転生したら兄が死亡フラグ過ぎてつらい   作:由月

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お久しぶりです。更新できたのも、一重に温かな言葉と、待っていてくださった読者様の存在あってこそ! 本当にありがとうございます。

さて今回は前回の「答えのない問いなんていくらでもあるのさ」の別視点。
注意事項

・なんちゃって推理。
・わちゃわちゃ慌ただしい。
・長い。二万文字をこえている。
・多分賛否両論ある。
・一応事件容疑者及び被害者の名前は、実在しないような名前を目指しましたが、もし同姓同名の方がいらっしゃったら申し訳ありません。
・三行で略すと「スコッチさんのたいへんな任務~なんちゃって推理もの~」ぐらいの内容のなさ。
・でも作者がんばった。
・ジェネヴァ君の女装描写あり

以上。おっけー?

ではどうぞ。


模範解答なんて期待をするだけ無駄だ

 組織の地下駐車場。時刻は十八時。バーボンは今夜の任務の同行者を待っていた。腕時計を見ると、もう約束の時間になっている。バーボンの待ち人はそこら辺はちゃんとしていると思っていたのだが。……何せあの若さだ。それで成り上がった苦労はバーボンの想像を絶するだろう。

 

 

 ――コツ、とヒールの鳴らす小気味いい音が近づく。この足音の主は……。

 

 

 ああ、とバーボンは脳裏に浮かんだ疑問を一瞬で霧散させる。そういえば、そうだった。バーボンは足音の方へと視線を向ける。

 

 カツリ、と鳴らすヒールはシンプルな黒。ひらり、と翻る裾は綺麗な青で、持ち主の凛々しい美しさを存分に引き立てる。白い背中を無防備に晒しているのは、イブニングドレスだからか。編み込み、まとめられた黒髪と化粧に彩られた暗褐色の瞳は元の少年の面影を欠片もなくしている。どこからどう見ても綺麗に着飾った女性だ。

 

 ベルモットから簡易的な指導を受け、彼も変装出来るとは聞き及んでいる。それがここまでの完成度を誇るとは、と苦く思うのはバーボンの身勝手なエゴだ。

 

「……今日はよろしくお願いしますね。バーボン」

「――ええ。こちらこそ。ジェネヴァ」

 

 ふわっと微笑みすら浮かべる女性こそ、ジェネヴァだった。最初にその出来栄えを見たのは先日のことで、その時にうっかり口を滑らせた事はバーボンにとっては苦い思い出だ。……スコッチとライは笑っていたが。スコッチは兎も角ライは絶対許さない。

 

 内心の葛藤なんておくびも出さずに、バーボンは助手席のドアを開け、ジェネヴァを乗せる。自分も運転席に乗り込み、シートベルトを締める。

 

「そういえば」

「なんですか?」

「私のこと、“ジェネヴァ”じゃなくて、“シズカ”と呼んでくださいね」

「……今から、ですか?」

 

 エンジンの駆動音に掻き消えそうな、思い出したようなジェネヴァの声にバーボンは律義に聞き返す。そこからの提案にバーボンの眉間に僅かな皺がよる。

 

 バーボンの怪訝さは声音で伝わったらしい。ジェネヴァの口から鈴の音のような女性らしい笑いが漏れる。

 

「ふふ。気分を悪くしたなら、謝りますね。私、スイッチが入るまでが長いので」

「スイッチ、ね。……演技、としてなら今のままで充分なのでは?」

「そう?」

 

 ハンドルを切って、後退からの前進、緩やかに駐車場を後にする。バーボンは運転に集中するように前を見据える。故に隣に座る人物の表情を見ない。だが、声が、空気が、彼が微笑み、笑っている事を伝えてくる。車中という狭い空間ではそれは言葉並みに雄弁だ。

 

 君、笑えたんだね、と皮肉なんだか、素直な喜びなんだか分からない言葉がバーボンの喉に絡まる。詰まって言葉が出ない、なんて久々の感覚だった。可笑しな話だ、顔も、姿も、声すらも別人だというのに。今の彼と話していると、ジェネヴァという少年の存在が曖昧になってしまいそうになる。今だって垣間見える仕草の別人さに戦慄してしまいそうだった。

 

 

 ――この子供はここまで別人になれるのか。

 

 

 組織の建物から出れば、東都の夕暮れの街並みが見える。西日の眩しさに一瞬だけ目が眩む。

 

「……そうですよ。(よそお)うにしても、会場に入ってからでいいでしょう?」

「――ん。わかった。アンタがそういうならそうするさ」

 

 バーボンの内心を知ってか知らずか、ジェネヴァはあっさりと頷く。淡々とした少年の声に、切り替えの早さを知る。演技のスイッチ云々なんて嘘だろ?そう言いたいのを我慢してチラリとバックミラー越しにジェネヴァの顔を見る。

 

 少しばかり顔色が悪いような、と少し前の記憶をバーボンが反芻する前にジェネヴァの瞳がバックミラーに向けられる。当然、バーボンと視線がかち合う。

 

「それより」

「!」

 

 目を細められ、少しばかり車中の空気に緊張が走る。BGМ代わりのラジオのМCの声が少しばかり白々しく聞こえてしまう。

 

「前見なよ、前。危ないでしょ」

「――すみません。少し考え事をしていました」

 

 真剣な表情で告げられた常識的な内容にバーボンの肩の力が抜ける。拍子抜けというか毒気を抜かれるというか。

 

「そうだ。コレ、渡しておきますね」

「なにこれ?耳に付ける奴?」

 

 信号が赤になったのを確認した後にハンドルから手を放し、懐から目的のものを取り出す。ジェネヴァに投げてよこせば、すんなりキャッチされ、指で摘まんで物珍し気な視線を向けられる。その仕草はまるで新しいおもちゃを見る子供のようだった。

 

 信号が赤になるのを目視して、バーボンはジェネヴァに視線を向ける。

 

「イヤーカフ、だそうですよ。これは通信機ですので、取り扱いに気を付けてくださいね。くれぐれも壊さないように」

「了解。……というか、俺そんな乱暴者に見えるの?」

「そういう訳ではなく。……君の見た目と実際のギャップは身に染みているので」

「それどういう意味?」

 

 少し前の淑女の仮面を脱いだジェネヴァにバーボンが念を押せば、返ってくるのは機嫌を損ねたような言葉だった。勿論、ジェネヴァは変わらずの無表情に揺るがない淡々とした声のままだ。だから、実際は機嫌なんて損ねていないかもしれないし、この会話に意味なんて見出さないかもしれない。それでもいい、とバーボンは思う事にした。

 

「はは、悪い意味じゃないですよ。――これでも、君が見た目通りじゃなくて良かった、と褒めているんですから」

 

 ジェネヴァがその見た目通りの儚い繊細さだったら、バーボンの中の良心は今頃悲鳴を上げていただろう。ただでさえ、今だって日本で培った良識って奴が匙を投げている現状だ。頭が痛い。現に今顔に浮かべる微笑の八割は苦いものが占めている。

 

 バーボンの空笑いに、ジェネヴァはジト目を向け、

 

「…………うそだろ、それ」

「ははは」

 

 褒めていないだろ、実際と拗ねたように顔を背けてしまった。バーボンの笑みは余程胡散臭かったらしい。こういう反応はこどもらしくて、バーボンは思わず笑ってしまう。今は任務前だ。こういう葛藤は後でも出来るか。

 

 車の外はいつもの街並みが広がっている。少しだけ垣間見える忙しない生活の様子もいつも通りの光景だ。それは彼の目にどう映るのだろうか。バーボンの脳裏に刹那に浮かんだ疑問は、ハンドルを握り直す頃には消えていた。

 

 青になった信号に、今日の任務がスムーズに行きますようになんてらしくもなく願ってしまうのだった。

 

 

 

 

 

 ざわざわ、と喧騒と例えるには少し足りない賑わいを前にバーボンはため息をぐっと飲みこんだ。煌めくシャンデリアの明かりだけではない、表面上は上品に賑わう人々の輝きが目に眩しい。それが如何に幻に近い偽りだろうと、華やかなで煌びやかなのは事実だ。

 

