fate/stay night_Short long days   作:のんべんだらり

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■Matricaria recutita

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1 

 

 

 

――青い狼。

月を背にした鋭い眼光の男を、顕悟はそう評した。

 

無駄なく鍛え上げられた体躯を極限まで活かせる外套。彫刻のような肉体美は引き立て役に過ぎないとばかりに一本の真っ赤な槍が猛々しく天を穿つ。使い手、武器共に内包されたエネルギーは異常。

視覚を通じて情報の行き届いた脳が、最大の警報を鳴らす。流石の土筆ん坊でも、アレが己の心臓を狙っていると理解できた。

 

「こんなもやし野郎がマスターねぇ…現代の魔術師は外見だけじゃ判断できねぇな」

 

棒立ちとなっている獲物を、狩人は圧倒的余裕を(たた)え見下している。

本気でないとはいえ、男の殺気に気圧されず正面を見据える少年の姿勢は若き戦士といえた。

 

「(ほう……こりゃ、やっぱり外見だけじゃわかんねぇもんだな)」

 

言うなれば、転がったボールを追いかける犬のような些細な興味が生まれた。

しかし、比喩はあくまでも犬の場合である。

英霊と崇められる屈指の戦士とただの草食系男子では、一瞬で勝負はつく。

 

「ほら、さっさとサーヴァント呼びな。気概は認めてやるが、出し惜しみしてると死ぬぜ?」

 

挑発したものの、男は疑念を抱いていた。この少年は、本当にマスターなのか、と。

魔力がなくともマスター登録が可能であることは聖杯から得た情報で認識している。足を踏み入れて体感した霊脈の大地を住処としている。ひょろりとした小僧に魔力がないのであれば、誰の手によるものか答えは絞られる。

 

「(しかし、たとえ一時の主従関係であろうともマスターの危機に駆けつけないもんかねぇ…)」

 

罠を警戒するが、それらしい動きは感じられない。

 

「(あー、めんどくせぇ)」

 

殺してしまえばわかるというものだと狼は舌なめずりをした。もとより頭を使うよりも身体を動かしている方が男の気質に合っている。

対して、絶対的劣勢である野草は、天然に一つまみ分の真剣みを加えた程度の冷静さを保つのに必死であった。

 

「(……狙いはキャスター、だ)」

 

男から発されるエネルギーは、正直だった。活性化して暴れ出しそうな闘争心を必死に抑えているように視え、顕悟は己の仮説が正しいことを確信に変える。

次に問題となるのは己の発言である。ここでマスターではないと否定しても獣が見逃すことはなく、肯定すればキャスターに不義理となる。それならば――

 

「……なんのことかわからない。ここには、キミと僕しかいないけど?」

 

万年草は演じる。

目視する限り、男の武器は槍のみ。キャスターの説明にあった槍使い(ランサー)であると推定し、キャスターの()()()()は不敵に笑う。

 

「ハッ、その余裕――後悔させてやるぜッ」

 

軽口を叩いていた男の雰囲気が変容し、死への現実味を帯び――飢えた獰猛な狼が放たれた。

 

――それは、弾丸。鞭のようにしなる腕によって繰り出された、赤い閃光。

待てを解かれた狼は嬉々として塀から上空に身を躍らせ、獲物の心臓を一突きせんと赤い()が空気を裂く。

 

しかし、ランサーの敏捷さは把握しているとばかりに、顕悟の足が地面を蹴り上げた。

後ずさるでもなく、横に飛び退くでもなく、前へ進み出る。

彼はあくまでも目的への最短距離を選んだだけに過ぎなかったのだが、それは奇しくも決着が着くはずだった一撃からの唯一の逃げ道であった。

 

「チッ」

「ぐ―ッ!」

 

だからといって無傷といかない結果が、2人の力の差を歴然と証明していた。

ためらいのない的確な初動に射程距離を調節させられた槍は、右上に逸れ肩口を抉る。それでも痛みに慣れていない一般人にとってみれば、絶叫を上げずにはいられないほどの衝撃。

焼かれるような肩の痛みに立ち止まりたい痛覚と、死から逃れたい防衛本能がぶつかり合い、足がもつれる。

 

