今日はいくらか涼しい。最初に俺が感じた事である。下駄箱で外履きの靴に履き替え、校舎を出た。
もう5月の第4週。夏がじわりじわりと近づいて来ており、放課後の時間だと言うのに気温が25度を越える事もざらである。そんな中、久しぶりに20度を下回っている様に俺は感じた。
もちろん、テレビで確認しなかったため、本当に20度より下なのかは解らないが、普段より優しく感じる日差しに、暑さに辟易していた人なら気分は幾分か上がることだろう。
だが、俺にとってはそうではない……原因は右手に持っている手紙の内容だった。
〔今日の放課後、話したい事があります。校舎裏で待っています〕
などと書いてある手紙を机の中から発見したのが問題だった。最初、行く気はなかったが友人の2人の説得により、しぶしぶであるが向かう事にしたのだ。
非常に面倒な事が待っているのを感じながら俺は目的地に着く。そこには手紙の差出人であろう少女が立っていた。
「この手紙の差出人は君であっているのかな?」
「はい、その通りです。五十嵐樹(いがらしいつき)先輩、来て下さってありがとうございます」
後輩と思われる少女は緊張した顔付きをし、これから話す事を思ってか若干頬が赤い。
俺は内心でため息をついたが、流石にそれを表情に出さずに、何を言うか判りきった言葉を待つ。
「単刀直入に言います――五十嵐先輩の事が好きです。付き合って下さい」
誰がどう見ても紛れもない告白であった。
もちろん、俺も用意してきた言葉を使う。
「断る。俺は今の所、誰とも付き合う気はない」
そう言って俺は反転し、校門の方へと向かって歩き出した。後ろで告白してきた後輩と思われる女の子が呼びかけてきているが、無視を決め込んだ。
「おいおい、あれで良かったのか樹?」
校門の所まで進むと、温厚そうな眼差しに眼鏡をかけた黒髪の友人、藤堂椎名(とうどうしいな)が声をかけてきた。先に行っていろと言っておいたのだが、どうやら待っていたようだ。
「ああ、あれで問題ないだろ」
「いやいや、まったく良くないぞ! あんな言い方じゃ、あの子がかわいそうだろ」
そこで声を上げて俺を非難したのが、眼光鋭く180超えの高身長に茶色に染めた髪、もう1人の友人、小池渚(こいけなぎさ)だ。どうやら話し振りから、渚も椎名もあそこでの会話を何処からか聞いていたらしい。
「俺を好きになる方が悪い」
俺はそう言って2人の言葉を切って捨てた。
正直、向こうは知っていたようだが、俺は知らない人間であった。学年を判断するバッチと先輩と呼ぶ言い方で、何とか1年の後輩だというのが解る位なのだ。そんな知りもしない女性と付き合う気など俺には全くないのだ。
「樹らしいが、何と言う言葉。全くもってもったいない」
「まあまあ、そう落ち込むなよ渚、今に始まった事じゃないだろ?」
「だけどよぉ……」
渚の不満に苦笑しながらも椎名が落ち着かせるように肩に手を置いて宥めている。まあ、椎名からしてみれば言葉遣いはともかくとして、俺の振った結果に満足しているのだろう。渚よりも余裕があるのを見れば解る。
「まあ、とにかく道場に行こうぜ。此処で止まっていたら迷惑だしな」
そう言う俺の言葉で、俺たちは校門を後にして移動を開始する。
目的地は椎名の親戚が開いている道場で、中学の時に椎名と知り合ったきっかけで道場に入門したのである。その道場の師範は、色々と鍛えてもらった俺にとっても大切な恩師である。
俺は2人と雑談を交わしながら道場を目指した。
「今日はここまで」
「ありがとうございました!」
道場で稽古を始めてから約3時間後……師範の威厳ある落ち着いた声に門下生である俺たちが元気よく声を上げる。今日の稽古はこれで終了である。
「お疲れ――やっと終わったな! まったく暑くてかなわないぜ」
「まったくだな。稽古も終わったし、いつも通りなんか食いに行くか?」
渚と椎名がタオルで汗を拭いながら俺に近づいてきた。俺はいつもの事だし、特に用事もないので問題ないと告げて帰りの準備をしようとした時だった。
「樹、渚、椎名」
珍しく師範が俺たち3人を同時に呼んだ。
「何ですか師範?」
「お前たちに話がある。着替えてからでよいからここに残ってくれ」
「はい、解りました」
俺の返事を聞いて頷きながら師範は稽古場から出て行く。
