fate/stay night_Short long days   作:のんべんだらり

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■Physalis angulata

1

 

 

虎の乱入による騒動により、宿泊準備に勤しんだ士郎の起床はいつもよりも早かった。

一つ屋根の下に憧れの少女が眠っている現実は、規則正しい生活が鉄則の士郎をなかなか寝つかせないほどの刺激があった。

凛だけでなく、金髪の麗人も一緒であることが鉄壁の理性に皹を入れた原因でもある。

 

「……夢じゃ、ないんだよな」

 

かじかむ素足を朝日に照らされながら、士郎は人の気配をかすかに感じさせる廊下でじっと胸を抑える。一晩たっても消えることのない鼓動が熱い。

 

――聖杯戦争。

たったの一日で全てが変わり、始まった。

脳裏に焼きついている月夜に照らされた神秘的な少女。白銀の甲冑を纏い、不可視の剣を振るう彼女が追い求めているのは、己の理想だけ。

ただただ、見惚れるしかなかった。その剣技にも、背中にも。だが、何もできなかったからこそ、どこか張り詰めているように士郎は感じた。

 

「おはよー!しっろーう!」

「おはよう。藤ねえにしては珍しく早いな」

「修学旅行の日しか早起きしないと思ったら大間違いなんだから!私だってできるときはできる!これが年長者の示しってもんよ。……むしろ旅行前日は一睡もできないんだけど」

「セイバーはとっくに起きて道場に行ったけどな」

「――士郎。セイバーちゃんは年齢を詐称してるのよ。なぜならこの私が勝てないんだから」

 

まるで可哀相な人を見る目で、大河本位の論理をのたまった。

就寝前にひと悶着があった口ぶりだが、敗北の歴史は語りたくない大河はすぐさま話題を変える。

 

「それじゃ、隣の家に挨拶して着替えてくるから、それまでにご飯の準備よろしくねー」

「あれ?藤ねえ、着替えなら昨日取りに行ったんじゃなかったっけ」

 

肩には道着のように小さいボストンバックが担がれている。三日分にしては量が少ないとは思っていたが、家も近いからと士郎は気にしていなかった。

 

「やぁねー、士郎。お泊り会はお開きになったら解散なんだぞ」

「いや、そうだけどさ、藤ねえ――」

「それともなにかなー?お姉ちゃんがいないと士郎は淋しいのかなー?」

「あー、はいはい。そうですねー」

 

いつもの調子に戻り、軽く流す。

そうして口だけの年長者は一旦家に戻っていきかけた足を止め、

 

「士郎」

 

滅多に見ない真面目な顔を向ける。

 

「やるからには最後まで頑張ること」

「ああ……そのつもりだ」

「よしよし、いい返事。だからって女の子を襲っちゃダメよ」

「ぶっ!?襲うか!」

 

悪戯の成功した小僧のように逃げ足早く、鼻歌を歌いながら去っていく後姿は決して侮れはしない。

 

「まったく……」

 

詳細な説明などなくとも感じあうほどの家族が士郎は誇らしくもあり、申し訳なくもあった。

 

「――彼女、大したものね」

「うおっ!?な、なんだ、キャスターも今日は早いな」

「坊や、いいかしら。あなたが立ち話している間もこの世界は平等に時が過ぎているのよ」

 

キャスターの呆れも尤であると、普段通りの位置に時計針があった。むしろ人数が増えた分、支度に遅れをとっている。

虎のいぬ間にちゃぶ台に陣をとったキャスターは頬杖をつき、完全にテレビ放送傍観姿勢に入っていた。

そのアンバランスな背中に家主はなんとなく遣る瀬無さが過ぎったが、感情の行く先を台所に託すことにし、決意を新たに三角巾を結ぶ。

 

「おはようございます、先輩……どうかしました?甘柿と渋柿を食べ間違えたみたいな顔してますけど」

 

言い得て妙な複雑な心境だ、と士郎は思わず苦笑する。

 

「いや、ちょっとな。桜こそ具合はもういいのか?」

「はい。ご心配おかけしました」

「気分が悪くなったら無理しないですぐに言うんだぞ?」

 

桜のはにかんだ笑みから耐え切れず小さく声が零れ、士郎は首を捻った。

 

「俺、なにか変なこと言ったか?」

「いえ、来る途中に藤村先生と全く同じこと言われたので……お2人の仲の良さはちょっと妬けちゃいます」

「……そんな微笑ましいものじゃないぞ」

 