しかし、踏まれても斬られても根さえ残っていれば、何度でも立ち上がる。それが雑草である。

 

崩れかかった上体を右足一本で踏ん張り、体勢を持ち直す精神力は敵ながらランサーの口端を吊り上げた。

過去の英雄の前では幼子が立ち上がるようなものではあるが、不屈の態度は見ていて清清しくもある。

 

「だからといって、容赦はしねぇけどなっ!」

 

我武者羅に走る顕悟の延長線上――池を挟んだ向側には、建物の入り口らしき扉が見えた。中に立て篭もるつもりなのだろうが、ランサーにとって数メートル離れていようが射程圏内である。

 

「――ッ」

 

前進力を刈り取るべく、風が唸り声をあげた。

 

残像しかない足払いは、もはや斬撃。鎌のように弧を描き、顕悟の両足を絡めとる。

下半身がもぎ取られるような方向転換に腰がグキッと抗議するが、宙に浮いた顕悟にとって一瞬の出来事。

そのまま表面に張っていた氷を突き破り、池からしぶきが上がった。

 

水浸しになった地面をカミツレの花びらが無残にも流されていく。

ランサーはブーツが汚れることも厭わず、相手の呼吸が続かなくなる瞬間を牙をむき出しにして待っていた。

 

「――チッ」

 

数々の死地をくぐり抜けた。守った命は数多く、そしてそれ以上に奪った命は数知れず。そんなランサーだからこそ、先の足払いの軽すぎる手ごたえに気を引き締める。

手加減をしたとはいえ、ただの人間が背後からのサーヴァントの攻撃にタイミングを合わせるなぞ、奇矯(ききょう)の極み。

 

揺れていた水面に落ち着きが戻っていく。

一分、二分と経過する中、遊びから本気に集中力を高めた英霊は波紋1つ見逃さないとばかりに槍先を固定した。

監視されているとは知らず、にょっきり顔を出した暁にはその人物の頭は割けることだろう。

 

ただ幸運にも、今宵は、そのような犠牲者は1人も出ることはない――。

 

 

 

2

 

 

 

ランサーが池を睨みつけている頃、三芳邸で異変が起きていた。

 

三芳鋼三郎が仕掛け以外で最もお金をかけたという浴室は、顕悟の手によって――キャスターが来てからは毎日――掃除されている。檜でつくられた浴槽は2人入っても足を伸ばせる広さであり、入浴剤がなくとも木の香りで満たされるリラクゼーション空間である。

 

それがどうであろう。浴室内は水の腐ったような生臭さで溢れ、ピカピカに輝いていたタイルはぬめっとした透明なコーティングをされて鈍い光を反射するだけ。ところどころカビと見紛うような緑色の藻が張り付いている惨状に、河童が湯ぶねに浮かんでいた。キャスターは軽い目眩を起こした。

 

「このまま沈めてやろうかしら……」

 

三芳邸に住むことになって、日本の和の文化ともいえる檜風呂を唯一の楽しみとしてきた彼女の声には憎悪が込もっていた。

ともかく、鼻が曲がりそうな悪臭の根源をどうにかするべきである。

礼服であるローブを脱ぎ、キャスターはお湯と水が混じりあったぬるま湯に浮かんでいる水草男に手をかける。

餌がもらえると勘違いをして吸い付いてくる淡水魚を追い払い、意識のない顕悟を脱衣所に敷いて置いたタオルの上に寝かせた。

張り付いた服を破いて現れた、キャスターの想像よりも鍛えられている身体への感想は鼻を鳴らすだけで済まされた。

 

「……まったく、バカな坊やだこと」

 

向ける視線は熱く、顔は悲痛に歪み、抉れた肩に触れる手つきは聖母のように優しい。

矛盾だらけのキャスターの口から流暢な呪文が紡がれると、見る見るうちに顕悟の傷は元通りになった。

顕悟に意識があったならば、『魔法の手』に目を丸くしたことであろう。されどキャスターが行った神秘は魔法ではなく魔術――完璧ではない。失った血液は戻すために増血剤でも飲んでもらうことにする。

 

