fate/stay night_Short long days   作:のんべんだらり

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■Castanea crenata

1

 

 

寝坊者の叫び声が上がったのは、日が暮れてからであった。

 

枕元に正座していた精練したセイバーに士郎が驚愕してから時間を置くことなく、全員を居間へと呼びつけた凛は中央に腰をつける。隣には薄青の少女を侍らせ、その奥にほんわかした長身の茶坊主が控えている。

最後に、昼の五目炒飯に胃袋を征服されたセイバーが士郎を支え、他陣営のマスターの命令に逆らうことなく席に着いた。

 

「これで、全員揃ったわね。あ、アーチャーは見張りで屋外にいるけどちゃんと聞こえてるから」

「あ、ああ……」

 

食卓についている穂群原の優等生に感じる違和感を、長い眠りから覚めたばかりの士郎は理解しきれない。

まどろんだ反応を見て、察しのいい凛はすかさず疑問を諌めにかかる。

 

「あんまり無理しない方がいいわよ。傷は塞がっていても、召喚した分の魔力までは回復してないでしょうから」

 

前夜とは代わって配膳するのは土筆。凛とキャスターにはダージリンを、士郎とセイバーには緑茶を差し出す。完璧な好みの分かれ目である。

和洋が融合する卓袱(ちゃぶ)台にこれまた変な感じがするが、カップに口をつけた凛の表情に緊迫が走ったため、士郎は発言を控えた。

 

「……76点。今後も精進しなさい」

「うん、了解」

 

ハーブティで茶葉の扱いには寝れている顕悟であったが、紅茶はこれが二度目。まだまだこだわりの舌を唸らせるまでには届かず。

やはり、バイト先の筋肉店長の見様見真似では限界がある。顕悟は改善点の見直しに取り掛かった。

 

「って、いきなり脱線させるんじゃないわよ、もう!」

 

味見に一番真剣であった人物は、慌てて咳払いをする。

 

「それで、話ってなんだ?」

「ええっと……あーもう、考えてた順序が逆になっちゃったじゃない」

 

アンタのせいよ、と憎憎しく睨みつけられても、末席に座っているお茶だし係は自分に向けられているはずはないとばかりの自信に溢れた爽やかさ。

免疫のあるキャスターは(はな)からそ知らぬふりで、ミルクを入れたティーカップを傾けた。

 

「提案なんだけど。私と共同戦線、組む気ない?」

「俺と遠坂が、か?」

「他に誰がいるのよ」

「いや、そりゃあ俺は有難いけど遠坂、いいのか?」

「こっちからもち掛けてるんだから、いいに決まってるでしょ。変な衛宮くん」

 

憧れの女生徒に見つめられた士郎がサーヴァントに助けを求めるも、そこにはお茶請けに出されたカステラを頬張る美少女しかいない。

居間から離れにかけて漂っていた甘い香りを嗅ぎつけたセイバーの要望で、余った材料で焼いた土筆印の和菓子は騎士から鎧を見事に剥ぎ取ってみせていた。但し、眼光だけは狩人のソレであり、手を付ける様子を全く見せない凛の皿にまで食指を動かしている。もし気付かれでもしたら怒られるのは自分だと士郎は別の意味でハラハラした。

(しつけ)がなってない、と言われない内に半人前はセイバーの意識を菓子から外させることにした。

 

「えっと……セイバーはどうだ?俺は受けてもいいと思うんだが」

「ちょっと、そういうの私たちがいる前でフツー聞いちゃう?」

「む。いいだろ、別に。聞かれて困る話はしてないんだから」

 

間抜けな問いに思わず突っ込みが入るも士郎は応じない。

その子供じみた態度に口を挟む気がないキャスターさえもため息をこぼす始末だ。凛が呆然と言葉を失うのも無理はない。

 

「で、どうだセイバー」

「私は問題ありません。リンの人柄は好ましい。――それに、これほどの腕前を手放すには余りにも惜しい」

 

それって遠坂の魔術師としての腕のことだよな、と士郎は己が剣をただただ信じる。彼女が発する本気の気配はカステラを催促してのことではないと、台所に切り分けに行った顕悟を心の内で制止した。無論、その瞬間、背中に這いずり回った寒気によって思考を中断させられた。

