ちょっ、ブタくんに転生とか   作:留年生

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 更新(?)遅くなって申し訳ありません。
 展開速っ!……との指摘を受け、確かに物足りなさを感じて今一度書き直したので、せっかくなので1話から改めて投稿させていただきます。

 なので旧作の方は全消しさせていただきます。読者方々にはご迷惑をお掛けしますが、ご了承ください。


修行編
#01.勘当×契約×餞別


 

 青。見渡す限りの静謐を湛えた、雲1つ無い空の下。高い高い壁を前に、一人の少年が佇んでいた。

 因みに、壁と言っても一応は門。小さい扉から1~7の番号が振られているが、力を入れればその力に応じて大きい扉が開く仕組となっている。

 

「……これと向き合うのも今日で最後だ」

 

 容姿は少し不摂生が見て取れるメタボリック科ぽっちゃり属。

 年の頃は10を数える前だろうか、幼さの残る顔。

 しかし不釣り合いな程熟成されたと見える強固な意思を瞳にハッキリと宿している。

 

 青く晴れ渡る空は、そんな少年の意思を祝福してくれているとも、清々しくも不安を隠せない少年の心中を映し出しているとも受け取れる。

 

「……雨が降るな」

 

 ふと、鼻をヒクッと動かした少年が壁に向けていた視線を直上に宛てる。

 雲一つないが、山間地の空は変わり易いものだ。

 自分が産まれ育った場所なら尚の事。少年は、ある程度の気候変動を感知できる自信があった。

 

「ま、いいや。……グッバイ」

 

 彼は“闇”から生まれた人間である。このような光湛えた空の下、どこまで焦がされず歩んで行けるのか。そんな心配も少しある。

 だから湿った風が知らせる雨の到来を心待ちに思いながら、改めて巨大な扉に手をかけた。

 

「フッ、……!」

 

 少年にとって、今向き合う高い壁は牢獄も同義。何度逃走しようと思ったか知れない苦痛の日々を思い起こさせる。

 だからこそ少年は、今日この場に立つ事を許されるまで、耐えに耐えて来たのだ。

 そして産まれてからずっと闇の中を駆け抜けてきた少年は、これから光の下で生きられるように、どうしても正道を通ってこの門と決別したかった。

 

 ギィゴォォン……!

 

 扉に手をかけた少年は、ゆっくりと力を加えて静かに力強く押す。

 両開きの扉は少年の力を感じ取り……1の扉がゆっくりと開いた。

 因みに1の扉、片方が2トンある。

 

「……フゥ」

 

 扉を出ると、高い壁を隔てた空とはまるで別物のように広く澄み渡っていた。

 はじめの一歩を踏み出した少年は、静かにゆっくりと大きく呼吸を繰り返しながら自由の身となった事を改めて実感する。

 

「……坊ちゃん」

 

 そんな少年の背中を、ひどく悲しげな眼で見つめる老人が一人。扉前に設置された小さな一室から現れた。

 老体だが背筋が真っ直ぐ伸びて動きにも揺らぎが無い事からも、肉体を鍛えていることが窺い知れる。

 

「本当に、行ってしまわれるのですね……?」

 

 また、老人の『坊ちゃん』との言葉から汲み取れるだろうが、少年と老人は上下ある関係……だった。つい、さっきまでは。

 老人……名をゼブロと言う彼の仕事は少年の背にしている高い壁――のような門――から門の向こうへ侵入した者の“残骸”を掃除する、俗に言う掃除夫。

 この職に就いて……少年の家に仕えてもう直ぐ20年になる。だから少年の顔はすっかり見慣れていた。

 というより雇用主の子息の顔を忘れるなど、あってはならないのだが、だからこそ……こんな日が来てしまったという悲しい結果に、顔を顰めている。

 

 だがゼブロは憂い半分、安心半分といった心境だった。

 少年が出生した家系は、その前に死を迎える危険を多分に孕んでいるから。

 そんなゼブロに対して、少年は小さく吐息を漏らして応える。

 