 空調が完璧な室内は、外の夜になってなお暑い気温なんて忘れてしまいそうなほどに程良い温度に保たれている。招待客の人数の多さとそれと比例するスタッフの人数を脳内で浮かべ、視界を通り過ぎる人々を目で追いながら、バーボンは関係ない方向へ思考を反らした。現実逃避している場合か、自分。バーボンは内心自身を叱咤する。

 

 いや現実逃避したくもなるだろ、とバーボンは隣にちらりと視線を向ける。

 

「――で、聞いているんですか?」

「……聞いてる」

 

 作戦直前の確認にジェネヴァの反応は鈍い。目を伏せどことなく憂いある様子は装いも相まって、危うい色香が漂う。バーボンはこの隣の女性の中身がまだ幼さのある少年だと知っているからまだいいが、勘違いする輩もいるだろう。

 

 件の取引があるのは四十五分後。それまでに調子を取り戻してくれるといいのだが。とはいえ、バーボンに出来ることはない。励ましさえ、無意味だ。バーボンは内心歯ぎしりをする。

 

 だが、それもバーボンの杞憂だとすぐに思い知る。

 

 

 瞬きひとつ。それで、それだけで彼のまとう雰囲気ががらりと変わる。

 

 

 柔和な、見た目通りの微笑み。その形だけの唇の動きを見た時、バーボンの背に空恐ろしい予感めいた冷たさが通る。

 

「それで、私は何をすればいいの?」

「同伴者に接触して、見極めて頂ければ。他はこちらが対応しますから」

「了解。それじゃあ一旦別行動になるわね」

 

 当の本人のジェネヴァといえば、けろりとした態度で頷く。が、バーボンの先ほどの動揺は殺しきれなかったようで、ジェネヴァの顔に怪訝なものが浮かぶ。何?、と問う褐色の瞳にバーボンは軽く頭を振る。いや何も、と。

 

 そんなバーボンの誤魔化しも、嘘つけと鋭い視線が返ってくるだけだった。これは下手に誤魔化すのは下策か。バーボンはほんの少しの本音を建前に混ぜることにした。

 

「いえ、本当に別人みたいだなと思っただけです。他意はありませんよ」

「そんな事言ったらベルモットの時、もっと驚く羽目になると思うけど?」

 

 知ってる。ジェネヴァの軽い口調にバーボンは反射的に言葉を飲み込む。

 

 千の顔を持つ魔女(ベルモット)と十三歳の子供とを比べるだけ無駄だ。本来ならば。バーボンはそこでため息を吐いた。

 

「彼女は年季が違うじゃないですか。……君は、まだ――。いえ、なんでもありません。これは僕が言う事じゃないですね」

 

 君はまだ――十三歳のこどもじゃないか。喉に絡みついた言葉は紡がれる事はなく、代わりに誤魔化しが口から零れる。どうしようもない、馬鹿げている。これは捨てるべき感傷だ。隣の存在は憐れむべきこどもではなく、黒の組織の幹部に相応しい技量を持つ脅威となる存在だ。先ほど思い知ったばかりだろう?バーボンは一息吐いて気持ちを切り替えることにする。

 

「……アンタが何を心配しているのかは、知らないけどさ。“俺”は大丈夫だよ。こう見えて図太いし、頑丈だからね」

 

 ふいに隣から聞こえてきた声は、ジェネヴァ本来のものだった。その落ち着いた声に気遣われた可能性がバーボンの脳裏を掠める。

 

「そうですか」

 

 そんな訳ないか。

 

 唇に浮かんだ笑みが自嘲から苦笑に変わる。バーボンは己の考えに情けなさすら感じていた。

 

 ジェネヴァはバーボンに小首を傾げ、

 

「それに、この格好も期間限定だと思えばなんてことないし。……見た目、見苦しくないからセーフじゃない?」

 

 ふふんと小さく胸を張る。淑やかな女性の影は引っ込み、そこにあるのは年相応の子どもらしい明快さだ。少々の微笑ましさにバーボンの口元が思わず綻ぶ。

 

「……ふふっ、なんですかそれ」

 

 笑みが零れたバーボンにジェネヴァは何度も小さく頷く。

 

 まるで、気楽にやろうぜと励ましているように。

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※

 

 

 ――パリンッ

 

 

 

「きゃあああああああっ!!」

 

 

 絹を裂くような女性の悲鳴に掻き消された微かな異音。それは空耳だったのか。

 

 事件が起きたテラスの近くにいた一人のウエイターは苦く、奥歯を噛みしめた。白のシャツに黒のギャルソンエプロン姿はここの制服だ。

 

 さて、どう動こうか。するり、と自分の顎を撫でて、そこにいつもの無精ひげがない事に落ち着かない気持ちになる。今回の任務に無精ひげはそぐわないか、と事前に剃っていたのだ。今のこの職業に清潔感は必須だ。

 

 腰に付けたインカムの操作をし、回線を合わせ、他のホールの人員に連絡を取る。左耳に付けたイヤホンから聞こえるのは混乱と動揺の隠せない声だ。まあ、一般人の彼らにこれはきついかもしれない。

 

 テラスへと繋がる扉は既に開け放たれている。室内の明かりで多少は明るくなっているものの、奥は薄暗い。おしゃれを演出するはずだった間接照明も人が倒れ伏すこの場では真逆の恐怖しか感じられないだろう。微動だにしない強張った表情と、肌の色は死人のそれだ。手遅れ、か。

 

 腰を抜かす第一発見者の女性は驚愕の眼差しで目の前を見つめている。――確か、被害者の奥さんだったか。

 

 左耳から聞こえる混乱の声に、二、三言頼み事をする。動揺する相手にはシンプルに伝える方が効率的だ。こちらの方が新人で申し訳ない気持ちが先に立つが非常事態だ、仕方ない。

 

 

 ――警察、救急車を呼ぶこと。

 ――混乱するお客様方をこの場に留めること。

 ――従業員専用の通路に少しだけ近づかないように。

 

 

 最後に告げた言葉に違和感を抱かせないように、細心の注意を払い、“頼れる同僚”を演じる。こちらの思惑通りに、納得の声を上げ、インカム越しの相手はこちらの指示通り動くようだった。

 

 そして同時に現場を荒らさぬように、そっと被害者に近づき、脈とその体温を確かめる。――やはり、手遅れだ。この様子だと死後そんなに経っていないようだが。

 

 と、そこで被害者の首筋に小さな刺し傷が見えた。まるで注射針で傷つけたかのような、小さな穴。――凶器はそれに準ずる何か、か。他に目立った外傷は見当たらない。毒殺の可能性が高いので、経口摂取もあるか。

 

 被害者の周りにはキラキラと光を反射するガラス片が散らばっていた。その付近には少量の液体も広がっている。それ故、すぐに駆け寄って対処が出来なかったのだが。――ワイングラス、に近いものが割れたのだろうか。

 

 そして被害者の倒れているのはテラスの柵にあたる部分だ。薄暗いこのテラスは隅に出来た暗がりに身を潜めれば簡単に隠れられそうだった。――犯人が隠れられる余地はある、か。

 

「誰、なの?」

 

 強張った第一発見者である女性の声に脈を計っていた手を離す。――これは面倒なことになったぞ、と男の脳内で警鐘が鳴り響く。

 

「……ここの従業員ですよ、お客様」

 

 ウエイター、佐藤 光。名前の由来はとあるメーカーのレンジで温める白米のアレである。米の品種がコシヒカリだったのがいけない。まあそれを言ったら、同僚のバーボンに一撃をくらってしまったが。やたら重い一撃だった。

 

 

 ――または、コードネーム“スコッチ”。絶対、ここでバレる訳にはいかない。

 

 この後、第一発見者を宥め、テラスから室内へと移動し、隙を見てバーボンらに連絡。従業員専用の通路を使うように、と勧めて、ライが防犯カメラをアレソレして、なんとかバーボンとジェネヴァが会場外に出たようだった。嵐のような忙しさだった。悲鳴からここまでかかった時間はたったの一分、と言えば伝わるだろうか。カップラーメンとて調理が間に合わない慌ただしさだ。

 

 

 

 