 

「不本意ですが、キャスターにも恩があります。バーサーカーを倒すまで、ということならシロウのためになるでしょう」

「……そうか。けど、俺としては最後になったとしても遠坂とは戦いたくない」

「呆れた……まだそんなこと言ってるの」

 

昨日の引率と戦闘から何を学んだのか、と赤い魔術師は半人前をなじる。これならまだ、土筆の方が物分りが良いような気がしないでもない。大方、多分、恐らく。

 

「――――(もぐもぐもぐもぐ)」

「――――(サッサッサッ)」

 

徐々に喪失していく信用に気付かぬ顕悟は、セイバーへと献上したそばから消える焼き菓子をトングで追加していた。

果たして、剣兵の腹を満たすのが先か、菓子の貯蔵が底をつくのが先か――。そんな野外戦を繰り広げつつ、話は魔術に戻る。

 

「……それで、そろそろ返事聞かせてくれる?」

「ああ。その話、受けさせてもらう。よろしく頼む遠坂」

 

超一級とへっぽこの凸凹関係ががっちりと握手を交わしたところで、双方の皿からお茶請けが消失したのをキャスターのみが目撃していた。カステラ争奪の軍配はセイバーに上がったようである。

 

「それじゃ早速、ボンクラについての話し合いといこうじゃない」

「ボンクラ……って、もしかして神城のことか?」

「そうよ。基本的には人員の割けるこっちで守るようにする代わりに、住まいはそっちで提供してくれる?」

「ああ、それはいいけど……」

 

凛の提示は現状の延長である。士郎としては全く問題ない。むしろ洋館に住み込まれるよりは断然いい。

無銭飲食する組の孫娘とは違って、顕悟は雀の涙ほどではあるがお金を入れてくれている。律儀でかつ家事まで手が回る人手は、広大な衛宮家にはいくらでもいてほしいものである。

 

「問題は、聖杯戦争にどこまで参画させるかってとこね」

「そんなの決まってる。神城は魔術師じゃないんだ、わざわざ巻き込むことないだろ」

「――って、衛宮くんは言ってるけど、本人はどうなの?」

 

興味のなさそうな、それでいて一瞬の隙も見逃すまいとする凛の視線が物語る。できるならここで引け、と。

だが土筆は土筆の存意がある。ここで表明せよ、と静まり返った居室(きょしつ)はただ一人の言葉を待ち続ける。

 

「僕はキミ達みたいに戦うことはできないし、足手まといにしかならないのもわかってる。――だけど、知らん振りして生きるくらいなら、僕は僕にできることをしたいって思う」

 

少なくとも草花の育成や採血は、キャスターの役に立っていた。他にも、凛や士郎の助けになる支援ができると顕悟は不思議なほどに揺るがない。

 

「あいにく、まだ方法がはっきりとわからないけど……マスターとかサーヴァントとか関係なく、大切な人たちを失わないためにできることをやり尽くすよ」

「……それは――」

 

まるで誰かの、ヒーローのあり方であった。

衛宮士郎が渇望し憧れた姿の一面でしかなく、完璧な理想像からかけ離れかつ最も近い何かがあった。

正義の味方を夢見る男の胸に響いた軋み――。本来ならばもっと先の未来で交わる予兆。

存在するはずのない透明で繊細な調べはどこまでも澄んでいる。

 

「道半ばで倒れても、死ぬ以上の苦痛があったとしても。それを含めて人生だって思えるから」

 

後悔だけはしない選択を望み、修羅に踏み入れる。寧ろ今までが仮の世界だったとそう言う日も近いと、その場にいない者だけが嘲りを手向けた。

 

「…………はぁ。やっぱり、こうなるか」

 

お手上げとまではいかずとも手を焼くことになる展開に、お人好しな彼女の疲労は溜まる一方である。

 

「反論があるなら言っといた方がいいわよ。こいつ、これで言い出したら頑固だから」

「……いや」

 

中学からの付き合いの太鼓判には芯が篭っていた。決意と覚悟に共鳴していた士郎がまごつかずに返答できただけでも褒められよう。

本人が命をかえるといってるのだから外野が言うべき助言はない。せいぜい、骨を拾う約束を交わす程度である。

 