「……ゼブロ。俺はもう“試しの門”を出た。ゾルディックを背にしている。これが今の俺だ。……もう、坊ちゃん呼ばわりしなくていい」

 

「……」

 

 少年は、己が生まれ育った家を捨てた……訂正、勘当されたのだ。

 なぜか? それは少年が家の方針に真っ向から逆らったからだ。

 少年の家は“伝説の暗殺者一家”と称される闇の家系。当然、少年も物心つく前から致死と隣り合わせの英才教育を施される……予定だった。

 

 だが、少年は殺人をすることを断固拒否した。

 

『俺は、絶対に殺人はしない!』

 

 これを、両親、祖父、高祖父、兄弟の前で公言したのだ。

 齢3歳の決断。丁度6年前の“事故”である。

 

 言うまでも無く、暗殺者一家が不殺を口にするなど、有ってはならない禁忌。その精神はあまりに致命的な破綻。

 もちろん、当時3歳だった少年もその言葉の意味を理解していた。少年は家族に殺される覚悟で、己の心中を言葉にしたのだ。

 

 だが、少年は助かった。

 地獄への片道切符を手にすることで、だが……。

 

 それは産まれた事を後悔するような惨めで卑しい生活の始まりだった。

 兄弟が暗殺者として教育される傍らで、体罰としか思えない再教育。

 月一で行われる試験、及第点以下だった場合の折檻で何度も死を垣間見た。

 その度挫けそうになった少年だが、殺されないだけマシだと心を強く保つことで必死に耐えた。

 必死に、只管必死に。

 

 加えて1歳半下の弟は、少年より優秀だった。

 まさに雲泥。暗殺者として天性の才を受けて生誕した暗殺の申し子の弟と、その愚兄が比較され、侮辱、軽蔑、敵視にまで辿り着いても誰も庇護するなど無かった。

 

 もっとも、天才な弟と比べるまでもなく、少年は兄弟の中では一番の劣等者だったが、それでも少年は生への執着を諦めず、決して誰にも媚びず、己の信念から一歩も引かず、省みずに地獄を歩き続けた。

 

「……ありがとう、ゼブロ。あんたには、随分と救われた」

 

「私は何もしていませんよ。ただ、お話しの相手になった……それだけです」

 

 しかし、少年にも味方が全然居なかったわけでは無い。

 ゼブロがその筆頭だった。何かをしてもらったわけではないが、ただ味方が居ると思えただけでも精神を繋ぎ止めるに一役買ってくれた。

 地獄にあって天井から延びる一本の蜘蛛の糸を見た……という童話の主人公は、きっとそんな気持ちだったに違いない。

 

「……ゼブロ。俺は、間違った選択をしたと思うか?」

 

「さあ……」

 

 だが勘違いしてもらわぬよう補足するが、この少年は暗殺者という家業を否定してはいない。

 暗殺が罷り通る社会であることは認識しているし祖父はある意味良識的であることも判っていた。

 暗殺者であることを除けば、地元では名家と言われていることも相俟って否定はできようはずもない。

 ただ「自分はしたくない」というだけの拒否。

 

「貴方は、後悔なさっておいでで?」

 

「…………いや、まさか」

 

「ならば、それが答えでしょう」

 

「……はぐらかした。ズルい大人だ」

 

 そうした我を通した地獄の道をあえて進むことで家族と決別し、勘当されるに至った少年であるが、それについては父との“契約”を果たしたことにより家族も遺恨無く了承済み。

 当然、契約を不履行するかもしれないとの懸念もあったが、その場合は暗殺の技術を盗むだけ盗んだら家出するつもりであった。

 暗殺の技術も見方を変えればこれ以上ないくらいの護身術となる。精神は暗殺に向かず、技術習得率も兄弟の中では見劣りする。ただし知的面だけは兄弟随一。

 頭はいいがバカなところが玉にキズ。それが祖父ゼノの少年、ゾルディック家次男ミルキ=ゾルディックの評価である。

 