「――被害者の名前は千代田 太郎。鑑識によると死亡推定時刻は事件発覚から三十分から十分前。凶器は未だ発見にしていませんが、恐らく毒物による毒殺。それからこれはあくまで噂ですが、被害者は貿易会社の社長であるものの、その強引な経営方針や私生活に相当恨みを買っているようです」

「ふむ。ご苦労、佐藤君。――それでは皆さん、話をお聞かせ願います」

 

 女性刑事――佐藤刑事か。きりっとした美人の刑事は淡々と現在の情報を簡易的に開示していく。それに頷きを返すのが、恰幅のいい警部だ。目暮警部だ、と最初に名乗った彼は視線をこちらに向け、事情聴取に入るようだった。あまり時間をかけられないのは重々承知の上で、こうしたのだろう。

 

 今現在、会場の空いた客室にスコッチを含めた五人を集めて待機している。会場内にいる客もいまだ動けずにいる。たった三人の例外は別だが。

 

 

「待ってくれ。何故我々が?これでは我々が容疑者のようだ」

 

 それに異を唱えたのは、任務上ではB、となっていた男だった。名前は潘 秀成(ばん ひでなり)。今だって神経質そうにメガネの銀フレームを指先で押し上げている。

 

「……ここの会場には数か所に防犯カメラが設置しているのはご存知ですかな?幸か不幸か、現場であるテラスの出入り口を映すものもあった、それで貴方がたにご協力をしてもらっているのです」

「――ッ!? つまり、犯行時刻の前後に我々が映っていた、というのかね?!」

「……残念ながら」

 

 潘の苛立った言葉に目暮警部が丁寧に説明する。明らかになった被疑の理由に理不尽さはなく、潘は反論の言葉に詰まる。はく、と口を動かし血の失せた顔を見せる潘を支えるように寄り添うのは彼の婚約者たる女性だ。……たしか、漆谷 すずなという名前だったか。

 

 脳内の情報を整理しながら、打開策を模索する。これは大分まずい状況だ、己も、それにここにはいない仲間である彼らも、だ。それは誰に言われるでもなく、スコッチには十二分に分かっていた。

 

「――状況整理も兼ねて、皆さんのお名前と犯行時刻のアリバイ、それから被害者との関係も聞かせてください。無論、話しにくい事もあるでしょう。一人一人別室に呼び出しますので、そこで詳しい話を伺いましょう」

 

 無言で引き下がった潘に一瞥してから、目暮警部は中断していた事情聴取を再開する。そして、別室に隔離して一人一人話を伺うようだった。スコッチ、としては頭の痛い話である。もちろん、顔にも口にも出さないが。

 

「――それには及びませんわ。だって隠すような事もありませんもの。それよりも夫の仇を早く炙り出す方が先決ですわ」

「貴女は……」

 

 毅然とした態度で話の横やりを入れる女性に佐藤刑事が怪訝な顔をする。その疑問にふっと軽い笑みを浮かべ、一礼する。

 

「失礼。――私は千代田 菊子と申します。夫、千代田の妻でございます。夫であるあの人は一部では悪評が少々囁かれますが、悪人というわけではありませんでしたのよ?」

「少々、ね……」

「ッ」

 

 着物の似合う和風美人、千代田夫人の夫の総評を潘は鼻で嗤った。皮肉気なその反応に千代田夫人は元々キツイ印象の目を更に鋭くさせて潘を睨んだ。対する潘は肩を軽く竦めるのみだ。一瞬で空気が緊迫感で凍る。

 

「えっと、まあまあ。落ち着いてください。――貴方も、発言には気を付けてください」

「事実、なんですがね。……気を付けますよ、刑事さん」

 

 佐藤刑事は千代田夫人を宥めてから、潘に注意する。それに飄々と返す潘に、少しの違和感を感じる。どうも被害者に少なくない因縁があるようだ。

 

「……犯行時刻、でしたわね。その時間でしたら、おそらく会場内で知人や友人達と話していましたわ。夫と少し別れてから、発見するまで、あのテラスに近寄った記憶がありませんもの。――あのテラスには、気分転換に参りましたのよ。そしたら……」

 

 そこで言葉を切った千代田夫人は涙をこらえるように顔を覆う。肩を震わせ、思い出すのを拒絶するように頭を振った。近い位置にいた佐藤刑事が無言で千代田夫人の肩に手を添え、近くのソファに座らせた。もういい、ということだろう。

 

 無言で耳を傾けていた目暮警部の目が潘に向く。……まあこの中で突っかかるのは潘のみだし、怪しいだろう。

 

「貴方の話もお伺いしても?」

「ふん。私の名前は潘 秀成。このパーティには父の代理で参加した。――言っておくが、私は無実だぞ?被害者とは知人だが、それだけだ。動機にもなりはしない」

「ほう。――それにしては、先程から妙に被害者に思うところがあるようですがね」

「何、彼の悪評判はこの耳に痛い程届いている。それに私の友人も、少しばかり痛い目に合わされた、というだけの事だ」

 

 横柄な態度を崩さない潘に目暮警部は頷く。相槌を打ちながら、追及を続けるようだ。

 

「成程、ならそのご友人の無念を晴らす為にという動機もあり得えてしまいますな」

「ばッ、馬鹿を言うな!! 何故私が彼奴なんかの為に手を汚す必要がある!?」

「――()()()、ですか」

 

 目暮警部の煽りに激昂した潘はすぐさま己の失言に気づいたのだろう。口元を押さえ、目を逸らした。

 

「ッ!! ――兎も角、私はやっていない。私の連れにも聞いてみるといい、殆ど行動を共にしたのだからな!!」

「……ええ。彼の言っていることは本当です。会場に入ってから、数える程しか離れていませんし、それも一分かそこらの話ですから」

 

 早口でまくし立てた潘に同意するように頷くのはパートナーの漆谷だ。深窓の令嬢、を体現したかのような風貌の彼女に潘の激昂は少し鎮められる。――大変そうだなぁ、とスコッチの胸中に他人事ながらの同情が少し湧く。

 

「そうですか。――ところで貴女は?」

「私は漆谷 すずなと申します。彼、潘とは婚約者で、被害者であるあの方とは面識はありません。……精々が噂、程度かしら?」

「……噂、とは?」

 

 淡々とした漆谷の様子に目暮警部は踏み込む判断をしたらしい。噂の全容を問うと、返ってきたのは少しの沈黙だ。言葉を選んでる様子だ。

 

「…………誰々の恨みを買ってるらしい、とか誰それに借金を負わせたらしい、とか。それに……誰かを自殺に追い込んだらしいという――」

「ッ!?」

 

 一つ一つ、たどたどしくも言葉にしていく漆谷の最後の言葉に血相を変え、立ち上がったのは千代田夫人だ。目を見開き、全身を震わせる様はどう見ても異常だ。隣に付き添っていた佐藤刑事も驚いた表情をしている。

 

 皆の視線を一身に集めたのに気付いたらしい。千代田夫人はすぐに我に返り、口をなんとか笑みの形にする。

 

「……ごめんなさいね。なんでもありませんわ。つい、驚いてしまって……」

 

 苦しい言い訳をそのままに、千代田夫人はソファに身を沈めた。

 

 口を噤んでしまった千代田夫人に、気まずい空気になりながらも、事情聴取は再開する。

 

「後はアリバイ、ですよね。私も彼、秀成さんと変わりありません。ただ、あのテラスには近寄っただけなので、私にも犯行は無理ではないでしょうか」

「そうですか。……次は貴女にお話を伺いましょうか」

 

 漆谷の主張を言葉少なに頷いた目暮警部の矛先が、次へと向けられる。次、というのはあの任務ではAとされていた男の同伴者。こちらは先の二名の女性とは一転して華やかな印象の美貌だ。可憐な見た目であるが、決して幼さとは見られない絶妙さは多分化粧技術によるものだろう。男であるスコッチには正直ピンとこないが。

 

「私は、伊三野 淳未(いさの あつみ)。父の仕事関係の伝手で、このパーティに参加したわ。後、被害者とは全く面識はないわね。……噂は少しは聞いているけれど、そんなの尾ひれ背びれが付いていて、周りが大げさに言っているだけなのよ。私、噂話あまり好きになれないのよね」

 

 スラスラとよどみなく答えていた伊三野は、そこで言葉を切りため息を吐く。

 

