逆行した律ちゃんに高野さんが会いました。
ー そう、ちからをぬいて・・・。
ー だんだんと目が重くなる・・・。
ー あなたはだんだんと昔に戻ります。
ー 1年前・・・。2年前・・・。大学・・・。高校三年生・・・。二年生・・・。
ー はい・・・。あなたは・・・、今何歳ですか?
目を瞑ったその額に手を当て、男性が言うと「えっと・・・。31歳です。」
椅子に座った木佐はエヘっと愛らしく笑って言った。
「木佐、せめてかかった振りぐらいしろよ。」
ギャラリーからブーイングが上がる。
「えーやらせ?」
木佐はやれやれと椅子から立ち上がり、「やっぱりもう少し純粋な子にやってもらいなよ。」と肩をすくめた。
「チッ!絵面的には木佐がぴったりだと思ったのに!とりあえずトパーズのだれかと変わって。写真撮らなきゃならないし。」
月刊トパーズの編集長は舌打ちをしながらが指示を出す。
場はざわめいて、黒山だった人だかりも散り始めた。
「催眠術なんて眉唾もんだね。」
木佐はけけけと笑った。
月刊トパーズはSFや心霊などの不思議系の漫画を掲載している雑誌で、特集記事で憑依現象の検証のために催眠術を取り上げるのだそうだ。
そこで、会社に催眠術の専門家を招いて実地検証をすることにして見目のよい木佐に白羽の矢が立ったのだった。
「さて、帰ろうかな。」
「もう見ないんですか?」
帰ろうとする木佐に小野寺が聞いた。
「やっぱりかかんないことがわかったからもういいや。りっちゃんは?まだ見る?」
木佐に無理やり連れてこられた小野寺は「木佐さんが戻るなら俺も一緒に帰ります。」と椅子から立ち上がった。一瞬目の前がぐらりと揺れて身体を支えるために椅子の背もたれを掴むと「あ、りっちゃん大丈夫?」と木佐が背を支えてくれた。
「立ちくらみしたみたいです。すみません。」
小野寺は頭の中で脳みそが浮かんで揺れているような妙な感覚を理性で抑え込んて、笑ってそう答えた、
エメラルド編集部に戻ると早速とばかりに木佐が先ほどの体験を皆に面白おかしく語って聞かせた。
「だいたいそんなヤバそうな被験は自部署でやれって感じだよね。本当に掛かっちゃったらどうするんだよ。ね、りっちゃん。」
木佐が隣の席で黙ったままの小野寺に同意を求めるように振り向くと、小野寺は口に手を当てて目を瞑っていた。
「りっちゃん、やっぱり具合がわるいの?」
木佐が心配そうに顔を覗き込むと小野寺はハッと目を開いて木佐の目を見つめ返した。
そして・・・。
「あの・・・。すみません。ここは何処ですか?」
と翡翠の目は不安げに揺れて、震える唇からはそんな音がすこしかすれて漏れ出した。
「りっちゃん、どうしたの?」
木佐が肩に手を当てて再度聞くが小野寺は少しおびえたように口だけアワアワと動かした。
「お、俺・・・。なんでここにいるんでしょう。」
「・・・。」
「学校に、挨拶に行ったはずで・・・。」
「学校?」
「留学から帰ってきて・・・。」
小野寺の周りに羽鳥や美濃も心配そうに集った。
小野寺の性格からしてふざけているとも思えず、かと言って状況が掴めなかった。
「まさか・・・。さっきの催眠術にかかっちゃったのかな。」
「今頃か?」
「りっちゃん俺のすぐ後ろの席に座ってたんだよ・・。」
「そんな馬鹿な・・。」
木佐が青い顔をしてつぶやくと丁度そこに会議を終えた高野が戻ってきた。
「なにみんなでやってんだ?」
小野寺の周りに集まってなにやらヒソヒソとやっている雰囲気が傍目には遊んでいるようにみえたのだろう、持っていたファイルで高野は小野寺の頭をパンと叩いた。
小野寺は驚いたようで高野をバッと見上げたが、その目は次の瞬間大きく見開かれ顔色は蒼白となった。
「まさか、さ・・・、が、先輩?」
瞬間目をそらす小野寺を高野は凝視した。
フリーズしている高野に羽鳥が「ひょっとしたら小野寺は催眠術にかかっているかもしれないと話していたところです。」と小声で伝えた。
「催眠術?」
「ええ、トパーズが呼んだみたいで、木佐に被験者のお声がかかったんです。」
「小野寺も参加したの?」
「いえ、木佐に引っ張ってかれたんですが見てただけのはずなんですけど・・・。」
「どういう症状?」
「おそらく退行・・・。留学から帰ってきたと言っているので・・・。」
高野は相変わらず自分と目を合わせようとしない小野寺の横顔を見て少し胸が痛んだ。
今の小野寺はあの誤解をそのまま引きずっている状態なのだろう。
急に消えた恋人・・・。
初めて手にした暖かさが意味もわからずに突然すっぽりと抜け落ちた。
探しても探しても影さえ捕まえられなかった。
どんなにそれを考えないようにしてもいつも心は憂鬱だった。
なにをしても心から楽しめず、些細なことで涙が溢れた。
ふとした拍子に深い闇に陥り自暴自棄になった。
種明かしを聞けば、そこには早とちりだと糾弾できるような類の誤解があった。
ただそれは小野寺だけの責ではなく、高野自身にも誤解をさせるような言動があった。
まだ2人とも子どもだったのだ。初めて芽生えたにしては激しすぎる恋を持て余して拗らせたのだ。
ー いまこいつはその真っ只中にいるのか?