「そ。なら、ここまではいいわね」

 

温くなった紅茶を飲み干し、進行役は僅かに息をつく。

これからが面倒になるといわんばかりの間を置いてから、再び。

 

「衛宮くんはともかくセイバーなら気付いていると思うけど、神城くんはマナやオドを視覚しているわ。アーチャーと連れて歩くつもりだけど、必要なら手隙のときに本人に掛け合って」

「――なるほど、そういうことですか」

「……何がだ?」

 

二手三手先を見越した物言いは、半人前には高度すぎた。

 

「霊体化した彼らを確認できる、即ち――キャスター」

 

未熟度にも眉一つ揺るがない魔女の清楚な白いシャツに海のようなスカート姿が消える。

 

「……え?」

 

きょろきょろと見回す士郎を見かねて、凛は肘で微笑んでいる朴念仁を突いた。

 

「衛宮、後ろ向いて」

 

土筆に促されるままに士郎が真後ろに振り向くと、収納箪笥(たんす)しかなかった視界にキャスターが現れ、元いた場所に戻る。

 

「ま、こんな調子でサーヴァントを連れ歩いてる(あるじ)を見つけやすいってこと。篭城している場所の偵察にはもってこいなのよ」

「……すごいな」

 

感心するも束の間。

一緒に感嘆している土筆には覆しようのない欠点があった。

 

「……ん?でもそれって神城が前線にいないと意味なくないか?」

「更に言えば正当な戦い方をする相手ならいいけどそうじゃない奴らにとっちゃ、一番邪魔な存在ね」

「……ああ、だから護衛が必要ってわけか」

 

いつの間にか指名手配に上がり、暗殺されるなどさもありなん。

おかわりを奉仕しているお気楽人がそうなるとは思えないが、未来とはわからないものである。

 

「外出するときは私か衛宮くんのどちらかと行動してもらうことにはなるわね。ランサーを通してマスターだって勘違いされているらしいから、抑止力は働いていると思うんだけど……」

 

その辺りは臨機応変に対応することにしましょ、と凛はざっくばらんに纏めた。

 

「うん、僕はそれで構わないよ」

 

言われ続けてきた魔女の忠告とほぼ同じ内容に朗らかに頷くお尋ね者候補はどこまでも気楽であった。(そら)んじるような返事の先をキャスターのみが予言視する。

だが、幸運なことにソレを常々言い聞かせてきたキャスターは凛のサーヴァント。今後火の粉が降りかかるだろうマスターの方針に口出しなどもってのほかであった。――いらぬお喋りは災いの元である。

待ち望んだお役目交代は、たとえ聖杯と引き換えにされようとも譲る気はない。

 

兎も角も、うっかりで先見の目を曇らせた失態(りん)は魔女に拍手喝采され、話題を変えていく。

 

「神城くんについてはこれくらいかしら。次は、衛宮くんよ」

「お、俺?」

 

名指しされるとは思っていなかった士郎は向けられた瞳にあたふたと居住まいを正す。

 

「今晩からあなたの魔術見せてもらうから。協力関係なんだし、秘匿義務はお互い白紙にしましょ……昨日みたいな戦い方してたら、命がいくつあっても足りないわ」

「それは助かるけど、あんまり遅くなるのはマズイんじゃないか?夜道は危険だぞ」

「私の絶好調が深夜なの。別に結界内なんだし、サーヴァントが三体もいるココを襲撃する猪突猛進は流石にいないでしょ」

「深夜って……それじゃあ遠坂、移動が大変じゃないか」

「はぁ?大した距離じゃないわよ」

 

眉を顰めた士郎の懸念に怪訝そうにしている凛では解決の糸口はない。

どこか噛みあわない会話に終止符を打つべく疲れたようにキャスターが口を開く。

 

「彼は貴女の帰り道を心配しているのではないかしら?」

「ああ、なんだ、そういうこと」

 

あらゆることをそつなくこなす彼女にしては合点がいくまでに遅れた誤差は、真心からの言葉に弱い面が表立ったからであったが凛自身が自覚することはまだない。

 

「その心配は無用よ。私も今日からここに住むから」

「は?」

 

