fate/stay night_Short long days   作:のんべんだらり

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■Typha latifolia L.

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1

 

 

土筆ん坊こと神城顕悟は毎日決まった時間に目を覚ます。

起き抜けに作動する仕掛けをいなしていた忍者生活より前――柳洞寺に引き取られた翌日から続いている習性だった。

どんな場所でも眠った時間に左右されることなく、時刻になるとまるでスイッチが入ったように起きる目覚ましいらずの男である。

 

衛宮家に居候して二日目の朝。

電球一個で支えられている心もとない廊下に擦れる音を響かせ、顕悟は宛てがわれた部屋を出た。

仕掛けにいつでも対応できるようにと三芳邸では素足であったせいか、足の裏の慣れない摩擦に()を置いてきぼりさせること三度(みたび)。ようやくスリッパというものに慣れてきた。

 

「うーん、移動式廊下とはまた違ったクセがあって奥が深い」

 

室内用の履物で歩行トレーニングを行える仄かな感動を踏みしめ、隣室の和室――家主の存在を感じられない襖を一瞥して居間に向かう。

 

「(衛宮、結局土蔵で寝たんだ……)」

 

顕悟が士郎の抜け出す()に気付いたのは、夜風で冷えた体を風呂で温めた士郎とそれぞれの部屋の前で別れた後――顕悟が寝入った頃合いを見計らったような間を置いてからのことであった。

音も気配も消す足運びに無駄はなく、去年まで在籍していた弓道部での腕前が覗える。

半人前であろうと魔術は秘匿するべし、と細心の注意を払う士郎の努力は大抵の人では気付かない隠遁(いんとん)だった。

ただ誤算とすれば、壁一枚隔てた先に寝起きしているのが″自然人間″であり、気配を悟らせないスキルにおいて妖精(ブラウニー)の上がいたということだ。

そうして遠ざかっていく魔力(オド)を確認しながら魔術師の夜行性に目を瞑り――そこまでが顕悟の記憶である。

因みに彼だけでなく、士郎が帰宅する前に就寝した――子供は眠くなるの早いんだねとの指摘に弁慶の泣き所を蹴り上げてみせた――キャスターも察知しているのだが半人前が知るにはまだ数日ほど足りない。

 

「(ま、凍死してたらキャスターにお願いしよう)」

 

……植物以外にはクールな男である。

電気を点け、暖房のリモコンを探していたところで、反対側――縁側に近い襖が開けられた。

 

「ん、神城か……今日は早いな」

 

赤茶の髪をわずかに跳ねさせた無愛想な男の口から白い息が吐き出される。

寝起き特有の緩慢さを除けば顔色は至って健康。一成からも皆勤賞の常連だと聞かされるほどに強靭な身体とはいえ、流石に零度近い二月に土蔵で眠ればクシャミの一つくらい飛び出しそうなものだが。

 

「衛宮って、妖精の加護でも受けているんじゃないの?」

「はぁ?」

 

暖房を操作した士郎を見て、顕悟は己が掴んでいたソレ――どうにも見覚えがあると思ったキャスターと取り合いをしたテレビ用リモコン――をちゃぶ台の上にそっと置いた。

 

「無茶することで有名な衛宮が元気すぎるから、ふと」

「それを言うなら神城だって同じだろ」

「え、なんで?」

 

似たもの同士「?」を浮かべ、首を捻り合う。

茶の間が一気に不可思議な空間になり下がった。

 

「っと、すまん。俺は朝飯用意するから神城は寛いでいてくれ」

「でも今日明日と桜後輩はお休みでしょ?手伝うよ」

「……助かる。ここのところ、桜と分担してたから正直時間配分が少し不安だったんだ」

 

桜というところだけ、寒さだけではない赤みを孕んだ士郎の頬が僅かに緩む。

穂群原のブラウニーのまさかの反応に同校生であれば食いつく――それこそ赤いアクマが微笑む――絶好の瞬間を、

 

「どういたしまして。それで、献立は?」

 

土筆ん坊は軽く流した。

 