「これから、どうなさるんです?」

 

「……世界を見て回る。しばらくは、人の居ないところで己を見つめ直す予定だ」

 

「然様で。……では、これで今生の別れ、ですな」

 

 ゼブロは“試しの門”を開けられなくなれば解雇される事になっている。

 因みに“試しの門”は1から7の扉まであり、1の扉ですら片方2トン。1つ数が増えるごとに重さが倍となる。

 今ゼブロは1の扉を開けられるが、肉体の老いのため年々キツクなっているのだとか。

 

「…………ゼブロが老いなければ、また会えると思うよ」

 

 暗に「帰ってくる」ことを告げた少年だが、ゼブロは敢えて何も言わず流すように高く笑い声を上げた。

 

「はっはっは。それは、老いだ何だと言っていられませんな」

 

 だが、ミルキの帰省を見るために。その小さな“しるべ”が立った事が、ゼブロには十分な活力となったようだ。

 

「……じゃ、俺行くわ」

 

「はい。道中お気を付けて。坊ちゃま」

 

「……」

 

 やめろと言ったのにコレである。意地が悪いとゼブロを切れ目の端っこで見納めたミルキは、特に言う事無く寂れた道に一歩を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 交通手段は唯一定期バスが日に一本という陸の孤島。それもただの島でなく鬼ヶ島。

 ゾルディックの私有地を出て、山肌を削ってか盛ってかの道を歩きながら、少しばかり安堵している自分が居る。

 

(転生して9年……もう直ぐ10年、か。……まさか、ここまで永い道のりになるとは……)

 

 ミルキ=ゾルディック。……否、今はただのミルキである彼は“本来”ならば最後の外出が10歳の頃。それから9年間、19歳になるまで一度もゾルディック家の私有地ククルーマウンテンから出た事は無い出不精。

 暗殺者一家の1人として、何人も葬った実績もある頭脳派暗殺者。

 

 それが“正史”のミルキ=ゾルディック。

 

 だが、ここに在るミルキは違った。……外見はともかく“中身”は別モノだった。

 

(まさかのブタくん憑依とか……。マジで俺の再人生オワタと思ったが、何とか……本当に何とかなったな……)

 

 憑依転生。ミルキの中身は、生誕前に別の次元で死んだ者の魂が憑依していた。

 その魂の元は一般家庭に生まれ、サラリーマンとなり平々凡々に生きて来た中年のもの。

 だが突然の死。絶望の激痛に襲われ意識を落とし、再び目覚めた時にはミルキ=ゾルディックとして2年の歳月が流れていた。

 

(サブカル世界に転生なんて……未だにどこかで受け入れられてないんだよな……)

 

 そして、その魂はこの世界が前世で【HUNTER×HUNTER】と題名されていた漫画である事を、また自分が憑依した相手がその登場人物の1人で在る事を知り、即座に行動を開始した。

 

 言い代えれば、単なる現実逃避。

 HUNTER×HUNTERの世界は、言わずもがな、前世のミルキと同じ時間を共有する人間の手によって生を受けた空想。

 その類似……あるいは同一の世界への転生というあり得ない事態から逃れたかった。

 

 そして……もし転生憑依した存在とバレたなら?

 

(殺される……としか思えないな……今でも、奴等の目は……)

 

 そんな恐怖から逃げるにも立ち向かうにも、何かをしてなければショック死してしまいそうだったから。

 

(まさに鬼の眼……だったな……)

 

 そして「……あんな目をした鬼には、為りたくない」という嫌悪が、ミルキを『不殺』に駆り立てた原初でもある。

 前世で、殺人とはどこか遠い世界の物語……な感覚だったが、今の親は暗殺者。

 逃げようの無い現実を目の当たりにしたミルキが最も恐怖したのは、自分の中にもあんな魑魅魍魎が居憑いてしまうことだった。

 魂魄は違えど、血統は同じ。

 ならば、鬼がいずれ自分という魂を喰らってしまう……なんて可能性もゼロではないとミルキは心底恐怖したのだ。

 

