魔法少女リリカルなのは~ブレイジング・ルミナス~ 作:火神はやて
いよいよと中盤に差し掛かってきました。
ではでは、ほんの少しでも楽しんで頂けたなら嬉しいです。
ーー夢を見ている。
シュテルは、ぼんやりとした意識の中でそう思った。
(またこの夢、ですか……)
それは、ルイスと手枷で結ばれてから見る様になった、不可思議な夢だ。
行った事も無い、小さな田舎町の情景。
誰もおらず、何も聞こえず、命というものが大よそ消えうせた寂しい世界。
繰り返し、繰り返し。
シュテルは、何度もこの夢を彷徨っていた。
命なき石像たちで埋め尽くされた、寂しすぎるこの場所を。
「……ですが、今回はまたどうして」
シュテルは驚きと喜び、そして安堵が入り混じった溜息を吐く。
この世界に、人がいた。
道端の露店で熟れた果物を買う女性。
ガラス細工の工房には、仏頂面の老人が唸りながら調度品と睨み合っている。
そして、木の実のパイが描かれた看板の下には、多くの人で賑わっていた。
この世界が終わる前の、華々しい光景が、ある。
賑わう人々で埋まるこの景色は、初めてのものであった。
「……しかし、本当に幽霊にでもなった気分ですね」
シュテルは、ふむ、と頷いた。
どうにも、道行く人々はシュテルの姿が見えいないようなのだ。
一度として視線は交わらず、声すらも届いていないようであった。
「ーー失礼」
シュテルはパン屋に並ぶ初老の男に近づき、そっと背中に触れようとした。
だが。
「……成程、やはりこうなりますか」
シュテルの手は男性を潜り抜け、触れる事は出来なかった。
感触も感覚も無い。ただ、スッと突き抜けてしまう。
まるで立体映像の世界に紛れ込んでしまったようだ、とシュテルは思った。
「せっかく人がいるというのに、どうにも寂しいですね」
先ほどまで心地よかった喧騒が、今では逆に孤独を感じさせた。
一人でポツンと佇む孤独より、大勢の中を独りでいる方が心はキュッと締め付けられる。
シュテルが、華やかだからこそこの世界に寒さを感じていた、その時。
「ま、まってよぉ……置いてかないでぇ……」
どこか、聞き覚えのある声がした。
思わず、振り返る。
振り返らずにはいられない。
それは、聞き間違えるはずのない声。
傷だらけの身体に笑顔を咲かせ続ける、誰かの声とよく似ていた。
シュテルの視線の先、そこには、一人の少女と少年が、いた。
「もー! 何もたもたしてるのよ!! 早くしないとリコの実が売り切れちゃうでしょ!!」
少女はポニーテールに結った亜麻色の髪を揺らし、遅れる少年を待っていた。
ハツラツとした笑顔は眩しく、日焼けしても尚失われない、少女らしい可憐な細い手が振られる。
言葉だけ聞くと刺々しいが、その実どこか優しさが感じられる声色だ。
少年もそんな彼女をよく知っているのか、苦しそうに走りながらも表情は明るい。
「全く、相変わらずどんくさいんだからーー」
少女が、少年の名を、言う。
「ーールイス!」
シュテルは、小さく息を呑んだ。
少女の声の先にいる少年の顔を、どうして見間違う事が出来ようか。
それは、そう、誰よりも愛する者に他ならないのだから。
「どう、して……」
シュテルは、ルイスと思しき少年を見る。
その背格好からして、シュテルがよく知るルイスよりもずっと幼い。ナノハと同じくらいか、とどこか冷静にシュテルは思う。
けれど、年齢の差異など些細な物だ。
何よりまず、その身体に痛々しい傷痕が、無い。
戦いとは無縁なのだと分かる、どこにでもいる普通の子どもだ。
むしろ、どちらかと言えば運動は苦手としか思えない様相である。
「あぁ……」
そして何より、目の前の幼いルイスは笑っていた。
いつも浮かべていた、上辺だけの取り繕った目的のある笑顔では、ない。
優しく自然で、どこまでも温もりのある、そんな顔なのだ。
何処かが決定的に凍えきっていない、そんなシュテルの知らないルイスがそこにた。
「フィリアの足が速すぎるんだよぉ……」
