fate/stay night_Short long days   作:のんべんだらり

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遠坂凛の三日間。


□Insert□□□Paeonia suffruticosa 01

◆一月三十一日◆

 

 

それは、今から十年前の話。

 

背が高く、彫りの深い顔立ちで冗談なんて口にするものかと頑なに拒む仏頂面の紳士がいた。

洋館に住まうに相応しい気品と人格を兼ね揃えている振る舞いだが、子供の扱いは少々不慣れだった。

家宝から始まり大師父から伝えられる宝石のことまで、そして洋館地下の管理の仕方であるとか、おおよそ10歳の少女にする話とは思えない事務的な事を矢継ぎ早に説明した男は立ち上がる。

 

「――いずれ聖杯は現れる。アレを手に入れるのは遠坂の義務であり、魔術師であろうとするのなら避けては通れない道だ」

 

他に言うことをしらないとばかりに眼光鋭く、男は言った。

少女が行儀よく、はいと返事をする。

師の言いつけに逆うものなら、死の方がマシに感じるほどの苦痛さえ体験するのが魔術の世界だ。故に己の感情は不要。たとえ――そう教えた男がもう二度と帰って来ないと感じていようと、弟子は引きとめてはならない。

齢1ケタであろうと魔術師の家系に生まれた幼子は渡されたばかりの日誌を両腕に抱え、それっきり振り返らずに戦いに赴く魔術師の背中を見送る。

 

 

それが、遠坂時臣と遠坂凛の、師弟として親子としての最後の別れであった。

 

 

 

 

 

 

SchlieBung.(ロック)Verfahren,Drei(コード3)

 

言葉が紡がれ、カチリと小さな音が続く。

遠坂流による施錠は、泥棒はおろか野良猫さえ侵入する気配すらない厳重な警備を一瞬でつくりあげられる。冬木市の管理者である遠坂にとって、指を振るだけの初歩的な魔術など朝飯前である。

目覚ましが30分遅れるといった突発的な事情があるときなどは、鍵を出し入れする必要もなくお手軽で、幼き頃からものぐさのきらいがあった凛は重宝している。

 

「……これならちょっと遅いくらいの時間で間に合うか」

 

足運びの速度計算は無論、のんびり歩いて、である。

間違っても優等生の鑑が走るなどという愚行をおかすわけにもいくまい。

 

「それにしても静かだわ。風邪でも流行っているのかしら」

 

七時半であれば、建ち並ぶ住宅から朝の騒々しさが漏れ聞こえる時間帯だが、屋敷からさらに坂を上っていく道中に通勤するサラリーマンや通学生徒の姿はない。

ついには朝の冷え込みが人を寝坊させているのだと、どこかずれた赤い少女が校門に着くまで人っ子ひとりすれ違うことはなかった。

 

(さすがに何かあるわね)

 

不吉な予感が凛の胸を占めていた。

そう、まるで一族の呪いが発動したときのような焦燥に急かされるような。

 

「おや?今朝は一段と早いね、遠坂」

「……やっぱりそうきたか」

 

冬のインターハイを控えた運動部がもそもそと動き出したばかりの静かな校庭の前で突っ立ったままだった凛は声をかけてきた聞き覚えのある声に振り返った。

 

「――おはよう美綴さん。つかぬ事を聞くけど、今何時だかわかる?」

「六時半を過ぎたところだね。まったく一月も終わるってのに身の引き締まる寒さだわ」

 

髪色と同色のトレンチコートの袖から腕時計を覗き込んでいた美綴綾子は赤くなっている手をすり合わせる。武術で鍛えている身体でも、寒さは平等のようであった。

ともあれ、綾子のお蔭で正確な時間を把握した凛は白い息を吐き出した。

 

(……思い当たる原因なんてアレしかないし。地下室からペンダント持ち出したのがいけなかったのかな)

 