(……アレは、今でも苦手だ。……それに、このデブからも逃れられない現状……か)

 

 ミルキ=ゾルディックの将来は、弟から『ブタくん』と呼称されるくらいの肥満体型という結果が既に出ている。

 だがそれは引き籠りで不摂生な食事がもたらしたことから、鍛えれば解消されるとミルキは思っていたが……現実は非情だった。

 いくら絞ろうと鍛えても、丸々膨らんだお腹を引っ込めるのは無理だった。

 

(……ま。二度と嫌がらせを受けることもない。……この体型とも、オサラバできると思うのだが…………いや、今はそれよりも【念】のことか)

 

 そして、ミルキが肉体調整より重要視していた事、それが【念】と呼称される身体から溢れ出す生命エネルギー【オーラ】を自在に使いこなす技術。

 この弱肉強食の世界で生き残るために絶対修得しなければならない能力……なのだが。

 

(結局、念の修行はさせてもらえなかったがな……)

 

 しかしミルキは念能力を使えない。

 念能力を使うには“キッカケ”が必要なのだが、ミルキは一度もその機会に巡り合う事が無かった。

 いや一度あったのだが……必死過ぎて、すっかり忘れていたという。まさに笑えないうっかりだ。

 

 しかし、もちろんミルキだって何もしなかったわけではない。

 いずれ外に出る事を念頭に行動していたミルキは、覚えている範囲で念能力の開発にこっそり勤しんでいた。

 無論、浅い記憶からの俄か覚えの知識がどれほどの役にも立たない。今日に至っても念を習得できていない現状がありありと物語っている。

 寧ろ使えなくて正解だったのかもしれない。生兵法を過信するなど死を自ら手繰り寄せるようなものだ。

 

 というわけで、ミルキは手っ取り早く念の修行を行えるだろう場所を目指す。

 

(やっぱり、最初の行く先は天空闘技場かな)

 

 人里離れた異境の地を目指す事をゼブロに仄めかしたが、それは真っ赤なウソ。

 どこで誰が聞いているとも知れない場で、そんな愚かな事はしない。

 ゼブロには少し罪悪感は湧いたが、嘘は本来生きるための術。なんら悪用でもないとミルキは自分を納得させる。

 

 因みに天空闘技場とは、パドキア共和国(現在地)と同大陸にある世界で4番目に高い建造物。

 野蛮人の聖地、格闘のメッカとも呼ばれる歪な建物は、遠くから見れば枝の少ない杉の木にも見える場所だ。

 

(能力者は能力者に感化される。天空闘技場で、俺の念も覚醒する可能性は……あるはずだ)

 

 天空闘技場はただ相手を倒して上へ階を重ねる単純なシステム。しかし、ある階を機に念能力は必須でなければならなくなる。

 それが200階級。つまり、200階級の選手は必ず念能力者なのだ。

 ミルキの目的もそこにあるが……今ミルキは200階まで上がるつもりは毛頭無い。

 なぜなら199階までの試合はファイトマネーが出るが、200階からはファイトマネーは出ず、己の名誉のみ得られるシステムになっているから。ミルキは名誉なんて要らないし、念能力を使えない状態で上がっても“洗礼”を受け、肉体を壊されるのがオチ。

 なのでミルキは客席から観戦し、発せられたオーラの余波で覚醒しないかと期待している。

 希望的観測に過ぎないが、他に行く宛ても無いミルキは決断せざるを得ないのだ。

 

 さて。行く先は定まった。

 飛行船でなければ山脈越えや国境越えなど最低2ヶ月は覚悟しなければならない程の距離だが、ミルキは陸路(徒歩)で行こうと思っている。……ダイエットのためにも。

 

 

 …………だが。

 

