今日も今日とて妖怪の山で監視任務
視界に映る山の中には異変は無い
変わらぬ視界に暇を持て余し、私は視界をちょいと広げる
暇をつぶせる何か面白い事は無いかと、見渡す世界をちょっと広げる
ふふ、今日も面白い物を見つけてしまったようだ、って侵入者が……
あぁ、もう続きが気になるッ

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犬走椛は気になります

 

 

 

 

「本日も晴天なり。山内に異常なし」

 

 思わず漏れ出た独り言。

 暇に飽かせてあくびを一つ。

 誰が聞くでなし、意味のない呟き。

 誰が見るでなし、小さなあくび。

 視界に映るは滝の水。

 轟々音立て落ちてゆく。

 上から下へと流れゆく。

 滝で隠れた洞窟に、私は一人ポツンと待機。

 

「あーあ、暇だなぁ」

 

 ため息とともに愚痴が漏れ出た。

 他に誰か一人でもいれば、将棋で時間も潰せるだろうに……詮無い事だ。

 浮かんだ空想を、頭を振る事で追い出す。無いもの強請りをしても仕方がない。

 それにこの滝の水で隠された薄暗い洞窟内では、木で出来た駒が湿気てしまう。

 それは将棋好きな私としては、いささか許容できない所。

 まぁ、諦めはつけられるが、それで暇が潰れてくれる訳はない。相も変わらず暇なまま。

 仲間の白狼天狗達は、我らの縄張りたる妖怪の山を警邏中。けれども私はここに一人待機。

 

「適材適所……分かっているけど不満は浮かぶ。はぁ、戯言ね」

 

 千里先さえ見透す異能の瞳を持つが故の特別配置。

 確かに歩き回らなくていいのは楽だ。

 だからといってここで一人、ポツンと待機は退屈に過ぎる。

 上役たる大天狗様の命令故に、従う事に否は無い。

 だが、否は無いだけで、喜んで拝命するかはまた別の話。

 

「今は夏場で涼しくていいけれど、冬は冷えるんだよなぁ」

 

 水気が近い、というより滝の裏であるために、落ちた水の飛沫が散るせいで常時打ち水状態だ。

 これで冷えない訳がないだろう。雪の降る日などはたまったものではない。

 その程度で体調を崩すほど妖怪たる私は柔ではないが、少しでも良い職場環境を求める行為は悪い事ではなかろう。

 えんじにあなるものを自称する、友人の谷カッパのにとりにでも頼んでみるか。

 しかし、それで変な物を作られても困ってしまう。というか変な物の可能性の方高い気がしてきた。

 この案は却下だ、却下。やはり無難に厚着を用意しておくべきか。人形師の魔女であれば、その辺りの問題への対処を施した衣類を作って貰えないだろうか。

 

「でもなぁ。私は直接の面識はないから難しいか」

「何が難しいのかしら、椛?」

 

 私の独り言に返事が返ってきた。聞こえてきた声に気持ちが僅かに沈む。

 この声は私の苦手な人の声だ。いつもいつも飄々とした態度を崩さないで、それでいて人の内心をつくのが上手い。

 時折、白黒の侵入者を匿ったりと、私達の仕事の邪魔もする憎たらしい人の声。

 それに、それにこの人は、私にとって天敵だ。

 

「なんですか、文さん。今仕事中なのですが?」

「相変わらずのつっけんどん具合ね」

 

 視線を向けて顔を見合わせるのが嫌で、能力を使い視界を広げ、その人物を視野へと入れる。

 映り込む姿は笑顔を浮かべた憎らしい顔。哨戒業務の私と違い、新聞作りに精を出す烏天狗の射命丸文さんだ。

 白狼の天狗である事を示す、獣耳と尾を持つ私と違い、背中に生やすカラスの如き黒い翼が少しだけ恨めしい。

 私の小さな反抗を理解した上のでその笑顔にちょっとだけ腹が立つ。

 これでは子供みたいではないか。そう思えてしまうと、この状態を続けることが憚られた。

 能力を解き、文さんへと向き直る。取材にこれから行くのだろうか、首からカメラを提げ、手にはメモ帳と筆記具を手にしている。

 明らかにネタを探しに来ているその姿に、思わず眉をしかめてしまう。

 私の表情を見た文さんが笑みを深めた。

 

「うーん、この感じですと今日は面白い話は無さそうですねぇ」

「何度も言いますが、私は文さんへ新聞のネタを提供するために、見張りをしているのではありません」

「あやや、そうでしたか? てっきり半分くらいはネタを探してくれていると思っていたのですが」

 

 からかいの感情の籠った声が私の心を刺激する。尾が不満でピンと立っていることが自覚できた。

 駄目だ、駄目だ。自分の心に落ち着けと言い聞かせる。相変わらず、私はこの人を前にすると自分の感情を制御できなくなってしまう。

 他の烏天狗や妖怪に何を言われても流せるのに、この人の言葉は聞き逃せない。

 多分、理由は私の文さんに対する――

 

「毛並みも荒れてないみたいですし、昨日はぐっすり眠れたみたい、か。これは今日のネタは無さそうね」

「――ちょっ、何で人の尾を勝手に触っているのですかッ!!」

 