「まったく、くだらないったら。――で、アリバイでしたっけ?うーん。正直、あの騒ぎの後、同伴者を探すのに精一杯だったのよね。だから、あまり覚えていないわ」

「それで、その彼はどちらに?」

 

 物憂げな伊三野の話に目暮警部はここにはいない同伴者を問う。それに待ってました、と伊三野は目をきらりと光らせた。

 

「聞いてよ!刑事さんッ!! あいつ、信じらんないのよ!結構な事件だって言ってんのに、あの下衆野郎、私を置いていきやがったのよ!!」

「ま、まあまあ。伊三野さん、落ち着いて」

「これが落ち着いていられるかってんのよ!」

 

 伊三野の凄い剣幕に目暮警部はたじたじだ。宥める手も及び腰である。最終的に伊三野は佐藤刑事に宥められ、落ち着いた。頼れる女性刑事だなぁ、とスコッチは他人事に関心してしまう。中々面倒な容疑者メンツに現実逃避していたわけではない、決して。

 

「ごほん、それでは最後にウエイターの貴方に話を聞きましょうか」

 

 どうやらこちらに話は向けられたようだ。スコッチは少し考える。

 

「俺は見ての通り、ここのウエイターをしている。佐藤 光。そういや、そちらの刑事さんとは同じ苗字だな。まあだからなんだ、って話だけど。――で、被害者との面識は今日初対面だし、その面倒そうな噂も知らなかった」

 

 ちなみにそちらの刑事、とは佐藤刑事のことだ。いやぁ、偶然って怖いな。

 

「従業員に色々指示をしたのは貴方だと伺っていますが?」

「それは、アレですよ刑事さん。俺、刑事ドラマとか推理小説とか好きでそのセオリーって奴を守っただけですよ」

「セオリーって、君な……」

 

 目暮警部の追及は想定内だ。誰だってパニックに陥った現場で冷静に指示する新人、なんて疑うに決まっている。

 

 口から出まかせの“設定”を口にすれば返ってくるのは呆れの視線と声だ。はは、我ながらなんか変な設定が生えたなとは思っている。口には出さないが。

 

「それから、アリバイですか。俺はずっと会場内を歩いていたようなものなので、アリバイが成立するかどうか……。このインカムで他の従業員と連絡は偶にとってはいましたが、それもアリバイ工作だろう、と言われると弱いですし」

「成程。――アリバイの成否は監視カメラの映像を見れば、自ずと分かる部分もあるでしょう。それから皆さんにお聞きしたい事が二、三ありまして」

 

 こちらのアリバイに関してあまり追及はされなかった。とりあえずこれで室内にいる、容疑者全員に話は聞けた訳である。室内が少しばかり安堵に包まれようと空気が緩んだその時、目暮警部が追加の質問を示す。

 

「まだあるのかねッ!?」

「さほどお時間はかかりませんよ。まず、この三人について知っている方は?」

 

 追加部分に気色ばむのは潘だ。突っかかる彼はもうこれはそういう性分なのではとしか思えなくなってきた。

 

 目暮警部も慣れたのか、さらりとかわし懐から三枚の写真を出してくる。監視カメラの映像から現像したのか、少し荒い。だが、人物の大体の容姿は判別出来る。

 

「この方々は?」

 

 首を傾げるのは千代田夫人。

 

「あー!! こいつよ、こいつ!ばっくれやがったのはッ!!」

 

 鼻息荒く一枚の写真を指差すのは伊三野。その指が指し示すのは一枚目の写真だ。

 

 三枚とも年齢層は同じ。二十代中盤の男女だ。

 

 

 一枚目。茶髪に銀フレームの男。一見穏やかそうな印象の男だ。

 二枚目。金髪碧眼に褐色の肌の色男。整った甘いマスクはモデルのようだ。

 三枚目。黒髪に茶褐色の瞳に白い肌。大和撫子という言葉が似合いそうな美人だ。

 

 

 うん。二枚目と三枚目って荒い画像だけど、バーボンとジェネヴァだ。ほんと。うわぁ、しっかり疑われているじゃないか。やばい、これは激やば案件だ。というか、本当にジェネヴァ上手く化けたな!?

 

 内心荒れまくるも、抑え込み、スコッチは冷や汗を流す。

 

 結局、結論は皆よく知らない人、で流れた。伊三野や潘はこの三人に犯人がいるに違いない、と騒いだが目暮警部が首を横に振る。

 

「なんでよ!? 今この人達、この会場内にいないんでしょ?!」

「圧倒的に怪しいのは我々ではなく、彼らだろう!!」

 

 伊三野と潘は声を揃えて目暮警部に詰め寄る。その勢いにたじろぎながらも、目暮警部は引かない。

 

「言い分は分かりますが落ち着いてください。……監視カメラの映像には彼らの姿が犯行現場の近くに映らなかった、なので現状アリバイが成立しているんです。この三人には」

 

 怪しいのは怪しいんだがね、と目暮警部はぼやいた。

 

「ですので、監視カメラの映像で現場に立ち入ったか、近くに居た貴方方にご協力をお願いしているのです」

 

 目暮警部の目力に押されてか、伊三野と潘は渋々引き下がった。

 

 スコッチはホッと安堵の息を吐く。とはいえ、油断は許されない。……監視カメラ、か。

 

 伊三野は未だにAの事をぐちぐちと文句を言っていた。A、もとい本名朝霞 英次郎。伊佐野が恨みを募らせなくても、恐らくは今大変な事になっているに違いない。何せ、追手に本物の殺し屋が二人もいる。ライとジェネヴァ。ライもそうだが、ジェネヴァも敵には容赦が一切ない。一瞬の躊躇いすらも。

 

「それから、こちらも見覚えがある方はいますか?」

 

 思考に沈んでいた意識が再び目暮警部の声に浮上する。こちら、といって出された証拠品は金色のカフスボタンだ。家紋であろう、茗荷紋の意匠がきらりと光る。

 

「ッ!?」

 

 ひゅっと息をのんで真っ青な顔で固まるのは千代田夫人だ。

 

「どうされましたかな?」

「……な、なんでもありませんわ」

 

 千代田夫人の顔色に気づいた目暮警部の問いに、震えた声が返る。どう考えても千代田夫人に心当たりがあるのは間違いない。

 

「本当に、ですか?……これは遺体の傍に落ちていたものです。被害者の品ではないのであるならば、これは犯人によるものでしょう。意図的にしろ、そうでないにしても、犯人への手がかりに違いはありません。――もう一度聞きましょう。奥さん、こちらに見覚えは?」

 

 目暮警部の口調は責め立てるものではなく、至って静かなものだった。

 

「……それは、多分彼のものですわ。――五年前、夫の会社で自殺してしまった方がおりました。夫は彼のことを大分可愛がっていましたので、私も何度かお会いしたことがありましたの」

 

 千代田夫人は目を伏せ、観念したかのように語り始めた。その声は後悔が滲む、苦々しいものだった。

 

「それで、見せてもらった事があったのです」

 

 千代田夫人の人差し指が目暮警部の手元へと向けられる。金の意匠のカフスボタン。

 

「……自慢の、彼の自慢の宝物なのだと」

 

 千代田夫人の声が、指した人差し指が僅かに震える。

 

「そうですか。話して頂いて感謝致します。……それではこれから手荷物検査を致します。皆さん、ご協力ください」

 

 千代田夫人の言葉を受けて、目暮警部は帽子のつばを指で押さえる。一応これで捜査の情報は一通り出揃った感じなんだろうか。

 

 現時刻二十時丁度。バーボンらと別れてから十五分経過。あちらはどうなっているのだろうか。

 

 

 

 

※※※

 

 

 

 

 時は少し遡る。

 

 

 

「チッ!! 行きますよ、シズカ!」

「うん」

 

 

 咄嗟にとった腕は驚くぐらい細かった。だが、それに構うことなく駆け抜けていく。時間は待ってはくれない。

 

 

 

 

 

 

 

「バーボンってさ」

 

 標的の車の後ろ姿が目視出来る位置。後少しで終わるのだろう。車中はエンジンの音のみで静かなものだ。

 

 そんな時にジェネヴァから真剣な声が掛けられる。

 