ふらふらとおぼつかぬ足取りで、少年ーールイスは息を切らして走る。
足元も確認できない程に息があがっており、見るからに危なっかしい。
目の前に迫る僅かな段差にも気が付いていないようであった。
「あ、こらルイス! そこ危なーー」
少女ーーフィリアの静止も間に合わず、ルイスは出っ張りに足を取られ派手にすっ転んだ。
数秒の無言の後、すすり泣く声が聞こえてくる。
「う、うぅ……い、痛いよぉ……」
膝を僅かに擦りむいただけであったが、ルイスの目には大粒の涙がどんどん溢れていく。
立ち上がろうとせず、ルイスはペタリと座ったままさめざめと嗚咽を漏らした。
「ルイスっ……」
シュテルは無意識に駆け寄り、手を差し出していた。
だが、当然その手が取られる事はない。
ルイスからは視認されていないのだから、当たり前ではある。
だが、シュテルの胸を確かな悲しさが突いた。
夢の中でも現実でも、伸ばした手は空を切るばかりである。
「あーもう! 何やってんのよまったく!」
フィリアは悪態を吐きながらも足早にルイスに駆け寄る。
「ーーん!」
フィリアは、そっぽを向きながら左手を差し出す。
その顔は真っ赤に染まっており、照れ臭そうに唇を尖らせている。
どうやら、真っ赤に染まった顔をルイスに見られたくはない様である。
「えへへ、フィリアはいつも優しいね……」
ルイスはどこまでも嬉しそうにその手をしっかりと掴み、立ち上がる。
だが、まだ涙は引っ込まないのか、スンスンと鼻を鳴らしていた。
「あぁもう、こんな事でいちいち泣かないの! そんなんだから皆から「泣き虫ルイス」って馬鹿にされるんだから。あ、ほらここも汚れちゃってるじゃない」
フィリアはルイスの服をはたき、土埃を落していった。
厳しく叱責したわけではないが、途端にルイスの顔は曇り空に逆戻りしていく。
「う、うぅ……だってぇ…………」
「あ! ほらそうやってすぐ泣く!! まったく、アンタは……」
フィリアは得意気に頬を膨らませ、言う。
「ーーいい、何度も約束してるでしょ? 泣きたい時こそ笑うんだ、って!」
ルイスの髪を優しく撫で、フィリアは続ける。
「辛い時や悲しい時だからこそ、笑顔になるの。泣いてねだっているだけじゃ、どこにも行けない。だから、笑顔で前に進む! 幸せは自分で掴みにいかなくっちゃ」
「うん……泣きたい時こそ、笑う……」
ルイスはフィリアの言葉を繰り返す。
それは、二人の間で交わされた約束。
いつも泣いてばかりいるルイスに、幼馴染であるフィリアが渡した魔法の言葉。
ルイスは涙を流す度にこの合言葉を口にしていた。
そうやって笑うとフィリアが安堵の顔になる。それが、彼には堪らなく嬉しかったのだ。
「だから、ね。ルイスも笑って! 涙なんか見せちゃダメなんだからね!」
フィリアの言葉に、ルイスはぎこちなく笑顔を作った。
半分泣き、半分笑う。
まだ笑顔を作り慣れていない、不格好な物。
ルイスがそんな拙い笑顔を無理やり作った、その時。
「ーーふふ、相変わらず仲がいいね」
凛、と声がした。
シュテルも振り返る先、そこには一人の少女がいた。
澪を思わせる、白く透き通った真っ直ぐで長い髪。
無防備な白にうっすらと薄紅が浮いた、雪と見紛うきめ細やかな肌。
純白のワンピースからはスラっとした手足が伸び、白磁を連想させる。
何もかもが白い、玲瓏の少女。けれど、その双眼は紅玉の様に妖しく、美しく煌いていた。
「ーーーー」
シュテルは思わず、息を呑んだ。
まるで絵画から抜け出てきた様な、ゾッとする美しさ。
その少女は、この世の者とは思えない可憐さがあった。
「ねぇねぇ、フィリアはもしかしなくてもルイスが好きなのかな?」
ころころと、雪の少女は笑う。
人を寄せ付けない雰囲気とは真逆に、人懐っこい笑みだ。
「ば、ばばばば、ばっかじゃないのアイリス! そんなわけないじゃない!!」
「えー? じゃあ私がルイスを貰っちゃってもいいの?」
「え、や、だ、だめ! それはだめ!!」
