魔法少女リリカルなのは~ブレイジング・ルミナス~   作:火神はやて

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今回はシュテルさんお休みです。
はやく登場させたさ。次回にはきっと。

ではでは、ほんの少しでも楽しんで頂けたなら嬉しいです。


第18話 追憶と安寧と来たる幕切れ 前編

 

「ーーやぁ!!」

 

 

 

 月が夜を照らす遺跡の廃墟で、少年が剣を振る。

 

 少年は泣いていた。

 

 流れる汗と涙も拭わずに、一心不乱にデバイスで空を切る。

 

 型も何もない稚拙なただの素振り。

 

 だが、彼にとっては魔法戦の特訓のつもりなのであった。

 

 

 

 少年の名は、ルイス=シュヴァング。

 

 世界名「リーヴィゲイタ」の小さな村、「リーリオ」に住む、9歳の少年だ。

 

 

 

 いまだ管理局が観測出来ていない数多有る世界の1つ、リーヴィゲイタ。 

 

 リーリオはそんな世界の南の果てにポツリとあった。

 

 海と山に挟まれ、自然の恵みはとても豊かだ。

 

 同時に陸路と海路の往き来がし辛く、どうにも発展していく先のない場所でもある。

 

 だが、リーヴィゲイタでも随一の歴史ある町であり、始まりの正式な日付すら分かっていないのだ。その為、リーリオの人々は伝承や御伽噺を何よりも大切に扱っていた。

 

 また、リーリオ近辺にのみ自生する「リコの実」は特産品として幅広く認知されている。

 

 なかには、長い道のりを経て買い付けに来る行商人もいる程であった。

 

 のどかで、静かで、ゆっくりとした時間が流れる、平和な場所。

 

 

 

 そんなリーリオの外れの岬。今、彼はそこにいる。

 

 そこは、かつて遺跡があったとされる場所。

 

 敷かれた石畳は罅割れ、そのあちこちから草木が伸び、閑散としている。

 

 遙か昔に放置されたその空間には、不自然な程に、何もない。

 

 建造物はおろか、まるで一切合切を削り取られたかの様に、果てしない無が続いているのだ。

 

 

 

 そして、その中心。 

 

 遮蔽物が何もないその場所の真ん中に、巨大な穴が開いていた。

 

 まるで怪物の口を思わせるそれからは時折、風がびゅう、と鳴っていた。

 

 それが得体の知れない唸り声にも聞こえ、誰しもに不安を覚えさせるだろう。

 

 

 

 大穴はどうにも人工的に造られた物であり、綺麗な円形に縁どられていた。

 

 だが、至る所が風化し、崩落している。

 

 単純に危険な場所という事もある。けれどそれ以上に、リーリオの人々はこの場所には決して近寄らない。

 

 

 

 曰く、その下には神が住まう神聖な世界がある、と。

 

 

 

 遙か古より受け継がれ続けているその伝承。 

 

 大人たちは何かに怯え、そして同時に敬い、近付こうとはしない。

 

 

 

 だからこそここは、彼のお気に入りの場所なのであった。

 

 

 

 ここでは泣いても誰にも聞かれない。

 

 惨めな姿を晒す事もない。

 

 約束を破る姿を、見せる心配もない。

 

 ここはルイスにとって秘密の訓練場であり、心を逃がす場所でもあった。

 

 

 

「ーーう、うぅ! くそぉ、くそぉ!!」

 

 

 

 少年、ルイスにはある特徴があった。

 

 それは、「リンカーコア」に関する異常。

 

 生まれながらに運命を縛る、ある種の呪いが彼にはあった。

 

 

 

 リンカーコア。 

 

 それは、魔導師の魔力の源泉であり、魔法世界に住まう殆どの生物が有する物。

 

 大気中に溶け込んでいる魔力素を取り込み、蓄積させる器官である。

 

 また、貯め込んだ魔力を外部へと放出する事も出来、つまるところ魔法を行使するにおいて必須の存在だ。

 

 そして、このリンカーコアの性能が、魔力資質に直結しているのだ。

 

 如何に優れた計算能力や教養があっても、エンジンたるリンカーコアが極小では、十二分に魔法を振るう事など出来はしないのだ。  

 

 また、リンカーコアの優劣は、先天的に決まっている。

 

 それはつまり、魔導師としての根柢の力は、生まれながらに決定づけられているという事なのだ。

 

 どれだけの魔力を蓄積できるか。如何に効率的に変換できるか等々、努力では決して埋まらぬ壁が、出生と同時に定まっている。

 

 

 

 勿論、魔力量の差だけで、魔導師としての優劣が決まるわけではない。

 

 だがそれでも、希っても得られぬ明瞭な「差」であることに変わりはない。

 

 その隔たりを超える為、様々な技術体系が生まれ、魔法は多様化の道を辿ったのだ。

 

 

 

 理不尽なまでの、覆せない才能の壁。

 

 この器官を憎らしく思う凡才もいれば、あるいは感謝する天才もいるだろう。

 

 

 

 そんなリンカーコアに影響を及ぼす、とある病があった。

 

 

 

 名を、「魔力核全失症」。

 

 

 

 リンカーコアを持たずに生まれてしまう、稀代の大病。

 

 そんな奇病を、ルイスは抱えていた。

 

 

 

 絶対数が限りなく少ない病気であり、根本的な治療はおろか、解決の糸口すら見つかっていない。

 

