8話と9話の間くらいで別府さんの誕生日会をする話
「別府君さあ、今日誕生日なんだね」
家森さんが特に表情も変えず僕に言った。
「何で分かったんですか」
「お知らせが来てたから」
スマホの通知にケーキマークと僕の名前が表示されている。
「ゴミ出し担当も冬ですけど本当に冬生まれだったんですね、別府さんの誕生日会やりましょうよ」
「私ケーキ買ってきます、何が良いですか?」
すずめちゃんと真紀さんも加わって演奏会が始まったみたいに賑やかになる。
「じゃあ、ショートケーキでお願いします」
一番最後に帰ってくるとおかえりなさいの声より先にクラッカーの破裂音と煙の匂いに包まれ、眼鏡越しには3人の笑顔があった。
「お誕生日おめでとうございます」
「ありがとうございます、でもクラッカーは人に向ける物じゃありませんよね」
「離れてるから大丈夫かなって」
絡まったテープと紙吹雪を払いながら呆れてもこの人達には暖簾に腕押しだと諦めてテーブルに着く。
「別府君甘いの飲める?」
家森さんは安物だけどね。なんて言うけれど今まで飲んだどのワインよりも美味しく感じた。
「大事な日だから奮発しちゃいました」
大粒の苺が乗ったショートケーキを切り分ける真紀さんの声は控えめながらも弾んでいる。
100均で買ったんだろう「本日の主役」の襷とカラフルな三角帽子を被って祝われる年齢ではないけれど、この3人と迎えた誕生日は幸せ以外の何物でもない。
「あ、別府さん」
「起きてたんですか」
お風呂から上がったらリビングにすずめちゃんがいた。質問に答えず冷蔵庫の奥に手を突っ込んで取り出したのはラブラブストロベリーのアイスクリーム。
「誕生日プレゼントなんですけど、食べ物ばっかりになっちゃいましたね。アイスクリームも苺だし」
お団子髪を下ろしているすずめちゃんは普段の幼げな雰囲気を隠してしまう。
「味も思い出の1つとして残るし、僕はこのアイスクリーム好きですよ」
「別府さん」
間髪入れずにすずめちゃんの声が飛んできて振り向くと、底の見えない真っ直ぐな瞳が僕を離そうとしない。
「好きです、私が好きなのは別府さんです」
「どうして僕なんですか、好きなのは家森さんでしょう?」
「まだ真紀さんの事好きなんですか?振られてたじゃないですか、捨てられた女なめんなって」
突っかかる様に喋るすずめちゃんを見てカルテットを組んで間もない頃のやり取りを思い出した。
「……あの時起きてたんですか」
「別府さんが真紀さんの事で悩んでいると寂しくなるんです、皆の笑った顔が好きだから」
本当に人生はまさかの連続だ。すずめちゃんが恋愛感情を持っていたのは家森さんじゃなくて僕。すずめちゃんからキスもされたけど、あの時はそんな気は全く無かった。
実は夫さんの一件が落ち着いてからもう1度想いを伝えている。ありがとうございます、ただそれだけだった。
今日死んでもいいくらいに幸せなんです。物騒な言葉を口にしながらも穏やかな表情に息を呑む。僕がやるべきなのは真紀さんの幸せを皆で共有して、守っていく事なのかもしれない。誰もいないノクターンのステージで彼女が弾くメヌエットを聴きながらそう心に決めた。
「僕もすずめちゃんには笑っていて欲しいです、それと僕の片思いはもう終わりました」
「そうですか、おめでとうございます」
感情が読み取れない目で笑いながらすずめちゃんは立ち上がる。
「もう真紀さんの音を楽譜通りに辿るのは止めたんです」
咄嗟に出てきた言葉にあれ?と思ってしまった。普通なら順序は逆なんだろうけどすずめちゃんには伝わったみたいだ。
「私にもまだ別府さんとワイファイ繋ぐチャンスがあるって事ですか」
「まあ、そんなところです。すずめちゃんも食べますか?」
ぎこちなくスプーンを受け取ってアイスを掬うと小さな一口でどんどん食べ進めていく。
「このスプーン別府さんのでしたね」
「ワイファイ繋がりましたね」
初めてのキスはレモン味ではないけれど不完全な僕達にはこれがちょうどいいのかもしれない。