 少し思考に囚われた僅かな隙に、文さんが私の尻尾を撫でて毛並みの批評をしていた。

 思わず声を荒げて足を上げてしまう。しかし、伊達に幻想郷最速を自称していない。

 そう思わされる程の機敏な動きで、私の蹴りは躱されてしまう。蹴りが空を切る音がむなしい。

 人のデリケートな部分を触っておいて……一発位甘んじて蹴られて欲しいものだ。

 にやにやと私を見つめる顔の憎らしさといったら言葉もない。

 

「おぉ、怖い怖い」

「文さんッ!」

 

 怒鳴る私の声さえどこ吹く風と、文さんは洞窟の入り口近くまで私から距離を取る。

 いつでも逃げられるようにと、その為の位置取りには素直に称賛を覚えるが、それとは別で普通に悔しい。

 ぐぬぬと歯を食いしばる私へ、文さんが口を開く。

 

「じゃあ私はそろそろいこうかしら」

「もう、早く行ってくださいよっ」

 

 子供を手玉に取る様な、余裕のある態度が鼻につく。

 悪態を口にしながら、私はきっと情けない顔をしているのだろう。

 無念と羞恥交じりの顔なのだろうと、熱を持つ頬にそれを自覚させられた。

 あぁ、クスクスと笑うその余裕が腹立たしい。私たち天狗が頭の上がらない相手、鬼の伊吹様に一度捕まってしまえばいいのだ、文さんなんて。

 思い浮かべた私の念が届いたのか、文さんが僅かに身震いをした。

 不思議そうな顔をして、自身の肩をさすっている。

 

「椛?」

「何か?」

 

 漠然とした感覚だけで私の名を呼ぶ文さんへ、私はすました顔を向けた。

 私の反応に、文さんは苦笑い。やれやれとでも言いたげに肩を大きく竦めてみせると、くるりと反転し背中を見せる。

 

「椛、気になる事があれば私に言うのよ。すぐに調べてきてあげるからね」

 

 肩越しに、横顔を見せて文さんがそう口にした。

 そして私の返答を聞く前に、風を纏って飛んで行ってしまう。文さんが風を纏って飛んだ余波で、洞窟内の空気が入れ替わる。

 日に焼けた土と、瑞々しい青葉の香り。水と岩の匂いを押しのけそれらが私の嗅覚をくすぐった。

 文さんにとっては何でもない一羽ばたき。けれどそれは、私の世界を変えてしまうほどの一羽ばたき。

 まるで風そのもの。自由で気ままで、何者にもとらわれない。様々なものを運び、どこまでだって広がてゆく風。

 

だから私は貴女が嫌いです(嫉妬するほどに羨ましい)

 

 どこまでも飛んでゆく文さんを、千里の瞳で追いかける。千里の世界に不動な自分。千里の世界を羽ばたく彼女。

 私もあんなふうに、どこまでも自由に飛べたらきっと、きっと――心躍るのだろうなぁ

 

 

 

 

 

 

 

 文さんが去ってからも私のすることは変わらない。千里の瞳を用いての監視業務。

 でも、少しぐらいはと最近始めた趣味がある。あまりいい趣味とは言えないけれど、文さんや姫海棠さんに触発されたかもしれない。

 千里の瞳は私の瞳。仕事をおろそかにしない範囲であれば自由にしても許されるだろう。

 

「もーみじ」

 

 私の名前を呼ぶ声がした。同僚の白狼天狗の一人だ。警邏の休憩中にこうして良く、私の所に来てくれる。

 警邏組は基本二人一組ではあるが、私の所に二人いても仕方ないので、一人ぼっちは私だけだ。

 仕方ない事だとは理解できるが、寂しいのも事実。こうして顔を出してくれる友が、何人かいるのは純粋にうれしい。

 千里の瞳で近づいていたことは確認していたので、別段驚きはしない。私はそのまま見ていた物を見続けながら声を返す。

 

「鯉、赤みそ、ネギ、酒、ゆずに山椒。これ、なんでしょうか?」

「鯉こく」

「でしょうね」

 

 私の羅列した物品に、友人が答えを返してきた。そこで視線を一度切る。里を覗いていた千里眼を解く。

 

「やめてよ、食べたくなっちゃうじゃない」

「ごめん、ごめん。魚でも取る? 滝壺と川は目の前だし」

「んー、いいや。お昼の後もあるから濡れるのはね」

「それもそっか」

 

 友人が風呂敷に包まれた握り飯を取り出す。

 ふらりと広がるごまの香り。鼻腔を擽る米とごまの香りに食欲をそそられた。

 自分も食事にしようと、洞内の隅に置いてある荷物を手に取る。

 ついでに竹で作られた水筒と湯呑も取り出す。一つを友人に向けて放る。

 慣れたもので、友人も落とす事無く湯呑を受け取る。

 

「ん、いつみてもいい出来ね。竹林の白髪の子が作っているんだっけ?」

「うん、その子が作っている物ね」

 