「そうだな、逆にリクエストはあるか?キャスターの好みも知っておきたい」

「洋食に親しみがあるようだけど和食に興味もあるみたいだし、わりとなんでも食べてくれるよ。箸を使う難易度高いものはまずパスだけど……僕としては久しぶりの焼き魚は捨てがたい」

 

冷蔵庫の中身は既に確認済みである。

台所スペースに揃って移動しながら、男二人はあーでもないこーでもないと食材と栄養バランスを組み立てていく。

 

「それならほぐし鮭にしたらどうだ?大きめにほぐせば箸に慣れてなくても掴みやすいぞ」

「おかずを一品増やして彩りにすれば見た目も綺麗にまとまる……うん、いいかも」

 

鍋に火をかける顕悟の横で、戸棚から赤味噌を手に取った士郎は差し出されたおたまに適量を掬いつける。

桜が見ていたならばハンカチを噛み締めそうな阿吽の呼吸は、奇遇にもほぼ同じ時間を家事に費やしてきた男たちの歴史であった。

そうして和気藹々(あいあい)とした朝餉(あさげ)の準備も半ば――。

 

「そういえば、彼女は起こさなくていいのか?」

 

豆腐の味噌汁の味見を終えた主夫一号の前後の脈絡ない問いかけに、主夫二号はテレビの上に掛けられている年季ものの時計を振り返る。針盤は7時を回ったところだ。

 

「もう少ししたら来ると思うよ」

 

三芳邸の暮らしであれば、ちゃぶ台に頬杖をついて朝一番の緑茶を啜りながら朝番組を見ている時刻だが幸い、朝から芸能ネタにかじりつく小学生といったシュールな光景はまだない。

 

「けどさ、今日は俺たちと一緒に出るんだし、そろそろ支度しないと間に合わないぞ」

「あー……」

 

そういえばそんな話だった、と顕悟は渾身の出し巻き卵を摘んでいた菜箸(さいばし)を持ったまま唸る。

 

「あれくらいの歳の子が1人で身支度するの大変だろ?あとは俺がやっとくから神城は行ってあげてくれ」

「でも、キャスターだしねー」

 

実は人体詐称していますなどと事情を話しては本末転倒。彼女の魔術(いのち)も無駄になる。

そもそも策略タイプの彼女は隙を見せることを嫌っている。

色深き瞳は自力で行おうとする意志を宿し、利用する他人(モノ)に頼るなんて真っ平御免。それは彼女の過去がそうさせているのだが、契約(パス)のない顕悟にはまだ()()は視えていないため、漠然とした拒絶を感じるに留まっている。

 

悩んだ末、曖昧にしてしまおうと浮かべた微笑みは――脳裏に甦った血の気が失せて横たわる薄青により未遂に終わった。

 

「ほらみろ、そんな心配そうな顔してたら説得力ないぞ」

「……面目ない」

 

記憶をつくり変えられている士郎は、彼女が丸一日寝込んでいたことを憶えていない。

キャスター(たにん)を思いやる彼の言動はあくまで、幼い子供を無碍(むげ)にしない"正義の味方"のあり方を忠実に具現しているだけ。

――たとえそれが実現した先で矛盾を生じさせる"理想(みらい)"だとしても、このときは顕悟の背中を押すには充分だった。

 

 

そんな親切心の押し売りに送り出され、キャスターの部屋を前にして佇む障害物が出来上がったわけである。

ノックをしようと手を上げては下げる挙動不審人物は土いじりや家事をするときとは打って変わった見た目通りの木偶の坊ぶりを晒している。

――理由は単純。

 

「(寝ている女性の部屋に入るのって失礼なんじゃないかな……?)」

 

キャスターは魔力の関係で子供化しているとはいえ本来、成人女性。

昨日までは微塵も気にしていなかった彼だが、そこは看護の義務感によって完璧に線引きされていた。二度も女の肌を見ておいて今更な反応に論議は絶えないが、尻込みしている現状は覆らない。

既に起床している望みにかけ、顕悟は汗を握りしめる。

 

「キャスター……起きてるー?」

 