そして冷え切った心臓部へ陶器のような白い手が移動し、勢いよく叩き付けられた。

 

「げほっ、げほっ……キャス、ター…?」

「夜遊びは控えるべきだったわね、坊や」

 

はてさて、なぜ庭でランサーと戦っていた彼が三芳邸で介抱されているのか。

答えは明察。ここは三芳お手製の忍者屋敷――庭の池と浴室が水路で繋がっているのである。

あるいはと思っていたキャスターは予想的中を喜ぶよりも寧ろあきれ返った。

通路を塞いでいる栓のレバーが錆びていたことなど知る由もない彼女は、偉業に近い無呼吸時間を記録した彼など眼中にない。

 

「……傷口は塞いだわ。あとは逃げるなりなんなりして頂戴」

 

癒えたばかりの肩をペタペタ触っている顕悟から離れ、キャスターは血のついたタオルをゴミ袋に詰める。

一部始終、ランサーとのやり取りを覗き見しながらも我関せずだったキャスターがこの場に辿り着いたのは、単にエルフの耳が聴力に長けていたからに過ぎない。

掃除係の生死など知ったこっちゃないと切り捨てた彼女だが、物音の発生場所である憩いの場所に水死体があっては今後の入浴に差し支える。それは乙女の嗜みとして捨て置けない。

 

「(そう、坊やを助けたのではなく、これは優雅なバスタイムのための労働よ)」

 

キャスターは心の内で反芻(はんすう)する。

 

「(大人しく、坊やさえ逃げていれば余計な手間もなくて楽だったのに)」

 

未だにガサゴソ腕を動かしている同居人を鏡越しに一瞥し、手に付着した血生臭さと共に鬱憤も洗い流す。

治癒で魔力を消費させてしまった分、勝ち目は当初よりも低くなった。後の祭りであるとわかっていても文句を並べずにはいられない。

戦略をシュミレートしながらタオルで水気を拭い、振り返ったキャスターは既視感に捉われた。

 

「――キャスター」

 

痛みに顔を歪ませるでもなく、陽だまりですくすく成長する植物のような柔らかさを感じさせる少年が、カミツレを差し出していた。濡れた髪や衣服、困ったようにも見える下がり眉は出会った日の再現のようだ。

 

「(……私も随分、気を許したものね)」

 

同じようでいてあの日とは違うと彼の破けた肩袖がキャスターを責める。湯張りで水温が中和されたとはいえ、寒中水泳をした彼の顔色は青白く、唇も紫色のまま。

なにより瑞々しかった茎は水に浸かっていたせいでしな垂れ、白かった花弁はまばらに赤く染まっていた。

 

「あ、ごめん。血がついちゃってるや」

「……」

 

無言のままそれを灰に変え、用は済んだでしょと視線を厳しくするキャスターの意図など素知らぬ顔をして土筆ん坊はのたまう。

 

「それで、あいつを倒すために僕は何をしたらいいかな?」

 

――絶句。

人あらざる存在に信頼を向ける少年に抱いた彼女の感情は『憐れみ』だった。

 

「――そうね、あなたは親切心を無碍にする常習者だったわね」

 

愚かな発言は想定内であった。共同生活をする中で、彼の観察を欠かしたことは無い。無論、情などで観察眼を曇らせるほど彼女は子供ではなく、まして知略の魔女は『善』ではない。

 

「キャスター。僕はこの屋敷を残して逃げるつもりはないし、約束は守る」

「約束……?」

 

キャスターは頭1つ分、離れた位置にある能天気な顔を訝しむ。

 

「キミのマスターを見つけるって話だよ」

「……根拠のない約束は覚えていないわ」

「なら、ここで約束する。キャスターがマスターを見つけるまで僕は逃げないし、キミが生き残るために手伝う。それが妨げになるなら、彼よりもキミの手で殺してほしい」

 

命を助けたばかりの人間に殺せとは、酷なことを言う。

 

「それに、彼はまず僕を殺しに来ると思う」

「――ちょっと待って、どういうこと?」

 

停止していたキャスターの思考が動き出す。

確かに、一般人に等しい顕悟に目の前で逃げられてはサーヴァントの面子も丸つぶれである。

私欲を優先するとは思えないが、まだ見ぬキャスターよりも顕悟をランサーが強く意識していることは否定できない。

 