隣家から戻ってくるまでに配膳が終わっていなければ、盛大な鼻息かつ声量の武力行使か回りくどい仕返しをされるに決まっている。

くすくすと鈴を転がすような笑い声から逃れるように、士郎は視線を手元に落とし、準備に集中した矢先――問題に気付いた。

 

「しまった。茶碗が足りない」

「神城先輩のでしたら食器棚にありますよ。出しますか?」

「そうか、神城の分があったか。いやそれでも一つ、足りない」

 

虎の絵柄とサクラの花びらの模様が描かれた茶碗に、一回り大きい有田焼。客人用が二つ。数え直したところで数は変わらない。

指折り数える士郎と向かい合っていた、桜の視線がふと見開かれる。

 

「おはよー……」

 

暖簾をくぐって、数え違いの原因の片割れが現れた。

おどろおどろしいソレが冷蔵庫から取り出した牛乳の一気飲みを始めところで、硬直状態だった台所に朝が戻る。

 

「と、遠坂……目が死んでるぞ」

 

半ばに下がった瞼。うっすらと黒くなった隈がわかるほどに青白い顔色。トレードマークのツインテールも心なしが垂れ下がり、穂群原の制服がなければ士郎とてそれが遠坂凛であるとわかりようがなかっただろう。

外野など見ざる聞かざる知らざるとばかりに生きた屍は一心不乱に買ったばかりのパックを傾けたまま停止している。ご丁寧にも手は腰に、後ろから見ただけでわかる彼女のスタイルのよさのせいか、ポーズは見事に様になっている。

それが余計に遭遇した者としては悲しい。

 

「……どうして、遠坂先輩が……」

「いや、その、だな」

 

未だに混乱が抜け切れていない桜の呟きに、納得させられる説明を士郎は持ちえていない。

しゃもじを片手に右往左往する主夫を見兼ねたのか、「……はぁ、仕方ないわね」と雰囲気で救世主がようやく復活し、開口一番。

 

「それはね、私も昨日からここに住んでるからよ」

 

――悪魔であると改めさせられた。

 

「……どういう、ことですか?」

「どうもこうも衛宮くんはもとより藤村先生の許可も円満に頂いているし、後輩の間桐さんが口を挟む問題ではないでしょう」

 

薄紫の髪で顔を隠した桜を真っ直ぐに見据え、凛は簡潔に反論を封じた。

 

「わかる?部外者であるあなたが立ち入る場所ではないの。見ての通り、人手は足りているからしばらくここに来る必要もないわ」

「遠坂、なにもそんな一方的に」

「衛宮くんは黙ってて」

 

彼女の論理でいけば、桜の行動を制限する権限もまた凛にはない。ただ、指摘を許さないほどの重みが桜にはなくて、凛にはあっただけのことである。

それに邪魔者を追い払うだけにしては迫力がありすぎる、と一睨みで黙らせられた家主は不思議な金縛りにかかったまま成行きを見つめた。

 

「……わかりました……わたし、帰りますね」

 

最後まで凛の目を見ることなく、桜は出て行った。

玄関が閉まりきった後、遅れて駆けて行く足音が聞こえ、身体に自由を取り戻した士郎はいても立ってもいられずに拳を握り締めた。

 

「あんな言い方しなくたっていいんじゃないか?桜だってきちんと話せばわかってくれる」

「だったら、私が来る前に済ませておけばよかったじゃない。忘れていた上に助けを求めた衛宮くんが言える台詞じゃないと思うけど?」

 

どこまでも彼女の言は正論だった。

冷ややかな視線が子供じみた責任の押し付けだと士郎の思考を批難する。

 

「……でも、そうね。フォローは任せる」

 

小さく、彼女は発言を修正した。

それはまるで真っ直ぐに桜を思う士郎のあり方から顔を背けるように。自分よりもよっぽど――らしい態度を直視できるほど、まだ彼女は心を殺せない。

もし、この場に人畜無害の土筆でもいればこんな空気にはなり得なかったのかもしれない。

と、頬を叩いたところでその男をまだ見ていないことに凛は思い至った。

 

「そういえば、神城くんは庭にいるの?」

 

まだ寝ているという選択はない。

睡眠よりも植物に触れる時間を大切にする男の性格を知らぬ振りができるほど、顔をつき合わせてきた時間は短くない。

 

「いや、20分くらい前に出たぞ」

「……よく聞こえなかったみたい。もう一度言ってくれるかしら?」

 