今朝から襟の中でぶらさがっている赤い宝石になにができるということなかれ。

百年単位の魔力が込められている魔力石があれば、ほぼ不可能はない。リビングの柱時計も自室の目覚まし・猫型、ベル型、アラーム型を含めた軒並みの時計が今日に限って早く時を刻んでいた理不尽など、簡単に実現させてしまう代物なのだ。

 

(いや、ただの魔力の塊はスイッチに過ぎないか。となると、持ち主であった人物――父さんね)

 

魔術を組み込んだ張本人は既に故人。心の内で恨み言を消化するしかない、と気持ちを切り替えた矢先に追撃が響く。

 

「それはそうと朝弱いアンタがなんでいるの?部活もないのに朝早く登校するのはてっきり草ボンボンくらいなもんだと思ったよ」

 

そうでしょうね、と本心を溜息に変える。

生徒玄関に視線を送る綾子の意図は簡単に察せる。霜が下りている土の状態を見て回っている物好きの姿が安易に浮かび、アレと同類扱いされているかと思う優等生の眉間に力が加えられた。

 

「……たまには気分を変えてみようと思っただけよ。誰もいない学校ってのも清々しいじゃない」

「遠坂にしてみれば滅多にない経験だろうね。アタシにとっちゃ慣れたもんだけど」

 

数少ない友人であり本気を出し合えるライバルに強がったところで、意味をなさないのだが気持ちの問題である。

 

「せっかくなら弓道場の見学をしていかない?今ならお茶もついてくるよ。教室に行ったって時間持て余すだけでしょ」

「それは有難いけど、部外者が立ち入っては練習の邪魔にならない?」

「こんな朝早くから準備するような生真面目は部を離れてるからね。もし部員がいたとしても遠坂ならいい活性剤になるし」

 

仮にも鍵を任されている主将としてどうなのかと凛としては思う。――が、時は金なり。目に見えない金ではあるが金目に五月蠅い彼女の答えは決まっている。

 

 

 

昔から武道に力を入れてきた地域性なのか、穂群原には道場が多い。

――その一つの弓道場は、見学に来た進学志望生徒が武術が本業なのかと誤解するほど広々とした平屋として敷地内に幅を利かせていた。

部活で使うには勿体ないほどの立派な設備は校舎や他の道場と少し離れた場所である以外、苦情が出ていないほど充実している。

とはいえ、それは部活以外に用途がないためであると呆れている生徒も多い。その筆頭が中学から引き継いでいる腐れ縁の片割れ、柳洞一成だ。

公共施設を弓道部が私物化しているとして運動部の優遇を問題視し、予算削減を打ち出した質素倹約の生徒会長と頭脳明晰で品行方正の校内一優等生が生徒会で論議する風景はなかなかの事件であった。

 

過ぎたる(いさか)いはさておき。

 

「どうぞ。上がって」

 

冬の弓道場にはまだ誰もいない。

かれこれ一件以来ぶりの射場に足を踏み入れ、暖房を入れたばかりの床に座布団を突き合わせる。

 

「はい、熱いから気を付けて」

 

綾子が淹れた日本茶に素直に礼を述べ、湯呑(ゆの)みを手に取ろうとして断念する。ティーカップと違って取っ手がない分、縁が熱くて持てずにいる凛は恨みがましく浮かんだ茶の茎を見下ろした。

 

「で、調子はどうなのよ。相棒は見つかった?」

「どうと言われても相変わらずよ」

 

綾子が単刀直入に話始めるのは今に始まったことではなく、慣れるほどには付き合いのある凛は友人兼ライバルの目当てを悟る。

 

「そっちはどうなの?尋ねるくらいだからそれなりに順調なのかしら」

「ノーコメント。それよりとぼけずに、学園一憧れの的の遠坂さんに進展があったって噂の真相を知りたいね」

「そんなの、貴女なら聞くまでもないでしょう」

 