「僕をキャスターのマスターだと勘違いしてた」

 

ランサーとの状況は覗き見ていたキャスターであるが、まさかそんな会話をしていたとは寝耳に水である。

 

「大丈夫。否定も肯定もしてないから、嘘はついていないよ。ちょっと挑発はしたけど」

「……それが、認める態度だって気づいてるかしら?」

 

魔術世界の住人は裏を読んで三流。相手の思考を掴んだ上で策を仕掛けて二流、結果を出して一流とされる捻くれものの世界だ。のほほんと実直だけが取柄の土筆ん坊が手の内を明かしたところで、曲がって伝わるのは必然。

今頃、相手のマスターは勿論、観戦しているだろう監督者にも知れ渡っていることであろう。

 

「はぁ……とことん事態をややこしくしてくれるわね」

 

己の立ち位置を危うくしているとは全く気づいていない顕悟に、何度ため息を吐けばよいのやら。

頭の重さに反して胸に巣くっていた靄が晴れたとは露知らず、キャスターはぼけっとした頬を引っ張った。

 

「ふぁにふゆんだひょ」

「うるさいわね。身長が離れているんだから話しづらいでしょう」

「……一言言ってくれれば屈むのに」

 

すごすごと膝を折った顕悟は、拗ねたように横を向く。若干涙目だった。

だが、それくらいがなんだとキャスターは跳ねつける。

魔力切れのタイムオーバーを避けられずにいた何千通りの難題を、魔力のないたった一人にひっくり返されたのだ。

一般人としての認識が強い余り、彼を囮にする選択肢を無意識に除外していたキャスター自身の失策は棚に上げた。

 

「手伝うからには失敗したらどうなるか、わかっているわね?ふふふ」

「も、勿論。バクラヴァで手を打つよ」

「その発言、忘れないことね」

 

キャスターをご機嫌にさせた『バクラヴァ』とは生地を何層も重ねてナッツを包み、シロップをしみ込ませたパイのようなデザートだ。ギリシャ出身だと聞いて振舞ったお菓子に、ものの見事に彼女は虜となった。

俄然やる気を見せる表面とは裏腹に、彼女はあくまで作戦の成功率は見込みレベルであることも念頭に置いていた。

敢えて話す必要もないと判断し、相槌をうつ彼には伏せておくことにして。

 

 

 

 

「――つまり、キャスターはここ1ヵ月で三芳じいさんの仕掛けを乗っ取ったのか」

「人聞きが悪いわね、再利用しただけよ」

 

ものは言い様である。

来たばかりの頃に比べてキャスターの悲鳴が減ったわけだ、と万年草の納得するポイントがずれているのは通常通りであった。

 

「調べていくうちに見つけたのだけど、地下に随分と古い仕掛けがあるわ。規模も家全体に及ぶ一大装置よ」

 

稼動した形跡が一切ないため、一度限りのものであるとキャスターは睨んでいる。

 

「(……はて、なにやら似たような話を聞いたような)」

 

血が足りずにぼんやりする頭を働かせようとも閃きはない。

話の腰を折る必要もないと自己完結した土筆ん坊は、黙ってキャスターの説明に耳を傾けていた。

 

「解析を完全に終えていない不安要素は残るけれど、捕縛と撃破に関係するだけわかっていれば充分。凶暴な野良犬であっても、檻に閉じ込めてしまえば吼えるしかできないでしょう」

「身動きできなくなったところをトドメさす、と。うん、性格が出てるね」

「余計なお世話よ。……大半はあなたのせいだし」

 

竜骨兵を扱うほどの余力もなければ、宝具解放などもっての外。

 

「(まさかマスターも宝具もなしに、聖杯戦争に挑むことになるなんて。皮肉なこと……)」

 

だが、後悔は一片たりともない。

結果次第では最弱の称号は返上してやろうと、キャスターは密かに闘志を燃やす。

 