――返事はない。

だからと早合点してドアを開け放ち、読書をしていた冷ややかな視線に晒された経験を持つ長身を屈めて、少しばかり開けた扉の隙間に片目を押し付けて覗き見る。

 

「わぁ、模様替えするの早いなぁ」

 

視界に飛び込んできた本棚を呆然と見上げてしまうのも無理はない。昨日まで――正確には8時間と39分前までは存在していなかった家具がどういう原理で運ばれたのか顕悟の頭では理解できないが、天井まで届く重厚な棚が三芳邸にあったキャスターの所有物だということはわかる。

寝る前に魔力代わりと採血された男は自らの血液がこのような使われ方をしているとは気づかずに、失くしたと思っていた玩具がひょんなところから出てきたことを喜ぶ子供の如く胸を明るくしていた。

 

そして、それを成したベッドの小さな膨らみに視線を流し、また別の意味で視線が縫い付けられた。

 

「ん……」

 

あどけない表情を晒して眠る少女は一体、どのような夢を見ているのか。

膝を折り、口元にかかっていた絹のような美しい藍青のひと房を顕悟はそっと摘む。わずかに頬に触れた無骨な手をむずかる柳眉が動いた。

返ってくる生きた反応にくすぐったくなった土筆ん坊の表情が弛緩し、

 

「妹って、こんな感じかも」

 

キャスターが聞いていれば、抗議する気もバカバカしくなるほどに呆れた台詞をのたまう。奇遇にも昨晩の虎と同じ見立てである。

考えなしの大根役者が独り言を呟いたところで起きる様子がない彼女に、丁度いい機会だと顕悟は目を瞑り、意識を集中させる。

目を開けていても目視できるが、視覚を遮断した方が部位までの詳細エネルギーを感じ取るためには都合がいい。

穂群原学園の七不思議――音程のズレた鼻歌交じりに剪定(せんてい)バサミ振り回す盲目のコロボックルの正体がここにあるとは露と知れず。

余談はともかく。

 

(消耗は変わらず……基盤回路はそのままだけど無理した分だけ、魔力の流れに不整脈ができてる……)

 

早いところ魔力のあるマスターと契約を結ばせてあげたい、と顕悟は心の底から願う。

もう一度キャスターからマスターになってほしいと頼まれれば熟考するくらいに、彼はこの純粋でかつ傷ついた気高い心を放っておけなくなっている。

だが、その選択は気軽に申し出たところで《本来》の彼女の願いを叶えるために最たる悪手であると自覚している。

土筆はただ、彼女の魂が輝く瞬間――喜び、幸せを掴むその瞬間を眺めるだけでいいのだ。

 

(有力候補は衛宮だよね。魔術の腕はともかく、キャスターと相性もいいみたいだし……主従は逆転しそうだけど)

 

マスターに選ばれている令呪という確証もある。

次点で凛、そして桜といった魔術師、そして葛木といったところか。

三芳邸があんなことになってしまったため、また一から身を守る神殿をつくらねばならないと零したキャスターが作業に没頭できるためにも、顕悟は率先して動くつもりでいた。

 

(ランサーだけでなく、他のマスターも集まってくるし……)

 

士郎の承諾なしに、流石のキャスターでも衛宮家を改造はできない。否、断られようとも事後報告でなんでもやってしまうだろうが、もし士郎が召喚した場合、サーヴァントの機嫌を損ねる原因にも成りうる。士郎がイニシアチブを取れるならば話は別だが、考えるまでもない。

 

(――よし、決めた。衛宮にマスターになってもらえないか頼んでみよう)

 

思考と調整を終えた顕悟はすっきりとして瞼を上げ、ぱっちりとしたアイスブルーの瞳があった。

 

「――――」

 

ここで一度、二人の格好を整理しておこう。

花を愛でるときのように真剣であった顕悟の顔はキャスターの鼻先に近づいており、更には体内に巡る魔力(オド)の滞りを解していた顕悟の手はいつの間にか、瞼まで覆い隠すほど小さい額から薄い生地の下にある発展途上の膨らみ近くにまで下がっていた。