――しかし話とは何だろうか? そう思って2人の方に視線を向けたが、俺と同じように不思議そうにしている辺り、2人も知らない話らしい――それなら後は待つしかない、さっさと着替えて待つ事にしよう。
10分後、着替え終わって先に稽古場で待っていると、師範が入ってきた。正座して姿勢を正し上座に座った師範を見る。そこで気がついたのだが、師範は何故か刀を3本持って来ていた。そして何やら戸惑っていたようであったが、一度大きく息を吐いた後、口を開いた。
「昨日、夢を見た」
師範のその言葉を聞いた時、俺は嫌な予感を感じた。
「あの、また夢の話ですか?」
渚も同じ事を感じたようで、顔を曇らせながら師範に聞く。
「いきなり話の腰を折るんじゃない渚。まあ、最後まで聞いてくれ」
そう言いながら、目を閉じて夢の事を語り始めた。
「夢の中で気が付くと、今までに見た事もない草原が私の目の前に広がっていてな、そこから少しばかり離れた所で、西洋風の鎧を着た者や不思議な格好のした者が戦っているのだが……不思議な事にお前たちもその中に混じって戦っているのだ」
「それで?」
「まあ、戦っている最中に夢から覚めてしまうからどうなったかまでは分からぬ……そして、昨日見た夢と同じ内容の夢を、すでに一週間見ているのだ」
「つまり、いつもの"正夢"だと?」
椎名が恐る恐る聞くと、師範は無言で頷いた。
何も知らない人が聞くと何を馬鹿げた話だと思うだろうが、師範が一週間同じ夢を見るとその夢は現実に――つまり正夢になるのだ。
これまでにも、渚の頭に小学生が蹴ったサッカーボールが飛んでくる、渚の頭にカラスの糞が……みたいに本人以外にどうでもいい事から、椎名の親戚が交通事故に巻き込まれ重傷を負った、家の近くで火事が起きるといった大きな事件など、例を挙げればきりがないが、確かに本当に起こるのだ。どういう訳なのか、師範は予知能力を持っているのだろう……が、しかし。
「今度ばかりは、流石にただの夢では?」
俺たちが西洋の鎧を着るような連中と戦うなど想像出来ないし、そもそも草原だって日本ではほとんど見られないものではないだろうか。普通に考えればおかしい話だ。
「私も最初はそう思ったのだが、嫌な胸騒ぎがする。だから、せめてこれだけでも渡しておきたいと思ったのだ」
そう言って、俺たちは師範から一本ずつ日本刀が手渡された。
「こっ、これは」
「もしもの保険にそれを持っていて欲しい。今回は……本当に今回ばかりは、私の杞憂で終わればよいが」
「しかし叔父さ――いえ、師範。この刀は確か、先祖代々から伝わる家宝の刀ではありませんでしたか?」
「使われないのであれば宝の持ち腐れ、それなら使う可能性のあるお前たちに渡しておく方がいいであろう。手入れはちゃんとしてあるから気にせずともよい」
「ですが」
「もし一週間、何も起きなかったら返してくれればいい。その間だけでも持っていてはくれないか?」
そうまで言われたら、俺たちには特に断る理由はない。
「師範がそこまで言うのであれば、ありがたくお借りします」
結局、俺たちが一本ずつ持つ事で話はまとまった。
「しかし、ありえない夢を見たもんだ叔父さんも」
道場を出てから飯を食べ、帰り道を歩いている道中で椎名が刀を見ながらぽつりと呟いた。
「まったくだ、師範もどうかしてるぜ……まあ、でもさ。前向きに考えれば、これさえあれば帰り道に暴漢に襲われても、返り討ちに出来るから便利なんじゃねえのこれ? 悪は成敗でござる~ニンニン! 見たいな!」
何とも楽観的な物言いの渚。その姿は新しいおもちゃを手に入れてはしゃいでいる子供その者である。
「渚の事だから、その前に、銃刀法違反で警察に捕まりそうだな」
「ぶっ!? い、嫌なこと言うなよ樹!」
一瞬想像したのか、少し青い顔をしている渚を見て椎名も笑う。
「でも、確かにその通りになりそうだ」
「おいおい、椎名まで。そんな事言ったら、普段からこれ持てないじゃん!」
「本物だから仕方がないだろ。と言うか、こんな刀を使う時がくるなんてありえないって」
その椎名の言葉を聞きながら、普通の生活を送っていればな……などと思った時、それは突然やってきた。
《選ばれし者よ》
「!?」
突然、脳の中に誰かが直接語りかけてくる不思議な感覚を覚え、俺は立ち止まった。左右に視線を向けても渚と椎名しかいない――今のは一体何処から?
