fate/stay night_Short long days   作:のんべんだらり

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■Rafflesia arnoldii

1

 

 

人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念に基づき、青年期における自己形成と人間としての在り方生き方について理解と思索を深めさせるとともに、人格の形成に努める実践的意欲を高め、他者と共に生きる主体としての自己の確立を促し、良識ある公民として必要な能力と態度を育てる。

 

――以上が高等学校において倫理を学ぶ理由欄に羅列された長文である。

要するに、「生きるとはどういうことなのか」と人類にとって永遠の疑問を過去の偉人の生き方を頼りに学ぶ時間であり、毎日をガムシャラに生きる学生にとって、日ごろの己を顧みる大変貴重な授業である。

 

蒔寺楓然り――。

我武者羅を通り越して奇想天外な暴走児も、机に立てた教科書を食い入るように凝視していた。

授業終了10分を切った頃から異変を感じ取っていた隣席から胡散臭がる視線を注がれても、身動き一つしない。――さながら、じっと耐えて時を待つサバンナの肉食獣だ。

 

「本日の授業を終了する。日直」

 

間延びした号令に従い、思い思いに生徒たちがお辞儀する中、

 

「むふっ」

 

100度近く下げた頭を脇の間から覗かせ、運動部らしい身体の柔らかさを見せつける楓からくぐもった声が漏れる。その鋭い猛禽類の眼光は疲労困憊で動きの緩慢な獲物を捉えていた。

ついに壊れたか、と親友の好感度と引き換えにが手にした情報は大きい。

 

確実に勝利するために標的から意識を逸らさず、チャイムを狙い済ましたようにスーツ姿が教室を出ていく瞬間に合わせて――振り向きざまに手をしならせた。

 

「もらったぁぁ!!」

 

戦利品を突き上げた楓の意気揚々とした宣言だがしかし、奇人変人たちの所属するA組は受け流す技術が培われていた。わざわざ声をかけることなどしない。それが薪寺楓(マキジ)なら殊更。

勢いづいて使い込まれた感のある黒鞄を吹き飛ばした挙句、緩めのロックが外れて中身を撒き散らした惨状であったとしても。

 

「さっさと片付けとけよ神城ー」

 

実行犯はとことん無慈悲であった。

 

「まったく。何を企んでおるかと思えば……ただの弁当泥棒か」

「待てこら。コイツをただの呼ばわりは聞き捨てならねーな」

 

掛けられた名詞を分断させる楓の国語力はスルーされた。突っ込んでも本人が首を傾げるだけだと鐘は黙認する。

 

「いいか、鐘やん。この中途半端にでかい箱にはな、和食の数々が眠っている」

「……それはまた、見たような口ぶりだな」

「ったりめぇよ!三限目から食欲そそる匂いがすきっ腹にケンカ売ってんだ」

 

包みの近くを嗅いでみたものの、鐘にはわからなかった。早弁を済ませた者にしか嗅ぎ分けができない類いではないだろうか。

どっかりと腰かけ、食べる気満々で蓋に手を掛けた黒豹を穏やかな声が阻んだ。

 

「でも、神城くんのお弁当だよ」

 

せっせと机を動かしてスペースをつくっていた献身的な三枝由紀香である。流石の楓も良識溢れる注意に反省の色を浮かべ――

 

「ああ、由紀っち。わかっちゃいるけど神城なき今、この弁当は食べられることもなく持ち帰られて無残にも三角コーナーへポイされる運命……そして隅っこで燃えるゴミの日まで待つだけだ」

「そんなっ、もったいない……」

「そうだ、そんな横暴許しちゃいけない……あたしはな――コイツを救ってやりたいんだよ」

「蒔ちゃん……」

 

言葉巧みに由紀香に洗脳を施していた。

そもそも件の被害者がはっきりと意思を伝えれば終わる話なのだが、生憎とどこを向いても桃紫一色の視界と気だるさで精神的磨耗が著しく、楓に絡む体力もない。机を支えに長い体を折りたたんでいる。

故に、確信に純粋さが加わった暴走を止めるのは鐘の役目であった。

 

「由紀香、眼を覚ませ。蒔の字のソレはただの食い意地の張った妄言だ」

「えっ、そうなの?」

「――ほっほほーう、土筆の晩飯はズバリ鍋!羨ましいな、ちくしょう!」

 