想定していたもののうっかり無防備だった桜との遭遇でそれなりに精一杯だった彼女の頭には、すんなりと内容が入らなかったようだ。

 

「だから神城なら学校へ――ぐはッ」

 

凛の聞き間違いであってほしかった願望は打ち砕かれた。

ついでに答えの途中であった伝言人の頬も打たれた。

口をへの字に結ぶ彼は、手を出したことさえ気付かずにぶつぶつと連ねられている呪詛を前にして抗議を諦める。

幸い、彼女が正気に戻るのに時間はかからなかった。

 

「なんで止めなかったのよ」

「美化委員会の仕事なんだから危険はないだろ?」

「……ちょっとそれ本気で言ってる?」

 

至極当然とする態度に凛は米神を押さえた。

そもそも幽霊委員だらけの自主活動に仕事などない。ただの趣味の延長で、彼が独断で続けているようなボランティアだ。

 

「……ごめんなさい。衛宮くんも似たようなものだったわね」

「それとなく憐れまれているように聞こえるんだが」

 

ご名答である。

昨日の取り決めはなんだったのか。すっぽり抜けている赤茶頭に捲くし立てる寸前で自制を間に合わせた凛は、唯一話が通じるであろう――テレビを惰性で眺めている薄青の少女に矛先を変えた。

 

「――キャスター」

「言われてませんもの」

 

にべもなかった。

ついでに我慢も限界だった。

 

「~~~~~~っ、ほんと信じられないあのボンクラ!」

 

周囲構わず、感情を顕わに凛は離れの洋室に向かう。

 

「なんであんなに怒ってるんだ、遠坂のやつ」

「……他人事でいられるのも今だけの特権ね」

 

謎めいた予言に士郎が首を捻っていると、数分も立たずに荒々しく廊下に足音が戻ってきた。

 

「悪いけど、用事ができたから先に行かせてもらうわ。衛宮くんもできるだけ早く来てくださいね」

 

満面の笑顔の穂群原一の美少女は、返事を待たずにさっさと姿を消した。

そして、出て行き様に摩り替わった般若は見なかったことにして、士郎は配膳に没頭するのであった。

 

 

 

 

 

2

 

 

はてさて一方。

どの部活生よりも早く登校した土筆ん坊は、その活用性のない長身を校門前で晒していた。

 

仕切られた校門のレール、一歩出前でぼーっと立っているのは通行妨害の何者でもない。

だが、今回ばかりは躊躇う正当な理由が存在している。

学校の敷地内を染め上げる桃紫。蔓延した禍々しい色彩は意志を持つ生き物のような蠢きは、視界に収めるだけで気分を悪くさせる。

 

「これ……新型の花粉、かな」

 

だとしたら大発見である。

校門を越えて不用意に伸ばされた手にすかさず付着する。

 

「――!?」

 

あっという間に腕が桃紫に変色し、微かな痛みと視界がぐらりと傾いた。

途端にむせ返るような甘美な匂いが鼻腔に潜り、到達した脳に幻視を魅せていき、

 

「――――朝っぱらからそんなとこで棒立ちして電柱か、アンタは」

「……美、綴?」

 

快活な声になんとか踏みとどまる。

腕にまとわりついていた粉は霧散し、もう寄り付きはしない。

そして、校内の()()()()は綾子には見えていないようである、と判断した顕悟は警戒を引き上げた。

 

「早くからご苦労様。今日も弓道部が一番乗りみたいだね」

「神城には負けるけどね。……で、誰か待ってんの?遠坂とか?」

 

衛宮に下宿している事情を知りつつ、訊ねる綾子も人が悪い。しかし、敵はさるもの引っ掻くもの――ブラウニーと競い並ぶ土筆ん坊である。

 

「遠坂ならまだ寝てたよ」

 

なにやら聞き捨てならない含みを、「いやいやまさか、大人の階段であるはずがない」と先入観の鬼気迫る働きにより綾子の耳はそのまま聞き流す。

突っ込んだら負ける。……色々と。

 

「ま、いいや。ならちょっと付き合ってよ」

「……あ」

 

腕を引いて校庭に足を踏み入れようとした美綴が、動かない木偶の坊を怪訝そうに振り向く。

 

「なんだい、アタシの誘いには乗れないってか?」

「まさか。元気な美綴といると清清しくなるし」

「そりゃ嬉しいね。アンタも背丈だけはあるんだし、武道でもやったらもう少し快活になると思うけどねぇ」

 