 すべすべとした手触りに、竹のいい香りがする。それでいて決して青臭くなく、淹れたお茶の風味も損なわない。

 表面も綺麗に処理されており、見目も美しい艶のある仕上がり。ささくれなども無く、まさに逸品といえる出来だ。

 熟練の技を感じさせる。伊達に不死人としての永い生を送っていないという事だろうか。

 本人曰く、暇つぶしの手遊びらしいから尚のこと驚きだ。確かに作ったものを竹炭に変えて燃料としていたから、本当に暇つぶし以上の意味はない物だったのだろう。

 それが余りに勿体無く、少し前に見つけた時に、是非譲ってくれと、休日に交渉へ出かけた事はつい最近だ。

 何故知っているのかと驚く彼女の顔も思い出され、苦笑が思わず漏れ出た。

 

「これを作っては燃やしちゃうなんて勿体ないわよね」

「確かにこれは売れるでしょうね。ま、本人にその気がないのだから仕方のない話。私達があれこれ言う事では無いのは確か」

「それもそっか。でもいい趣味しているわよね」

「自分でもそう思うよ。一目見てどうしても欲しくなってね」

「そっちじゃないわよ」

 

 湯呑を差し出し、お茶を催促する友人の示す趣味が何の事だか分かった。

 茶化すような口調から、本心よりの皮肉ではない。

 けれど、こう面と向かって指摘されてしまうと、苦笑が出るのはご愛嬌だろう。

 

「視界を伸ばして幻想郷内を覗くくらいは役得……っていうのはダメかな?」

「別にいいんじゃない? 伊吹様だって霧になって色々見ているみたいだし、あの妖怪の賢者だって色々覗いているんでしょ。椛がしたって別に悪い事は無いと思うわよ」

 

 友人の言葉はとても心強い。他人様の生活を覗くのはあまり良い事とは言えない。

 そう思っていたけれど、確かに言われてみれば覗ける者も結構な数がいたものだ。

 姫海棠さんだって念写で覗けるし、文さんは直接取材をしているのだ。

 仲間うちの話題の種に覗く程度ならむしろ、他の面々と比べれば可愛い物なのかもしれないな。

 そう思えば気持ちが少しは上向く。胸を堂々と張れるものではないが、決して卑下するものでもないのかもしれない。

 趣味の中で見つけた湯呑と水筒を見つめると、その思いは強くなった。

 

「それで私も良い物や、美味しそうなものにありつけるから椛様様ね」

「それが本音か」

「おや、お気に召さないかい?」

「ふふ、どーだか」

「言葉で何と言おうと尻尾と耳の反応は隠せてないわよ」

「もぅ。それは言わない約束でしょうに」

「覚えていたら次はそうするわ」

 

 全く、気心知れた友人だ。気安い友人の対応に笑みがこぼれた。

 どうせまた指摘してくるのだ。だから、機会が有れば私も指摘してやろう。

 のんびりと二人で昼食をとる。さて、今度は何が見られるのやら。

 暇を持て余す任務の中に見出した、小さな小さな楽しみ。

 新聞と作っている鴉天狗達も、文さんもこんな心持ちで取材をしているのだろうか。

 そんな疑問がふと思い浮かんだ。それだったら、少しだけ、本当に少しだけ嬉しいな。

 

 

 

 

 

 

 ささやかな休息も終え、友人も警邏へと戻っていった。

 そして私も任務を再開する。視界を広げ山内を見張る。変化と異常のない視界内の景色を確認すると、さらに視界を広げてゆく。

 妖怪の山を越え、視界が里をおさめる。竹細工の匠は、本日は外出しているのか家にはいなかった。

 年季を感じさせる巧みな制作工程は見ていて飽きないだけに、少しだけ残念であった。

 さて、他に何か面白い物は無いかなと、視線を巡らす。そういえば昼間に見た鯉こくは結構おいしそうだった。

 帰り際に目の前の川で捕まえて帰るのもいいかもしれない。面白い物が見つからない故、思考の端で夕飯について考えていると、若い男女の二人組が目に映った。

 二人並んで飾り物の店を巡っている様子。これはこれで甘酸っぱそうで興味がそそられた。

 長生きな上、番となり子をなすという風習が薄い妖怪からすれば恋愛という物はとても不思議な物であった。

 長く生きているうちに理解はしたし、書物などでも目にする機会は多々あった。

 実感や共感はわかないが、見世物として興味を引かれる程度には興味深いものといえた。

 

「ふむ。姉さん女房と言うやつか?」

 

 見た所、年上に見える女性が男性を引っ張っていっている様に見えた。男性の方は照れが抜けきっていないのか、僅かばかりに顔が赤い。

 手を繋ぎ、女性に引かれているだけであるのに、頬に紅がさすとは初心な男だ。可愛らしいとさえ思える。

 これでは告白は女性からしたのかもしれない。ふむ、最近は草食化なるものが進んでいると鴉天狗の誰かが呟いていたが、こういう事なのかもしれないな。

 それにしても

 

「あの女性、どこかで……」

 

 何となく見覚えのある顔。飾り気のない丸眼鏡をかけている女性の顔に何となく見覚えがあった。

 はて、と記憶を探るも思い当たる節は無い。それ以前に知っている人間など空飛ぶ人間くらいだ。

 その中で眼鏡をかけている者などいない。他人のそら似かと、既視感を脇へと置く。

 どれどれと観察してみれば、簪を探している様であった。女性に手を引かれ簪を探す。全く、これは意外にも面白い光景だ。

 幻想郷の外では指輪が主流らしいと聞くが、確か里では簪を送るのが一般的であったはず。

 うーん、これはさすがに根性がなさすぎないだろうかと心配になってしまう。

 けれど、腕に抱きつき、笑みを浮かべる女性を見れば、それは杞憂なのかもしれない。

 あれだけ笑えるのであれば、あの女性は男性のそれさえも愛しているのだろうなと思える。

 これは中々に面白い光景だ。鈴奈庵で借り受ける外来の漫画なる本も良いが、こういった現実の出来事も面白い。

 