 魔法が全ての基盤となるこの世界において、この病が如何に大きな影響となるかは、想像に難くないだろう。

 

 

 

 例えば、魔力を感知し起動する道具の一切合切を彼は動かす事すらできない。

 

 誰しもが当たり前にできる全ての行動が、大きく制限されてしまうのだ。

 

 

 

 魔法を使える事が「普通」の世界において、例外たる彼を受け入れる土壌は、無い。

 

 その為、彼は常に浮いていた。

 

 揶揄する者、もしくは同情する者、必要以上に庇う者。

 

 

 

 誰も、彼自身を見はしない。「魔力を持たない」というフィルターにかけてしか、理解しようとしない。

 

 魔法世界において魔力を持たないとは、それだけ異端なのだ。

 

 

 

 では、そんなルイスが魔法戦を行う事が出来るだろうか。

 

 否。 

 

 決して、出来るはずなど無い。

 

 魔法が使えないという事は、デバイスの起動はおろか、バリアジャケットを生成する事も出来ないのだ。

 

 相手の鎧を打ち抜く術はなく、それどころかこちらは生身を常に晒す事になる。

 

 こんな状態で、如何様に戦えばいいというのであろうか。

 

 

 

 だが彼は、「そこ」を目指した。

 

 

 

 事実、殆どの人は、彼を肯定する事はしなかった。

 

 危険で、無駄で、無意味な努力だと、諭した。

 

 それでも、彼は魔法の特訓をやめる事はしなかった。

 

 「正論」をぶつけられたとしても、やらねばならない「理由」があった。

 

 

 

「…………ッ」

 

 

 

 ルイスは、吐き出しそうになった弱音と血の味がする唾を飲み込み、再びデバイスを握る。

 

 彼が戦わねばならぬ「理由」を、逃さまいと必死で握りこんだ。

 

 

 

 彼の持つデバイスは、魔力を流し込む事でその威力が増す、簡易なストレージデバイスだ。

 

 だが彼にとって、これはただのデバイスではない。

 

 これは、彼の幼馴染である少女、フィリアとの思い出そのものなのだ。

 

 

 

 フィリア・アルデフィア。

 

 ルイスと同じ9歳の少女であり、幼馴染。

 

 お互いの両親が懇意にしていた事もあってか、ルイスとフィリアは、いつも一緒であった。

 

 活発で明朗な性格をしており、自然と皆の中心となる、そんな女の子。

 

 ルイスとは特に仲が良く、いつもどこへでも、二人は一緒にでかけていた。  

 

 彼女はルイスにとって特別な友人であり、そして何より、彼をそのままに受け止める存在だった。

 

 フィリアは彼を魔力を持たない少年ではなく、「ルイス=シュヴァング」として接した。

 

 意識しての事ではない。彼女にとってそれが「普通」なのだ。

 

 ルイスにとってはそれだけで、フィリアは特別な存在だった。

 

 周りの「普通」が憎らしく、捻じ切れる程に悔しく。壊れそうな時に出会った、唯一無二の理解者なのだ。

 

  

 

 

 

 だが、フィリアとルイスには、決定的な差があった。

 

 

 

 それは、魔法の才能だ。

 

 

 

 高効率に動くリンカーコアに、天性の格闘センス。

 

 そして複雑な術式を理解できるだけの教養。

 

 9歳にして、周りの大人たちを圧倒するだけの魔法を、彼女は誇っていた。 

 

 陳腐な表現ならば、まさに天才。

 

 

 

 いつからか、気がつくとルイスは彼女の後を追っていた。

 

 かつては横にいた少女。初めて、本当の意味で隣にいてくれた少女。

 

 その背を、縋る様に求めていた。

 

 勿論、フィリア自身が変わったわけではない。

 

 才能の有無で、ルイスを想うフィリアの心境に変化は何一つない。

 

 

 

 だが、ルイスは明確な劣等感を抱いた。

 

 それは鬱屈とした感情ではなく、寂寞とも言えるものであった。

 

 自身の境遇と、抗いようのない無力感。

 

 また、隣に誰もいない日々に逆戻りするのかと、心が震えた。

 

 

 

 何年か前に、フィリアと共にせがんで買って貰ったお揃いのデバイス。

 

 複雑な表情していた両親の心境も、今となっては良く分かる。

 

 

 

 それでも彼女の隣に再び立ちたくて、彼はデバイスを握る。

 

 だが魔力を持たない彼にはデバイスを起動させる事すら出来ず、それは最早ただのナイフと同義であった。

 

 

 

 そしてフィリアも何故か、このお世辞にも性能が良いとは呼べないデバイスを、ずっと使い続けている。

 

 どんなに高価なデバイスをプレゼントされても、決して手を離す事はなかった。 

 

 彼女は何も言わない。

 

 それが当たり前の事なのだと、ただ彼を信じて待っているのだ。

 

 

 

「……僕は」

 

 

 

 何時間、ここで素振りをしていたのだろか。

 

 空の真上には煌々と星の光がある。

 

 

 

 ルイスは、ぼうっと手を止め天を仰いだ。

 

 

 

 分かっているのだ。

 

 どこかで、自分は諦めてしまっているのだと。

 

 努力で打破できない壁を前にして、心が折れているのだと。

 

 微かに残っていた、無くしてはいけない何か。

 

 零さないように握りしめているつもりだった。

 

 

 

「あぁ、やっぱり僕は……」

 

 

 

 けれどそれを認めたくなくて。

 