それもそうか、と豪胆な少女はあっけらかんと納得した。

こうして朝のお茶会をする仲である綾子相手に隠し事しても見抜かれるだけだ。

下手をすれば凛以上に凛のことを熟知しているのではないだろうか。思わず、柳眉が困ったように下がる。

ちなみに噂の相手は、誰も気にも留めない花壇でしゃがみ込んだきり、弓道部に向かう凛と綾子に見向きもしなかった。

 

「でもまぁ、賭けを忘れたわけじゃないみたいで安心したよ」

「ええ、美綴さんがなんでも言うこと聞いてくれる日が楽しみだもの」

「聞き捨てならないね。遠坂を一日言いなりにできる権利なんて早々ないから本気でいくよ?」

「ふふ、望むところね」

 

三年になる前にどちらが先に恋人ができるか、なんて他愛ない言い合いから売り言葉に買い言葉で青春ならではの甘酸っぱさに発展した賭けではあるが、勝ち負けのある決め事である以上、お互いに負ける気は皆無。穂群原のいわくつき美少女たちは似た者同士なのである。

 

「――って女同士で火花散らしても埒があかないわ、やめよやめ。……あーあ、どっかにいい男が転がっていないかねぇ」

 

なにぶん相手の必要な勝負だ。

重苦しく溜息をつく綾子は男嫌いと言われているが、凛にしてみれば武術一筋で単に興味がなかっただけで実は恋愛初心者なだけではないかと思える。――無論、それは凛自身にも当てはまるが。

目的のために猫を何匹でも被ってもはや別人格な似非優等生と、その化けの皮を見事見破ってのけた武道万能の弓道部主将だが、恋愛については団栗(どんぐり)の背比べである。

 

「あなた好みの男性は卒業しない限り無理ね」

「違いない。この学園はどういうわけかブラウニーやら坊主やら草食系が多いからね」

 

慎二もあれで肉食系に見えたチャラ男で男気から一番遠いようなヤツだし、と綾子は笑い飛ばす。

部活でも慎二と付き合いのある彼女にとって、手のかかる弟に毛が生えた程度にしか見えないようだった。

 

「草っていえば、遠坂って神城と中学で同じクラスだって聞いたんだけど、あいつの誕生日いつ?」

「……好戦的な熱い男がタイプなんて言って、本命は彼なわけ?」

「あっはっは、そりゃないわ。……いやね、フラフラしてて草花まっしぐら男だけど、顔はそこそこいいし大らかな物腰だとかで一年の女子に人気なんだよ。あたしゃ、てっきり花壇にいつも突っ立っていて近寄りがたいからクラスメートのよしみでどうにかしてくれって頼みかと思ったんだけど、ところがどっこい手紙を渡されたわけ。もちろんラヴなやつね」

 

深く他人に立ち入らないスタンスの凛とは違い、綾子の人脈の広さが覗える相談内容だ。

 

「後輩には自分の気持ちは自分で伝えな、って返したのはいいものの……神城の誕生日の日に告白したいとかで誕生日を教えてもらえませんか、とこうきたわけよ」

「それはそれは。ご愁傷さま」

 

自分の恋もわかっちゃいないってのに愛のキューピット役なんて勘弁してほしいね……、と遠い目をして語る彼女の背中には影があった。

運動部の顔のような存在で面倒見の良い人物として慕われている彼女は断り切れなかったようだ。

綾子を根負けさせるなんて相当骨がある一年だこと、と高みの見物を決めた凛は感嘆する。

 

「で、いつなんだ?引き受けたからにはきちんと応援はしてやりたいからね」

 

綾子の恋愛経験値はさて置いて、後輩に頼られるサバサバとした姉御肌は凛が好ましく思う綾子の性格でもある。

学力テストから果ては体重まで。競い合う水と油のような仲だが、生徒会との一件のように協力できるところはがっちり手を組むのが2人の友情の形。凛も協力したいと思うが――

 

「あいにく、私も知らないわ。柳洞くんに聞いた方が早いわよ、きっと」

「生徒会長さまは答えてくれないんだよ。……あからさまな嘘をつく男じゃないからそれ以上は突っ込めなくてさ」

「それなら本人に聞くしかないんじゃないの?」

「あー……そうなんだけどね」

 