「ある程度時間を稼いだら私の部屋に向かいなさい。脱出経路を残しておくからそこから外へ出て。0時5分きっかり、一秒でも遅れたら閉じ込められるわよ」

「了解した」

「仕掛けの配置は坊やの方が詳しいから任せるけれど、できるだけ発動は控えて頂戴ね。魔力の節約になるから」

「……善処するよ」

 

脱衣所での作戦会議はこうしてお開きとなった。

 

 

 

3

 

 

 

仕掛けを発動させるため、地下に向かったキャスターと別れてから数分。

狭い廊下を滑走する獣を待ち構える顕悟は、薄手のトレーナーにジャージという動きやすい格好になっていた。

頭髪や身体はシャワーで流しただけのため、彼が動くとなんとも魚くさい。

着ていた服はこんもりとした三角巾コーナーを見る鬼姑のようなキャスターの視線によって洗濯機からゴミ袋へと進路変更となっている。

 

「……準備運動でもしておこう」

 

庭で全力疾走をしておいて今更な発言であるが、彼の無頓着ぶりは今に始まったことではない。

屈伸運動に入った体操に待ったをかけたのは、ガラスの割れた音だった。

 

身をチリチリと焼かれる感覚に大きく息を吐き出した顕悟の前に、青い狼が再び現れた。

 

「よぉ、坊主。会いたかったぜ」

 

ランサーは相当殺気立っていた。みすみす逃した獲物――それも人畜無害のとろそうな少年に逃げおおせられたとあっては心中察する。

 

「夜も遅いし、僕としてはこの辺で諦めて帰ってくれると嬉しいんだけどな」

「生憎、手ぶらで帰れるほどウチのご主人は優しくねぇんだ。個人的にも、首を持ち帰りてぇ気分だしな」

「……そっか。それは残念」

 

ごく自然に踵を擦らせた足元からカチリ、という音がランサーにも聞こえたようだ。

 

「テメェ――」

 

生憎、反論は電動音にかき消された。

 

「うわー」

 

現れた仕掛けはランニングマシーンと化した廊下であった。しかしそのベルト回転は足を乗せたら最後、もぎ取られる想像が過ぎる殺人マシーンに流石の顕悟も萎えた。それはもう茹でられたほうれん草の如くしんなりと。

 

三芳お手製の作品に魔術を組み込んだ罠は早々に突破できるものではないとはいえ、顕悟の命を守る防波堤としての強度は未知数を通り越し、命を奪うダークフォースとなっている。巻き込まれてはたまったものではない。

とはいえ、超人的な身体能力を持つサーヴァントにとっては子供だましに映るのも事実。

 

「坊主、錬金術師か……」

「……さぁ、どうなんだろう」

 

想像を凌駕した変容にただただ目を丸くしていた土筆ん坊だが、その態度はランサーをけしかける致命的な隙であった。

腰を落とし、青い狼が跳躍したその瞬間、

 

「っ!?」

 

天井から飛び出てきたハンマーに出発地点へと打ち返された。それが合図であったかのように、魔力刃が一斉放射され、たまらずランサーの足が踊る。

壁や床に穴が開いたりするが、顕悟は1つ頷くだけで流した。意外に図太い少年なのである。

 

「(よし、今のうちに――)」

 

本日二度目の逃走を図るべく、全速力で駆け出した。

キャスターと迷子になった教訓を活かし、倉から仕掛け紐解きの忍法というただのネタ明かし本を読んだ顕悟に恐れはない。魔改造を施されているとはいえ、ルートの識別方法は変わっていないようで安心である。

 

「っ!」

 

そうしてキャスターの部屋を目指していた顕悟は、唐突に倒れこんだ。

扉までは10メートルと離れていない。

悲鳴をあげている心臓を宥め、身体を起こそうとした顕悟は、()()()の足に気づいた。

 

「え――」

 

太腿に赤い牙が噛み付いていた。焼けるような熱さが滴り、吸水性の高いジャージを染め上げている。

――彼に油断はなかった。

一度成功したからと言って、二度目があるとは思ってはいない。ただキャスターの後押しが、恐怖に打ち勝つ勇気を与えていただけのことである。

 

天井を仰ぐ顕悟の太腿に喰らいついているソレを、ランサーは満足そうに引き抜く。

 

