fate/stay night_Short long days   作:のんべんだらり

17 / 18
■Magnolia kobus

1

 

 

――柳洞寺。

古くから山奥に鎮座している墓守であり、冬木の土地において三大霊場の一つである。

根付いている魔術師にとって危うさも恩恵与えるが、新米であればどちらも手に余る。

 

「――うっさんくさ」

 

それが顕悟が手に入れた情報に下された凛の決断だった。

 

「情報が中途半端すぎるのよ。そもそも情報提供者があの間桐くんだし」

 

価値がないと一刀両断である。

 

「けどさ、慎二って遠坂の予想に反して学校にいたもう一人の魔術師なわけだろ?しかもサーヴァントを連れているならあながち嘘とは限らないんじゃないか」

 

もっともな指摘に土筆も首肯する。

む、と口を曲げた赤い魔術師の恨みがましい視線がすぐさま反論に出た。

 

「だったら尚のこと、情報に惑わされないで慎二をとっちめる方が早いじゃない」

「もしもがあるかもしれないだろ」

 

士郎とて頭では理解している。

可能性に過ぎなくともその誰かが、よく知っている生徒会長であるなら余計だ。

 

「なぁ、二手に分かれるのはどうだ?遠坂たちが学校の結界で、俺とセイバーが柳洞寺の調査とか」

「それこそ相手の思うつぼよ。セイバーならまず問題ないだろうけど、衛宮くん。あなた真っ先に殺されるわ」

「いや、慎二でもさすがにそこまではしないだろ」

「彼が全校生徒職員にしていることをお忘れかしら。アレの完成形は人体を液状化させるまで貪るわよ」

 

倒れていた女子生徒を抱えたときの「死」の感覚は、未だに腕に絡みついている。

突きつけられた事実を感情で否定することは憚られた。

 

「だいたい衛宮くんの怪我だって治ったからいいものの、普通に重傷よ。それに」

 

続きを言わずままに、凛はちらりと口を挟まずにいる顕悟を見た。彼の襟首から黒紫の痣が覗いている。

当の本人はあまり気にしておらず、トレーナー姿で庭を眺めているところに出くわしたキャスターが頭から被せたタートルネックであっても、鎖の形がわかるほど濃い痣は消せない。未だ彼の頸を締め上げているようだ。

絞められた喉はしゃがれた声と痛みを残し、療養として夕飯までの沈黙を幼き魔女から言い渡されていた。

痣から逃げるように視線を外した士郎は、己の金糸の騎士の真っすぐな眼とかち合った。

 

「――シロウ」

 

葛藤する主を、ライムグリーンの炎が静かに照らした。

 

「まず目の前の脅威に集中すべきです。無暗に人を襲う輩を野放しにはできません」

「柳洞寺だって放っておけない。危険な状態かもしれないだろ」

「ならば、貴方は死が明確な命より他の命を優先する理由を告げるべきだ」

「それは……」

「私は貴方の剣だ。貴方の決断に従います。ただし、それが騎士の誇りを穢す行為ならばマスターにも覚悟を求めます」

 

令呪を使用しろ、と剣の英霊の瞳に宿る強い意志が告げていた。

それは士郎の稚拙な感情を瞬く間に跪かせる。

 

「――そろそろいい? お二人さん」

 

第三者の声が二人の世界を霧散させた。

 

「結論、聞かせてもらえる?」

「すまない。遠坂。まずは慎二とそのサーヴァントで、異論はない」

「そう」

「だからって諦めたわけじゃないからな」

「わかってるわよ。明日、柳洞くんの状態をみて決めましょ。異変が起きていれば、なんらか影響が出ているはずよ」

 

色よい返事に赤い魔術師の口角がわずかにあがっていた。

サーヴァントに窘められたとはいえ、衛宮士郎は魔術師として前を向いている。かろうじて及第点である。

 

「学校の結界張ってるあいつのサーヴァントって、どんなヤツなんだ?」

「ああ、それは……両目を隠した紫の長髪、長身の女性らしいわ」

 

襲われた被害者が頷き、発言の代わりに人差し指と中指を立てた。

 

「……Vサイン?」

「武器の数よ。鎖のついた杭」

「2本ってことか」

 

こくりと、と土筆は返事をする。

 

