「え、は、お前、レムか?」
目の前に、レムとよく似た人物が居た。顔だちも、行動も、仕草も、髪の色も、声も、多少の違いはあったが、昔の彼女を彷彿させる井出立ちで、俺が倒れそうになっているのを優しい手で支えていた。
「ごめんなさい、スバル君。こんなにフラフラになるまで立っていたのに気づかないなんて、レムはスバル君のメイド失格です」
俺をちゃんと立たせてから、微妙に要領を得ていないことを言って、俺に謝った。
本当に申し訳なさそうに顔を俯かせる、レム――によく似た優しい人。
なんだ、なんなんだこれは。俺は夢を見ているのか?
・・・確かめる必要があるな。
「お、おい君、いきなり失礼かもしんないけど、俺の頬をつねってくれない?」
「君って・・・スバル君、変な意地悪しないで下さい。それとも、暑さにやられて本当に私が見えていないのですか?」
「いいから早く」
はやし立てる俺に、しぶしぶレム(仮)は俺の頬をひねってくれた。
いひゃかった。
・・・。
なぜか少し、鼓動の動きが増した。
では、この人物はもしかして、スピカだろうか。・・・いやいや、俺の知っている彼女はこんなに大きくないし、まだまだ元気はつらつの真っ最中だ。亜人だとしても、この成長スピードは異常だ。怪我の後遺症で長い間昏睡状態やコールドスリープに陥っていたというなら少なからずも可能だが、その発想はなかなか突飛すぎる。シニモドリ能力を有するお前が言うなと今にも突っ込みが飛んできそうだが、あえて言わせてもらおう。SF小説の見すぎである。
「スピカって、今どこにいんだ?」
彼女に、それとなく聞いてみた。
「スピカ・・・さん、ですか?聞いたことがありません。もしかして、スバル君のお知合いですか?」
本当に知らなそうだ。では、この女は一体誰なのだろう。レムだと騙る割にはスピカの事を知らないなんて、ずいぶんとリサーチが甘い人だ。
・・・・・・。
しかし、疑いはまだ晴れたわけじゃない。一応今の日にちは聞いておくべきだろう。
「なあ・・・ええと、レム。今は何年だっけ?」
「ふふっ、どうして今、そんな事を訊くんですか?ええとですね、確か――」
そう言って彼女は、十数年ほど前の日付を口にした。
十数年ほど前の日付を口にした。
・・・・・・・・・・・。
俺はもしかすると、走馬灯を見ているのかもしれない。ほら、死ぬ間際によく見るあれだ。それなら小さなレムを見ていることにも理屈がつくし、シニモドリの前の挿入話だとしたら、全然オッケーだ。全然。全然全然全然全然全然全然、俺には焦る必要など、不安な要素など、どこにもない。
「なあ、レ、ム・・・?」
微妙に間があいたのをなんとか繕おうと、なんとなくレムに目線を合わせてみた。
変に周りの景色が揺らいでいるのと、喉から声が中々出なかったのが少し、気にかかった。
「・・・・・・」
レムが何故か悲しそうな、心配そうな表情で俺を見つめている。
「お、おい、なんとか言ってくれよ、レム。そんなに見られちゃ、俺でも、恥ずかしくなっちゃうぜ。・・・それとも、なんだ。おれ、に、なにか・・・」
ついに、息が詰まって声さえ出せなくなった。呼吸も浅く、荒い。胸が刺されたように苦しくなって、思わず、両手でその上にあるジャージを激しく握りしめた。そうでもしないと、叫んでしまいそうな気がしたからだ。
「スバル君は、どうして・・・泣いているのですか?」
レムのその決定的な言葉に、俺は喋る言葉を失った。
俺は泣いていた。人目も気にしないで、無様に、滑稽に、鼻水を垂らして涙を流していたのだ。
「・・・ちょっと」
つっかえる喉からなんとか声を出して、知らない間に俺はわき目も振らずに走っていた。
俺は、気づいたときにはある場所で足を止めていた。
人口で切られた白い石が、特有のレンガ状で足元に均等に並べられていた。太陽の光がそれに反射して、無意識に目を細めた。今まで全力疾走してきたから、この明るさは中々に堪えた。
申し訳程度に塀が同じ石で並べられた先に、赤みを帯びたレンガ造りの家が際限なく続いていた。王都であるこの町は、カララギと違って総じて整っている感じがした。町の人は、意外に肩身が狭い思いをしているのかもしれない。
最後此処に来たのは・・・、俺が、レムに告白をしたときだ。