「うん?」

「前職、スタントマンか何かなの?」

 

 首を傾げれば、くそ真面目な顔で問われた。

 

 ……吹き出さなかった己を褒めてやりたい、とバーボンは瞬間思った。それでも口から笑いを噛み殺し切れずくすくすと零れる。微笑ましいやら、なんやら。

 

「ふふ、随分緊張感のないことを言うんですね。けれど、どうでしょうね?ジェネヴァのご想像にお任せしますよ」

「あ。これ違うやつだ」

「あはは」 

 

 会話は和やかだ。思わず笑みさえ自然と零れてしまうほどの。手元のハンドル捌きは愛車のスピードと比例して激しくなってくるが、不思議と会話する余裕はある。恐らくは。

 

 ジェネヴァの手は銃に添えられている。いつでも撃てるように、と言わんばかりのソレだ。バーボンだって人の事は言えやしない。けれど場慣れているこの子どもの。

 

 バーボンの胸に不意に苦いものが燻る。命のやり取りに、場慣れ?緊張すらもしない?そんなものが安堵の材料だった、なんて。己が酷くどうしようもなく思える。

 

 イヤーカフは沈黙を保っている。だが、ライには聞こえている。おそらくは茶番だと思っているだろう。分かっている。組織に人並みの善悪や倫理観なんてもの、一枚の紙よりも軽いものなのだ、と。

 

 そろそろ、か。視線でタイミングを伝えれば、微かな頷きが返ってくる。

 

 標的の車の後ろにピタリとはりつく。標的の車が今更ながらスピードを上げてくるが、もう遅い。メーターを見れば、時速はとうに百二十を超えている。

 

 ジェネヴァがウインドウを開け、暴風が吹き荒れる。風の威力にバーボンは目を細める。

 

 直後。

 

 パァンッという破裂音と共に標的の車体が見事バランスを崩し、耳障りなブレーキ音を響かせる。そして壁へと激突し、停車した。驚くべき早業。そこに迷いや躊躇いすらもなく、ただあるのは磨かれた業のみだ。

 

 まだ終わっていない。車を近くに停車させ、降りる。ジェネヴァも降りるようだ。

 

 チラリと後ろを確認すれば、ライのワンボックス車が道を塞いでいた。あれぐらい距離があれば、一般人にこれからの事を見られずにすむだろう。

 

 クラッシュした赤いスポーツカーからバンッ、と這い出るように若い男が飛び出した。その息つく間もなく、間合いを詰め、拳銃を眉間に突きつける。短い悲鳴が男から上がった。

 

「な、なんなんだ!? あんたらはッ」

「――わかりませんか?貴方がどれ程馬鹿だろうと、可能性ぐらいは浮かぶものかと思いますが?」

「ッ!? ま、まさか。あの組織の……」

 

 顔を青くして、早口で狼狽える男に穏やかに首を傾げてみせる。ここまで言えばいくら馬鹿とて分かるだろう。答えを男が口走る前に、人差し指を唇の前にして、シィとジェスチャーで伝える。最後まで言わなくてもよろしい。

 

「はは、ははははは!! お終いだ、おれは、俺はっ。――くそっ、こうなったら……!!」

 

 男がヤケクソ気味に嗤い、懐からナニかを取り出した。こちらが引き金をひこうとする前の早業だった。

 

「このスイッチはな、さっきの会場に仕掛けていた爆弾のモノだ! お前らはどうせ他に仲間がいるんだろ? おそらくは会場内にもいるはずだ、だってさっき事件が起きたんだからな。――証拠隠滅か、確認の為に、念の為の保険はかけるだろ?」

 

 狂気に満ちた目で男は滔々と語る。愚かな。苛立ちが思わず表情に出てしまう。恐らくとても見せられない顔をしているのだろう。後ろにいるジェネヴァが戸惑う空気を感じる。

 

「その引き金を引く前に俺はこのスイッチを押す。はは、木っ端微塵になって瓦礫となったら、さぞ気分がいいだろうなぁ?お前の仲間なんて肉片に成り果てて、遺体すら残らないかもな?」

 

 茶髪の優男の上機嫌に話す内容に、思わず眉を顰める。狂気に取り憑かれた、その醜悪な表情はもはや見かけの好青年さなんて微塵も残っていない。

 

 さて、どうするか。バーボンが思案しようとした時。

 

 カツ、カツ。ヒールの鳴らす音が背後から聞こえる。まさか。

 

 目の前の男の顔も狂気に満ちた顔から驚きへと変わる。

 

 

「ッ、し、シズカ。下がって」

「はは、なんだこの女」

 

 動揺で思わず声が揺れる。睨む勢いでジェネヴァに命令するが、聞こえていないかのように振舞われた。その細い身体のどこにそんな力があるのか、バーボンを押しのけ、ジェネヴァが男の目の前に立つ。

 

 突然目の前に現れた美女の姿に男が見下す表情へと変わった。ジェネヴァはスリットの深いドレスに気に留めず、白い足を思い切り振り上げる。

 

 ドゴンッ。男の後ろの赤い車体が揺れる。見れば、ドアに凹みが出来ていた。ピンヒールの踵ぐらいの穴さえ出来ていたかもしれない。

 

 それは無造作に降ろされた華奢な足には到底出せないような威力だった。ぽかん、とバーボンは思わず呆けてしまう。は?今何が起きた?

 

 

 男は己の後ろの凹んだ車体を恐る恐る見た。顔色がかなり悪い。

 

 シン、と辺りが静まったのを気にせずにジェネヴァは茶髪の男の手から起爆スイッチを抜き取る。呆然と放心する男はいまだ心が現実へと対応出来ていない。

 

「……ねえ、今度はアンタがこうなる番になるかもだけど。――答えてくれる?」

 

 静かな、とても穏やかな声。だが、それは逆に殺意の表れか。ジェネヴァの目が冴え冴えと冷え切っていた。

 

「ヒッ!?」

「――起爆時間と解除方法、四十秒以内にさっさと答えろよ」

 

 息を呑んだ男に追撃するかのようにジェネヴァの声はドスの効いた低い声だ。それは女性、ではなくジェネヴァ本来の少年の声だった。

 

「は、はい」

 

 顔を青から白にまで血の気を失くした男が涙ながらに白状するのをジェネヴァは依然冷めた目で見る。その目が、そのままバーボンに向けられる。

 

 思わず、浮かべた笑みが引きつった。やはりこの子どもは只者じゃない。

 

 なんて、悠長な思考も男が告げた言葉で霧散する。

 

 

 は?取引開始から十五分後に爆発?しかもメインホールの近くに仕掛けた?

 

 お前ふっざけるなよ、とバーボンは標的の男の胸倉を掴みかかりたい気持ちで一杯だった。だが、それよりも優先させなければいけない事がある。

 

 すぐに会場に戻らなければ。は?ジェネヴァ、君もついてくるのですか?

 

 

 

 

 

※※※

 

 

 時は戻り、再び客室。

 

 一旦、目暮警部達は監視カメラの映像を確認する為に、と別室に行ってしまった。恐らくは警備室へと向かったのだろう。監視カメラの映像を確認できるのはそこだけだ。残るのはスコッチを含む容疑者五人と警備の為に残った警官二人程。名乗ってはいないので警官二名の名は知らない。

 

 ならば抜け出すか。

 

 スコッチは切羽づまった様子でトイレへ行きたい、と警官へと訴えた。脂汗を滲ませ、腹を抱えれば、了承をもらえ、警部に無線で確認をなんていう悠長な言葉を振り切れば、緊急事態故に致し方ない出来事、の完成だ。

 

 自慢の脚力をもって警官一名を振り切れば、後はこっちのもの。

 

 脇道へと逸れ、手近な空き部屋へと身を滑り込ませる。この会場、というか屋敷は無駄に部屋数が多い。暫くは時間稼ぎが出来るだろう。インカムを操作してライへと繋げる。……距離的に繋がれば恩の字だが。

 

『――なんだ?』

「監視カメラの映像で確認してもらいたいものがある。いいか?」

『了解。現場となったテラスに立ち寄った順番、だろ?』

「流石、ライ。話が早いな」

 