足元ばかり気にしている顕悟を引っ張るくらいの腕力もまた、幼き頃からたしなむ武道の賜物である。一歩、会話に止まっていた綾子の足が校門を通り抜ける。

 

「――っ」

 

踏み入れた片足が桃色の胞子に捕捉される。

が、それも一瞬。付着と同時に役目を果たしたとばかりに消え、それ以降は顕悟と同様、綾子に張り付く様子はない。

ただし、それが視認できたのは顕悟ひとり。

当事者にしてみれば貧血を起こした程度の体感でしかない。

 

「大丈夫?美綴」

「へ?あ、ああ」

 

どんなに綾子が鍛えていようと意識を飛ばした一瞬に身体を支えるのは無理がある。

それが、固い地面に倒れることもなく保っていられるのは――当然、支えが必要だ。

傍目から見て後ろから抱きかかえられているようにも見えなくもない格好に、芳しくなかった綾子の顔色に赤みが差す。それを見ていた土筆は安堵に頬を緩めた。

 

「怪我がなくてなによりだ」

「っ!わ、わるかったね」

 

逆さまとはいえ、至近距離で見上げていた綾子は突き飛ばすように体勢を立て直す。

気にした風もなくぼやぼやとしている土筆をちらちら見遣るなど、ライバルに見つかれば腹を抱えて笑われる乙女な反応。

自覚しているが故に、綾子の火照りは収まることがない。

 

「それで、弓道場まで行けばいいの?」

「いや、いい。なんかもう疲れたし聞くこと聞いてさっさと一人になりたい気分」

 

咳払いをする綾子が呼吸を整える時間をぼんやりと土筆は待つ。

大したことじゃないんだけどさ――そう、投げやりのように、照れ隠しのように一息に訊ねようとした綾子は口を開く。

 

「アンタの誕生日っていつ?」

 

――拍子抜けしたような無言の時を数瞬、要して。

 

「たしか9月、だったと思う」

「そりゃまた随分頼りないね。日にちは?」

「うーん、いつも山が紅葉する頃だから月終わりかな?」

「……なるほどね、こりゃあ生徒会長様も渋るわけだ」

 

生まれた日を四季折々の季節で覚えるとはやはり土筆は土筆である。来年の彼の誕生日は気温の変動や雨量によって1週間ずれ込むことであろう。

そんなバカバカしい予報にあきれ返った彼女が、普段の彼にしては強張った声音に気付くこともなく。

 

「一応これでいいのかねぇ……」

 

なんとも締りが緩かったが、本人が覚えていないなら仕方がない。

 

「気になるなら葛木先生に聞いてみようか?たぶん、入学書類には記載されてると思うけど」

「よく考えりゃ、その手があったね」

 

だが、わざわざ教師に生年月日を調べてもらうほどの動機がない。

そして何より綾子を動かしていた責任感と興味は既に落ち処を見つけて、乗り気を失っていた。

 

「あーあ、アタシもついに土筆菌に感染か」

「胞子が飛ぶにはまだ早いよ」

 

とりあえず、少しでもときめきかけた先の出来事は土筆を踏んづけた程度に記憶を改竄しておこうと綾子は決めた。

そうでなければ色々面倒なことになりそうだ、と土筆の後方の人影を見止め、盛大に顔を引きつらせた。

 

「――あらあら、朝早くからひとりで登校して美綴さんとデートですか?神城くん」

 

ぞわっと逆立った二の腕を必死に擦る綾子とは対照的に土筆は朗らかに片手を上げて挨拶するも、

 

「遠坂。早かったね」

「ふふ、ふふふふ」

 

笑顔の裏に青筋あり――。

だが本気に近い凛の怒りであっても、彼はぶれない。綾子などいつでも逃げられるように後ずさりしているというのに。

――つまるところ、呑気に挨拶をしている時点でそれに気付く敏さなど土筆には皆無である。

噴火寸前のマグマのような怒気を出した凛に詰め寄られようとも、声が届かなかったのかともう一度大きめに挨拶をするお気楽加減はもはや手遅れだ。

 

「美綴さん、せっかく良い雰囲気をお邪魔して申し訳ないのですが彼、お借りしてもよろしいですか?」

 

副音声に「勝手に連れて行くけど文句は言わせないわよ」と自動変換された申し出は首肯するほかない。幸いにして綾子には部室を開錠せねばならない義務があり、既に彼への用は済んでいる。

 

「どうぞどうぞ。返す必要もないよ」

「え?」

 