「衛宮くんが刺されたのが一つ、あと神城くんを縛ってたやつね。衛宮くんの余っていた鎖で彼の首に巻き付けた可能性もあるけど」

 

かぶりを振って土筆は否定した。

 

「ま、よっぽど長い、もしくは伸縮自在だとしても全く動かさずに操るのはどんな武人でも無理でしょうね。たとえできたとしても、貫通していた衛宮くんに振動は伝わる」

 

痛みでそれどころじゃなかったとは思うけど、と付け足されたが説得力としては十分だった。穴の塞がった腕をたまらず押さえた士郎を責める者はいない。

 

「……まるで蛇みたいだな」

 

答えを必要としていない比喩が室内に驚くほど響いた。

 

「それは、的を射ているかもしれません」

「あら、ようやく知り合いについて話す気になった?」

「……その前に一度整理しておきましょう」

 

赤い魔術師の傍にいた寡黙な従者は沈黙を解いたものの、幼くなった身体は心情を隠せていない。

張り詰めた緊張が顔を強張らせている。

この場にいる誰よりも莫大な情報を蓄え、容易く捌ける頭脳の持ち主は挑戦的な主の視線を前に静かに話はじめた。

 

「学び舎に施された結界の術式は古代ギリシャのもの。私の生前の時代と、おそらくそう変わりはないと思います」

 

自身の発言が発端とはいえセイバー陣営に出身を露呈させてしまう結果に凛は頬をひきつらせたが、キャスターの冷静さに罅は入らない。

ギリシャ神話には英霊が多い。時代がわかった程度で特定は難しいだろう。

 

「まず、武具による特定は省きます。宝具や武具は英霊の一部――聖杯の加護の対象なので、その英霊の知名度で変動するため正直あてにはなりません」

「ですがランサーの宝具(ゲイボルク)はクランの猛犬以外にありえません」

「無論、宝具は英霊の縁そのもの。切り札であり、決定的な情報でもありますから引き出させてしまえば、真名を辿ることはたやすいでしょう。生還が必須条件ですけれどもね」

「なら名乗るまで待つのか?」

 

士郎の疑問を、凛が鼻で笑う。

 

「敵前で馬鹿正直に漏らすなんてよっぽどの間抜けよ。身内なら戦術上の基盤になるけど、弱点晒すようなものなんだから」

「でもこの前の女の子、堂々と言ってたぞ。ヘラクレス、だって」

「……アインツベルンは別格。悔しいけど真名がわかったくらいじゃ揺るがない絶対的優位があるのよ」

 

そんなものか、と生返事を返した半人前と感心している土筆ん坊は、どこか憎めない白銀の少女を思い浮かべる。

 

「バーサーカーのマスターのような特例は除き、宝具に次いで判断基準となるのが英霊自身の性格や趣向、戦闘スタイルです。死後とはいっても、私たちは生前の因果を引きずりますから」

 

それこそ受肉をして新しい運命に縛られない限り影の如くついてまわるものだ。

故に、名も限られてくる。

 

「その上で挙げられる名は一つ――――μδουσαです」

 

本場の発音が全員の耳を擽り、聞き取れた者のみが息をのんだ。

 

「メドゥーサですって――」

 

凛の唸るような復唱で男二人はようやく、人の名前であったと知る。

 

「はい。目を見た者を石に変えてしまう話はこの時代でも有名でしょう。彼が見た両目を覆っていた様相も、視界封じが魔眼の制御のためと考えれば、筋は通りますわ」

「……思ってたより面倒な相手だわ」

 

まだ見ぬ空枠(クラス)は、ライダー、アサシン。

どちらであっても不思議ではない可能性を凛はしかと胸に刻んだ。

 

「衛宮くん、明日はセイバーと一緒に登校しなさい」

「な、なんだよ、藪から棒に。そんなの無理に決まってるだろ」

「校舎裏の林なら人目につかずに待機できるでしょ、あいつだって潜んでいたくらいなんだから。あとで神城くんに聞いておいて。……のこのこ登校するバカはもう充分なんだけど、容赦する義理もないし」

「ちょっと待ってくれ!ちゃんと説明してくれないとわからないぞ、遠坂」

 

あら、言ってなかったかしらと可愛らしく首を傾げる黒髪の麗しき美少女は、とたんに物騒な顔つきに豹変する。

 