 そう、先程の簡易的な事情聴取で明かされなかった情報だ。流石に部外者な上に容疑者となってしまったスコッチにはあちらの捜査に首を突っ込む権利はない。

 

『先ず、標的C……いやここでは被害者、としておこうか。彼がポケットから何かを取り出し顔色を変え、例のテラスへと向かった』

「何か、ね」

『監視カメラの映像は荒くてな、詳細までは分からないが。恐らくは紙片、順当に考えれば脅し文句でも書かれていたんじゃないか?』

 

 ライの解説にスコッチは頷く。

 

「成程な。そんで?まんまと犯人に誘われ、その手に乗った。それから?」

『ここからは十分ぐらいの話だ。十分前、被害者が入り。八分前、標的Bである潘が入り、一分後出てくる。そしてその後、彼の婚約者である漆谷がテラスの入口で潘と合流。どうやら漆谷は一切テラスに出てはいないようだな』

「潘はテラスで被害者と会った、なんて言っていなかったな。ただのいい忘れか、それとも……」

『故意に隠したか、被害者が隠れたかの三択だな。――それから六分前、ウエイターの佐藤がテラスの扉に通りかかる』

「おい、からかうなよ。ライ」

『はは、悪い悪い』

 

 ウエイターの佐藤、で声に笑いが含まれる。それに抗議するようにスコッチが声を尖らせても返ってくるのは軽い謝罪だ。まだその声は楽しそうだ。……そんなに分かりやすかったのかさとう〇ごはん。スコッチは少し反省した。お前の言う通りだったよ、バーボン。

 

「それで?」

 

 続きは?

 

『五分前、伊三野が入り、二分後出てくる。後は君の知る通り。その三分後、被害者の奥方が入り、一分もしない内に君が入って事件が発覚』

「……うーん。後はその十分の間に身に着けているものが変わった奴がいれば、いいんだが」

『この荒い画像でそこまで分かるはずがないだろう』

「……だよなぁ」

 

 まだ一手が足らない。だからこそ、零れた愚痴のような思案はライにズバッと切り捨てられる。正論である。しかし、判断材料が不足しているのは事実である。

 

「整理するか。――そもそもこの事件の謎は三点。一つ、凶器の形と在処。二つ、被害者の死亡したタイミング。三つ、何故犯人は()()()()()をしたのか」

『ふむ。どうやら君には俺とは違う、事件の背景が見えているらしいな』

「――背景というか、気になることがあってな」

 

 あのテラスに踏み込む前。千代田夫人の悲鳴の前に聞こえたあのガラスが割れるような、そんな異音。それがスコッチの脳裏に違和感という引っ掛かりを覚えさせる。

 

『ホォー……』

「なんだ?ライ」

『いや存外、真実というのはシンプルなものだ。――君の言っていた、推理物のセオリーというのも存在するし、現実だってよく言うだろう?』

 

 ライの感心した声にスコッチは首を傾げる。それにライは少しだけ声に笑みを含ませる。しかし、貰えるヒントは貰っておいて損はない。

 

 沈黙でライへ続きを促す。

 

『“灯台下暗し”。殺人犯だって人間だ。思わぬミス、想定外の事象、または人の行動。犯人の想定していない痕跡だってあっただろう。それらを合わせて考えれば答えは自ずと出てくる。……さて、君の頭の中に真実は浮かんできたか?』

「断片、あるいは道標って奴を、かな」

『上等じゃないか。――朗報だ。使われた毒物はリシン。凶器はやはり針状の何か、らしい』

「成程。で、そんな機密事項どうやって知ったんだ?ライ」

『企業秘密、と言いたい所だが……。何どうという事はない。世の中には盗聴という手段があってだな』

「おま」

 

 ライのサラッとぶち込まれた爆弾発言にスコッチが言葉を失くす。

 

『と言っても電話回線ぐらいだが』

「いや普通に問題だろ……」

『問題?』

 

 大した事じゃないだろ、とでも言いたげなライに思わずスコッチも素の返しをしてしまう。それに怪訝そうな声になるライにヤバい、とスコッチは我に返った。

 

「いや気にしないでくれ。――真実、って奴が分かっただけさ」

『そうか。それは何より』

 

 ならば、後はやる事は一つ。

 

 問題を可及的速やかになくすだけである。

 

 

 

 

 

 

「君な、いい加減にしておくれ。――理由はまだ分かる。だが、迷子?君、確かここの従業員だったんじゃないのかね?」

「ははは、なにぶん俺、新人なもので……」

 

 呆れのあまり敬語のとれた目暮警部にスコッチこと、佐藤 光は乾いた笑みでお茶を濁す。そんな言い訳は更に警部を呆れさせたようで盛大なため息を貰う。

 

 ライとの通信を終え、部屋を出たら、この目暮警部以下愉快な刑事さん達とばったり出くわすなんてどんなコントだ。佐藤刑事、という美人さんの視線も心なしか冷たい。スコッチは内心嘆きたかった。いや、まあ自業自得なのでその苦言は謹んで聞かせて貰うが。

 

「それで刑事さん。犯人は分かりました?」

「そんな短時間で分かったら苦労はしない。―― 一日やそこらで犯人が分かるのはドラマや小説等のフィクションの中だけだろう」

 

 スコッチの問いに目暮警部は苦い顔で答えた。だが、その苦さもすぐになくなり、表情が引き締まる。……無神経だったか、とスコッチの胸の縁に後悔が過る。

 

 目暮警部の目に鋭い決意の光が宿る。

 

「だが、今手に入る手がかりを取りこぼすつもりは毛頭ない。君らには申し訳ないが、もう少しばかり時間を頂くことになりそうだ」

 

 どうやら己の杞憂だったか。スコッチはポーカーフェイスの下でホッと胸を撫で下ろす。

 

「……そうですか。――そう言えば、刑事さん。俺、とある人に少し違和感がありまして……」

「違和感?」

 

 スコッチの悩みを打ち明けるような声に佐藤刑事が素早く反応する。目暮警部は無言だ。それは邪険というよりは、静観という方が正しい沈黙だった。

 

「ええ。些細な、引っ掛かりみたいな。腑に落ちないような違和感。……こういうモノが事件のヒントになる。――推理物のお約束でしょう?」

「貴方ね……。現実はそう物語みたいに上手くいかないわよ?」

 

 どうせだから生えた設定を生かすような、刑事ドラマに夢見る青年のキャラでスコッチは話を進める事にした。――これからの誘導にはこの方がやりやすい、という判断だ。あとは愉快犯成分が二割ほど。

 

 そんなスコッチの内心を知ってか知らずか、かの美人刑事の佐藤刑事からの視線が冷たい。呆れで敬語がとれてしまっている。まあいいけれど。

 

「ははは。まあ、騙されたと思って俺の言うとおりにしてみてくださいよ。……後で詳しい話もしますので」

 

 ここは強引にしてしまった方がいい。……彼らの注目がこの佐藤 光に集まってくれれば、消えた謎の招待客であるバーボンやジェネヴァの方が曖昧になる。いや曖昧にさせる、と言った方が正しいか。

 

「君なぁ……」

「犯人があの人ならば。――性格上、絶対この手に乗って、のこのこ姿を現すでしょう」

 

 案の定、呆れ顔でため息を吐く目暮警部。目頭を指で揉む仕草は確実に説教前の前準備だと思っていいだろう。

 

 そうはさせない、スコッチは追撃に畳みかける。

 

 思惑通り、目暮警部以下刑事さん方の動きが止まる。まだ容疑者達を集めた客室へは着いていない。だが、その浮かぶ表情ははっきりと戸惑いと困惑を表している。

 

「な、何を言っているんだね?」

 

 少しだけ揺らす事に成功した。ならば、後はほんの少しの甘言だけでいい。

 

「……そんな難しい事ではありませんよ」

 

 これでは誰が悪人なんだか。スコッチはほんの少しだけ、ため息を吐きたくなった。

 

 おかしいな、悪いことをしているわけではないんだが。

 

「まずは会場内のお客様を容疑者以外を帰してください。彼らは無関係者なので。連絡先をひかえるくらいでいいでしょう。――後は刑事さん達に一芝居を打って頂きたいのですが……」

 