「あはは、うん、フィリアはやっぱり可愛いなぁ……」
アイリスと呼ばれた雪の少女は、フィリアの頭を愛おしそうに撫でる。
二人のやり取りの意味する所を分かっていない様であったが、ルイスも柔らかく自然な笑みに戻っていた。
「アイリス、あんた相変わらずいい性格してるわね……」
からかわれていたのだと気付き、フィリアはジトっとアイリスを睨む。
一方のアイリスはそんな視線を知ってか知らずが、飄々とかわす。
「ふふ、褒め言葉として受け取るよ。ところで、急がなくていいのかな? リコの実は大人気だからすぐになくなるよ?」
「……あ、いっけない! 早くしないと売り切れちゃう!」
フィリアはルイスの手を引き小走りで向かう。
アイリスはそんな二人の横に並び、口元を緩ませる。
「リコの実、買えるといいけれど。ルイスが焼くリコのパン、正直お店のより美味しいと思うからね」
「そ、そうかな……? なら、嬉しい、なぁ……」
「私は嘘はつかないさ。確か、ルイスは将来パン屋さんになるのが夢だったかな? うん、だとすると納得の味だね」
「う、うん。でも、僕なんかがなれるかは分からないけど……」
「いやいや、ルイスの焼くパンは間違いなく絶品さ。ルイスの料理は何でも美味しいけれど、パンは別格。神に愛された舌を持つと私は思うね」
「お、大袈裟だよアイリス……。でも、ありがと。君にそう言われると、不思議と夢が叶いそうって思えるよ……」
「ふふ、ルイスが毎日必死に料理の練習をしているのは知っているからね。私は、頑張る君を見ているのが好きなんだ」
踊る様に先頭に立ったアイリスは、本当に楽しそうに笑っていた。
まるで、今まで忘れていた笑顔を取り戻した様に。
心地の良い安堵に花は咲き、全身で嬉しさを表現する。
つられて、フィリアとルイスも笑みをこぼしていた。
「…………」
シュテルは、その光景にふっと頬が緩んでいた。
ただ、無性に嬉しかったのだ。
この夢が、どういった物なのかは分からない。
本当にただ、自分の欲求が生み出しただけの夢想か。
だけれど、どうか、せめて。
ルイスが楽しそうに笑う、そんな世界があった事を思うだけで、たまらなく嬉しかった。
「ええ、そうです。例え私がそこにいなくとも。貴方が、貴方がそうやって笑うのであれば……」
シュテルは、夢から覚めるその時まで、楽しそうに笑う三人を眺めていた。
ズキリとした、寂しさを抱えながら。
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「おはよう、シュテル」
「……ん」
シュテルを小さく揺すり、ルイスは柔和に微笑んだ。
「珍しいね、シュテルが時間通りに起きないなんて。アラームは止めておいたよ」
「……すいません、ありがとうございます」
泣き腫らした赤い目に気が付き、ルイスは僅かに眉根を下げた。
昨晩のやり取りを考えれば、シュテルが泣く理由は一つしかないからだ。
ルイスはけれど言葉は作らず、くっと手に力を籠めるだけであった。
「……さ、て。そろそろ支度をしないとね」
「ええ。ではルイス、失礼します」
シュテルはルイスの気まずさを理解するも、それに触れる事は無くどこか飄々と返す。
強がりとはまた違い、むしろルイスより今の状況を受け入れている様であった。
シュテルはルイスの手をそっと握り、トリガーとなる魔法名を口にする。
「ーーバニシング・ルイス」
なのは達とも協力して製造した魔法、バニシング・ルイス。
それは、対象に触れている間だけ、五感を奪う魔法だ。
主に着替えやトイレ、そしてお風呂に入る際に使用してる。
好意を寄せているとはいえ、恥ずかしいものは恥ずかしいのである。
常に身体の一部を対象と接触させる必要はあるとはいえ、実戦にも応用が出来る魔法といえた。
もちろん、目くらまし程度の効力しか無いが、それでも十二分に応用の効く有用な魔法となるだろう。
シュテルは時間を見つけては、この新魔法を戦闘用に昇華出来ないかと、日々研究していた。