シリアスな影をかなぐり捨てた楓は既に箸をつけていた。

和食限定で肥えた舌を駆り立てる何かが、その箱には詰まっていた。そしてそれは瞬く間に彼女の腹に詰まっていく。

もはや制御不能と判断した鐘は、スペース確保を中断している由紀香を手伝うことにした。

 

「ど、どうしよう……」

「放っておけ。病気(アレ)は今に始まったことでもあるまい」

 

弁当箱には一粒も残らぬことであろうが、と冷静に未来予測をする女史の憐れみが萎れた土筆に降り注ぐ。

 

「それに奪われた本人がこの調子。大げさに騒いで張り合いのなさを誤魔化しているのだ、触れてやるな」

「聞こえてんぞ!そこのメガネ!!」

 

文句は言っても食事を止めない暴走マキジ。ご飯粒だらけの口まわりは八つ当たり気味に掻き込んだ結果に見えなくもない。

 

「でも、神城くんだって育ち盛りなんだからしっかり食べないと」

 

楓が大騒ぎしても起きない男が反応するものかと半分諦めていた鐘とは違い、純粋な善意が土筆の肩を揺らす。

 

「起きてください、神城くん」

「うー……」

「返事なのか寝息なのか、判断に迷うな」

 

既にない探し物を求めて手だけを緩慢に動かしている状態は完全覚醒と程遠い。

 

「由紀っち、そういうときは右斜めからの手刀って決まりだろ」

「ええ?」

「――蒔の字、これ以上由紀香の純真さを弄ぶなら許さんぞ」

「な、なんだよ!マジな顔して。嘘じゃねーって。走りこみでぶっ倒れた軟弱な後輩どもを数々と復活させてきた優れものだぞー」

 

記憶を一時的に失う陸上部員が続出していた理由がここに判明した。楓のスパルタ指導が原因ではないかと睨んでいた前部長の読みはある意味正しい。

 

「まぁ見てな、スナップを効かせるのが塩だ」

 

おそらくミソと言いたかった現部長が構えをとる。

武道の真似事を捩ったのであろう、ドジョウ掬いを失敗作したようなポージングは失笑ものであるが、冗談でも手加減する女ではない。

 

「待て――」

 

流石にまずいと感じた鐘の制止より早く。クラス一の喧騒から離れた閑静な優等生の椅子が大きな音を立てた。

 

「――んあ?」

 

楓とは異なり、クラス中がしん、となり、発生地点に注目する。

 

「…………」

 

視線を集める要因の一つである美麗な顔は硬く、陸上部トリオを一瞥して出て行った。

 

「……ちょっと騒ぎすぎちゃったかな」

「気にすることはない。遠坂嬢とて虫の居所が悪い日もあるだろう」

「そうそう、おすまし優等生はあれが平常なんだろ。本当は混ざりたいけど素直になれないってキャラづくりなら可愛げがあるけどなー」

 

抑えることのない大声は廊下まで筒抜けである。

 

「不機嫌な姫よりも、今はメシだメシ!ほら由紀っち、巾着餅やるから元気だせって」

「わぁ、ありがとう薪ちゃん」

「ふむ、つくねも美味であるぞ」

「てめっ……一点ものチョイスとかわざとか?わざとなのか!?」

「こういうのは早い者勝ちで候」

 

持ち主を除けて展開される争奪戦が、昼の喧騒に塗れていく。

 

「……うー……」

 

結局のところ、陸上エースコンビが由紀香に頼んでうんうん唸る土筆ん坊を起こしたのは、空になった弁当箱をしまってからのことであった。

 

 

 

 

 

2

 

 

顕悟が屋上に到着したときには、ご立腹な待ち人が仁王立ちしていた。

 

「――遅い」

 

既に半分近く休憩を消費しているのだ、これで笑って許せる大らかさは凜の持ち合わせにはない。

ましてや、冬の風に目を細めている遅刻者に悪びれた様子などなかった。

 

「衛宮は来てないの?」

 

所有権利を預けている顕悟が手伝うのは当然として、魔術関係の問題ならば共闘者も取り組むべき事案である。

 

「一応声はかけたけど……危機感がないなら、どーせいてもいなくても一緒よ」

 

それがわかっている凛の反応は素っ気無い。左右にまとめた髪を払い、落下防止のフェンスに向かって歩きだす。士郎への無能宣言はともかく、彼女らしからぬ話題の逃げ方に首を傾げるも訊ねるまでの動機にはならずに土筆は閉口した。