 いや、まぁ、だからといって外来本が面白くない訳ではない。むしろ面白い物が多いから困る。

 外とこの幻想郷を隔てる結界をすり抜ける幸運を待たねばならない品ゆえに、如何せん歯抜けが多いのが気になる。

 そろっていても最新刊なる続きがまだ流れ着いていないといった事態も多々ある。

 さらには完結しない作品もあるというではないか。中でもにとりに勧められたいくつかは、特に辛酸をなめさせられたので記憶に新しい。

 勧められるままに少ない休日に足を運び、借り受け読んでみれば大変面白い物であった。

 父親を探すために狩猟免許を取りに行く少年の話。鉄塊の如き大剣を振う男の話。どちらも大変面白かった。面白かった、のだが。

 後々聞けばそれは完結が危うい作品であるらしい。鈴奈庵の店員が迷い込んだ外来人へ、外へと帰る前に行った聞き取り調査によれば、完結が危ぶまれているそうだ。

 将棋で連敗続きだからと、仕返しがちょいと陰湿すぎやしないだろうか、あの河童め。寝不足の回らない頭で連敗したのも、また腹立たしさを増す要因だ。

 もういっそのこと作家を幻想郷に連れてきて妖怪化でもさせた方がいいのでは……そう考えたことも正直な所、一度や二度ではない。

 考えた所で実行できる手段も伝手も無いので意味はないし、出来たとしてもする気はないが。

 私に出来るのは完結することを、それこそ神に祈るくらいだろう。あの山の神のどちらに祈るのも御免こうむりたいが。

 むしろこの件であれば、現人神の風祝の方が、ご利益はありそうな気がする。いや、結局は祈る気はないのだから戯言ではあるか。

 しかし、このまま未完で終わってしまえば正直思い出すたびに、続きが気になって睡眠が浅くなりそうだ。

 ……やめよう。今でさえ時折、続きが気になって寝付けないのだ。これでは今日も眠る時に考えてしまう。

 

 頭を振り、外来本の事を思考から追いやる。思考を視界に映る男女へと戻す。

 簪を送る時、男性はどれだけ緊張するのだろうか。それを楽しみに二人を追うが、

 

「あぁもう、全く」

 

 視界に人影が写った。白黒の色合いに、特徴的なウィッチハット。彼の名高い異変解決人の一人霧雨魔理沙。

 あぁ、くそう。これから面白そうなところなのに。不満が胸の内に浮かぶも、千里の視線を切り上げた。

 弾幕ごっこの最中まで、他へと意識など向けていられない。あぁ、とついつい未練がましい吐息が漏れるが、仕事は仕事。

 余暇は暇な時にするもので、仕事をおろそかにするなど、そんな馬鹿げたことはできない。

 滝の裏から外へと飛び立つ。視界に捉えたままの魔理沙めがけて、空を飛ぶ。

 

「あぁ、もう。気になるなぁ……くそぅ」

 

 一度だけ未練がましく顔が、里のある方向を向くが、想いを断ち切り魔理沙を目指す。

 

「手早く向かって、さっさと追い返そう」

 

 決意を胸に、空をゆく。

 

 

 

 

 

 

「あぁ、手間取った」

 

 魔理沙をやっとの思いで追い払い、定位置の滝の裏の洞窟へと戻ってこられた。

 結局、弾幕ごっこで敗けてしまい、遠吠えで他の仲間を誘導して、物量で押し返すこととなった。

 ただの原初的な闘争であれば違うのであるが、如何せん弾幕ごっこは苦手な部類だ。

 元々が狼由来の天狗だ。空を飛び、弾幕を打ち合うのはどうにも性に合わない。天狗ではあるから、飛ぶこと自体は嫌いではないが。

 鬼の方々に倣うわけではないが、まだ殴り合いの方が肌に合う。

 

「でも、そう遅くは無い。意外とまださっきの二人は里を散策しているかもしれないな」

 

 確かに時間はかかったが日が落ちるまでにはまだまだ時間はある。簪の譲渡は見逃したかもしれないが、まだまだ暇は潰せるだろうと千里の瞳を里へと向ける。

 視線を巡らし、若い男女の組み合わせを中心に二人を探すも姿は見つけられない。

 逢引を終え、解散したのかもしれないな。

 それならばと、覚えている顔を頼りに人探しを再開する。すると、わりかし早く、男性の方は見つけられた。

 しかし、女性が見つけられない。少なくとも里の通りのどこかには見当たらない。

 家の中へと視線を通せば見つけられるのかもしれないが、さすがにそこまではと、自制心が働く。

 男性の方だけで我慢するかと意識を向けると

 

「ん!? これは一体……いやいやいや……お前、お前さん……」

 