寝込みを襲われているという状況に絶賛思考停止しているキャスターに、顕悟はにこりと笑いかける。

 

「おはよう、キャスター。ずいぶんよく眠ってたね」

 

なにもこんなときにまで発揮されなくてもいい土筆節に、止まっていたキャスターの感情が吹き荒れたのは言うまでもない。

 

 

 

 

2

 

 

「(……なんでさ)」

 

(いろどり)とバランスの優れた和食は、食に通じた者であれば一言物申さずに箸は進まない。

そう絶賛していた士郎は目の前で広がる殺伐とした空気から視線を逸らし、頼みの虎に合図を送る。

 

「……(ササッ)」

 

新聞紙で防御する大河に行儀の悪さを注意したくとも、気軽に声を発せられない重苦しさが歯がゆい。

珍しく静かに登場したから腹でも下したかと思っていた士郎は、席に着いてようやくその理由に気づいた。

 

「……」

 

発信源は、綺麗な正座をして箸を使う少女と世界中の呪詛を背負っているのではないかと疑うくらいに薄幸な男。

一見、顔には柔和に緩んだ微笑みだが、それがかえって湿っぽい演出を利かせている。

まるで最後の晩餐だ。士郎はやや濃いめに仕上げたはずの味付けを全く感じなかった。

 

『いやだからね、人間は記憶を都合のいいように書き換えてしまう生き物なんですよ』

 

殺伐とした雰囲気の中に唯一の人の声が聞こえ、張り詰めていた士郎の心が体温を取り戻す。

今ほど文明の利器の存在がありがたく感じたことはない。

 

『ですが、ここ最近は市内で不審な目撃証言も多く寄せられています。そのことはどうお考えですか?』

『高層ビルを飛び回る男なんて大方ビルの影でも見間違えたんじゃないの?都市伝説も人が作為的につくった眉唾ものだろう』

 

不謹慎に茶化すコメンテイターのしゃがれた声も、今は天使の美声に聞こえる士郎は末期であった。

 

『はは、手厳しいですね。――では次のニュースです。冬木市都市部でガス漏れが――』

 

だが、現実逃避も束の間。油の乗った中年男性が並ぶスタジオから画面が住宅地の密集する地帯に切り替わる。

 

「…………」

 

再び、無言地獄に陥る。

しかし、確実に変化はあった。

幸薄い少年の虚ろな目がテレビを見つめ、異国の少女も震える箸先から視線は逸らさないものの耳から入る情報に意識を向けている。

そして――

 

「……物騒ね」

 

朝食開始以来、初めて口を割る落ち着いたソプラノ。

思いもよらぬ救世主(ニュース)に士郎も興味がひかれたが、再びスタジオで中年男性が下品な笑い声を上げていた。士郎は天使と一瞬でも思った己の失態からそっと目を逸らした。

 

「キャスターちゃんは難しい言葉を知ってるのねぇ……あ、新聞読む?」

 

いつの間にか紙の防壁が折りたたまれ、箸を置いたキャスターに手渡される。

危険は去ったと敏感に察知した途端に活動を開始する虎は流石と言わざるを得ない。

 

「出かけるときは気をつけるのよ、キャスターちゃんは美少女なんだし。あと夜のバイトしてる士郎は寄り道しないこと!これ、お姉ちゃん命令」

「わかったわかった。気をつけるさ」

「むむっ、気のない返事とみた。私がお爺ちゃんに呼ばれて来られないからって破目を外す気だな?」

「なんでさ。バイトも休みだし、せいぜい買い出しぐらいだって」

 

今まで話ができなかった分、勢いの乗った大河を苦笑してやり過ごし、士郎は食器を回収して台所に退散する。

次に虎の毒牙はマンドラゴラの根から土筆へとようやく戻りつつある草食系に向けられた。

 

「それはそうと神城くん。教材の用意はできた?昨日みたいな授業態度は先生、認めませんからね」

「ノートと筆記用具は一応揃えました。教科書は別クラスの衛宮や一成に貸りるつもりです」

 