否、せざるを得ないほど、彼女の向かう先から魔力の蜜が溢れていた。

 

「ラフ、レシア……?」

 

校舎へ降りる出入り口と正反対の網がけフェンスの下。濃厚な芳香をかもし出す源。

桃色を通り越して黒に近い紫の花弁を咲かせる――ラフレシア。

まだ蕾ではあるが、死肉に似た質感の花弁と便が混ざりあったような腐臭は植物のソレに瓜二つ。

凛が一歩近づく度に、送粉者を誘いこもうと臭いが一層きつくなる。

 

「ふぅん、ずいぶん陰湿な趣向ね」

 

赤い魔術師が指を立て、どこか聞き覚えのある単語を詠唱する。

 

「Λουλοδιτηψευδκατηγοραστοδαφο《かれた、かれた、えんざいのはなよ、だいちにかえれ》」

 

魔術式を足元に従えた魔術師の周囲の重力が変化していく。結われた黒髪とスカートが人工発生した風に浮かされ宙を泳ぎ、上まであるハイソックスまで垣間見えるほどに風力が強くなる。

男児たるや赤面ものであるはずの光景に土筆はただただ惚けていた。

――思えば、魔術というものを意識がはっきりしたままに見たのは初めてであった。

仄かな感傷を責めるように左眼が()んだ。

 

「――ッ」

 

じくじくからぎちぎち、と。神経が捻れるような感覚。咄嗟に悲鳴を喰いしばった。

 

――視るんだ(ミルナ)

 

力をこめ過ぎた顎から耳へと雑音が聞こえた。

傍目からも集中をしている彼女の邪魔にはなりたくない意地につけ入っていく痛みはじわりじわりと脳へと侵攻していく。耳鳴りは大きくなり、意志をもって木霊する。

 

――逸らすな、直視しろ(ミルナ、ミルナ、ミルナ)

 

低い唸り声のようでいて女の嬌声のような不協和音が徐々に感覚を狂わせていく。

すでに頭痛と目眩で揺れる世界は、2本の足で立っているのかさえ曖昧だった。たった数メートルの距離にいる凛の背中はとうに行方知らずだ。

 

――オマエがオマエであるために(オマエがオマエでなくなるぞ)

 

言葉とは裏腹に、愚鈍な肉体は世界から切り離されていく。そして心の臓より()へと、奥深く引きずりこんでいく。

 

――おいで(クルナ)

 

この先に迷い込んでしまったならば、意識は二度と身体に戻らない。だが、顕在を許されているちっぽけな意思で抗える類いのものではないことも承知していた。

消えゆくのみの自我はなすすべもないまま――唐突に。

 

声以外の音がない世界に、パキ、と乾いた亀裂が入った。

 

 

 

 

 

「よし、まずは一つ」

 

(かざ)し続けていた赤い魔術師は確かな手ごたえを拳で握る。密だった死臭は嘘のように掻き消えていた。

 

「ずいぶん、アッサリね。隠匿に魔力を使い過ぎじゃないの、これ」

 

裏を返せば、全てを探し出してしまえ脅威にはならない。明るい見通しにしかし、美麗な小顔はむくれていた。

ぽっと出の同級生の視認が凜の探知よりも上回っている揺るぎない事実は真に、心から癪である。長い睫を伏せ、杞憂を振り払うように凜は息を吐き出した。

 

「調子はどうかしら?これで少しはよくなったと思うけど」

 

背後から返事はない。

神秘に反応する特異体質には厳しかったか、と労りと気遣いと僅かな妬みを含んだ足は思ったよりも早く動いた。

 

「神城く――」

 

そして、急ぎ近寄った耳に「………………くー」と、なんとも平和な寝息が掠めた。

 

「~~~~このッ、起きろ駄顕悟(だけんご)!」

 

焦点の定まりきらない瞳が、そろそろと凛を見下ろす。

 

「……あ、れ?もう、終わった?」

「ええ、貴方が寝ている間に。念のため確認してくれる?」

 

一撃の入った鷲色の頭がかぶりを振り、頷く。

 

「――うん、大丈夫。ラフレシアはもういない」

「貴方の視え方って植物に変換される仕様なわけ?まぁ、わかりやすくていいけど」

 

視たまま、というよりは魔力の本質にフィルターを通して視覚しているのかも、と凛は片隅で考える。

なんにせよ、判断を下すには情報が未知数だ。解剖させてもらえれば話は別であるが。

 