 一芝居、の内容を簡潔に二、三言に分けて伝える。

 

 スコッチの神妙な声に、真剣な眼差しに、耳を傾ける価値はあったらしい。

 

 しばしの沈黙の後、目暮警部は帽子のつばを指で掴み少し引き下げる。

 

「はぁ……。分かった、君の案を呑もう。それくらいならば、我々も目を瞑れる。こちらには多少のデメリットもあるが、それも上手くいけば充分に釣りがくるだろうしな」

「しかし、警部!」

 

 目暮警部の了承の言葉に佐藤刑事が食い下がる。

 

「いいんだ、佐藤君。……これぐらいで犯人が挙げられるのならば、我々も柔軟に対応していかなければならない。そうだろう?」

「警部……」

 

 目暮警部の苦渋の決断の言葉に佐藤刑事は感銘を受けたような声だった。……ほんと、申し訳ない。捜査に割り込む超絶迷惑野郎で。スコッチの良心は悲鳴を上げそうだ。しかし、これも()()の為だ。致し方ない。何せ仲間の人命がかかっている。

 

 目的の客室に着いた警部達は早速、スコッチのお願いを実行してくれるようだった。

 

 

「皆さんにはご協力を感謝します。――実は犯人が判明したので、皆さんはもう帰って頂いて結構です。後日、証言の確認等の協力をして頂きますが、然程時間は掛かりません」

「ちょっと待ってよ!私たちは十分当事者よ!! 犯人ぐらい知る権利はあると思うのだけど」

「そうだそうだ、我々だって充分迷惑をかけられたんだからな。知る権利はあるだろう!」

 

 目暮警部の淡々とした説明に待ったをかけるのは伊三野だ。それに同調するようにわめくのは潘だ。

 

「すみません。――話は恐らく故人となってしまった、被害者にとってもデリケートなものになるでしょう。そんな死体に鞭打つ行為、良識ある皆さんはしないと信じています。……そう心配しなくても後日明らかになりますよ」

「し、しかし犯人がこの隙に逃げたらどうする?」

 

 沈痛な表情で説得する目暮警部に潘はなおも食い下がる。しかし、そんな潘に目暮警部はフッと口元を綻ばせた。

 

「ご安心を。我々警察はそこまで無能ではありません。そうだね?佐藤君」

「はっ、その通りです」

 

 目暮警部の確認を佐藤刑事は胸を張って答える。そこには揺るぎない自信があった。

 

 ……本当はこんなとんでも展開、ある訳がないんだけどな。こっそりと壁際に立っていたスコッチは心の中で呟いた。チラリと腕時計を見る。

 

 時計の針は、二十時十五分。何事もなければ、例の取引が行われたであろう時刻である。――さて、この賭けは上手くいってくれるだろうか。

 

 

 

※※

 

 

 

 誰も居なくなった会場。事件現場となった、ベランダテラスに一人の人影があった。辺りは雰囲気を演出する為のライトがほんのりと照らすのみで薄暗い。立ち入り禁止を指す、黄色のテープをその人物は躊躇いなく乗り越えた。そして目的の場所でしゃがみ、何かを探すような仕草をする。と、その時辺りはスポットライトで明るく照らされる。

 

「ッ!?」

 

 息を呑んだ。何故、目の前にあの男がいるのだろう、と。

 

 白のカッターシャツに黒のベスト、ギャルソンエプロン。よく磨かれた黒の革靴が光を反射する。辺りに他の人影はなく、それが余計に混乱を助長させる。

 

「……少しだけ、疑問だったんだ。何故、犯人は()()()()()みたいな事をしたのか。だが、それも犯人が分かれば納得したんだけどな」

 

 佐藤 光。()()()ウエイターが悠然と犯人である人物の前に歩み出る。言葉を失う犯人の目と目を合わせる。

 

「――伊三野 淳未。貴方が犯人だ、そうですね?」

「な、なにを言ってんの?私なんかより、よっぽど怪しい奴ならいるじゃないッ!! ほら、あの潘とかいう奴とか、あんたのいうセオリーなら第一発見者であるあの奥さんとか怪しいじゃない!そうでしょ?」

 

 佐藤の言葉に伊三野は吠えるように反論する。だが、その動揺は声に如実に表れ、震える。

 

 佐藤は伊三野の言葉に緩く頭を振る。

 

「……その二人じゃ無理だ。というか、本当は分かっているんでしょう?」

 

 ここに現れた時点でもう既に詰んでいるという事実に。言外に告げられた、伊三野は激しく頭を横に振る。今もなお、逃れようと拒絶する。

 

「違うわ!大体証拠は何処にあるのよ!それにどうやって?あんたの中途半端な推理じゃ誰だって疑うわよ!」

「――“凶器”」

「ッ!?」

 

 ぽつり、佐藤が静かに呟いた言葉に伊三野は顔色を一転して青くさせる。核心をついた言葉だった。

 

「まあ、認めないのも無理はない。だから、貴方のいう通りに今回の事件を一から説明しようか」

 

 佐藤は人差し指を立て、宣言するように、あるいは物語を語るように言葉を紡ぐ。

 

「まず、貴方は隙を見て被害者のズボンのポケットにとある紙を忍ばせた。あれだけ人がいたメインホールだ。すれ違いざまに接触するのは難なく出来ただろう。誰にも違和感を覚えさせずに」

 

 伊三野の沈黙を肯定として、話を進める。佐藤は顎に手を当てた。思案する仕草で回想する。

 

「それが、前準備。恐らく紙には、五年前に自殺したという男の事でも書いてあったんだろうな。被害者には後ろ暗い事もあったらしいし。――そして、ここからが重要だ」

 

 ここで言葉を切った。そして、少しの余韻を含ませる。

 

「……この事件の鍵は“凶器”。警察によるといまだ発見に至っていないらしい。針状の何か。さて、この凶器は何処にあって、何処にいったのだろうか?」

「知らないわよ、そんなの」

「つれないな。まあいい。――ここからは全て俺の推論だ。何せ、俺は監視カメラの映像を見てはいないからな」

「はあ?」

 

 佐藤の言葉に伊三野は理解できないと眉を顰める。

 

「だが、犯人が何番目にこのテラスに踏み込んだのかは大体分かるし、その大体で事足りる事件なんだ」

「どういう事よ?」

 

 佐藤の煮え切らない言葉に伊三野はけんか腰だ。佐藤は三つ指を立てた。

 

「先ず最初。これはあり得ない。何故なら被害者はあの大柄さだ。いくらこの暗闇だってあの四肢を投げ出した姿勢で発見されないって事はないだろう。それに、この現場はガラス片が散らばっていた。……にも関わらず、被害者の遺体にはついていなかった。この二点で考えられるのは、死亡するまで被害者が故意的に身を潜めていたって事だ」

 

 ほら、そこに丁度隠れられそうな場所があるだろう?佐藤は自身の後ろにある壁の凹みを指す。丁度大人の人間の半身は隠せそうな場所だ。

 

 伊三野は悔しそうに顔を歪める。

 

「脅されていたのかまでは知らないけれどな。――そして最後もあり得ない。俺は奥さんの悲鳴のすぐ後にあの現場に立ち入った。そして、遺体にも触れた。あの体温は死後一、二分のものではあり得ないからな。その時に変な音も聞いたが」

「じゃあ……!」

()()()()。違和感を覚えたのは。――同時にこれは犯人によるものだろうな、と思ったのさ」

 

 そして三つ目の指を折る。

 

「三つ目。針状の凶器。犯人は被害者の首筋の動脈目掛けて刺した。首にある動脈は体の中でも見えやすいし、太いからな。丁度良かったんだろう。だから、小さくても良かったんだ。……ところで、貴方のピアス。事件前と後ではデザインが少し違いますね?」

「ッ!?」

 

 佐藤のわざとらしい敬語の問いに伊三野は咄嗟に左耳を抑える。

 

「成程。そっちの耳のピアスが、か」

「あんた、かまかけたわねッ!? でもお生憎様。今のところ状況証拠だけじゃない!これじゃ逮捕出来ないわよ」

 

 飛び掛かってきそうなくらいの気迫の伊三野に佐藤は肩を竦める。

 