「――明日中に、慎二を潰すから」

 

 

 

 

 

2

 

 

定められた運命の刻限で、未来は変わる。

順じたならば時間に押し流され決められた未来を生き――抗ったならば、命を賭して己で未来を築く。

非常にわかりにくくあるが、彼の()()は後者であった。

 

夜の帳は、薄ら寒い沈黙を保っていた。

塀を乗り越えて、街灯に照らされない位置で灰色の影がコンクリート道路に物音立てずに降り立った。

すぐさま影は、暗闇に同化せんと音無き歩みを開始した。――小さなくしゃみに止められるまで。

 

「――遠坂」

「声の調子はよくなったようね、神城くん」

 

ただ確認のためだけに足を止めた彼は灰色のコートに隠されて微動だにしない。コートというよりは布を巻き付けたように、身体の部位を覆っていた。普段の陽だまりのような柔らかい眼は、月光の下で鈍い緑青を灯している。視線は交じらず、赤い少女の人をくったような笑みが影を射抜いた。

 

「一応聞くけれど、こんな夜更けにどこへ行くのかしら?」

「…………」

「返答次第じゃ、考えなくもないわ」

 

嘘だ。綺麗な笑顔だが、目尻は一切動いていない。

彼女の考えは意識を保ったまま連れ戻すか、意識を奪って連れ戻すかの違いしかない。

 

「柳洞寺を曖昧なままにしておけないよ。明日のためにも」

「なら、私が万全で臨むためにも眠ってもらえる?」

 

ここぞとばかりに赤い優等生は愉しんでいる。

熱くなりやすい衛宮士郎でなく、温和な態度を崩さなかった神城顕悟の行動だが、彼女にとってひどく納得のいく状況だ。

士郎でさえ食い下がったのだ。寺で育てられた顕悟が何もしない方がおかしい。まして半人前と違ってサーヴァントのストッパーはない。

凛は赤いコートの首元を引き寄せるようにして息を吐いた。

 

「手間を増やさないでくれると助かるわ。ただでさえ一般人に魔術関連で被害が出ているってのに」

「なら一人増えたところで、()()()は揺るがないよね。処理する神父の手間が増えるだけで」

「へぇ……試してみる?」

 

バチ、と黒い火花が跳ねた。笑みを邪悪なものに変えた凛の左腕が青白く、浮かぶ。

科学を超越した異変は群青と駆け抜けた運命の日と似ていた。

顕悟とて、決して、数日前に繰り広げたばかりの刺激的な夜を忘れたわけではない。

 

彼女の赤い相棒の姿は見えない。だが、アーチャーの不在は、どこからでも狙っている証でもある。

いくら三芳の忍者屋敷で生活していたとて、人間の域を出ない身体能力では太刀打ちできないのは、既に骨身に叩き込まれている。

だからこそ、土筆は全神経を見知った少女に固定する。

目の前の魔術師を顕悟は知らない。だが土筆の知る、真っ直ぐ前を見続ける遠坂凛なら――自らの力で真正面からねじ伏せる。

 

「――――ッ」

 

彼女の細く長い指が動く。

飛来する魔力の塊を追うことなく、右方へ――飛び出しかけて顕悟は咄嗟に身を引く。

 

「っ」

 

鼻先を通過しただけで、重力を倍加する負荷に呼吸がとまりかける。

神城顕悟の体質は二度、彼女の前で露呈している。当たらずとも、あとは勝手に呪いが吸い込まれると知った上でコントロールを捨てていた。

近隣の建造物はむろん、被害甚大だったが、そんなこと知ったことか、と威力の変わらない発砲が続く。

もしものときはアーチャーが器用に撃ち落とすなりなんなりすると凛は思っていた。むしろしろ、と傲慢になるほどに頭に血が上っている。

そして――吹き荒れる黒い弾丸がフードで隠れた顔面の真ん中を突き抜け、頭を地面に射落とした。

 

「え?」

 

無防備にも黒く光る指先は転がっている物体に向けて逸れたまま、次の瞬間には、空気の抜けたような音と同時に白い粉が吹き出した。

 

 

 

 