三時のおやつを平らげた後、消化運動がてらにキャスターの部屋の正反対になる洋室――母屋から最も離れた奥部屋を掃除していた凛である。アーチャーに命令したために実際は彼女の手によるものではないが、それは本題ではない。

ちゃっかり部屋は押さえてある上での発言及び抜かりのなさだけ、伝わればよい。

 

「保護対象の神城くんがここにいるんだから、私が住んでも別におかしくないでしょ」

「いやいや、おかしいっていうか困るっていうか、そういうことじゃなくてだな――」

「ふぅん?女の子と共同生活なんて衛宮くんなら慣れていると思うんだけどー?」

 

朝晩通う後輩の顔が浮かび、納得しかかった士郎はかぶりを振る。それとこれとはまた別の話であった。

人数が多いと楽しいよね、と修学旅行のノリに流されている土筆は言わずもがな。

 

「セイバーもいるんだし、ひとりふたり増えたって変わらないでしょ」

「……はぁ。わかった。世話になる量はこっちの方が大きいだろうしな」

 

どうにも、男女間の力関係には覆しえない差があるようである。士郎が魔術師として生きるのであれば、こればかりは諦めるしかなかった。

 

 

 

 

 

2

 

 

そんなこんなで、会議が終了した頃には巷で夕食の時間帯となっていた。

カステラに埋められた空腹感や、活動を開始して間もない腹時計が狂っていた主夫たちは冷蔵庫と相談の結果、鍋という選択を下した。

 

「土鍋とコンロ、先に持っていくな」

「任せるよ。こっちは切り終えた野菜から渡せるようにしとく」

 

士郎の手伝いで台所に立った顕悟を除いて、解散したままの女性たちは食卓で雑談を咲かせていた。世間一般と男女の役割が逆転していようと、おいしいものを食べられれば問題はないのである。

そこへまた一人。

 

「私は帰って来たーーっ!!」

 

やるときはやるけどやってもやらない方がまだマシな料理の腕前が転がり込む。

毎度毎度、出来上がった瞬間を嗅ぎつける嗅覚の感度を持つ大河はだらしなくふやけていた。

 

「今日初めての士郎のご飯だよー、むふぅ~いい匂い」

「はいはい、まだ生だから手を出すなよ」

 

大所帯の食卓にガスコンロを二つ設置し終えた士郎は飢えた虎に催促されながら、顕悟から運ばれてくる具材を入れていく。

しばらくして、煮込み完了とほぼ同じく、急きたてられながらも恙無(つつがな)く粒だっている白米が湯気を立てた。茶碗と卵がいきわたった、鍋の前にそれぞれ赤茶と黒の鍋奉行が陣取る。

 

「それじゃ、いっただっきまーす」

 

――熱き奪い合いの始まりを告げる銅鑼(どら)が鳴った。

 

「あら、ダシがおいしく出てるじゃない」

「坊やの仕込みね、これ」

「うん。白味噌ベースだから口当たりいいでしょ?」

 

比較的和やかに鍋を突く遠坂陣営。

ご飯を遠慮せざるをえなかった凛も白菜やきのこに舌鼓(したづつみ)を打ち、猫舌のきらいがある薄青少女は取り皿に息を吹きかけて温度を冷ます。

なんとも微笑ましい光景を前に、菜箸(さいばし)を取る土筆は全く頓着することなく鍋を仕切っていた。はふはふする美少女よりも鍋の世話に気を割くこの男――その実、大食らいなだけである。

鍋とは弱肉強食。彼のように胃袋に余裕がある者にとって、いかに早く目当ての品を拾いあげるかが満腹への道となる。

それを証明するかのように隣では、

 

「――――くっ」

「へへーん、お肉いっただきー!あふあふっ」

「――――せいっ」

「あー!育てていた私の()()()()()ー!?」

「熱っ!?2人とも汁が飛び散ってるって!!」

 

こおばしい飛沫(しぶき)を上げる大接戦となっていた。

 

「ふッ、なかなかやるわね――しかぁし!この千手の箸さばきを真似できるた者はいないわ!」

 

茶碗に山盛りの白米を猛然と大河は掻き込んでいく、残像さえ見せる勢いはしかし、ピタリと時を止め――

 