 男が先ほどとは別の女子(おなご)と待ち合わせしていたのか、親しげに話しかけている。

 これまた若い女性。今度は男と同じくらいの齢であろうと見て取れる女子だ。

 思わず口から驚きが漏れ出た。草食に見せかけた肉食。なるほど、これがロールキャベツなるものか。

 人間とは恐ろしいと思わされる所業だ。

 人は見かけによらないとは、まさに正鵠を射ていたのか……これは鬼のお歴々も過去に騙されしまったのも、仕方のない事だったのかもしれない。

 これが、二股か。いやいやいや、待て、待つんだ、椛。

 先ほどの人物は姉であったかもしれな……いや、なら何故手を繋いで頬を赤らめていたのだ。

 それに姉弟だとしても、似てなさすぎる。先ほどの女性はかなり整った容姿をしていた。

 こう言っては悪いが、男の方はあまりぱっとしないぞ。むしろ現状の二人の方が、それっぽい。

 じゃあ、さっきの女は誰だったんだ。見ていない間に何があった。くそう、魔理沙め。これはかなり許せない案件だぞ。

 謎が解けなくて眠れなくなったらどうしてくれるというのだ。

 待て待て私よ、魔理沙への恨み言はあとだ。それよりも今はあの二人だ。

 再び意識を視界に捉えた二人へ戻すと、認識した光景に思わずぎょっとしてしまう。

 先ほどとは逆に、女子の手を男が自ら率先して引いているではないか。

 何なんだその二面性……本心を隠して強者にへりくだり、弱者に強く出る天狗かお前はッ、とついつい内心で叫んでしまう。

 もう、あの人間がよくわからない。手慣れているのかと思いきや、手を引きながらやはり顔を赤らめている。

 初心なのか、百戦錬磨なのか、恋愛未経験の私では判断がつかないぞ……

 

「何の気なしに見ていた者らであったが、なかなかに楽しませてくれるなぁ」

 

 思わずと、感嘆の声が出てしまった。甘酸っぱい恋愛ものかと思い見ていたが、これはこれで面白い。

 そのまま観察していれば、人影が一つ追加された。見ていてわかるのは、どうやら女子の友人らしいこと。

 女子に近づき何かを耳打ちしている。これはと、ついつい期待してしまう。

 あまり褒められた感情ではないが、別段こちらが何かをしたわけではない。

 外野気分の野次馬なんぞ、こんなものであろう。

 予想違わず、先の女性についての報告であったのか、女子が泣き出してしまうではないか。

 泣きながら何かを言い立てる女子に、男はたじたじだ。女子の涙は何時の時代も強い物だな。

 さて、二股師の男がどうするのかとワクワクしながら見守っていると、小さな影が近づいてくる。

 まだまだ歩き始めたばかりなのだろうか、見ていて不安になる足取りで、進行形で修羅場を作る輪を目指して進んでいる。

 幼子が間違えてあの修羅場へ突入してしまうのは不味かろう。親はどこだと、止める大人を探して見るが見当たらない。

 幼子を止めようとする大人は見当たらないが、幼子の幾分か後方に眼鏡の女性の姿を見つけた。

 いやまさか……そんな作り話みたいな事が……しかし、事実は小説より奇なりと言う言葉もある。

 色々と考える最中にも事態は進んでゆくものだ。幼子が修羅場へとたどり着く。

 言葉を交わす男女が、現れた幼子に一瞬キョトンと動きを止めた。そして幼子が、満面の笑みで男に抱きつくではないか。

 小さいゆえに、足に捕まるみたいではあるが、明らかに浮かべる顔は満面の笑み。いやはや、全く煮詰まって来たなと、感嘆してしまう。

 とうとう姐さん女房改め、子の親と思わしき女性が、幼子を抱きあげた。もはや女子は言葉もない。

 さてはてどのような結末となるのであろうか。不謹慎ながらわくわくとして来て――

 

「もーみじっ!!」

 

 弾んだ声と共に、背後から抱きつかれた。そしてあろうことかその人物は、私の耳に風を吹き付けてくる。

 

「――うひゃぁ」

 

 ……反射で情けない悲鳴が出たのは私の所為ではないはずだ。というか

 

「文さんッ! 気味の悪い事をしないでください!!」

 

 声で分かってはいたが、そこには文さんがいた。誰かが近くにいたのは知ってはいたが、天狗だからと意識をおろそかにしたのがいけなかった。

 というか、意識が――あぁ、視線が切れている。先ほどの驚きで解いてしまっていた千里眼を戻す。

 

「椛?」

 

 文さんが視線を逸らされた事に疑問の声をあげるが無視だ無視。もとはといえば、意識を里での出来事に囚われていて隙を作ってしまったが、それを置いておいても結末が気になる。

 少なくともすっきりとさせねば今日の就寝に支障をきたすのは、今までの経験から確実だ。

 視界を里まで伸ばしてゆく。背後で尾を触ろうと、ちょっかいをかけてくる文さんは適当にあしらう。少なくともあと少しだけ待ってほしいと、切に願う。

 視界が先ほどの場所まで届いた。けれどそこには誰もいない。くっ、文さんの相手なんてしていたからだ。

 視界を巡らし、彼らを探す。どこだ、まだそう経っていないはず。黄昏時に入り、暗さを増してゆく里の中を探す。

 

「ねぇねぇ、椛。何を視ているんですか?」

「ちょっと文さん邪魔しないでください」

 

 私の適当で薄い反応に飽きて来たのか、文さんが言葉を投げかけてくる。というか背後から抱きついて肩から顔を出すのは切実にやめてほしい。

 探し物をしていなければ裏拳を放っている所だが、今はそれどころではない。

 

「――! 見つけたっ」

「ねぇー椛ー」

 

 思わず見つけた事に、歓喜の声を出してしまう。文さんが甘えるような声で囁いてくるも、寒気を我慢して思考から追い出す。

 見つけたのは良いが、視界に映るのは男と女子だけ。幼子も女性もいなくなっていた。

 

「というかあの短時間に何があったのっ!?」

 

 何故に、仲睦まじく手を取り合っている。というかその簪、さっきまでしてなかったよね。あの状況の後に女子に送ったのか!?