 どうしても、もう一度彼女の隣に立ちたくて。

 

 こうして、出鱈目に剣を振るう日々。

 

 いや、特訓というまやかしの中にいなければ、二度と立ち上がれないと分かっているのだ。

 

 こうして「何かをしている」自分でなければ、停滞し、淀んだ現実から目を背ける事すら出来ない。

 

 前に進んでいる様で、小さな一歩すら踏み出す事すら許されない、そんな自分を忘れる為に、今彼は剣を振るうのだ。

 

 

 

「ーーはは、は……」

 

 

 

 ルイスは、自身の血が刷り込まれたデバイスを見る。

 

 何だか自分がとんでもない間抜けに思えて、ルイスは袖で涙を拭った。

 

 

 

「でも、それでも……」

 

 止まるわけにはいかない。

 

 ここで座り込んでしまうと、もうきっと二度とデバイスを持つことすら出来ない。

 

 意を決し、ルイスがもう一度デバイスを振ろうとした、その時。

 

 

 

 ーーズシン、と地面が大きく揺れた。

 

 

 

「う、わ……!」

 

 

 

 バランスを崩し、ルイスは前のめりに転んでしまう。

 

 同時に大切なデバイスが手から離れ、大穴へと真っ逆さまに滑り落ちていった。

 

 

 

「あっ……!!」

 

 

 

 夢中で駆け寄り、奈落を覗き込む。

 

 だが当然その先には闇があるだけで、デバイスが落ちた音すら聞こえない。

 

 

 

「あ……あ……」

 

 

 

 光さえも呑み込んでしまいそうな暗闇に手を伸ばすも、当然デバイスには届くはずもない。

 

 びゅう、と虚しく風の音がするばかりである。

 

「…………」

 

 

 

 物言わぬ穴の底を眺め、ルイスは言う。

 

 

 

「……行か、なくちゃ」

 

 自然に自分から出たその言葉に、ルイスは驚く。

 

 普段であれば決して行わない思考で、けれどすんなりとそう思えたのだ。

 

 

 

 怖い、と正直に感じる。

 

 底の見えぬ穴蔵という以上に、得体の知れない気配に思わず喉が鳴った。

 

 だが、落としてしまったデバイスは絶対に無くしてはいけないもの。

 

 何があっても、手放してはいけない。ルイスにとってはお守りであり、全てなのだ。

 

 

 

「泣きたい時こそ、笑う……笑う……」

 

 

 

 ルイスはいつもの「おまじない」を口ずさむ。

 

 それはフィリアとの約束。

 

 些細な事ですぐに泣いてしまうルイスを想い、交わされたもの。

 

 ルイスは一向に守れてはいないけれど、それでもこの約束があるからこそ、前を向く気持ちは確かに芽生えていた。

 

 目の前に広がる暗がりの巨大な穴。

 

 生唾を飲み込み、ルイスは大口を開ける暗闇に足を向ける。

 

 梯子や階段といった物は当然ない。

 

 あるとすれば、壁に生い茂る蔦と草花だけ。

 

  

 

 意を決し、ルイスは出来るだけ太い蔦を掴み、下へ下へと降りていく。

 

 

 

「う……」

 

 

 

 手を離すと死ぬ恐怖。

 

 得体のしれない怪物の胃袋に進む恐ろしさ。

 

 ルイスは小刻みに震え、顔も涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっている。

 

 

 

 この行為は、勇気からくるものではない。 

 

 まだ子ども故の、分別の付かない無謀な行動だ。

 

 だがそれは同時に、純粋なる決意によるものでもあった。

 

 

 

 ゆっくりゆっくりとルイスは降っていく。

 

 最早、真上の丸い入口は小さくなっている。

 

 どれくらい経ったかルイス自身も分からなくなり、後悔の念がよぎった、その時。

 

 

 

 ーーズシン、と大きく地面が再び揺れた。

 

 

 

「ーーあっ」

 

 

 

 マズい、と思った時にはルイスは空へと放り出されていた。

 

 小さな体が意識に反し、下へと向かって落ちていく。

 

 少年の悲鳴は地上に届く事はなく、暗がりの底へと沈んでいった。 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

「ーーぅ」

 

 

 

 痛む体をおさえ、ルイスは薄目を開ける。

 

 体のあちこちが軋むけれど、幸いにも骨に異常はないようであった。

 

 落ちた先には草花が生い茂っており、クッションとなっていた事が幸いしたらしい。

 

 

 

「あ!! デバイスは……?!」

 

 ルイスは当初の目的を思い出し、痛みを無視して地面を這うようにデバイスを探す。

 

 

 

「あ……った!!」 

 

 デバイスは思いのほかすぐ傍に落ちていた。見たところ、大きく壊れている様子もない。

 

 

 

「よかった……本当に、よかった……」

 

 

 

 ホッと胸を撫で下ろし、ルイスはデバイスをぎゅっと握る。

 

 このデバイスを失う事は、ルイスにとって決定的な打撃となっていただろう。

 

 今を生きる目的そのものを、ルイスは二度と離しはしまいと強く抱きしめた。

 

 

 

「……あ、れ、なんだろう」

 

 

 

 緊張の糸が切れたからか、ルイスは鼻孔を擽る甘い匂いに気がついた。

 

 はたと周りを見渡し、それの正体はすぐに理解できた。

 

 

 

「わぁ…………」

 

 

 

 陽も届かぬ穴の底には、不自然な程に白く綺麗な花が咲き誇っていた。

 