綾子が両手を差し出すより早く、腕を拘束されて校舎裏に連れて行かれる。

有無を言わさず大の男を引き摺る腕力に、ようやく彼は小さい同居人と似た逆らいがたい雰囲気を感じ取るが遅すぎた。

――彼はこうなる運命だったのだ。そう思い、綾子は努めてのんびりと2人が消えた方向から遠回りをするように歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――で?」

 

美綴の憐憫の視線も消え、部活や登校する生徒からの視界にも入らない校舎と部室棟の狭間で、連行犯である赤い少女はそれまでの雰囲気と一転して落ち着いた表情で土筆に意見を求めた。

 

「校内の異変。気付いているんでしょ?」

 

腕を組む姿勢はセオリーなのか。様になりすぎて彼女の感情を計るための判断材料にはならない。

 

「それはそうだけど……遠坂、怒ってたんじゃないの?」

「――進行形で怒ってるわよ。けれど、来てみたらいつの間にか濃密な結界張られてるし優先すべきことを弁えてるだけ」

 

そう、焦らずとも目くじらを立てられる理由さえわからずにいる朴念仁には利子をつけていじり返す算段が遠坂凛である。

いじめっ子の赤影に忍び寄られているとは知らず、賃借人は感心したように息をこぼした。

 

「……なによ?キョロキョロして」

「さっきから周りにある桃紫の花粉が遠坂にくっつく前に薄碧っぽい壁に当たって弾けてて、花火みたいって思って」

「ふぅん、結界内の魔力も神城くんにははっきり見えるってわけね。……私の場合、魔力耐性の術式――あなたの言う”壁”があるから精気を吸われないけれど、レジストできない生徒にとっては辛いはずよ」

「うん、美綴が意識を失いかけたくらいだしね」

「あなたの一般人の基準って綾子なわけ?だとしたらハードル高いわよ、ソレ」

 

どんな武道娘であっても魔術に太刀打ちはできないだろうが、剣道、柔道、合気道などの心得がある体育会系が一般人、と言っていいものやら。

 

「そうかな。全く影響受けないわけじゃないんだし、美綴だって辛さは同じじゃないかな。ただ……それを隠すのがうまい、というか気付くのが苦手なんだと思う」

「――ずいぶん、知った風に言うのね」

 

それは、憤りに近い感情だった。

彼の言葉を否定することで、なにかを否定しようとしていることに凛は気づかない。

 

「綾子に気でもあるの?さっきまで抱き合っていたみたいだし」

 

……そういう話だったっけ?と土筆の内心の指摘通り、いつの間にか話題が脱線しているが、それを正すべき赤い魔術師はなりを潜めている。穂群原の生徒が校舎裏で向かい合っているだけだ。

 

「友人を気にするのは当たり前だよ。それに、美綴はわかりやすいから」

 

見ていればわかる、と。

凛自身も気付かぬ棘を、土筆はいともなげに一言で片付けた。

 

「……はぁ。なんで毎度忘れるかな、私。こいつはこういう奴だって」

 

――顕悟の言葉を深読みするならば。

――綾子よりも早く彼と出会っている人物がいるならば。

視てきた時間が長ければ長い相手ほど手に取るように心の根源を理解できるのだ。

だが、憑き物が取れたようにどこかさっぱりした凛は、知る必要がない。――今はまだ。

 

「とにかく、生命力の弱い人でも命を奪われる心配はないのが救いね」

「それでも対処は早いに越したことないよ。これって、どうやったら解けるもんなの?」

 

こうした余談も結界魔術が発動する前だからこそ。

放置した未来にある死の危険について凛は論を()たず、また感覚で識っている土筆は彼女の説明を促す。

 

「大抵の結界には支点――神城くん的に表現すれば花粉を撒き散らしている花弁があるの。私が感知できるだけでも10箇所はあるみたいだけど……潰しさえすればこの鬱陶しい効果も消えるわ」

 

どうせなら人の縄張りを好き勝手やってくれた奴を引き摺りしてやる、と不穏な呟きも続いていたが、それはそれとして。

 

「ま、人一倍負担が大きい神城くんにとっては朗報でしょ」

 

墓地とは違い、明確な意思が働く魔術結界では威力の差は量るまでもない。

普段以上にしまらない顔はやせ我慢でしかない。額には凛に引っ張られてきた運動量だけで、汗が滲んでいた。

 

「……そっか、遠坂には見られてたっけ」

「そういうこと。はいこれ」

「?」

「そのボケッとした身体に下げておきなさい。少しはマシになるわ」

 