「ここじゃなんだから会議室か応接室で空いてるとこに移動しよう。それとその催眠術師呼んで。」
高野は座っている小野寺の腕を掴み引き上げながらそう指示をした。
⭐️
「高野さん、催眠術師の人はもう帰っちゃっているって。今連絡とってもらってる・・・。」
木佐が報告に戻って来て「俺も精神系の知り合いに聞いてみます。」と美濃が入れ違いで出て行った。
その間羽鳥が小野寺にここは丸川書店であることや小野寺が自分たちの同僚であることを簡単に説明をした。
小野寺は終始無口でいつもの柔らかい明るさはなかった。
「りっちゃん別の人みたい・・・。」
木佐がつぶやく。
「状況に戸惑っているんだろう・・・。」
羽鳥も気遣い気味に言う。
そこでことの成り行きを見守っていた高野がずいっと小野寺の前に出た。
小野寺はやはりスッと目をそらす。目の前の人物が嵯峨政宗であることに確信があるのか、単に似ている他人と思っているのか、その表情からは窺えなかった。
そう言えば再開した時とて小野寺は自分のことに気がつかなかった。俺が異なる面ざしでも忘れなかったというのに・・・。
高野は少し寂しさが湧き上がるのを抑えられなかった。
「2人にして欲しいんだけど・・・。」
高野が木佐と羽鳥に言うと、羽鳥は「わかりました」と言いかけるが、「嫌だよ、どうするつもりなのさ高野さん!心配なのになんで!?」と木佐が食ってかかる。
そういえば木佐は小野寺を随分可愛がっている。
高野がフッとため息を小さくついて、
「じゃあ今から聞くことは口外無用だからな。」と小野寺の俯いた顔を覗き込むようにしゃがみこんだ。
小野寺はビクリと身体を震わせた。
「律」
「やっぱり嵯峨先輩・・・。」
「なんで急にいなくなったの?」
「・・・。」
「ずっと探してた。留学してたの?」
「・・・。」
小野寺は苦しそうな顔をしたまま問に答えることをしない。
「律、言って。」
「嵯峨先輩だっていなくなったじゃないですか。」
「え?」
「学校で聞いたら転校したって、ビックリして家に行ったら引越ししたって・・・。」
「・・・。」
「留学する前に学校に挨拶に行って・・・。遠くからでも、一目だけでもって・・・。俺、本当に往生際が悪くて・・・。」
高野は驚いていた。小野寺はそれでも俺のことを探したのだという事実に。
「親が離婚して、苗字も高野に変わって香川に引越しさせられた。お前に回し蹴りを食らわされたすぐ後に。急に。」
「回し蹴り?」
「本当にお前それ覚えてねーのな。護身術か?」
「・・・。」
「追いかけたかったけどしばらく動けねーし、翌日からお前行方不明だし。」
「え?」
「お前名前名乗んねーし、織田律だとばっかり思ってたし。」
「・・・。」
「お前の誤解だから。そんな死にそうな顔するな・・・。」
「だって・・・。」
「俺はお前のことが好きだってちゃんと言ってたのに・・・、伝わってなかったって知らなくて。」
「うそ・・・。」
「ここからやり直したいけどさ、実際はお前もいい大人だし。でもそんな辛そうな顔しているとほっとけない。」
「嵯峨先輩。」
「高野だ。」
「高野先輩?」
「それも新鮮だな。」
「高野先輩・・・。」
小野寺は嬉しそうに笑って高野の手を頰に押し当てた。
高野もまた嬉しそうに笑って、空いている手で小野寺の頰にかかった髪をそっとかきあげ「術が解けても忘れるな。お前が忘れても俺はお前のことを忘れられなかったってことを。」と言った。
程なくして術をかけた人が戻ってきて小野寺に向かい合い退行から引き上げていく。
「3・2・1 。さあ、今のあなたは何歳ですか?」
「えっと・・・。26歳です。えと・・・、これは?」
小野寺はいつもの品の良い人の良さそうな顔で困惑して言った。
「大丈夫そうですね。」
術師はホッとしたようにそう言い、それ以上に一同は安堵した。
「りっちゃん!」