 左右対称な花弁が5個からなる、小さくて可憐な一輪の花。

 

 それが、地面を埋め尽くさんと咲き乱れているのだ。

 

 

 

 そして、その花の下にある地面が僅かに明滅しており、妙な温かさがある事に気が付いた。

 

 命を育む謎の光は、けれど決して恐怖を与える物ではない。

 

 むしろ、ひなたの優しさに近い物をルイスは感じていた。

 

 

 

「すごい……フィリアにも見せてあげたいな……」

 

 

 

 痛みも恐怖も、この幻想的な光景を前にしてルイスからは抜け落ちてしまっていた。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 ぼう、っと幾分かルイスはこの光景を眺めていた。

 

 このままずっとこうしていたいと、そう思ってすらいた。 

 

 だがそこで、地上へ戻る手段がない事にはたと気がついた。

 

 ルイスの筋力と体力では、とてもこの高さの壁を昇る事は出来ない。

 

 かといって、この場所には元来人が近づかないのだ。

 

 誰かの助けが来る事は、望めないだろう。

 

 

 

「どう、しよう……」

 

 

 

 幼さ故の猛進に今ようやっと気がついた彼であったが、後の祭りである。

 

 ここで死んでしまうのか、とルイスは鮮明になってきた死の気配に冷静さを取り戻した。

 

 

 

 震えながら立ち上がり、出来る限り花を踏まないようにして壁に向かう。

 

 どこかに出口はないものか、と縋る気持ちでルイスは壁を手にグルリと歩いてみる事にした。

 

 地面の灯りだけでは全容を把握するには頼りなく、何かを見落とさない様にと妙に滑らかな壁にしっかりと触れる。

 

 

 

「……?」

 

 

 

 数メートルほどきた所で、何やら地面と同じく銀の光を発している箇所をルイスは見つけた。

 

 よく目を凝らしてみると、それは扉の形をしているように思えた。

 

「……ッ」

 

 生い茂る蔦を慌てて剥ぎ取ると、銀の光が更に強く漏れ出した。煌々と、まるで朝陽の様な明るさだ。

 

 指先が草で切れ、滲む血も気にせずに、ルイスは夢中で草木をむしっていく。

 

 そしてそこには、子ども一人がやっと通れそうな隙間が出来上がっていた。

 

 

 

「ーーーー」

 

 

 

 やっと見つけた出口かもしれない場所。

 

 ルイスは無我夢中で体をねじ込ませ、扉の先へと進み出た。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 広がる光景に、思わずため息が漏れる。

 

 温かな銀の光が眩しいくらいに照らし出したのは、太古の遺跡だった。

 

 幾何学模様が浮かび上がる壁に、滑らかに削り造られた通路。地下深くであるはずだが、何故か心地のよい気温に保たれている。

 

 ルイスは気が付いていないが、この場所は彼の知り得る遥か先の技術で建造されていた。

 

 未知の技術、つまりそれは、古代遺産。

 

 この遺跡そのものが、巨大な古代遺産なのであった。 

 

 

 

「とりあえず、進もう……」 

 

 

 

 床は埃で汚れてはいるが、思いのほか荒れてはいない。むしろ、経過年数を考えると綺麗過ぎる程であった。

 

 そしてこの道は分岐する事もなく、一本道がずっと続いている。

 

 時折り緩やかに曲がる事はあれど、その道中はずっとなだらかな舗装路だ。

 

 扉なども存在せず、ひたすらに道が伸びている。

 

 

 

 道なりに暫く歩くと、銀の光がどんどんと強くなっていく。

 

 奥へ、奥へ。

 

 ゆっくりと、ルイスは進んでいく。

 

 

 

 ルイスに恐怖は不思議となかった。

 

 代わりに、妙な胸の高鳴りがある。 

 

 住み慣れた場所で突如広がる神秘的な異世界。

 

 まだ幼い彼の感覚は高揚感でどこか麻痺していたのだろう。

 

 

 

 と、そこに重厚な扉が見えた。

 

 ずっと続くかと思えた道であったが、どうやらここが最奥であるらしい。 

 

 

 

「…………」

 

 ペタり、とルイスは扉に触れてみる。

 

 鉄の様でいて違う謎の扉は、しかしやんわりとした温かみがあった。

 

 

 

「……よし」

 

 ルイス意を決し、風化し重く閉ざされた扉を力一杯押す。

 

 ギギギ、と軋みながらも、少しずつ、少しずつ扉は開き、何とか子ども一人が入ることの出来る隙間が出来た。

 

 

 

「……う?!」

 

 扉の向こうから零れる、今までにない明るい銀の光。

 

 思わず目を閉じてしまう程であり、最早、それは真昼の輝きだ。

 

 躊躇いが今さらながら生まれるも、ルイスは中へと足を踏み入れた。 

 

 

 

「なん、だ、ここ……」

 

 

 

 扉の先。

 

 そこには、ただポッカリとだだっ広く開け放たれた空間があった。

 

 ルイスが落っこちた、地上の広場を思わず連想する作りだ。

 

 壁も床も全てが真っ白く滑らかに整えられ、世界が色を忘れたかのようだった。

 

 

 

 明らかに今までとは異なる雰囲気に、ルイスの足は思わず止まる。

 

 厳か、とはまさにこの事を指すのだろう。

 

 煌びやかな光の中にあっても、どこか冷たさのある美しさ。

 

