ろくにスペースのないちんけなバルコニーに出て、僕は煙草に火をつける。以前自室で火をつけた際は、火災報知機が作動してえらい目に遭った。
たっぷりと肺に煙を入れ、鼻から大きく吐き出す。この行為を何度繰り返したか、もはや覚えていない。
ガキの頃は、『煙草なんて絶対吸わない』と息巻いていたくせに、今ではこの有様だ。一日に吸う量が、十本にも満たないのはまだ救いがあるだろうか。
明日は二日前に採用されたバイトの初日だ。今度は長く続くだろうか。
通算十七回もバイトをばっくれた僕にとって、新しいバイトの初勤務の前日には、いつもそんなことを考えていた。
――――ばっくれたのは、他の社員やバイト、パート連中が僕に暴言を吐いたからだ。『やる気あんの?』とか、『そんなんじゃ社会でやってけない』とか言いやがったからだ。パワハラをされたからばっくれてやったんだ。僕は悪くない。
そんな自己弁護の言葉を頭に浮かべながら、煙草を携帯灰皿に入れてもみ消した。
どうしてこうなってしまったのだろうか。どうして僕は、ここまで落ちこぼれてしまったのだろうか。
小学生の頃は、図鑑を読んで覚えた虫や魚、植物の知識をひけらかし、周囲からは『博士』なんて呼ばれていた。
大学に入学した時も、大学院を出て、いずれは博士課程にも進もうと思っていた。しかし、現実は非情だ。卒論が全然進まないせいで、ゼミの教授からはプレッシャーをかけられ、嫌味を言われ、ついには『やる気あるの?』――――ばっくれたバイト先の連中が、馬鹿の一つ覚えのように使っていた言葉――――と言われ、うつになった。
それでも何とか完成させ、卒業までこぎつけることは出来たが、当然ながら卒論の評価はぎりぎり単位が取れるラインであった。
これでは修士論文なんて書けやしないし、ましてや博士なんて夢物語でしかないと悟った。当然ながら、就職活動もまるっきりしなかったので、卒業後の僕は『学生』から『無職』となった。
『博士』と呼ばれた僕は、今やただのフリーターだ。いや、何度もばっくれているのでは、そう呼べるかも怪しい。
辛うじて一人暮らしをしてはいるが、それでも金は親からの仕送りに頼る日々。これでは、すねかじりと何ら変わらない。
――――ああ、死にてえ。
近頃僕は、そんなことをぼやくことが多くなった。
趣味と呼べるものはまるでなく、女とヤったこともなく、仕事もろくに出来ない僕に、生きる意味などあるだろうか。
昔見たドラマでは、俳優が『生きるだけで尊い』なんてほざいていたが、そんなものはまやかしだ。戯言だ。虚言だ。
引きこもって、『一生働かない』と言っている人間にもそんなことが言えるのか。
『生きてるだけで尊いんだから、一生働かなくてもいいよ』とでも抜かして、莫大な金額の書かれた小切手でも渡すつもりか。
何をやってもうまくいかず、加えて罵倒ばかりされている、人生に絶望した人間にもそんなことが言えるのか。
『死んだら駄目』、『頑張れ』、『やるしかない』。どうせそんな抽象的なことしか言えないだろう。
具体案もなしに頑張れるわけがねえ。頑張る気力もないから困っているんだろうが。
そんなことを言われるくらいなら、『死んじまえ、この害虫が』とでも言われたほうがはるかにいい。躊躇うことなく、死ぬ道を歩めるのだから。
――――死神でも来て、僕の首をその大鎌で刈り取ってくれないかな。
煎餅布団に横になり、毛布を首までかけた僕は、馬鹿馬鹿しい妄想にふけっていた。死にたいと思いながらも、自殺する度胸のない根性なしが僕だった。おまけに死ぬにしても苦しまずに逝きたいと考えている、贅沢な奴だった。
大学時代にうつになって以降、今も月に一回のペースで足を運ぶ心療内科で処方してもらった睡眠薬と精神安定剤を、布団に入る前に飲んだ。
バイトが出来るだろうかという不安と、早めに寝なければいけないという焦りからだった。
心臓を鷲掴みにされるような不安はまだ抜けていないが、眠気の方は順調にやってきた。これなら十分もしないうちに寝付けるだろう。
それでも僕は、それに安寧など感じない。バイトが上手くいくようにとも願わない。
このまま土に還れないかな、という願望だけだ。
――――ああ、死にてえ。
叶うことのない願望を、意識が眠気で遠のくまで僕はずっとしていた。