 

「……そろそろ、出てくれば?」

 

 その前に、どうしても通らねばならぬ“関門”がまだあるらしい。

 

「――さすが、ミルキ様。見事“契約”を生きて履行されただけの事はありますね」

 

 その声は、ミルキの行かんとする先から現れた。短髪に細目、逆三角の眼鏡を掛け、執事スーツをパリッと着こなした男性。ゾルディック家執事長ゴトー。

 

(……囲まれたか)

 

 更にミルキの背後にも2人、執事服の男達が。

 今ミルキが居るのは山を削り造られた山道。下り行くミルキから見て右側が数十メートルの崖下に繋がっており、左側が草木が点々と茂るだけの岩肌の見える山。

 前後を防がれれば、逃げ道は無い。

 

「……何か用か、執事長ゴトー?」

 

「説明せずとも、分かっているハズです」

 

 淡々と、しかしゴトーが一応の敬語を使うのはミルキが曲りなりにも“ゾルディック”だったから。

 しかしゾルディックの私有地……試しの門を出た時点で、ミルキとゾルディックは全く関わりない関係となった自分に言う理由など、ミルキは一つくらいしか思いつかなかった。

 

(白々しい……相変わらず、厭味な野郎だ)

 

 顔に出す程の嫌悪ではない。既に平然とできる低位の悪意だからこそ、ミルキは今後の展開も容易に想像ができた。……というより、逃げ道を消された時点で気付けぬ程、ミルキの通って来た地獄路は単純では無い。

 

「御当主様との“契約”を見事生き抜き果たされたミルキ様……ですが、それは御当主様“のみ”の契約です」

 

(……だろうな。そうなると判って、その条件を提示したんだ)

 

 契約。それはミルキが不殺を信条とすることを打ち明けた3歳誕生日の夜のことだ。

 どうあっても前言を撤回しないとミルキが覚悟を示した時、ミルキの元父でありゾルディック家当主のシルバ=ゾルディックが“契約”を持ち掛けた。

 

 契約内容は、ミルキが10を数えるまで如何なる責め苦にも耐え、信念を貫き通した暁には自由とする――というもの。同時に、今後一切シルバを父と言う事も、思う事も禁ずる――と。

 事実上、父子の決別。

 それから必死に生きて、数えで10(9歳)となった今日、ミルキは父シルバとの契約通り、晴れて自由の身となったのである。

 

「それに何より……今、赤の他人となった“テメェ”がゾルディック家の外敵と為りうる可能性がある以上、執事としてむざむざお前を逃がす道理はねェからな」

 

 しかし、それはシルバが手出ししないということ。他の誰かの命令で、執事が動く事は目に見えていた。

 ミルキが敢えてそこを指摘しなかったのは、シルバだけでなくゾルディックの抜け道をふさがないため。

 予測できる抜け道を通るなら、対策も立てやすい。そこを塞いでしまった時の後も考えると、余計な事を言わないのが吉。前世でも幾度も思い知ったことだ。

 

「テメェのような害虫と栄えあるゾルディックの面々を同列に呼ぶだけでもヘドが出る。……ようやくその鬱憤が晴らせるんだ。覚悟しやがれよ?」

 

 ゴトーから殺気が飛ぶ。周囲が一気に氷点下まで落ちたと思わせる底冷えする本気の殺意がミルキに襲い掛かる。

 

「……そう。(ジジイじゃない……。これは、あのクソアマの差し金か)」

 

 ミルキの反応はいたって淡白だ。

 ゴトーの殺気に恐れ戦いているのではない。ミルキは、ゴトーの殺気を逆に『温い』とすら思えていた。

 

(……9年前の俺なら失神通り越してショック死してただろうな。……かなり麻痺していることは否めないが、嬉しいやら哀しいやら……ってか?)