 そこはまるで別世界のようであり、シン、と空気さえも凍り付いたかのようであった。

 

 神の住む世界と町の大人が言っていた事を、ルイスは思い出していた。

 

 まさに、ここはそういう場所に感ぜられた。

 

 

 

 

 

 そしてその中心にポツン、と忘れられた様に奇妙な建物があった。

 

 どうやら、ソレからこの銀の光は各所に広がっているようだ。

 

 

 

 3メートルほどの高さしかない、小さな建物。

 

 だがそれは小屋と呼ぶにはあまりにも質素で、簡易な作りになっていた。

 

 4つからなる土台の柱と床板をベースにした建築物には、しかし本来あるべき天井と壁がゴッソリと抜け落ちていた。

 

 吹き抜け構造に近い建造物には、壁の代わりに御簾がかけられている。その為、奥を覗く事は叶わない。

 

 

 

 そして何より奇妙なのは、金色に輝く鉄鎖が遥か上空より垂れ下がっており、小屋の中心で揺れている点だ。 

 

 気味の悪い事に鎖は微かな鼓動を刻んでおり、まるで生き物の血管を彷彿とさせた。

 

 

 

 そんな小屋の中心。金の鎖の終着点であるそこには、「何か」がいた。

 

 御簾で見えぬその奥に、薄ぼんやりとだが人影が確かに見えるのだ。

 

  

 

「…………」

 

 ゴクリ、と喉を鳴らし、ルイスは進む。

 

 震える手でゆっくりと御簾を上げ、その中を、見る。

 

 

 

「ーーーー」

 

 

 

 ルイスの身体は完全に硬直し、動きを止めた。

 

 だが今度は、畏怖によるものではない。

 

 

 

 目の前の光景に、そう、見惚れていたのだ。

 

 

 

「おん、なのこ……?」

 

 

 

 ルイスの視線の先。

 

 そこには、1人の少女がいた。

 

 

 

 澪を思わせる、白く透き通った真っ直ぐで長い髪。

 

 

 

 無防備な白にうっすらと薄紅が浮いた、雪と見紛うきめ細やかな肌。

 

 

 

 純白のワンピースからはスラっとした手足が伸び、白磁を連想させる。

 

 

 

 何もかもが白い、玲瓏の少女。

 

 

 

 

 

 まるで絵画から抜け出てきた様な、ゾッとする美しさ。

 

 

 

 

 

 その少女は、この世の者とは思えない可憐さがあった。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 銀色の少女の身体のあちこちには、天から伸びる金の鉄鎖がしっかと絡みついていた。 

 

 その鎖の1本1本が血管の様に蠢いており、銀の光を上へと吸い上げているのだ。

 

 まるで、少女から大切な何かを抜き取っているようであった。

 

 

 

 そして件の少女の足元には、朽ち果てた手枷が幾つも散らばっている。

 

 黒ずみ、本来の色を無くしたソレらは、役割を終えた事を告げていた。

 

 そして、唯一その色を無くさず、「黄金に輝く手枷」が、1つ。

 

 少女の白い左手で鈍く妖しく、光を放っていた。

 

 

 

「もしかして、人形……?」

 

 ルイスは、惹きつけられる様にフラフラと近付いていく。

 

 そう、こんな場所に人間がいるだろうか。

 

 否。陽の光も届かく地の底で、生きる人間などいるはずがない。

 

 あるとすれば、精巧に造られた人形くらいなものだ。

 

 

 

 物言わぬ、人ならざる美しき人形。

 

 それだけを思えば不気味ではあるが、ルイスの内側に怖れはなかった。

 

 いやそれ以上に、そう。

 

 美しく固まる少女は、それ程までに、美しかった。

 

 

 

「泣いている、の……?」

 

 ルイスには、その人形が自分と同じように泣いている気がした。

 

 だからだろうか、そっと、その頬を撫ぜていた。

 

 

 

 ――その時、黄金の手枷が星の如き輝きを放った。

 

 

 

「っ!?」

 

 眼を開けていられない程の閃光。 

 

 薄暗闇に慣れだしてルイスは、ビクっと体を震わせ、両手で顔を覆う。

 

 眩さに目を閉じた、まさにその時だった。

 

 

 

 カチン。

 

 

 

 と、乾いた金属音がルイスの耳に届いた。

 

 音の発生地点は、自分の右腕からである。 

 

 

 

「……え?」

 

 

 

 間抜けな声を上げながら、ルイスはしげしげとそれを見た。

 

 いつの間にか右腕に光る、黄金の手枷を。

 

 

 

 

 

「ーーやぁ、君が私を起こしたのかい?」

 

 

 

 

 

 凛、と鈴の様な声がした。

 

 それは、聞き慣れない少女のもの。 

 

 ルイスはハッと声の主を見る。

 

 手枷で自分と繋がれた、雪の少女を。

 

 いつの間にか金の鉄鎖は掻き消えており、少女の柔肌を縛る物は、もう何もない。 

 

 

 

「き、君は?」

 

「私、かい? あぁ、いや。ちょっと待って欲しい。いやなに、随分と長い時間寝ていたらしくてね」

 

 

 

 銀髪の少女は、ゆっくりと頭を振り、溜息を深く吐く。

 

 

 

「ふぅ……さて、では改めて。私の名は…………そうだね、アイリス。今はただの、アイリスさ」

 

「あ、え、っと。その……」

 

 当然の様に自己紹介を始めるアイリスと名乗る少女。

 