 どれだけ面の皮厚いのだろうか、というかどうやって和解すればそんな風になるのか。

 分からない……人間が分からない……あ、ちょ、やめ……くそう、ここまでにしよう。

 家と家の間の暗がりで接吻を始めた男女から視線を切る。

 謎が増えるばかりで得られる物が何もなかった……というかいい加減に――

 

「離れてくださいっ、文さん。暑苦しいです」

「あやや、おかえりなさいな、椛」

 

 背中に張り付く文さんを振りほどく。けれど、乱暴に振り払おうと、まるで文さんは意に介さない。やはりその余裕が私にはどうしても気にいらなかった。

 不機嫌混じりな視線を向けても、文さんの笑顔は揺るがない。むしろ愉快さを増した気さえした。

 

「それで、なにか気になる事でもあった、椛?」

「――別に何も」

 

 確信を持った声の問いに、反射的に否と返した。掌の上で転がされているようで不満だった、それだけ。ただそれだけが理由の小さな抵抗。

 私の言葉を受けた文さんは、そう、とだけ気のない返事をした。らしくないその対応に、少し疑問を覚えた。

 文さんは私の反応を待つことなく、くるりと背を向けてきた。洞窟内に小さく風が渦巻く。

 文さんが風を纏い、ふわりと浮いた。帰る気だと簡単に分かった。でも、不思議だ。こちらがウンザリする位に、根掘り葉掘り聞いてくると思っていたけれど、そんな様子が微塵もない。

 

「それなら私は帰るわね」

 

 一言だけ発し、振り向く事さえ無く、文さんは去っていった。

 

「なんなんですか……一体」

 

 思わず拗ねたような声が出てしまった。どうしてそんな声が出たのかは考えない。

 どうせ答えを見つけても、良い事なんてきっとないから。だからまた、頭を振って思考を改める。

 あぁ、それにしても――

 

「どうして丸く収まったのよ……」

 

 答えはどこからも返ってこない。完全に日が暮れて、虫の声と風の音だけが聞こえてきた。

 私の今日の務めももう終わりだ。家に帰って、また明日に備えなければ。

 明日は明日でまた今日と同じく監視の任務。滝の裏から抜け出して、ふっと視線を落とす。

 滝壺と川に魚影を見つけるも……取って帰る気分ではなくなってしまった。

 もう帰って寝てしまおう。そう思うと踵を返して、私もその場を後にした。まぁ、気なって悶々としてしまいそうではあるが……

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ、もう、くそう……案の定だ……」

 

 また日が昇り、今日の仕事だと定位置につく。

 昨日と何も変わらない一日……のはずなのに。

 私の頭は酷く重い。結局眠れなかったのだ。色々と予想は浮かぶもどれが答えかは分からない。

 悪戯だったのか、妖怪が化かしていたのか、何かしらの仕込みだったのか、はたまた別の何かなのか。

 布団の中で眠ろうと瞳を閉じた私の脳内で、ぐるぐると考えが浮かんでは消える。それの繰り返しで気がつけば朝になっていた。

 それにしても眠い。実際は一晩くらいなら眠らなくとも全然問題は無い。けれども、寝ようとして眠れないのは精神に疲労がたまるのだ。

 気持ちの問題ではあるが、妖怪としては精神面での不調は意外と響く。肉体より精神に依存するからこその弊害だ。

 そして結論が出ないことを一晩中考えていたことで、心もささくれ立っているのもわかる。

 今日が非番であれば里へと繰り出すというのに……大天狗様に災いあれ……おっと、駄目だ。

 寝不足といえど、今のはさすがにいけないな。箪笥の角で小指を打ち付けたらいいのだ。

 

「あぁ、だめだ。思考が変だ」

 

 ふと、思考に冷静さが戻ると、自分の考えの可笑しさを客観視してしまう。これは相当にキているぞと、ため息が出た。

 本当に良くない。これは本格的に良くないぞ。今から仕事なのだ、しゃんとしろ、犬走椛。

 軽く頬を自らの掌で打つ。乾いた音と、軽い痛みが眠気を僅かに遠のかせる。眠気をごまかし、視界を広げると、彼女が視界に入った。

 

「文さん、どこにいるんですか?」

 

 呆れた声が出てしまった。

 

「いやぁ、ちょっと昨日の夜が私らしくなかったので、なんとなく恥ずかしくって」

「どこに羞恥心を覚えているのですか。それなら普段からもっと大人しくしていてくださいよ」

「それでは私らしさが減ってしまうじゃないですか。椛は分かっていませんね」

「分からなくて結構です」

 