制服も零観のお古を調達したため、クラスメイトの笑いものにされた二の舞はない。

どのみち、あと二ヶ月で進級である。大河もあまり煩くは注意するつもりもなく、

 

「それなら授業もきちんと受けられるわね。英語の科目では金輪際、居眠り禁止だからねっ!」

「あ、はい」

 

それって神城限定、だよな……?と、事情を知らぬ生徒にとってはとばっちりな口約束を交わす教師と生徒代表に、絶賛睡眠が不足している士郎の背中を嫌な予感が走った。

教科書を衝立しようとも肘をついて際どい俯きを保っていようとも、ご自慢の野生の勘の前では迷彩にならない。

また、堂々と突っ伏せているものなら、課題や小テストやら他クラスとの兼ね合いなどそっちのけの難易度を盛る虎である。どんなに寝不足で疲れていても英語の時間だけは寝まいと心している生徒は大勢いる。

 

「(今日、居眠りしたものなら血を見ることになるぞ……)」

 

虎の目尻にきらりと光るものがあったことは弟分として胸の内にしまいこみ、士郎は睡魔に抗うことを一層固く誓ったのであった。

 

 

 

 

「神城」

 

登校準備を整え、広い玄関でこれまた掘り出してきた革靴に苦戦していた顕悟は首だけで振り返る。小さな金属が弧を描き、ワックスのついたタオルに落下した。

 

「これ……鍵?」

 

拾い上げた際に鼻をつく匂いはご愁傷様である。

 

「複製したから噛み合わせは悪いが、開錠は確認したぞ。キャスターは神城と一緒だと思って用意してないけど……」

「構わないよ、ありがと」

 

店でコピーしたと思いきや、土蔵に篭っていたのはこれを作るためであったのは士郎の秘密だ。

ふと、変哲もない鉄製の鍵――衛宮邸のフリーパスをカバンにしまう顕悟の横で羨む視線が漏れていた。

 

「いいなー、いいなー。お姉ちゃんにはないのかなー?」

「何言ってんだ、藤ねぇにだって渡してあるだろ。すぐに失くすからって最後の一個は藤村の親父さんに預かってもらってるじゃないか」

 

累計5個が行方不明のおかげで、一人暮らしとなった初期は泥棒に入られる不安で士郎は眠れぬ夜を過ごしたものだ。

鍵を付け替えてからは、藤村組に置いてある一本と士郎の分と顕悟に渡したコピー、そして桜が持っている4本のみ。

 

「ふーんだ。お姉ちゃんを除け者にすると後が怖いんだから!――まぁ、考えてみれば士郎がいない家に用事はないから必要もないんだけどねー」

 

ごねていた弓道部顧問は一転して、朝練の様子を確認するため一足先に飛び出ていく。

続いて門口の外へ出ていた土筆ん坊はみるみる内に小さくなる大河の後ろ姿をほのぼのと眺めていると、士郎が戸締りを終えた。

 

「まったく、藤ねぇは相変わらずだ」

「でもそれが藤村先生でしょ。賑やかなところは周りを助ける明るさだと思うよ」

 

置いてきぼりをくらった弟分はまんざらでもなく、「……まぁな」と鼻先をかいていた。

 

「ところで、照れている衛宮に相談があるんだけど……長くなるからできれば今日の夜とか、時間ないかな?」

「生徒会の手伝いで少し遅くなると思うが、それでもいいか?」

「僕たちも買い物してくるから、その方が都合がいいよ」

 

強くなった下からの視線に顕悟は苦笑し、腰の辺りに位置する薄青の頭に手を乗せた。

途端に眉が跳ねたことは後方に位置する彼に言わぬが花というものだ。

 

「じゃ、僕はキャスターを預けてくるから、先に行ってて」

「そうか。じゃ、また後でな」

 

士郎が角を曲がった直後、抗議の声が上がる前に土筆ん坊は玄関を開錠させ、その腕を通り抜けるようにして少女だけが敷居を跨ぐ。

 

