「こんにちは」
「あら、未来ちゃんいらっしゃい」
放課後、旧リディアン近くの商店街。
新設された校舎からは少し距離があるものの、やはり通いなれた場所ということもあって。
未来はよくここで買い物をする。
いつもの八百屋に行ってみれば、すっかり顔馴染みとなった妙齢の女性が出迎えてくれた。
「今日は『旦那様』いないの?」
「あはは、今晩は泊りがけだそうです」
「あら、大変ね」
ごく稀にだが、休日なんかには響とも買い物に来たりする。
その際のやり取りが、『夫婦』だなんて茶化されるくらいにぴったりらしく。
この女性含めた数人には、すっかり『旦那様』なんて認識されている響だった。
「じゃあ、今日は未来ちゃん一人なんだ?戸締りはしっかりね」
「はい、ありがとうございます」
会話しながらも、あれこれ野菜を選んだ未来。
会計を済ませて、帰路に就こうとして。
「――――ッ」
突如として街中に響く、低く唸るような音。
それがノイズの出現を知らせるアラートだったからこそ、未来は体を強張らせた。
「未来ちゃんこっち!一緒にシェルター行こ!」
すぐに反応した八百屋の女性は、鋭く声をかける。
未来は戸惑いながらも頷き、せめてもの礼にと店じまいを手伝う。
「――――なんだ、これは」
一方、二課本部。
その光景に、誰もが愕然となる。
司令室モニターが映し出したのは、首都圏にある人口三十万ほどの都市。
そこをぐるりと囲むように立ちはだかっているのは、色とりどりのノイズ達。
市内へ進撃するでもなく、周辺へ散らばるでもなく。
ただ、そう。
まるで通せんぼをするように突っ立っていた。
積極的に人を襲う様子は無いが、動かない分警察や自衛隊などの一般的な組織の足止めに効果を発揮していた。
「一体、何を・・・・!?」
「どちらにせよ、放っておく道理は無い!全員出撃だ!」
「ッ了解!」
装者全員に号令がかけられ、響達は駆け足で司令室を後にする。
「市内の監視カメラとの同期、完了しました!」
「映像出ます!」
モニターが切り替わる。
映し出されたのは―――――
◆ ◆ ◆
建物が燃えている。
道路が燃えている。
人間が燃えている。
火の手はあちこちに上がり、生きているもの全てを飲み込まんとする。
万一炎から逃げることが出来ても、そこらじゅうを闊歩するノイズの群れがやはり生きるのを許さない。
少しでも鼓動を続けさせようなら、一瞬で刈り取られた。
建物が崩れている。
道路が割れている。
生き物が死に絶えている。
ノイズか人か分からない黒い塊を踏みつけながら、まだ生きている人々は逃げ惑った。
「逃げろ!とにかく走り続けるんだ!」
彼らもまた、そんな一人だった。
痩せ型の中年サラリーマンとその妻、そしてその娘らしき三人が。
炎とノイズを何とか避けながら逃げる。
娘の腕には生まれたばかりの赤ん坊が抱かれており、この緊迫した状況が分かるのか、終始泣き叫んでいた。
その父親がどうなったのかは・・・・語らずとも分かることであろう。
「何で、何でこんな・・・・!」
「誰だって同じだ!どこかに、絶対どこかに安全な場所が・・・・ッ!」
そんな一家の目の前に、降り立ったものがいた。
リブラだ。
彼女は意味深ににやつきながら、通せんぼするように立つ。
ウェーブがかった癖っ毛から覗く瞳は、どこか鋭く一家を睨んでいた。
彼らは呆然としながらも、しかし心当たりのある顔をする。
「理沙・・・・やっぱりお前なんだな?」
「あーら、覚えていたの?意外」
父親が一歩前に出れば、リブラは嘲りながら鼻で笑う。
「『家族じゃない』っていうくらいなんだから、もうとっくに忘れてると思ったわ。すごいじゃない」
「・・・・ッ」
完全に小馬鹿にした態度。