木佐がすっ飛んできて小野寺に抱きついた。半べそ顏だった。
「木佐さん、あの・・・、これは?」
「りっちゃん催眠術にかかっちゃって高校生にもどっちゃってたんだよ。俺たち忘れられちゃうのかって心配した!」
「高校生ですか・・・。そういえばなんだか懐かしい夢を見ていたような気がします。」
「いい夢だったみたいだな、小野寺。」
不意に横から高野がニヤニヤと笑いながら声をかける。
「なっ!違います。最悪な夢です!」
「あ、そ。俺は可愛いお前が見れてよかったけどな。」
「は!?」
「な、木佐。羽鳥。」
「うーん。一応口外無用って言われているし・・・。」
「俺もノーコメントで。」
「な、何ですか?2人とも。」
小野寺はアワアワと焦って冷や汗を流しているが、三人は涼しい顔をしている。
しかもその場にはいなかったはずの美濃まで「小野寺君ってそんなだったんだ。」と笑う始末だ。
自分の覚えのないところで重大な何かを見られていたような嫌な感じで居た堪れない小野寺律であった・・・。
これがとある日の事だった。
⭐️
「実際に催眠術にかかった時ってどんな感じでしたか?」
被験者でもないのに勝手に催眠術にかかり、あまつさえもう一度術者にきてもらって解いてもらうという失態を犯した小野寺は、まんまと月刊トパーズの取材対象となってしまっていた。
「夢を見ていたみたいな感じで、すみません。あの・・・、記憶もあるようなないような感じです。」
小野寺は居た堪れない気持ちを引きずったまま仕方なく質問に答えていた。
「お写真良いですか?」
ー うーん、ここで断るという選択肢が存在するんだろうか?
小野寺はコクコクとうなづき引きつった笑顔でシャッターは押された。
⭐️
どの程度のボリュームが当てられるのかはわからないが、来来月のトパーズには間抜けな自分の記事が載るのかと思うだけで憂鬱な気持ちがした。
そう、確かにあの頃の夢で嵯峨先輩と再会したんだ。
高校三年生の自分・・・。
俺は無様に逃げたんだ。そんな想いに縛られて過ごしたイギリスは、実りのある時間もなくはなかったが概ね鬱々としていた。
1人で盛り上がって暴走した。そんなことは嵯峨先輩に「うざい」と言われなくても分かっていた。でも先輩の為にできることを見つけると止められなかった。
少しでも先輩に求められることがあるのなら、この身を業火に焼かれても構わないと思っていた。
だから単なる性処理の相手だとしても構わなかったはずだ。
なのに心を求めてしまった。そう思ったら全てが欲しくてたまらなくなった。
欲張った罰だと思った。でも、もう無償の愛だけでは溢れ出した気持ちはとめられなかった。
結局先輩のためと言いながらいつだって俺は自分が一番大事だったんだ。
そう考えると胃の腑が痛んだ。嵯峨先輩・・・、高野さんは被害者だ・・・。そして加害者は俺・・・。
俺が勝手に好きになって勝手に勘違いして傷つけた。
横澤さんに言われるまで何にも知らないで自分が被害者だとばかり思っていた。
何度も何度も高野さんに好きですと言いそうになって、実際に口にしたこともあった。でもそれは通じなかった。
それはかつて嵯峨先輩が俺に好きだって言っていたというシチュエーションに似ているような気がする。
ー 伝わっていると思っていた・・・。
そうだ。俺だって、高野さんは俺が未だに口にしないだけで、心では俺が高野さんを好きだって分かってくれていると確信している。
でも・・・。
こんな自分が高野さんにいつまでも求められているはずがない。
素直な自分だったあの頃だって、時に苛立ちを感じさせてしまうような独りよがりな性格なのに・・・。
高野さんに好きだと伝えてその後、高野さんにとって成就した想いが拍子抜けするほどの期待はずれだったら・・・。
高野さんに飽きられるのも、捨てられるのも・・・。
そう・・・、また来るかもしれない別の未来、別れは想像するだけで怖い。