一成の頑なな態度に思うところがあったのか、歯切れの悪い綾子は機会があったら聞いてみると話題を締めくくった。

夕日を背後に屋上でひょろりとしたノッポが小柄な下級生の真摯な告白を受けてどう答えるのか見ものではある。

 

(……私には関係ないけど)

 

そうして、ほんの些細な興味は空になった湯呑みと一緒にお盆に置き去る。

タイミングよく向かってくる足音に腰をあげ、

 

「ごちそうさま。丁度、部員も来たみたいだから私は先に行っているわね」

「ああ。また後でね」

 

後片付けをする綾子を置いて出た凛は、ふと視線を外す。

既にその顔は綾子と談話していた自然さから完璧なものに変わっており、霜が溶けている土の一区画を通り過ぎていく。

 

――そう。

凛から彼に話しかけることなど、今までもなければこの先もない。

魔術師なるこの身は、一般人と交じることはないのだから。

 

 

 

 

 

 

そして――夕刻。

幼き頃からの魔術師の考えを肯定するように、自宅に兄弟子からの留守番電話がはいる。

 

『――席は残り二つだ。マスターの権利を放棄するというのなら今日中に連絡をしろ』

 

本題を簡潔に述べるだけの一分にも満たない再生記録。

 

「……ふん、言われなくても」

 

参戦か、リタイアか。引き伸ばしも最後通告された今、限界であるが戦う準備は整っている。

あとは殺し合いの切符を得るだけ。

 

「聖杯戦争……何百年も前から伝わってきた聖杯の儀式、か」

 

握り締めた受話器が大きな音を立てて収まった。

 

 

 

 

 

◆二月一日◆

 

 

聖杯戦争に参加する条件。

それは、サーヴァントと呼ばれる使い魔を召喚し契約すること。

 

まもなく午前二時となる。

長年待ち続け、自分の代では望みが薄いとさえ思った千載一遇のチャンスを前に凛は万全を期して地下室に降り立つ。

父からの遺言を受け、着々と準備してきた魔術師に余念はないとはいえ、魔術師のお祭りともいえる聖杯戦争は凛であっても緊張で手が汗ばむ。

 

「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。 祖には我が大師シュバインオーグ。降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

呪文も召還陣も完璧。それでこそ遠坂。

遠坂家に召喚用の触媒は残っていなかったがそこは才能でカバーする。それでこそ遠坂凛。

受け継がれてきた遺産が皮膚を透かして発光し、参加資格である令呪がくっきりと刻印された腕をかざす。

 

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

 

幾度となく残された()()を重ね、10年前――『遠坂』を継ぐと決めたときに覚えた。

解読したのは昨晩だが、兆しが見えてから二日で看破したのだから凛の才能は、彼女自身がもっとも認識している。

凛の中身がかちりと、音を立てて入れ替わる。

 

「―――――Anfang(セット)

 

望むは、クラス『セイバー』。

最高の魔術師に相応しきは最強のカード。

信じて疑わない瞳が、集中のため閉じられる。

 

「――――――告げる」

 

暗記された長い召喚呪文を(うた)いあげた途端、凛が全身で燻らせていた魔力が吹き荒れる。

そして、文句のない手応えを感じた凛の頭上で、嵐のごとく霧散し――怒号のような爆発音が遠坂家を揺るがせた。

 

「な、なんで!?」

 

もしや代々魔術刻印と一緒に受け継がれている”うっかり癖”が出たのか。様々な考えをぐるぐる巡らせ、発生源であるリビングまで駆け上がった凛は顔を覆った。

 

「……嫌な予感満載だわ、これ」

 

だが遠坂凛は失敗だろうと成功だろうと目をそむけない。そう、たとえ不恰好に変形した扉を蹴り飛ばす以外に開けられなくなるほど歪んだ我が家があったとしても。

兄弟子に習った中国拳法でもって突破してみせるのが彼女だ。

――そして。

 