 もしそれが、街中なのであればルイスも当惑する事はなかっただろう。

 

 だが、謎めいた地下遺跡で、しかも人ではない「何か」が相手となれば、誰が混乱せずにいられようか。 

 

 あたふたと思考が纏まらないルイスを理解してか、アイリスは薄い笑みと共に頭をやんわりと撫でた。

 

 

 

「そう怯えずともよい、何もとって喰おうというわけではないのだから。さぁ、よければ少年、君の名を教えてはくれないかな?」

 

「え、と……」

 

 サラサラと指で髪をすかれ、ルイスは胸の鼓動が徐々に落ち着くのを感じた。

 

 どこか懐かしさのあるその感触に、ルイスの眼は細く弓となる。

 

 

 

「ぼ、僕は、ルイス。ルイス=シュヴァングで、す……」

 

「……なんだって? 「ルイス」? 今、ルイスと言ったのかい?」

 

 ピタリ、と髪を撫でる手を止め、アイリスは目を丸くした。

 

 鳩が豆鉄砲を食ったよう、と形容するに相応しいその顔に、ルイスは何かマズイ事を言ってしまったのかと慌て、取り繕う様に続ける。 

 

 

 

「あ、あの! え、っと、はい……! リーリオに伝わる御伽噺に「ルイス」っていう名前の英雄がいるらしくって……お父さんが、誇り高き名にあやかろう、って……」

 

「…………」

 

 尻すぼみになるルイスの言葉を咀嚼し、アイリスはあんぐりと呆けていた口を小刻みに震わせる。

 

 

 

「…………くく、あは……あはは!!」

 

 

 

 そして、堰を切った様に笑い出した。

 

 

 

「はは、あの泣きむし坊やが!! 英雄!? あっはっは……はは……存外とやるじゃあないか、この私を驚かせるとはな。ふふ、長く生きてみるものだな、愉快だ、あぁ実に愉快だ!!」

 

 

 

 笑っている様で、どこか物寂しさをその声色に乗せ、アイリスは続ける。

 

 

 

「あぁいや、すまない。昔の馴染みを思い出していてな。そう、どうしようもなく泣いてばかりで、そのくせ意固地で不器用なヤツでな。だがしかし、これも1つの縁と言うもの。どうかその名、大事にしてやってくれ」

 

「う、ん……」

 

 切に願うその声色に、ルイスはしっかりと頷きを返した。

 

 

 

「あ、の。えっと、それよりも、君は……その……」

 

「あぁ、私の事はアイリスと呼んでくれて構わないよ」

 

「……アイ、リスは、こんな所で、何をしてたの……?」 

 

 

 

 おずおず、とルイスは当然の疑問を口にする。

 

 寸でのところで「君は人間なのか」という質問は何とか飲み込んだ。

 

 

 

「何をしていた、か。そうだね、世界を護っていたのさ」

 

 

 

 軽口を叩くように紡がれる言葉は、しかし相反する重みがあった。

 

 それは冗談などではなく、真実なのだと。

 

 そう思わせるだけの、力強さがあった。

 

 

 

「世界を、護る、って……?」

 

 手枷で結ばれている為、その距離は近い。

 

 驚くほどに精巧なアイリスの顔を直視する事が出来ず、ルイスは視線を僅かに逸らした。

 

 

 

「なに、言葉通りの意味さ。私はずっとこの世界を護っていた「物」さ。そして同時に、力を分け与える機構でもあった」

 

「え、ぇっと?」

 

「……ふむ、どうやら本当にこの私を知らないらしいね。なら、うん。それはとても良い事だ。私を必要としない世界を、私自身も望んでいたのだから。この手枷だって、意志あって付けたものではないのだろう?」

 

 アイリスは金の手枷をしげしげと眺め、どこか嬉しそうに撫でた。

 

「あ、ご、ごめん勝手に……」

 

「なに、怒っているわけじゃあないさ。それに、君がこの手枷で私を繋いでくれたおかげで、目覚める事が出来たんだ。感謝こそすれ、だよ」

 

 

 

 ふむ、とアイリスは唸り、

 

 

 

「……ルイス、しかしだとすると、君は何故こんな所にいるのかな?」

 

 

 

アイリスは、続けて問う。 

 

 

 

「まさか……いや、まさか。『黒い獣』に追われて来た、とは言わないでおくれ?」

 

「……黒い……獣?」

 

 アイリスの声は微かに震えていた。まるで、ルイスの答えに怯えているようであった。

 

 緊張で、目尻に薄っすらと涙すら見える。

 

 確かめたくはないが、それでも聞かずにはいられない。

 

 二律背反の色を濃くし、アイリスは唇をキュッと噛んだ。 

 

 

 

「……ううん、違うよ。僕は大事な物を落としちゃったからで……」

 

「……では、君は黒い獣を見たことは無い、と?」

 

「う、うん……」

 

「……そうか、うん。そうか。なら、いいんだ」

 

 ハッ、とアイリスは貯めこんでいた息を一気に吐いた。

 

 確かな安堵がこもった吐息でいて、けれどその顔は何故だか硬く、動く事をしない。

 

 アイリスは続いて、無意識に細めた目線を遙か天へと向ける。

 

 

 

 

 

「ーーあぁ、姉様。私はやり遂げたのですね……」

 

 

 

 すぐそばのルイスにも聞こえぬ小さな声で、アイリスはそう呟いた。

 