幸せだった時間とその後のどん底の想いを知っているだけに・・・。
怖い・・・。
⭐️
「何考えてんの?」
取材が終わってヘトヘトに疲れた小野寺は早々に帰宅を許され、エメラルドのメンバーの緩い視線の中で高野と家路についた。
夕飯はトマトなどの夏野菜がふんだんに入ったラタトゥイユを使ったシラスの冷製パスタだった。
高野に誘われた際に、本来だったら二の句もなく断るところをそのメニューに喉が鳴ってしまい食卓についている。
「あ、改めてシラスって一つ一つがシラスなんだなって・・・。」
つい、急に聞かれて間抜けな答えをしてしまい赤面する。
「まあ、シラスも俺たちも一つが一つの命だけどな。俺たちがシラスを一口単位でうまいって思うように、天の神様とかからしたら俺たち人も十把一絡げなんじゃねぇ。」
「はあ・・・。確かに・・・。」
「っで、本当は何を考えてたの?」
間抜けな答えはフェイクだったことがバレバレだったようで、高野の言葉に小野寺はハッと息を飲んだ。
「・・・。」
「今日、昔のお前に会って改めて自覚した。お前、言葉が少な過ぎてすれ違ったって自覚ある?」
「・・・。」
「今更お前のみっともないところも何もかも許容している。だからお前も俺の駄目なところもみんな含めて俺を受け入れろ。」
「高野さんの駄目なところ?」
「お前、昔から俺が駄目なとこよく知ってるくせに。」
高野はふっと笑った。
小野寺はパチパチと瞬きをして想いを遥か昔に飛ばした。
ー 嵯峨先輩は無口で繊細で、ストイックに見えて・・・、
「我慢がきかない・・。」
つい、という風に口にした小野寺の言葉に高野は「お前そこ!?」と今度はさも可笑しいというように笑い「10年と1年も待ってる人間にそれ言う?」と言った。
永遠とか確実な何かなんていつだってない。
「じゃあ、俺がお前を諦めるって言ったら?」
高野の言葉に小野寺は息を飲んだ。
「お前が俺を受け入れられないのならお互い辛いだけだからな。俺はお前を諦めるしかない。」
小野寺は、高野から別になんということもないという口調で告げられた言葉に硬直した。
『ハッピーエンドの先』を考える前に、まだ分岐する未来は多数ある。
そのすべてを恐れて生きるのか?
小野寺は自問した。
高野の榛色の瞳が小野寺の翡翠色の瞳を見つめた。静かな部屋の中でカラリとグラスの中の氷が音を立てて揺れた。
「律、律は俺のこと好きですか?」
ー あ・・・。
陥落した。と小野寺は思った。
どんなに言い訳を探しても、結局は弱い自分をさらけ出すことを恐れているだけだと自覚する・・・。
俺は弱い・・・。なのに弱いって認めたくない見栄っ張りだ。
でも目の前の人はそんな自分でいいと言ってくれた。
全部まとめて・・・。
こんな俺に差し出すことができるものは俺ぐらいしかないじゃないか・・・。
「ずっと・・・、初めて見たときからずっと高野さんの事が好きなんです。」
小野寺は溢れた言葉を反芻するようにもう一度つぶやいた。
「好きなんです。」
⭐️
「もうお前を追うのは止めた方がいいのかもしれないと思ってた。」
高野は腕の中の小野寺の髪を梳きながら静かに言った。
「いつ、とは決められなかったけど・・・。」
「・・・。」
「だけど今日昔のお前に会って、やっぱり10年以上忘れられなかったお前を諦めるのは無理だと感じた。」
「ごめんなさい。」
「謝ってほしいわけじゃねーよ。」
「・・・。」
「あきらめ悪いよな。」
「・・・。」
「でも諦めなくてよかった。もう2度と離さない。」
「捕まえといてください。」
「胃袋は捕まえたみたいだからな。」
「陥落です。」
高野は呆れ返るほどの艶っぽい顔で笑い、小野寺はその顔に見とれた。
幾重にも分岐する未来の全てが2人にとって幸せな選択でありますように。
ギャラリーはお祈りしていますね。