おそらく、ルイスがきっかけで創造した魔法だからか。使うだけで、どこか胸の奥が温かくなるのである。
「ーー終わりました」
シュテルは魔法を解除し、ルイスへと向き直る。
黒のショートパンツに、白を基調としたディープスリーブのブラウス。
任務の為に動きやすさを重視しつつも、御洒落もしっかりと残した服装だ。
普段のシュテルは、どちらかと言えばあまり着飾る方ではない。
兎にも角にも機能性を尊重し、女の子らしい格好は稀だ。
それもまたシュテルらしく似合ってはいるのだけれど、周りはやはり勿体ないと言った声が多くある。
件のこの服も、ディアーチェが強引に買い与えたものであった。
さらに、今日は。
「……ん? 珍しいね、それ」
ルイスはシュテルの右胸の辺りに付けられたブローチに目を止めた。
四つ葉のクローバーをあしらった、合金製の台座。その中心に、赤くひと際輝くラインストーンがある。
シュテルが、しかも任務中にこういった装飾品を付ける事は非常に稀だ。否、今までは一度としてなかった。
「えぇ。以前、ユーリから頂いた物でして。ディアーチェとレヴィも、同じデザインの物を持っています」
「へー、いいね、可愛いよ。赤の宝石ってのもまた、シュテルによく似合ってる」
「…………」
うんうん、と頷くルイスに、シュテルは無言で俯いた。
その顔は真っ赤に染まっており、思わずにやけてしまうその顔を見せるのが恥ずかしいようである。
「シュテル……?」
とん、とシュテルは顔を上げずにルイスに軽く抱きついた。
ルイスは抱きしめ返すわけにもいかず、その手は所在なさげに空に揺れる。
「いつの日か……」
シュテルはルイスの戸惑いを知ってか知らずか、ハッキリと言葉を続ける。
「いつの日か、貴方に振り向いて貰える様に努力します」
抱く腕に、力を込めながら。
「なので、覚悟してください」
表情は変わらず、けれどほんのりと頬は染まる。
シュテルは一人頷き、茫然とするルイスから体を離した。
「さて、では行きましょうか」
「え、あ、う、うん……」
まるで何事も無かったかの様にシュテルは歩き出し、ルイスもそれに続く。
夢の中で見たルイスをいつか現実でも見たいと。
シュテルの心に、新たな灯が宿っていた。
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「おはようございます、ディアーチェ」
「おはよー」
シュテルとルイスが居間の扉を開けた先、ディアーチェが珈琲を啜りながら新聞を手にしていた。
「……うむ、おはよう」
ちょうど読み終えたらしく、ディアーチェは新聞を丁寧にたたんでいく。
ついで、空になった珈琲カップを流しに置く為、ディアーチェはゆっくりと立ち上がる。
(……)
チラリ、とディアーチェはルイスとシュテルへと視線を送る。
泣き腫らしたシュテルの赤い目と、どことなく距離感に違いのある二人。
ディアーチェでなければ読み解けない極々わずかなシュテルの変化。
少し顔を顰めるも、ディアーチェはシュテルの頭にポンと手を置いた。
「ディーアチェ……?」
「何も言うでない。こういう事は、誰を責めるものでもなかろう」
シュテルは小さく震え、小さく「はい」と頷いた。
ディアーチェがルイスに鋭く視線を送った、その時。
「おっはよーー! 今日も晴天! 快晴! 僕元気!!」
「おはよぅございますぅ…‥」
レヴィがどこまでも元気な挨拶と共に扉を勢いよく開けた。
その後ろでは、ユーリが眠気眼を擦りながら小さく欠伸をしている。
レヴィが両手を広げてクルクルと踊りながら居間へ入るや否や、シュテルの胸元に光るブローチを目ざとく見つける。
「お! シュテルんがブローチしてる! じゃあ僕も僕もー!!」
レヴィはそのまま元来た道を勢いよく戻っていく。
狭い室内でも何のその。レヴィは可能な限りの速力で廊下を駆けていった。
「……全く、少しは落ち着いてはどうだ」