 

 もちろんゴトーは本気の本気。虚偽なく殺す気迫をミルキに向けているが、ミルキの日常は異状の連続。常に死と隣り合わせであり、この程度では恐怖が呼び起きるまで起伏する事も無くなっていたらしい。

 有り難いやらムナしいやら。いずれにしろ、ミルキもそれ相応の対応を取らねばなるまい。

 

「ならば、押し通る」

 

 ミルキは構える……と言っても、隙だらけに直立しているだけだが、熟練者を相手にする場合、構えを取ることで初動がバレてしまう。故に、突き詰めた自然体こそが最も道理にかなった構えなのだ。

 

「……逃げないのか? 死ぬぞ」

 

「自殺予告か、ゴトー? 笑ってやるぞ?……ククッ」

 

 安い挑発をするミルキ。……だが、ゴトーは判り易くコメカミに血管を浮かせた。

 

「……図に乗るなよ、逃避のブタ小僧が」

 

「俺の覚悟が逃避に見えるってんなら、先ずその趣味の悪ィ眼鏡を変えなよ」

 

 ゴトーがボクシング選手のように脇を締め、拳を作って顔の前で構えた。

 構えをしても隙の無い、初動の読めない実力差が見え隠れする。

 

「お前等は手を出すな」

 

 一対一を宣言するゴトー。……もちろん、ミルキは前方以外を取り囲む者。また“遠くから狙っている者”にも警戒は解かない。

 

「いくぞ……ッ!」

 

 一声を上げたゴトーは、ミルキに向かって直進する。

 単純な軌道。だが、その一歩が大きく、何より速い。

 5mはあった距離を、瞬く間も与えず消し飛ばした。

 

「フンッ!」

 

「っく……!」

 

 ゴトーが放つ渾身のストレート。ミルキは腕を盾に、更に瞬時に半身となることで軌道をいなした。

 

(ちっ、さすがの威力……!)

 

 だが、ゴトーの速度、そして一撃の威力がミルキの回避のタイミングを誤らせた。折れるまではいかなかったが、ヒビが入ったらしい。

 次のガードで腕ごと切り飛ばされる妄想が、現実となりそうだ。

 

(それに、今の感覚は……)

 

 ミルキはゴトーの拳に乗せられた殺気の他に、もう一つの力を感じた。

 朧げだが、それはとても親しみのある感覚。

 極寒の中でも、絶えず己を護るために発する強い熱のような……。

 

(……試してみるか)

 

 幾度となく潜り抜けた必死の修羅場。

 しかし、その中には無かった新たな力が目の前に。

 

「この程度がゾル家執事長の腕前か? 拍子抜けだな。お前の拳はブタすらも捉えられないってことかよ、ゴトー?」

 

「ッ……テメェ……!」

 

 ミルキはゾルディック内の全ての人間の性格、長短、好き嫌い等ある程度を把握している。もし敵対した折の糸口となる何かをあらかじめ用意しておく意味で。

 

(……掛かった)

 

 ゴトーは一見して冷静沈着。客観的に物事を見る事のできる人格だが、その実非常に溜め込みやすい性格をしている。

 膨らんだ風船は僅かな衝撃でも破裂する。貶した相手に貶される。これはゴトーにとって耐え難い屈辱。ゾルディック家に拾われた恩もあるらしく、その点で言えばある意味神聖視しているとも言い取れる。

 ゾルディック家を間接的に辱めることで、ゴトーの溜めこんだ鬱憤を爆発させる。

 

 その結果がどうなるかなど、火を見るより明らか。

 

「コロス……!!」

 

「っ……!」

 

 ゴトーから噴き出す威圧が、一層増した。

 

(これだ! この感覚が……!?)

 

 そして、比較するように己の内側に力の確たる存在感。

 

(確かめるのは後だ! だが今は―――!)