「ん? 樹、どうしたん?」
俺が急に立ち止まった事に、2人は首を傾げている。
「今さ……何か声が聞こえなかったか?」
「え? いや、俺は別に。椎名は?」
「俺も聞こえなかったが」
2人の態度を見るに本当に聞こえなかったらしい、空耳かとも思ったが、あんなはっきりと知らない声が聞こえるものだろうか? と考えた所で。
《選ばれし者よ、行く時が来た》
また頭に直接声が響いてきた。これは、俺が経験してきたものとはまるで違う――何なんだこれは!?
「お前は誰だ! 行くって何処へだ!?」
「おっ、おい樹。大丈夫か?」
渚が心配そうにこっちを見ているが、今はそれ所ではない。
《リィンバウムに危機が迫っている。これを救えるのは貴方しかいない……どうかリンカーやクレスメント・ライルの一族と協力して世界を守って欲しい……》
「リィンバウム?」
何処だよそれは、と続けようとした時――俺は驚く光景を見た。
「渚! 椎名! か、体が光ってるぞ!?」
何故か二人の体が輝きだすなどという、ありえない光景に一瞬思考が停止したが。
「な、何だよこれ!? た、助けていつ――いっ、樹! お前も光っている!?」
渚に言われて、自分の体を見る。そこで初めて自分の体が光っている事に気が付いた。そしてそれと同時に、何かに強烈に引っ張られている感覚に陥る。
《ごめんなさい。でも、もはやあなたに頼るしか……きっと貴方ならそこで答えを見つけられる筈だから》
俺の頭に響く音が、どこかで聞いた事のある声に変わったように聞こえたが、引っ張られる違和感と痛みでそれ所じゃなかった。
「ぐっ、いったい、何だって言うんだ…………」
この言葉を最後に俺の意識は闇に落ち、そして地球上から俺たち3人の姿は消えた。
同時刻……リィンバウムの旧王国デグレアの雪が降る城下町を、屋根から屋根へとランスローは飛び移っていた。
体中に傷を負った、左腕さえ失っている。止血をしても時間の問題だとランスローは分かってしまった。だからこそ、仲間のいる所まで戻って伝えなければならない。
(我等が利用するはずであったデグレアが……悪魔に乗っ取られている事を、伝えねば……!?)
そう心の中で呟いたランスローは足を止めた。本来なら走り続けなければならないのだが、進行方向に1つの影を見ては止まるより他になかった。
「おや? もう逃げるのはお止めになるのですか?」
その影の正体は、銀色の髪をなびかせる20代位の青年だった。左手に持った竪琴を優雅に奏でる姿から、吟遊詩人か何かに見える。
青年はどう見ても体の細い優男である。話しかける声も優しさが感じ取れる柔らかい声であるのだが――ランスローはその声に全身が総毛立った。
「先回りとは、いつの間に……」
「フフフ、逃げられると思っていたのですか?」
青年に恐れた事を隠すように殺気を放つランスローを尻目に、竪琴を奏でていた青年は演奏を止め指を鳴らすと、男を取り囲むように新たに3人の男女が現れた。
「ククク。我々相手に、逃げ切れる訳などありえません」
「キャハハハ! まったく馬鹿なヤツだよね!」
「カーカッカッカ! 我々の秘密を知ったヤツを生かしておくわけがない」
新たに出てきた3人が思い思いに口を開く。その3人も常人にはない気配と殺気を放っている――いや、彼らの正体を知ってしまったばかりに、ランスローは今の状況が絶望でしかない事を悟ってしまい、体から流れる汗が止まらない。
「くっ……おのれぇ!」
気合を入れながら、ランスローは残った右手で剣を抜いた。
「愚かな、ここまでされてまだ抵抗しますか」
「まだ死んでいないからな。最後まで諦めるわけには行かない!」
そうは口にしたものの、ランスローは死を覚悟した――しかし、それでも最後まで抵抗する。それがランスローの最後の意地だ。
「そうですか、では殺す前に2、3聞かせてください。あなたは何者ですか? そしてあなた誰の命令で我々を調べていたんです?」
「答える義理はない」
「そうですか……ならば」
そう言った銀髪の青年の姿がぶれたかと思うと――ランスローの懐に、いつの間にか右手にナイフを持った青年が一瞬で入ってきた。
「死になさい」
ナイフの軌道が自分の心臓を狙っている事は分かったが、身体が万全でも避けられそうにないスピードなのに、右手一本の今の状態では回避が間に合わない。ランスローは自分の体にナイフが突き立つ衝撃を感じた。