「それで、今夜でいいのね?」

「うん。桜後輩もいないし、藤村先生も用事があるみたいだから。キャスターもそのつもりでよろしく」

「……ええ。念のため、召喚儀式の準備でもしておくわ」

 

冬木に潜む魔力を感じる彼女であっても残っている札名までは範疇に届かない。だが、伏せられているだけで一枚は確実に手元にある。どのように扱うかはキャスターたる頭脳次第だ。

思案する小さな魔女の高さまで、腰をかがめた土筆ん坊は、

 

「でも午後は買い物が先だからね。学校が終わったら一旦戻ってくるから、街を案内するよ」

「…………呆れた。アレ、本気だったの」

「当然」

 

こともなげに魔術師の世界観を吹き飛ばす()()をぶつけられ、キャスターは降伏した。

 

「ってわけで、いってくるね。キャスター」

 

返事は期待していなかった。

ただ、顔を合わせて挨拶ができる喜びで満足するお手軽な土筆ん坊は少女のかすかに強張った姿など見向きもせず、その眼は一往復しただけの通学順路の確認に勤しむ。

 

「――――」

 

そして、マフラーに半分埋もれた耳だけが玄関戸が閉まるよりも速く聞き逃さなかった。

だが、土筆が空を見上げている間に施錠は完了し、気配は遠ざかってしまった。

ましてやわざわざ確認するなど野暮なこと。いくら唐変木とはいえ、手にしたばかりの鍵の使いどころくらい弁えている。

 

「……うん」

 

歩き出した顕悟は、眠そうに垂れた眼をより細くして――形を変えて流れゆく灰色がかった雲を眺める。

雪が降り出しそうな空模様も今の彼の心境をして見れば、なんのその。

 

「今日はいいことありそうだ」

 

 

 

 

 

などと、通常の二割増しの呑気さで校門を抜けた土筆ん坊は、ふと眉を寄せた。

生徒玄関にも近いお馴染みの花壇の前に人だかりができている。

 

「(あれじゃ、お日様遮っちゃうじゃないか)」

 

つくづく植物中心だった。とはいえ時折、人の雑踏から漏れ聞こえてくる言い争う声には聞き覚えがある。

背伸びをして生徒の壁から頭一つ分飛出し、

 

「やっぱり。衛宮と間桐だ」

 

整髪用の香水を漂わせるウェーブがかった紺色と頑固な性格が如実な直毛の赤茶が見えた。

慎二が士郎に難癖をつけているいつもの風景に興味を失った生徒たちが少しずつ時間を気にし始め、人の層が薄くなったところでようやく慎二の後ろに控え、肩身を狭くさせた妹の姿が表れた。

それは彼だけではなく、彼女も同じく。

 

「神城先輩っ!」

 

片やお坊ちゃんで女子にも人気のなんちゃってセレブ、片や何を考えているかわからない無愛想な真面目男。注目を集める二大広告塔であると同時に男子限定で関わり合いたくない面子であるせいか、オロオロする桜を見て見ぬふりで未だ誰も傍に寄ろうとしない。

だが、そこは同じ穴の狢――

 

「話はわからないけど、病み上がりの桜後輩を困らせてまですること?」

 

土筆ん坊は乱入する。

校内でつるむことのない3人にそこかしこから囁きが飛び交うが、それを心地よく浴びる者は慎二しかない。そして彼は注目される度合いによって態度を変え、どこまでも着飾ることができる稀有な性格でもある。

 

「勘違いしてもらっちゃ困るね。桜が世話になってるから兄として挨拶していただけさ」

 

そうなの?と尋ねる視線に桜は頭を上げず、士郎は首肯した。

その様子から嘘は言ってないようだが、釈然としない話だ。

 

「でもまぁ、今日の僕は機嫌がいいから許してあげるよ、神城」

 

にこにこして立ち去る慎二の後を取り巻きの女子たちは団体移動していき、桜も一礼をして思うところがある兄を追いかけていった。

残された土筆ん坊とブラウニーは、お互い粘り気のない納豆を見たような目で見合う。

 

「どうしたの、あれ」

「いや、なんとも……わからん」

 