「いや、別に?……そうだな、でもだから不安になって()()()()来たんだろう?」

「!!??」

 

 佐藤の言葉に伊三野は目を見開く。

 

「だから、その部分にあったガラス片を解析すれば毒物が検出出来るし、何なら踏み砕いたであろう貴方のヒールの踵にもガラス片は付いているでしょう。事件前のガラスが割れた音――あれはワイングラスでこれを隠すためのフェイク。ワインを少し入れて、この柵に半分だけ乗せるようにしてバランスをとれば、後は誰かが入って崩してくれるのを待つだけ。……貴方はそこで賭けをした。その崩してくれる人が千代田夫人か、それか潘であるかを。そうでしょう?」

「……あいつらが悪いのよ。五年前!私の恋人を惨めに死に追いやった、あいつらがッ!!」

 

 伊三野は髪をかき乱し、恨みを低い声でまき散らす。そこにはもう初対面に感じた、華やかさはない。

 

「千代田夫妻はあの人を追い込み、当時親友であった潘はあろうことか、あの人を見捨てたのよッ!! ねえ、貴方に想像出来るかしら?あまり連絡がつかなくなった恋人の、久しぶりの連絡が私への謝罪と愛の言葉を綴った遺書だったって。だから、このピアスに、ガラス製のピアスに私の殺意とあの人の無念を込めてやったの!! 金のカフスボタンはあの人の遺品よ。……わたし、許せなかった。自分も許せなかったけれど、でもッ。それよりも、あの優しい人を、そこまで追い込んだ……周りがとても許せなかったのよぉ!!」

 

 伊三野の悲痛な悲鳴の如き慟哭は辺りに虚しく響き、霧散する。

 

 佐藤はチラリ、と背後に目配せする。そこには、目暮警部らの刑事達が予め待機していたのだ。……ここからは彼らの仕事だ。いや、この前段階も本当は彼らの仕事なんだけれども。

 

 佐藤 光――否、スコッチの仕事はまだ終わっていない。

 

 

 

 

※※※

 

 

 あれからこっそりと抜け出し、ライへと連絡した。そしてここのメインシステムにハッキングしてもらい、バーボンとジェネヴァの画像データを消すようにした。勿論、警察の方も、だ。スコッチの内心は複雑である。

 

 そして、その連絡の時に衝撃的な事実をスコッチは知った。は?ジェネヴァがなんだって?しかも会場に爆弾が仕掛けられていて、間一髪危ないところだった?しかもそれをバーボンとジェネヴァが協力して解除した?はい?スコッチの疑問符は途切れることはない。

 

 今回の任務の全てが片付き、ゆっくり出来たのは日付も変わった午前一時過ぎ。

 

 バーボンとスコッチの恒例の反省会及び宅飲みだ。ちなみに場所は都内にあるセーフハウスの一つだ。今回は飲まないとやっていけない。いやマジで。

 

「……という事がありましてね。本当にあの子が心配になりましたよ」

 

 バーボンはそう言いながら持っていた缶ビールを飲み干す。カン、と缶の底がテーブルにあたりいい音が響く。スコッチは苦笑を浮かべた。

 

「まあそうだよなぁ。あいつ、まだ十三歳だものなぁ」

 

 己の十三歳の頃を思い浮かべる。まだ中学校に入りたての初々しかったあの頃を。それに比べてジェネヴァの周囲のモラルの低さと言ったら。スコッチでさえドン引きレベルである。むしろ、あの子の貞操が守られているかも怪しい。いや下世話な話過ぎかもしれないが。

 

「まだ性認識も危ういのに、女装とか。組織の教育ってどうなってんだ全く」

「バーボン、口調口調」

「おっと失礼」

 

 バーボンの低い呟きにスコッチはツッコミを入れる。それにバーボンは茶化すように肩を竦めた。

 

「ま、下世話な話ですけど、あの子の貞操とかって守られてはいるんですよね。というか、自分で撃退しているというある意味逞しい話なんですけど」

「強いな」

「過剰防衛ではありますけどね」

「かじょう?」

 

 ほろ酔い加減で二人雑談に花を咲かせる。話題に上るのはあの目立つ少年だ。バーボンのぼかした言葉にスコッチは首を傾げる。はて?かじょうとは。

 

 バーボンは頷きを一つ。

 

「だって、全員もれなくあちらに逝ってしまいましたから」

 

 バーボンはあちら、と人差し指で床を指し示す。それは文字通り床下、とかではなくもっと奥底の話であり。地底、否地獄……、アルコールで鈍った頭でスコッチはそこまで変換してうわぁ、と呻く。それは……。

 

「ロクでもないな」

「まったくです。嫌な話ですよ。――今日、認識を改めましたけど」

 

 あれは被害者とかそんなタマじゃない、バーボンは眉を顰めた。

 

「バーボン?」

「あの子は強い。……経験に裏打ちされた強さがあり、心も歪みは多少あれど狂っていない。倫理観は真っ当であり、善悪も恐らくキチンと判断がつくんだろう。だけど、その分危うさもある」

「……ああ。まだ、成長途中の子どもだもんな」

 

 どんな人間だって揺らぎやすい時期がある。それは俗にいう思春期とかいう奴であり、今話題にしている少年の年齢に当てはまる。バーボンの表情は沈痛としたものだ。

 話題を変えようとして、スコッチはふと思い至った。

 

「というか、ジェネヴァって近接、遠距離両方戦闘面で得意で、しかもある程度頭が回って、爆弾みたいな危険物の扱いもこなすんだろ?それに変装術まで出来るという器用っぷり」

「何が言いたいんです?」

「これって、テロリストにもなれそうじゃね?」

 

 割と手におえない部類の。

 

 ゾッとした。

 

「……やめましょう。この想像は誰も幸せになれませんよ」

「おう、そうだな」

 

 二人とも背に走る悪寒にぐったりしながら、この話題を終わらせる。

 

「一番いいのは元凶がなくなる事なんだけどなぁ」

 

 スコッチの心からの言葉にバーボンがほんとそれな、と深く頷いた。

 

 

 

 




ここで事件の登場人物紹介。

朝霞 英次郎(あさか えいじろう)
裏切者候補その一。茶髪に銀フレームの青年。穏やかな笑みが似合うさわやかな好青年である。表向きの肩書は「青年実業家」。
→組織の裏切者。

Aの同伴者
伊三野 淳未 (いさの あつみ)
Aとは一週間前、父の会社関係で知り合い、意気投合。成り行きでAと同伴することになった。勝気な印象の女性。
→実は犯人。恋人の自殺の理由が千代田のパワハラだった。


潘 秀成(ばん ひでなり)
裏切者候補その二。黒髪、清潔な身なりの青年。神経質な印象。同伴者の女性に小言を言っていた。父親がこのセレモニー主催会社の重役。一週間前に急遽代役を務めることになった。
Bの同伴者
漆谷 すずな(うるしだに すずな)
Bの婚約者。深窓の令嬢、それ故に婚約者に従順な態度。内気な性格で婚約者に怒られるのが最近の悩み。

千代田 太郎
組織の裏切り者と取引すると目された男性。会社の取引相手となる商社のお偉方。五十代の小太りの男。美人に目がないらしい。
Cの同伴者
千代田 菊子
Cの妻。めつきのきつい美人。夫を尻にしく強かさはある。実は夫の女好きはほとほと呆れている。


補足。
リシン……五指に入る猛毒。青酸カリよりも毒性が強く、知識さえあれば一般人でも入手可能だったやべえ奴。たまに現実の殺人事件でも使われたりする。良い子も悪い子も使用しちゃダメだぞ☆作者との約束だ。

ジェネヴァ君は実際組織の考えたさいきょうのあんさつしゃ、ぐらいのノリで教育されているので冗談みたいに強かったりします。
その分SAN値の減る体験を一杯しているので、チートかというとそうではなくむしろ ぷらまい=まいなす くらいの人。
だからバーボンさんの考察は勘違いではあるけど、間違いではないんだよ、という……。強いけれど、頑丈だけれど、どこか脆いところもあったりする。
ジェネヴァ君がCOCキャラだったら夢のSAN値二十代だったりする。過去のジェネヴァ君。ちなみに今は五十から六十くらいのイメージ。ほどほど。

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