「へっ、誇れよ坊主。健闘した方だぜ」

 

頭を打ち付けたショックで、視界は靄がかかっている。血液不足も拍車をかけて、彼の意識を白けさせていく。

おぼろげながらも立ち上がろうとした顕悟は、ランサーが分身して見えていた。

 

「う、あ……行か、ないと」

 

現実の出来事なのか、夢うつつなのか。

呂律も回らず、判断のつかない頭にぼんやりと浮かんだのは、薄紫色した女性だった。

 

 

 

* * *

 

 

 

キャスターを案内したあの日から、顕悟が彼女の部屋に入ることはなかった。

その戒律を土筆ん坊が破ったのは、年に一度のイベントのためだった。

 

「……失礼しまーす」

 

律儀にもノックをして入室した顕悟は、女性らしい清楚さと魔術師らしい禍々しさが両立されている内装に一瞬言葉を失った。

楚々とした洋服箪笥(たんす)と天井まで届く本棚が、キャスターの世間知らずと重厚ある迫力を絶妙に受け継いでいる。持ち主に似るとはよく言ったものだ。

神妙の空間の中で唯一、三角巾にエプロン、はたきと掃除機にバケツを手にした掃除夫が滑稽であった。

 

「うわ…難しそうな本ばっかり」

 

外国語で書かれたタイトルが几帳面に並んでいる書籍は、古書図書館から切り取ってきたような風格があった。隣の棚に並んだどぎつい色素の液体瓶は見なかったことにしたようである。

食う寝る以外には草花の世話しかしていないと思われがちな土筆ん坊だが、実は読書家でもある。ジャンルを植物に限るならば、子供用の図鑑から海外論文まで手当たり次第に読み漁る研究心は並ではない。

ただ、そんな外国語表記の図鑑を見ることのある顕悟でも、キャスターの愛読本は読み取れる文字が少なかった。

 

「ドイツ語?いや、ギリシャ語、かな。……ん?」

 

――分厚い本の間にそれはあった。

肩身狭く、潜んでいた日本語表記を手に取る。

 

「……ああ。キャスターが持ってたんだ」

 

大掃除で倉に保管されているはずの三芳の種明かしシリーズである。

顕悟が拝借した個々の仕掛けの詳細ではなく、全体の構造を記した設計図だった。

 

地下の大部分は配管や配線で埋め尽くされ、ぽっかりと空いた一箇所に『三』と仕掛けを表すスタンプが押されている。

思い返せば、大晦日を境に掃除に乗り気になったキャスターに首を傾げたものだった。倉に入る回数の割りに埃の量が変わらなかった理由もこれならば説明がつく。

 

「やっぱり、ちゃっかりじゃないと魔術師は無理なのかな」

 

ぺろりとお手製弁当を平らげた赤い優等生しかり。

偏った魔術師像を作り上げている顕悟は背後に気づかない。そして、本を元の位置に戻した彼は――身体を硬直させた。

 

いつだって、彼女は見通したように現れる。

 

 

 

* * *

 

 

 

屋敷を振るわせる低い鐘の音に、意識が過去から引き戻される。

 

(ああ……時間だ……)

 

音の主――居間にある大時計は毎晩0時を告げる仕事と、仕掛けを巻き戻す大役を与えられている。

前の音の震動が収まってから次の鐘が鳴る仕組みとなっており、12回鳴り終わるまでに5分はかかる。その精確さは時間指定に使ったキャスターのお墨付きが出るほど、質実かつ忠実。

 

今もいつまでも寝転んだままの悠長なぺんぺん草を急きたてるように、警鐘を鳴らしている。

 

(起き、なくちゃ……)

 

そう思っても、身体からの反応はない。

せめて目蓋だけでもと抉じ開けた視界に、濃紫のローブが翻った。

 

 

 

4

 

 

 

時は少しばかり遡る。

 

目当ての機械を細工したキャスターは美麗な顔に消耗を滲ませていた。

 

「……さて、どうしようかしら」

 

幸い、マメなペンペン草が窓際のちょっとしたスペースにお仲間を飾っていたお陰で、ランサーを仕留めるくらいは使えると魔女は笑う。

それでも広範囲の仕掛けを動かすために魔力をごっそり持っていかれた彼女の顔は、血の気が失われている。

 