 

 

「すまない、変な事を聞いた。さ、ではそろそろ行こうか」

 

「い、行くってどこに……?」

 

 打って変わってアイリスは、どこまでも元気に声を高くする。

 

 当然ルイスは困惑し、疑問符を飛ばすしか出来ない。

 

 

 

「君は地上から来たのだろう? ならば送り届けるさ。それに、そうしなければあの泣きむし坊やに顔向けできん。さ、付いてきたまえ」

 

 アイリスは有無を言わさず、スタスタと神殿の外へ向けて歩をすすめた。

 

 手枷で繋がるルイスも、引っ張られる形でそれに付き従う。

 

 そしてアイリスが1歩、神殿から足を踏み出した、その時。

 

 

 

 フッと、部屋を照らし出していた銀の光が掻き消えた。

 

 突然訪れた暗闇に、ルイスはビクリと肩を震わせる。

 

 奥に続く通路からも明かりは消えており、視界は完全になくなった。

 

 まるで電源を抜かれた機械の様に、遺跡全体が動きを止めた様にみえた。

 

 

 

「そう怖がらずともよい。もう私が浄化する必要もなくなっただけさ」

 

 だが、アイリスは一切動じる事もなく、飄々と歩を進める。

 

 彼女は暗闇の中でも目が見ているのか、果ては歩きなれた場所だからか。

 

 幸か不幸か、手枷で繋がれたルイスはアイリスに抱きつきながら、二人三脚で歩く事が出来ていた。

 

 

 

「いやはや、しかし出会えた人間が君でよかったよ。悪意が無い事は手枷から伝わったが、無自覚な悪鬼とも限らないわけだし」

 

 のんびりとした口調で話しながら、アイリスは大扉を無造作に軽く押した。

 

 それだけの動作で、重く硬い扉は勢いよく開いてしまう。

 

 ルイスが必死にこじ開けた扉が、呆気なく全開となった。

 

 

 

「ふむ、やはり遺跡のカラクリは軒並み停止しておるな。まぁそうでなければ、力無き者がここまで到達できるはずもないが……ふふ、君も運が良い」

 

 からからと笑うアイリスがあまりにも浮世離れしており、一瞬、ルイスの頭がゾッと痺れた。

 

 だがその考えが酷く失礼な気がして、首を振ることで余計な感情は外へ押し出した。 

 

 アイリスはそれを嬉しそうに眺めるも、特に触れる事もなく、ただ微笑むだけであった。

 

 

 

 2人は、銀の光を失い、真っ暗に沈んだ舗装路をゆっくり進んでいく。

 

 確かな熱を互いに感じ、その姿はまるで寄り添うようであった。

 

 

 

 果てしなく続く通路を抜けた先は、当然、銀の花が咲き乱れる穴の真下だ。

 

 真直ぐな道はここまでで、残すは垂直に佇む壁があるのみ。

 

 だが、それこそが最大の難関である事は疑いようがない。

 

 

 

「……アイリス、どうしよう」 

 

「ふふ、お姉さんに任せておけばいいさ」

 

「お姉さんって……僕と同い年くらいじゃないの?」

 

「見た目で判断してはいけないな。こう見えて私は随分とお婆ちゃんなんだから」

 

 

 

 嘘か本当か判別し辛いアイリスの飄々とした笑顔だ。

 

 

 

 もとより、壁をのぼる事を諦めた故にルイスは遺跡の奥へと進んだのだ。

 

 だがアイリスは事も無げに任せておけと言いきってみせた。

 

 思わず、ルイスが訝しげたのは無理もない事である。

 

 

 

「ーーさて、少し失礼するぞ」

 

 アイリスはそんなルイスの心境を知ってか知らずか、無造作に彼をひょいっと抱きかかえた。

 

 俗に言う、お姫様だっこの形だ。

 

 

 

「え、ちょ、え?!」

 

 気恥ずかしさと驚きで、ルイスは反射的に手足をバタバタと動かしてしまう。

 

 だが、体格の劣るアイリスはよろける事すらしない。

 

「これ、暴れるでない。いいから私を信じて大人しくしておれ」

 

 見るからにアンバランスな光景ではあるが、アイリスは体幹のブレもなくしっかりと歩いていく。

 

 向かう先は聳え立つ真っ平らな壁。

 

 壁のふちでアイリスははたと立ち止まり、

 

 

 

「----」

 

 

 

 ぼそり、とアイリスは何かを呟いた。

 

 

 

 と、アイリスは軽やかな笑顔を添え、当然の様にスタスタと壁を歩いていく。

 

 まるで床と壁が地続きだと言わんばかりの行いだ。それはまさに重力を無視した歩方。

 

 その様は、まさに忍者とでも形容すべきものであった。

 

 

 

「さ、一気に行くぞ」

 

 

 

 予想外なその光景にあんぐりと口を開けるルイスは、返事をする事など当然叶わない。

 

 アイリスはルイスの頭を撫でながら、ぐ、と両足にに力を込めーー

 

 

 

 --とん、と軽やかな音を残して猛烈な速さで壁を駆け上がっていく。

 

 

 

「ーーーーッ」

 

 

 

 大股で翔ぶ様に、それでいて軽やかなステップを刻み、ものの数歩でアイリス達は地上へと到達してしまっていた。 

 

 

 

「ーーふぅ、到着だ。久しぶりだったが、うむ、何とかなるものだな」

 

 

 