「グ……ガハッ!」
ナイフを引き抜かれたランスローは、余りの痛みに立っていられず、口から吐き出された血と共に屋根の上に沈んだ。だが地面に激突する痛みは感じない。
雪。ただ白いだけの雪が守ってくれたのだ。赤く染まっていく光景を目にしながらそんな事をランスローは考えていた。
命を懸けて戦ってきた、仲間と夢を求めて生きてきた。きっと幸福な人生であったはずだ。それでも、残された仲間の事を考えると後悔もある。
「リーダー……申……し訳……ケニー……すまな……い」
意識が薄れていった。
ランスローが何かを呟き、しばらく痙攣した後、動かなくなったのを確認してから銀髪の青年――レイムはナイフに付着した血を舐めながら呟いた。
「死んだようですね」
「結局こやつは何者だったのでしょうか?」
レイムの部下で顔色の悪い――と言っても、レイムから見れば3人とも顔色は悪いが――長身の男、キュラーがレイムに語りかけてきた。
「最近、このデグレアを調べていた不届き者たちの仲間でしょう。正体までは私に解りませんが、時間をかければ理解できるでしょう……けれど、私にはこれから色々動かなければ参りませんからね。ガレアノ、死人に変えてしまいなさい」
「分かりました、レイム様」
そう言って、ガレアノと呼ばれたもう1人の男が恭しく頭を下げる。
「それじゃあレイム様、遂に始めちゃうんですネ!」
子供ほどの背丈の少女――ビーニャがその年には似合わない残虐な笑みを浮かべるのを見て、レイムも口に笑みを浮かべながら答える。
「ええ……さあ皆さん! この世界をどん底に落としてやりましょう。この私の復讐の調べと共に! フフフ……アハハハハハハ!」
「お心のままに!」
部下の3人の心地よい声を聞きながら、レイムは来るべき時の光景を夢に描き、デグレアの城下町に自分の笑い声を響かせ続けた。
同時刻、とある屋敷にて。
暗い部屋に溢れていた光は収まったが、何も変化のない部屋の光景にカーツは予想をしていたとはいえ、内心でため息を吐いた。
「なあ、軍師殿。何も起きなかったようだが、失敗だったのか?」
同じ部屋にいた男がカーツに視線を向けて問いかけてきた。
「いえ、サモナイト石を見れば誓約は完了しています。召喚自体は成功したようですが、どうやら此処ではない場所に召喚されたみたいですね」
「みたいですねって……おいおい! それじゃあ結局の所、駄目な事に変わり無いじゃねえか。やっぱ3人同時ってのがいけなかったんじゃねえの?」
その男の言う通り、確かに召喚の儀式に使った[無属性]のサモナイト石が3個置いてある。1回の召喚に1個が常識のこの世界では、3個同時など何が起きるか分からない危険があるのは事実だ。しかし、暴発が起きるような事は無いとカーツは自負している。それだけの力があるからだ。
「貴方の言葉はご尤もなのですが、そもそも成功する確立自体が難しいんですよ? [名も無き世界]はリィンバウムにとって未知の世界なんですから――まあ、私の力があれば召喚くらい訳が無いのですが」
右手に持った扇子を手で握りながらカーツは答えるも、男の表情は不満なままである。
「貴方たちが、彼の周りに2人がよくいるから、召喚するのは気を付けろと言ったんじゃないですか。それに、貴方の血を何度も貰う訳にはいかないでしょう?」
「まあ、それはそうだけどよ……」
「まあ、安心して下さい。名前と顔は判っているんです。シノビの者たちの力も使って、焦らず探させて貰いますよ。まだ、我々の計画を始めるには時間も必要ですし」
カーツはそう言いながら扇子を広げて思案する。
(まあ、寄り道させて、色々経験させるのもいいでしょう……将来我々の大事な"鍵"になればいいのですから)
「何か言ったか、軍師殿?」
「いいえ何も――さあ、別の仕事を再開するとしましょうか。我々の未来に為に」
「はいはい、それじゃあ俺は戻るぞ」
「父君によろしく伝えておいて下さい」
「分かっているよ」
そう言って、男が先に出て行った。カーツも3個のサモナイト石を手に持ち部屋を出た。計画は動き出した、カーツの心は歓喜に満ち溢れて、これから起きる出来事に思いを馳せた。
西暦2035年5月20日。樹たちがリィンバウムに召喚されたこの日、物語は動き出したのである。