 私の声に応える様に、滝の水の裏から文さんが顔を出した。何に羞恥心を感じているのかまるで分からないが、悪戯のばれた子供の様な気まずさが彼女の笑顔の中に混ざっていた。

 顔をみせたら、隠れることに意味は無いと、空洞内へと文さんが入ってきた。

 もう、その時点ではいつも通りの飄々とした雰囲気を纏う。

 

「で、なんのようなんですか?」

「椛が寝不足みたいなので原因を解消してあげようと思いましてね」

「……寝不足だなんて決めつけないでくださいよ」

「毛並みが荒れているので一目瞭然ですよ、椛」

 

 私の尻尾を見ながら文さんはそう言った。咄嗟に背中で尻尾を隠すと、文さんはにやりと笑って、尻尾を視ようと、横移動をする。

 私が見られまいと身体を動かすと、さらに背後を取ろうと、文さんが洞窟内を忙しなく動く。物を隠す子供と、それを無理に見ようとする子供みたいに私達はしばしの間、馬鹿みたいにその場でくるくると回る。

 

「ふ、あはははっ」

「……ふふ、あははは」

 

 文さんが動きを止めて笑いだすと、私もつられて笑ってしまう。何百年も生きているというのに、こんな子供染みた事を真剣にしている自分たちが可笑しいのだ。

 しばらく、馬鹿みたいに二人で笑いあう。笑いすぎて瞳に溜まった涙を指で拭う。それは文さんも同じようで、涙を拭っていた。

 笑いすぎで乱れた呼吸が整うと文さんが口を開いた。

 

「ねぇ、椛。何が気になっているか話してくれない?」

 

 酷く落ち着いた声色。飄々とした雰囲気はどこにもなく、めったに見ることのない文さんの素の表情。

 それが無性に落ち着かない。まっすぐ私を見つめるその視線が気になる。

 憧れて嫉妬をしている人に、対等にみられるような視線を向けられて、酷く心がざわついた。

 

「どうして、どうして……」

「椛?」

 

 気になる。何故、文さんは私にいつも構うのだろうか。他の白狼天狗にはそんな事無いのに。どうして私にだけこんなにも構うのだろうか。

 気になる。そう気になるのだ。好奇心が疼く。こういう時、私も天狗なのだと強く自覚する。

 強者の事を調べ備えとする天狗としての気質ゆえか、天狗は好奇心が強い妖怪だ。それが高じて新聞作りの文化が生まれるほどに。

 私の趣味もその延長だ。気になったことがあると寝つきが悪いのもその気質に起因する。

 そして私は今、一番気になるのだ。文さんの考えが。普段であればわざと気にも留めないが、どうしてだろうか。今は自制心が働かない。

 きっと寝不足の所為だ。文さんがめったに見せない素なんて見せるからだ。

 なんて、色々と言い訳は浮かぶけれど、でも本当の所は私が気になっただけだ。いい加減、気にしない様にすることに疲れただけかもしれない。ただそれだけの単純な話。

 

「どうして文さんは私にいつも構うのですか? どうして私の話をいつも聞こうとするのですか?」

 

 文さんが驚いた顔をしていた。あぁ、今私は酷く不安そうな顔をしているはずだ。知りたい気持ちとちょっとの怖さが私の心に存在していた。

 嫉妬するほど、憧れる人に本心を聞く。それがたまらなく怖い。ただの気まぐれ何て言われたら、しばらく立ち直れないかもしれない。

 そう思うほどに私はこの人が嫌いで、この人が好きなのだ。

 

「教えてください、文さん。私、気になるんですよ」

 

 あぁ、私はいま笑えているだろうか。不安を隠すために笑えているだろうか。

 顔の筋肉が引きつっている気がするも、頑張って笑みを作る。千里の瞳はどこまでも見えるのに、自分の顔は見えないのだなと、そんな馬鹿なことをふと考えた。

 文さんが笑う。いつもの作った様な笑顔ではなく、本心からの笑みだと思われるものを。

 

「椛、私はね……貴女がうらやましいから……だから構うのよ」

「うらやましい、ですか?」

 

 思わず自分の耳を疑った。文さんがうらやましいと、一介の白狼天狗たる私を羨ましいと言った。

 嘘だと思った。からかわないで下さいと怒鳴りかえしそうになった。でも出来なかった。だって、だって文さんの瞳が真剣だったから。

 私を視線だけで射抜くのではないかと思うほどに、強い視線で私を見るから、私は怒鳴りかえせなかった。

 

「そう、羨ましいの」

「そんな、そんなことは……文さんが羨む事なんて私には……」

「あるわ。貴女の瞳が私は羨ましい。どこまでも、どこまでも見通すその瞳が私は羨ましいの。なんだって見れて、見えないものなんてない。私は貴女が羨ましいのよ。だから構うの。嫉妬をこじらせただけとも言うわね」

 

 文さんはそう言って肩を竦めて苦笑した。どことなく、ばつの悪そうなその態度がちょっとだけ愛おしいと感じた。

 

「今までも貴女が見つけて面白いと話した物に外れは無かった。妹紅の作る竹細工だって私はすごく面白いと思ったわ」

「それは、文さんに話して」

 