思うに勝敗の分かれ道は、夕飯の支度中に付き合った士郎の愚痴にあった。

そのお陰で顕悟は事前に遠坂凛のガンドを知ることができ、対策をうみだせた。

とはいえ、どんな競技であっても人体の急所の狙い撃ちは反則である。人形とはいえ、身代わりの首がもげたことは実に遺憾であった。

もし、遭遇した時点で風でも吹いてフードの中身が人形だと彼女が知ってしまったなら、弾け飛んでいたのは間違いなく本物の頭だ。

しかし、塀の上を腹這いで進んでいた顕悟は下の様子に感心すらしていた。何事も遠坂凛は容赦がない。

 

白い粉末に包まれてやや色落ちした赤は未だ沈黙している。フードを失った灰色の布の中身がビニール袋にパンパンにつまった小麦粉であると彼女が判断する時間はとうに経過していた。肌を焦げ付かせるような気配が顕悟の前進力である腕を重くさせ、微動だにしないクラスメートの背中に糸で縫い付けられたように視線を固定させていた。

そして、彼女はゆっくりと夜天を指し、横たわる袋詰めに振り下ろす。

 

「がんどがんどがんどがんどがんどがんどがんどがんどがんどがんど」

 

あたり一面、粉末が弾け、空中に漂った粉を次の弾丸が吹き飛ばす。その繰り返しを経て、その場に残ったのは白い粉塵に揺らめく赤だった。

 

「…………よし」

 

よもや影は潜伏を止め、本能のままに駆け出す。

まもなく、日付が変わろうとしていた。

 

 

 

純粋にこれは、遠坂凛と神城顕悟の根比べである。

明言していない以上、凛はアーチャーの手を借りることはしない。それはフェアじゃない。

 

「あの昼行灯。衛宮くん以上の大馬鹿だわ!」

 

動くとは思っていたが、子供じみたイタズラまで用意しているとは予想していなかった。

草花が絡むと非合理的になることはあれど、こと人間関係においてここまで彼が我を通すことは記憶に乏しい。

できる、とは思っていた。

ランサーとの鍔迫り合いをした日について、キャスターの証言はにわかに信じられないと笑ったものだが、サーヴァントの戦闘中の死線を走り抜いた異常性を見せつけられたからこそ、凛は待ち伏せを選択した。

 

「あーもう、うろちょろと鬱陶しい!」

 

一定の距離を保って屋根伝いに逃げていく身軽さが腹立たしい。射撃台である腕を振り回す毎にお気に入りのコートから粉がふるい落ちていく。叩いたくらいでは繊維に入り込んだものまで取れないだろう。路上を走りながら、クリーニング代をもぎ取ってやると心のうちで呪っておくことを忘れずに、標的に照準をあわせる。ライフル射撃というよりマシンガンになりつつあるガンドが無差別に虚空へ消える。少しばかり力が入りすぎている呪いは、既にフィンの一撃の域になりつつあるが、お空の星となるならば被害も少なかろう。

 

「後ろに目でもついてるんじゃないでしょうね!?」

 

愚痴を溢すのも無理はない。サーヴァントに比べれば赤子のような足並みの土筆に掠りもしないのだ。

ただの人間ひとり、すぐに止められると驕っていた自身は既に修正した。それ以上の要因が神城顕悟にあるのだ。

 

――リン、頭を冷やせ。これではキミが格好の的だぞ。

 

そんなことはわかっている。

小麦粉塗れになった当初より幾分か冷静になった赤い少女は、呆れ果てているサーヴァントのため息に眉を寄せた。

 

――そっちこそ、誘い出た尻尾、見逃したらただじゃ置かないから。

 

街にはアインツベルンのマスターや、間桐慎二、まだ見ぬサーヴァントが潜んでいる。

これだけ暴れて食いついてこないならば、高校生にもなって全力で追いかけっこをした黒歴史が残るだけである。

 

しかし、それは幸いにして、飛び移ろうとした屋根を土筆ん坊が踏み外したことで未遂となった。

朝から生気を奪われ続け、昼休み放課後と学校を歩き回り、挙句木に吊るされた消耗の末路として、それまで疾駆していた影は地に墜ちた。

凛が駆けつけると、運よくゴミ収集場所に落下したらしく、顕悟のゴミ袋の合間から四肢が飛び出していた。

 

「ちょっと、大丈夫?」

「全然大丈夫じゃない。みてこれ、燃えるゴミが捨ててある」

 