地下と一階を繋ぐ出入り口は、一つしかない。

袋小路の地下が戦場となれば敏捷なランサーに軍配が上がる。魔力のない魔術師など一般人と大した違いがない。

歴然とした差をひっくり返すための強化した仕掛けは、唸りを上げて稼動を始めている。

放って置かれていたたブランクを取り戻そうとはりきっているのはいいが、ときどき油の切れたノイズが微かに彼女を不安にさせる。

それを裏付けるかのように――脳髄まで響く鈍い鐘が鳴き始めた。

 

『――起動を―認し――。実行準備―移――じゃ』

「?」

 

ノイズ交じりの聞いた覚えのあるしゃがれた声が流れた。途切れ途切れになったせいか、余計に哀愁を誘う。

古時計にはまだまだ負けんと繰り返す老いぼれアナウンスに、耳をそばだてる。

 

「んん?」

 

得た情報を反復し、今一度キャスターは手元の地下図面を眺めた。およそ2ヶ月三芳邸で暮らしてきた彼女は、仕掛けの規模及び仕掛け人の性格、そして魔力の上乗せ効果を換算し、一つの予測を弾き出した。

 

『起動を確認したぞい。実行準備移行中じゃよ。三芳号発射まであと4分じゃ』

 

三芳鋼三郎は幼い顕悟によく話していたという。将来の夢は――宇宙飛行なんだ、と。

 

「冗談、じゃないわっ!」

 

いきり立ち、キャスターは脇目も振らず、走り出す。

彼女の聴覚は、3つ目の鐘を数え上げたばかり。

 

自室への最短ルートを抜ける。

残りの魔力を右腕にかき集め、壁に向けて構えた。

 

「――ッ」

 

魔力の出し惜しみなど、無関係となっていた。

 

 

 

 

 

普段のしおらしさなど微塵もなく、壁をぶち抜いて現れた彼女はちらりと蹲っている顕悟を一瞥した。

 

「――キャス、ター?」

 

かろうじて意識は保っている顕悟を背後で感じつつ、キャスターの頬に一筋の汗が伝う。

時間の猶予もなく、かといって策もなく突っ込んでしまった己の過ちを猛烈に恥じていた。

鐘は5つ目の余韻が響いている。

瓦礫と共に吹き飛ばされた青影との距離は数メートル。

 

「やっとお出ましか」

「ふふ、待った時間で男は度量が計られるのよ」

「なら、俺は合格ってとこかい」

 

じり、と肌を撫でる殺気。後ろには怪我をした障害物、横は幅50センチずつほどしか余裕はない。得物の長いランサーにうってつけの条件だ。

 

「それなのだけど、今日は忙しいのよ。出直して頂戴」

「おいおい、ふざけてんのか?」

「あら、初対面のサーヴァントとはやり合わないのが、そちらの方針ではなくて?――それにこの家、打ち上げ準備を始めているわ。逃げないと私もあなたも無事では済まないわよ」

「……舐められたもんだな。てめぇら2人を片付けてからだって間に合うぜ」

「心中するなら構わないわ。矛を収めた方がお互いのためじゃないかしら?」

 

残り時間、3分を知らせるゴング。

そうして〈もう一つの仕掛け〉が動き出す。

 

「んだぁ、気色悪ぃ!!?」

 

ネジを巻かれるかのように、作動した仕掛けがただ一つを除いて逆再生(リセット)される。崩れた瓦礫は再び壁となるべく、独りでに動き出す。――その上にいたランサーを巻き込んで。

ランサーの手から槍が落ちる。

豪腕には既に土壁がくらいついている。キャスターの魔術も練りこまれている。

あれでは腕も振り回すことはできない。

 

「ふぅ、時間稼ぎに付き合ってくれて助かったわ。――今夜は引き分けね」

「チッ――」

 

舌打ちを了承と取ったキャスターは、脱出に苦戦しているランサーをしり目に背後の荷物を肩にかける。

 

「(止血したところで力尽きたのね、このお荷物)」

 