 話していない。竹細工についての話は文さんにはしていない。どうして知っているのだろうか。姫海棠さんから又聞きしたのだろうか。

 

「はたてからじゃないわよ」

「何も言っていませんよ」

「顔に書いてあるわよ。私が知ったのはたまたま昨日ネタを探して尋ねたからよ。また天狗が買いに来たか、なんて言われて戸惑ちゃったわよ。それにはたてには話して、私に教えてくれないなんて、ちょっとムッとしちゃったわ」

「…………」

「だから昨日の夜はちょっとだけ私もあたりが変だったわよね。でもまぁ、それくらい私は貴女の事を認めているって話。信じてくれる?」

「そこまで言われたら、信じないわけにはいかないじゃないですか」

「でしょうね」

「性格悪いですよ」

「天狗なのよ、これくらい当り前」

 

 そっか。そうなんだ。文さんは私を羨んでくれていたのか。私だけの一方通行じゃなくて、互いが互いを羨んでいたんだ。

 気になっていたことがすっきりとして、胸がすいて気持ちが良い。

 

「私は文さんが嫌いです」

「ふふ、でしょうね」

「どこまでも飛べて、自由で、気ままで、風みたいな貴女が心底羨ましい。他の天狗の方たちは山の内に籠るばかり。でも、文さんは他の誰とも違って、他の誰よりも広い世界で羽ばたいて。そんな貴女が羨ましい」

 

 文さんが私の言葉を静かに聞く。文さんの瞳はとても穏やかだ。彼女の瞳に映る私が、楽しそうに笑っている。

 あぁ、私はこんなに楽しそうに笑うんだ。文さんに語りかけながら、私は文さんの瞳に映る世界を、彼女と同じ世界を見ていた。

 

「風みたいにどこまでだって飛んで行って、どんな所でも入り込む。私が見る事しかできない世界の中を、縦横無尽に飛び回る。そんな貴女が大嫌いです」

 

 ここに鬼の方々が居たら、機嫌を損ねて拳骨を落されてしまうかもしれない。でもここに居るのは私と文さんだけ。

 だったら好きに言うくらい自由だろう。仮に文さんが言葉通りに受け取ろうと困ることは無いのだから。

 でも、聡明な文さんはきっと気が付く。きっと伝わる。なら、ちょっとの照れ隠しくらいは許してほしい。

 だって、私は本心を隠す天狗なのだから。ならこれくらいは可愛いものだろう。 

 文さんがクスリと笑った。私も、憂い一つなく笑った。

 

「さて、椛」

「なんですか、文さん」

 

 文さんがニヤリと笑って私に問う。

 

「他に何か気になる事は無い?」

 

 あぁ、もう全くこの人は。

 

「実は一つあるんです。それは――――」

 

 私は語ろう、私の見た世界を。文さんに語ろう。

 だって文さんなら、私の世界の足りない部分を補ってくれるから。

 だから私はこれからも語ろう。世界を見て、文さんに語ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 里での一幕の顛末は、なんてことは無い妖怪のしわざ。この一言に尽きる。

 どうやらあの男は猟師らしく、罠の確認のおりに怪我をした子狸を見つけ助けたそうだ。

 最後に接吻を交わした女子に告白をする前で、善行でも積んでおこうと手当をした。それを狸たちの頭領である二ッ岩マミゾウが知り、気まぐれに恩返しをと行動に移す。

 そしてそれが眼鏡の女性であった。確かに言われてみれば、面影はあった気がする。

 恩返しに来た狸と告げて、困っている事は無いかと男に聞いたところ、贈り物を探すのを手伝って欲しいと男は告げた。

 結果、私が最初に見た振り回す妖怪と、振り回される男の図となったのだろう。

 運が悪かったのは女子の友人が目撃してしまった事であった。贈り物も決め、後は影から二人を見守っていたマミゾウもこれには苦笑したそうで、子狸を化けさせて介入したそうだ。

 幼子を狸に戻し、自分も変化を解いて事情を話し、男女は和解。そこで男が気の利いたことを言ったみたいで、その後の盛り上がりと相成った。

 なるほど、蓋を開けてみればわかりやすい話だ。鶴や地蔵の恩返しならぬ、狸の恩返し、といった所だろうか。

 これでしばらくは安眠できそうだ。と思ったけれど世の中そう上手くはできていないもの。

 人が、妖怪が、数多の幻想が暮らすこの幻想郷が、静かであるなどそれこそ幻想。

 また私は今日も面白い物を、興味を引かれるものを見つけてしまう。

 そして狙ったように現れる侵入者。あぁ、もうくそう。また見逃してしまうではないか。

 

 

 

「ねぇ、椛。今日は何か気になる事はあったかしら?」

 

 業務の終わりに文さんが、毎度の如く訪ねて来ては私に問う。

 幻想郷最速。人里に最も近い天狗。

 文さんであれば明日の仕事後には、全てを解き明かしてくれる。

 だから私も応えよう。貴女に、私の見た世界を語ろう。

 だから私に、貴女が見た世界を魅せて欲しい。

 貴女の瞳を通した世界を。

 

「はい、今日も気になる事があるんです!」

 

 私の世界が前よりもずっと大きく広がり、前よりもずっと私に近づいた。

 

 

――本日も晴天なり。気になる事有り――

 

 

 



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