ディアーチェがため息交じりに首を振る最中、器用に走るレヴィが早く戻ってきた。
その胸には、シュテルと同一のデザインのブローチが輝いている。
唯一異なる点は、宝石の色が青という点だろう。
「ねぇルイス! どうどう? カッコいいでしょー!」
ふふん、と鼻息も荒くレヴィは胸を張る。
レヴィは誰よりも早く、ルイスにブローチを見せつけた。
その事にディアーチェは僅かに顔を顰め、無表情のシュテルへ思わず視線を投げてしまう。
シュテルはそれに気が付いてか、寂しそうに頷きを返すだけである。
「うん、青はやっぱりレヴィの色だね。凄く似合ってるよ」
「えっへっへ~」
レヴィは嬉しそうに頬を緩ませ、ほんのりと頬を赤く染める。
子どもが宝物を褒められて嬉しい、という単純な感情の他に、別の何かがそこにはあった。
「ほれ、お前たち。さっさと朝餉の支度をせんか」
「あ、はーい!」
ディアーチェはそれぞれのカップを食器棚から取り出し、コトンとテーブルに置いていく。
レヴィもそれに続き、箸と食器を綺麗に並べる。
忙しなく、そしてそれぞれの感情を胸に隠しながら、王家の朝食の準備は進んでいった。
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王家では、全員でご飯を食べるという暗黙の了解がある。
彼女たちが辿った今までを思えば、それは当然とも言えた。
安全で心穏やかに、思い思いの笑顔で食卓を囲う。
そういう、「普通の幸せ」を彼女たちは噛みしめながら手を合わせるのだ。
「ーーいただきます」
願わくば、この時間がいつまでも続く様にと切に祈りながら。
食卓には味噌汁と白米、漬物に焼き魚とオーソドックスな日本の朝食が並ぶ。
ディアーチェは和食から洋食まで完璧にこなす腕を持ち、栄養バランスもしっかりと考えられていた。
委嘱魔導師の任務その全ては、一朝一夕なものではない。
だからこそせめて体調は万全に、とディアーチェは口にこそしないが、料理に熱をいれるのだ。
手にした幸福を決して逃がさまいと、掴み続ける為に。
「うん! 今日も王様のごはん美味しい!!」
どこかうっとりとしながらレヴィが大きく口を開け、パクパクと焼き魚を頬張る。
「そんなにがっつくでない、レヴィ。少しは落ち着いて食べよ」
レヴィの汚れた口元を、いつもの様にディアーチェはハンカチで拭う。
されるがままで笑顔のレヴィ。
この穏やかな時の流れが、ディアーチェは堪らなく好きだった。
だが、それが薄氷の上に存在しているものだと、どこか忘れてしまっていた。
「ーーーーッ!?」
それは、何の前触れもなく起きた。
王家を中心に、封時結界が展開したのだ。
同時に、王家に元より張り巡らされていた防御結界が上書きされ、完膚なきまで破壊された。
王家の結界は外敵からの防衛機能であり、何よりユーリの暴走を防ぐ措置としてあった。
当然、生半可な魔法では突破不可能な構造となっており、さしものディアーチェであっても破壊には骨が折れる代物である。
それが、いとも容易く壊されていく。
「ーーッ」
これには、王家の面々も流石に動揺を隠せない。
その、僅かな心の揺らぎの最中、ソレは来た。
バリン、と硝子の割れる音。
窓を突き破り、高速で射出された「何か」がレヴィ目がけて放たれたのだ。
それは鞭を思わせる黒の紐であり、先端は肉を抉り取るに足る鋭利さを持っていた。
それが、正確にレヴィの喉元を目がけて奔る。
「ーーっく?!」
反射的にレヴィは体を捻り、直線軌道の一撃を辛くも躱す。
だが、僅かに掠れたソレが右胸に付けていたブローチを吹き飛ばしていた。
青の煌きを軌跡に、ブローチは床を滑る。
「ーー今のなに?!」
レヴィは翻す体が着地する直前、流れる様にバリアジャケットに換装。
デバイスも起動を済ませ、臨戦態勢を早くも完成させる。
戦闘に沈んでいく思考は、だが一瞬停止する。
「……王様のご飯が」
レヴィが避けた先、そこには朝食の乗るテーブルがあった。