その時俺は、少し気がおかしくなっていた。何度も体験した自分と、愛する人の死。運命が俺を袋小路にしている気になって、なにもかもを投げ出してしまいたくなったのだ。そんな状態で、三文芝居にもならないような告白をした俺を、彼女――レムは、受け入れてくれた。
そのままカララギの町まで逃げて、レムと初めての夜を過ごして、仕事を持って、二人の子供を授かって、それで・・・。
・・・俺に今分かることは、セーブポイントは、俺が運命から逃げたと思っていたあの日から、何一つ更新していないらしい、ということだった。
俺は、必死こいて働いて積み上げてきた幸せや安泰を、一瞬のうちに根こそぎ奪われてしまった。
今の俺には、なんにもなかった。
この町、ひいてはこの世界に俺が必要としている者なんてなにひとつなかった。
リゲルの雑な突っ込みも、見ただけで癒される母親譲りの可愛らしいスピカも、俺を心から愛し、愛し合っていたレムも。いなかった。
なんにもないしかない。
一度無くしてしまった物は、もう二度と手に入らない。
二度と。
・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「スバル君」
ハッとして振り返ると、そこには、彼女――レムがいた。
「レム・・・」
「どうしていきなり、そんな・・・悲しい顔をしているのですか」
「そ、そんなことねぇよ。いや、あの時はさ、太陽が眩しかったというかさ・・・よくあるじゃん、こういうの」
咄嗟にその場を繕う。あまり、意味がなかったのかもしれないけれど。
「ごめんなさい、スバル君。実はレムは、かなり前にスバル君を見つけていました」
「・・・!覗いてたのか?」
「直ぐに駆け付けようとしたのですが、余りにもそういう雰囲気じゃなくて・・・。余りにもスバル君が・・・寂しそうで」
「・・・」
「何か、あったのですか?レムで良ければ、ご相談に乗ります」
「・・・いや、言えねえ。言うことができない」
魔女の呪いで、俺はシニモドリをしている事実を口外してはいけない呪いにかかってしまっている。もし言ったとしても、からかわれたり信じてもらえないのが関の山だ。俺はこの孤独を、恐らく一生・・・背負わなくてはならない。
「そうですか。ならレムは、口を出す権利はありませんね」
えへへ、という風に半ば無理やりにレムは笑ってくれた。俺の突然の態度の変貌を、やはり気がかりにしているようだった。
「では最後に。スバル君は今、どういう気持ちなのですか?」
「そんなこと、聞いても」
意味がないだろ――とレムに視線を移した瞬間、目の前の光景に言葉を奪われてしまった。
「どうして、レムが涙目になってんだよ」
レムが、今にも涙があふれそうな表情をしていたからだ。
「少し、日差しが強いですよね、今日は・・・」
「・・・意趣返しのつもりかよ、それ」
「・・・」
「うっ・・・ごめん。俺が言えたことじゃねえよな」
「・・・いえ、いいですよ。でもでも、今日はなんだかスバル君は優しいですね。まるで、別人みたい」
的を得たようなレムの発言に、俺は少しどもってしまう。
「な、なんだよそれ。それじゃあ、俺がいつも優しくねえみたいじゃんか。そんな、血も涙もないやつだと思ってたのか?」
「冗談ですよ。スバル君は、いつも私に優しくしてくれています。今も、そして・・・」
途中でレムが言葉を切った後、少しの間だけ沈黙が流れた。俺はレムに目線を泳がせて、さっきの質問の答えをそれとなく待った。
俺の視線に気づいた後、観念したようにレムは一つ小さな溜息をついて、
「レムは、スバル君が笑っていたら、一緒に笑っていたいんです。誰かに対して怒っていたのなら、レムも一緒にプンプンしたいんです」
「プンプンって、きょうび聞かねえな・・・」
「もし、もしスバル君が悲しんでいるのなら・・・」
「・・・」
お節介な話だとは、そのレムの切実な表情を前には言えなかった。
「えへへ、レムはお節介者ですね」
まるで、言葉をよんだようなレムに、思わずドキリとした。
「だから、スバル君の気持ちが分からないレムは今、悔しいんです。お願いですスバル君」
「・・・こんな可愛い娘にお願いされて黙ってちゃ、男の名がすたるよな」
「ふふ、なんだかおっさん臭いセリフですね」
「いや、ん、んなこたねえよ。たぶん・・・」
「・・・」
今度はレムに黙られてしまった。むむむ、同じ手をさっき使ってしまった手前、逃げることは難しいようだ。行き詰まってしまった。