「って、なんか増えてるぅー!?」

「うぎゃあっ!?」

 

アツアツの飯粒がそのまま士郎の顔面に乱射された。

澄ました顔で席についている遠坂しかり、敵の隙を逃さず箸を動かすセイバーしかり。布巾を取りに向かった顕悟以外、誰も彼を案ずる者はいなかった。

 

 

 

しばし休題の後――。

 

「……士郎」

 

しっかりと残った汁でうどんまで平らげた自称大黒柱が腕を組んで、新参者を流し目で見る。

 

「どうして遠坂さんがこんな時間までいるの?」

「えっと、それはだな……」

 

困りきった視線が顕悟、キャスター、そして凛に巡回していく。

 

「我が家は今、全面改修工事をしていまして。私はホテル暮らしでもよかったんですが、神城くんからこちらを紹介されたんです」

「……確かに、学生でホテル生活は勉学に支障がでるでしょうけど」

「ええ。なんでも神城くんも最近、家を無くされたとかで。苦労するからと親身に相談に乗ってくれて……」

「まあ大変よね、家がないっていうのは」

 

家庭事情を聞いている大河としては強く出られない顕悟の事情。故に、まことしやかな誘導をされていると気付くことはない。それは既に魔術師の手中に落ちていることを意味する。

そうだったっけ、という土筆の呟きは正面からの渾身の笑顔に封じられた。

 

「ええ、ですからこちらにお世話になることにしようと思い直しまして。衛宮くんも心よく了承してくれましたし」

「……そうなの、士郎?」

「まぁな。話を聞いた以上、放り出すわけにはいかないだろ」

 

ぐぅ、と縞模様の長袖を着たひき蛙が鳴いた。

 

「でもでも、遠坂さんは女の子なのよ?男子2人、それも同学年の家に住まうなんて……先生、不純異性行為は許しません!」

「こちらにはキャスターちゃんもいますし、衛宮くんも神城くんもそういったことをする人柄ではないと思います。それとも、先生は2人を信じていらっしゃらないのですか?」

「そんなことないもん!士郎も神城くんも、真面目な子だもん!」

「でしたら問題ありませんよね」

 

言い包められたと大河が気付くも後の祭り。

故に、負け虎はどんでん返しに望みをかけて、もう1人の新顔へと半泣きとなりつつある両目を向けた。

 

「それなら、そっちの子はどうなの!そんな美人さん、学校では見たことありません」

「彼女はセイバー。私の親戚です。外国から訪ねてきてくれたのですが、間の悪いことに滞在期間と工事が重なってしまって」

「キャスターの友達になってもらえればって、それも含めて勧めたんです」

 

すんなりと続いた顕悟に、フォローされた凛が一番驚いた。

使えるものは使うのが魔術師であり優等生を演じ続けている彼女の定石であるが、手を加えていない万年草が立ち回るなど吉凶ではないかと疑いもした。

だが杞憂の外では、子供思いの教師に渾身の一撃をお見舞いしている。

 

「もぉ、勝手に決めて。いつからここは学生寮になっちゃったのよー……」

 

時として、本心からの発言は人の心を動かすものである。たとえ、本心だからこそ滑稽な発言であったとしても、大河の気持ちを傾けるに充分な働きをした。

優等生と英語教師。弁による対戦の勝者は図太く振舞い、敗者は膝をつく。

 

「ということで、よろしくお願いしますね。藤村先生」

 

その勝利に浸る顔が(しか)められるまでもう間もなく。

気配は土筆の隣から。音になるかならないかの僅かな身じろぎが証拠となる。

 

「桜ちゃんが悲しむんだからね、士郎!」

 

しかし、弟分に詰め寄る大河も本気の泣きが入った姉にたじろぐ士郎もそれどころではない。

 

「ほ、ほら!語学に多彩な遠坂がいた方が不慣れな異国で不安なキャスターも安心できるしな」

「なに言ってるのよ、キャスターちゃん日本語ぺらぺらじゃない」

 

意外と鋭い。

 

「それでも男より同性の方が話やすいってのはあるだろ」

「ぐぬぬぬぬ……」

 