「はぁ、遠坂の魔術あんまり見られなかったな……」

「……見慣れない方が身のためよ。さっきのは正確にはキャスターのだけど」

 

言われてみれば聞き覚えがある言語だと思い至る。

 

「結界魔術は彼女の得意分野だもの。とっくに情報共有して解析も終わらせてあるに決まってるじゃない」

 

キャスタークラスに召喚される英霊は魔力量が最も高いアドバンテージとされているが、戦いにおいて真価を発揮するのは魔力ではない。人智を超えた知識の恩恵だ。

魔術師(キャスター)と称しても、現代からしてみれば魔法使いレベル。それを正しく引き出し活用できる魔術師(マスター)だからこそ、段取りも早くなってくる。

当然、五大元素使いがその括りから漏れることなく、統合した情報をほぼリアルタイムで護衛担当のアーチャーにも流す仕事ぶり。

悪く言えば人使いが荒い、とは赤いサーヴァント談である。

 

「あとは真名がわかれば言うことなしだけど、さすがに望みすぎか」

 

異変の詳細を告げたマスターに対し、キャスターから伝えられた内容は簡素だった。

解除の魔術式と詠唱。そして、仕掛けた相手が同郷の可能性。

凜の中でその信憑性は高まっているが、キャスターはいい思い出のない生前の話を拒絶する節がある。これ以上の詮索に意欲的とは思えない。

ともあれ、術式と起点発見器を手にしてだけで鬼に金棒、凛に金もたす、である。

 

「遠坂、携帯電話持ってるんだね」

「……持ってるけど、使ってない。そもそもサーヴァントとは記憶の共有や思念会話くらい可能なんだからケータイなんて使えなくたって問題ないわ」

「へー」

 

機械を扱いきれない女子高生の悩みもさることながら、持ち合わせてさえいない男子高生が察することもない。

 

「残りは放課後にする?」

「そうね、誰かのせいで時間もない上に日中は人避けの魔術も使えないし。夕方になれば人手も増やせるから、一気に潰してまわりましょ」

 

士郎への説明は繰り越しになったが、概ね予定通りである。

 

「ふぅ、これでようやく落ち着いて食事ができるわ」

「もしかしてここだけ壊したのって場所確保のため、だったりする?」

「……悪い?結界のせいで教室で食べる生徒は多いし、人目を気にしないでいられる空間は貴重なんだから」

 

主に金銭的なことに纏わる精神的理由で、滅多にお世話になることがない購買印のサンドウィッチを凛は頬張る。彼女の中で土筆の視線は屋上を飾る針葉樹と見なされているようである。

 

「もちろん解決策を試す意味もあったわよ」

 

遅れて冬木の管理者はのたまうが、建前の比重が大きいように感じられた。

その証拠に、顕悟と対面しているどこか挑戦的で己を曲げることのない信念に満ちた眼差しは、遠坂凛――彼女だけのものだ。

魔術師であることを隠して学校生活を送る凛の気苦労など、風に吹かれる土筆ん坊には無縁の代物である。存在しないものを分かり合うことはできない。だが――

 

「そうだね、キミがキミでいられる時間が増えるのはいいことだ」

 

「うんうん。人間やっぱり自然体が一番」などと人道にまで昇華してしまった凛の我侭は、子供のように小さくされてしまった。

その仕返し、というわけではないが、凛は予てからの連絡事項を告げる。

 

「その分、貴方の時間は減るでしょうね。しばらく美化活動は休業してもらうから」

「――――」

 

喜びから一転。笑みが固まった。

 

「……大丈夫。大地はみんな繋がっているんだから」

 

ひとしきり止まっていた土筆に、ほわりと笑顔が戻る。

校内活動を禁じられた分、衛宮家の庭いじりに精を出すことで心の帳尻を合わせたようだ。

結局、土と水と日光があればこの男に文句はない。

 

「そのうち光合成で栄養補給できるようになったとか言い出さないでよ」

「試してみたけど、3日で一成の泣きが入るんだ。絶食修行のトラウマみたい」

「……」

 

冗談に実体験が返され、今度は凜の動きが止まる。

 

「遠坂?」

「……はぁ。長い付き合いしてきた柳洞くんには同情するわ。――で、今日はその日なの?」

 

一部始終を見聞きしていた凛は当然知っている犯人を伏せて訊ねた。

 

