったわね」
髪が白黒に分かれた少女は、アイダホの横に並んで歩きだした。
「その方がいいだろ。漆黒聖典の仕事だろうが、明らかに汚れ仕事だ。そんな仕事は少ない方がいい」
「まぁね。代替わりしたら狂っちゃうので殺す。仕方がないけど、可哀そうなのは事実だしね?」
全然可哀そうじゃない口調で、少女……番外席次は肩をすくめてみせる。
アイダホとしては、法国の非人道的なシステムを見過ごしている事への後ろめたさから。
名目上は希少な素質を持つ巫女姫を死なさずに、お役御免出来る為、なのだが。
「ねぇ、今日来たのはその子の代替わりだけじゃないんでしょ? 神官長達と何か企んでるの?」
「まぁな。そろそろ秋だから、収穫の時期について語り合っていたんだよ」
「へぇー、それって、私も参加できるの?」
彼女はルビクキューの二面が揃った時の笑顔で問い掛ける。
早いところ否定しないと勝手に期待が膨らむので、アイダホは苦々しく否定した。
「しないよ。小枝を折るのにグレートアックス振り回す奴は居ないだろ。君が欲する敗北を知れる様な血沸き肉躍る戦いじゃない」
えー、と頬を膨らませる番外席次に対し、アイダホは感情を消した声音で呟いた。
「政治ショーだ」
降ってわいた小話に気を取られて十日近く投稿できず
おいは恥ずかしかっ、生きておられんごっ!!