「何か」が命中したテーブルは、中程からボキリと拉げ、当然料理は床にぶちまけられる。
「…………許さない」
レヴィの目には、明確な怒りが灯っていた。
普段と異なる暗い口調を隠そうともせず、「何か」が射出されたと思しき方へ翔ける。
当然、内壁が遮蔽物として立ち塞がるが、バルニフィカスの一振りでそれも紙が如く切り裂かれる。
「ーーーレヴィ!」
外へ駆け出るレヴィを追って、叫ぶシュテルとルイスも数拍遅れて走る。
ディアーチェは万が一に備え、ユーリを背へと隠しシュテル達の後へと続いた。
「やはり、コヤツか……」
最後に家を出たディアーチェの口が、苦々しく歪む。
そこに佇むは、黒の異形。
四足歩行でいて、その全てが漆黒で形成された、黒き獣。
影がそのまま実体を持ったかの様なソレは、揺ら揺らと不規則に揺れている。
異常に伸びた尻尾が地面にダランとついており、先端には禍々しい矢尻が聳えていた。
ガリガリと、ソレが振れる度に地面が削れ、耳障りな音がする。
どうやら、先ほどの「何か」は、黒獣の尻尾に当たる部分らしかった。
「ーーーーッッ」
王家の面々を認識して、黒獣が声にならない叫びを上げた。
咆哮とも、悲鳴とも聞こえる音は、ザラリと鼓膜を震わせる。
「……ルイス」
「…………」
シュテルは肌が粟立つ事を自覚する。
禍々しい魔力の密度が、以前の黒獣とは比べ物にならない。
かつてナノハと対峙した時以上のプレッシャーが、丹田に重く圧し掛かる。
そして何より、直観的に分かる。纏う雰囲気が、どこか決定的に異なる、と。
(これは、油断など微塵も出来ませんね。いいえ、ですが、何よりーー)
シュテルは、静かに佇むルイスをチラリと見る。
変わらずある笑顔は崩さずに、だが僅かに殺気が漏れ出ている。
かつて、公園で黒獣と対峙した時と同じ。
どこか嬉しそうに、狂気の炎を双眸に宿す姿がある。
(貴方は、またそうやって……)
思い出すのは夢に見た無垢な少年。
屈託のない澄んだ笑みと目の前の青年が重なり、シュテルの心は寒々しく震えた。
「……あぁ、次は此処なんだな」
熱の帯びた目で、ルイスは譫言の様に呟く。
隣りで彼を思う少女がいる事などすっかり忘れ、考える事すらしない。
あるのは、ただ目の前の黒の獣をどう撃ち滅ぼすかという一点のみ。
シュテルもそれは苦々しい程に理解出来ている。
だからだろうか。
つい、とシュテルの口は無意識に動いていた。
「ーー貴方は誰ですか?」
シュテルは、じっとルイスの瞳を見上げる。
自分の言葉に驚きこそすれ、けれどそれが不思議と見当違いだとは思えなかった。
目の前の青年は、そう。
味音痴だけれど手先は器用で、驚く程に寝相が悪く、意外に小食で。
律儀で、大雑把で、いつも髪がボサボサで……。
争いとは無縁の道を歩むべき、どこにでもいる普通の青年であるべき人なのだ。
だから決して、盲目的に自死に突き進む今の彼が「本当」であるはずがない。
そんな死に塗れた笑顔をしていいわけがないのだ。
「……急にどうしたんだい、変な冗談に付き合っている状況じゃないけど」
「いいから、答えて下さい」
有無を言わせぬ程に、シュテルの言葉は強く重かった。
そこに「覚悟」を認め、ルイスは静かに口を開く。
「……。知っていると思うけれど、僕の名はルイス=シュヴァングというらしいね」
「あぁ、そうですか。ですが、私の知っている貴方とはまるで別人ですね」
「あのねさっきから何を……」
「貴方、今どんな顔をしているか、分かっていますか?」
「…………」
押し黙るルイスに、シュテルは構わずに続ける。
今この問答こそが、彼女にとっての「闘い」なのだ。
「ここで止めなければ、貴方はまた無茶をするのでしょう。いいえ、貴方自身は無茶だとすら思っていないのでしょうね」
あの夜の公園。
血の海に沈む彼を思い出し、シュテルはその手に力を籠める。
「ですが、忘れないでください。貴方を慕う者にとってそれは、酷く悲しく腹立たしいものであるという事を」