「……気付いたら空だった。鞄も弁当も」

「来る途中で買ってくれば良かったでしょうに」

「余計な出費するくらいなら衛宮に渡すよ。それに食欲もないし……」

 

顕悟のいつもの食べっぷりを見れば異常であるが、強がりで言っているわけでもなかった。

事実、朝よりも顔色が悪く、相当負荷がかかっている身体は食欲よりも休息を欲していた。

だが、結界を解くまでは血色の悪い顔で過ごす他ない。

 

「ちょっと、放課後まで倒れないでよね」

「善処する……」

 

とはいえ、校内で安全となった場所の魅力は抗えにくく、うつらうつらと瞼が下がりつつあった。

 

「……あのね、私だって鬼じゃないんだから条件次第で付き合ってあげるわよ」

 

交換条件を出す時点で鬼と似たようなものだが、という弓兵の呟きは霊体からの発信である故に伝わることはない。

 

「ああ、等価交換の鉄則だっけ……?」

 

揺れていた頭が凜の向きに固定され、意思を確認するように傾いた。

 

「ご明察。神城くんは魔術師じゃないからサービスしてあげる。――そうね、貴方がひいきにしている石屋に案内しなさい」

「それは構わないけど……いいの?」

「これ食べきるまでのせいぜいあと数分だもの。対価としてはイーブンでしょ」

 

さもどうでもよさそうに凛はサンドイッチを一口頬張る。パサパサとしたパンの食感を紅茶で洗い流すようにして飲み込む頃には、土筆ん坊は寝息を立てていた。

 

「ったく、ホントに眠るなんてどういう神経してるのかしら。周りが基点だらけなの忘れてるわけじゃないでしょうね、この駄ケンゴは」

 

そっと横目で流し見る。

遠坂の隣(ここ)ほど安心できる場所はない、とばかりに寝顔は無防備だ。

 

凛が食事を終えたのは、予鈴一分前であったと記しておく。

 

 

 

 

 

3

 

 

相次ぐ不穏なニュースが続きで下校時間が早められた校庭で走りこんでいる部活生はいない。ちらほら見える影は下校する生徒たちばかり。時折、寄り道を注意する教師の声が響いていた。

 

本来ならば花壇の隅で帰宅を促される側であった土筆は、進路相談室を背につけてぼーっと校庭を眺めていた。

扉がガタガタと揺らされ、土筆がその大きい背丈を離した。

 

「たてつけが悪いと思えば……無駄な力を使わせないで頂戴」

 

ただでさえ非力なクラスであり、小柄な体型となったキャスターはその幼い姿を校舎に晒していた。

敵の陣中に弱体化した姿を見せるのは最後まで気が進まなかったが、戦闘の際に敵に知られるよりは誤魔化しが利く。不本意ではあるが、幼児化は周囲からの警戒を緩和してくれる。それが異国の美少女となれば、悪意を持って近づく人間は性犯罪者か、魔術関係者だ。

 

「お疲れ様、キャスター。任された分は今のでおわりだよ」

「そう。なら、マスターたちが終わるまで待ちましょうか」

 

室内に戻り、入り口付近の椅子に優雅に腰かけるキャスターに、ぼんやりと立ったままの木偶の坊が続く。

土気色だった肌も赤みが戻ったとはいえ、憔悴は隠せていない。地味に力仕事の多い園芸と三芳の趣向で鍛えられた体力であっても魔術には太刀打ちできない。

 

「そういえばキャスター、なんか雰囲気変わったね。言葉遣いのせいかな」

「忠誠を誓ったのだからそれなりに身の振り方だって変わるものよ」

「じゃあ、それが本来のキャスターってことだ」

「……どうしてそうなるのか、理解に苦しむのだけれど」

 

机越しに土筆は微笑む。

 

「今できる振る舞いは、過去にも経験した証明でしょ」

「哲学的な解釈ね。嫌いじゃないわ、そういうの」

「だと思った」

「それで誰の入れ知恵かしら?」

「今日の倫理の授業。案外、キャスターって葛木先生と気が合うのかも」

 

教室で学ぶ制服姿の魔女を想像して、顕悟の喉から笑いが漏れた。

 

「葛木って寺に住んでいる方だったかしら?」

「うん。今度紹介するよ。口数は少ないけど、なんていうかキャスターと波長が似てる人だよ」

「……そう」

 

魔女はそっと瞼を落とす。

 