明日は燃えないゴミの日なのに、と身体を起こした土筆に怪我は見当たらない。小言を言えるくらい余裕でいられるのは日時を守らない住人たちのクッションのおかげであるのだが、主夫魂が勝っているらしい。

凛はわずかに逡巡し、分別を始めそうな土筆の肩からバナナの皮を叩き落とした。

 

「……立てる?」

「うん、背中がちょっと痛いけど」

「なら、移動しましょ」

 

顕悟は衛宮の家から道路事情を無視し、ほぼ一直線に柳洞寺を目指していた。家屋が並んでいる市街地を抜けると家は疎らになり、山への道を点々と街灯が照らす道路が伸びている。顕悟が凛に追いつかれたのは、まだ中間地点よりも手前だ。

 

「……遠坂?」

 

赤いコートを翻した先を向いたままの同級生の足並みに迷いがないことが、更に土筆のぼんやり頭に揺さぶりをかけた。

 

「なにもたもたしてるの。怪我してるなら正直に言いなさいよ」

 

身体ごと向き直った凛の視線は純粋な心配だ。生臭さに顔をしかめることはあっても、他意ある行動には見えない。

 

「そっちは衛宮の家と逆方向だよ」

「知ってるわ」

「遠坂は僕を連れて帰るために追ってたんだよね?」

「わかってるなら、さっさとついてきなさいって」

 

白い息を吐き出した少女は、ゴミ袋の中から抜け出さない土筆を無視して薄暗い山陰へと向いた。

 

「様子、見に行くんでしょ。柳洞くんの」

 

ぽつり、と吐息交じりに顕悟の耳に入った。

 

「また走らされても疲れるし……なによ、行かないの?」

「行く」

 

土筆の足は正直に動いた。凛の背中、数歩離れて夜の街をのんびりと歩いていく。

 

「……別に騙して、撃ったりはしないわよ」

 

疑いなど微塵もなく鴨のごとく、歩いていた土筆は首をひねる。

 

「後ろからひたひた歩かれたら気になってしょうがないじゃない」

「だけど、ほら。臭いがついちゃうよ」

「おかげさまで既に手遅れよ。どうせ洗濯するんだし」

「遠坂、衣服に染みついた臭いを侮っちゃいけない」

 

独り暮らしをしてまもなくの頃、屋敷のトラップに落ちて納豆の中に沈んだことがある土筆は、頑として譲れない想いがあった。

洗濯機で洗ったくらいでは臭いの元を絶てず、クリーニング店の店主にコツを教わり、染み抜きと手洗い、三度の天日干しをして、ようやく新品同様になるのだ。

 

「クリーニングすれば平気でしょ」

「それなら僕が洗う。気になるし」

「はいはい、もーそれでいいわ。お気に入りなんだから台無しにしたら許さないわよ」

「もちろん」

 

せめて彼女の風下なるように、灰は赤と並んで歩き出す。

顔を顰める様子もなく、いつも通り颯爽と前を見据えている凛は、お人よしだと改めて思う。

 

「……一成のこと気にしてくれてありがと、遠坂」

 

士郎や凛に心配される幼馴染は幸せ者だと土筆がしみじみしている横で、寒さだけじゃない顔の赤みを彼女は襟を立てて隠した。

慎二を貶し、散々士郎に釘を指していながら、認めはしないが友人想いな少女は、またしても土筆のオマケ付きとなり夜道を歩く。雑草のしぶとさを考えれば見張れる位置に置けたことは御の字だ。

 

「そういえばよく、衛宮が留守番役で納得したね。別行動は控えるんじゃなかった?」

 

結果として引き離す役目をした張本人はそうのたまった。

それは彼が単独で外出した理由でもあり、数時間前の凛自身の発言であったが魔術師は優しくはない。

 

「半人前の衛宮くんじゃ危険ってだけで、私は偵察できないとは言ってないわよ」

「……それ、衛宮、絶対誤解してる」

「だってそう仕向けたもの」

 

セイバーも承諾済みよ、と士郎が聞いていたならば「アカイアクマ」と命名する所以を彼女は涼しい顔で暴露した。

回復中とはいえ赤の従者は戦地を身軽に駆け回り、偵察の精度が生存を決める弓兵だ。適材適所ってやつ?と凛の巧みな説明を受けたセイバーが反対するはずもない。

士郎も安眠していることだろう――赤い魔術師と腹心の剣が手を組んでいるとも知らず。

 