 

「ウラァ!!」

 

 まるで羅刹。振り下ろされる殺意の塊。ゴゥと唸りを上げて風を切りながら打ち下ろされるゴトーの右ストレートにミルキは……。

 

「ぶごはっ!!」

 

 見事……というよりも案の定、ミルキの分厚い太っ腹に直撃。その勢いを殺さぬまま、ミルキは吹き飛ばされ――。

 

「な……!?」

 

 崖下の、濃い樹海へと落ちて行った。

 

「…………ちっ!」

 

 冷静になっても時既に遅い。

 殴り飛ばしたゴトーは、己の右拳を見ながら舌打ちする。というのも、彼の右拳に何時の間にか一枚のシールが張ってあった。

 張って剥がせるメモ、ポストイット。

 そこには短く、こう書かれてあった。

 

「【餞別は貰った。土産はそれで勘弁してもらえ、バーカ】だとぉ……? フザケやがって……っ!!」

 

 ゴトーはクシャッと紙を握り潰す。

 ミルキは初めからゴトーと遣り合うつもりなど無く、初めから何かしらの一撃を“選別”として貰うつもりだった。

 自分は裏切者。産み育ててくれた家族を裏切る。3歳の頃より事実上の決別をしていた親兄弟達ではあるが、向こうはどう思っていたのか知る由もないが、罪悪感が無いなどありえない。

 我を通すため、家族を捨てる。ゴトーの言が本気であろうが無かろうが、それは確かな事実である。

 ならばミルキは受け止める以外の選択肢を持ち合わせていなかった。

 その重みを、その身を以て。それが、己に課せられた責任なのだから……と。

 

 冷静にならなかった結果がこれ。嵌められたとゴトーが気付いた時には何もかもが遅い。

 ミルキは遥か数十メートル下方の樹海の中に落ちて、既に気配すら無い。

 確かな手ごたえの一撃はミルキの骨と内臓を破壊したに違いないが、逃走できるだけの力は残っているだろう。

 樹海で一度視界から消えて、ゾルディック仕込みの気配隠蔽など使われれば発見は困難。

 更に、気配を消すという点で言えば、ミルキの技は特異の類。

 

「おい! 奴はどこだ!」

 

『ひ……! そ、その……完全にロストしてしまって……』

 

 ミルキも気付いていたが、遠方から熱感知型のスコープで監視していた執事の視線からも逃れた後。

 憤慨を隠せないゴトーだが、こればかりは誰かにブツけるわけにもいかない。

 

「アイツに付けていた発信機は?」

 

「……おそらく執事長がお持ちかと」

 

 言われてポケットをまざぐってみると……確かにあった。

 ここまでミルキの衣服に付けて置いた発信機、それに盗聴器もセットで。

 

(奥様の念も解除されたと見るべきか……あのブタ、念を使えぬまでも知っていたようだしな……)

 

 こうなればミルキを見つけ出すのは無理に等しい。

 ミルキの暗殺術は兄弟一の低能だが、隠遁術に関しては兄弟随一。

 その性能はゾルディック家の番犬……死の案内犬ミケですら、ここ数年は連敗中だった事を見れば分かり易いだろう。

 こうなれば、残る手段は飛行場がある町で、ミルキを待ち構えるしかない……のだが。

 

「ちっ……雨か」

 

 更にタイミングの悪いことに雨が降り出してきた。

 これでは視界も悪く、臭いも完全に途絶える。追跡は、不可能に近い。

 まるで天がミルキの味方をしているようで気にくわないが……。

 

「……戻るぞ。徒労は御免だ」

 

「御意」

 

 おそらくミルキは飛行船は使わないとゴトーは判断した。

 ミルキは小太りの見た目に反して俊敏で体力もある。地獄の道を生きて通って来た男が体力が無いわけがないのだ。

 

(……戻ってきたら、今度は容赦しねェぞ)

 

 本当は“訳”有って死なない程度に痛めつけろという命令だった。

 そして、ミルキが再びゾルディック家の門を叩くのは必定とは大人達全員一致の見解。

 今度は……侵入者として確実に潰すことを考えたゴトーは、戻った後の処罰を受ける事に意識を向けた。

 

 


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