「”現在(いま)の証明のために過去がある”……変わったのは、私だけではないのでしょうね」

 

どこか憂いを含んだ嘲りは届人に渡ることなく――

 

「――――」

 

階下からの悲鳴に引き裂かれた。

 

 

 

 

 

 

 

床に描かれていた図式がパリンッ、とガラスのように砕け散る。

一日かかった起点潰しも日が暮れる前に全て終え、凛は煙のように消えた紫の術式を見下ろしていた。キャスター組と二手に分かれて行動しただけあり、30分ほどで学校全体を覆っていた胸糞悪い気分にさせる結界は全壊したことになる。

 

「それにしても私がいると知っていて仕掛けるなんてよっぽど自信あるのね。それとも力量を計れないお粗末くんかしら」

「この学校に遠坂の知らない魔術師がいるってことじゃないか?」

 

説明がてら組みした士郎の問いに凛は眉を寄せる。

 

「……そうね。衛宮くんの例もあるし可能性はまぁ、なくはない」

「心当たりあるのか?」

「……いいえ。随分昔に魔力が枯れているし、あり得ないわ」

 

ならば外部の者か。教会の要請で参加する魔術師も過去多くいると聞く。だが、霊脈の優位性も考えずにわざわざ学び舎に罠を張る考えなしだろうか。

とにかく、所場代を後できっちり請求してやるんだからと凛は確固たる決意を灯した。

 

「それで、衛宮くんは何でまたサーヴァントを連れてこないわけ?どうやって身を守るつもり?」

「セイバーを連れて来たら大騒ぎになるだろ」

「本末転倒じゃない、それ。帰ったらセイバーに謝りなさい、衛宮くん。気づいていないかもしれないけれど、あなたの言葉は彼女に対する侮辱よ」

 

なんでも半人前、サーヴァントも連れずに登校していた。それはもう殺してくれと言っていることと同義である。

キャスターが声をかけても不満げな少女騎士は「マスターの命令ですから」の一点張りで衛宮家から出ようとしなかったらしい。直接的な戦闘に最も頼りになるセイバーは留守番中である。想定していた以上に使えない。

更に使えないのは、昼間から音信を絶って独断行動している弓兵だ。「どこをほっつき歩いているのよ、あの腐れサーヴァント」と凜の悪態もいよいよ怪しい。あと一押しで何かがキレてしまいそうな――

 

「心配はありがたいけど、自分の身は自分で守るさ」

「守る、ね……本気で言ってるのよね、それ」

 

ぷつ、と凛の右腕に光が走る。

 

「なら、衛宮くん――私からも守れるってことよね」

「――え?」

 

足を止めた士郎の鼻先を、黒い風が突き抜けた。

 

「な、な、なな!?」

「大丈夫。簡易の呪い(ガント)だから死ぬこともないし問題ないわ。金槌で殴られるような頭痛と脱水症状に近い倦怠感だけだから」

「問題大有りだ!」

 

凜の指先に集まりだす黒い塊を尻目に、士郎は駆け出す。それはもう全速力で。

 

「同盟組んでいるんだから、戦う必要ないだろッ!?」

「これは教育的指導よッ!!」

 

呪いの弾丸が機関銃のように、士郎に降りかかる。

 

「呼び出しをすっぽかしたこと根に持ってるだけじゃ……!?」

 

咄嗟に右に避けた士郎のいた場所から、煙が上がっていく。

 

「いいから黙って今日一日のストレス発散になりなさいよ!」

「ストレス発散!?」

 

ついに零れた本音に士郎は意地でも足を止めるわけにはいかなくなる――が。

そんな不毛な追いかけっこは、鬼が足を止めたことで終わる。

 

「キャスター、今取り込み中ッ!!――――え?」

 

連絡を取り合う凜のただならぬ様子に、士郎も遅れて足を止める。

 

「わかった、すぐ行く」

「なにかあったのか?」

「……行けばわかるわ、嫌でもね」

 

苦虫を潰したような声色を最後に、凜の口は目的地まで開かれることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

一階昇降口の影に隠れるように、女生徒が横たわっていた。

血の気がなく、呼吸も浅い。最後の力を振り絞って叫んだ後、意識を失ったようである。

悲鳴と症状の時間差にかすかな違和感がよぎった。

戦いにおいて顕悟の感覚は一般人のソレと変わらない。恐らく弓道部部長の方がよっぽど鋭いだろう。

故に確かに感じた、不確かな齟齬(そご)は密かに身を潜めている。

 