面と向かって喋ることがなんとなく恥ずかしかったので、俺は少し顔を下げて、
「レム、俺は――」
「はい」
「——悔しいよ。悔しくて、憎くて、辛くて、とっても、悲しい・・・」
「はい」
言葉が途切れるたびに、レムが相槌をうってくれる。孤独じゃないということを実感できるからなのか、一人でいる時よりも、気持ちの整理が幾分かしやすいような気がした。
「けどやっぱり・・・寂しいよ、俺。他の事なんかどうでもいいって思えるくらい、ワケ分かんねえ程。月並みな表現だけどさ・・・本当に、体の何か大事な所が抜け落ちていった感じだ」
多分、掛け替えのなかったものなのだ。俺はその穴を永遠に埋められないまま、一生を過ごして行くのだろうか。
「もう俺には生きる価値がないんじゃないかって、ここに生きがいなんてないんじゃないかって、絶望してる。あの時の――俺のように、なにもかもを投げ出して、諦めてしまいたくなるほど、弱気になってる。今ここに居ることが嫌で、此処じゃない何処かの街まで逃げてしまいたい。もうなにも、考えたくない」
頭の中でグチャグチャに渦巻いていた負の感情が、堰を切ったように口から勢いよく出てくる。苦しく、辛いことを言っているのに、なんだか気持ちがほぐれていくような気がした。
レムはこれを聞いて、どう思っているのだろう。引かれているだろうか。いや、きっと彼女なら、一緒に悲しんでくれているに違いない。そんな確信があった。年齢や一緒に過ごした年月は違えど、俺はレムの事を知り尽くしているはずだからだ。
おもむろに顔を上げると、彼女は――あからさまに、モジモジしていた。
「は、い・・・」
さっきの俺みたいに顔を伏せて、しきりに手櫛で自分の髪をとかしている。相槌もだんだん曖昧になってきたし、頬が若干、赤みがかっているようにも見えた。
そんなレムが、いきなり目をまん丸にあけて、
「あ・・・、あのっ!」
「は、はい!なんでしょうか!?」
お互い声が裏返った。
「その、スバル君の心の埋め合わせなのですけれど・・・い、いえいえ、もしスバル君が良ければの話ナノデスガ」
肩で息をするほどにレムが声を荒げて、
「せ、僭越ながらレムにさせていただいても、よろしいでしょうか!」
「・・・へ?」
「れ、レムは料理の腕には自信があると思っていますし、家事も、メイドをやっていますから、一通りはこなせます!あと・・・あとは、腕っぷしは、並みの男よりかはあると、自負しています!ほ、ほらスバル君、見て――」
「まて、まてまて、落ち着け」
目を白黒させながら、アームカバーを不格好にずらして二の腕を誇らしげに見せつけていくるレムを、なんとかして宥めようとする。
「スバル君には指一本たりとも、近づかせません!」
「それ、普通ヒロイン対して使うセリフだから・・・」
「一度は言ってみたかったんです」
「お前なぁ・・・」
こんな時でも、的確に突っ込みを入れようとする自分がいた。
最後にしたのは、リゲルに対してだったっけ。あいつのそれは、年を重ねるごとに進化を遂げた。普段からボケをかましまくる俺やレムのおかげ(所為)で、洗練されていったからだ。
・・・。
なんだか、リゲル達が俺の中にいるような気がした。
「ふふ・・・」
俺が笑っているのを見て、レムはニコニコと笑みを讃えていた。
もしかしたら、俺を元気づけさせる為に一芝居うってくれたのかもしれない。・・・多少の荒療治感は否めないけれど。
「・・・生きる価値なんてないって、言わないで下さい。スバル君は、誰かにとってかけがえのない人である事を、レムは知っています」
「そんなこと、ねえよ」
「いいえ、あります。少なくとも、スバル君はレムにとって、人生を変えてくれた恩人です」
「・・・」
「それに、スバル君は決して孤独なんかじゃないことを、レムは知っています」
「!」
俺の未来を知らないお前が、知ったような口を聞くなとは言えなかったが、少しムキになった自分がいた。
「・・・それは嘘だ。今の俺は、大切な人なんて、俺を大切に思ってくれている人なんて、一人もいない」
「いいえ、違います」
レムはどこか、確信しているような口調で俺の言葉を否定する。
「・・・絶対に会えない少女がいる。お母さん似の奇麗な髪をしていて、笑うときは本当に可愛くて・・・。些細なことであいつにどなっちまった俺は、もう、謝ることができない」