陥落間際に追い詰められた虎は悔し泣きという唸り声をかみ殺し、流石に可哀相に思えてきた士郎がその肩に手をかけようとした瞬間、

 

「それなら、私も今日からここに住むーーーー!!」

 

最後の最後に、咆哮を響かせたのであった。

思わぬ乱入により魔術鍛錬は順延とされ、お泊り会に発展した夜はそうして更けていく。

 

 

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

――唐突に、風が吹荒れた。

まるで北極にいるかのような吹雪の中、影が揺らめいている。蜃気楼のように消失を繰り返しているそれはまるで亡霊のようだ。……否。はためく影は人であり、背格好だけを見るに男のようであった。

 

持ち物などない。悪天候に荷物を失ったのか、それとも休むことを考えていないのか。

どちらにせよ、立ち止まっては凍死するのみ。

 

故に、男は足を動かしていた。そうしなければ失う命があるからだ。

 

だが、それは男のものではない。

抱えていると表現するにはおこがましい、寒さで固まった腕に置かれた布包み。

唯一無二、とうに感覚を失った男が感じられる体温。

 

「もう、少し……だ」

 

凍りかけた頬が、かすかに動いた。

包まれた中にいるソレに向けてか、朦朧(もうろう)としている自身に対してか。男は励ますように、残り僅かな酸素を吐き出す。

 

「もう少しで、お前は自由になれる」

 

不鮮明だった世界に、その男の顔が現れる。

 

――それは、まさしく。

 

 

 

 

 

「――ッ!」

 

布団を跳ね除けるようにして、顕悟は覚醒した。

全身の毛穴から汗が噴出すも、凍りついたように身体は冷たさを残していた。

時刻はまだ、丑三つ時。

下手に起き出して隣人を起こすのも悪いと、大の字に寝そべったまま不調を甘んじて受け止める。

 

「久々にこれかぁ……」

 

もう見ることもないと思っていた。

柳洞寺に拾われて三芳邸で生活するようになるにつれて薄れていった不可解な夢は、こうして再び顕悟の睡眠を奪うべく現れた。

 

未開人や古代人の間では、睡眠中に肉体から抜け出した魂が実際に経験したことがらが夢としてあらわれるのだという考え方が広く存在している。

だが、凍りかけの男は軽く成人している体格であり、降雪が多い冬木であっても遭難者が出るほどまでに積もった過去はない。

普段の生活で抑圧され意識していない願望などが如実に現れるケースも多く、また興味がある現象について夢を見やすいともいわれているが、雪山に対して特別な思い入れもなければ、行ったこともない。強いていえば、雪に埋もれた木々を心配するくらいである。

 

つまるところ、ただの夢と言えばそれまでの他愛無い幻覚。

 

「……寒い」

 

それでも彼は、ありありと身を刺すような凍えを覚えている。

神経が麻痺して徐々に自分が自分でなくなっていく感覚。それは死の擬似体験。

 

内容や分析は意味不明の顕悟であるが、夢を見るおおよその原因はわかっていた。

――狂気と交戦した墓場で刺激されたのだと。

そういった死に近いモノに()()()と夢見が悪くなるのは、神城顕悟として生まれたときからだと漠然と記憶していた。

故に、柳洞寺で寝泊りするときは決まって(うな)され、零観の豪快ないびきや一成の神経質な歯軋りに助けられる夜も多かった。また、その体質が寺を出る切欠になったことを顕悟は否定できない。

 

「出歩いたら怒られるよね、やっぱり……庭の手入れはやり尽くしちゃったし」

 

苦い笑いを浮かべる顕悟の頭上――閉め忘れた障子窓の隙間から月明かりが照らす。

 

「今夜は満月かぁ……」

 

ならばおやつはカステラじゃなくてお団子にするべきだった、と真剣に悩み始める顕悟にようやく血の巡りが戻ってきた。

自由の利くようになった身体に蹴り飛ばされていた布団をかけ直した彼は、眠れぬ夜を月見で過ごすことにした。

 

月影を捉える双眼が閉じられるまで――夜空は輝く片翠を優しく見守っていた。

 

 




(くり)
私を公平にせよ、満足、豪奢(ごうしゃ)


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