徐々に語気が荒くなる事をシュテルは自覚する。
今はこんな問答をしている場合ではないと理解はすれど、言葉は止まらない。
「…………」
後ろにいるディアーチェも、このやり取りの「意味」を知ってか制止する素振りはない。
シュテルはそれに感謝し、続ける。
「……約束、覚えていますか? 何よりも自分自身を大切にするべきだ、と」
「さて、そんな事も言ったかな」
唸り声を上げる黒獣からは視線を外さず、ルイスは明らかにはぐらかした。
うんざりだ、とあからさまに不満を隠そうとすらしていない。
「……貴方は、本当に優しい人ですね」
だが、シュテルはどこまでも嬉しそうに、そう返した。
頬は少し緩み、柔和に赤く染まる。
「今のやり取りでそう思うのかい?」
「貴方が多くを語らないのは、必要以上に巻き込みたくないからでしょう? これでも一番近くで貴方を見ていたのです、それくらい分かります」
「……買いかぶり過ぎだよ」
シュテルは不思議と確信があった。
肝心な事は何も話さない彼ではあるが、その根底に捨てきれない優しさが隠れているのだと。
非情であらねばならないと自分に言い聞かせる、不器用な心があると思えてならないのだ。
「ルイス、私はもう一度誓いましょう。この先何があろうと、貴方の傍に居ると」
シュテルは、寂しさを隠し微笑んだ。
「貴方にこの気持ちが届かなくとも、私は味方でありたいのです。例え、そう例え誰を敵に回したとしても、私は貴方の味方であり続けます」
思わず泣きそうになるのを堪え、言う。
「ですから、ですからどうか……」
どうしても伝えたい言葉を、遠慮も無く、言う。
「……もっと、私を巻き込んでください」
「君は、全く本当に……」
ルイスは、視線を動かした。
前から、横に。
すぐ傍で熱を帯びた視線を向ける、少女へと。
「…………」
ルイスは当惑している自分自身にこそ、驚いていた。
いつもしていた様に、のらりくらりと躱せばいい。ただそれだけですむ事ではないか。
だが、どうにも口が動かない。
目の前の「本物」に対し、どうして偽る事が出来るだろうか。
それは、長らく彼が触れる事のなかった、純粋な好意そのものだった。
冷めた目で、思う。
何故、この子はこんなにも、真っ直ぐな目をしているのだろうか、と。
どうして、彼女を見ると心がこうも乱れるのか。
ルイスは、思わず目を逸らす。
この青い瞳を、自分が見てはいけないのではないか、とそう思えたのだ。
(もしこの子が、本当の僕を知ったら……)
ルイスはそこでハッと息を吐く。
らしくない思考だと頭を振り、浮かんだ希望と躊躇いを外へと追いやる。
いつもの笑みに戻ったルイスは、再び目線を黒獣へと向けた。
「……アイツは「僕」が倒す。それは譲らない」
絞り出した言葉は、明瞭な答えになってはいない。
けれど、シュテルはそれすら分かっていたのか、強く頷いた。
「ーーいいえ。「私たち」で倒すんです」
「……君、思ってたより頑固だよね」
「はて、そうですか? 褒め言葉として受け取っておきます」
ルイスの仄暗い炎が燻り続けている事を、シュテルは理解している。
いくら言葉を並べた所で、止まるはずが無いという事も。
けれど、今は伝え続ける事しか出来ないのだと。
言葉と行動で、いつか。
水底より遙か上で、共に咲ける様に、と。
(いつか……いえ、きっと……)
「闘い」を終え、シュテルは小さく息を吐いた。
そして対峙すべき漆黒の獣へと、鋭い眼光を向ける。
「ーー行きましょう、ルイス」
シュテルとルイスは、同時に足を前に踏み出した。
15話に挿絵を追加しました。
記念すべきファーストキス。やはり絵が欲しかったという個人的な熱が昂ぶりマン。
そういえば、正月早々に体調を崩していた時に書いていた、なのはとシュテルの二人からひたすらに甘やかされるSSあったなとファイルを整理して思いだした所です。投稿するかは分かりませんが。需要あれば。
それでは、読んでいただき本当にありがとうございました。