一方的に絡まれていた士郎にわからないことがわかるはずもない、と顕悟はさっさと考えることを放棄した。

紫の残り香には、まだ気づかない。

 

 

 

 

3

 

 

不気味な慎二以外、特別なこともなく土曜授業が終業した。

隣のクラスは――士郎の予想を察するべし。

ホームルームで葛木から速やかな下校を言い渡され、降って沸いた午後の自由時間に部活組の生徒たちがそこかしこで予定を話し合う声が溢れている。

陸上部トリオも例外でなく、顔を寄せ合って内緒話をしており、隣のクラスに教材を返却しに向かったときは机に弛れていた楓が真っ黒い豆のような頭を由紀香に押し付けていた。

 

「え、ちょ、由紀っち、マジか!」

「マキちゃん、声が大きいよぅ」

 

慌てて口を押さえる楓の失態は、遊び盛りのクラスメートにとって些細なことであったようだ。

顔を向けはするものの、すぐに話に戻っていく彼らは俯いてしまった由紀香の顔色が青ざめていることに気がつかない。――お隣さんを除いて。

 

「三枝、どうかしたの?」

「あ、神城くん……」

 

無駄にある背丈のせいで座高も高い土筆ん坊。

机に腕をついて前かがみ気味になることでようやく、小柄な由紀香と視線があう。

 

「由紀香の家の近くで、事件があったそうだ」

 

顕悟の向いから鐘がヒソヒソと囁いた。雰囲気づくりというよりは敏感になっている親友に配慮した行動である。

 

「……それって、例のガス漏れ?」

「うへぇっ!?土筆っちが旬の話題を知っているなんてついに来るか世紀末ーーっ!!」

 

驚愕された理由は楓自ら説明。

ちなみに、ガス漏れの件とは無関係だよと由紀香に申し訳なさそうに否定された。

 

「まったく。脱線させるな、薪の字」

「んあ?わりぃわりぃ。んでよぅ、由紀っちの家って、近いんだけどさ」

「うんうん」

 

修飾語をすっぱり省略して話す楓に、曖昧に返事をする土筆ん坊。これで『由紀香の家が郊外付近にある』と通じているのだから不思議である。

 

「ほら、あの辺、放置されている洋館があるじゃん?明治初期にイギリスから移設してきた1800年代の――」

「『TATARIタタリ』じぁああ!」

「うぎゃああああっ」

 

このまま歴史の知識豊富な楓の熱弁に突入かと思いきや。未然に食い止めてみせた鐘はホラー映画のレーベルが出してくる辺り、楽しんでいた。

土筆ん坊が草むしりのしがいのある土地を思い浮かべている間に、全身を震わせてうわ言を呟き出した楓に代わって彼女が「それでだな――」と引き継ぐ。

 

「その洋館なのだが、どうやら殺人事件があったらしい。詳しい話は――――由紀香?」

 

友人の肩に手を置き、そのままぐらりと倒れそうになった体を鐘が慌てて支え直した。

耳元で役者さながらの臨場感で叫ばれた楓はもちろん、至近距離から白目を剥いた鐘の顔を見てしまった由紀香は目を開けたまま気絶していた。

 

「こほん。――というわけで、質問は受け付けない」

 

正確には回答者がいない。

とはいえ、土筆の頭を巡るのはやはり斜め上の気がかりである。

 

「……洋館といえば遠坂だけど大丈夫かな」

 

生憎、一人暮らしの彼女は欠席していた。

珍しいことあるものだと中学から知る人間としては首を傾げるが、凛には凛の事情があるのだろう。魔術師の不自由さは士郎しかり桜しかり、近頃見る機会も増えて顕悟の判断基準は以前よりも寛大になった。

 

「土筆の言うガス漏れもあれば、10年前は大火災。……不穏なものだ」

「……そうだね」

 

滅多に見られない市長の娘の顔は憂いで曇っている。

顕悟は窓から空を見上げた。冬木の空はしばらく晴れそうになかった。




(ガマ)
従順、素直、慌て者、慈愛、無分別、救護
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