「――ふむ、ようやくマスターのお出ましか」

 

豪快に蹴破った少女に興味なさげな胡乱(うろん)な視線が向けられる。

倒れた食器棚に腰掛け、白髪の赤い外鎧を纏った男がふんぞり返っていた。

部屋は瓦礫で埋まっているというのにえらく様になった光景のせいで、用意していた文句が尻つぼみになる。と同時に反骨精神のような腹立たしさが凛に沸き上がってきた。

 

「……アンタ、なに。いや待って、マスターって私のこと呼んだわよね?貴方、わたしのサーヴァント?」

「やれやれ。魔力のパスが繋がっていることくらい確認したらどうだね。こちらは乱暴な召還で状況が掴めていない上に馴染んでいない」

 

指摘されて初めて、身体の芯から契約による魔力の流れを感じ取り、意識を集中させていた凛は眉を寄せた。

確かに生意気な男はサーヴァントだということはわかった。わかったが、ここで舐められてはマスターとして権威もなにもない、と。

主従関係は初めが肝心であると、再び開けられた凛の瞳は挑戦的に吊り上げられていた。

 

そう、その関係をはっきりさせるためだけに令呪の一つを消化させ、結果的に優秀な魔術師だと認めさせたとしても――それでよかったと言い切って見せる。

 

「で、クラスは?セイバーかしら、セイバーよね、セイバーでしょ」

「落ち着きたまえ、マスター」

 

目に見えて強引に認めようとしない凛に一息つき、赤の騎兵は押しとどめる。

 

「――アーチャーだ。意にそぐわなくて悪かったな」

「なに拗ねてるのよ。そりゃセイバー以外考えてなかったけど、あんたは私が喚んだサーヴァントよ。最強に決まってるじゃない」

 

触媒もなくセイバーを呼び出そうとした己の甘さが招いた事態である。ただし、それを勝てない理由にせず寧ろ勝因にしてしまうのが凛の優秀さであり、強さだ。

 

「よろしくね、アーチャー」

「――ああ」

 

すったもんだの末――赤い魔術師と赤の弓兵の主従はここに結成された。

 

「それじゃ、早速だけど最初の仕事をお願いするわ」

「よかろう。何なりと言うといい」

 

好戦的な青の視線に応じるは不敵の英霊。

それじゃ遠慮なく、と赤い悪魔がほくそ笑む。

 

「――ここの片付けしておいて」

 

ピシリとニヒルな笑みに罅が入った。

 

「主従となったからには主のわがままを受け止めるのが従者の役目よね。()()()()の私の()()を、()()()()()()のあなたが」

 

令呪の縛りに反論を閉ざされた弓兵は悟る。――このマスターあってこそ、捻くれた我が身なり。

 

「じゃ、詳しい方針は明日にしましょ。私は部屋に戻るわ」

 

一矢報いて満悦な凛は寝室に向かいかけ、ふと、鈍い魔力に足を止める。

通常の彼女ならば迷うことすらない異変は、

 

「アーチャー……今――」

「なんだマスター」

 

手際のよく働いていたアーチャーが振り返ったことで飲み込まれた。

いつの間に着替えたのか三角巾にエプロンをした掃除夫は、弓矢に代わって箒と塵取りを装備していた。

むしろお前がバーテンダー(ますたー)だと突っ込み根性を凛は堪えに堪えた。

 

「――その格好お似合いよ。掃除は朝までに終わらせてね」

「……地獄に堕ちろ、マスター」

 

否、耐え切れずに皮肉が零れた。

従者の呪い言を欠伸の片手間に聞き流し、召喚でごっそり奪われた魔力と体力の回復を優先するべく、凛は今度こそリビングを後にした。

 

 

 

× × ×

 

 

 

その六時間後。

 