「レムは知っています。部屋から中々出てくださらなくで、レムにも殆ど顔を合わせてくれないお方を。でもでも、いつも話しかけてくれているスバル君に、ゆっくりと、でも確実に心を開いている・・・。そんな、スバル君を必要としてくれているはずの禁書庫の少女を、知っています」
「一生、顔を見れない人がいる。俺より口が悪くて、嘘が信じられないくらいに下手で、正直で。俺はそいつにもう、構ってやることができない」
「レムは知っています。誰よりも面倒見がよくて、実直で。スバル君が手を取ってくれた、孤立していた彼女を、知っています」
「二度と、話せない人が・・・いる。優しくて、厳しくて、それすらも愛らしくて、一番俺の好みを知っていて、一番、おれのことを、理解してくれていて・・・」
「レムが、います」
力強く声を押すレムに、思わず目を合わせる。
「レムはスバル君と、沢山話したい。スバル君の好みを知りたい。スバル君の事を、もっともっと理解したい」
「なんで、そんなに、俺の事を・・・」
十分に聞く前に、レムはこちらに歩み、
「——レムは、スバル君の事が大好きだからです」
「あ・・・」
俺の右手を両手で握りしめた。
レムはまっすぐに見つめて、
「レムは、スバル君のことを、心から愛しています。それこそ、傷心のスバル君と一緒にどこか知らない街まで行って、仲良く暮らしてしまいたい程に。・・・けれど、それじゃあダメなんです。スバル君は、誰よりも優しくて、格好良くて、勇気がある人です。簡単に絶望するような人なんかじゃありません」
俺に語り掛けるように、なおも続ける。
「だから、ダメなんです。ここで一緒に諦めてしまうと、レムの好きなスバル君が、消えてしまうような気がして・・・。だから、嫌なんです」
「・・・なんだよ、それ。一緒に悲しんでくれるんじゃなかったのかよ」
「はい、悲しみます。でも、その後の事とは、また話が別です」
「手厳しいなぁ」
レムはやっぱり、いつでも厳しくて・・・そして、優しい。
「大切な人を失って、そんな辛い過去があっても、それを振り切れるくらい、何度でも築いていけばいいんです。ここには何にもなくて、スバル君の中が空っぽになってしまったとしても、それに溢れるほどに満たせるくらい、最初から仕切りなおせばいいんです――ゼロから」
いっそ、マイナスから、なんてどうでしょうか・・・えへへ、と表情を緩ませるレム。
しかし、俺の右手は痛い程に固く、ぎゅっと握られていた。
「もう一度、やり直せるかな、俺・・・」
「はい、スバル君なら、必ず」
「・・・レムにそんな風に言われると、本当に出来る気がしてくるよ」
「だってスバル君は、レムの英雄だからです。レムに、生きる希望を与えてくれたんです。今度はレムが、スバル君を支えたい」
「・・・っ!」
「どうしました?」
「な、なんでもねえよ」
そんな事を見つめられながら言われて、平常心で居られるはずがなかった。
一度二度深呼吸をして、レムに向き直る。
「レム」
「はい」
「俺も、お前が――レムの事が大好きだ」
「————」
「この気持ちに、嘘偽りなんてない。俺はお前の事をいつでも、ずっと前から、愛している」
そして、今も。どこの、いつのだとかなんて関係ない。俺は、一緒に暮らし始めたあの日からずっと、レムに、レム自身にぞっこんなのだ。
「・・・ずっと前からなんて、おかしな表現を使うんですね」
「へへ、そうだな。けど、俺にはそれが、しっくりくる」
本当にもう二度と、手に入らないのかもしれない。失敗して、失敗して、またここに戻されるかもしれない。あの日には戻れないのかもしれない。
けれど。
「だからさ、レム・・・。俺と一緒に、生きてくれ。お前さえ傍にいてくれれば、俺は、頑張れる気が・・・いや、頑張れるんだ。もう一度、やり直せる」
それだけは、誓うことができた。
「・・・謹んで、お受けします。スバル君が、そう望んでくれるのなら」
「ああ、見ててくれ・・・ずっと」
リゲルもスピカも、あの日のレムも・・・きっと、どこかで。
おしまい?
「あ、あのさ」
「?どうしました?」
「ええと、格好つけた手前、とても言いづらいんだけど・・・」
「なんでしょう」
「俺って今まで、何してたっけ・・・」
十数年前の記憶を掘り起こすには、割と時間がかかりそうだった。