 震える事すら忘れ、ぼうっと空を眺めるルイスとは対象的に、アイリスは満足気に鼻息を鳴らす。

 

 

 

 すでに空は白み、薄っすらと朝日が射す頃合いだった。

 

 冷たい朝の空気を吸い込み、アイリスは嬉しそうに、そしてどこか寂し気にリーリオを眺める。

 

 ふっと、アイリスの火照りが冷たく、そして暗いものへと変わっていく。

 

 

 

「あぁ……何もかもが変わってしまったのだな。けれど、間違いなく、ここは……」 

 

 

 

 迷子の子どもが、所在なさ気に視線を燻らせる様に。

 

 アイリスの足は固まり、動く事を忘れてしまう。

 

 

 

「アイリス、どうしたの……?」

 

 

 

 怯えている。

 

 ルイスはそう感じた。

 

 だがこれは、直観的なものではない。何故だか、そう「感じる」のだ。

 

 

 

(……なんだろう、この不思議な感じ。アイリスの気持ちが、僕に流れ込んでくるような……)

 

 怯えと、それに負けないだけの嬉しさ。そして、膨大な自責と寂寞の念。  

 

 目まぐるしく、彼女の感情らしきものが、ルイスの内に流れ込んで来る。

 

 

 

 だがルイスは不思議と、この奇妙な感覚を受け入れ、疑う事はなかった。

 

 何故だか、そう。それはひどく、身近な感情であったからだ。

 

 間違えるはずがない。疑問に思うわけがない。

 

 彼女は、ルイスと同じ「世界」に浸かっているのだから。

 

 

 

「…………なんでもないさ」

 

 痛々しく笑ってみせる彼女を見て、改めて思う。

 

 彼女の笑みは、作り物だと。 

 

 

 

 遺跡の奥で出会った時から、彼女は常に笑顔だ。

 

 だが、それがどうにも、「完成された笑顔」に見えて仕方がない。

 

 その実、彼女の心は冷たく冷え切っているのだから。

 

 それは、そう、今の自分とまるで同じではないか。

 

 

 

「上手くは言えないんだけれど、アイリスは、その、もう笑ってもいいと思うんだ」

 

 だからだろうか。ルイスの口は、無意識に動いていた。

 

 

 

「----ッ」

 

 言葉に詰まり、息を呑む。 

 

 誰からも隠し続けていた奥底を見透かされた、驚愕。

 

 アイリスの赤い瞳が、僅かに揺らいだ。

 

「……ははは、何を。わた、私はずっと笑っておるではない、か。全く、おかしなこと言う」

 

「…………」

 

 じっと、ルイスはアイリスの目を見つめた。

 

 そこには、ありありと確信と理解の色がある。

 

 

 

「……僕もね、同じだから分かるんだ。頑張って……頑張って笑おうとしてる、よね、アイリスも」

 

 ルイスの言葉が、二人の耳に響き、胸へと落ちる。

 

「笑っているけど、ずっと泣いてる……。それは、とても、辛い、よね……」

 

 

 

 アイリスはハッと何かに気が付き、自分とルイスを繋ぐ金の手枷をそっと撫ぜた。

 

 

 

 心の深くを言い当てられ、だがアリスは、何かが溶けていく感覚があった。

 

 その言葉を、ずっと待ち望んでいたのだと、気が付いていた。

 

 

 

「なぁ、ルイスは……「ルイス」は、こんな私が笑ってもいいと、思うかい?」

 

 

 

 自分の名を呼ばれたはずなのだが、どうにも噛み合わない視線にルイスは僅かに首を傾げる。

 

 だからこそ、素直な言葉を選んだ。

 

  

 

「僕も時々、笑えなくなる時があるんだ。だから、一緒に……僕と一緒に、笑ってくれると、嬉しいな」

 

「----」

 

 アイリスは、空を見る。 

 

 星は薄らぎ、青に溶けていた。

 

 代わりに大きな陽が、遠くリーリオへと柔らかな光を注ぐ。

 

 キラキラと輝くそこには、争いの影は、ない。

 

 

 

「ーーあぁ」

 

 

 

 アイリスは、ルイスを見た。

 

 小さな町から迷い込んだ、無垢な少年。

 

 共に笑おうと、そう願ってくれた、彼を、見る。  

 

 

 

「……そう、か。うん、そうか。あぁ、私は、許されたのだろうか」

 

 アイリスは、くしゃっと顔を笑みに崩した。

 

 どこまでもホッとした、まるで遠くの誰かを想うような。

 

 そんな顔で、静かに笑った。

 

 

 

「ーーさ、アイリス一緒に行こう!」

 

 ルイスが今度はアイリスの手を引き、行く。

 

「あぁ、「君の町」を案内しておくれ」

 

 自然な笑みで、似た者同士は前へと進んでいく。

 

 

 

 こうして、手枷で繋がれた少年と少女の、奇妙な共同生活が始まった。

 

 

 

 

 

 




お待たせしました。
リアルのバタバタがおそらく人生の最大瞬間風速記録しています。
あと、少々と書きながら悩んでおりました。
書いては消し、または書けずに白紙と睨めっこ。
でもここまで来たのできっちり書き終えたいのは確かなので、「頑張るぞー!」って届いた劇場版の円盤を観ながら気合い入れてました。
正直、今のところコメントしにくい内容だと思いますが、何か書き残してやってくれると泣いて喜ぶと思います。

それでは、読んでいただき本当にありがとうございました。

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