未だに疲労が残る気だるい身体を引きずり、凛は学校にいた。

身体は休みを訴えていたが、目が覚めてしまったものは仕方がない。

かけられるクラスメートの挨拶に優雅に微笑みを返し、授業の準備を行う動作が気持ち緩慢であるなどと気づく者は綾子や楓といったくらいだろう。

 

「では、以上で朝の連絡を終わる」

 

そして定刻通りに退室する担任、雑談をする生徒。

 

(平和なものね。アーチャーが随分しつこく、学校にマスターがいるなんて突っ込むから構えちゃったけど)

 

聖杯戦争が開戦され、冬木が戦場になるなど露知らぬ一般世界はなんら変わらない。

強いて変化があったと言うならば、無機質な担任の連絡事項に「神城」が加わっていたぐらいだった。

 

「草ボンボンのことだ、また草いじりでもしてるんだろうね」

 

綾子の見立てはクラス共通であり、土筆ん坊が遅刻していようと誰も気にした素振りはなかった。中学から続く悪癖だと割り切っている凛でなくとも、机を半年並べていればそうなる。

とはいえ担任の葛木はともかく、被害が個人に留まらない英語の遅刻は止めていただきたいものだと虎の天敵とされている綾子のぼやきには凛も同感だ。

綾子の愚痴が届いたのか開始ギリギリでやってきたその気配に、しかし、遺産を刻んだ左腕が粟立った。

 

「あらら。重役出勤の割にはずいぶんやつれてるね、あれ」

 

観察する友人の言葉が右から左に抜けていく。

 

「――――」

 

(はや)る心臓の鼓動を押し殺し、凛は腕を抑える。

――魔術刻印が反応した。知らないふりはできない。

 

 

 

 

下校時刻。

昼休みに生徒会室へ張り付かせていたアーチャーから聞いた内容を整理した凛が出した結論は、

 

「……限りなく灰色に近い白ってとこかしら」

 

つまるところ現状維持であった。

魔術関係者の疑いがかけられていた男は丸一日呑気に居眠りをしており、休み時間の度に前席の陸上部三人娘にイタズラされていた。気を揉む凛など知らずにいい気なものだった。

そんなマスターの憤慨を感じ取ったのか、姿なき弓兵は注意を呼びかける。

 

「実際に現場を見ないで判断するとは怠慢ではないかね、マスター」

「もちろん今夜街の案内も兼ねて調べに行くわよ。家が飛び立つなんて機械仕掛け、真っ先に聖杯戦争関係だと疑沸ない方がおかしいもの」

「……まともな思考を持つマスターで何よりだ」

 

鼻を逸らすアーチャーの顔が思い浮かび、凛は感情を殺す。

 

「本当は魔力が回復するまでは様子見するつもりだったけど、仕方ないわね。関係者に会うかもしれないから準備だけはしておいて。バッサリと斬られたら捨て置くわよ」

「心得ておこう」

 

アーチャーと相談しながら階段を降りたところで、件の男が生徒会室から出て来た。

 

「……遠坂?」

 

凛が名前を呟くと、きょとんとしていた土筆ん坊は途端にふんわりとした笑みを浮かべる。

 

「ああ……体調は、平気みたいだね」

「……なんですか、それ。授業を全て居眠りする自分の心配をした方がいいですよ」

「そうかも」

 

三年経っても変わらない天然に調子を崩されまいと凛は仮面を深くする。

どうも由紀香と言い、こういった偽りのない人畜無害は自分を剥がされるようで凛の苦手の部類だ。癒し系統の男女が揃って同じクラスとは、そろそろ苦手を克服せよと言われているように思えてならない。

 

「それはそうと、大変だったみたいですね」

「うん?……ああ、もしかしてまだ残ってる?薪は一応水性ペンで描いたって言うんだけど、なかなか消えなくて」

 

毛先の濡れた前髪をあげ、額をぐるぐるとなでつける土筆。いたずら書きされた文字の代わりに、力を込めて擦りすぎて赤くなっていた。

 