「で、柳洞くんが心配で居てもたってもいられなくなって出てくる貴方を待ち構えてたってわけ」

「……騙された」

 

でも同行できることになったしまあいいか、と落ち込んでいた頭はすぐに元の高さに戻った。風向きのように気持ちを切り替える男である。

ふと、気まぐれな頭はまたもや考えの方向を変えた。ならば阻止する手段も時間もいくらでもあった凛が、寒い夜空で待つ理由はなんだったのか、と。

 

「遠坂、最初から僕を連れていくために待ってたの?」

 

赤い一歩が、若干遅れた。

手の内を明かさずに霊体化しているサーヴァントを見つけるには、土筆の眼は役に立つ。

アーチャーとキャスターまでいる索敵に死角はないが、魔女と言われるからには隠遁に優れているはずだ。魔力以外の違和感まで気づく可能性は、出入りしている顕悟に分がある。

 

「仕方ないでしょ、前もって話そうにもさっさと部屋に戻ってたし」

「訪ねてくれて良かったのに」

「……休んでると思ったのよ」

 

結果、凛の配慮はせっせと袋詰めする時間を許し、小麦粉ケンゴを誕生させてしまった。

未だに白い粉を降らせる赤いコートの下からすらりとした黒いソックスが一足前に出る。

 

「それを相談もなくノコノコと!」

 

どうやら土筆の態度におかんむりだったうっかりさんは、事情説明を小麦粉人形と一緒に吹きばしてしまい、今に至っているらしかった。

 

「え? 相談したよ、遠坂と衛宮が土蔵に行く前に」

「聞いてないわよ」

「だって声出すなって止められてたし」

 

ぐっ、と言葉に詰まった拍子に凛の脳裏は記憶を辿る。

言われてみれば廊下ですれ違うときに、手足を上下させる土筆がいたような気がする。

移動に邪魔なのっぽを退かすために適当にあしらった、凛がいたような気もする。

 

「そもそも、衛宮くんに言ったことはマスターと思われているあなたにもそのまま当てはまるんだから単独行動は論外よ!」

 

苦しい言い訳であったが、半人前以下のド素人は気にしたそぶりもなく、相づちを打った。

 

「まあ実際、僕じゃないからね」

「だ、か、ら、余計に厄介なんでしょうが!」

「僕が狙われたら情報が入るし、やられてもアーチャーたちは消えない。ばっちりだ」

「それは護衛ある前提でしょ。全然、わかってないじゃない」

「出入りは見張りの二人に知られるんだから時間差はあるけど、利用できる」

「それ囮のつもり?道を戻れなくなったからって、自分のことより人助けってわけ?」

「まさか。犠牲は何も生まないよ」

 

そう、小麦粉ケンゴと共に木っ端微塵となった、箪笥から拝借した士郎のコートが残すものは何もないのだ。

 

「大丈夫、僕じゃサーヴァントや魔術師に太刀打ちできないって理解してる。衛宮じゃあるまいし」

「どうかしら。同類じゃないの?」

 

まるで意外なことを言われたとばかりに土筆は目を瞬くと、珍しくむっとしたようで抗議を始めた。

無論、凛は黙殺した。風の音が強くなったせいにして。

街灯の間隔もだんだんと遠くなり、この先は月明かりが頼りだった。

 

「衛宮とは違うよ、僕は」

 

それっきり沈黙して、草木では手が届くことのない空を見ながら土筆は歩き、凛は返事を期待しない呼びかけに答えなかった。

景色が、造りのしっかりした檀家の並びから林に変わった。

記憶ではそうかからずに標識が見えてくるはずだと冬木の魔術師は従者に警戒を促した。

 

――――きっと、心の中心がズレているんだ。

 

ひとえに、かき消されそうな声量が呼びかけの続きだと彼女が思えたのは、風に煽られた髪を抑えるために左を向いたからだった。

毎日命がけで全てが生きているこの世界に触れる神城顕悟にとって、コロシアイは当り前に起きえることの一つでしかない。

その程度のことだ、と。

 

「さ、あと少しだね」

 

枯れそうな声で土筆は笑った。

 

 




辛夷(コブシ)』 別名:田打ち桜
友情、歓迎、信頼、愛らしさ
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。