父親は大声で反論しそうになるが、ぐっと堪える。
堪えた上で、口を開いた。
「・・・・このノイズ達は、お前が操っているのか」
「そうよ、言うことをきちんと聞いてくれるの。どっかの誰かさん達みたいに、無視や否定なんてしないいい子達なんだから」
そう、リブラが指先を動かせば、周囲にいたらしい個体が寄ってくる。
手がアイロンのようになっている個体の頭を撫でて、おたまじゃくし型に腰を下ろす。
一家はそれだけで、目の前の彼女が異常な存在であることを悟った。
「・・・・だったら」
しかし父親は、この事実を好機と見込む。
地面にひれ伏し、すっかり熱せられたアスファルトへ額をこすりつけた。
「だったら頼む!母さんと真子だけは逃がしてやってくれないか!?」
「お父さん!?」
「お父さん、何を!?」
妻と娘のぎょっとした視線を受けながらも、しかし彼は土下座をやめない。
「後悔しているんだ!こんなことになって!本当に!だからッ・・・・・!」
「・・・・そう」
――――自分を担保にして、家族を助ける。
実に麗しい行為だったが。
「残念だわ、本当に。
「理沙・・・・!」
次の瞬間、リブラははっきりと顔に怒りを刻んだ。
「こんなアホ共と十年以上家族してたなんて、反吐が出る!!」
「理沙!お願い、やめて・・・・!」
「わたしが『やめて』と言って、あなた達はやめたかしら!?やめてないわよね!?ねぇ!?」
「理沙、理沙、理沙・・・・・!」
「軽々しく名前を呼ぶなッ!!」
絶望する夫にすがりながら、母親は懇願する。
だが、彼らの発するいかような言葉も、もうリブラには届かない。
「やっぱり死んでよ。死んで地獄に落ちて、ずっとずっと苦しみ続けてよ!!」
そしてとうとう怒りのまま、棍を突きつけて号令を出した。
飛び出すノイズ達。
両親は悲鳴を上げる間もなく、避ける暇もなく。
絶望をはっきり顔に出して、黒い塵に変わった。
「は・・・・はぁ・・・・・はっ・・・・!」
咄嗟に身を捻った娘は、呆然と両親だった塵を見つめる。
錯乱しかけた心を繋ぎとめたのは、腕の中で泣き喚く赤子。
「ね、ねぇ、理沙?」
わなわな震える唇を、何とか動かす。
「ゎ、私は、ダメ、でも、この子はいいでしょ?何にもしてないもの、何にも悪いことしてないもの、見逃してくれたっていいでしょ?ねぇ?理沙?」
早口になってしまったが、言いたいことは言えた。
未だ泣き叫ぶ我が子の声は、母親としての本能を刺激して。
命乞いをするだけの理性を繋ぎ止めてくれている。
降りる沈黙、両親の塵が風に散り始めた頃。
「――――その子にとっての不幸は」
しかして、無情にも。
棍の切っ先は突きつけられる。
「あんたみたいな親のとこに生まれたことよ、姉さん」
ぞっとするほどの、淡々とした無表情。
まるで無機物を見るような、廃棄物を見るような。
少なくとも生き物に向けていい目じゃなかった。
「ぁぁ・・・・・あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッッ!!!!!」
逃げなきゃという一心で、抜けた腰を取り戻して立ち上がる。
みっともない声を上げながら来た道を引き返し、少しでも背後の『脅威』から距離を置こうとして。
間もなく、赤ん坊の泣き声と共に途切れた。
呆気なく散った、家族だったモノ達。
吹いてきた強風にさらわれ、跡形も無く消えていく。
「――――ざまぁみーろ」
子どもっぽく『あっかんべぇ』をして、移動する。
足りない、まだ足りない。
この町の人間を一人残らず始末しなければ、この怒りは収まらない。
歩みを進めるその姿には、罪悪感など欠片もなく。
『災害ってこんな感じかな』ってノリで書いてました。