差し出された赤い宝石のついたペンダントトップ。

魔力がスッカラカンになったといっても腐っても家宝。お守り代わりには機能してもらわないと困る、と凛は素っ気無く突き出した。

 

「……やっぱり、キミは相当に面倒見がいいよ」

 

押し付けられた鎖を首から下げる顕悟は微笑む。

さらりと聞き流した凛は良くなった彼の顔色を確かめることもなく、そっぽを向いたままだ。

 

「それじゃ行きましょうか。検知器も無事確保したし」

「……それ、もしかして僕のこと?」

 

あわよくば裏庭に向かおうとしていた考えを見透かしたように、凛はにやりと口角を吊り上げる。

 

「当然でしょ。なんのために宝石渡したと思っているのよ」

 

凛の小言につられてシャツの下に隠れてしまったペンダントが虚しく揺れた。

どうやらこれは仕置きの一つらしい、と意地悪く笑う凛を見てようやく検知器――改め土筆は観念した。

 

「……せめて花壇の前を通らせて」

「あんまり人目につく場所は避けたいんだけど……ま、いいでしょ」

 

土筆と並んでいるところを誰に見られようと別段、凛は気にしない。見られたところで一般人にはわかりはしない。――ただ、誤解されるのは面倒だと妙な遠慮があった。

だからといって人払いの魔術を使うほどでもないというのが彼女の貧乏性である。

――そしてこのときの凛は、いるだけで男子の羨望を集める端麗な高嶺の花(トオサカリン)の存在を低く位置づけていた。

 

「あれ、遠坂じゃん」

「……げ」

 

最悪、といわんばかりのため息だった。

 

「朝から会うなんてやっぱり僕らは通じるものがあるね」

 

あったとしてもそれは悪縁にしか繋がりえない糸くずだ、と片や歯の浮く台詞に凛は顔を顰める。

言い回しも気に食わなければ、慎二の色づけした視線も彼女の気高さには相容れない。

 

「珍しいね、間桐も朝練習?」

「なんだ、いたのか神城」

 

まるでウドの大木を見るような目。方向性は間違っていないのだが、慎二の視線にはあからさまな嫌味と蔑みが上乗せされている。

 

「僕はね、練習なんか必要ないんだ。そんなくだらないことで僕たちの時間を奪わないでくれよ。なぁ、遠坂」

「そうですね。間桐くんはお忙しいようなので私たちも移動しましょう」

 

にこり、と他人行儀な会釈をした凛の前に、慎二は繕っていた態度を崩した。

 

「おいおい待てよ。そんな草男といてもつまらないだろ?遠坂には似合わないぜ」

「私が誰といようと間桐くんには関係ないと思いますけど。でも、少なくともあなたよりは有意義に過ごしているのは確かです」

「なっ――」

 

慎二のプライドを刺激する侮辱。何の役にも立たない木偶の坊以下だと言われたも同然であった。

 

「ふ、ふん……素直じゃないな。そうやって僕の気を惹こうとしているんだろ?」

 

なんという自意識過剰。

いっそ天晴れ。そこまで自信たっぷりにいえる慎二は大物である。劣等感で歪んだ性根であろうと押し通し続ければ、そこそこの生活を送れるだろう。……魔術師(りん)のいない一般人の世界で。

 

「……そうね、あなたには率直に伝えた方がいいみたい」

「そうだよ、キミを理解できるのは同じ家柄の僕だけ――」

 

すぅっと凛の瞳が鋭さを増した。

止せばいいのに馴れ馴れしく彼女の肩に手をかけようとした慎二は、

 

「間桐くん。私、あなたみたいに努力する人を見下したり陰口を叩く人が嫌いなの」

「え」

 

言われた拒絶も振り払われた手も理解できないのであろう。ポカンと地べたに尻餅をついたまま動けない。

 

「わかったらもう近づかないでくれる?この先考えが変わることもないし」

 

一瞥すらせずに凛は踵を返す。彼女を追ったのは、顛末を見守っていた顕悟だけだ。

 

「……よかったの?」

「言い足りないくらいよ。いい加減、付きまとわれても面倒だったし」

 

気持ちはわかる。

だが、それは逆効果ではないだろうか。少なくとも、自分に対する敵意は強くなったようだと顕悟は静かに垂れてきた汗を拭った。

 

 




鬼灯(ホオズキ)
心の平安、頼りない、半信半疑、いつわり、欺瞞(ぎまん)、私を誘って下さい、不思議、自然美
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