「……急いでいたようですけど、いいんですか?」

「そうだった、これから柳洞寺に行くんだった。急げば三芳にも寄れるかなぁ」

「お忙しいところ、時間を取らせてしまったようですみません。それでは」

 

手ぶらの土筆ん坊はそのまま玄関に、凛は鞄の置いてある教室に颯爽と足を進める。

遠坂、と立ち止まったままだった顕悟は思い出したように。

 

「キミが元気そうでよかったよ」

 

余計なひと言だった。

負けじとすれ違いさまに凛も忠告を手向けたが、彼が気づこうが気づくまいが凛にとってはどちらでもよい。発言自体が無駄なものなのだから。

 

「マスター、キミはもしや――いやよそう」

「何よ、言いたいことがあるなら言いなさい」

「……凛、キミは優秀な魔術師だ。だが、その甘さを捨てなければ足元を掬われるぞ」

 

言われなくてもわかっている、と無言で語る己がマスターの背に従う弓兵。

霊体化したアーチャーにちらりと向けられた土筆ん坊の視線に気づかないほど頭を余計なもので埋めている凛に、赤い男はやれやれと肩を落とした。

 

 

 

 

 

◆二月二日◆

 

遠坂凛にとって神城顕悟という男は、平穏の象徴だった。

親どころか拾われた子供として中学のとき、噂が広がったときでも奇異の視線を意に介さず、どこ吹く風でほにゃりとした笑みで手を土で汚していた。

敵意の一切ない自然体を地で行く顕悟は、わかりやすく毛嫌いしてくる一成とはまた異なった微妙な距離感だった。

 

だがそれは、あくまで魔術とは無縁の遠坂凛が送るはずだった日常生活での話だ。

魔術師の時間になれば、それまでの現実は夢へと変わる――。

 

 

 

「ん……もう、朝……?――――げ」

 

ヘッドサイドにある目覚ましに手を伸ばしたまま、凛の口から乙女らしからぬ声が飛び出した。

連日の疲れが目覚ましの音を無視させたようだ。時計の針はすでに九時を回っている。

成績優秀な凛にとって単位の心配など無縁であるが、それとは別の問題が明晰な頭脳を悩ませていた。

 

「……どうせなら昨日寝過ごした方がマシだったわ。……あー、頭痛い……」

 

なまじ魔力も回復しつつあるため、体調不良はいい訳にはできない寝坊だった。

それもこれも三芳邸が空振りであったせいである。

 

「散々歩いて収穫もないし、新都の焼野原公園の方に行けばよかった」

 

眺めのいい庭園と由緒ある屋敷風情というよりただの空き地のような跡地には、争ったような残骸はあるものの大きな魔力は感じられなかった。

結局、聖杯戦争が関係するような事件とは判断しがたく、赤い皮肉屋に散々グチグチ責められた凛の胸中は灰色のどんより模様で曇り、雷雲へと発達する勢いだ。

 

「ああもう、今日は休む!そうと決めたらたっぷり休んでやるんだから!」

 

そうして被りなおした布団の中で逆に冴えてしまった意識をもてあまし、階下に降りた凛の矛先は茶坊主に向かうことになる。

 

 

 

――このときの少女は知らない。それが戦いの前のほんの休息だと。

 

 

 

胸から下げる赤いペンダントトップも定位置に。

日が暮れてから街の散策に繰り出した赤の主従は、後をつけていた気配と学園の校庭にて刃を交えることとなる。

 

 

 

深夜の校庭で想像でしかなかった聖杯戦争が現実となって繰り広げる赤と青の(せめ)ぎあいに凛の心が穿(うが)たれ――

 

暗い学び()で始末された目撃者の顔を刻むために近づく冬木のセカンドオーナーが、暗闇の中に横たわる男を助け――

 

――満身創痍(まんしんそうい)で散財したショックに(もだ)える凛がサーヴァントに己の失念に気付き、衛宮家に駆けつけるまで。

 

 

最も長い夜の始まりを、彼女もまだ知らずにいた。

 




牡丹(ぼたん)
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