「――状況は?」

 

遅れて凜と士郎が駆けつけ、瞬時に現状から驚愕と後悔で表情を引き締めた。

見覚えのない下級生だが、誰であれ一般人を巻き込んだ相手に腹が立ち、それを許した己の不甲斐なさが一層、赤い魔術師を硬くさせていた。

 

「できる処置はしました。どこか休めるところに運んであげなさい」

「任せろ」

 

士郎が抱え上げようと手をかける。

緊急事態において冷静にあたるためには、相応の訓練が必要である。体調、配置、諸々の条件を揃えていかなる状況に於いても対応できる布陣を築き、事に臨む。

もしくは――過去に異常を目にした者であるか。

該当する衛宮士郎は気付く。だが、両手を塞がれていた。

かろうじて体を捻り、彼女を庇った。

 

「――――っ」

 

衝撃だけで身の毛がよだつ。

 

「――え」

 

片手を突き出した格好で、士郎は近くにあった凜の怪訝な顔を眺めた。

穴が開いた腕の感覚はなく、ぼたぼたと落ちていく血液がまるで現実味を帯びていない。

体勢が傾きかけた士郎は慌てて抱えなおそうと試み、そのまま膝をついた。

 

「あれ、全然力が入らないな」

「喋らないで横になってなさい!」

 

士郎の腕にあった温かさが、凜によって奪われる。手際よく止血したキャスターが傷口に触れようとした手を、

 

「待って」

 

それまで黙っていた顕悟が掴んだ。

 

「このままじゃ、傷は塞がらない」

 

突き刺さった――不可視の凶器に手をかける。

 

「衛宮、舌を噛まないようにね」

「ああ――ッ!!」

 

その後は、顕悟が手を出せる事態ではない。植物を育てることしか能がない土筆ん坊にできることはせいぜい、邪魔にならないように離れているくらいだ。

引き抜いた透明の杭をぎりと握りしめる。

これは狙撃ではなく捕獲のための武器――刺した者へと辿り着く鎖糸だ。士郎の腕を貫き、遠坂凜の心臓を狙った者を逃すわけにはいかない。

顕悟だけが目視しているその鎖の持ち主を求めて視線を上げた瞬間、目が合った。

 

後ろには、厳しい顔で施術を行う凛とキャスターがいる。

向きを変えようとした首は曲がることはなく、鉄に似た固さと味に封じられた口からはかろうじて呼吸音が零れる。

 

「(…………っ)」

 

半開きだった外扉が風に揺れてかすかな悲鳴をあげた。そこにノッポの影はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

――美化委員でさえ、立ち入り許可の取れない敷地奥。

一本の杉の木に顕悟は括り付けられていた。鎖で締め付けられ傷つく樹皮に心を痛む。

 

「なんだ、釣れたのは神城か」

 

落胆しつつ、木の陰から現れた見慣れた制服。間桐慎二だった。

 

「ま、いいや。無関係ってわけじゃないしな――神城がキャスターのマスターなんだって?」

「――――っ」

「そうだよな、じゃなきゃ遠坂がお前みたいなのといるわけないか」

 

鎖に喉を掴まれた顕悟はただただ講釈を聞くためだけに縛られている。

反論は許されない。

 

「遠坂はお前を利用しているだけさ。現に衛宮と組んで神城はのけ者にされているじゃないか。まったく見てられないよ」

 

その内情を知っている顕悟としては滑稽なのは慎二の方であった。

 

「――柳洞寺にいる魔女に立ち打ちできないだろ、そんな様じゃ」

 

ここにきて初めて、意志が灯った。

 

「ああ、その状態じゃ話せないか。ライダー、解いてやれ」

 

ジャラ、と窮屈だった喉につめたい空気が沁みた。

肺を空にする勢いで咳き込む。

 

「……っ、はっきり言ったらどう?間桐」

「そうがっつくなって――――神城、僕と組めよ」

 

絞り出す前に、再び声を封じられる。

ふふっと女性の艶やかな息が耳たぶをくすぐった。答えを拒ませたのは慎二の指示ではないようだ。

 

「まあいい。今日は挨拶代わりさ」

 

痛みを植え付けていた鎖が、肌を撫でるように離れていく。

いい返事を期待しているよ、と笑い声と共に慎二の姿は影に消えた。

 

 




『屍臭花』
夢現(ゆめうつつ)
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