上着を太ももに巻きつけ、上半身はランニングシャツ一枚。ダイレクトに伝わる彼の体温はキャスターよりも低い。

置いていくという意思はキャスターにはなかった。

 

顕悟を引きずり、自分に宛がわれている部屋に入る。図体だけは大きい顕悟。ただの女性ほどの力しかないキャスターにとってそれだけで一仕事だ。

無造作に雑草を放り、畳を引き剥がしにかかる。

 

9回目の鐘が鳴った――。タイムリミットは鐘の鳴り終える瞬間だ。

体力を消耗し、珠のような汗が浮かんでいる。ようやく入り口を開け、捨て置いた顕悟に手を伸ばし――通り抜けた。

 

「……こっちのタイムオーバー、とはね」

 

慰めの鐘が響く。

透けた腕では抱えることは不可能。できることといえば、まだ無事な足で蹴飛ばすくらい。

肉体強化する魔力もなく、身体だけは頑丈な顕悟を動かせるだろうか。

頼みの綱である草花も、既に消費してしまっている。

 

消える予兆の出始めた足で立っていられるはずもなく、キャスターはその場に座り込んだ。

放り落としたときの衝撃で目覚めたのか、傍らが身じろぐ。

 

「キャス、ター……」

「なにかしら――っ」

 

巻き込んだ結果の遺言くらいは聞いてやろうと振り向いた鼻先に――キャスター以上の脂汗を浮かべた少年の力の抜けた微笑があった。

 

「(なに、やり遂げた顔してるのよ……)」

 

生温く、鉄の匂いが鼻をつく。ソレが何であるか知覚するよりも早く、喉が溜飲した。

途端に身体が活性化する。

 

「(まず、い…)」

 

理性も吹き飛びそうになるほどの甘美さを、唇を噛みしめて耐える。ぷつ、と口の中に残るわずかに異なる鉄分が混ざり合っていく。

――詠唱を省略し、回路に魔力を通す。既に11回目の鐘は鳴り終えている。

 

12回目――ガキンと撃鉄が落ちる音がした。

 

 

 

5

 

 

 

ぺっと三芳邸の玄関――に見せかけた壁の上から吐き出された2人が、受身を取り損なってしばらく。

痛みが治まってきたキャスターは隣で転がる少年に声をかける。

 

「……無事?」

「…………かろうじて」

 

強がりであることは明白であった。唇は青紫色に染まり、体温が下がった身体に夜風が吹き付ける。

星空を眺めている彼女の隣で、ごそごそと衣擦れがした。

 

「庭がぐしゃぐしゃだ…」

 

槍兵の八つ当たりと風圧により半壊した庭園にしんみりした顕悟を尻目に、もっと他に気にする事柄があるだろうとキャスターは思う。

家がロケットのように打ち上げられて放心しない方がおかしい。つまり、顕悟が異常なのだ。

 

「っしゅん」

 

そして、お空のお星様となった三芳邸。

ランサーは無事に脱出できたのだろうか。命のやり取りをしたとはいえ敵の身も心配してしまうほどにキャスターは放心していた。

一夜にして住居不在となった不幸を、嘆かずにはいられない。同時に生き残った喜びを噛み締めていた。

 

だが、強気な彼女であっても限界はある。

 

「ごめん、なさい。少し、眠るわ」

「…うん」

 

腕に凭れてきた衝撃を、顕悟は苦笑と共に抱きとめた。

普段から警戒心が強く、一歩引いた態度を貫いてきたキャスター。彼女が無防備な姿を曝け出すまでに魔力の消費と疲労が重なっているのだろうと、限りなく正解に近い予測をしていた。

 

「よいしょ、っと」

 

ローブで眠り姫の身体を包み、背負う。鉄分が不足している。視界が揺れた。

穴の塞がれた足はふらつくものの、彼女の体温に励まされる。今度は彼が踏ん張る番だ。

 

派手な爆破に野次馬も引き寄せられる。長居は無用だった。

サイレンが近づいてくる中、顕悟は7年過ごした敷地を後にした。

 

 

 




一万字を超えてしまった…。

加密列(カミツレ)
逆境に耐える、逆境の中の活力、親交、仲直り
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